第127話 シュティーア遺跡攻略準備


 右腕が痛い。

 どれだけ時間が経とうとも痛みが消える事はなく、痛覚が麻痺することもない。

 耐え難い痛みに脳が焼ける。

 焼け続ける。


 痛みは消えない。右腕が痛い。

 永い……永い時間。もうどれくらいになるのか、考えるのも馬鹿らしくなるような永い時間、痛みが俺を苛み続けている。


 自分が誰なのかは、もう随分昔に忘れてしまった。

 記憶も、自我も、永遠とも思える時間と痛みの中に溶けて消えてしまった。

 俺が今感じられるものは、ただ右腕の痛みだけだ。


 ――ああ、また誰かが来た。


 長髪の男。

 殺した。

 どうやって殺したかは覚えていない。気付けば死んでいた。

 剣が落ちていたから拾った。


 ――ああ、また誰かが来た。


 銀の鎧を着た男。

 殺した。

 強かったような気がする。腹を剣で刺されたような気がする。

 でも痛みはなかった。右腕だけが痛かった。

 防具が壊れたからその男の鎧を奪った。


 ――ああ、また誰かが来た。


 ……どんな容姿だったか……。

 誰か、瀕死の男を連れていた。

 何かを話した気がする。

 また来る、と言ってそいつはどこかに行った。

 殺せなかった。

 いや、自分で死んだんだったか。

 もう覚えていない。


 ――ああ、また誰かが来た。


 魔法使いの女。

 ここから出せと叫んでいた。

 殺した。

 ここからは出られない。俺も、お前も。

 できるのは、ただ彷徨うことだけだ。


 いろんな場所を歩いた。

 どこも見覚えのある場所だった。辛い記憶が多かった気がする。

 今はもう思い出せないが……安息の時間は少なかったように思う。

 雪山も。森林も。渓谷も。廃墟の町も。湖も。遺跡も。

 時間と痛みに消し去られた俺の記憶の中で、それでも強く焼き付いた景色……思い出。


 でも……一番大切な人が、そこにいない。

 愛する人。愛しい人。彼女のためなら、どんな苦痛にも耐えられると……そう信じられた女性。


 会いたい……君に、会いたい……。

 でも、見つからない……どれだけ迷宮を彷徨っても、君がいない。


 だから俺は……俺ができることは……


 ただ、誰かを……殺して……


 君が静かに……


 眠って……




 ――ああ、また誰かが来た。




 殺せなかった。


 紫の少女は、どこかに消えた。











 オリヴィアの工房がノックもなしに開け放たれた。

 アイテム制作に取り掛かっていたオリヴィアは、突然の来訪者にもさして驚いた様子を見せず、チラリと横目で確認するとまたすぐに作業に戻った。


「ノックくらいしたらどうだい」

「ごめんなさいね、こっちも急いでるの」

 来訪者、パンダは工房に入るとそのままオリヴィアの傍まで歩み寄った。


「で、なんだいこんな夜中に。魔石は用意できたのかい?」

「そのことで話があるのよ」

「ふん、例のエルフのボディガードも連れずに? 私が今ここであんたを殺せばデスサイズは私の所に帰って来ちまうんじゃないかい?」

「まあまあそう言わないで。ちょっと面倒なことになったのよ。ホークは来れないわ」

「そうかい、残念だ。次来たらコイツの制作を手伝って欲しかったんだが」

「なに作ってるの?」


 オリヴィアは何やらマジックアイテムを作っているようだった。

 何かの装置に小さな魔石を取り付けた、掌サイズのアイテム。一見しただけではその用途が分からなかった。


「こいつは、例のエルフの嬢ちゃんの力を再現するためのアイテムさ」

「破魔の力を? ウソ、そんなことできるの?」

「いーや、さっぱりさ。反魔力を作るだけって聞いたときは案外簡単に再現できるんじゃないかと思ったけど、こりゃ相当難しいね。――まあいい。それで? 話ってのはなんだい」


