第122話 ディミトリの調査-パイ
ハシュール王国、リビア町。
パイ・ベイルがこの町を訪れたのが数時間前のこと。
以前パイと同じパーティを組んでいた冒険者、ロニー・ブルックとフィーネ・シェルツの故郷だ。
「……見つけた。ここですね」
軽く聞き込み調査をしただけでその場所のことは知ることができた。
町の近くにある湖のほとり。そこに三つの石が供えられていた。
この場所のことを教えてくれた薬草屋の主人の娘もここに眠っているらしい。
石は墓の代わりだろう。それぞれの石に供え物がしてある。
その内の一つにパイは見覚えがあった。
ロニーがサブウエポンとして愛用していた短剣。それが、この場所がロニーを弔う墓地だと示していた。
「……」
パイは石の傍に座り、そっと外衣の肩に取り付けたオレンジ色のバッジを指でさすった。
このバッジをパイに譲った少女……魔人、パンダがロニー達と同じパーティを組んでいた。
どのような経緯でそうなったのか。そして、ロニー達はどのような経緯で死ぬことになったのか。パイは断片的にしか知らない。
この平和な町に突如として強力な魔人と魔獣が現れ、国営ダンジョンを襲った。
ロニーとフィーネ、そして彼らの幼馴染の少女がその魔人の犠牲となったと聞かされていた。
「ロニー、フィーネ……お久しぶりです。そしてトリスさん、初めまして」
語り掛けるパイに返答はない。静かな湖のさざめきがあるばかりだが、それでもパイは目の前に二人がいるような気持ちになれた。
「分かりますか、私のこと。見た目が少し変わってしまいましたが」
以前のような艶やかな黒髪はもうない。魔獣化の影響でパイの髪は真っ白に変色してしまっていた。
「とある盗賊団に拉致されてしまい……こんな姿に。でも、パンダさんが助けてくれたんです。きっと、あなた達と同じパーティを組んでいたよしみで。……ロニー、貴方は知っていたんですか? パンダさんが魔人だということ。あれから、ずっと悩んでるんです。パンダさんに、貴方達のことを聞きたい、けど……何を話せばいいのか……本当は何が知りたいのか、分からないんです」
パイの中で、パンダという魔人の人物像が全く掴めていない。
あの路地裏で、パイはパンダに殺されかけた。あの時のパンダは魔人の顔をしていた。人間を躊躇なく殺せる暴力を秘めた、そんな目をしていた。
だがヴェノム盗賊団のアジトで会ったときのパンダは、別の顔をしていた。
今なら分かる。あれは、ロニー達とパーティを組んでいたパイを……『仲間』を救おうとする目だった。
パイを殺そうとしたこと。助けようとしたこと。どちらにおいてもパンダは説明も言い訳もしなかった。
ただバッジだけをパイに譲り、その解釈をパイに委ねた。
パンダのことを然るべき者に伝えるべきか否か……それすらもパイのしたいようにすればいいと、パンダはパイに接触を取ろうとすらしてこなかった。
だから、パイは判断しなければならない。
自分がすべきこと。自分のしたいこと。あれからずっと悩んでいるが答えは見つからない。
ここに来れば何かが分かるかもしれないと思ったが、結局は何も変わらなかった。
ただもう会えないかつての仲間たちとの思い出が蘇り、寂寞の念が込み上げるだけだった。
今はただ、懐かしい思い出に浸っていようと……パイがそう思っていた、そのとき。
「――あ、おったおった。すんませーん、パイ・ベイルさんですよね?」
不意に背後から声をかけられ、パイは振り返った。
見知らぬ男女がこちらへ歩いてきていた。
やせ型の長身に伊達眼鏡をかけた糸目の男。
その男の後ろに続く、おさげの少女。
「そうですが、どちら様でしょうか」
「お初にお目にかかります。ワシはルドワイア帝国のディミトリいうモンですわ。こっちは助手のミサキ」
「初めまして。ミサキ・ケインヒールと申します」
「先日のセドガニアの一件を調査しとるんですけど、ちょっとお話窺ってもよろしいでっか?」
「セドガニアの件……ですか。構いませんが……」
顔を曇らせるパイ。
