第128話 迷い人たち


 パンダとキャメルが廃虚の町を去ってから一四時間が経過していた。

 それだけの時間が経って尚、町は驚くほどに静かだった。数人の者たちがいるにも関わらず、町はどれだけ耳を澄ませても物音一つしない静寂。

 それは彼らが意図的に、自身が立てる物音を慎重に殺していたからだった。



 ホーク、ルゥ、インクブル、シラヌイ、リュドミラ、シェンフェル、テラノーン、そして謎の騎士。

 この八名が現在、廃墟の町を彷徨う者たちだ。

 そしてあの戦闘の後、世界が崩壊し、パンダとキャメルが迷宮から脱出してから……気付けば、各自はそれぞれ別の場所に移動していた。


 誰一人として誰かと同じ場所に飛んだ者はいなかった。

 一人一人。個別に廃虚の町の一つの座標から出発し、各自がそれぞれの目的を持って行動を再開した。


 だがその歩みは誰しもが極めて遅かった。

 何故なら、たった一人であの謎の騎士と遭遇したが最後、それが自身の死に繋がると理解できていたからだ。

 更に言えば、脅威はあの騎士だけではなくなった。


 ルゥ、インクブル、シラヌイは言うに及ばず、シェンフェルとテラノーンにとってもそれは言える。

 騎士を除く七名の中では最強のはずのリュドミラと、ホークは一人で渡り合った。であれば、シェンフェルとテラノーンではホークが相手では分が悪い。

 一人きりで放り出された今の状況では、彼らは逆に追い詰められる側。ホークと出会わないように警戒しなければならない立場となった。



「……探知魔法は……使えない」

 シェンフェルは木の影に身を隠しながら呟いた。

 探知魔法を使えば味方と合流できる可能性は高まるが、一方でホークや騎士と遭遇してしまう可能性も高まる。

 更に、仮に探知が成功して何者かの座標を割り出せたとしても、それが誰のものなのかを特定できない。結局その座標には近づけないのだ。

 今は身を隠して、運よく味方と合流できるのを待つしかなかった。



「アッシュ……ルイス……あぁぁ……なんで、やだよ……もういやぁ……!」

 目の前で二人の仲間を殺されたルゥは、一人になったことで完全に心が折れてしまっていた。

 せめてホークが傍にいればまだ平静を保てたかもしれないが、暗い廃虚の町で正気でいられるほど彼女は強くなかった。


 ルゥは朽ちた家屋の中に身を隠し、膝を抱えて恐怖に震えていた。

 合理的に考えれば、先程ホーク達と潜伏していた北東の宿屋を目指すべきだが……ルゥにはそれができなかった。

 一歩でも小屋から足を踏み出せばあの恐ろしい魔人たちや騎士が目の前にいるかもしれないと思うと、どうしても足が動かなかった。

 今はただ、ホークが偶然この小屋に入ってきてくれることを祈るしかなかった。



「あの騎士……確かに尋常な強さじゃないね」

 テラノーンもまた一人で廃虚の町に息を潜めていた。

「まったく……いきなり変なことに巻き込まれちゃったよ」

 彼はインクブルを追ってこの町に来たが、あんな者たちがいるなどとは思いもしなかった。

 少なくともインクブルは間違いなくこの町にいるということが知れただけでも収穫はあったが、そのインクブルも結局はあと一歩のところで仕留め損なった。


 テラノーンと同じく、この任務にあたっていた数人の仲間がいたのだが、今では何故か連絡がつかなくなっている。

 マジックアイテムも、スキルも、どれを使おうとも仲間と繋がることはなかった。おそらくはあの見えない壁のせいで遮断されているのだと思うが、何にせよ奇妙な状況が続いていた。


