第29話 恐怖の味


 とある一室でパンダは目を覚ました。

 窓のないその部屋の光源は小さなランプの灯りだけで、部屋の四隅はうっすらとしか窺えない。それなりの広さがあるようだ。

 天蓋付きのダブルベッドに寝かされていたパンダはのっそりと起き上がると背筋を伸ばした。ポキポキと背骨が鳴る小気味よい音と共に、衣服がこすれる音。

 そこで初めてパンダは、自分が身に覚えのない服を着ていることに気が付いた。


 いわゆるゴシックドレスというやつだった。

 黒いフリルのついた、濃い紫のドレスだった。

 露出はほぼなく、首回りから足元までしっかりと覆われている。

 ……おそらく、本来は膝下まで程度の長さなのだろうが、パンダが低身長であるためにこのような形になっているようだ。


 よく確認すると上質な革のブーツまで履かされており、下着も大人っぽいものに変わっていた。

「あらいいじゃない」

 今までお洒落らしいお洒落などしてこなかったパンダは無骨な冒険者装備で十分だと思っていたのだが、こうして着飾ってみると自分もなかなか捨てたものではないと感心した。


 誰かが着替えさせてくれたのだろうが、パンダは大いに満足した。

 ドレスの色合いもパンダに良くマッチしているが、気品よりも可憐さを際立たせることを重視したセンスを何よりも評価したい。

 子供っぽい派手な紫のゴシックドレスも、パンダが着れば決して下品ではない。


「ああ、起きたんだね」


 傍で声が聞こえた。

 そこに極黒の闇があった。か弱いランプなどでは灯せない常闇。

 ゆらりと影が揺れたように見えたのは、彼女の艶やかな黒髪だった。

 その黒髪に隠れるように覗く双眸は血のように赤い。


 少女のような可憐さと成人女性の妖しさを兼ね備えているという点ではパンダに似通ったものを漂わせている。

 年齢もちょうど少女と成人女性の間くらいに見える容姿だ。


 だが内に秘められた魔性をパンダは見抜いた。


「よく眠ってたね」

「なかなか寝心地のいいベッドだったわ。それで、ここはどこかしら」

「私のお家だよ」


 お家、と表現したが明らかにそこらの一軒家ではない。

 この部屋の内装を一つ見ただけでかなり大きな屋敷であると予想がついた。


「お邪魔してるわ。えっと……」

「マリーだよ。私の名前は、マリー・イシュフェルト」

「初めましてマリー。私はパンダ。ファミリーネームはないわ」

「よろしくね、パンダ」

「よろしくぅ」

 パンダが笑うと、マリーも小さく微笑み返してきた。


「あなた吸血鬼よね?」

 唐突に踏み込んできたパンダに、くす、とマリーは噴き出した。

「いきなりだね。うん、そうだよ。それが分かるあなたは、やっぱりさっきの人達の仲間なんだね」

「仲間じゃないわ。あなたを討伐するために協力してただけ」

「そうなんだ。でも残念だったね、あの人たちはみーんな殺しちゃった。エルフも一緒にね」

「へえ、そういうことになったのね」


 パンダの記憶は、ホークの矢に触れた瞬間に途切れている。

 あの瞬間、今まで体感したことのないような激痛に晒され、そして意識を失った。

 どういう経緯でこの場所に至っているのか分からなかったが、どうやらあそこにマリーは現れてパンダを連れ去ったようだ。


 しかし皆殺しにしていたとは、パンダも少なからず驚いた。

 バラディア騎士団の一行は決して弱い部隊ではなかった。それと渡り合っていたあのエルフの部隊も同様だ。