あの一件はパイにとっても苦渋に満ちた出来事だった。話すだけでその辛酸の味が舌に蘇る思いで、出来るならば胸の内に秘めておきたかった。
だがそれを調査するというのなら、可能な限り協力すべきだと思った。それが当事者である自分の責任だと。
「ありがとうございます。パイさんってヴェノム盗賊団に捕らえられたんですって?」
「……はい」
「ディミトリさん、聞き方……」
あまりにもド直球過ぎる質問。パイはこのディミトリという男の性格が早くもつまびらかになった気がした。
「セドガニアで盗賊団の一人と戦闘になって、その口封じのために攫われたんですか?」
「…………いえ、少し違います」
「ほう。というと?」
「口封じという理由も確かにあると思います。しかし私は彼らの……ヴェノム盗賊団の実験の被験者として選ばれたのです」
糸目だったディミトリの目が僅かに開かれた。
鋭い眼光がパイを射抜く。
「実験、ですか。それはつまり、ドラゴンを大量に召喚するという?」
「違います。ヴェノム盗賊団の真の目的は、冥府の門を開け、冥府の魂を取り込むことで被験者のレベルを強制的に上昇させるというものです」
「――――なんやと?」
ディミトリとミサキはどちらも唖然と目を見開いた。
彼らからすればまさに寝耳に水。思いもよらないところで思いもしなかった角度から情報を提供され、それを消化し切るのにディミトリですら少なくない時間を要した。
「それは確かなんでっか?」
「はい。私は彼らから直接話を聞きました。それが嘘でなければ」
「詳しく聞かせてください」
パイはあの塔で聞かされたことをディミトリに語った。
ヴェノム盗賊団と手を組んだ研究機関ハデス。その長であるハンス・クルーリーからの言葉をそのまま伝えるような形で説明した。
ハンスが語った詳細な理論に関しては、パイも完全には理解していないのであくまでパイが把握している部分でかいつまんで説明したが、それだけでも十分にディミトリは実験の全容を理解できたようだった。
「……なんやねんそれ。じゃあドラゴン全然関係あらへんやん」
「はい。私も町へ戻るまでそんなことが起こっていたなんて知りませんでした。それに彼らも、実験の途中でなにか不測の事態が起きたようで慌てていました」
「……やっぱりそうや。あの事件の首謀者はヴェノム盗賊団やないんや。ドラゴンを呼び出したんは別口や。大量のドラゴンを呼び出すなんて離れ業もこれで納得いったわ。冥府にある無限の魂を魔力源にしとったんなら、召喚の術式さえ整えてまえば理論上可能やんけ」
ついに真実の一つに到達した手ごたえを掴むディミトリ。
あとはその首謀者……それさえ分かればこの事件の謎は八割方解き明かしたも同然だ。
「で、パイさんはその実験の被験者になったと? どうなったんですか?」
「……魔族の魂が私の中にいくつも入ってきて、頭の中に声が響いて……殺せ、殺せ、と……」
「……パイさん、お辛いようでしたらあまり無理はなさらなくても、」
「黙っとれミサキ。大事なとこやろが」
「ミサキさん、お構いなく。それに、私が覚えているのはそれくらいです。以降の記憶はとてもぼんやりしていて、自分がどんな状態だったのかもよく覚えていません。覚えているのは……誰かを……おそらく盗賊団の人達だと思いますが……殺していたということ」
「まあ魔族の魂の大量に取り込んだんなら当然やな。ちなみにパイさんを攫った盗賊が誰かとかって分かります?」
「分かりますが……もう亡くなっています。……私が、その……」
「ああなるほど。結構ですよ」
「調査内容とも合致します。ホークさん達が塔に到着したときには既に盗賊団はパイさんによって殺が――倒されていたのでしょう」
「ホーク……」
ぼそりと囁いたパイの呟きをディミトリは聞き逃さなかった。
「そういえばホークさんに助けられたって聞きましたけど、ほんまでっか?」
「……それも、あまり覚えていません。他の方々にそう教えていただきましたが……」
「『が』、なんですか?」
「……」
パイの沈黙。そこに重要な秘密が隠されている気がして、ディミトリは話題を変えた。