「いくらなんでもあの騎士やエルフと真っ向から戦うわけにはいかないよね……」

 魔人としてそんな弱気な考えは認めたくはないが、事実としてあの二人は今のテラノーンには倒しがたい相手だ。

 なんとかしてリュドミラかシェンフェルと合流したいが、この町の静寂ぶりを見る限りでは、彼女らも闇に潜んでいる最中のようだ。

 この根競べはまだしばらく続きそうだと、テラノーンは辟易した。



「……残り三人か……いや、二人、と考えた方がいいか」

 リュドミラは徐々に追い詰められている現状に頭を抱えたくなっていた。

 平均レベル64レベルの魔人四人パーティ。

 相手は脆弱な少女と、エルフの勇者。負ける要素はないと侮っていたが……実際には、今や四人の内二人が死亡した。

 それもチームの中でもリュドミラに次いで実力者だったアリアシオが死に、次にチームの頭脳とも言うべきアドバミリスが死亡した。


 探知魔法が使えるシェンフェルが生き残っているのは幸いだが、戦力的には当初よりも大きく下がった。

 テラノーンもまた生き残っているはずだが、先の戦闘では彼は自身の標的にかかりきりでほとんど役に立たなかった。


 あのエルフは強敵だ。魔族殺しのスキルを有しているだけではなく、単純に戦い慣れている。

 近接戦が不得手なはずのエルフ族でありながら、モンクであるリュドミラと僅かな時間とはいえ白兵戦で渡り合ったのだ。


 そしてあの紫の少女も、実際のレベル以上に厄介な相手だと分かった。剣士であるアドバミリスを相手にあそこまで凌ぎ切る剣技は目を見張るものがある。

 何よりも、あの騎士……やはりどうしてもアレが障害として大きすぎる。

 あの騎士が一人いるだけで、ほんの小さな迂闊が命取りになる。


 今もそうだ。今すぐにでも町を捜索し、シェンフェルやテラノーンと合流するか、あるいはあの紫の少女を見つけ今度こそ仕留めたいところだが……逆にあの騎士と遭遇してしまったら、と考えると大胆に動けない。

