第8話 わーい!たーのしー!


「――逃げるぞ!」

 真っ先に声を発したのはロニーだった。

 トリスとフィーネも弾かれるように動き出す。踵を返し、一目散に逃走を開始した。


 そんな中、一人だけやる気満々だったパンダが呆気にとられたまま置き去りにされてしまう。

「ちょっとちょっと! にじびそう採るんでしょ?」

「馬鹿、走れ!」

 パンダのところまで戻ってきて、その腕を取って走るロニー。


 直後、背後からジャイアント・トレントの咆哮が響き渡った。

 巨大な管楽器に暴風が吹き抜けたような音を吠え声ととるかは不明だが、それは間違いなくジャイアント・トレントの威嚇だった。


 威嚇などされるまでもなく交戦する意思などロニー達にはない。

 とにかくジャイアント・トレントから離れようと走り続けるが、祈りはむなしく背後から、ズン、ズン、と強烈な地響きと共に何かが迫ってくる気配が感じ取れた。

 舌打ちを飛ばすロニーの背に冷たい汗が流れる。どうやらジャイアント・トレントは完全に戦闘態勢に移行しているようだ。一度敵対した獲物を逃すつもりはないらしい。


「せっかくのエリクサーが……」

「諦めろ。あれは俺たちの手に負える魔物じゃない」

「ギルドに依頼があったけど、依頼受注可能レベルが30だったわよ。案外いけるんじゃない?」

「今の情報のどこにいける要素があったんだ? パーティの平均レベルを15以上もオーバーしてる。しかもあれは、『ジャイアント・トレントがいるかどうかの調査依頼』だ。討伐は必須じゃない。それを含めての30レベルだ。わかったか?」

