第139話 攻略手順
「私のことを……覚えているのか」
少なからず驚くホーク。
てっきり自己紹介から始める必要があると思っていたが、シラヌイははっきりとホークのことを覚えている様子だった。
「はい。ご用件も分かっています。……私を殺しに来たのですね? 『本物の私』を」
「……そんなことまで分かっているのか」
明らかに森や廃墟の町で出会ったシラヌイとは別人に見えた。
見た目や言葉以上に、口調や放つ気配、雰囲気が違っていた。
「神器に選ばれたからか?」
「……神器、というのは?」
「そこの斧だ。お前とインクブルはその斧に選ばれ、それぞれ異なる迷宮を作り出した。そうだな?」
「……驚きました。まさか……そこまでこの迷宮の謎を解き明かしたなんて」
シラヌイは素直に驚いた様子で目を丸くしていた。
「仰る通り、今の私はこの斧が作り出した幻です。同時に、斧に選ばれた人間でもあります。森や廃墟の町とは違い、たとえ幻であっても『今の時点』で私は神器と繋がっています。それにより私は神器から情報を共有され、迷宮内の私が経験した出来事を思い出せるのです」
「その意識も、迷宮が別の場所に移れば失われるのか」
「はい。あの世界は……私の記憶を元に斧が作り出した幻。私の意識を過去へと『回帰』させるために斧が見せてくれる、夢なんです」
まさしくそれは『夢』と形容するしかないものだった。
いかに神器がシラヌイとインクブルの亡霊を作り出して迷宮に配置しようとも、その情報が『本物のシラヌイ』に供給されないのであれば意味がない。
こうして何度かに一度、回帰迷宮で起こった出来事をシラヌイへとフィードバックして見せることで、『インクブルと共に居続けたい』というシラヌイの願いを実現しているのだ。
「こちらの認識と同じだな。話が早くて助かる」
「ふふ……私もです。かつて『この私』……斧に選ばれ、迷宮の仕組みを理解している私の元まで辿り着いた方々は、計三組です」
「三組……か」
それを多いと取るか少ないと取るかは議論の余地が残るが、ホーク達以外にもこの迷宮の謎に迫った者たちはいたようだ。
「その方々には私からお話をさせていただき、迷宮の謎を教えて差し上げましたが……まさかここに来るまでに既に迷宮の謎を解いていらっしゃるとは思いませんでした。こんなこと……初めてです」
当然だろう。今回に関してもあくまで、魔力を見通す魔眼を持ち、なおかつ神器に詳しいパンダという人物がいたからこそ辿り着けた解だ。
それ加え、魔族側とそれ以外でそれぞれ異なる情報を集めた上で、最終的にそれを持ち寄り情報を照合できるような、そんな特異なケースだったからこそパンダもこの迷宮の謎を暴き出せたのだ。
三〇〇年という迷宮の歴史の中で、たった三組しかこの場所まで辿り着けなかったのも、迷宮の性質を考えてみれば無理からぬ話だ。
森、廃墟の町、遺跡……ホーク達はこれで三つの迷宮を体験したことになるが、それが全てではないだろう。
他にもシラヌイの記憶に強く残った『シーン』……すなわち回帰迷宮が存在したはずだ。
その中で唯一シラヌイから全ての謎を知ることができる機会が、このシュティーア遺跡の回帰迷宮だ。
しかしこの遺跡に転移した者たちは、そこが次なる迷宮だとは思わないだろう。
まず間違いなく、迷宮から脱出して『本物の』シュティーア遺跡に戻ってきたと考えてしまう。
そう誤解した彼らが急いで向かう先は、遺跡の出口。
今ホークがいる遺跡の最奥とは完全に真逆だ。しかし彼らは例の『見えない壁』に阻まれ脱出もできず、そうこうしている内に騎士によって殺されるか、オリヴィアが死亡して第一の迷宮に戻ってしまう。
この最深部は、構造的にではなく心理的に辿り着けない場所なのだ。
「確認させろ。神器はお前たち二人の願いをそれぞれ叶えたはずだ。その二つとは、『シラヌイに誰も近寄らせない』ことと、『インクブルと共にいること』。間違いはないか?」
「……凄いです。たった三回の回帰で……本当に……この迷宮の法則を暴いたのですね。――その通りです、間違いありません。私はこの場所で、この斧に語り掛けられました。『私の望みを叶える。願いを言え』、と……」
「……本当に意思を持った武器なのか」
ホークも神器について詳しくは知らない。
神器がそこまで明確な意思を持っており、あまつさえ語り掛けてくるなどとは思っていなかった。
「インクブルはもうここにはいないのか? 亡霊の方だ」
「はい。インクブル様はもうここにはおられません」
斧が一つしかないのもそういうことだろう。
パンダの推測が正しければ、今ホークの目の前にある斧も本物の神器ではなく、神器が作り出した幻に過ぎないのだろう。
本物の斧は、それぞれ一本ずつ本物のインクブルとシラヌイが持っているはずだ。