 オリヴィアはアイテムを手近なところに置くと、パンダに向き直った。

 時間がないため、パンダも単刀直入に尋ねた。


「ズバリ聞くけど、あの遺跡は何?」

「もっと具体的に質問しな。あの遺跡の何が知りたいんだい」

「あの遺跡内部は謎の迷宮に通じてる。それは知ってる?」

「迷宮? なんだいそりゃ。私も詳しくは知らないが、あの遺跡は確か人間どもに最深部まで調べられてるんだろ? 迷宮があるなんて話は聞かないけどね」

「……本当に知らないのね? あの遺跡について」

「その遺跡で何か痛い目を見たようだね。何があったか話してみな」


 オリヴィアの態度からは、あの遺跡について事前に情報を得ていた様子は見受けられない。

 彼女に何か思惑があるわけではなく、パンダ達が迷宮に迷い込んだのは完全に別に理由があるようだ。


「……いいわ、あの遺跡で起こったことを説明するから、よく聞いて。多分、流し聞きしてるだけじゃ混乱すると思うから」




 説明は数十分で終わった。

 度重なって起こった出来事に比べて、説明の時間は短かったように感じた。だがその分内容は濃密だった。

 オリヴィアは度々話を途中で止め、パンダの説明に不足が無いかを確認した。

 その反応は仕方がない。あの遺跡で起こったことをそのまま話せば、どうしてもそういう反応になってしまう。


 だが次第にオリヴィアも迷宮の異常性は理解できてきたのか、突飛な説明がされても狼狽することもなく、静かにパンダの話を聞いていた。

 そしてパンダとキャメルの二人が迷宮から脱出できたことを話し終えた段階で、パンダの説明は終了した。


「……ふーん、そんなおかしな遺跡だったとはねぇ。で、これからどうするんだい」

「もう一度迷宮に潜るつもりよ。ホークも放っておけないし、何よりあの迷宮は絶対に攻略したいしね」

「……ふん、なんだい。数年前までピクリとも笑わなかった不愛想な小娘が、今じゃ随分楽しそうな顔をするようになったじゃないか」

「私の笑顔も結構可愛いものでしょ?」

「グレイベアにでも見せてやりな。だがともかく、遊び半分で挑んでいいような遺跡じゃなさそうだねぇ」


「率直に、どう思う?」

「さてねぇ。だが、『魔力溜まり』については合点がいったね」

「それも聞きたかったの。そんなの見当たらなかったんだけど?」


 オリヴィアに限ってあるとは思えないが、彼女の観測ミスということもパンダは考えていた。

 だがオリヴィアははっきりとその可能性を否定した。


「いや、ある。間違いなくね。私が作った魔力溜まり探知用のアイテムがバッチリ反応したからね。ただ……確かにおかしな感知の仕方をしててね。反応が何度も途切れるんだよ」

「反応が途切れる……それって」

「ああ、そういうことだろうね。迷宮やら森やら町やら、いろんな場所に転移してるんだろう? それが関係してるんだろうね」


「つまり……遺跡に魔力溜まりがあるんじゃなく、転移した先にあるってことね」

「その場合、連動して面白いことが分かるね。別の場所に転移してるんじゃなく、

「…………そうね、そうなるわね」


 もし仮に迷宮が遺跡とは違う場所にあり、なんらかの転移魔法によってパンダ達がその迷宮に飛ばされたとすれば、オリヴィアが発見した魔力溜まりは、遺跡とは別の座標から検知されるはずだ。

 だが魔力溜まりはあくまでもシュティーア遺跡の座標から感知されている。ということは、『遺跡そのものが迷宮に変化している』と考えるしかない。


 そしてそのタイミングでだけ、オリヴィアは魔力溜まりを感知しているということだ。


「そんなこと有り得るの? だってほんとに一瞬なのよ? 私の魔眼では何の魔力的な要素も感じ取れなかったわ。そんな短時間で遺跡が迷宮に変わるなんてこと有り得る? それとも、私の魔眼でも見切れない魔法があるのかしら」

「考えづらいね。あんたのその右目……それはスノウビィの魔眼だろう?」

「ええ」

「そいつは魔力を見抜く魔眼としちゃ超一級品さ。それをあんたの感性で扱うんだ、まず見抜けない魔法はない。だからその迷宮とやらが魔法で作られたものって可能性は考えなくていい」

「そうね。私もそう思ってたけど、あなたから保証されると安心できるわ」


 だがそれは同時に、あの遺跡の謎が更に深まったことも意味している。


「あんた、『オニキス』は使えないのかい? あれを使えば別の場所に飛ぶ直前、何が起こったかわかるんじゃないのかい?」

「無理ね。レベルダウンのせいでオニキスは使えないわ。あれを制御するスキルが失われたから」

「なんだい、じゃああれだけの魔眼が宝の持ち腐れかい。勿体ないねぇ」

「そんな話はどうでもいいでしょ。無理なものは無理なのよ」


「まあ魔力を見抜けるとは言っても万能じゃない。あんたの魔眼を掻い潜って迷宮を作る手段ならいくつか思いつくね」

「教えて」

「簡単さ、例えばこいつを見てみな」


 オリヴィアはそう言って、工房の棚から一つの装置を取り出した。

 鉄で出来た薄い箱型の上に、幾つかの魔石と、それを繋ぐ水銀の回路が張り巡らされていた。


「こいつは魔導具を作る際に、組み合わせるパーツの魔力伝達率を調整する装置さ。この装置の一部分は、魔力から作り出したものだ。魔石のように内部に魔力を込めてるんじゃなく、『魔力から作り出した物質』さ。見えるだろ?」