「あら? ってことは『いたよ』ってギルドに報告すれば報酬もらえるんじゃない?」

「生きて帰れたら交渉してみろ! 質問は終わりだな!? じゃあ走れ!」


 いつになく激しい口調が、ロニーの余裕のなさを如実に表していた。

 そうして五秒も走ると、先行して逃げていたトリスとフィーネの背中が見えた。

 周囲に乱立する木々や、生い茂った草花が走行を阻害し、思うように速度が出せないようだった。


 特にトリスは戦闘経験もなければ身体を鍛えたこともない、完全な非戦闘員だ。慣れない全速力に既に息は上がっていた。

 レベルで言えばパンダよりも3レベル高いが、パンダと比べても走る速度は目に見えて遅い。


「フィーネ!」

「! ロニー、あいつは!?」

「追ってきてる! とにかく走れ!」

「分かった! トリス、道はこっちでいいの?」

「う、うん……!」


 荒く呼吸を乱しながら答えるトリス。

 それなりに奥まで入ったが、長く薬草師の父の付き添いで森に入っていたトリスは、出口まで迷わずに進むことができる。

 全速力で走れば二○分ほどで森を抜けられるが……トリスは恐る恐る背後を振り返る。


 背筋を凍らせる地響きは未だ絶えず続いていた。

 その音や衝撃が時間が経つにつれ大きくなっていることを全員が理解できた。

「トリス、あと三分もすれば追いつかれる。それまでに森を抜けられるか?」

「はっ……は、む、無理……はぁっ!」

「……ロニー、どうするの?」

「…………」

「森を焼いたらどう?」

 パンダが提案する。


 多くの魔物に共通することだが、魔物は得てして火を恐れる。

 特に森に生息する魔物は顕著で、もっとも効果的な攻撃手段だ。

 中でもジャイアント・トレントは木の化身だ。とりわけ火が弱点となる。

 いかに強力な魔物とはいえ、燃え盛る森の中を進んでまで四人を追おうとは思わないだろう。


「……だめだ」

 その方法自体はロニーも真っ先に考えたが、やはり出来ない方法だった。

「どうして?」

「ハシュールでは森を燃やすことは違法なんだ。特にこの森だけは絶対に駄目だ。エルフの森に近すぎる」


「昔、人類とエルフが争ってた頃にエルフの森を焼きまくったのよ。それでエルフからは悪魔みたいに思われてるのよ私たちは」

「ハシュールの国王が苦心してエルフとの講和を結んだ際に、森を焼くことを例外なく禁止した。だからこの森を焼くことは重罪だ。事情を説明しても罪は軽くならないだろう」

「命より法律を守るの?」

「……」


 ロニーが黙ったのは、パンダの言葉が間違っているとは思ったわけではない。むしろ逆。

 ロニーも、こうなっては森を焼いて逃げるのが最も生存率を高める方法だと判断している。だが、仮に逃げ延びてもその先には悲惨な未来が待っている。


 これは個人の問題ではなく、エルフとハシュール国の政治的な条約だ。

 ましてエルフの森がハシュールにもたらす恩恵は計り知れない。

 ……軽くても二○年は覚悟する必要がある。

 自身の夢が潰えるだけならともかく、トリスとフィーネ……そしてパンダの未来をこんな形で奪ってしまうなど、ロニーにはできない。


 ――だが、地響きは変わらず続いている。ほんの数十メートル背後にあの巨人が迫っているのを感じる。


「森を焼くのは最後の手段だ。本当に、最後の最後だ。それよりも先に試せることを試す」

「試すって、何を試すのよロニー」

 焦燥を押し殺しながらフィーネが尋ねる。


 彼女には現状を打開する策などなにも思いついていなかった。

 それよりも、いつでも炎系黒魔法を発動できるように集中力を高めることに意識を割いていた。

「……」

 苦々しく表情を歪めたロニーは、しかし覚悟を決めて口を開いた。

「……俺が」


「私が囮になるわ」


 一瞬の空白の後、唖然とした面々の視線がパンダへ向けられる。

「……何言ってるかわかってんの?」

「? もちろん。その隙にあなた達は森を抜けてちょうだい」

 当人は至って平然としている。

 本気で囮役が務まると思っているようだ。


「五秒ももたないわ。却下」

「じゃあ死ぬまで走る?」

「……」

「残るなら俺だ」

 ロニーが固い声音で言った。


 パンダに出鼻をくじかれたが、同じタイミングでロニーも同様の作戦を提案しようとしていた。

 ……いや、もはやこれは作戦などではない。人柱にも近い犠牲だ。


 ロニーのレベルは24。ギルドの依頼内容から推定すると、一人で戦うなら40レベルは最低限必要だ。万に一つもロニーに勝ち目などない。

 当然、そんな作戦を許容するフィーネではない。


「却下に決まってるでしょ。だったらいっそ全員で迎え撃ちましょうよ」

「全員と言っても、パンダはレベル1。トリスは非戦闘員だぞ。パンダの言葉を借りるわけじゃないが、もう誰か一人が囮になるしか助かる道はない。……この中では、俺が一番生存確率が高い」

