第28話 エルフ族-2
――必ず生きて帰る。
ミリアにしたその誓いを、ホークは実に二○○年もの間守り抜いた。
戦って。戦って。戦って。
人類と。魔族と。ときには森の先住種族と。
何度も。何度も。何度も。
もはや数えることすら馬鹿らしくなるほどの回数、ホークは戦場に赴いた。
戦場は常に人類と魔族の戦線付近。
魔族との遭遇戦も幾度となく勃発し、その度に部隊は多数の犠牲を出しながらの撤退戦を強いられた。
また森の確保を巡っての人類との交戦は、回数を増すごとに熾烈さを増していった。
物量で勝る人類は限定地域の占領戦において圧倒的な優位を有していた。
それに対抗できたのは、まさしくエルフ族に大いなる森の加護があったからと言う他ない。
こと森での戦闘においては、エルフは魔族とも渡り合えるほどの力を奮うことができた。
しかし回数を重ねる内に人類はより巧妙に、あるいは狡猾に策を弄するようになり、ホーク達は幾度となく人類の策謀に絡めとられた。
ホークの率いる部隊もまた数え切れないほど死地へと飛び込み、戦闘に明け暮れた。
この一○○年の間に、数万人という規模でホークの部隊の部隊員の入れ替わりが起こった。無論、戦死による穴埋めのためだ。
たった一つの部隊でこれほど人員が入れ替わるのは稀だ。ホークの部隊がどれほど酷使されているかが窺える。
五○年遡ったとしても、その当時のホークの部隊員で今生き残っている者はいない。
数々の仲間が死神の手に招かれる中、ホークだけがその手をすり抜けることができた。
無論ホーク自身の能力の高さもあったが、それでもここまで生き残れたのは奇跡としか言いようがなかった。
ホークがミリアの元に生きて戻る度に妹は泣いて喜び、それだけでホークは報われる思いだった。
しかし命と引き換えにホークは目に見えない多くのものを失ってきた。
彼女の瞳は今や光を映さないほどに暗く研ぎ澄まされ、顔からは笑みが消えた。
どれほど親しい友の前でも、今やホークが笑みを見せることはない。
……唯一、妹のミリアの前以外では。
「――ハシュール王国……だと?」
作戦室に動揺が広がった。
それは人類が講じた、エルフ族にとって致命的な一撃だった。
ホークが考案した、人類の領土奪還に合わせての南下作戦。最終的に大陸の最南東の森に居を構えるという、エルフ族にとっての悲願を真っ向から打ち砕く、人類の悪辣な罠だった。
まさにホーク達が目指していた場所……そのど真ん中に、人類は新たな国『ハシュール王国』の建国を宣言したのだ。
作戦の完遂まであとほんの僅か……そこまで辿り着いたこのタイミングでの建国。
その理由について人類はいくつもの煌びやかで耳障りの良い言葉を並べていたが、つまるところはエルフ族を追い詰めるために先んじて手を打ったというだけの話だ。
「我々の作戦はとうに人類に見抜かれていたということか。……どうするんですかホーク隊長」
「……」
どうするも何も、選択肢などない。
この作戦のために二○○年もの苦難を耐え続けた。
既に七○万人以上の犠牲を出し、生き残ったエルフの数は一万を割っている。
……今更引き返す道などどこにもない。
「……ハシュール国に仕掛けるしかないだろ。国とは言っても今はまだハリボテ。実際には巨大な軍事基地の建設が進んでるだけだ」
「……兵はどうしましょう」
「全ての森のエルフを結集させろ。ハシュールを打倒した後にそのまま占領し、我々の国を作る」
「……人類との最後の全面戦争ですか」
三カ月後。
ハシュール国の領土を巡っての戦争が勃発し、
――エルフ族は敗北した。
降伏は受け入れられなかった。
魔族と人類の戦争が激化する中、人類もエルフの森という貴重な狩場を失うわけにはいかなかったためだ。
虐殺。虐殺。虐殺。
情け容赦なく繰り返される殺戮の渦中で、エルフ族は次第に絶滅の未来を受け入れ始める。
それでもホークは戦い続けた。
今やエルフ族にはホークを除いて強い個体など一人も残っていない。
彼女の部隊に配属されるのも、いずれも幼い子供たちばかりだった。
そんな子供たちをも次々と死に絶えるのを見せつけられながら……それでもホークは戦い続けた。
そしてエルフの民の総数が数百人にまで減ったある日――不意に殺戮は終わりを告げた。
