第149話 『――』
魔族領の最奥……魔王城。
並の魔人では立ち入ることすら許されない、魔族の聖域。
そこにリュドミラとシェンフェルが足を踏み入れていた。
それなりの高レベルを誇るリュドミラであっても、魔王城への入城を許可されたのは今回が初めてだった。
ましてシェンフェルはそれよりも更に下位の盟約を持つ魔人。本来であればまず有り得ないことだが、今回は特例だった。
二人はシュティーア遺跡での出来事を報告するため、同じ盟約に連なっている四天王、カルマディエに召集をかけられていた。
メイドに案内された先はとある個室だった。
そこでカルマディエが二人の到着を待っているようだった。
「カルマディエ様。リュドミラ様とシェンフェル様がお見えになられました」
「――入れ」
扉越しにカルマディエの声を確認すると、メイドが扉を開けて二人を部屋の中へいざなった。
入室すると、そこには椅子に腰かけたカルマディエの姿があった。
「……失礼いたします」
カルマディエの前まで歩み寄ると、二人は静かに跪いた。
顔を伏せながらもひりつくような緊迫感が感じ取れる。見るからに不機嫌そうなカルマディエの双眸が二人を見下ろしていた。
「おおまかに話は聞いている。バラディアで抹殺対象……パンダに遭遇したそうだな」
「はっ」
「そして取り逃がした。魔人が四人もいながら。何度も殺すチャンスがありながら。逃げられる心配のないはずの閉鎖空間内でありながら」
「……はっ」
返す言葉もなかった。
パンダ達のパーティは、ホークを除けば平均レベル30にも満たない烏合の衆だった。一方でリュドミラのパーティは平均レベル60を超える、強力な魔人が四人。普通ならば失敗するわけがない状況だったはずだ。
にも関わらずパンダを殺し損ねたばかりか、アリアシオとアドバミリスの二人を失っての敗走という顛末。到底許される失態ではなかった。
「申し開きのしようもございません」
「なぜ失敗したか教えろ」
「……私の力不足でございます」
「そういう話をしているのではない。何が貴様たちとパンダの力量差を覆す要因だったかを教えろと言っているんだ」
「……はっ。申し訳ございません」
深く頭を垂れながら、リュドミラはシュティーア遺跡で起こった出来事とその時々の判断を説明した。
最も障害だったのは、魔族でありながら神器に選ばれた魔人、インクブルの存在だ。
あの男との戦闘を避けるために慎重になり過ぎたのが、今思えば失策だったかもしれない。脱出できない迷宮内だからこそ、焦らなくともいずれパンダを殺す機会は訪れると見積もったのが裏目に出たとも言える。
……だが、やはりリュドミラは自身の力不足を棚上げにはできなかった。
実際、何度かパンダと交戦する機会はあったのだ。殺そうと思えばそのチャンスもあった。だがパンダはその度にあの手この手で状況をかき乱し、結果的には最後まで逃げ切られた形になる。
極めつけは神器の存在をちらつかせての共闘の申し出。乱入してきたディミトリの存在などの要因が重なり、結局パンダを仕留めるには至らなかった。
語りながらリュドミラは忸怩たる思いに駆られた。
淡々と事実のみを語っているはずが、まるで己の無能さを必死に弁明している気すらしてきた。
報告を聞いていたカルマディエは、しばらくじっと黙考した後に口を開いた。
「パンダは手強かったか?」
「……はい。戦闘力は低いですが、戦場をコントロールする術に長け、倒し切るのは骨が折れる相手かと」
「……ふん。さすがに駒を動かすのは得意か。――忌々しい」
脆弱な低レベルの少女が、自分の手元にある貧弱なカードを使い、リュドミラのパーティと互角に渡り合った……そんな話を聞いて、カルマディエはむしろ当然だとばかりに納得していた。
彼我の戦力差で考えれば圧倒的に勝っていながら敗走したリュドミラの無能を詰るでもなく、むしろ『相手が悪かったな』とでも言いたげな口調に、リュドミラは困惑した。
今回の一件を激しく叱責されるものだとばかり思っていたリュドミラ。
何となればカルマディエの怒りによって裁かれることも覚悟の上で魔王城に足を踏み入れた。だがカルマディエにはリュドミラを断罪する意思はないように感じる。
