第9話 だって手ぶらで帰るってのもね


「こ、ここだよ……っ」

 息も絶え絶えなトリスが指さす先に、確かに川が流れていた。

 フィーネは急いで周囲を確認する。


 森を分断する形で流れている川はそれなりの大きさだった。幅はおよそ六メートル。水深は三○センチ程度だろう。澄み切った水が緩やかに流れている。

 累積した石や砂利が敷き詰められ、川の左右に道を作っている。幅はそれぞれ四メートル程度だろう。


「……よし、これならいけそう」

 フィーネは小さく頷くと、ロニーの策が成功する条件が整っていることに安堵した。


「トリスは少し休んでて。私はすぐ準備に取り掛かるわ」

「だ、大丈、夫……! 私も、手伝う、よ……!」

 ぜぇぜぇと息をしながら気丈に振る舞うトリス。

 戦闘経験のない彼女には、ジャイアント・トレントに追われるなど生きた心地がしないだろうが、それでもここで黙って休める性質ではないらしい。


「……わかった。じゃあついてきて。木を切って橋を架ける」

「りょ、りょうかい……」

 よろよろと駆け出していくトリスを見送りながら、フィーネも準備に取り掛かった。




 ジャイアント・トレントを足止めしようとするなら火属性の魔法を使う他にない。

 それも半端な火力の魔法は使えない。そうなると炎が森へ類焼する危険性がある。

 その危険性を少しでも軽減するために、フィーネはで魔法を発動させることを考えた。


「トリス、木を教えて。長くて軽い木。丸太を作る」

「えっと……これとか軽いと思うよ」

「分かった、どいて。――『ウインド・スラッシュ』!」

 風の刃が木を両断した。倒れた木の幹のもう一度同じ魔法を使い、全長七メートルほどの細い丸太を作り出した。


「これを運ぶわよ」

 了解とばかりに丸太に飛びつくトリス。

「っ! お、おも……!」

 だがトリスの非力ではほんの数センチ丸太を動かすのも精一杯だった。

 そこにそっとフィーネの手が添えられる。「ふん!」と力むと、丸太が僅かに持ち上がった。


「……すごい力持ちだね」

「レベルを上げればトリスにもできるようになるわよ。さ、手伝って」

 二人でずるずると丸太を運ぶ。数メートル移動させるだけでも相当な重労働だった。


「この丸太を燃やすの?」

「そうよ」

「でも、それでジャイアント・トレントが退治できるの?」

「少し違うわね。これはよ」

「火種?」


 二分ほどかけて、丸太を川の両サイドにかかるように設置することに成功する。

 二人は再び森に戻り、同じ作業を繰り返した。

「使う魔法は、『ファイア・ブラスト』って魔法よ。ブラスト系魔法は全属性あるんだけど、これは他の魔法とは少し違って、『各属性の媒体を炸裂させる』魔法よ」

「炸裂……?」


「例えばファイアーボールは火球を生み出して対象を燃やすけど、ファイア・ブラストは既に存在する火を炸裂させるの。アイス・ブラストもウインド・ブラストも、やることは同じよ」