「どういうことかお聞かせ願えますか、ゼフィール族長」
エルフ族族長、ゼフィールのもとへホークは赴いた。
既に人類との戦争開始から二三○年以上が経過していた。
エルフの民は総勢三○○人ほどしか生き残っておらず、もはや絶滅も時間の問題とされていた。
「伝えた通りだが」
「人類との講和……本気でそんなことをお考えなのですか?」
「うむ」
ホークすら噂程度にしか聞いていなかったが、ハシュール国の国王がエルフの惨状を嘆いて、エルフ族を絶滅の危機から救おうと動いていたらしい。
無論、ホークはそんな冗談を真に受けるほど愚かではなかった。
「五年以上前から、私はハシュール国の国王と何度か会談を設けたことがある」
「承知しています」
その警護にはホークも立ち会った。
ハシュールの国王は確かに温和で紳士然としていたが、ホークはその薄皮一枚剝いだ裏にある人間の醜悪さを知っていた。
「もう長い付き合いになるが……私は、彼ならば信用しても良いと考えておる」
「ゼフィール族長、どうかご再考を」
ホークは詰め寄らずにはいられなかった。
「今更人類との和解など有り得ません。奴らに蹂躙された我らの森をお忘れですか。亡き同胞になんと申し開くおつもりか」
「ではこのまま絶滅を待つべきだと言うのか?」
「その通りです」
ホークはもうずっと前から、この考えを変えたことはなかった。
「私は最後の一人となろうとも戦うつもりです。その代わり、一人でも多くの人間を殺し、その魂を冥府へ放り込んでやります」
「……ホークよ、この講和を受け入れれば戦争は終わる。ハシュール国王はハシュール大森林の奥地にエルフの領地を認め、そこに住むエルフの民との不可侵条約を望んでいる。今となっては数百人しかいない我らの、最後の安息の地となろう」
「本気でそうお考えですか?」
「無論だ」
「人類が危惧しているのは、エルフが滅んだ後に有力な狩場が失われることです。だからエルフを一箇所に集め繁殖させ、数が増えたらまた狩られる……そんな未来が待っているだけです」
「……」
「ふざけてる……まるで養豚場だ」
「彼ならば、きっとこの条約を護ってくれる」
「次代の王がどうかは分からないではないですか。再び人類が劣勢に立たされたとき、早急なレベル上げのためにエルフを襲わないとも限らない。我々は常に人類の脅威に怯えながら生きていくことになる」
「その未来と、今と、なにが違う? ならば一時の平和だとしても、それは得難いもののはずだ」
「……奴らの情けに甘んじるくらいなら、死んだ方がマシです」
「ミリアの喉元に剣が付きつけられても、同じことが言えるか?」
「――ッ」
そこで初めて、ホークが言葉を詰まらせた。
ホークの妹、ミリアもまた奇跡的な生還を果たしていた。
夥しい絶望の中でもなお気丈に笑顔を見せる愛しい妹。
今となっては彼女だけが、ホークの生きる支えとなっていた。
「…………」
「考え直すのはお主の方ではないか、ホークよ? かつて我々は無条件降伏してでも生き延びようとした。しかしそれすら受け入れられなかった。それが今では、対等な立場で講和条約を立ち上げてくれた。こんな好機は、もう二度とない」
「対等だと……お思いですか?」
「記されている条約を見る限りでは対等だ。あの国王だからこそこれほどの草案が通ったと私は信じている。これを拒めば、我々は滅びる」
「……」
その時のホークの苦悩を理解できる者はいないだろう。
二○○年以上にも渡って戦い続けたホークは、おそらく全てのエルフの民の中で最も多くの絶望を目の当たりにした一人だ。
無情にも死んでいった同胞たちに、いつか勝利の吉報を届けよう……その一心でホークは戦い続けてきた。
彼らの犠牲を無駄にしないために。
しかし……このような形での平和が欲しかったわけではない。
一度たりとも人類に勝つことができないまま、負けて負けて負け続けて……滅びそうだから助けてやる、などという傲慢による安寧など、屈辱以外の何物でもない。
勝利を夢見て散っていった戦友たちにどう詫びればいいのか。
ホークは答えを出せないまま、それでも、ゼフィールの言葉を受け入れるしかなかった。
結論から言って、ゼフィールは正しかった。
ハシュール国国王はハシュール大森林奥地にエルフの領地を認め、その森とそこに住むエルフの民の安全を保障した。