どちらかといえば、リュドミラですら失敗したという事実を正確に認識し、そこから何か対策を講じようとしているようにも見えた。
「カルマディエ様」
「なんだ」
「あの少女は……パンダという魔人は、一体何者なのですか?」
「……」
その問いに、カルマディエの表情は険しさを増した。
敵意すら秘めた眼差しでリュドミラをねめつける。失言をしてしまったかと焦るリュドミラではあったが、彼女にとってもこの問いはずっとついて離れなかったものだ。
「貴様が知る必要はない。奴は魔族を裏切り、魔王様に弓を引いた反逆者だ。それだけ知っておけばいい」
「……はっ」
素直に承服する意思を見せるリュドミラだが、その奥に未だ疑念がくすぶっていることを見て取ったカルマディエ。
冷たく鋭い眼差しがリュドミラを見据える。
「――何を知った?」
「は……?」
「パンダについて何を知った。全て話せ」
「……それは……」
口ごもるリュドミラ。あの遺跡でリュドミラが知ったこと……それについての推測。それをここでカルマディエに話すべきか逡巡する。
その様子を見てカルマディエの怒気が更に増す。
「貴様が知っていることを、偽りなく全て話せ。――それとも貴様の盟約主を連れてくるか?」
「――ッ! い、いえ、その必要はございません!」
激しく狼狽するリュドミラ。
盟約主とは、自分と直接盟約を結んだ主のことだ。盟約主からの命令には絶対的な強制力があるため、『盟約主を連れてくるか』というのは、偽証が許されない報告などで用いられることがある文句だ。
……が、それは裏を返せば、『盟約の強制力を使わなければお前を信用できない』という意味が込められており、その者の忠誠心を最大限に疑う表現だ。
血の盟約による絶対的な主従関係を原則とする魔人の縦社会において、不忠者の誹りを受けることは何よりの汚点。
リュドミラはカルマディエから向けられる疑惑の眼差しに震えながら懸命に声を発した。
「あの迷宮は過去の世界を再現し、そこには三〇〇年前にインクブルを抹殺するべく動いていた魔人たちの亡霊が配置されていました」
「それで?」
「そこで私は、オリヴィアという魔人の亡霊と、パンダの会話を盗み聞いたのですが……」
「……オリヴィア、だと?」
その名を聞いてカルマディエの眉がつり上がる。
「あの老獪とパンダが……何を話していた?」
「はっ……その、パンダは……クロードヴァイネ様のご息女、だと……」
「…………」
「オリヴィアはその話を信じていました。だからこそ私たちに全面的に協力していました」
「クロードヴァイネ様の子孫は何人もいる。パンダがその内の一人というのは有り得ない話ではないな」
「はっ。ただ……パンダは魔王城にある神器の内の二つを勇者から奪ったとも言っており――」
「そんなことは有り得ない」
リュドミラの言葉を遮ってぴしゃりと言い放つカルマディエ。
「それはオリヴィアを信用させるために吐いた嘘だ」
「……」
いや、それはおかしい。
あの時代では神器の存在などまだ知られていなかった。オリヴィアにそんな嘘を吐いたところで意味がないのだ。
そもそもパンダは以前から、魔王城にある神器を何度も目にしその特性を知っていた。だからこそインクブルの操る斧が神器だと気づけたのだ。
「……カルマディエ様」
「なんだ」
「四代目魔王……フルーレ様は……今も魔族領におられるのですよね?」
「……」
「二年前の大戦で勇者パーティと戦い、その時に受けた傷が原因で魔王の座を退かれ、今はご隠居なされているとお聞きしています。それは……」
「それは真実だ」
「……」
「そんなことを気にする余裕が貴様にあるのか? 私の命令を遂行できずおめおめと逃げ帰ってきたのだ、まず生きてこの部屋から出られるかを心配したらどうだ」
「……覚悟はできております。ですが、もし温情をいただけるのであれば、次こそは必ずパンダを」
「ふざけるな、貴様に次などない。たかだか低レベルの魔人一人満足に始末できない無能め。貴様一人の失態で魔族の権威に泥を塗ったことを忘れるな」
「……言葉もございません」
先程とは打って変わってリュドミラの失態を執拗に詰るカルマディエ。
言葉の流れとしては矛盾していないが、態度としては急変した。まるで何かを誤魔化すための攻勢にも見えた。