幻のインクブルは、この回帰には現れない。
ここを分岐点としてインクブルとシラヌイは道を分かつ。
迷宮の最奥で眠るシラヌイと、迷宮を彷徨う騎士へと、それぞれ別の『道』へ進んでいく。
故に、この遺跡にインクブルの亡霊は現れないのだ。
「率直に聞きたい。お前を殺せばこの迷宮は消えるのか? 第一の迷宮で眠る本当のお前をだ」
「あの場所には誰も近づけません。私が作り出した回帰迷宮とは違い、インクブル様の迷宮の法則は強固です。ホークさんでも近づくことはできません」
「抜け道を考えている」
「……抜け道?」
そんなものがあるとは信じられないのか、シラヌイは首をかしげた。
「回帰迷宮の終了地点の座標を調整し、第一の迷宮の出発地点を、お前がいる『空白地帯』に合わせる。そうすれば転移に阻まれないんじゃないかと考えている」
「…………」
呆気にとられたように固まるシラヌイ。
しばらくすると感嘆した様子で頷いた。
「…………本当に凄いですね。そんなこと、考えもしませんでした。今まで多くの人がこの迷宮に迷い込みましたが、そんなことを試そうとしたのは貴女たちだけです」
「世辞はいい。その方法は可能なのか?」
「……可能だと思います。私自身はこの迷宮の細かい仕組みを全て把握しているわけではありませんが、以前この迷宮に迷い込まれた兵士の方々が、それらしいことを仰っていました」
おそらくルドワイア帝国の兵士だろう。
ルイスパーティが事前に調べたシュティーア遺跡の情報にも、ルドワイアの兵士が調査に乗り出したという話があった。
彼らもまたパンダとは違った方法でこの迷宮のルールを探ろうとしたようだ。
「転移現象が発生する条件は私との純粋な距離ではなく、私から一定の距離を置いて展開している『空間』に入り込んだら、というものだそうです」
「接触時発動型の結界だな。――よし、それが知れただけでもお前と会話した甲斐はあった」
結界にも様々な種類がある。
例えばシェンフェルが使用する探知魔法。あれは広範囲に渡って一度だけ反応を検知するスキルだが、更に上位のものになればより高度な探知を可能とするものもある。
それが、周囲を簡易的な結界で囲んでしまい、その内部の反応をリアルタイムで検知し続けるというものだ。
シェンフェルのものとは違い、捕捉した反応の動きを追い続けることができる。
そのように、『範囲内で常に効果を発揮し続ける』タイプの結界であれば、パンダの作戦は成立しない。
たとえ回帰迷宮の終了地点を調整し、『空白地帯』を出発地点として合わせることに成功したとしても、転移を引き起こす結界が内部に存在する反応を即座に別の場所に転移させてしまうからだ。
だが迷宮が張った結界はそのタイプではなく、接触時発動型の結界のようだ。
この結界の使い手に該当するのは、他ならぬホークの怨敵、ブラッディ・リーチだ。
彼女は敵対者の接近を知らせる結界を使用できた。
あの結界は内部で捕捉した反応を常にマリーに送り続けているわけではなく、結界に『接触』した者がいる、という情報を一度だけマリーに送るものだった。
そんな風に、結界の境界面に接触した際にだけ転移現象が発生するのであれば、境界面に触れずに『空白地帯』に入ってしまいさえすれば、その内部で転移現象に見舞われる心配はないということになる。
そう考えれば、森に転移した直後に転移現象が発生したのは驚くべき確率だったことが分かる。
あのとき、迷宮から森に移動ホーク達は、まさに森における転移現象を発生させる結界の、ちょうど境界面上に転移してしまっていたのだ。
「こんな迷宮を本気で攻略しようとするのはパンダくらいのものだと思っていたが、迷宮の法則に関しては惜しいところまで解き明かした連中もいたようだな」
「ですが、あの人たちも結局はこの迷宮に倒れました。――インクブル様の手によって」
そう言ったシラヌイは、そのとき悲しそうに瞳を伏せた。
「奴が今どういう状態か分かっているか?」
「……いえ。私が共有している記憶は、あくまでも幻の私が体験した記憶だけなので。本物のインクブル様とは……一度も会っていません」
本物のインクブルは血の盟約を持っているため、迷宮の法則に阻まれ自身もシラヌイには近づけないのだ。
「ですが、インクブル様が私のために戦い続けていることは……知っています」
「お前はそれを望んでいるか? 私たちがインクブルを止めるつもりだと言ったら、それを阻むか?」
「……」
ホークの問いに、シラヌイは少しだけ考えて首を横に振った。
「私は、インクブル様を止めたい。もうあの人に、これ以上苦痛を感じてまで迷宮を彷徨って欲しくはありません。ですが……その手立てがありません」
「手立てはある。私は魔族を一撃で葬る破魔の力を持っている。奴を倒すことは不可能ではない」
「……」