「パンダさんってご存知ですか?」
握手のついでに心臓を突くような不意打ちで、ディミトリはパイの急所を貫いた。
パンダについて何を話すべきか、パイはまだ決めかねていた。だがそんな素振りを見せること自体がディミトリを相手には致命的な隙。
ましてパイは厳格な神官。嘘や謀りの土俵でディミトリを欺けるはずもない。
「彼女を……知っているんですか?」
「そら知ってますがな。有名人ですやん。それに、事件の関係者として事情聴取させてもらいました。パイさんもご存じなんですね?」
「そう、ですね……はい。私も彼女を知っています」
「パンダさんとはどういうご関係で?」
「…………分かりません」
分かりませんときたか、とディミトリは小さく唸った。
僅かな会話だけで、この女性が真摯な神官だというのはありありと見て取れた。
嘘を吐いたり隠し事をしようとするのは決して得意ではないだろうが、もし何かを隠そうとしているのだとしても「パンダとどんな関係か分かりません」などという支離滅裂な言い訳はしないだろう。
この返答には大きな意味がある、とディミトリは直感した。
「パンダさんについて何か知ってることがあれば教えてもらえます?」
「……何故ですか? あなたはセドガニアの事件について調査しているのですよね?」
「だからです。だからパンダさんのことを教えてほしいんです」
「……」
それはどういう意味ですか、とはパイは聞き返してこなかった。
セドガニアの一件を調査する上で、パンダのことを調べるのは自然な流れだとパイ自身が認めているのだ。
この少女は何かを知っている。パンダに関する何かを。
「……言えません」
だがパイはその情報を秘めた。
否定はせず、ただ拒否した。
「何故言えないんです?」
「言うべきかどうか、まだ私自身で決めかねているからです」
「パンダさんに何か秘密があるのはあるんですね?」
「……あります。ですが、今はまだ……」
「……いえいえ、結構ですよ。気が変わったらいつでも教えてください。最寄りの軍の関係者にでも話してください。しばらくすればワシのところにその情報が伝わってきますんで」
「そ、そんなに広い情報網をお持ちなんですか?」
「凄いでしょ?」
おどけてみせるディミトリだが、パイは「は、はぁ……」と気のない相槌を返すだけだった。
「話は変わりますけど、パイさんのお話やとその研究の被験者にされて、魔族の魂を取り込んでしもて、暴走してもうた……ってことですよね?」
「はい」
「今は平気なんですか?」
「…………今は、平気です。ただ、どうして元に戻れたのかは分かりません」
「ホークさんが治療してくれたんやろか」
「……あの。これだけは言っておきたいのですが……私を助けてくれたのは、パンダさんなんです」
「あ、そうやったんですか」
言葉では驚いてみせたが、それは既にパンダから聞かされていた。
パイが捕らえられていた塔に出向いたのはパンダで、倒壊した瓦礫の下からパイを救い出したと聞いていた。
「パンダさんは、暴れる私を止めようと必死に戦っていました。しばらくすると爆発が起きて、私は気づいたら塔から落下していて……」
「――ん? ちょっと待ってください。『戦ってた』? パイさんとパンダさんが?」
「はい。ハッキリとは覚えていないのですが、ぼんやりと、そんなことがあったような気がします」
「……そうでっか」
パンダの証言と微妙に食い違いがある。
パンダは倒壊した塔の瓦礫の中からパイを救出したと言っていた。だが実際にはその前にパイと会って戦っていたことになる。
……いや、嘘とは言えないかもしれない。パイを瓦礫の下から救出したとは言ったが、それ以前にパイと接触していたかについては言及していない。
あの少女ならこれくらいの屁理屈は平気で言ってのけそうな気がする。
話を聞いていたミサキが割って入った。
「やはりその実験で使用された魔法陣に、何かしら洗脳を施すような術式が組み込まれていたのではないでしょうか。塔の崩壊によって魔術式が破壊されたため、パイさんも正気に戻った」
