第126話 脱出


「いやああああああ!」

 飛び散った鮮血を目の当たりにし、ルゥが絶叫した。


 アドバミリスとアッシュ。

 数秒の間に二人の命を奪った漆黒の騎士は、それだけでは止まらなかった。


「――アアアアアアアアアアアアアッ!」

 獣の咆哮と共に大きく跳躍。

 次の狙いは、最も近くにいたパンダだった。


「――ッ!」

 咄嗟に地面を転がり回避するパンダ。外した斧が地面に激突し、凄まじい衝撃とともに地面に大きな亀裂が走る。


「……あなた……」

 標的にされているはずのパンダが浮かべた表情は、焦りではなく驚愕。

 この騎士の登場に誰もが混迷に囚われる中――パンダは一人だけ、全く別の事象に驚いていた。

 パンダの視線は、未だ素顔の知れない謎の騎士に注がれていた。


「……やっぱり。見間違いじゃなかったのね。……そう、あなたが……この迷宮の亡霊なのね……」

「パンダ、何してる! 早く逃げろ!」

「逃がすかッ!」


 ホークとリュドミラも動いた。

 ホークはパンダを援護するために。リュドミラはパンダを殺すために。

 あの騎士が出てきた以上、この二人の戦闘も意味がない。

 パンダ達はこの場から離脱することだけを狙い、リュドミラ達はそれまでにパンダを抹殺できるかが勝負。


 だがパンダだけは、全く別の観点で戦いの行方を見ていた。


「ホーク、この騎士に矢を射って!」

「――!」

 突然のパンダの指示に、ホークは意味を理解するよりも行動に移した。


 素早く矢を構え、パンダに襲い掛かろうと駆け出す騎士に向けて、破魔の矢を放った。

 騎士は獰猛な獣のようにパンダに接近し、今にも斧を振り下ろそうとしていたが、それでも飛来する破魔の矢に瞬時に反応した。


 振るわれる両刃の斧。奇襲気味に放たれた破魔の矢を苦も無く斧の刃が撃ち落とす。



 ――その瞬間、世界が崩壊した。



「がっ――!?」

「うぐ……!」

「なに――ッ!?」


 その場にいた全員がその異常に晒された。

 脳を突き刺すような激しい耳鳴り。視界がグニャリと歪み、平衡感覚を失いまともに立っていることも困難になった。


 誰もが頭を手で押さえて悶絶し、次々と地面に崩れ落ちていく。

 パンダも、ホークも、リュドミラも、そして謎の騎士すらも。

 力も種族も関係なく、誰もが耐え難い不快感に苦悶の声を漏らし、地面をのたうちまわった。


「な――んなん、すか、……これぇ!?」

「あ、あああ、い、やぁあああ!!」

「くっ、う、ぐうあああ!?」

 キャメルも、ルゥも、インクブルも、テラノーンも。彼女たちは自分の視界が歪んでいるのだと感じた。

 目に移る景色が波打つように揺れ、有り得ない形に歪んでいる。


 ……が、次第に幾人かが気づき始める。

 視界だけでなく、のだと。


 実際に。物理的に世界が歪んでいた。

 地面が。家が、壁が。まるで粘土のようにグニャグニャに形を変えて波打っているのだ。

 まさに世界が崩れるがごとく異次元に飛び込んだような視界の中――パンダの青の魔眼がギラリと一点を睨んだ。


「――!」


 崩壊した世界を、パンダが覚束ない足取りで歩き出す。

「ホーク! キャメル! 来て! 私の手を取って!」

「パン、ダ……!?」

「ルゥも! !」


 その言葉を聞き、その場にいる者全員が驚愕の表情を浮かべた。


「マジっすか、姐御!?」

「早く! 時間がない!」

 パンダが必死に歩き辿り着いたとある地点。

 何の変哲もないただの廃虚の街の一箇所。だが、その空間に手を伸ばしたパンダの左手が――ずぶり、とどこかに消えた。


「――!?」


 まるで空間そのものに穴が空いているかのように、パンダはどこか別の場所に繋がる『亀裂』を見つけたのだ。

 それを見た者たちが動き出す。

 パンダに呼ばれた三人は、グニャグニャと揺れる世界を懸命に歩く。

 固いはずの地面が、まるで水に浮かべた布を踏むような覚束ない感触。揺れる視界に鳴り響く耳鳴り。

 パンダまでの距離はわずか数メートルしかないというのに、それだけの距離を進むのに信じられないほどの精神力を要した。


「ふざけ、るな――逃がすかぁ!」

 リュドミラが魔力弾を連射した。

