第27話 エルフ族
二八○年前、ホーク・ヴァーミリオンはこの世に生を受けた。
そして当時、エルフ族は人類との戦争の真っ只中だった。
エルフの歴史は魔人よりも遥かに長い。
数千年前よりこの地上に存在し、森の民として世界中に生息していた。
やがて魔人が世界を支配してからも、エルフは魔人とは敵対関係にはなかった。エルフの生息する森は自然と浄化され、それは魔人にとっても少なからず有益だったからだ。
無論、魔人はこの地上の全生命体にとって天敵であり、エルフも例に漏れない。エルフは森の奥に引きこもることで魔人との非接触を徹底し、魔人から見逃されていた形となる。
あらゆる種族が魔人に蹂躙される中にあって、エルフは厚遇を受けていたと言える。
事態が急変したのは三○○年前。
一人の人間が魔人の『魂を操作する術』を奪い、人類にレベルシステムを広めた。
これにより魔人と人類による戦争が勃発。今尚決着を見ない争いの火蓋が切られた。
人類は大陸の東の果てへ集結し、そこで魔人に対して徹底抗戦を行った。
それは五年もの間続き、人類はその数を劇的に減らしながらも、奇跡的に魔族を追い返すことに成功した。
そしてルドワイア帝国を建国。かつて滅んだ人類の文明……それを取り戻す最初の一歩だった。
人類の希望はレベルシステムしかない。これだけが唯一魔人と対等に戦うための手段であり、魔人が人類を脅威に思う最大の理由である。
――そして魔物狩りが横行した。
人類はレベリングのために種をあげて世界中の魔物を狩り殺し始めた。
僅か二○年で人類が絶滅させた種は三七種族にも及ぶ。
その鬼気迫る暴虐は、まるで魔人さながらだった。
そして……いずれはそうなる運命だったのか、エルフとの戦争が勃発した。
それはレベルシステムから導き出される合理性に則った、ある意味当然の帰結だった。
全ての生命は他者を殺害することでその魂を自身の内に蓄積する。
故に、長命な種族ほど多くの魂を蓄えている傾向にあり、まさにエルフ族はその条件に合致した。
またエルフ族は戦闘を好まない種族であったため、魂を多く蓄えているわりに戦闘力は高くない。
まさに人類にとって格好の獲物だった。
「どうしても行かれてしまうのですか……?」
二十歳になったホークは、森を出ていく両親に尋ねた。
「北の森で人類との戦闘が始まるんだ、あそこが落とされればこの森だって危ない。仕方ないんだ」
「ホーク、あなたがミリアを護ってあげてね」
「……はい。お父様、お母様。どうか……どうかご無事で」
「はは、心配性だなホークは。大丈夫、私たちは必ず帰ってくる」
「そうよ、なにせこの人がついているんですもの。ねえ、あなた」
「そうだ。何も心配することはないんだよホーク」
そう言って笑う両親を信じたい気持ちとは裏腹に、ホークの不安はどうしても消えてはくれなかった。
人類との戦争が始まってもう二○年にもなる。
その間に、既に四つの森が失われ、八万人を超えるエルフ族が死亡している。
そんな戦争の前線へ赴く二人を、せめてホークは気丈に見送ることしかできなかった。
「お姉様……お父様とお母様はどこへ行かれたのですか?」
一○歳になる妹のミリアが尋ねる。
長命なエルフ族にとっては赤子も同然な彼女に真実を伝えることが、ホークにはどうしてもできなかった。
「別の森へ……そう、旅行に出かけたんだよ」
「旅行? 旅行とはなんですかお姉さま」
「それは……遊びに行く、ようなものかな」
「ええ!? ミリアも行きたいです!」
「駄目だ。ここで大人しく二人の帰りを待つんだ」
「そんなぁ……いつ頃お戻りになられるんですか?」
「…………すぐだよ。きっと、すぐ帰ってくるさ」
しかし二人がこの森へ帰ることはなかった。
四カ月後、両親が戦死したという報せが届いた。
戦争……地獄のような殺し合いの中においても、決して侵してはならない道理があるとホークは信じていた。
たとえどのような鬼畜でも。どのような野蛮な生物でも。