 シェンフェルも同じ考えのようで、あれからしばらく経つが探知魔法が放たれた気配はない。それは当然の慎重さであると同時に鈍重な判断でもある。

 そんな判断を強いられている……つまり、追い詰められているという焦燥感がリュドミラの精神を苛む。


 それに、他にも気になることがある。

 あのとき……世界が歪んだあの瞬間、紫の少女がどこかに消えたように見えたのだ。

 『この迷宮から脱出できるかもしれない』とあの少女が叫んでいた。

 もし本当にその言葉通りであれば……最悪の場合、リュドミラ達はまんまとあの少女を取り逃がしてしまったということになる。


 それを確認したいが、そのためにはシェンフェルの探知魔法が必要だ。

「……クソ」

 なんとかしてシェンフェルと合流しなければならない。が、軽率な動きもできない。

 このままでは一日、二日と時間が経過してもおかしくない。

 この間にもあのエルフ達が合流を果たし、戦力を整えているかもしれないと考えると……リュドミラの焦りは更に増していった。



 ――そしてそのリュドミラの懸念通り、それから一時間後、ついに合流を果たした一組があった。

 それが、インクブルとシラヌイである。


「インクブル様!」

 北東の宿屋に帰還したインクブルをシラヌイが出迎えた。

 インクブルは全身に傷を負っており一目見て重傷だった。ホークの援護があったとはいえ、実力差が大きいテラノーンとの戦いで負傷した傷は深かった。

 シラヌイが慌ててインクブルに駆け寄り、今にも倒れ込みそうなインクブルの身体を支えた。


「ご無事ですか、インクブル様……!」

「ああ……大丈夫だ。お前の方こそ、何も異常はないか?」

「先程、何か……酷い眩暈というか、世界が歪むような錯覚がありましたが……」

「それは大丈夫だ。俺も同じ目に遭った。……ホークは来ていないか?」

「はい。インクブル様だけです。戦闘音が聞こえましたが……」

「追手の魔人が来ていた。ホーク達と一緒に戦ったが、あれからどうなったかは分からない」


 インクブルにとっても、あの時起きた出来事を正確に伝えることは難しい。

 だが重要なのは、二人を狙う魔人がおり、この町に来ているということだ。

 もうこの町に留まることはできない。今すぐにでも町を離れる必要がある。


「シラヌイ、準備をしろ。この町を出る」

「し、しかしインクブル様、その傷では……」

「気にするな。それよりも追手から逃げる方が――――ッ! 静かに、誰かが来る」


 宿屋の階段を上ってくる足音。

 二人は咄嗟に部屋の影に身を隠す。が、足音が迷いなく二人がいる部屋に向かっていることで、インクブルはむしろ安心感を覚えた。

 ここに二人がいることを知っている人物は、味方である可能性が高いからだ。


「――ホークさん!」

 部屋を訪れた人物を確認し、シラヌイが嬉しそうに声をあげた。


 現れたのは赤い長髪のエルフ、ホークだった。

 今のインクブル達にとって最も頼りになる存在だ。


「……」

 ホークは鋭い目つきで二人をじろりと眺めた。


「二人だけか」

「ああ。俺も今来たところだ。ここには他に誰も来ていないらしい」

「そうか。好都合だ」

「……? どういう意味――ガッ!?」


 ホークはインクブルの胸倉を右手で掴み上げると、そのまま地面に引き倒した。

 何事かと瞠目するインクブルの眉間に、左手に持った魔法銃の銃口をぴたりと当てた。


「ほ、ホークさん、一体何を……!?」

「銃は知らないだろうが、あの戦闘を見ていたならこいつがお前を殺すには十分な武器だというのは理解できているな?」

「や、やめてくださいホークさん!」

「よせシラヌイ、動くな! ……ホーク、どういうつもりだ」


 銃口を突き付けられ、冷や汗を額から流しながらも、インクブルは出来るだけ声を落ち着かせてホークに尋ねた。


「どういうつもりだと? こちらの台詞だ。貴様、魔人なのか」

「……」


 シラヌイが驚いたように目を見開き、インクブルがバツが悪そうに視線を逸らした。


「ほ、ホークさん……どうして」

「さっきの戦闘で、追手の魔人が俺をそう呼んだんだ。……ホーク、お前の考えているとおりだ。……俺は、魔人だ」

「こっちの女もか」


 ホークがシラヌイを横目で見遣りながら尋ねると、インクブルは首を横に振った。


「違う。彼女は人間だ」

「……」


 ガチリ、と二人を威嚇するように魔法銃の撃鉄を起こすホーク。

 魔法銃の存在は知らなくとも、その無機質な音はそれだけで二人に恐怖を与えた。


「本当ですホークさん! 私は人間です!」

「魔人と人間が仲良く二人旅だと? ふざける――ッ」


 言いながら、ホークは自分が言えた義理ではないと嘆息した。

 自分など、元魔王と勇者のコンビだ。他人の組み合わせをとやかく言う資格はない。


「……知っていることを全て教えろ。貴様らは何者だ。何故魔人に追われている。何故魔人だということを黙っていた。この迷宮はなんだ……!」

 聞きたいことは山ほどあったが、どれから聞けばいいか分からなかったので思いついた端から質問を投げた。


「……迷宮? 何のことだ」

「シュティーア遺跡だ。そこに入ると迷宮に迷い込み、時間が経過するとまた別の場所に飛ぶ。お前たちはその迷宮からこの町に来たんじゃないのか」