「駄目! 誰かを犠牲にして生き残るくらいなら、私だって戦うわ」

「追いつかれるわよぉ?」

「黙ってて!」


「どうするのロニー? フィーネ、折れそうにないわよ」

「……逃げ切れる勝算があればいいんだな?」

 含みを持たせたロニーの言い分に、フィーネが既視感を覚える。


 ロニーとフィーネは数年来の冒険者仲間だ。今まで何度も窮地に陥った二人ではあったが、ロニーはパーティのリーダーとして常に的確な指示を出してきた。

 ロニー自らがパーティメンバーのリスクを背負おうとすることが多いのがフィーネの悩みの種ではあるが、彼女はロニーの判断を大いに信頼している。

 今ロニーが浮かべているのはそんな顔だ。窮地を打開するために、自らが矢面に立とうとしている。

 だが決して諦めてはいない。


「……どうするの?」

「――トリス、この付近に水場はあるか? 池……いや、川があれば最高なんだが」

「かっ……はぁ、はっ……川……?」

「そうだ。森を流れる川。できるだけ近い方がいい」

「あ、あるよ……! ここから一キロ、くらい南西のところ、に……!」

「……よし」

「その付近なら火が使えるわけね」

 ロニーが頷く。パンダは既にロニーの策に察しが付いているようだ。


「そこで戦闘をするの?」

「違う。攻撃は一度だけだ。使うのは『ファイア・ブラスト』。狙いは脚だ」

「……………………分かった。準備しておく。誘導して」

「よし、じゃあトリスはフィーネとパンダと連れて川へ向かってくれ。俺があいつをなんとかする」

「私も残るわよ」

「駄目だパンダ、君じゃあいつとレベル差がありすぎる」


 ロニーですら、ジャイアント・トレントの一撃を防ぎきれるとは思えない。もしパンダにジャイアント・トレントの一撃が炸裂すれば木っ端微塵だ。

 しかしパンダは首を横に振った。


「これが必要なんじゃないの?」

 そう言って、パンダは手に持った短剣をロニーにかざした。

「――」

 ハッ、と息を呑むロニー。


 パンダに渡した短剣には、『魔法抵抗力減衰』のルーンが刻まれている。

 斬りつける度に、対象の魔法抵抗力が減衰していく特殊効果がある。確かに、フィーネの魔法の威力を最大限に活かすことができる。


 しかし数回程度では大して抵抗力は下がらない。かなりの回数ジャイアント・トレントを攻撃する必要がある。

 そうなるとロニーには無理だ。ロニーのメインウェポンはあくまで直剣。スキルもそれ用に整えてある。あの短剣を使う余裕などないだろう。


 ――だがパンダならば。

 フォレストウルフとの戦闘で一瞬見せたあの剣技ならば、あるいはジャイアント・トレントに攻撃することも可能かもしれない。


「…………しかし」

「遅い。あの音聞こえない?」

 ジャイアント・トレントの地響きはもうすぐ傍にまで迫っている。

 迷っている時間はない。ロニーは覚悟を決める。


「――作戦を伝える。全員よく聞け」

 一同が頷いたのを確認し、ロニーが続けた。

「俺とパンダがジャイアント・トレントを引き付ける。その隙にトリスはフィーネを連れて川へ迎え。フィーネはファイア・ブラストの準備だ」

「了解」

「ぜぇっ……はっ、りょ、りょう、かい……!」

「よし行け!」


 掛け声と同時に、ロニーとパンダが急停止して反転する。

 走り去っていくトリスとフィーネの足音を背後に聞きながら、迫りくるジャイアント・トレントの気配に集中する。


「パンダ、細かい指示は出せないが……」

「避けて斬ればいいんでしょ?」

「少し違う。――。チャンスがあるときだけ斬れ」

「……ほんとお人好しねあなた」

 パンダとロニーが同時に鞘から剣を抜き、臨戦態勢を整える。


 ズシン、ズシンという地響きが一層強くなる。視界を覆う木々の隙間からはまだジャイアント・トレントの姿は見えない。だがその強大な威圧感はもう間近に感じられる。

 その地ならしの風圧がパンダのショートツインテールの髪をそっと撫でたその時。


 一本の木がパンダに向かって吹き飛んできた。


「あぶなー」

 ブーメランのように縦回転しながら飛んでくる木を、ひょいと避けるパンダ。

 何事かと目を剥いたロニーが次に目にしたのは、周囲の木々を叩き折りながら突進するジャイアント・トレントの姿だった。


「なっ……!」

 ジャイアント・トレントは律儀に木々をすり抜けるような器用さは持ち合わせていないようだった。

 ただ獲物に向かってひたすら前進し、纏わりつく木々は全て力任せに薙ぎ倒してきたらしい。


 二本、三本と二人に向かって吹き飛んでくる木々。ジャイアント・トレントが狙って飛ばしているわけではない。ただあの怪物が走るだけで、信じられないパワーで周囲にあるもの全てが襲い掛かってくるのだ。