知恵と理性を持つならば……決して踏み込めない領域、心が許さない所業があると信じていた。
その甘さこそが、エルフがここまで追いつめられた原因であると言っても過言ではない。
――それほどに、人類の非道は常軌を逸していた。
森の中でその真価を発揮するエルフ族は、森に人間を誘い込んでのゲリラ戦を得意としていた。
そうと分かるや否や、人類は容赦なく森に火を放った。
必死に類焼を防ぐエルフを嘲笑うように数日間に渡って火を放ち続けた。
お前たちが森から出てくるまでいつまでも続ける……そう言わんばかりに、人類は森そのものを人質にとってエルフを森の外へ誘き出して狩っていった。
エルフが火を防ぐ手段を編み出すと今度は魔法で上空に雨雲を作り、一カ月もの間雨を降らせ続けて森を枯らした。
その次は山を崩して土砂崩れを起こして森を破壊した。
その次は森に棲む特定の種族だけを殺し生態系を狂わせた。
最終的には捕獲したエルフを人質にとっての脅迫。
そうして釣り上げたエルフを虐殺し、その首を森の周囲にぐるりと並べて見せしめにして恐怖を煽った。
また見目麗しいエルフの民は人間の欲望を刺激し、戦争の影で多くのエルフの女が攫われ、奴隷として売買されていた。
その商売は非常に高い利益を叩き出し、どの奴隷市場でもエルフは高値で取引されることとなった。
――悪魔。
エルフにとって人類とは、魔人よりもよほど邪悪な鬼畜だった。
――そして事態は更に最悪の方向へと流れた。
人類によるエルフ狩りが、魔族との戦争でめざましい戦果をあげ始めたのだ。
今まで防戦一方、どうにか魔族を追い払うのが精一杯だった人類がエルフ狩りによって急速にレベルを上げ、魔族との戦闘に白星をあげだした。
人類の快進撃は続き、現在のバラディア国周辺を奪還するにまで至った。
事態を重く見た魔族が講じた策。
……それが、エルフ族の根絶だった。
今や人類のレベルの肥やしに成り果てているエルフ族を手ずから駆逐することで、人類のレベル上昇を阻害しようと考えたのだ。
その結果。
人類、魔族、エルフ族の三種族は三つ巴の戦争へともつれ込んでいくこととなる。
互いに二つずつ戦線を持ち、エルフ族にとってその後二○○年に渡る苦難の歴史の幕が開けた。
「――ふざけるな!」
作戦室に怒号が飛び交う。
エルフ族の戦闘部隊が集い、今後の作戦を立てていたが、あまりにも絶望的すぎる状況に誰も打開案など出せないほどに追い詰められていた。
三つ巴の戦争が始まって一○年が経過した。ホークは齢四○歳になり、若いながらも部隊のエースとして人類と魔族との戦争に日々を捧げていた。
しかし魔族の攻勢は苛烈を極めた。
人類のように策謀と物量で仕掛けてくるのではなく、ただ有り余る暴力による蹂躙。
僅か一○年の間に、魔族領の森に棲んでいたエルフ達はほぼ排斥され、魔族の手の及ばない人間領の森の奥にひっそりと息をひそめて生活するしかなかった。
そこに安息などはなく、人間領では人間たちとの戦争が始まるだけだ。
「なんで俺たちがこんな目に……。元々は人類と魔族の戦争だったはずだろ! なのになんで……無関係の俺たちが人類と魔族から狙われなきゃいけないんだよ!」
その憤りは、今では総数十万人しかいない全エルフの民の想いでもあった。
今や地上で最も生存の過酷な種となったエルフだが、その発端は人類の身勝手な魔物狩りだ。
これほどの理不尽を受けるいわれなどエルフにはないはずだ。
「ゼフィール様! ここは一か八か打って出ましょう! 人類を滅ぼせば魔族からの攻撃もなくなるはずです!」
まだ若い部隊員の男性が、エルフ族族長に詰め寄る。
ゼフィール。八○○年を生きるエルフ族の長だ。老いの進行が極めて遅いエルフ族でありながら、体中に刻まれた皺や長い顎鬚が、彼の人生の長さを窺わせる。
ゼフィールは部隊員の提案を、首を横に振って否定した。
「ならぬ。人類との全面戦争など、とても勝利できるとは思えぬ」
「しかしこのままでは我らはいずれ絶滅します!」