「あ、だから丸太を燃やして火種にするんだね」


「そう。丸太を燃やして、その炎を媒体にしてファイア・ブラストを発動する。そうすれば、媒体にした炎は魔力の塊に変換されて消滅するわ」

「じゃあ森に引火することがなくなるんだね」

「……おそらく、ね。魔力の塊といっても、やっぱりそれは火属性の爆風だから、ジャイアント・トレントに引火する可能性は、かなり低いけどゼロじゃない」

「あ、そっか……」


「だから、やっぱり炎は川の中で起こす必要がある。これなら、たとえジャイアント・トレントが燃えても鎮火する可能性が高いからね」

 二つ目の丸太を渡し終えると、フィーネは森の奥に視線を向けた。


「問題は……やっぱりあの二人ね」

 ジャイアント・トレントが大地を踏みしめる音は、ほとんど聞こえないくらいに小さくなっている。

 だがそれでも時折響く轟音は、残った二人が戦闘を行っていることを意味していた。


「……ここまでちゃんと誘導できるのかな」

「それより、アレと戦って生きてられるかも怪しいわ」

「……」


 二人は今どれほど絶望的な状況での戦闘を強いられているのか。

 それを想像し、フィーネは強く歯噛みした。






「ヤッフゥゥゥ!」

 森にパンダの笑い声が響き渡る。


 パンダは木から木へ飛び移りながら、巧みにジャイアント・トレントを目的地まで誘導していた。

 そのパンダ目がけて振るわれる剛腕はことごとく空を切り、代わりに周囲の大木を次々と叩き折った。

 ロニーはそんなジャイアント・トレントと並走する形で追従していた。


 この作戦の目的はあくまでジャイアント・トレントの足止めにある。殺す気はないし、もとより不可能だろう。

 要は脚を潰して、四人が走る速度よりも遅くできれば問題ない。フィーネのファイア・ブラストが命中するのも脚になるだろう。


 ロニーは隙を突いてジャイアント・トレントの足を攻撃していた。

 一撃の度に冷や汗が噴き出るような思いだったが、ジャイアント・トレントの攻撃がロニーに向けられることはなかった。

 いや、正確には何度かロニーが標的にされたことはあったのだが、その度に狙いすましたようにパンダが攻撃を繰り出しており、ジャイアント・トレントの注意は常にパンダに向けられていた。


「……」

 まさかとは思ったが、同じことが三度も起きる頃にはロニーも状況を理解せざるを得なかった。


 パンダがロニーをフォローしているのだ。


 出鱈目に見えるパンダの動きも、そういう視点で見ればまた違って見える。

 飛び移る木も、回避する角度も、攻撃するタイミングも。驚くほど正確に計算されている。

 パンダの様子からは計算している素振りは見えないが、計算していることになる。さもなくば、全てが自然に――それこそ、無意識に近いレベルで実現できているということになる。


 どちらであっても信じがたい。本来であればロニーこそが、死に物狂いでパンダを護らなくてはと覚悟していたというのに。

 今や立場は完全に逆転している。


 ジャイアント・トレントが咆哮する。

 打てども打てども当たる気配のない攻撃に苛立ちを増しているのか、狂ったように暴れ回っている。

 しかし一度もパンダには当たらない。いや、一度でも当たればパンダの命はないのだ。


 その最中であっても、針に糸を通すような正確さで時折攻撃を繰り出すパンダ。

 顔には変わらず余裕の表情が浮かんでいる。

 が、一方で目に見えて疲労の色も窺えた。大量の汗に濡れた紫の髪が額に張り付いているのが見えた。


 援護が必要だ。

 ロニーが執拗に狙い続けたジャイアント・トレントの足首はわずかにではあるが損傷し、移動速度が低下している。

 ロニーの攻撃は着実にダメージを与えている。


 パンダの攻撃はフィーネのファイア・ブラストの効果を最大限に発揮させるための布石だ。だがそれももう十分だ。これ以上はパンダが攻撃する必要はない。

 いや、疲労が見え始めたパンダには危険すぎる。


 だが、両腕を振り回し暴れ狂うジャイアント・トレントに対し、ロニーには攻撃する隙が見つからなかった。

 腕が木に激突する度にバタバタと倒れ吹き飛ぶ木々をすり抜け、ジャイアント・トレントの攻撃を回避しながら効果的な一撃を叩き込む……そんなタイミングは簡単には掴めない。


 ……いや、正確にはその勇気がないのだ。

 当然だ。ジャイアント・トレントの一撃は戦士としてレベルを上げ頑強さを増したロニーですら致命傷に陥る威力を秘めている。


 そんな死の嵐とも呼べる猛威をニヤニヤしながらやり過ごしているパンダが常軌を逸しているだけだ。


「――」

「――ッ」

 そう思いパンダを見ると、はっきりと目が合った。

 美しい青の右目と、妖しい紫の左目がロニーを見据えていた。


 鋭い予感が走る。たった一瞬のアイコンタクトだけで、パンダはロニーの望みを理解しているという予感が。

 パンダが走る速度を緩める。一層高い大木のほぼ天辺ほどまで一気に登り、迫るジャイアント・トレントを迎え撃つ。

 暴れていたジャイアント・トレントの腕が止まり、次の瞬間にはパンダ目がけて振るわれる。


 あつらえられたチャンス。ロニーが踏み込んだ。

「――『スラッシュ』!」

 ジャイアント・トレントの足首にスキルを叩き込む。

 計六度目の一箇所への集中攻撃に、ついにジャイアント・トレントの態勢が大きく崩れる。


 出鱈目な方向へジャイアント・トレントの右腕が飛んでいくのを予期していたかのように大木から飛び上がるパンダ。

 片膝をついたジャイアント・トレントの胸板を蹴り上げ、一直線に頭部へと向かう。


「な……! バカ、もういい!」

 ロニーが叫ぶ。これ以上の攻めは危険すぎる。疲労している今のパンダで回避しきれる保証はない。

 ロニーの不安に煽られるように、ジャイアント・トレントが態勢を大きく前傾に倒した。

 それは無意識にパンダのことを捕えようとしたためだが、結果的にそれは頭突きにも近い形でパンダへと迫る。


「――ッ」

 そこでついにパンダが眉を顰める。彼女の計算に初めてズレが生じたようだ。


 ジャイアント・トレントにしてみればそれは攻撃のつもりではなかったかもしれないが、体積も質量も違いすぎる。巨大な岩が卵にぶつかるようなものだ。それだけで粉々になってもおかしくない。