 ただでさえ平衡感覚が失われた中、崩壊する世界に目がけて放たれた魔力弾はほとんどがあらぬ方向に飛んでいく。

 が、その内の一つが、パンダの元へ集結していた集団に命中した。


 悲鳴と共に四方へ飛ぶ面々。

 立ち上る粉塵の中、パンダはそれでも懸命に右手を伸ばす。

 ――その右手を、誰かがしっかりと握りしめた。


 やがて崩壊し切った世界は、真っ白な眩い光に包まれた。











「――――――――っ」

 唐突に夢から覚めるように、ホークの意識は覚醒した。

 伸ばしていた右手が虚空を掴む。


「パンダ……」

 彼女まであと数歩というところまで歩み寄っていたホークだったが、そこに割り込んだリュドミラの魔力弾に阻まれ、結局パンダまでは辿り着けなかった。


 周囲を見回すが、パンダの姿はない。

「……」

 いや、パンダどころか誰の姿もなかった。

 リュドミラも、インクブルも、あの騎士も。

 誰の姿もなく、目の前には先程と同じ、暗い廃虚の町が広がっているだけだった。


「……」

 無意識の内に魔法銃に手を伸ばす。

 音響弾を撃とうとした右手を、理性で押さえつけた。


 音響弾を鳴らせばパンダやルゥに自身の位置を知らせることができるが……同時にリュドミラやあの騎士にも伝えてしまう。

 状況が全く飲み込めていない今、そんなリスクを冒すことはできない。


 ……それに、おそらくパンダはもうこの町にいない。


 何故かそんな確信がホークの中にあった。

 あの瞬間……世界が崩壊していく最後の時、ホークは目撃した。

 パンダが誰かの手を取って、亀裂に吸い込まれるように姿を消したのを。


 迷宮から脱出できるかもしれないとパンダは言っていた。

 その言葉通りであれば、パンダは本当にこの場から抜け出すことに成功したのかもしれない。


「……なんなんだこの迷宮は……何が起こっているんだ」

 何度目か分からない呟き。ホークには何が何だかさっぱり理解できなかった。


 ……が、おそらくパンダは違う。

 あのとき、パンダは明らかに明確な目的意識をもって行動していたように見えた。

 襲い掛かってきた騎士を目にし、何かに気づいたパンダは、ホークに破魔の矢を放つように指示した。

 その後世界が崩れた際も、何かを見つけて歩き出し、それが迷宮の脱出に繋がると予測を立てていた。 


「お前には……何が見えていたんだ、パンダ」


 思案に浸り始めたホークは、すぐに意識を切り替えた。

 今すべきことはそんなことではない。


 周囲は変わらず廃虚の町。

 だが先ほど戦闘を行った場所ではない。別の座標に飛ばされている。

 ホークだけがそうなったとは考えづらい。おそらくあの場にいた者たちはそれぞれ別の場所に飛んだと考えるのが自然だ。


 ならば脅威は変わっていない。リュドミラも、あの騎士も、変わらずまだこの町にいる。

 ホークは素早く建物の影に身を隠し、廃虚の町を進んだ。


 目的地は決まっている。北東にあるあの宿屋だ。

 シラヌイがあの宿屋で待機している。インクブルがまだこの町にいるのなら、間違いなくあそこに戻るだろう。


〝――あなたが……この迷宮の亡霊なのね……〟


 あのとき、そう呟いたパンダの視線は……騎士ではなく、インクブルに向けられていた。

 それがどういう意味なのかはホークには分からない。

 だが、インクブルがきっと何かを知っている。


 『魔族を裏切った魔人』だと言われていた男。

 この迷宮の中にあって、ここを迷宮だと認識しておらず、しかし森と廃虚の町、そのどちらにも出現した男。


 間違いなく、あの男がこの迷宮の鍵を握っているはずだ。






「――うっ……」

 激しい立ち眩みをなんとか堪え、パンダはゆっくりと瞼を開いた。

 ぼやける視界の中、パンダは懸命に周囲を見回した。

 すると、近くに誰かの気配を感じた。


「ホー、」

「――出れた! 出れたっすよ!?」


 そこにいたのはキャメルだった。


「姐御、姐御ぉ! 見てくださいよ! 遺跡っす! あの遺跡っすよ!」

「遺跡……?」

 徐々に明瞭になってきた視界で周囲を見回すと、そこは確かに『シュティーア遺跡』の内部だった。

