第25話 不運な邂逅
通称『ブラッディ・リーチ』。
二カ月前、突如として交易都市周辺に出没した吸血鬼の通り名だ。
かつて存在した大商人の館を根城にしているらしい。
ブラッディ・リーチは少女ばかりを立て続けに攫い、館に幽閉した。
後の調査で判明したことは、その館で少女は凄惨な拷問にかけられているということだった。
ハシュール王国騎士団が討伐に乗り出したが、残らず返り討ちにあった。
ブラッディ・リーチの残虐性は常軌を逸しており、まるで苦痛を与えることが目的かのように騎士団員を嬲り、その血を全身に浴びて悦に入っていたらしい。
その様から……生来、他者から血を奪う吸血鬼にあって尚、『鮮血の
エーデルンがまず警戒したのは、ブラッディ・リーチが根城となる館を持っていることだ。
ここは敵の城。どんな罠が用意されていてもおかしくない。
この館に突撃したいのは山々だが、それはあまりに無謀。ただでさえブラッディ・リーチの適正レベルは55と判定されている。手持ちの部隊員だけでも相当ギリギリなのだ。
できれば別の場所に現れるのを待ちたい。
しかしそれでは早期解決を依頼された者として面目が立たない。
故に餌を撒くしかない。
ブラッディ・リーチは年端もいかない少女ばかりを狙って襲っている。
それが何よりの餌になるはずだ。
調査の結果、パンダ以上の適任はいなかった。
ブラッディ・リーチが攫う少女はいずれも美少女ばかりで、相当な面食いであることは疑いようもない。
パンダは目を疑うほどの美少女だ。さぞ良く食いつくことだろう。
また、仮に死亡しても問題ないというのも大きい。あくまで冒険者として雇っているのだ、作戦中に戦死することは日常茶飯事。エーデルンに責はない。
エーデルンが前金を嫌った理由もそれだ。
パンダはこの作戦で死亡する可能性が非常に高い。前金など無駄になるだけだ。
以上が、エーデルンが語った内容だった。
「案外大した話じゃなかったわね」
館に続く夜道を歩きながらパンダは拍子抜けした気分を味わっていた。
エーデルンの話に裏があるのは分かっていたが、もっとドロドロしたものを期待していた。
所詮は吸血鬼をおびき出すための餌が欲しいというだけの話だ。
最初からそう依頼されていれば、パンダは普通に受けていただろう。
人間の間ではこの程度のことが非道だと見做されるのだろうか。
パンダが記憶している人間はもっと残虐なことを平気でできる種族だったはずだが。
「それとも、やっぱり騎士団だから面子が大切なのかしらね」
おそらくその可能性の方が高いだろう。
バラディア国騎士団は対魔族専門の特殊部隊だ。
今回のように人間領内の魔族の脅威を排除することが多いため、人類の平和と正義の象徴のような存在だ。
そんな騎士団が少女を囮に使うのはよろしくないということなのかもしれない。
あくまで依頼した冒険者が不運にも死亡したという形を取りたかったということか。
「ま、どうでもいいか。それより……」
それより、吸血鬼の方が楽しみだ。
パンダは吸血鬼をその目で見たことがない。パンダが産まれたときには吸血鬼はとっくに淘汰されていた。
吸血鬼は下手な魔人よりもよほど強い種族だったらしく、絶対数が少ない魔人とは違いその数もかつてはかなりいたそうだ。
そんな吸血鬼が勝利できなかったのは、やはりレベルシステムと血の盟約を持っていなかったからだろう。
並の魔人より強い程度では話にならないのだ。何故ならレベルシステムを持つ魔人には、想像を絶するような圧倒的な強さを持つ個体が存在し得るからだ。
そうして駆逐された果てに生き残った吸血鬼など、おそらく大した個体ではない。
とはいえ、今のパンダにはそのくらいでちょうどいい。
ギルニグのような雑魚を相手にほぼ相打ちだったのだ。今の自身の力を過信してはいけないとパンダは戒めた。
傍目からは人気のない街はずれの夜道をパンダが一人で歩いているように見えるが、実際にはその二○○メートル以上後方にエーデルン率いる討伐隊が控えている。
正式に囮となる依頼を受けた途端、エーデルンはパンダに一本してやられた鬱憤を晴らすかのような陣形を言い渡した。
正直ここまであからさまに囮として使われるとは思っていなかったので、パンダも思わず苦笑いがこぼれたものだった。
吸血鬼がどんな気性かは知らないが、もし肉食獣さながらに問答無用で襲い掛かってきた場合はパンダは単身で凌がなくてはならない。本当に使い捨てる気満々のようだ。
まあいい。これぐらいの理不尽があったほうが楽しめるというもの。
「…………?」
そこで、パンダは一つの違和感に気づく。
月の明かりだけが照らす薄暗い街道に、パンダの青い瞳が輝く。