「いや、それはない。それやとラトリアの件が説明できん」
「あっ……」
そう、魔術式の停止によって暴走が収まるのであれば、ラトリアが未だに暴走を続けているのはおかしい。
ラトリアとパイが同じ実験の被験者になったかは不明だが、状況から推理するとそう考えるのが自然だ。
「ちなみにその髪は地毛ですか? 綺麗な白髪ですけど、元からですか?」
「あ、いえ。その実験の影響で白くなってしまって」
「そうなんですねー」
やはり、とディミトリは納得した。
報告では、ラトリアの髪も白く変色していたらしい。それが魔族の魂を取り込んだことによる作用と考えれば、やはりラトリアもパイと同じ実験を施された可能性が高い。
ラトリアは未だに暴走を続け、パイは元に戻った。
今ディミトリの手元に揃っている手札から推察すれば、二人のケースの違いは『パンダがその場にいたかどうか』に収束するようにディミトリには思えた。
パンダはパイの状態を元に戻す手段を持っている……あるいは知っていた、ということが考えられる。
少なくとも、パンダは何か知っているはずだ。
調査を進めたての頃はホークが何やら怪しいと感じていたのだが、ここに来てパンダの不審さが急激に浮き上がってきた。
「私にお話できるのはこのくらいです。お役に立てたでしょうか」
「――もちろんです。貴重なお話を聞かせてもらいました」
話を終わらせようとするパイに、ディミトリが僅かに焦る。
パイからすれば全てを話し終えたつもりなのだろうが、ディミトリにはまだ明らかになっていない謎が多くある。
できればもう少し聴取を続けたいが、そのきっかけがない。パイの言う通り、セドガニアの件に関しては彼女の立場から話せることはほぼ聞き出したと言える。
「……ところで、パイさんはなんでハシュールに?」
それに関してはモニカから聞いていたが、ディミトリは場を繋ぐために話題を振った。
「昔の友人の故郷なんです。冒険者だったのですが、魔人に襲われて帰らぬ人になってしまって」
「そうなんですか。それはお悔やみ申し上げます。あ、もしかしてこれが墓石ですか?」
「そうみたいですね。私が用意したものではないので断言はできませんが、彼の使っていた短剣が供えられているので、きっとそうだと思います」
「これですね? いやぁ申し訳ない、そうやと知ってれば花の一束でも用意したんやけど」
「お気になさらず。私だって、訃報を聞いてから今日まで会いに来なかった薄情者ですから」
「いえいえそんなこと――ん?」
ぴたり、とディミトリの動きが止まり、供えられている短剣をまじまじと見つめた。
至って普通の短剣だが、一つだけ気がかりな点を見つけた。
「――パイさん。お聞きしたいんですけど、この剣に彫られてるルーン……これってもしかして『魔力抵抗を打ち消す』って効果と違いますか?」
「あ、はい。凄いですね。見ただけで分かるなんて。正しくは『魔法抵抗力減衰』のルーンですね。『打ち消す』というほど強い効果ではありません」
「効果の重ね掛けはできますか? 同じ敵を何度も斬れば、その回数分だけ抵抗力が減り続ける、みたいな」
「はい。ただ同じ敵を何度も斬るなんてケースはほとんどありませんから、有用な効果ではないですね。これを使っていた人もあくまで短剣としての用途で使っていて、ルーンの効果はオマケみたいなものでした」
同じ敵を何度も斬りつける時点でもう懐には入り切っている。
ルーンの効果が発動する頃には敵は死んでいるのが普通だし、それで殺しきれないような敵の懐に潜り込んで何度も短剣で斬るような余裕はないだろう。
――が、ディミトリはこの短剣を穴が空くほど凝視していた。
「――確認させてください。パンダさんはこの剣の持ち主とパーティを組んでませんでしたか?」
驚いたように目を見開くパイ。
傍らでメモを取っていたミサキは「げっ」と言わんばかりに顔をしかめた。
そんなことを知っているということは、ロニー達のことも当然調べがついていたはずだ。