「ええ」


「そんな具合に、その物質の一部分でも魔力的に作られているなら、あんたはそれを見抜ける。けど逆を言えば、その迷宮の構築する物質に魔力が籠ってなければ見抜けない」

「……まあ、そうね。あとは、魔法でレンガを浮かせてそれを組み上げた建築物を見ても、それが魔法を用いて造られたものだとは認識できないわね」


「そうさ。極論、『魔力に頼らず物質を作り出す』という特殊なスキルがあった場合も、あんたの魔眼はそれがスキルで作られたものだとは分からない」

「そういうスキルって実際にあるの?」

「あるさ。魔法はこの世界を構築するほんの一要素に過ぎないからね」

「…………オッケー。ありがとう、参考になったわ」


「ふん、気に喰わないねぇ。覚えときな。私は人に話を訊いといて『やっぱりか』みたいな顔をする奴が大嫌いなのさ。演技でも『そうだったのか』って顔をしな」

「あなたほんと気難しい性格してるわね」


 かつてパンダはオリヴィアから黒魔術を教わったことがあるが、そのときも彼女はこんな風に独自の拘りで度々パンダを困惑させた。

 しかし事実、パンダはオリヴィアの話を聞いていくつかの確信を得た。

 あの迷宮で何かが起こる度、パンダはその魔眼でまず異常がないかを確認してきたが、それがそもそもの間違いだったのだ。


 なまじパンダ自身が黒魔法に精通し、この世界で起こる多くの現象が魔力的な作用によるものだという固定観念が余計な混乱を生んでいた。

 あの迷宮で起こったことは『魔力によらない怪奇現象』だったのだとすれば、実は何の不思議もなかったのだと理解できる。


「もう一つ教えて。神器について」

「神器? なんだいいきなり。そんなもん改めて聞いてどうすんだい」

「いいから」

「……ふん、まあいいさ。神器ってのは『聖属性のアイテム』のことさ。その中でも特に強力なものや、特別な力を持つものを神器ってカテゴリーでくくってるね。……こんな基礎的な話からでいいのかい?」

「ええ、お願い。今見つかってる神器は五つよね?」


「ああ。剣、鎌、杖、本、宝玉の五つだね。その内の三つ、剣、鎌、杖は確か魔王城にあるんだったか」

「ええ。宝物庫のどこかに転がってたはずよ」

「まったく信じられない子だよあんたは。世界で最高峰の至宝を、『三つ買ったら一〇〇〇ゴールド割引』のワゴンセール品みたいに地面に転がしとくなんてね」


「だって魔人には使えない武器なんだもの。大事に飾ってても仕方ないわ。――使えないのよね?」

「は? 何がだい」

「魔族は神器を使えないのよね?」

「そりゃそうだろ。聖属性のアイテムだからね。魔族にとっては唯一と言ってもいい弱点属性の武器だよ。そんなもん使う意味もない」

「……『使えるか使えないか』で言うと、どう? 『魔人は神器を扱える』?」


 パンダは念押しするように尋ねた。

 ただの世間話とは思えない、真剣な面持ちだった。


「……まあ待ちな。いいだろう、より厳密な意味で答えてほしいってことだね?」

「ええ、お願い」

「――『使える』。それが答えさ。そもそも神器は誰にでも扱える武器じゃない。使用者は神器自身が決める」

「つまり神器に選ばれさえすれば、魔人であろうとも神器を扱えるのね?」

「理論上は、ね。だが聖属性の武具が、わざわざ魔人を持ち主に選ぶとは思えないけどねぇ。それに自分の弱点属性の武器を扱うってことは、それだけで使用者に甚大な負荷をもたらす。それでも使うのはよほどの物好きか馬鹿だけさ」


「神器って、やっぱり魔人が扱うには過ぎた代物なの?」

「そもそも神器ってのは人間が作ったカテゴリーさ。『神の武器』だなんて大層なこと言ってるが、実際は強力な聖属性を帯びてるってだけのただのアイテムさ。その中でも、魔族に対して有効なものをそう呼んでるのさ」

