第26話 鮮血の吸血鬼


 普段は人気のない薄暗い街道は今、怒号飛び交う戦場と化していた。

 バラディア国騎士団三○名とエルフの戦闘部隊二○名による戦闘は瞬く間に激化し、けたたましい戦闘音が充満し始めた。

 エルフの放つ矢が雨のように降り注ぎ、それを騎士団員は各々の技能で凌いでいく。

 ほぼ全てのエルフが弓を主兵装としており、あとは魔法を少々扱える者がいる程度だ。

 いずれにせよエルフにとって望ましいのは遠距離戦であり、必然的に騎士団の活路は近接戦にある。


 扇型の陣形をそのままに後退するエルフ部隊。それを追い立てる形で騎士団が迫る。

 エルフの矢はただの弓撃ではない。

 古来より弓の使い手として有名なエルフには弓に関するスキルが多くある。

 一息に三射する速射や、目標を追尾する矢、あるいは魔法を乗せた矢などもある。


 様々な変化で騎士団を翻弄しようとするエルフ達だが、さすがはバラディア国騎士団、どの攻撃にも的確に対応する様は見事だった。

 黒魔導士の魔法がエルフ部隊の陣形をかき乱す。崩れた端から戦士が突撃する。

 三○秒も経過する頃には互いに数名の負傷者が出始める。

 しかしそこへすかさず白魔導士の回復魔法がかけられる。


 エルフ達に焦りが浮かび始める。

 やはり長年魔族と戦い続けてきたバラディア国騎士団の肩書は伊達ではない。おそらく個々人の戦闘能力ではエルフと大差はないだろうが、練度が違う。

 そして似た個体しかいないエルフとは違い、彼らには特化した性能同士が織りなすコンビネーションがある。これこそがレベルシステムの強みだ。


「……さって、私はどうしたものかしら」

 そんな戦闘から少し離れた場所で、パンダは手持ち無沙汰だった。

 街路樹に体重を預けて突っ立っているが、誰もパンダを気にも留めない。


 パンダの依頼は吸血鬼をおびき出すことだ。

 こんな戦闘に参加するのは依頼内容外なのだが……とはいえ立場としては騎士団を支援するのが無難だろう。

 放っておいても騎士団が勝利しそうだが、エーデルンの懸念どおり、後に控える吸血鬼との戦闘を考えれば損害は少しでも小さくしたいところだ。


「ま、仕方ないか」

 後で文句を言われない程度にはそれとなく手を貸してやるとしよう。


「――ああ、あれなんかいいわね」

 パンダの視線がある一点に向けられる。


 長期戦の不利を悟ったエルフ達がたまらず後退し、それを騎士団が追いかけようとしている。

 蜘蛛が散るように規則性のないその退却の中に、一つの狙いが含まれていることをパンダは一瞬で見抜いた。

 戦士が責め、それを白魔導士がサポートし、――その後ろで魔法を詠唱する黒魔導士は、自分が前衛に護られていると思い込んでいる。


 ――その油断を真横から狙い撃とうとする殺意が一つ。

 エルフ部隊のリーダー、ホーク・ヴァーミリオンの一射。

 巧みだ。パンダも思わず頷いてしまう不意打ちだった。

 視界の外というよりも意識の外……黒魔導士の思考まで読み切った一撃は必中。

 やはりあのエルフは相当戦い慣れている。


 だがそれはパンダもまた同じこと。

 矢が放たれるよりも先にパンダは動き出していた。

 迫る矢にようやく気付いた黒魔導士の顔が焦りに歪む。


 パンダはそこに割り込んだ。

 捉えていれば大した攻撃じゃない。

「――よっと」

 ひょい、とパンダは飛来した矢を右手で掴み取った。



 ――瞬間、



「――ヅッ! ――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」



 街道にパンダの絶叫が響き渡った。


 あまりの鬼気迫る声に、その場にいる誰もが思わずパンダの方を見遣った。

 パンダは掴んだ矢を投げ捨て、四つん這いになってガクガクと痙攣していた。


 それは今までパンダが感じたことのないほどの激痛だった。

 全身の神経が剥き出しになったかのような過敏な反応。

 いや、肉体的な痛みだけではない。まるで内臓を鷲掴みにされているようなこの感覚は……パンダの魂そのものがズタズタに引き裂かれたものだった。


 全身に力が入らず、あまりの激痛に口を閉じることができずに、涎を垂らしながらパンダは地面を転げ回った。

 意識が混濁し、視界には何も映らなくなる。自分が今どんな状態なのかも把握できないまま、パンダはただ痛みに呻き続けた。


 その異様な光景に騎士団員たちが狼狽する。

 見たところパンダに外傷はない。矢は体のどこにも刺さらず、パンダは矢をだ。

 だというのにパンダの苦しみ方は尋常ではない。

 この説明できない不気味な状況に、騎士団員は警戒心を露わにする。


 しかし彼らとは違い、エルフ部隊の面々は何が起こったのかを当然ながら把握していた。


 ――把握した上で、驚きの表情を浮かべていた。

 なまじ意味が理解できている分、ある意味ではエルフ達の動揺の方がずっと大きいと言えるだろう。


「これって……」

「……ほ、ホークさん……!」

 エルフ達は一斉にホークを窺い見る。

 ホークもまた、信じられないものを見たようにパンダを見つめていた。



「…………魔人」



 その呟きに、エルフ達の誰もが身をこわばらせた。


「――その女は魔人だ!!」

 