……にも関わらず、先程パイがこの墓石のことを説明した際に、ディミトリは「そうなんですか」と素知らぬ顔でとぼけた。
それがパイには若干気に喰わなかった。
「……先程、彼らについては何も知らないと仰っていませんでしたか?」
「言い訳するようやけど、言ってません。誤解を与えてしまう言い方やったかもしれませんけど」
「……パンダさんを、何か疑ってらっしゃるんですか? だから知っている情報をとぼけて、私が口を滑らさないかと……? そういうやり方は……不誠実だと思います。お聞きになりたいことがあるのなら素直に仰ってください。私はできる範囲でお答えしているはずです」
「あ、あのですねパイさん! ディミトリさんは仕事熱心な人で、こういうところがありますが基本的には善人……だと思いますので、お気を悪くされたのでしたら私から謝罪を……」
「せやったら、ワシもホンマのところをお話します。確かに、ワシはパンダさんを怪しんどります。もともとはホークさんの方を怪しんでたんです。せやけど調査を進めていくとパンダさんの方が怪しく思えてもうた」
「……」
「せやけど、『何が怪しいんか分からん』のですわ。なんとなく、なんか不審な点がいくつかあるんです。せやけどそれがこの件にどう関わってくんのか自分でも分からへん。誰かて隠し事の一つや二つあるもんやって割り切れればええねんけど、せやけど無視したらアカンってワシの勘が言っとる。――そういうのメッチャ気持ち悪いんですわ。それを解消したいだけです」
「……」
「で、その手掛かりになるんがさっきの質問なんですわ。パンダさんがこの短剣の持ち主とパーティ組んでませんでした?」
聞き取り調査をする際に強引な話術で話を進めるのはディミトリの十八番だとミサキも知っていたが……これほどに強硬な姿勢を貫くディミトリは珍しいと感じた。
この短剣と、パンダと……ミサキには何がどう関係しているのか皆目見当がつかなかった。
「……分かりません」
「ホンマですか? ホンマに分かりませんか?」
「本当です。――私も、それが知りたいんです」
「? どういう意味ですか?」
「少なくとも、パンダさんは私が彼ら……ロニー達とパーティを組んでいたことは知っているようです」
「なんでそう言えるんですか?」
パイは少しだけ躊躇する素振りを見せ、自身の肩につけたオレンジ色のバッジを見せた。
「これは私たちのパーティシンボルです。これを、パンダさんからいただきました」
「は? ほんなら確定やないですか。なんでわからんのです?」
「パンダさんに確認を取ったわけではないんです。このバッジも、私が救出されて気を失っている間に人伝てに渡されたもので」
「――――――――分かりました。結構です。ありがとうございます」
数秒ほど考え込んだ末に、ディミトリは急に口調を変えた。
先程までの砕けた口調ではなく、事務的な礼儀正しさを秘めた喋り方だった。
「もうよろしいんですか?」
「はい。お時間を取らせてしまい申し訳ございませんでした。大変貴重なお話でした」
「そう、ですか。それでは、私はこれで」
若干気味悪く思いながらも、パイは一礼してその場を去っていった。
それを黙って見送るディミトリとミサキ。
やがてパイの姿が見えなくなり、湖に二人しかいなくなったのを見計らって、ミサキが声をかけた。
「ディミトリさん、何か分かったんですか?」
「……これ見てみ」
ディミトリは懐から何かを取り出すとミサキに手渡した。
「これは……パンダさんのステータスカード?」
冒険者管理局などで発行される、その人物のステータスを数値化して表記したカードだ。
こういう個人情報を他人に渡すことはないのだが、ルドワイア帝国騎士団、それもエルダーという肩書の威光を以てすれば入手は容易かった。
ハシュール国の交易都市、シューデリアで発行されたのが最後のようで、その時点でのパンダのステータスが記されていた。
「これならさっき見たじゃないですか」
「もっかい見ろ」
「? …………はい、見ました」
「どう思う?」