その青い瞳が、街道の隅に潜む数人の気配を感じ取っていた。
距離が離れているためにはっきりとは分からないが、少なくとも数人の気配を感じられる。いずれもパンダを囲むように点在している。
「お出ましかしら」
パンダは腰に差してある短杖に触れた。
エーデルンから借りた護身用だ。大したものではないが多少は魔法の威力が上がる。
下位のグール程度ならこれを使ったソウル・ブラストで葬れるだろう。
いざというときは殴って応戦するしかない。
まるで白魔導士だ、とパンダは失笑した。
パンダは気づいていない風を装って歩き続ける。
ゆっくりと距離が詰まるにつれて、パンダが捕捉できる気配は増えていく。
五人。八人。まだ増えている。
「……グールじゃないわね」
闇に紛れて姿は見えないものの、明らかに吸血鬼が用意したグールではない。
グールなら岩陰や街路樹に身を隠したりはしないだろう。明らかに知性を持っている。
「……」
パンダはじっと目を凝らす。
夜目は効く方だが、陰に隠れられては上手く見えない。
が、街路樹の影から、僅かだがぴょこんと長い耳が見えた。
「――エルフ?」
その推測は正しかった。
「――止まれ」
声と同時に、ひゅん、と風を切る音。
カン、と乾いた音が響く。
パンダの歩幅一本分先に放たれた矢が石造りの歩道に突き刺さっていた。
進行を阻まれたパンダが足を止める。
それを皮切りに隠れていた影が続々と姿を見せ始める。
パンダを中心に扇状に広がった人影は計二○。
いずれも手に弓を構え、既に弦は絞られている。つがえられた矢はパンダに狙いを定められ、いつでも発射可能な状態になっていた。
彼らは全員がエルフだった。
エルフは革鎧を好むと聞くが、彼らはところどころに金属加工された鎧を着こんでいる。明らかに戦闘を意識した装備。
エルフの戦闘部隊だ。しかも既に臨戦態勢を整えている。
さてどうしたものか、とパンダは思案する。
あくまで目的は吸血鬼ブラッディ・リーチの討伐だ。後ろに控えるバラディア騎士団はこの非常事態にどう対応するつもりだろうか。
ひとまず、戦う意思はないということを表明すべく、両手を上げる。
「いきなり不躾じゃない? これはどういうこと?」
「お前は何者だ」
パンダの声に応えたのは一人のエルフだった。
赤い長髪をなびかせた女性が、街路樹の上に立っていた。
美男美女揃いと謳われるエルフ族の中でも更に飛び抜けた美人だ。
鋭く研ぎ澄まされた眼光だけで、どれだけの修羅場をくぐってきたかが窺える。間違いなく彼女がこのエルフ達のリーダーだろう。
「私はパンダ。冒険者よ。依頼でここを通っただけで、他意はないわ。そういうあなたはどちら様?」
「……ホークだ。ホーク・ヴァーミリオン」
「よろしくぅ」
にこやかに笑いかけるパンダだが、それを睨み返すホークの視線は敵意に満ちている。
エルフ族は戦いを好まない穏やかな種族だと聞いていたが、このエルフは見るからに好戦的だ。
「依頼と言ったが、どんな依頼だ」
「……?」
何故そんなことを気にするのか訝るパンダ。
いや、それよりもそんなことを話していいのだろうか。
仮にもバラディア国騎士団からの正式な依頼だ。冒険者の掟などには詳しくないパンダには、こういうとき守秘義務がどうだとかいう知識がない。
もういっそ後方でこの事態を見守っているはずのエーデルンとかが出てきて仲裁に入ってくれればいいのにと願うが、どうやらまだそのつもりはないようだ。
確かにここでエーデルンが出張ってしまえば、吸血鬼をおびき出すという当初の目的が瓦解する可能性がある。
この程度の不測の事態は可能な限りパンダに収めてほしいところだろう。
仕方ない、とパンダは開き直る。
後々文句を言われるのは覚悟の上で、まずは相手の要求を探るとしよう。
「最近この付近に出没してる吸血鬼の討伐依頼よ」
ホークは何かを考え込むように沈黙した。
こんな少女一人でそんな危険な任務を受けるはずがないという疑惑を持たれているならば、少々面倒だ。エーデルン達のことを説明せざるを得ないかもしれない。
しかしそのパンダの不安は杞憂となる。
「――あそこにいる連中と一緒にか?」
ホークの目線がパンダの後方に移る。
それは明らかに、二○○メートル以上後方で陰に潜んでいるはずのエーデルン達を見据えていた。
「……ふぅん」
やるじゃん。
パンダは素直に感心した。
どうやらこのエルフはそこらのエルフとは格が違うようだ。
「その通りよ。何か問題ある? ないなら通してほしいんだけど」
「問題はある」
「どうして?」
「その吸血鬼は私たちが殺す。お前たちの出る幕はない。消えろ」
「…………んー?」
首をかしげる。
このエルフ達が吸血鬼を狙っている?
