第140話 対峙


「……ホークの旦那、随分遅いっすね」

 シュティーア遺跡の最深部から少し離れたところで待機していたパンダ達は、ホークからの合図をずっと待っていた。

 だがその合図が一向に聞こえてこないことに、キャメルが不審そうに呟く。


「迷ったりしてないっすよね?」

「この遺跡はそんなに複雑な構造じゃないわ。シラヌイから何か聞き出せてると期待しときましょ」


 落ち着いた様子で遺跡の壁にもたれかかっているパンダを、少し離れた位置からリュドミラが静かに観察していた。

 今は共闘関係を結んだとはいえ、リュドミラにとってパンダが重要な抹殺対象であるのは変わらない。

 その最大の障害であるホークもこの場にはおらず、リュドミラがその気になればいつでもパンダを殺せる。だというのにこの落ち着き様は、よほどの度胸がなければできないだろう。


「……」

 度胸と言えば、オリヴィアもそうだ。

 オリヴィアもまた、近くにあった岩に腰を下ろして静かに思案に耽っている様子だった。

 迷宮の怪奇現象を体験しているリュドミラ達とは違い、オリヴィアにとっては迷宮の話などにわかには信じがたい眉唾な話のはずだ。

 だがオリヴィアはそれを信じ、また自分が迷宮によって作り出された亡霊に過ぎないという話も理解していた。


 そして、迷宮の攻略のためには自身が死ぬ必要があるということもすんなりと納得し、遺跡の奥からホークの音響弾が響けば、すぐにでも死ぬ準備はできている様子だ。

 リュドミラも魔人として、自らの命を擲つ覚悟はある。だがパンダもオリヴィアも、そんな矜持とは別の次元でこの迷宮を見据えている。

 深遠な思慮を有する者たち。彼女らはリュドミラのような一介の魔人では辿り着けない境地に生きていると感じさせた。


「……」

 パンダは気にするなと言ったが……パンダが何者なのか、やはりリュドミラは意識せずにはいられなかった。

 いや、むしろリュドミラの頭の中を巡る思考はそればかりだった。今は迷宮を攻略することに集中すべきだと何度改めても、どうしても払拭できなかった。

 今のところ、パンダの人物像として該当する魔人はたった一人だ。


 四代目魔王、フルーレ。

 この少女が本当にその人物であるのなら……リュドミラは、自身がどうすべきか判断しかねた。

 パンダが言う通りそんなことは気にせず、カルマディエからの命令を遂げることだけ考えるべきなのか。

 だが、四代目魔王は魔人にとってただの魔王ではない。

 史上最強の魔人。僅かな年月でいくつもの逸話を築き上げた、生きる伝説だ。

 そんな魔人を、こんな形で殺していいのだろうか?


 答えの出ないまま、リュドミラの思考は堂々巡りを続けた。


「――あら? 戻ってきてる?」

 不意にパンダが言った。

 耳を澄ますと、確かに遺跡の奥からかすかに足音が聞こえてきていた。


 そこはホークが向かった先だ。ホークは遺跡の最奥で待機し、そこでこの遺跡を終えることで『空白地帯』に進入する手筈だった。戻ってくるとは考えづらいが、確かに足音が聞こえてくる。


 やがて遺跡の奥から、ホークと……一人の女性が姿を現した。

 女性は血まみれで自分では動けないのか、ホークに抱きかかえられていた。


「あれ、どうしたんすかホークの旦那。誰っすかそいつ?」

「……うまくいったようだな」

 ホークはパンダ達がその場に存在していること……そして、傍らの女性とパンダ達が顔を合わせられていることを見て満足そうに頷いた。


「オリヴィア以外は会ったことがないんだったな。彼女はシラヌイ。神器に選ばれたもう一人の勇者だ」

 ホークの紹介に、全員の視線がシラヌイに集中した。

 その中でもパンダは人一倍シラヌイを凝視していた。


「この子が、シラヌイ?」

「そうだ」

「……そう。似てるわね」

「……?」

「なんでもないわ。それより、これはどういうこと? 私たち魔族はシラヌイには近づけないんじゃなかったの?」


 その疑問はこの場の誰もが抱いていたものだ。

 ホークの腕の中で、シラヌイは弱々しい声を放った。


「それについては、私からお話しします。この迷宮を攻略するための、最後の鍵を」






 シラヌイを地面に降ろし、壁に背中を持たれかけさせた。

 ホークが戻ってきただけでなく、まさかシラヌイを連れてきたことに驚いた面々だったが、シラヌイの話を聞いて納得した様子を見せた。


 今のシラヌイは既に神器の所有者となっており、各回帰迷宮のシラヌイの記憶を共有していること。

 パンダの予想の内、当たっているものと外れているもの。

 迷宮の法則や、迷宮が生まれた経緯などはパンダの予想通りだったが、逆に攻略法については若干の甘さがあることなども伝えた。


 シラヌイが眠っている『空白地帯』に進入し、そこにいるシラヌイを殺すだけでは迷宮が異常をきたす危険があるという話を聞いたときは、パンダも興味深そうに何度も頷いていた。