「人類と魔族……どちらかに付くというのはどうでしょう」
別の者が声を上げる。
その提案に、少なくない数の者が怒りを露わにした。
「ふざけるな! 人類と肩を並べて戦えというのか! あんな卑劣な種族と!」
それを受けてその場にいる者たちが口々に意見を出し始めた。
「だが少なくとも、与した方からは攻撃されない」
「代わりに、どちらかを滅ぼすまで戦争に付き合わされるぞ」
「なら魔族に付くべきだな。人類と協力するということは魔族と戦うということだ。……有り得ん、人類と協力したところで魔族を滅ぼせるとは思えんからな。魔族と協力すれば、人類を滅ぼせる可能性もある」
「その後私たちが滅ぼされる可能性もあるがな」
「まさか……魔族の勝利に貢献するのだぞ? その後で滅ぼされるなど」
「いや、大いにあるだろう。魔族はとにかく血統主義だ。魔王を頂点においての絶対的な主従の連なりこそが奴らの権力の象徴だ。『血の盟約』に連なっていないものは奴らにとっては家畜同然だ」
「…………なんだ、結局どっちも駄目なんじゃないか」
「だが今この状況も駄目なんだ」
「……八方塞がりか」
作戦室に重苦しい沈黙が流れる。
「――ホーク・ヴァーミリオン部隊長。君の考えを聞かせてもらえるか」
視線が一人の女性に集まる。
ホークは両親の死後、すぐに戦闘部隊へ志願。
今では一部隊の隊長を任されるほどに成長した。
「……とにかく、魔族領からは撤退するべきでしょう。まだ残っているエルフの民、全て」
「全てか……受け入れる余裕はないという結論が出たはずだが」
「人間領内でエルフがまだ確保していない森がいくつかあります。そこを確保し、新たにエルフ領を拡大しましょう」
「時間がかかるぞ」
森には森ごとの生態系と秩序がある。
そこに介入し新たな種族を根付かせるには相応の手順がある。
「強引にでも急ぐべきでしょう」
「なら戦闘は避けられんぞ。今や『エルフのいる森は人類と魔族から狙われる』とすら見なされているんだ。簡単に受け入れてもらえるとは思えん」
「多少の犠牲は仕方ありません」
「……森の守護者と謳われる我々が、森荒らしか」
誰もが苦々しい想いを表情に浮かべる中、ホークはそれを鉄面皮の下に隠した。
森はエルフの聖域だ。全ての森を尊び、そこに生きる者を慈しむ。
そのエルフが自らの都合のみで、他の森に踏み込もうというのは……ともすれば人類や魔族の侵略と同じようにも思えた。
それはホークにとって、何よりも耐えがたい屈辱だった。
「しかし、そこまで我々は追い詰められています」
「…………分かった。検討しよう。その後は?」
「この地図をご覧ください」
ホークはテーブルに一枚の紙を広げた。
それはこの地上の大陸図だった。
大陸は大きく見て巨大な『U字型』をしている。
そのU字の西側の先端に魔王城があり、そこが魔族の最奥だ。
逆に東側。その先端にルドワイア帝国がある。
そこから人類の反撃が開始され、徐々にU字の東側を取り戻していっているところだ。
「このまま人類が領土を取り戻し続ければ、そう遠くない内に大陸は魔族領と人間領に二分されるでしょう」
「U字の最南端が境界線になるわけか」
「正確には少し人間領に食い込んだ形で境界が敷かれるでしょう。ここは陸続きではなく大きな別大陸を通る必要があり、現在は魔族は占領しています。ここは天然の要塞です。人類には奪還できないでしょう」
「ふむ。それで?」
「我々は少しずつ南下し…………ここです、この森を最終的に目指します」
そこはU字の最南東だった。
「なぜここなんだ? 仮に人類が東大陸を取り戻しても、ここではすぐそこが前線ではないか」
「地図で見ると近く見えますが、実際には陸が入り組んでおりかなり距離があります。人類と魔族が順当に領土を奪い合うつもりなら、このU字を北上、あるいは南下していくことになりますが、この土地はその線上から完全に外れています。逆に人類の立場でも同じです。目の前に魔族領の境界線があるのに、こんな辺境の地に目を向ける余裕はないでしょう」