「なに? もしかしてこの吸血鬼ってエルフまで襲ってるわけ? 見境なしね」
「黙れ。殺すぞ」
キリキリと弦が更に絞られる音が聞こえる。
目に見えて増加する殺気。周囲のエルフ達もホークの言葉に煽られるように剣呑な敵意を剥き出しにし始める。
「まってまって。敵は吸血鬼でしょ? どうして私たちが争うのよ」
「今回の目標が吸血鬼というだけだ。貴様ら人間も私たちの敵であることに変わりはない。時間がない、これ以上無駄口をきくなら殺す。死にたくなければ今すぐ失せろ」
相当短気なようだ。
これは取り付く島もないなと諦めかけたとき、背後から足音が聞こえてきた。
「彼女の言う通りだ。エルフの諸君、まずは武器を収めてもらえないだろうか」
エーデルンとその部下たちがこちらへ歩み寄ってきた。
さすがにもうパンダ一人でどうこうできる問題ではなくなったと判断したようだ。
三○人の大所帯にエルフ達は一層警戒心を強くする。
一方でエーデルン達も、武器に触れる素振りこそないもののいつでも戦闘態勢に移行できるような緊張感が漂っていた。
「私はバラディア国騎士団エーデルン部隊隊長、エーデルン・マッカーというものだ。此度は人々の平穏を脅かす吸血鬼『ブラッディ・リーチ』の討伐任務により、」
「興味ない。消えろ」
「そういうわけにはいかない。こちらもハシュール国からの正式な依頼によって参上している」
「なら殺すだけだ」
「まあ待ちたまえ」
呆れたように失笑するエーデルン。
「何故そう急ぐ。我々が諍う理由など何もない。どうだろう、ここは協力といこうじゃないか。同じ敵を持つ同士として共に、」
「断る」
「……何故かね?」
「貴様ら人間と共闘など虫唾が走る」
エーデルンがうんざりしたように周囲を見回す。
エルフ達はいずれも戦意が高く、今にも矢を放ってきてもおかしくない雰囲気だ。
だがエーデルンとしてはここでエルフと交戦するなど馬鹿げた話だ。
ただでさえ吸血鬼討伐のための最低限の戦力しか持ち合わせていないのだ。こんなところで隊を消耗させるなどデメリットしかない。
「――確かに、昔……我々人類と君たちエルフは争っていた。それは知っている」
「昔というほど前ではない」
「長命な君たちにとってはそうでも、我々にとっては数十年も過去の話は一つ前の時代の話だ。ここにいるほぼ全ての者が当時はまだ産まれてもいなかった。今はじめてエルフをその目で見たという者すらいるだろう」
「過去などという言葉で済ませるつもりはない。私たちは今でもはっきりと覚えている。貴様ら人間の非道を、残虐を。貴様らがどれほど醜悪な生物か、はっきりとな」
「それらの痛ましい過去を乗り越え、今やハシュールとエルフは不可侵条約を結ぶまでに至った。同じ悲劇を繰り返さないためにだ。――その努力を、君たちが自ら蔑ろにすると?」
「……努力だと?」
今度こそホークは、うっかり矢を放たなかったのが不思議なほどの殺意をエーデルンに向けた。
「貴様らとの永きに渡る戦争で、今やエルフ族は絶滅寸前……その上での武力を背景にした講和条約の、何が努力だ」
「……我々はバラディア国の人間だ。ハシュールの外交手段にまで口を出すことはできない」
「ふざけるな!」
「分かった。交渉は決裂ということだな。残念だが是非もない。とはいえ諸君の要求を呑むわけにはいかない。我々にはバラディア国騎士団として、一日も早く魔族の脅威を排除する崇高な義務がある」
「崇高な義務? こんな少女を撒き餌にすることがか?」
ホークが初めて見せた笑みは、エーデルンひいては人類の悪辣さを嘲り笑うものだった。
それに関してはパンダももっと言ってやれとニヤニヤ笑っていた。
「……ふう、せめてここで出会わなければどうとでもできたんだがな」
後でも先でも、とにかく出会わなければこんな面倒なことにはならなかった。
別にエーデルンにとってはエルフが吸血鬼を討伐してくれても何ら問題ではないのだ。騎士団が吸血鬼の館に到着したときには既にエルフに討伐されていた……そんな結末でも不都合はない。
しかし出会った以上は見過ごせない。エーデルンがエルフに討伐を任せたという形になってしまうからだ。
その上で万が一失敗し、そこから被害が波及でもしようものなら騎士団の名に泥を塗る大失態だ。
これは合理性を超えた騎士団の栄誉……あるいは面子の問題だ。
せめて相手がもう少し話の出来る者ならまた違ったのだろうが、ホークはおそらくエルフ族の中でも最右翼だ。ここまで頑ななエルフはエーデルンも見たことがない。
こうなった以上は強硬手段しかない。
「――各員、戦闘準備」
その一声で、騎士団員三○名が武器を構えて陣形を整える。
それに先んずる形で、エルフ部隊から矢が一射され、戦闘が開始された。
一瞬にして戦場へと変貌した街道の隅で、パンダはやれやれと肩をすくめた。
「人もエルフも……不自由の多い世の中ね」
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