「……本当にツイてたわね。転移した回帰迷宮がこの遺跡じゃなかったら、この情報は得られなかったわ。危うく危険な順序で迷宮を攻略しちゃってたかもしれないわね」

「インクブルの願いは、誰もシラヌイには近づけない、というものだ。迷宮も、転移の結界も、その願いが具現化したものということだ」

「つまりこの迷宮の然るべき停止手順としては、インクブルがシラヌイが死んだことを認識しないといけないわけね。その順序を無視すると、まずいことが起こる可能性がある……か」


 そのときに何が起こるのかは誰にも分からない。

 当然ながら、前例がないためだ。故にこれは事前に検証することができないリスクということになる。

 失敗の許されない攻略において、そういう不確定要素は最も大きな障害になり得る。


「あり得るだろうね」

 シラヌイの懸念を、この手の話に最も精通しているオリヴィアは肯定した。


「聞いた話だと、その神器にそこのエルフが反魔力をぶつけて迷宮が崩壊したことがあったんだろ?」

「ええ。そのときに私の魔眼が亀裂を見つけて、それで迷宮から脱出できたの」

「ってことは、この迷宮も多少なり魔力的な要素で構成されてたってことだろうね。魔力を見通す魔眼で見破れなかったんなら、世界の裏側……バックグラウンドの部分にね」

「そう考えると、あれも相当危険な賭けだったのね。危ない危ない」

「危ない危ない、じゃないっすよ姐御! もし失敗してたらあたしまで巻き添えくらってたんすよ!?」


「で、オリヴィア。正しい順序を踏まずに迷宮を終わらせるのはそんなに危険なのか?」

「そりゃものによるさ。だが聞く限りじゃ、その神器とかいう斧は相当な出力を持ってるようだし、同時に規則正しいルールに則って稼働してる。魔術の分野で考えるなら、その手の精密な術式ってのは、小さな綻びで驚くような誤作動を引き起こすものだ。それこそ、全員吹っ飛んでも不思議じゃないさ」

「吹っ飛ぶ……?」


「大きな家に閉じ込められてるようなもんだと考えな。インクブルを直接倒すっていうのは、いうなればその家を支えてる主柱を壊すようなもんだ。そうすればこの迷宮は形を保てず崩壊する」


「……そうなれば脱出自体は可能だが、瓦礫に押し潰されるリスクもある……か」

「正しい順序を踏むっていうのは、ちゃんと玄関から出ていくって話さ。でも今は鍵がかかってる。だから、その鍵をインクブルに開けさせる必要があるのさ。『シラヌイは死んだ』、とインクブル自身に認めさせることでね」

「あーもうマジややこしいっすねこれ! 結局あたしらは何をどうすればいいんすか?」


 キャメルが苛立った様子で髪をかきむしる。

 迷宮の細かい原理や法則を解き明かして楽しんでいるのはパンダやオリヴィアだけで、他の者たちはもっと端的に、自分たちの動き方を知りたがっていた。


「まず、シラヌイがこうして私たちと合流できていることから、『今のシラヌイ』も多少なり神器の力に影響を与えることができるようね。今の時点で『シラヌイに近づけない』という法則は無効化されたと考えていい」

「『空白地帯』にも入れるということか?」

「多分ね。予定とは違うけど、抜け道を使わずに真っ当に『鍵』を開けられたと考えましょ。あとやることは、インクブルにはこの場所に来てもらわないとね。そしたらオリヴィアに死んでもらう」


「まったく、簡単に言ってくれるよ」

「オリヴィアが死んだらこの遺跡は終わるから、インクブルと一緒に全員で『空白地帯』に進入。そこには本物のシラヌイがいるはず。ねえシラヌイ、本物のあなたはどういう状態なの?」

「……分かりません。回帰迷宮が終わると、インクブル様が作り出した迷宮に一度戻ります。そのときに私は回帰迷宮で経験した記憶を見ていますが、それ以外の情報は知りません。皆さんが経験した迷路構造の迷宮というのも、私は見た事がないんです」