 ホークが叫んだ。

 それを聞いて弾かれるようにエルフ達は弓を構えた。その矢先は全て、地面に倒れ込んだパンダに向けられていた。


「魔人を連れ込むとは……どういうつもりだ貴様ら!」

「な、何の話だ」

 突然の糾弾にエーデルンも訳が分からず狼狽えるしかなかった。

 その反応を見てエーデルンも知らなかったのだと理解したホークが舌打ちを一つ飛ばす。


「――おい、一時停戦だ! その女を殺す」

 あれほど人間に歩み寄る素振りを見せなかったホークが、あっさりと停戦を申し出てきた。エーデルンの困惑が更に深まる。


「……彼女を?」

「そうだ、そいつは魔人だ。しかもあの苦しみ方……ただの魔人じゃない」

「な、何を根拠に」

「神官はいないのか。調べればわかる」

「いや、この場にはいないが……」


 同じ白魔法の使い手でも、神官は町の教会などで務めることがほとんどだ。戦場に駆り出される白魔法使いは白魔導士であることが多い。


「ちっ、ノロマめ。もういい、全員、一斉掃射――!」

「お、おい待て!」

 エーデルンの制止も間に合わず、四方から一斉に矢が放たれる。


 パンダはまだ起き上がることもできないほど意識が混濁している。防げるはずもない。

 しかし、


「――ッ、なに!?」

 それらの矢は一本たりともパンダに命中することはなかった。


 パンダの身体から、影とも霧とも判別できないような黒い塊が発生していた。

 それはまるで意思を持つように飛来する矢をことごとく絡めとった。


「……これは」

 ホークは倒れ伏したパンダを見遣る。

 見ると、パンダは既に意識を失っていた。

 この影はパンダが操っているものではない。


「自動的にあの魔人を護っている……? なんだあれは。幽霊とでも言うつもりか」

「……ホークさん、どうしましょう」

「――問題ない。なんであれ魔族の類だ」

 ホークは自身の弓に矢をつがえる。

「なら私の矢で――」



「――素敵な悲鳴」



 まるで水面に一滴の雫を落としたように、その声は周囲に波紋した。

 その場にいた誰もが金縛りにあったように動けなくなる。

 一瞬にして静寂に支配された街道に、一つの影が差す。


 誰もが自然と上空を見上げた。

 雲一つない美しい夜。

 その夜にぽつんと輝く月の光を背負い、彼女はそこにいた。


 くるぶしまで隠れるほどの深紅のロングコード。

 そのコートと同じほどの長さの黒髪がゆらりと流れ、髪の隙間から覗く血のような赤い瞳が妖しげに輝いていた。

 そして邪悪な笑みを刻んだ口元から見える牙は、まさしく吸血鬼の象徴。


「……ブラッディ・リーチ」


 この女こそ、討伐目標の吸血鬼に相違なかった。


「この辺からとても素敵な悲鳴が聞こえたんだけど……誰かな?」

 浮遊していたブラッディ・リーチは重力など存在しないかのように静かに地面に降り立ち、辺りを見回した。

 なるほど、この嗜虐心の塊のような女はパンダの悲鳴に心を打たれて出てきたというわけか。


 エーデルンが内心でほくそ笑む。

 まさに飛んで火にいる、だ。

 エルフとの遭遇はある意味では幸運だった。どういうカラクリか分からないがエルフの矢がパンダの囮としての役割を最大限に引き出してくれた。

 もうパンダは用済みだ。


 騎士団に加えてエルフ部隊もいる。

 わずかばかり心許なかった戦力も、これで盤石。

 エルフ達もまさかこの期に及んで騎士団とやりあうはずもないだろう。


 エーデルンはブラッディ・リーチに向けて一歩歩み寄った。


「貴様が最近、何人もの少女を攫っている吸血鬼で間違いないな?」

 ブラッディ・リーチはエーデルンの姿を捉えると、びくん、と身体を震わせた。

 ――正体がバレていること……そしてこの数。

 怖気づいたか、とエーデルンは内心で嘲る。のこのこ出てきたところを見ると相当知能は低いらしい。

 予想以上に簡単な仕事かもしれない。


「…………こ」

「……?」

「…………とこ」

「なんだ? 何を言ってる?」

「…………おと、こ」

「……男?」

 ブラッディ・リーチが何かを呟いているが、声が小さすぎてほとんど聞こえない。


「まあいい。総員、戦闘開――」

「――寄るな…………男」