 あの迷宮の通路のように整った作りはしておらず、剥き出しの岩や土がそのまま壁になっている、あの遺跡に間違いなかった。


「やったっす! さすが姐御っすよ、ほんとにあの迷宮から脱出できたっす!」

「……まったく。誰かの手を掴んだ感触があったから、ホークかと思ってたら……あなただったのね」

「な、なんでそんなにガッカリしてるんすか!?」

「別に……あなたのその生に対する執念に感服しただけよ」


 やれやれ、とパンダは肩を竦めながら、シュティーア遺跡の地図を取り出した。


「戻りましょう。地上に出れるか確認しないと」

「大賛成っす! さっさとこんなやばい遺跡出るに限るっすよ」


 いつになく興奮気味のキャメルは、遺跡の出口に向かって駆け出していった。




「――ウッヒョー! 外っす! 夕日っすよぉ! 夕日サイコー!」

 奥へ進んだときと同じく、戻る道でも何の障害もなく二人は遺跡の出口まで到達できた。

 沈みかけた夕日が、それでもずっと地下や夜の町にいた二人には眩しかった。


「しっかしどうやって出れたんすか? 姉御はあの迷宮のこと、なんか分かったんすか?」

「……まあね。あの迷宮で『何が起こってるのか』はだいたい分かったわ」

「やっべ、やっぱ頭いいっすね姐御。マジリスペクトっす!」

「でもまだ根幹のルールについては把握できてない。それが分からないとあの迷宮は攻略できない」

「攻略って、何言ってんすか姉御。そんなのもうどうだっていいじゃないっすか。あたし達もう脱出したんすよ? あんな迷宮なんてもう金輪際――――え、まさか、姐御……?」


 信じがたい予感を感じ取り、恐る恐るパンダの顔を覗き込むキャメル。

 そしてその予感は正しかった。

 パンダの顔には迷宮から抜け出せた安堵感などは微塵もなく、むしろ逆。

 挑んでいた高い壁……その牙城につけ入る罅を見つけたような、そんな笑み。


「姐御、まさかとは思うんすけど……もう一回あの迷宮に潜るとか……言わないっすよね?」

「キャメル、一緒に出てきた以上はあなたにも働いてもらうわよ」

「う、嘘っすよね!? せっかく脱出できたのに!」

「命令よ」


 血の盟約を結んだ主人による、命令の強制。眷属であるキャメルにそれを覆す手段はなかった。


「あなたはまずギルディアに戻ってちょうだい。そしてジャンズ・レフトに行って、数日以内に『レッドスピア』をこの街に届けるように依頼してちょうだい。私に変装していいわ」

「え、でもあの銃ってまだ一週間以上かかるって……」

「それをなんとかしなさいって言ってるの。次にあの迷宮に戻ったときに、ホークの魔断が絶対に必要になる」


 それに関してはキャメルも同意するしかなかった。

 あの魔人たちとの戦闘で魔断が使えなかったことは悔やんでも悔やみきれないほどだった。

 ルイスの弓があったからこそなんとかなったが、それも残り少ない。

 ホークには魔断の射手の力を取り戻してもらう必要がある。


「そのあとは、あなたが必要だと思う装備を揃えなさい。ちょうどトラップの素材も尽きてたしね」

「その間、姐御はどうするんすか?」

「オリヴィアのところに行くわ。あの遺跡について、あの子には詳しく聞く必要があるからね」

「ぶっ殺しに行くんすか!? あたしも行きたいっす!」


 シュティーア遺跡に魔力溜まりがあると言ってきたのはオリヴィアだ。

 実際にはそんなものはなかったばかりか、謎の迷宮に迷い込む羽目になった。キャメルにしてもオリヴィアには晴らし難い恨みがあった。


「そんなわけないでしょ。私たちが死んでたらオリヴィアだってデスサイズを回収できなくなるのよ?」

「あー……まあ、そうっすね」

「ただ、事情は聞かないといけないわ。オリヴィアなら何か知ってるかも。……それに、考えたい」

「考える? 何をっすか?」

「もちろん、あの迷宮についてよ。今持ってる情報はどれも断片的なものだけど……組み合わせればきっと何か全体像が見えてくるわ」


 そう語るパンダの様子は、あくまでも嬉々としたものだった。

 そんなパンダを見遣って、キャメルは心底うんざりしたように嘆息した。


「姐御……あくまでもあの迷宮を攻略するつもりなんすね……」

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