 パンダが短剣を振り下ろすのと、ジャイアント・トレントの頭部がパンダへ激突するのはほぼ同時だった。


 鈍い音が響き、パンダがボールのように飛ばされるのが見えた。

 クルクルと回転しながら宙を舞っている。受け身が取れるとは思えない。


「くっ……! 『疾風駆け』!」

 一時的に移動速度を高めるスキルを発動し駆け出すロニー。

 風のように木々をすり抜け、パンダに向かって手を伸ばす。


「わっぷ……!」

 間一髪、木に激突する前にパンダを捕まえることに成功する。


 だがそこで森が開けだした。急な斜面が広がっている。ロニーはパンダを両腕で抱きかかえながら飛び込んだ。

「捕まってろ」

 斜面を滑り落ちる。

 さすがの身体能力で、途中の障害物にも一切阻まれることなくするすると進んでいく。


「キャー、イケメーン」

「馬鹿言ってる場合か。怪我はないか?」

「見て、右腕が折れたわ」

 ケタケタと笑いながら言うので冗談かと思って見たら、パンダの右腕があらぬ方向にひん曲がっていた。


「……なんで嬉しそうなんだ」

「だって骨なんて折れたの初めてだもの」

「……痛くないのか?」

「ちょー痛い。あはは」

「……じっとしてろ。もうすぐ目的地だ」


 背後からは依然ジャイアント・トレントが追いかけてくる音が聞こえてきている。

 だが距離はそれなりに稼げたはずだ。

 斜面が終わり平坦な道に戻ると、森が完全に開けた。

 目の前には視界を横断する川。ここが目的地だ。


「ロニー!」

 川に沿って右手に進んだ先に、トリスとフィーネが手を振っているのが見えた。

 二人は川に二本の丸太を渡していた。ジャイアント・トレントに火を警戒させないためかまだ着火はしていないが、あの丸太の上にファイア・ブラストの種火を作るつもりだろう。

 ロニーが安堵の息を漏らしかけたその時、


「――来るわよ」

 パンダの声と同時に、二人の後方わずか数メートルの森から轟音と共にジャイアント・トレントが飛び出してきた。


 その巨体でどうやったのか、器用に坂を走り抜けてきたようだ。

 紛いなりにも木の化身。森に足を取られることなどないらしい。


 息を呑むロニー。向こうでトリスとフィーネの顔が引きつるのが見えた。

 急いで詠唱を始めるフィーネ。杖から炎を出し、丸太に火をつける。


 だがそこまでロニー達はまだ二○○メートルはある。一方でジャイアント・トレントはもう手の届くほどのところまで迫っている。

 まず間違いなく先に捕まってしまう。パンダを両腕に抱えている状態で交戦などできるはずもない。


「もう一回あのビュンってやつやってよ」

「『疾風駆け』は連続で使えない。スキルの再使用時間がまだ溜まってない」

 他にこの場を乗り切れるスキルもない。

 ロニーが歯を噛みしだく。

 その腕の中で、パンダがもぞりと体を揺する感触が伝わってきた。


「私がもう一度時間を稼ぐから、その間に二人のところまで行って」

「……駄目だ、ここは場所が悪すぎる」

「そうね、さすがにここだと一度しか交戦できないでしょうね」


 木々が密集した森の中だからこそパンダはジャイアント・トレントの攻撃をやりすごすことができたが、ここは障害物がなにもない河川。一度でも空中に放り出されれば、もう木を伝って回避することもできない。