「……何を言ってるんだ?」


 煩わしそうにホークは舌打ちを一つ飛ばした。

 これに関してはインクブルが悪いわけではない。あの遺跡で起こったことをそのまま伝えると、誰であれこういう反応になるのは仕方なかった。


「迷宮について何も知らないんだな?」

「……知らない。本当だ。何のことを言ってるのか分からない。俺達は普通に西大陸を南下してきた」


 見ると、シラヌイがインクブルに同意するようにコクコクと必死に頷いていた。


「……ではこの町を出て北に向かうと何がある」

 ホークは質問を変えた。

 もしシュティーア遺跡からこの町に飛んできたのであれば、この質問には答えられない可能性が高いが……。


「湿地帯だ。山で囲まれていて、北にある河から水が流れ込んできて水が溜まってる。リザードマンが生息していた」

「…………」


 インクブルは即答した。それが出まかせではないとは断言できないが、少なくとも返答に迷う素振りは見せなかった。


「何故魔人だということを黙っていた」

「言えるわけがないだろ。言えば……こうなっただろ?」


 自身に突き付けられている銃を指さすインクブル。

 それを心配そうに見つめるシラヌイも、ホークに怯え切った様子だった。

 ホークが自身よりも強者だというのは出会った最初の一幕で理解できたはず。であれば自身が魔人だなどと打ち明けたくないというのは当然の理屈に思えた。


「では貴様らの関係は? 何故魔人と人間が二人で旅などしている。しかも魔人から命を狙われながら」

「……それは……」


 ここまでホークの質問にはすぐに答えていたインクブルが、そのときは初めて返答を迷う素振りを見せた。


「答えろ。こっちは仲間を一人殺された。他の二人もどこかに消えた。もう戦えるのは私とルゥだけだ。一人でも戦力が欲しいが、その頭数に貴様を入れていいか判断させろ」

「……答えるのは簡単だ。だが……信じてもらえるとは……」

「それは私が決める。さっさと言え。お前たちの関係はなんだ」


 インクブルがちらりとシラヌイを見る。

 シラヌイはこくりと頷いた。それを見て、インクブルは諦めたように肩の力を抜いた。



「……夫婦だ」



「…………は?」

「俺たちは……夫婦なんだ」

「……」


 冗談かと思いシラヌイを見ると、シラヌイもまた真剣な面持ちで頷いた。


「……人間と、魔人の、夫婦だと……? 結婚しているのか? そんなことが許されるのか?」

「エルフであるお前ですらそう思うんだ。魔人の社会で受け入れられるはずがない。だから正式に結婚はしていない。だが……愛し合っている。生涯を共に生きると誓った」

「……」


 そう言われてもまだ信じられないホークに、今度はシラヌイが割って入った。


「本当ですホークさん! 私は……インクブル様の子供を産みました」


 シラヌイの言葉に、今度こそホークはそれが真実だと受け入れるしかなくなった。

 口先だけのごっこ遊びではない。二人はその愛の証として子供を残しているという。


「だから魔人に追われているのか? 異端者だと」

「……違う。そんなことでここまで執拗に追ってきたりしない。俺達の子供が……全ての原因なんだ」

「子供はどこだ。何故一緒に行動していない」

「あの子は人間に預けている。今は東大陸の果てにいるはずだ」

「東大陸の果て……後のルドワイアか。お前たちが目指している場所もそこだったな」

「ああ」

「……そうか」


 つまり二人はただ安息の地を求めて旅をしているわけではなく、生き別れた子供と再会するためにも、魔人に追われながらも世界を渡り歩いているということだ。


「…………」

 しばらく考えて、ホークはインクブルから手を放し解放した。

 ホークが魔法銃をホルスターに仕舞うのを見ると、シラヌイが慌ててインクブルに駆け寄った。

 その様子からは、確かに愛する者の安否を思う妻の姿が垣間見えた。


「信用してもらえたのか?」

「それはまだだ。だがひとまず銃は仕舞ってやる。質問の続きだ、お前たちは何故魔人に追われている。お前たちの子供がどう関わってくる」

「……人間がどうやってレベルシステムを手に入れたか、知っているか?」


 逆に問い返されるホーク。

 それが今の話とどう関係しているのかが分からなかったが、ホークはとりあえず問いに答えた。


「? とある人間が、魔人から『魂を操る術』を奪い、体系化したと」

「……そう伝わっているのか。それは正確な情報じゃない」

「――まさか」


 ハッ、と息を呑むホークの予想を、インクブルは首肯した。


「俺達の子供は、半人半魔……魔人と人間のどちらの性質も併せ持った子供だった。『魂を操る術』を『人間の魂』に対して行う……それが可能だと、あの子は証明してしまった」


 ホークは先程のインクブル達との会話を思い出した。

 インクブル達はホークからみて過去の世界の魔人だ。そしてその時代は、三〇〇年前。

 それはまさに……人類がレベルシステムを獲得した時期とぴったり重なる。


 ホークは頭の中で辻褄が合うのを感じた。



「俺達が魔人に追われている理由が、それだ。――人類にレベルシステムを広めてしまったのは……俺達なんだ」

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