だがカルマディエの言葉は事実。リュドミラは弁明することもできずに頭を低く垂れるしかなかった。
「――リュドミラは」
だがそこで、今まで沈黙を続けてきたシェンフェルが、静かに声を発した。
「リュドミラは、頑張ってました」
その言葉に呆気に取られる二人。シェンフェルは静かに、しかし力強い眼差しをカルマディエに向けていた。
「……」
しばしの沈黙。
ふん、と一度だけ鼻をならし、カルマディエはシェンフェルから視線を外した。
「神器の情報を持ち帰ったことは褒めてやる。話を聞く限りでは、確かにその神器は危険だ。その脅威を事前に知れたことは大きい。その貢献で貴様の失態は不問とする」
「……感謝の至りでございます」
「今回のことは口外するな。それと、しばらく魔族領から出るな。以上だ」
「はっ」
リュドミラとシェンフェルは最後に一度、深く頭を下げてから部屋を後にした。
それを見送って、カルマディエは瞼を閉じてしばらく黙考を続けた。
「……」
神器の情報を得られたことは大きな成果だが、パンダを抹殺できなかったことはやはり口惜しい結果だった。
リュドミラのパーティは、人間領に放った配下の中ではそれなりに強力なパーティだ。それが失敗に終わったとなれば、早急に次の手を撃たなければならない。
そのとき、カルマディエ一人だけとなった個室の中に、不意に声が響いた。
「――意外でした。あの二人を許すとは思いませんでしたよ」
「……ファウストか」
カルマディエは瞼を開けることもなく声の主の名を口にした。
相変わらず部屋の中にはカルマディエしかいなかった。だが声は確かにこの部屋の中から聞こえていた。
「あれだけフルーレに拘っていた貴女のことです、それを失敗したあの二人は問答無用で処断されるかと予想していました」
「……信賞必罰だ。奴らは神器の情報を持ち帰った。私は魔族に貢献する者を不当に罰したりはしない。――私はあの女とは違う」
「なるほど」
「ファウスト。今回の一件、貴様はどう見る」
「ホーク・ヴァーミリオンというエルフは、予想以上に厄介そうですね」
カルマディエも同じ意見だった。
たかが60レベル相当のエルフ……如何に勇者などと持て囃されていても、問題にならないと思っていた。
だがどんな武器も使い手次第でその真価は化ける。魔族に特効を持つ破魔の力の使い手……その手綱をフルーレが握れば、カルマディエの想像以上に強力な武器となることが証明された。
リュドミラは決して弱い魔人ではない。そのリュドミラが信頼を置く部下三人と協働したというのにパンダを逃がした。それだけホークの能力は厄介なのだ。
今回の失敗をそのまま受け止めるならば、今後はリュドミラ以上の戦力をフルーレにぶつける必要があるが、それほどの戦力は易々と用意できるものではない。
強力な魔人を送り込めば占星術にかかるリスクも高まる。優秀な人材を無暗に人間領に放り込んで使い潰せるほど、今の魔族の内情に余裕はない。
「ホーク・ヴァーミリオンか……今の内に消しておいた方がいいかもしれないな」
冷淡なカルマディエの声が、部屋の中を流れていった。
「――コホン。えー、それでは、シュティーア遺跡攻略を祝しまして……かんぱーい!」
「イエーイっす!」
ドリンクの入ったグラスを掲げるパンダ。
だが、そのグラスに自身のものを合わせたのはキャメル一人だけだった。
ホークとオリヴィアはグラスすら持たずに、目の前に広げられた酒や料理の数々に興味を示そうともしなかった。
「酒は飲まん」
「魔人に食事なんて不要だからねぇ」
「――ノリ悪っ!? ダンジョン攻略に大成功したんだからもっと喜びましょうよ! ウェーイ!」
「ウェーイっす!」
唯一パンダに乗ってくれているのがキャメルだった。
キャメルはアンデッドの肉体となり、本来食事は不要ではあるのだが、味覚は残っているらしく食事は可能だった。
睡眠欲も性欲もなくなったキャメルにとって、食欲は最後に残った愛すべき欲求だ。パンダにも負けず劣らず食事は好きだ。
乾杯も終わったことで、さっそく料理と酒を楽しみ始めた。
「いやぁ~仕事終わりの一杯は最高っすよ!」
「ね~。こんなノリの悪い二人は放っておいて、私たちだけでこの料理全部食べちゃいましょ」