どうって聞かれても……と言いそうになったが、これがいつもの『ミサキが気づけるかのテスト』だと分かったミサキは、もう一度そのステータスカードを分析した。
「……『死霊術に適性がある。珍しい』……ですか?」
「他には?」
「……『レベルが10になっていないのにスキルポイントを消費しているのは珍しい』……珍しい、かなぁ……あまり良くない、というか……」
「他には?」
「え、ま、まだですか? えっと……『俊敏のパラメータが高い』、ですね。黒魔導士にしては。――いや、というか、『俊敏性にスキルポイントを割り振った』? でも黒魔法のスキルを習得している……あ、これは確かにおかしいかもですね」
「まあそこまでは誰でも分かるわな」
「はい。それで、このステータスカードが何か関係あるんですか? 確かにちょっと珍しいですけど、別段注目するほどでは……」
「ああ。ワシも最初そう思って気にしてへんかってんけど……」
ディミトリは墓前に供えられている短剣を指さして言った。
「これを見てピーンと来たんや。そのステータスカードの謎が解けたかもしれんで」
「どういうことですか?」
「リビアの国営ダンジョンに魔人が出たっていうのは調べた通りや。魔人一人に魔獣一匹。どうやら二か所でそれぞれ戦闘があったみたいで、魔人の方は激しい戦闘の末に死亡。――魔獣の方は?」
「えっと……」
ミサキはメモを取り出して内容を確認した。
「戦闘の痕跡があったのは、魔人マーシェラルドの死体から数百メートル離れた森の中です。こちらも激しい戦闘があった様子ですが、魔獣の死体は確認されていません」
「で、パイさんのパーティメンバーがその内のどっちかにやられて三人とも死亡。今のパイさんの話やと、その三人とパンダさんはパーティを組んでた可能性が濃厚やな」
「そうなりますね。……えっと、それが何か?」
「パンダさんだけが生き残ったのは魔族から逃げ延びたからやと思っとったけど、もしパンダさんがその魔族を倒したとしたら……どうや?」
「そんなのあり得ませんよ」
ディミトリがどんな突拍子もない推理を言おうとも基本的には信用することにしているミサキでも、その推理だけは一蹴した。
「このステータスカード見てください。パンダさんのレベルはこのときたったの5ですよ? 勝てるわけありません。傷を負わせることすら無理です。理論上あり得ません」
「ちゃうな。理論上は可能なんや。そのステータスとこの短剣があれば」
「ど、どうやってですか?」
到底信じられずミサキはもう一度ステータスカードを確認した。
「『ソウル・ブラスト』と『コンバート・アンデッド』を習得しとるやろ」
「ええ、まあ。――――え? ええ!? ま、まさかディミトリさん……!」
「そや。相手をアンデッド化して、それを自分で吹っ飛ばす。これならどんな相手でも一撃で殺せる」
「無茶言わないでください! 対象の肉体のアンデッド化なんてそれこそ高位の黒魔導士の業ですよ。それをソウル・ブラストの対象にするのもです。まして相手は魔族です、そんな魔法は簡単に跳ねのけられて――――あ」
「そや。そこで、この短剣なんや」
ミサキもディミトリの言いたいことに察しがつき、言葉を詰まらせた。
『魔法抵抗力減衰』の効果を持つ短剣。効果の重ね掛けができるのもさっきパイが証言した。それで敵を、それこそ数十回と切り刻めば一時的にではあるが死霊術の対象として魔法を作用させることも可能だろう。
ディミトリの言う通り、『理論上は』。
「――いや、いやいや。でもやっぱり無理です。その作戦だと、パンダさんは相手を何十回もその短剣で攻撃したことになりますよ? それだけレベル差があるならそんなこと出来るはずないです」
「それはパンダさんの腕次第や。せやけど、少なくともパンダさんは『俊敏性』にスキルポイントを割り振っとる。攻撃力でも防御力でもなく、ただ素早く行動するためにな」
「……」
「魔人の死体が見つかっとるのに魔獣の死体が見つかってへんのも、ソウル・ブラストで木っ端微塵に爆散したからちゃうか?」