いわば全エルフ族を自国領内に独占する形となり、他国から寄せられた批判にも気丈に立ち振る舞い、一貫してエルフの味方であり続けた。
その意思は次代の王にも受け継がれ、エルフ族は唐突に訪れた平穏を五○年享受することができた。
ホークもまた戦場に出ることはなくなり、傷ついた心と身体を静かに癒していた。
その隣にはいつもミリアがいてくれた。
ミリアは長年戦い続けたホークを労った。
もうミリアも立派な女性となり、とっくに結婚していてもおかしくない年齢ではあったが、それでもホークのために恋人も作らず献身を捧げてくれた。
そんな愛しい妹との日々を謳歌でき、ホークもゼフィール族長の言葉を受け入れてよかったかもしれない、と……
――そう思っていたある日、一人の吸血鬼によってその平穏が壊された。
ハシュール国の交易都市シューデリアに薬草や果実を卸しに行った若いエルフの少女達が次々と攫われる事件が発生。
……その被害者の中には、ミリアも含まれていた。
「壊滅した、だと?」
ホークからの報告を受けたゼフィールは頭を抱えて深い溜息を吐いた。
攫われた少女たちを救出するために編成されたホークの部隊と、バラディア国騎士団の部隊がどちらも壊滅。
生存者はホークただ一人という結果は、ゼフィールの予想を遥かに超えていた。
「私の力不足です……申し訳ありません」
「吸血鬼はそれほどの強敵だったのか?」
「……奴はその力のほんの一部しか見せませんでしたが、おそらく上位の魔人並の強さです」
「……」
過去の歴史を振り返っても、上位の魔人と渡り合えるエルフなどいなかった。
それほどに魔人とは規格外の存在だ。
それと互角と外ならぬホークが評するならば、それは紛れもなく真実なのだろう。
「しかし私の矢は吸血鬼に対しても有効でした。次は必ず――」
「いや、次はない」
「…………今、なんと?」
「吸血鬼の討伐は諦める。森にいる全ての者に森の外へ出ることを禁じる」
「な……!」
ホークは絶句するしかなかった。
「何を仰っているのです! 何人ものエルフの少女が攫われているのですよ! ミリアもです!」
「これ以上の被害を防ぐための外出禁止措置だ」
「今起こっている被害の話をしているのです! まさか彼女らを……ミリアを見捨てるおつもりですか! 私の妹なのですよ!?」
「ではどうすると言うのだ?」
「決まっています! 再び部隊を編成し討伐を……!」
「無理だ。今いる全ての戦闘員を動員したとしても、上位の魔人を討伐するほどの戦力は揃えられん。……お主も分かっているであろう。お主に託したあの部隊が最後の虎の子。……それがこうも容易く壊滅したとあっては、もう出せる兵はない」
「……そんな……」
「バラディア騎士団を返り討ちにするほどの吸血鬼ならば、人類にとっても大きな脅威だ。いずれ人類の兵によって討伐されるだろう」
「そんな悠長な暇はありません! 吸血鬼は館で少女を拷問にかけているという話すらあります! こんなことをしている間にもミリアは……!」
「……分かってくれ、ホーク・ヴァーミリオン」
打ちひしがれるホークを黙って見つめるゼフィール族長。
彼にとってもまた苦渋の決断ではあった。しかしただでさえ絶滅の危機に瀕しているエルフにこれ以上の損害を出すわけにはいかない。
「…………分かりました」
やがてホークは諦めたように言った。
「――私一人で、ミリア達を救出します」
「ホーク!」
「他の者はこの森から出ないようにお願いします。あの程度の吸血鬼、私一人で十分です」
「いかん。いくらお主でも一人で吸血鬼と戦うなど無謀が過ぎる!」
「私の矢なら奴を倒せます。奴の攻撃のカラクリも分かっています」
「よせ! 今お主まで死んだら誰がこの森を護ると、」
「――うるさい!!」
ホークの怒号に、さしものゼフィールも押し黙った。
ホークは怒りに燃えた眼差しでゼフィールを睨み付けながら言った。
「ミリアは私の、たった一人の家族なんだ……命に代えても助けに行く。邪魔をするな!」
ホークはそう言い放ち部屋を出た。
ゼフィールの呼び止める声を置き去りに、足早にエルフの森を出た。
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