「それは構わないけどねぇ、なんで私の工房で打ち上げ開いてんだい」
オリヴィアの不満そうな声。
パンダ達が今いる場所は、オリヴィアの工房内だった。
もともと物で溢れていて手狭な工房だったが、今はそれを無理矢理どかしてスペースを作り、数々の料理を並べていた。
「何言ってるのよオリヴィア。あなただって今回の迷宮攻略に一躍買ったんだから楽しみなさい」
「それは私の亡霊の話だろう。私は身に覚えないよ」
「固いこと言わないの。ほらほら、ジャンジャン飲んで! 今日は祝勝会なんだから!」
オリヴィアとホークにグラスを渡す。
そのグラスを見つめながらも、ホークはまったく乗り気ではなかった。
「こんな臭い場所でよく食事ができるな」
「失礼なこと言うんじゃないよ小娘。工房の中はアイテムで消臭してるから臭いなんてないだろ」
「喧嘩しないの二人とも。ホラかんぱーい!」
二人とも乗り気ではなかったが、面倒くさそうにしながらもグラス内の酒を少しだけ舐めた。
「それより、薬の方は問題ないんだろうな?」
ホークにとっては打ち上げなどよりもそちらの方がよほど重要だった。
「まあね。素材はほぼほぼ集まったから今日からでも制作に取り掛かれるよ」
「魔石もアレで問題ないんだな?」
「ああ、十分さ。ありゃ相当な代物だよ。あんなものよく見つけてきたもんだよ」
「やっぱりあれっていい魔石なの?」
「いいなんてもんじゃないよ。あれを使えば相当強力な魔導具が作れるだろうね」
「あらいいわね、じゃあ一つくらい何か作ってもらおうかしら」
「えー、勿体ないっすよ姐御。全部売っぱらいましょうよ」
「でもそのお金だって結局武器の調達に消えるのよ? ヴァルナワンドは主兵装としては使いづらいし、デスサイズをオリヴィアに返しちゃったら私の武器がなくなるじゃない。いい機会だしここでいいの作ってもらいましょ!」
「なんで私が無条件で承諾するって決めつけてんだい」
「えー? あなただってあの魔石を使って何か作ってみたくない? 魔石はまだ結構余ってるから沢山使えるわよ」
「……まあ、いい素材は貴重だからねぇ。タダで使わせてくれるってんなら暇潰しにつき合ってやってもいいさ」
「姐御姐御! だったらあたしも何か装備作って欲しいっす~! あたし今回メッチャ頑張ったっすからそれくらいご褒美があってもいいっすよね!?」
半分冗談交じりに尋ねるキャメル。
貴重な魔石を消費してまでキャメルの装備を整えてくれるとは期待していないが、頼むだけならタダの精神で言ってみた。
「ええ、いいわよ。どんなのが欲しいの?」
だがパンダは意外にもあっさりとキャメルの要求を呑んだ。
「……え、マジっすか? マジでいいんすか? 一個数百万ゴールドの魔石っすよ!?」
「あなたが言い出したんじゃない。私は別にいいわよ。ホークはどう?」
パンダが話を振ると、ホークの目線がじろりとキャメルに向けられた。
その威圧感に気圧されて、うっ、と呻くキャメル。
「や、やだなぁ旦那……じ、冗談っす――」
「――まあ、迷宮攻略に貴様の力が役立ったのは事実だからな。迷宮で手に入れた素材くらいは使わせてやる」
「……ま――マジっすか旦那ぁ! なんすか今日メチャクチャ機嫌いいんすか!? 恋でもしたんすか!?」
「殺すぞ」
「まあまあ。じゃあキャメルも希望の装備を考えておきなさい」
「ヒャッホー!」
キャメルは大はしゃぎでグラスを頭上に掲げた。
「やっぱこれっすよねー。ヴェノム盗賊団時代は盗んだお宝も、ほとんど売っぱらって金に換えて飯食うだけってのが基本だったんで、マジ嬉しいっす! カイザーが頭領になってからなんてほとんどタダ働きっすからね。手に入れたお宝が自分に還元されるって最高っすよ!」
「ダンジョンで見つけた財宝で宴会開いて、強い装備に新調して……あ~いいわねぇ、これぞ冒険の醍醐味って感じ」
嬉しそうにワイワイとはしゃぐパンダとキャメルを尻目に、ホークは興味なさそうに酒をちびちびと舐めていた。
そんなホークに、オリヴィアが意地の悪い笑みを飛ばす。
「悪いけど、私は銃には詳しくないからね。あんたの武器は作ってやれないよ」
「いらん。それよりも魔弾をよこせ。貴様の魔弾はそれなりに使い道があった」
「へぇ、褒めてくれるじゃないのさ。なんだい、私の腕に惚れちまったかい?」