「……」
「ワシが何が言いたいか分かるか?」
「つまり……パンダさんは、凄い?」
「お前ホンマにアホやな! 分からへんか? チグハグに見えるパンダさんのステータスビルドは、その一戦においてだけは完璧に噛み合っとるんや。そしてビルドのコンセプトを完璧に説明できる」
「……短剣で敵を複数回攻撃するために、俊敏性を上昇。『コンバート・アンデッド』で魔族をアンデッド化して、『ソウル・ブラスト』で仕留める……」
確かに、とミサキも納得した。
レベル10になっていない内からステータスビルドを行っていること。
死霊術というマイナーなスキルをわざわざ二つも習得していること。
黒魔法を習得しているにも関わらず、俊敏性という戦士職向けのパラメータを上昇させていること。
いずれもが納得のいく形で説明できる。
むしろそれ以外に説明のしようがないほど、全てがピタリと噛み合っている。
「――いえ、それでも有り得ませんよ」
「なんでや」
「だって、ステータスビルドはレベルシステムを扱える施設……パンダさんは冒険者ですから、管理局とかに行かなくてはできません」
「ええで、続けろ」
「つまり……ディミトリさんの話だと、パンダさんは事前に魔族と戦うことを想定して準備していたっていうことになりますよね? そんなのおかしいです。魔族が来ると知ってて国営ダンジョンに入るなんて」
「ええとこまで来てるで。せやけどいつもの『ニアミス』止まりや。考え方変えてみ」
「考え方、ですか……?」
「パンダさんが事前に準備してたなんておかしい。それは間違ってない。じゃあ次は?」
「次は……パンダさんは国営ダンジョンで魔族と予期せぬ遭遇をしてしまって……倒し方を思いついて……その場でステータスのビルドを……」
「……」
「……やっぱり無理ですよディミトリさん。だってその場で自分の魂を操作するなんて、人間にはできな――――――――ッッ!!??」
まさに『息を呑む』という表現そのままに、ミサキはヒュ、と音がするほど息を吸い込んで絶句した。
自分の脳裏を過ぎった閃き。それをミサキ自身が整理するのに数秒の時間を要した。
だがそんなミサキを見ながら、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるディミトリを見て、ミサキは確信した。
「――――魔人」
その呟きに、ディミトリは力強く頷いた。
そう、人間は個人でレベルシステムを用いることはできない。
自身の魂を操作するというのは魔人だけが有する能力だ。人類はその力を模倣し、複数の技術を組み合わせることによって再現しているに過ぎない。
それには人間が生み出した装置や魔術式、それを稼働させる者が必要だ。
……だがパンダが魔人ならば話は変わる。
例えば国営ダンジョンで不意に魔族と遭遇し、戦闘になり、即興で攻略法を編み出し、そのためにステータスのビルドが必要だと思えば……その場でそれができるのだ。
そしてそのケースだけが、このリビア町で起きた事件の謎を一本の『糸』で繋げて説明できる解だった。
「あ――有り得ません、そんな話!」
「なんでやねん」
「だって、パンダさんのパーティメンバーはあのホークさんですよ!? ホークさんは勇者ですよ!? 勇者と魔人が同じパーティを組んでいるなんて、有り得ませんよ!」
「頭かったいなぁ、また『ニアミス』や。『魔人と勇者が手を組んだ』って考えるから不自然に見えんねん。順序がちゃうねん順序が」
「順序……?」
何の順序か分からず思案を巡らせるミサキ。
だがそれも数秒だった。
確かに一つ順序を変えれば、先程のミサキの言葉を覆すことができた。
それをあえて口にするべきかどうかミサキは逡巡したが、結局ディミトリには全てお見通しだと諦め、躊躇いがちに口を開いた。
「……『魔人と手を組んだエルフが勇者になった』」
「その順序は――有り得る」
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