「オリヴィアの予想通り、仮死状態なのかしらね。ずっと眠って、神器が作った回帰の夢を見てるのね。まあ、なら話が早いわ。私たちは『空白地帯』で眠ってるシラヌイを、インクブルにも分かるように殺す。そうしてインクブルにシラヌイの死を認識させるわ」

「……」


 あっさりと言い放つパンダに、ホークが小さく顔をしかめた。

 シラヌイ本人から承諾を得ているとはいえ、愛する妻の死をわざわざインクブルに見せつけるという悪辣な手段に、ホークは生理的な嫌悪感を感じていた。

 だがこの場でそう感じているのはホークだけのようだった。魔人連中は言うに及ばず、キャメルもまたその程度の非道な行いは平気な外道だ。

 まるで自分こそが場違いな錯覚すら抱き、ホークはつくづく人間や魔人といった種族とは相容れないと痛感した。


「――」

 そのとき、パンダと目が合った。

 すぐにホークは視線を逸らしたが、流暢に説明していたパンダの口が止まる。


「……」

 ……心のどこかで、パンダだけは他の魔人とは違っていてほしいという期待感があったのをホークも自覚していた。

 だが、パンダは決して正義感の強い人物ではない。いや、その本質はむしろ逆。

 自己中心的という意味では悪の素養を十分にもつ元魔王だ。

 迷宮を攻略するためなら、インクブルとシラヌイなどどうとでも犠牲にできる存在だろう。


 ホークがあの二人に固執してしまっているのは、この中で唯一ホークだけがあの二人と数日間を共にし、その心の内を明かし合った間柄であるからだ。

 他の者たちにとってはインクブルとシラヌイはほぼ初対面も同然。気に掛けるだけの情も無いだろう。


「――さっき私は、この迷宮を攻略する方法として『インクブルかシラヌイのどちらかを殺す』ということを言ったけど、それは正確ではなかったわ。正しくはその二つは同じ扉の鍵だったのね。迷宮にゴールが一つしかないのと同じで、辿るべきルートもやっぱり一つしかなかったみたい」

「どうでもいい。やるべき手順だけ教えろ」


 冷たく突き放すホーク。

 別にパンダとて、楽しくてインクブルの前でシラヌイを殺すわけではない。それがこの迷宮に用意された、迷宮を攻略するための唯一のルートなのだ。

 ……と、まるでホークに対して釈明をしているように見えて、ホークはことさら不快になった。


 本当に必要なことだと割り切っているのなら堂々としていればいい。

 なのに、まるでホークの機嫌を損ねないように媚びているようなパンダの態度が気に喰わなかった。


「……そうね。シラヌイを殺せば、以降は回帰迷宮は生まれなくなる。そしてそれをインクブルが見届けることによって、『シラヌイが死ぬまで誰も近づけさせない』というインクブルの願いは果たされ、迷宮も消滅する。――これで合ってるわよね、シラヌイ?」