「……ふむ」
「そして仮に人類がこの地を侵略するとしたら、魔族と挟み撃ちにできます。そんな危険な侵略はしてこないでしょう。なので、この森はこの地上では一番安全かと」
「魔族との前線を抑止力に使うということか」
「待てホーク、それよりも問題があるぞ」
参謀の一人が声をかける。
彼の言いたいことは、ホークは既に理解できていた。
「君の案だと、人類の魔族領への進行に合わせて南下していくように聞こえるが?」
「その通りです。時期もあまり開けない方がいい。人類に先に森を占領される危険がありますので」
魔族領の森から全てのエルフが撤退し、その後人類が領土を奪い返すことで、その森は人類領の森となる。
そこに改めて拠点を構えようと思うなら、人類よりも早く行動を開始する必要がある。
つまり、
「……常に最前線を渡り歩くことになるぞ。危険すぎる」
「はい。ですので、この作戦は戦闘部隊のみで行うべきでしょう。非戦闘員の方々は他の森に隠れていてください。そして頃合いを見て少しずつ南下していきます」
「……戦闘部隊は死地に飛び込むようなものだな」
「仰る意味が分かりません」
ホークは語調を強めて言った。
「今まさに、ここが死地ではないですか」
最終的にホークの案は採用され、非戦闘員は築き上げた文明を捨て、ひたすらに身を隠し続けることとなった。
それとて完全ではない。ときには人間に見つかり一つの森に棲むエルフ達が根絶やしに遭うことも多々あった。
それでも多くのエルフは森の奥に息をひそめ、じっと機を待ち続けた。
「お姉様」
ホークが出立の準備をしていると、妹のミリアに呼び止められた。
「どうしたミリア」
「……また行かれてしまうのですか」
「ああ。人類がまた領土を奪還した。その領内の森を確保しなくては」
人類の快進撃はホークの予想を超えた速度で続いた。
絶対数の少ない魔人はレベルシステムによって一騎当千の力を奮っていたが、同じシステムを取り入れた人類の物量に押され始めたらしい。
また人類には知恵があった。
個の強さを重んじる魔人の戦術は極めて単純だ。一方で人類は十重二十重の策を巡らせる戦術を好んだ。
純粋に、人類は戦争が上手かったのだ。
人類の領土奪還が進む度、ホークの率いる戦闘部隊が森の確保に駆り出された。
そこは常に人類と魔族の戦線のすぐ傍。戦闘は避けられなかった。
「大丈夫だミリア。私は必ず帰ってくる」
「……お父様とお母様も同じことを仰っていました」
言葉を詰まらせるホーク。それを言われては二の句が継げない。
「……お姉様、私も部隊に、」
「駄目だ」
「何故です!」
「お前には非戦闘員を護る大役がある。産まれたばかりの赤子だっているんだ」
「……しかし……」
この話はこれが初めてではない。ホークが戦場から戻る度、ミリアはこの話を持ち出した。
「分かってくれミリア。私には『力』があるんだ。私の『力』は特別なものだ。これがあれば魔族を倒せるんだ」
ホークには特殊な力があった。
その力はエルフの中でも……いや、おそらく全生命体の中でも稀有な能力だと言える。
「だから私が戦場に出るのは仕方ない。でもお前は違う。その必要はないんだ」
「……………………分かりました。お姉様……ならばどうか、無事に帰ってきてください。私にとってはお姉様だけが最後の家族です。お姉様まで失ってしまったら……私……」
「……分かってる」
ホークも同じ気持ちだ。
だからこそ、ホークはミリアだけは絶対に戦場に出したくないのだから。
仮にミリアにホークと同じ力があったとしても、ホークは戦場には出さなかっただろう。
それが仮にエルフ族の不利益になるとしても、ホークはそれだけは認められない。
ホークにとってミリアの命は、全エルフ族の命を束ねても足りないくらいに尊いものなのだ。
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