 それを丸ごと手玉に取ったのなら、聞かされていたブラッディ・リーチの適正レベルはとんだ誤情報だったようだ。


 S-70相当はあるだろう。

 そこまでいけば魔人の中でも上位に食い込む。このレベル帯の魔人を討伐できるのはルドワイア騎士団の中でも指折りの騎士だけだ。

 今のパンダでは万に一つも勝ち目はないだろう。


「あの赤いエルフも殺したの?」

「ああ、あのエルフ? ううん、あれは殺すの面倒だったから放ってきた」

「そう、よかったわ」


 マリーが不思議そうに首をかしげた。

 なぜパンダがあのエルフの安否を気に掛けるのか不可解なのだろう。

 だがパンダには非常に重要なことだった。


「じゃああの赤いエルフ……確かホークとかいったっけ。結構強かったってことね」

 少なくとも、S-70相当の吸血鬼と一戦交えて生き延びたのだ。

 そんなエルフは極めて稀だ。やはりあのエルフは別格のようだ。

 永きに渡る戦争で強いエルフは死に絶えたと聞いていたが、あんなのが生き残っていたとは。


「別に、大したことなかったよ。それより早くあなたと遊びたかったから」

「あらいいわね。私も遊ぶの大好きよ。何して遊ぶ?」

「決まってるでしょ?」

 マリーは滑らかな手付きでパンダの首筋を撫でた。


「あなたを拷問して遊ぶの」


 それを聞いてパンダは噴き出した。

「それ、私は楽しくなさそうね」

「もちろん。楽しいのは私だけだよ。拷問ってそういうものだもん」

「聞いてた通り、なかなか悪趣味らしいわね。女の子ばっかり攫って拷問にかけて、その生き血を浴びてウキウキしてるそうじゃない。魔人の私もドン引きね」


 マリーの、眉がぴくりと揺れる。

「……やっぱり、魔人だったんだ」

「ああ、そういえば言ってなかったわね」

「匂いが違うなって思ってたんだ。他の子とは違う、危険な匂い」

「お気に召さないかしら」

「――ううん、関係ないよ。だって……こんなに可愛いんだもん」

「よく言われるわ」


 マリーはうっとりとした顔でパンダの頬に両手で触れた。

 そのまま静かに、鼻先同士がつくほどに顔を近づけた。


「ほんとにかわいい……その服もよく似合ってる」

「この服はあなたの?」

「うん。他にもいっぱい服あるから色々お着換えさせてあげるね」

「これでいいわ。この服かなり気に入ったから」

「そう?」

「ただ元の服は返して」

「……? どうして? あんなのあなたには似合わないよ」

「服はどうでもいいんだけど、服についてたバッジは大切なものなの。あれだけでも返してちょうだい」


 装備自体に未練は全くないが、あのバッジだけは取り戻すつもりだ。


 ――なんなら、ここでマリーと一戦交えてでも。


「うーん……あの服は汚かったからゴミ捨て場に捨てちゃった」

「なんてことするの。じゃあ後で拾いに行くわ」


「――それは無理だよ。だってあなたはもうこの部屋から出られないんだもん」


 その時にマリーが浮かべた笑みは、パンダをしてゾクリと悪寒を走らせるほど邪悪なものだった。

 それは檻に入った獲物を見る目。

 抵抗できない相手を今まさに喰らおうとする肉食獣の目だった。


「えー? ずっとこのままなの?」

「もちろん。普通は地下牢に入れるんだけど、あなたはとびきり可愛いから私の部屋で可愛がってあげるね」

 マリーはそう言うとパンダの鎖骨に舌を這わせた。