「おそらく。それで皆さんは迷宮から脱出できるはずです」

「はぁ~めんどくさいっすね……こりゃ三〇〇年、誰も攻略できないはずっすよ」


「インクブルは殺さなくていいのか?」

「シラヌイの死を見届けても迷宮が消えなければインクブルも殺しましょう。そこまでやれば確実に迷宮は消えるはずよ。神器の所有者がどちらも死ぬわけだし」

「上手くいけばインクブルとは戦わなくていいんすね。そりゃいいっす」


 可能であればインクブルと正面から戦いたくはないというのは、キャメルに限った話ではない。

 が、いずれにせよ最低でも一度、インクブルとは対峙しなければならない。


 『空白地帯』へと続く、シュティーア遺跡の最深部で。






 ――右腕が痛い。

 斧を握り続ける右腕は、とっくの昔に壊死し切っている。

 なのに痛みだけはいつまでも続き、俺の脳を焼いていく。


 自我は消え、意識は白濁し、記憶も曖昧になって久しい。

 ……それでも、この遺跡のことは覚えている。


 俺にとって、始まりの場所。

 ……いや、終わりの場所か。


 もう終わっているんだ。この場所も、俺も。……彼女も。

 その『終わり』が、ずっと続いている。終わりの一瞬が永遠に引き延ばされている。

 それがこの迷宮だ。


 ……本当の意味でこの迷宮に迷い込んだのは、きっと俺自身なんだろう。

 死の間際の、眠りにつくまでの刹那の時間……俺はこの迷宮に迷い込んだ。

 そして戦い続けている。

 何故かは分からない。ただ、戦わなければならないということだけは知っている。


 ……だが、あのとき。

 あの糸使いの男と戦っているとき、何かを感じた。

 に、誰かが近づいている。そんな気がした。


 遺跡を進む。

 誰もいない。右腕が痛む。


 遺跡を進む。

 誰もいない。糸使いの糸を力任せに引き千切ったときに身体を痛めたのか、歩みに違和感があった。

 見れば、フルプレートがところどころ割れていた。

 触って確認すると、どうやらヘルムにも大きな罅が入っているようだ。新しいものを見つけなければ。

 身体の様子もおかしい。骨の何本くらいかは折れているかもしれない。だが痛みはない。右腕だけが痛い。


 遺跡を進む。

 くまなく探しているはずだが、誰もいない。

 『誰も近づけてはいけない場所』がどこなのかも、もう忘れてしまった。

 ただそこには何か……何か、とても大切なものがあった気がする。

 大切な……人が。


 …………ああ、思い出せる。

 愛しい女性。抱きしめたときの温もりも。髪の香りも。

 何度記憶が漂白されても……俺はきっと、何度でも思い出せる。


 だから、俺はただ、誰かを……探して、殺して……君が。静かに眠って……。


 ……足を止める。

 この先……遺跡の奥に、誰かがいる。気配を感じる。

 だが、この先には誰も入れないはず。俺も、あのとき以来立ち入っていない場所だ。


〝――否。『法則』は書き換えられた〟


 誰かの声が頭に響く。

 何故かこの声だけははっきりと覚えている。

 が話しかけてくるのは随分久しぶりな気がした。


〝――あの者は他者との接触を望んだ。故に叶えた〟


 ……なら、俺もこの遺跡の奥に入れるのか?

 そんなことは初めてだ。


〝――可能。我はお前の望みを叶えよう。――願いはあるか〟


 ……望み?

 何を望めばいいというんだ。

 自分が何のために戦っているのかも曖昧な俺が。


 遺跡を進む。

 やることは変わらない。俺はただ、見つけたものを殺せばいい。

 何も考える必要なんてない。


 ――そう思っていた。でも……そこにいる人を見て、俺は……動けなかった。


 殺すべき者たちが大勢いた。五人の侵入者と、亡霊が一人。

 そして……。


「どうかしら。三〇〇年ぶりだろうけど、この子のこと覚えてるわよね?」


 紫の少女の問いにも、俺は答えられなかった。

 ただ……消え去った記憶の中に、それでも残った大切なもの。それをはっきりと思い出せた。


「ア――ァ――ウ、グゥ……!」


 痛い。

 頭が痛い。立っていられないほどに痛い。


 右腕以外が痛んだのは、もうどれくらい前のことだろう。

 右腕の痛みも忘れ、今はただ頭が痛かった。


 あまりにも痛くて、左手でヘルムを押さえる。

 強く抑え過ぎたせいで、糸使いとの戦いで罅が入っていたヘルムがピシリと割れる。


 痛みと引き換えに、いくつもの記憶が蘇ってきた。

 ――ああ、覚えている。君のことを覚えている。


 バキン、とヘルムが割れて地面に落ちた。

 俺の顔を覆うものがなくなり、その場にいる者たちが一斉に俺の顔を凝視してきた。


 だが俺の視線は、その女性に注がれていた。彼女も俺のことを見ていた。ヘルム越しにではなく、はっきりと目が合った。


「……インクブル、様……」


 ずっと聞きたかったその声。

 彼女がそこにいた。

 に。あの日のように。


 この場所で、俺は誓った。

 そうだ……忘れていた。俺が何故戦っているのか。

 俺はただ、彼女が死ぬまで、安らかに眠れるように。


 ただそれだけのために俺は戦った。

 ――なのに、


 何故シラヌイの傍に……六人も。


「きえろ」


 無意識の内にそう呟いていた。

 意味のある言葉を発したのはいつぶりだろうか。


 それくらい、許せなかった。

 ここに誰かがいることが。ここには……彼女には、誰も近づいてはいけないはずなのに……!



〝――願いはあるか〟



「――ッ! 構えろ! 何かおかしいぞ!」


 やめろ。ここで武器なんて出すな。

 ここは静かでないといけないんだ。

 ここには武器なんてあってはいけないんだ。

 ここには誰も――誰も……!


「シラヌイに――――近づくなああああああああッ!!」


 声の限りに叫び、俺は目の前の者たちに向けて疾走した。

 右手の斧を振り上げると、そのとき。


 キィン、と斧が発光した。



〝――叶えよう〟

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