「つまり『性能』じゃなく、『性質』として対魔族武器として優れてるってことよね?」


「ああ。『魔を断ち切る』剣。これは二年前にあんたが勇者からぶん獲った聖剣だね。で、『魔の魂を刈り取る』鎌」

「あなたの大好きな、デスサイズの原典にあたる神器ね」

「『杖』……こいつの説明はあんたにはいらないね。『本』はまだ能力を隠されてるんだったか。で、『宝玉』は――これも言うまでもないね」


「ええ。『魔を封じる』宝玉。――魔王サタンを封印した神器ね」


 『宝玉』は、人類が最初に発見した神器だ。

 この神器に選ばれた人類最初の人物が魔王サタンを封印し、その偉業から、神器に選ばれた者を勇者と呼称するようになったのだ。


「まあ、そんな感じに、神器って呼ばれるような武器は何かしら魔に対抗する力を持ってるもんなのさ。だから根本的に魔人が扱うには適さないってわけだね」

「……オッケー。分かったわ。――ああ、ごめんなさい。『そうだったのか』! ……これでいい?」

「ふん。……その様子だと、迷宮の仕掛けについてはある程度当たりをつけてるようだね」

「ええ。多分、七割方は把握できてると思う。あなたのお陰よ、オリヴィア」


 くだらないお世辞を受け取ったのか、オリヴィアは一度鼻を鳴らした。


「用が済んだならさっさと帰りな。私はマジックアイテム制作で忙しいんだ」

「それってさっき言ってた、ホークの破魔の力を再現するっていうやつよね」


 パンダとの会話中も、オリヴィアはちょこちょことアイテム制作を片手間に行っていた。

 先ほどの話では破魔の力を再現するのは困難なようだったが、制作を続けているということはオリヴィアは諦めていないようだ。


「今のところはまったく目途が立ってないね。反魔力を作るってことは、魔力による作用が全て使えないってことだからね」

「でも、反魔力も魔力の一種類みたいなものでしょ?」

「そう、磁石みたいなもんでね。打ち消し合うってことは、つまり根本は同じ性質ってことなのさ。それがとにかく厄介でねぇ。反魔力を生み出すには、魔力を用いずに魔力を生み出さなきゃならない。しかも血の盟約を打ち消す程の出力ともなると……まったく、あのエルフの小娘、あれでなかなかとんでもないスキルの持ち主だよ」

「これは失敗作?」


 オリヴィアが雑に放り出している装置の一つを手に取るパンダ。

 試しに軽く魔力を流し込んでみると、バチンと音を立ててパンダが流し込んだ魔力を弾き飛ばした。


「あら? 魔力を打ち消したけど?」

「そんなもんはガラクタさ。見た目だけそれっぽく見えるようにはできたけどね。あんたの魔眼なら原理は分かるだろ?」

「そうねぇ……」


 パンダは再び装置に魔力を流し込んでみた。

 すると再びバチンという音と共にその魔力が打ち消される。その様子を、パンダは魔眼でつぶさに観察した。


「――なるほど、同じ波長をぶつけてるのね」

「ああ。衝突した魔力の波長を読み取って、それと同じものをぶつけるのさ。互いに同じ強さで干渉しあって、打ち消されたように見せかけてるだけさ。波長の接触面だけが消えたように見えるだけで、実際には魔法そのものを消したりはできないし、実用性はないね」

「そうね、というかこれそもそも反魔力じゃないわね。ただの魔力と魔力の干渉だし」

「だからそう言ってんじゃないか。人の失敗作にいちいちケチつけてんじゃないよ」

「ねえ、いらないなら貰っていい?」


 オリヴィアは怪訝な顔でパンダと彼女の手の中にある装置を見遣った。


「そんなもん何に使う気だい?」

「なんだって使い様よ。迷宮ではチープなトラップ類が大活躍したし、この装置ももしかしたらトラップと組み合わせて時限装置にできたりするかもしれない」

「まあ別に欲しけりゃくれてやるけどさ。私が作ったって吹聴しないでおくれよ、そんなガラクタ」

「ええ。あ、そうだ。ついでに魔弾もちょうだい。沢山使っちゃったから」


「チッ、魔石は安くないんだよ。それもあの嬢ちゃんの魔法銃に使うようなのはね」

「おねがぁい! この瞬間も80レベルオーバーの謎の騎士と戦ってるかもしれないホークのためよ。あの子が死んだらその装置だって完成しないわよ」

「……ふん。いいかい、私にここまでさせるんだ。その遺跡からきっちり魔力溜まりを見つけて魔石を回収しな。そしてデスサイズをさっさと私に返す。ちんたらしてんじゃないよ」


 乱暴な言い方で突き放すようでいて、なんだかんだとパンダの要求を呑んでくれるところは、なんだかホークにも通じるものがあると思うパンダであった。

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