「……ふん。まあ腕は認めてやる」
ぶっきらぼうに言い放つホークを見て、オリヴィアは可笑しそうに笑った。
「まあ薬が出来るまではあんたらの面倒も見てやるさ。デスサイズが戻ってくる以上、もうこんな目立つ場所に工房を構える必要もないからね。しばらくしたら私もここを離れるよ」
「ラトリアのアフターケアもするって約束よ?」
「そんなもんは向こうがこっちに合わせな。治療してほしけりゃ私がどこに工房を構えようと通うことだね」
素っ気ない言い方だが、一応筋は通っている。
そんなことは今の段階で気にする必要はないだろう。そもそもパンダにとっては薬を作ってシィムに渡した時点で仕事は終わっている。
ラトリアをルドワイア軍よりも先に見つけ出し、更に暴走状態にあるラトリアにどうやって薬を投与するのか……その問題はシィムが勝手に解決してくれればいい。
「それにしても、やっぱパンダの姐御は凄いっすよね。あんなヤバい迷宮の謎を全部暴いて攻略するなんて、さすがっすよ!」
「……謎を全て暴いた、かー。どうかしら」
パンダは少しだけ複雑そうな表情で呟いた。
「? どうしたんすか姉御。まだなんか解いてない謎とかありましたっけ?」
「……そうねぇ、一つだけ、ずっと気になってたことがあるわ。謎というか、純粋な疑問なんだけどね」
「なんすかなんすか。気になるっす。教えてくださいっすよ~」
詰め寄ってくるキャメルに、パンダは少しだけ考えたあと口を開いた。
「――インクブルの盟約主って誰なのかしら」
パンダの疑問の意味がすぐには理解できなかったのか、キャメルとホークは顔を見合わせて首を傾げた。
だが唯一、オリヴィアだけはハッとしたように目を見開いた。
「……なるほどねぇ。言われるまで気づかなかったけど、確かに奇妙だねぇ」
「……よく分かんないんすけど、それってなんか重要なんすか?」
「重要ってわけじゃないわね。そんなことを知っても迷宮攻略に役立ったわけでもないし、私も無視することにしたんだけど、改めて考えるとやっぱり気になるのよねー」
「つまり……インクブルと直接血の盟約を結んだ主は誰か、ということか」
ホークの言葉を首肯するパンダ。
「皆も知っての通り、魔人が死亡するとその魔人の盟約に連なっている者たちは芋づる式に死ぬわ。その呪いがあるからこそホークの魔断は魔族に対して必殺を誇る」
「それってなんとかなんないんすか?」
「なるわ。このルールは初代魔王のサタンが作り出したものだけど、彼が封印されて二代目の魔王が誕生した際に、さすがにこのルールは危険だって問題視されたの」
全ての盟約の頂点に君臨する魔王であるサタンが封印されたということは、一歩間違えたらそのまま魔族が滅んでいた可能性すらあるのだ。
危険視するのは当然だろう。
「だから『盟約主を切り替える』っていう技術が編み出されたの。これがあれば、もし上位の魔人が死んでも、自分の盟約が停止するまでに別の魔人の盟約下に入りさえすれば死を免れられるの」
「あれ、盟約って一斉に停止しないんすか?」
「しないわ。『自分と直接盟約を結んだ者が死んだら』自分の盟約も止まるっていう順序だから、上から一人ずつ順番に死んでいくのよ。だから死ぬまでに少しだけ猶予があるの」
「その間に盟約を切り替えれば、自分よりも上位の魔人が死んでも生き残れるということか」
「……で、それがインクブルと何か関係あるんすか?」
「大ありじゃないか。なんでインクブルは三〇〇年も生き続けられてるのさ?」
「――あっ」
キャメルとホークにも、ようやくパンダの疑問の論点が見えてきた。
インクブルは三〇〇年間、迷宮に閉じこもってきた。当然盟約主を切り替えることなどできない。いや、インクブルはそんな技術が開発されていることすら知らない可能性が高い。
「可能性はたった一つ。インクブルの盟約主は今も生きている。数百年経った今でもね」
「……それって、凄いんすか? そんな有り得ない事なんすか?」
パンダとオリヴィアが顔を見合わせる。
どう答えたものか判断に迷う問いだった。
「まあ、有り得ないってことはないわね。オリヴィアだってこう見えて四〇〇年以上生きてるわけだし」