 舌はそのまま喉を這い進み、やがてパンダの左首筋までくるとその奥に流れる血の味を待ちきれないとばかりに一層妖しく舐めた。


 子犬に顔を舐められているようで、くすぐったさにパンダははにかんだ。

「こんな部屋の中だけで、私は何をしてればいいの? 暇じゃない」

「泣き叫んでくれればいいよ。魔人だからなかなか死なないだろうし、他の子と違ってずっと長く楽しめそう。それにこの血の匂い……とっても美味しそう」


 マリーはゆっくりと口を開いた。

 そこから二本の鋭い牙が顔を覗かせ……マリーは魅入られたように首筋に突き立てた。

 小さな痛みと共に、ずるずると血が吸い上げられていく感覚。


 途端、


「――!? んむううううううううううう!!!!」


 弾かれるようにマリーはパンダから身を離し奇声を発した。

「どしたの?」

 奇妙な光景を訝しむパンダ。

 すると、


「お、美味しいいいいいいい!!」


 目を爛々と輝かせてマリーが叫んだ。

「こ、こんなに美味しい血飲んだことない!」

「嘘、どれどれ?」


 試しに首筋を流れる血を指で一掬いして舐めてみる。

 ……別に美味しくはなかった。


「アップルティの方が美味しくない?」

「す、凄い……! 力が溢れてくる! どうなってるのあなたの血!」


 力。

 味だけではなくその表現が出たことでようやくパンダも合点がいった。


 吸血鬼は他者の血を吸うことで力を得るが、その仕組みはレベルシステムにも通じるところがある。

 血は魔力と生命の源。魔人が他者の魂を自らに取り込むように、吸血鬼はそれが血液ということだ。


 そういう意味で言えばパンダの血は今、極めて特殊な状態であると言っていい。

 一時は生物の頂点までその魂を極め、性質はそのままに密度だけを減少させ、しかし次代の魔王であるビィと力が混じっている。

 確かにこんな血はそうそうお目にかかれるものではない。


「ああ最高! あなた何から何まで最高だよパンダ!」

「ありがとう……でいいのよね?」

 顔やら力やらを褒められることはあったが、血の味を褒められたことはなかった。とりあえず喜ぶことにした。


「ああ……今すぐ全部吸い取っちゃいたい! でもそんなのもったいないよね。ゆっくり楽しまないと。ね?」

「私は美味しいのは後先考えずに食べちゃうなー」

「だめだよそんなの。拷問しながらだともっと美味しくなるんだよ」

「ふぅん。ああでも確かに、大道芸を見ながら食べるポップコーンはいつもより美味しい気がする」

「そうそうそんな感じ。恐怖の味。苦痛の味。絶望の味。全部とっても美味しいんだから」


 同好の士を得たとばかりに破顔するマリー。

 そうして笑うとただの少女のようだった。


「楽しみだなぁ……あなたの悲鳴を聞きながら舐める血はどれだけ美味しいんだろう。――まずは指からだね」

 マリーはパンダの手に自らの手を絡ませ、そっと小指をつまんだ。

「指先は神経が密集してるからとっても過敏なの。特に爪は強烈。足も入れれば二○本もあるから拷問するにはうってつけの部位なの」

 言いながらパンダの小指の爪をコリコリとこするマリー。


「次は歯だね。ここも過敏な部分で、歯も数が多いから永く楽しめるよ。皮膚を剝いだりするのも凄くいいの。皆狂ったように泣き叫んでくれる。あとは、私の血を体に入れて内臓をぎゅーって握り潰したりすると、逆流した血が喉に詰まって、自分の血で溺れたりするの。ビクンビクンって身体が痙攣するのがとっても可愛いんだぁ」