 そのとき、ブラッディ・リーチが深紅の瞳をギロリと剥いた。



「――気持ち悪いッ!!」



 ――赤い風が吹き抜けた。


 その風は視認が困難なほどの速度で周囲を吹き抜けた。

 エルフも騎士団も、あますことなく舐め去った赤い風はやがて、時間を巻き戻すかのようにブラッディ・リーチのところへと舞い戻っていった。


「な、なにが……」

 一人のエルフが自身の身体を確かめる。

 風属性の魔法を放たれたのかと思ったが、身体に外傷はない。風は本当に身体を舐めただけで、そのエルフに一切の危害を与えなかった。

 同じような動作を周囲の者たちもし始める。

 そしてどこにも異常がないことを確認した彼女たちは――やがて一つの大きな異常を発見する。


 その動作をしているのは、女性だけだった。


 どさり、と何かが地面に倒れる音が響く。

 その音は二つ三つと数を増やし、やがて二○を超える連続音となった。


 ――そして咲き誇る血の華。

 首を、胴体を、四肢を。数多切断された死体がそこら中に転がった。

 その死体はいずれも男性ばかり。


 ――その中には、エーデルンも含まれていた。


「な…………」

 絶句する面々。

 そこでようやく、あの赤い風が斬撃となって男ばかりを斬り捨てたのだと理解した。

 僅かに油断していたとはいえ、エーデルンはA-47の騎士団部隊長。

 それを一撃で仕留めるだけの威力がある。


 それはつまり、ブラッディ・リーチがその気ならこの場にいるほとんどのものを、今の一撃で殺せたということだ。


「……あぁ、気持ち悪い……。男なんて二度と見たくないのに……!」


 ブラッディ・リーチは吐き気を堪えるように口元を抑え、倒れ伏した男たちをゴミを見るような目で睥睨した。


 そのときに生き残った者たちは知った。

 エルフ八名、騎士団五名。

 この計一三名は、ただ男ではなかったからという理由だけで死を免除されたのだと。


「……S-55……ですって?」

 生き残った騎士団員の一人が恐怖に駆られながら声を漏らした。

 あらかじめ聞かされていた吸血鬼の適正レベル……しかしこの現状を目の当たりにして、そんな情報を信じられる者はいない。


 ――S-70。


 ルドワイア騎士団ですら討伐困難な上位の魔人。

 それに匹敵する適正レベルだと判断した。


 エルフと騎士団合わせて五○人いた戦闘員が瞬く間に一三人まで減らされ、もはや彼女たちに戦意はなかった。

「て、撤退……!」

 騎士団員が逃げ出そうとしたそのとき、再び赤い風が吹き荒れた。


「駄目だよ、逃げるなんて。皆で私のお家でお人形になってもらうんだから」


 生き残った五人の騎士団員全員が地面に倒れ込む。

 ――両足が斬り飛ばされていた。


「――あ、ああああああああああ!!!」

「きゃああああ!! か、回復魔法……!!」

 響き渡る阿鼻叫喚を、まるで福音を授かった神官のように瞼を閉じて全身で浴びるブラッディ・リーチ。


「いい悲鳴……」

 うっとりと聞き惚れるように耳を傾ける。

 しかしどこか不満げに周囲を見渡した。


「でも、違う……さっきの悲鳴の方がずっと素敵だった。あれは誰なの?」

 獲物を探す視線は、地面に倒れ伏した者たちを一つずつ舐めていき……やがて一人の少女のところで止まった。

 こんな場には似つかわしくない紫の髪の少女。うつ伏せに倒れているため顔は見えないが、やけにブラッディ・リーチの気を引いた。


「……あの子かな?」

 ああ違いない、と舌なめずりを一つ。

 仮に違っていたとしても彼女は館へ持ち帰ろう。

 その少女のもとまで歩み寄ったブラッディ・リーチは、ゆっくりと少女の頭を持ち上げその顔を見た。


 その瞬間、ブラッディ・リーチの動きが止まった。

 目を大きく見開いてパンダの顔を凝視し続ける。


「――――か」


 わなわなと肩を震わせながら、ブラッディ・リーチは声を漏らした。



「かわいいいいいいいいいい!!!!」



 様子を窺っていたエルフ達がぎょっとたじろぐ程の大声だった。

「な、なんてかわいいの!! こんなにかわいい子見たことないよぉ!! この子だよね!? さっきの悲鳴絶対この子だよね!? 生きてるよねこの子? ……生きてる! あああぁぁ~楽しみぃ……どんな声で鳴いてくれるんだろぉ」