 それでもなお、ジャイアント・トレントの移動速度が落ちることはない。大木を根本からへし折る程度、何の障害にもなっていない。


「くっ……」

 それはロニーの予想を超えた膂力だった。あんな馬鹿げた怪力で殴られようものなら、一撃で即死する。


「あはっ。はしゃいでるわねぇ」

 それを笑って出迎えるパンダの肝の太さはもうロニーには理解できなかった。

 ジャイアント・トレントの腕が届く位置まで彼我の距離が一気に詰まる。

 咆哮。獲物を捕らえたジャイアント・トレントがその右腕を振り上げる。

 十メートル上空から放たれた一撃がパンダを襲う。


「パ――」

 ロニーの声は、大地を揺るがす激震と轟音にかき消される。

 巻き上がる土煙に思わず目を瞑る。

 次に目を開けたとき、ジャイアント・トレントの姿を覆い隠すほどの粉塵を目にして、ロニーは胃が冷えるような焦燥を抱いた。


 ロニーが思わず目を瞑る瞬間に見えたあの一撃は、パンダに直撃したように見えた。

 最悪の事態を想像したロニーの眉間が歪もうとした矢先――ロニーの眉間は別の意味で、今度こそ歪むこととなった。


 ……そこには有り得ない光景が広がっていた。



「――アッハァ!」



 パンダは生きていた。

 そして、心底楽しそうに、地面に突き刺さったジャイアント・トレントの


 そのついでとばかりに、ジャイアント・トレントの右腕をジグザグに切り刻みながら走っていた。

 レベル差がありすぎるため与えられているダメージは皆無だろうが、パンダがもつ短剣の特殊効果は確かに発動されているようだった。


 あまりの滅茶苦茶さに言葉を失うロニー。

 仕留めそこなったと理解したジャイアント・トレントが身じろぎ――というにはあまりに激しい――をすると、右腕を中ほどまで駆け上っていたパンダが勢いよく振り飛ばされる。


 木に激突する寸前、パンダは空中で身をひるがえし、木を蹴り上げて跳躍。まるで猿のように枝を伝い、再びジャイアント・トレントに接敵する。

 今度はジャイアント・トレントの背に飛びつき、そのまま短剣を叩きつける。

 短剣はほんの数センチしか食い込まない。やはりパンダの力ではジャイアント・トレントの硬質な皮膚にほとんどダメージを負わせられていない。


 更に大きく身じろぎするジャイアント・トレント。再び空中に放り出されるパンダ目がけて右腕が振るわれる。

「まずい……!」

 空中では回避できない。ロニーは急いでジャイアント・トレントに迫り、スキルを発動させる。


「――『スラッシュ』!」

 直剣がジャイアント・トレントの右足首に直撃する。切断性能が高いスキルだが、それでもジャイアント・トレントの足を両断するには至らなかった。

 だがわずかに態勢を崩すジャイアント・トレント。攻撃が不発に終わることを期待したが、ジャイアント・トレントは崩れたままの態勢でも構わずに殴打を繰り出した。


「くっ……」

 ロニーの援護が思った以上に効果を発揮していない。攻撃の照準はわずかしか狂っておらず、大砲のような拳が正確にパンダに向かって迫る。


「ナァイス、ロニー」

 だがそんな僅かな狂いでもパンダには十分だった。

 やや右にずれた殴打。その拳に短剣を突き刺す。それに引きずられるように吹き飛ぶパンダの肢体がぐるりと回転。その遠心力のままにジャイアント・トレントの右腕を蹴り上げる。

 弾丸のように森の奥へ吹き飛ばされていくパンダは、途中で木の枝を掴み減速。そのまま枝の上に腰掛けた。


 ジャイアント・トレントは足元のロニーではなく、パンダを追って走り出した。

 一人呆然と取り残されたロニーへ声がかけられる。


「なにしてるのロニー。はやくおいでー」

 そう言うとパンダは木を伝って移動を開始する。


 ――その方角は、確かにトリスと打ち合わせした通り。


 パンダは吹き飛ぶ方向すら計算し、ジャイアント・トレントを所定の場所へ誘い込もうとしていた。

「……冗談だろ?」

 驚愕とも呆れともつかない感情がロニーの胸中を満たす。


 ロニーの疑問は確信へと変わる。パンダは只者ではない。

 ただの、冒険者を夢見る少女などでは決してない。


「じゃあ……」

 何者なのか。

 新たに湧いて出た疑問には、まるで見当がつかなかった。

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