「ふぅん、拷問って色々あるのね」


 パンダは素直に感心していた。

 拷問なんて適当に殴って蹴ってしてるだけだと思っていたが、なんだか高度なテクニックがあるらしい。

 それを嬉々として語るマリーはまるで学問の講師さながらに見えた。


 だがそんなパンダの態度が気に入らなかったのか、マリーは初めて不快感を露わにした。

「……随分余裕だね。今からあなたがそうなるんだよ? 怖くないの?」

「いやぁ、生まれてこの方怖いなんて感じたことないわ。……ああでも、退屈はちょっと怖いかもだけど」

「――これでも?」


 ベキベキ、と小枝を折るような音が響いた。


 マリーは無造作にパンダの小指を根本から握り潰した。

 折るなどという生易しいものではない。手の中でグシャグシャに粉砕した。


「いてててて!」

 普通に痛くて声を上げてしまうパンダ。

「……なんか違う」


 悲鳴と言えば悲鳴ではあったが、それはマリーが望んでいたメロディとは程遠かった。

「あのときみたいなの聞かせてよ」

「あのとき?」

「すごい素敵な悲鳴あげてたでしょ?」

「ああ、あの赤いエルフの矢に触れたときね。あんまり覚えてないけど、確かにあれは強烈だった」


 あのとき感じた激痛は言葉では表現できない。

 パンダですら我を忘れるほどの痛み。あれは肉体の痛みだけではない。魂が引き裂かれる痛みとでも言うべきだろう。


 パンダは既にあの矢のカラクリは理解している。

 あの矢はまさに魔族殺し。極めてレアなスキルだ。同等の痛みをここで再現するのは不可能だろう。


「あれが聞きたいの」

「難しい注文ね……。ちょっと待ってちょうだいね」

 んん! と咳払いを一つ。


「――きゃ~~~(棒)」

「……全然違う」

「まあそこはあなたの腕の見せ所ね。お手並み拝見するわ」


 あくまで飄々とした態度を崩さないパンダに、次第にマリーの心に苛立ちが募っていくのがその表情から見て取れた。

「……そうやって余裕ぶっていられるのも今のうちだよ」

 言いながらマリーはパンダの首に右手をかける。

 徐々に力を込め、ギリ、と首を締め上げる。


 ひ弱に見えるマリーも、実際にはそこらの戦士よりもよほど強靭な膂力がある。

 内包する魂の密度が違う。パンダの細い首程度、その気になれば軽くへし折れるだろう。


「ぁ、ぐっ……!」

 さしものパンダの口からも、ついに苦悶の声が漏れる。

 待ち望んだ旋律の訪れにマリーの嗜虐心が満たされる。見たことかと言わんばかりに勝ち誇った笑みを浮かべて、パンダの首から手を離した。


「あなたみたいに気丈に振る舞ってみせる人も何人かいたけど、最後にはみんな泣き叫んで許しを請うんだ。そして最後には殺してくださいって言い出す。あなたもすぐそうなるよ」

「想像できないわね。そんな風になる私なんて」

 ケホケホと咳をしながら返すパンダ。


「すぐだよ。痛くて怖くて苦しくて。でも誰も助けてくれないんだって気づいたときの絶望。どうしていいか分からないままただごめんなさいって謝って、許してもらおうとするの」


 楽しそうに語るマリーを見て――パンダは、す、と目を細めた。


「でもすぐに思い知る。相手の心底楽しそうな顔を見れば、どんなに許しを請うてもやめてくれるわけないって。そしたらもう、あとは泣き叫ぶしかなくなるんだよ」


「あなたもそうだったのね」


 ――その一言で、空気が凍り付いたかのような沈黙が降りた。


 沈黙は数十秒もの間、部屋中を支配し続けた。

 マリーもパンダも何も喋らない。

 ……しかし両者が浮かべる表情はまるで別。


 マリーの双眸は目玉が零れ落ちるのではないかと思うくらいに見開かれ、その内で瞳孔が危険なほど激しく揺れていた。

 そのすぐ傍をいくつもの汗が滑り落ちていき、荒く息づく口元をかすめた。


「…………何言ってるの? そんなわけないでしょ」

「そうなの? 私はてっきりあなたも誰かに拷問されてたんだと思ったんだけど」


 目に見えるほどはっきりと動揺していたマリーも、少しずつ平静を取り戻していった。

 固く目を瞑り、それをゆっくりと開いたときには汗もすっかり引いていた。


「……私は支配する側だよ」

「支配ぃ?」

「私は強いの。強い者が弱い者を支配するの。だから……私は支配する側なの」

「……」


 ――そのとき、涼しい顔をしていたパンダの顔にはっきりと変化が表れた。


「この世界は力が全てなんだよ。支配するか支配されるか。私は強いから、何人も拷問してきた。その命を支配してきたの」

「……」

「だから私はあなたも拷問する。あなたも支配する。……今からね」


 ここまで言えばいくらパンダでも恐怖を浮かべるとマリーは信じた。

 今までの誰もがそうであったように。


 しかし。



「――アッハハハハハハ!!」



 パンダは怯えるどころか腹を抱えて爆笑しだした。

 ベッドに腰掛けながらバタバタと両足を踏み鳴らす。

 とびきり楽しそうに笑うパンダに、マリーの苛立ちはついに頂点に達しようとしていた。

 なにより……マリーが全てを支配するはずのこの部屋で、誰かが楽しそうに笑っているということ自体が、許しがたい屈辱だった。


「……なにがおかしいの?」

 先程まではマリーも、持ち前の残虐性と異常性はその大部分が内に秘められていた。

 マリーの手にかかった者たちも、皆それを察していた。故に恐怖を煽られるのだ。まだ彼女の狂気の全てが顔を見せていないという絶望に。


 ……今マリーが纏っている気配は、それだ。

 誰もが恐れた、身を震わせるほどの残虐の気配だ。


 しかしそれを一身に受けてなお、パンダの笑いは途切れることを知らなかった。


「やっぱり! あなたそうよね!? なんか変だと思ってたのよ!」

「……何の話?」


 パンダが何を笑っているのか理解できずに、マリーの怒りが限界まで高まってくる。

 もう今すぐにでもこの苛立ちをパンダにぶつけたい……そう思い始めたマリーの表情は、しかし。


 次のパンダの一言で、たちまち驚愕へと変わることとなった。




「あなた、ビィの血を飲んだでしょ」

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