 頬が真っ赤に紅潮するほど興奮したブラッディ・リーチはパンダを抱きかかえた。


 そのまま、脚を斬り飛ばされて倒れている騎士団員達を見遣る。

 彼女らも連れて帰る予定だったが、もうこんなのはどうでもいい。

 すっかり興味も失せた目で一瞥する。それは壊れた玩具を眺めるときと全く同じだった。


「もう死んでいいよ」


 再び赤い風が吹き、すぱん、と生き残った騎士団員五人の首が飛んだ。

 そうしてバラディア国騎士団エーデルン部隊が全滅するのを、エルフ達は黙って見ていることしかできなかった。

 生き残った数名は皆恐怖に駆られ動けなくなっている。もはや勝機などないと理解していた。


「じゃあ、早く帰ろっと。あぁ、今から楽しみ――ッ」


 ――ただ一人を除いて。


 ブラッディ・リーチ目がけて飛来する一本の矢を、赤の風が絡めとった。

 ――瞬間。

 バチン、と水風船が弾けるような音と共に、赤い風が破裂した。

 そして周囲には大量の赤い液体がぶちまけられた。


「――え?」

「……ん?」


 驚愕は両者ともにあった。

 ブラッディ・リーチは、何の変哲もない矢に自身の護りが破壊されたこと。

 ホーク・ヴァーミリオンは、風のスキルだと思っていたものが実際は赤い液体だったこと。


「…………血?」

 矢を放ったホークが訝しそうに呟いた。

 その液体は紛れもなく血液だった。

 そこでホークもカラクリに気づく。


「――血だ! あの赤い風は血を操ってるんだ!」

 風に思えたあの攻撃は、大量の血液が高速で伸縮したものだった。

 属性では風よりも水属性に近い。水の精霊などはスキルなどを用いなくとも周囲の水を操ることができる者がいるが、これはその能力の応用だ。

 ただ、これほど殺傷力の高いものはホークも見たことがない。


 エルフ族は弓の申し子だ。動体視力も他種族に比べ高い。

 その中でも図抜けた能力を持つホークを以てしても、ブラッディ・リーチの血の風は見切るのが困難なほどだった。


「……なんだ、黙って見てるだけかと思ってたのに」


 パンダを地面に寝かせ、ブラッディ・リーチがゆらりとエルフ達の方へ向き直す。

 本当はこんな雑魚共は放っておいて、今すぐパンダを館に持ち帰りたいところなのだが、攻撃された以上は生かしておく理由はない。


「――総員、散開! 奴から距離を取れ!」


 ホークが指示を飛ばす。

 残った八人が困惑しながらも乱れぬ動きでその指示に従う。


「奴は自分の血を操って攻撃してくる! 距離を取れば攻撃は当たらない!」

 体内にある血液の量……それがブラッディ・リーチの攻撃、その物量の最大値だ。

 おそらく攻撃範囲は決して広くない。

 距離を取ればその圏外へ逃れられるだけではなく、本来遠距離戦を得意とするエルフ達に有利な戦況となる。


「撃て!」


 ホークの掛け声で一斉に矢が放たれる。

 しかしブラッディ・リーチは何ら動じることもなく薄ら笑いすら浮かべてそれを迎え撃った。

 赤いコートの内から、どろり、と今度はしっかりと見える速度で血液が現れる。

 それは瞬時に伸縮し、鞭のように矢を叩き落としていく。


 ――しかし、ホークが放った矢に接触した瞬間、


「――ッ」


 バチン、と鞭状にしなっていた血液は突如として破裂し、規則性を失って地面に落ちた。

 そこへ畳みかけるように次の矢が放たれる。


「……なんなの、その矢」

 苛立たしげに舌打ちするブラッディ・リーチは、新たな血液で矢を迎撃する。

「撃ち続けろ!」

 ホークの号令に従って、エルフ達の掃射は勢いを増していく。

 まさにエルフの面目躍如。彼女らの矢がひとたび放たれれば狙いが外れることは皆無。

 ブラッディ・リーチは自身の血で防ぐしかない。


 その血もホークの矢で無効化できる。