「ただ、魔族はこの三〇〇年いろいろあったからねぇ。人類との戦争で数もかなり減ったし、私並に長生きしてる魔人なんてそう多くは残ってないだろうさ」
「だが、インクブルの盟約主は生きていたというだけの話だろ? それ以外に説明できないのだから、謎ですらない」
「……そうね、その通りよ。だからこの話はこれで終わり……でいいはずなんだけど」
煮え切らないパンダの言葉。
迷宮は既に消え、インクブルも倒れた。今更彼の盟約主など気にする必要はないはずだが、パンダはどこかこの謎に拘っている様子だった。
その理由が分からず首を傾げるホーク。
「――あー、なーるほどっすね」
だがキャメルはその理由に思い至ったのか、軽く肩を竦めながら言った。
「――ディミトリなら、この謎は放置しないかもっすね」
「そうなのよ! よく分かったわね。あの子ならきっとこの謎をこのままにしておかないと思うのよね。それがなんか悔しいのよ。……あーもう! どうして戦ってもいない相手に敗北感を味わわないといけないの!?」
納得がいかない、とパンダは憤慨しながら、苛立ち任せに目の前のチキンをバクバクと食べ始めた。
――ああ、また誰かが来た。
それは古い記憶。
迷宮が生まれてから数十年しか経っていない頃の、ほんの一幕。
神器が作り出した追手の魔人の幻を殺し続け、たまに迷宮に迷い込んだ者が現れれば同じように殺す。
そんな日々を過ごしていた俺に、ある日『来客』があった。
何の変哲もない、ただの成人男性だった。
「――ようやく見つけたか。随分手間をかけさせてくれたな」
そう言うと、男は何かを俺の目の前に放り出した。
それは一人の魔人だった。既に神器の影響を受けて記憶が曖昧になっていた俺でも、その魔人のことは覚えていた。
それは俺の盟約主だった。
瀕死の重傷を負い、虫の息になっていた。
「覚えているな? そいつはお前の盟約主の魔人だ。そいつが死ねばお前も死ぬ」
「……」
「私を殺しても無駄だ。そいつの身体には魔術式を埋め込んでいる。あと数分で起動し、そいつは死ぬ」
「……」
「それを回避する方法が一つだけある。――私と盟約を結べ、インクブル」
いくつか会話をした後、俺は結局その男と血の盟約を交わした。
それを確認すると、男はもう用済みとばかりに俺の元盟約主にとどめを刺した。
「神器……か。サタン様を封印した宝玉にも劣らない出力を持っているようだな。実際、この迷宮は大したものだ。魔人を殺すための魔導具……素晴らしい」
男は俺の斧を見遣りながら楽しそうに笑っていた。
「その神器はどうやら、魔人を殺す程に力を増すようだな。お前はこのまま迷宮に留まり、神器の力を高め続けろ。いずれその神器が完全に成熟し切った頃に回収しに来てやろう」
「……」
「――フッ、そうだな……この遺跡の謎を解明した者に多額の報奨金でも出してやるか。そうすれば馬鹿な連中がこぞってこの遺跡に挑み、お前の餌食となるだろう」
「……」
「いずれ誰かがこの迷宮を攻略する頃には、神器の力も限界まで高まっていることだろう。それまで気長に待つとするさ。神器が発見されたとなれば、どうせルドワイアに送られるのだからな」
男は、俺にはよく分からないことを言いながら満足そうに斧を見つめていた。
「……あんたは、どうするんだ、これから」
「ん? 用事も済んだことだし、もちろん帰らせてもらうが?」
「……出られない。この迷宮からは、誰も」
俺の言葉に、男は不敵な笑みを一つ浮かべた。
「――この身体はな」
「……?」
「踏破するだけが迷宮の攻略法ではないということだ」
その後、最後に一言だけ言葉を残して――男は自殺した。
盟約を結んだはずの男が死んだのに、俺は生きていた。
「……」
信じられなかった。迷宮の最奥に辿り着くこともなく……あの男は迷宮から無理矢理に脱出を果たしたのだ。
いや、あの男にとっては俺の元まで来ることが目的だった。自分で設定したゴールに辿り着き、自分で迷宮を抜け出したのだ。
最後にあの男が言い残した言葉が、俺の脳裏に残響していた。
「せいぜい励むがいいインクブル。やがてお前が亡霊に成り果て朽ちたなら、私が迷宮を継いでやろう」
第四章 回帰迷宮の亡霊 完
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