 だがやはりと言うべきか、パンダは全く聞く耳を持とうとしなかった。

「でも他に方法はないわ。それに、やり残したこともあるしね。さっきは失敗しちゃったけど、今度はうまくやるわ」

「何を言って――」

「時間ないからもう行くわね」

 パンダはロニーの肩を蹴り上げてジャイアント・トレントに飛び掛かった。


「パンダ!」

 思わず立ち止まりそうになるのを堪える。

 ここでロニーも参戦しては意味がない。全てはジャイアント・トレントにファイア・ブラストを叩きこむための作戦だ。


「くっ……!」

 全速力でトリスとフィーネのもとへ走る。

 右腕が折れたレベル1の少女を囮に走る罪悪感がロニーを責め立てたが、全てを押し殺して走り抜けた。

 背後でジャイアント・トレントの咆哮と、凄まじい質量の腕が振るわれ大気を震わせる音が聞こえ、パンダが戦闘中であることを告げてくる。


「ロニー!」

 二人のもとまで辿り着いたロニーに駆け寄ろうとしてくるトリスを手で制止する。

 フィーネへと視線を向ける。ロニーの表情で、逼迫した状況を理解できたようだった。


「フィーネ、準備はできてるな!?」

「え、ええ……ねえ、まさかあれ、あの子戦ってるの?」

「そうだ。パンダが戻ってきたらファイア・ブラストを打つ。かなり魔法抵抗力を削ったからおそらく成功する」

「で、でも……あれ、どうやって戻ってくるつもり?」

「どうって……」


 背後を振り返るロニー。そのとき、その場にいた三人は一斉に息を呑むことになった。

 どうやったのか、パンダはジャイアント・トレントの頭部に張り付いていた。だが右腕が折れているため左手一本でしがみついていた。

 そのか弱い握力を嘲笑うようにジャイアント・トレントが頭を揺する。

 それだけでパンダは容易く上空へ放り出されてしまった。


 ロニーの援護も、飛び移れる木々もない河川の真ん中で、身動きの取れないパンダに向けて、今度こそ必殺の一撃が見舞われた。


「――パンダ!」

 冗談のように吹き飛ぶパンダ。その体はロニー達がいる場所すら軽々飛び越し、三人の一○メートル以上後方の川の中へ着水した。

 着水後も、浅い川の中を転げ回るようにしてようやく停止する。

 激しい水しぶきが立ち上がり、その中から誰かが立ち上がる様子はない。


 顔を青くするトリスとフィーネ。

 どう見ても即死の一撃だ。トリスの瞳から恐怖とも後悔とも取れない涙が溢れ出る。


 ――だがロニーには予感があった。

 ジャイアント・トレントの殴打がパンダに命中した直後、パンダの体は確かにだった。


 森でジャイアント・トレントの怪力を目の当たりにしたロニーには分かった。大木を軽々とへし折るあの力で殴られれば、普通はレベル1の少女の体などバラバラに破裂していてもおかしくない。だがパンダはそうではなかった。