 地面に散った血を回収せずに新たに用意しているところを見ると、やはりホークの矢を受けた血はもはや『ブラッディ・リーチの血』ではなくなっているのだろう。

 ならこのまま制圧射撃を続ければやがて底を尽きるはずだ。


 ――体中から血を抜き取って干物にしてやる。


「……」

 ブラッディ・リーチの目が鋭くなる。

 ぐるん、と血がうねり形を変える。

 丸盾のように前方に構え、降り注ぐ矢からブラッディ・リーチを護った。


「――無駄だ」

 ど真ん中目がけて矢を引き絞る。

 あの血はホークの矢の前には無力だ。

 ホークは容赦なく矢を放とうとし――


「――ッ! 伏せろ!!」

 ブラッディ・リーチの残虐に歪んだ笑みを目にし、咄嗟に声を荒げた。

 それは永く前線で叩き続けてきたホークの、戦士としての勘だった。


 瞬間、血の盾が弾けた。

 一つ一つは小石ほどもない粒だが、それが数百。

 その全てが、散弾さながらにエルフ達に襲い掛かった。

 咄嗟に回避するエルフ達だが、横倒しに降る豪雨のようなその血の散弾を全て回避しきるのは不可能だった。


「ちっ……!」

 左腕に鋭い痛みを感じてホークが舌打ちする。

 太い針ほどの穴が開いている。

 被弾は一箇所。大した怪我じゃない。


 周囲を確認すると、他のエルフ達もどこかしら被弾しているようだったが、どれもかすり傷だ。戦闘に支障はない。

 ブラッディ・リーチに遠距離の攻撃手段があったのは驚いたが、この程度の反撃は許容範囲内だ。


「怯むな! 総員――」

「総員? ……あははっ」

 面白い冗談でも聞いたように笑うブラッディ・リーチ。


「……なにがおかしい?」

「だって――もう皆死んでるのに」


 どさり、と背後で誰かが膝をつく音が聞こえてきた。

 振り返ると、エルフ部隊の面々が地面にくずおれていた。

「な……」

 皆一様に、苦しそうに胸を押さえていた。中には吐血する者までいた。


「な、なにが……」

「私の血が中に入ったんだもん、当たり前だよ」

「き……貴様、まさかグールにするつもりか!」


 吸血鬼は自身の血を他者へ与えることでグールを作り出す。

 あの血の散弾……あれそのものは殺傷を目的としたものではなく、ホーク達をグールにするための罠だったということか。


 しかし、その効果は魔法抵抗力に影響を受ける。

 エルフの魔法抵抗力は高い。

 たとえ被弾してもほんの少量しか体内には入らないはずだ。その程度でエルフがグールになどなるはずが……。


「ううん、もっとシンプルな方法だよ。の。私の血は他の血と混ざったりしないから、私の血のまま血液の流れに乗って血管を通って……」

 最終的には、心臓に辿り着く。

 ……そうなれば、もうどうとでもできる。

 たとえ少量でも、心臓を破壊することなど造作もない。


 数秒もしない内に、苦しみ喘いでいたエルフ達の声も消えた。

 五○人を超える屍が横たわる街道に立っているのは、今やホークとブラッディ・リーチのみとなった。


「貴、様ぁ……!」

「でも、あなたには効かないみたいだね」

 未だに存命し激しい殺気を放つホークを、ブラッディ・リーチは疎ましげに見返した。


「厄介な力だね、それ。――もういいや、あなたは見逃してあげるよ」

 ブラッディ・リーチはパンダを担ぎ上げると、そのまま宙へ浮き上がった。

「逃げる気か!」

「殺そうと思えばいくらでもやりようはあるけど、その力があるんじゃ時間がかかりそうだからね。――そんなことより、早くこの子で楽しみたいし」


 昏睡したパンダの頬を愛おしそうに撫でると、ブラッディ・リーチは空高く飛翔した。

「待て!」

 叫ぶホークなど意にも介さず、ブラッディ・リーチはそのまま飛び去っていった。


 夥しい血と死と静寂に満ちた街道に、ホークが歯を噛みしだく音だけが響いた。

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