 そしてパンダが吹き飛んできたこの方向。

 どうやって戦闘から離脱するつもりだというフィーネの問いへの回答のように、パンダはこちらへ向かってきた。

 森の中で、パンダがそうやってジャイアント・トレントを誘導するのを何度も目にした。だからこそ、ロニーはパンダがまだ生きているという予感を信じることができた。


「フィーネ、撃て!」

「――! わ、わかった……!」

 ジャイアント・トレントをフィーネに任せ、ロニーはパンダのもとへ駆け出した。


 尚も迫りくるジャイアント・トレント。パンダとの戦闘でよほど興奮状態にあるのか、丸太の上で燃える火などまるでお構いなしに突進してくる。

「……トリス、下がってて」

「う。うん」

 怯えながら交代するトリス。それに引きずられるようにフィーネも後ずさりしそうになる。

 それほどまでに、眼前に迫ったジャイアント・トレントの迫力は強烈だった。


 だが、そんな怪物を相手に、フィーネの想い人は囮役を買って出た。

 そしてそのロニーを逃がすために、出会ったばかりのか弱い少女がたった一人で立ち向かった。


 その事実がフィーネの後退を許さない。

 魔力が最大限発揮できる最適な距離から動かず、その瞳は迫りくるジャイアント・トレントをしっかりと見据えていた。



「――『ファイア・ブラスト』!!」



 ジャイアント・トレントと火種の距離が限界まで近づいたところで、ついにフィーネが魔法を発動させた。

 持てる全ての魔力を注ぎ込んでの一撃。

 丸太の上で燃える炎がぐにゃりと歪み、急速に形を失っていく。そして次の瞬間、まさしく爆弾の如く炎が炸裂した。


 熱風が周囲に膨張し、丸太は細かい木片となって吹き飛び、川の水はその周囲のみ丸裸になった。

 すぐ足元でファイア・ブラストの直撃を受けたジャイアント・トレントが唸り声を上げる。何度もロニーの攻撃を受け続けていた右足が崩れ、大きく前のめりに転倒する。


「走って、トリス! 撤収!」

 それを見届けるのもほどほどに、フィーネはトリスの手を掴んで走り出す。これ以上の交戦は無理だ。


「ロニー、決めたわ。パンダは?」

 ロニーは川からパンダを救い上げ、両腕に抱え込んで生死を確認していた。


「……驚くべきことに生きてる。気は失ってるが」

「……そう、よかった」

 心から安堵したように息を吐くフィーネと、よかったぁとぼろぼろ涙を流すトリス。


 背後からジャイアント・トレントが川を進む音が聞こえてきた。

 びくりと身を震わせる三人だが、ジャイアント・トレントは右足が立たないらしく、這うように移動するので精一杯のようだった。


「今の内に逃げるぞ。走れ」

 ロニーの掛け声と共に三人は一斉に森の出口へ走り出した。





 五分ほど森を走ったが、背後からジャイアント・トレントが追いかけてくる気配はなかった。

 どうやら完全に撒けたようだと分かり、三人はひとまず冷静さを取り戻し始めていた。


「『ファイア・ブラスト』、思った以上に効いたわね」

「……彼女のおかげだ」

 ロニーは腕の中のパンダを見つめた。


 方法は不明だが、パンダは先程の一撃をなんとか凌いだようだった。

 その代償として両足が砕け、頭部からは止めどなく大量の血が流れ出ていた。

 何故生きているのか説明できないほどの重傷だ。


「とにかく、森を抜けたらすぐパンダの治療を行う。トリス、こんな時こそお前の力が必要だ。できるか?」

「……今持ってる薬草で、ひとまず応急処置はできると思う。でも完治はさせられないよ」

「それでいい。ひとまず命を繋げよう。このままじゃ本当に危ない」

「……本当に酷い傷……こんなにボロボロになるまで戦ってくれたんだね」

「それを言うなら、生きて戻れただけでも奇跡みたいなものよ。大変だったでしょ、ロニー?」

「……」


 フィーネの言葉にロニーは何も返せなかった。

 フィーネはパンダの戦いぶりを知らない。

 ロニーがパンダをフォローして生き延びたと思っているようだが、実際は真逆もいいところだ。


 ジャイアント・トレントは手に負える魔物ではないとパンダに諭しておきながら、ロニーの戦力分析も決して適切だったとは言えない。

 むしろ、その見立ては甘かったと言っても過言ではなかった。


 ……囮役をかって出たとき、ロニーは死の可能性を強く感じていたが、それでもどこかで逃げ切れる自信があった。

 だが実際に体験してみた今なら、もしパンダがいなかった際に起こったであろう結末を、ロニーは容易に想像できた。


 十中八九、ロニーの命はなかっただろう。

 今こうして四人で生きながらえているのは、パンダの働きなくしてあり得ない。

 彼女は終始ロニーをフォローし、窮地を救ってみせた。


 その結果パンダは瀕死の重傷を負い、彼女以外の三人は無傷。


「…………パンダ」

 すまない、と心の中で詫びたとき、

「なぁに?」

 不意にパンダが目を開けた。


「うわあ! き、気が付いたのかパンダ」

「ええ、今。――うまくいったみたいね」

 周囲を見回し、ジャイアント・トレントの脅威から脱出したことを理解したようだった。


「パンダ、大丈夫なの?」

「ええ、なんとかね」

「パンダちゃぁん! よかったぁ!」 

「……パンダ」

「ん?」

 苦い顔でパンダを見つめるロニー。


 なんと声をかければよいか分からずしばし口ごもる。

 だがやがてパンダの瞳をじっと見つめ、ロニーは口を開いた。

「すまない……結局、君を囮にしてしまった。それと……ありがとう。助かったよ」

 しかしパンダは、神妙な表情を浮かべるロニーこそ場違いだと言わんばかりに屈託なく笑った。


「いいのよ。私もこれに用があったんだから」

 そういって、唯一自由に動かせる左手をロニーに見せた。


 そこには、一房の薬草が握りしめられていた。


「――お、おいこれ……」

「虹陽草。毟ってやったわ」


 ロニーを逃がすための川での交戦で、パンダはついでと言わんばかりに虹陽草をジャイアント・トレントから奪い取っていたのだ。


 ケタケタと笑うパンダに、ロニーは今日一番の怖気を感じた。


「……ほんとに……呆れた娘だな君は」

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