「それに、今私は『ここ』にいる。ここがまさに、第一の迷宮の『空白地帯』に繋がる座標だ。私が今音響弾を鳴らせば、向こうで待機している追手の魔人が死ぬ。そうすれば私は『空白地帯』に進入し、そこにいるお前を殺せる。そうすれば迷宮も消える。違うか?」
「……違います。本物の私が死んでも、消えるのは回帰迷宮だけです。インクブル様の迷宮は消えません」
「……なに?」
それはパンダの予想とは違った真実だった。
パンダは神器に選ばれたシラヌイが死ねば、神器はその効力を失って迷宮は消えると考えているようだった。
だが実際にはそうではないらしい。
「二つの迷宮は、同じ規格でありながらそれぞれ独立しています。私とインクブル様は二つの斧にそれぞれ選ばれ、それぞれ異なる迷宮を作り出しました」
「……お前の願いを叶えるために作られたのは……あの回帰迷宮。つまりお前を殺して消えるのはアレだけ、ということか」
「はい。そしてそのときに何が起こるか……お分かりになりますか、ホークさん」
「……」
シラヌイが死に、回帰迷宮だけが消滅した場合。
インクブルが作り出した迷路構造の迷宮だけが残り、もうそこから別の場所には転移しない。同時に、現実世界から迷宮に迷い込む者もいなくなるだろう。
神隠しは、回帰迷宮から第一の迷宮に戻る際にのみ発生する現象だ。回帰迷宮が生まれなくなれば、神隠しも起こらなくなる。
シュティーア遺跡の迷宮は完全に閉ざされるのだ。
迷宮への侵入者も、追手の魔人も、シラヌイもいない。完全な無人の迷宮。
そこを、インクブルはただ彷徨い続けることになる。
殺すべき者も、守るべき者もいない。
誰もおらず、何も起きず、ただひたすらに続く迷路。
その迷路にゴールはない。辿り着くべき場所もない。そんな世界を、インクブルは永遠に彷徨い続けるのだ。
もういない守るべき者のために、出会うはずもない敵を探して迷宮を彷徨い歩き……やがて正気を失うだろう。
「……」
……かつて、ホークもそうだった。
ハシュール王国の国王がエルフと講和を結び、エルフ族に平和が訪れたとき、ホークは一種の錯乱状態に陥り森の中を彷徨った。
過酷な戦場にいてこそ、限界まで摩耗したホークの精神は正気を保てていたのだ。
倒すべき敵がおり、守るべき者がいるからこそ、ホークは自我を保ったまま戦えた。
「……」
だがインクブルはそれすらも失うのだ。
この先も続く悠久の時を経て、彼は発狂するだろう。やがて自分が何のためにここにいるのかも忘れ、ただいるはずのない敵を求めて迷宮を徘徊するだけの存在となる。
――亡霊。
これを亡霊と言わずなんと言うのか。
インクブルはまさしく、本当の意味で迷宮の亡霊へと成り果てる。永遠に終わらない閉ざされた迷宮の中で、たった一人。
シラヌイの死には、そんな危険性があるのだ。
「……では、続けるのか? 今のままでもインクブルは戦い続ける。お前が死ぬまで」
「……」
「お前はここで眠り続け、神器が見せる回帰の夢を見続けるのか? インクブルの犠牲の上に」
「……」
「お前たちは……お前たちのまま、死ぬべきだ。亡霊に成り果てるな」
「……」
「回帰が見せる夢に縋りたい気持ちは分かる。だが回帰は……過去を映し出す夢だ。それに縋っていては進めない。同じ道をグルグルと回るだけだ。それでは、辿り着けないんだ」
「私たちが……いったいどこに……辿り着けるというんですか?」
「ゴールだ。この迷宮の……お前たちの旅の、終着点。お前たちは死によってその終着に辿り着くはずだった。だがその直前で神器によって迷宮が生み出され、お前たちは回帰という迷宮に囚われた。……それを終わらせる。お前たちは、そこに辿り着くべきだ」
「…………」
シラヌイの沈黙は長かった。
彼女が自身の答えに辿り着けるまで、ホークは見守った。
やがてシラヌイは、しっかりとホークを見据えながら口を開いた。
「……約束してくださいますか。必ず、インクブル様を止めてくださると。この迷宮を閉ざさず、終わらせると」
「――ああ。約束しよう」
迷いのないホークの瞳に、シラヌイは小さく笑って頷いた。
「信じます。この迷宮の全貌を初めて解き明かした貴女たちを」
「……では、受け入れるんだな。ここで殺されることを」
「はい。しかし、それだけでは皆さんが迷宮から脱出できるかは分かりません」
「なに?」
「インクブル様と斧の契約は、『私が死ぬまで』続きます。だからインクブル様がご自身の戦いを終えるには、私の死をインクブル様が見届ける必要があります。その順序を飛ばしてインクブル様を殺せば、その後どのようなことになるのかは分かりません」
「……」
神器はインクブルの願いを叶えるために迷宮を作り出した。
その終了条件は『シラヌイが死ぬこと』。それが果たされたとき、神器は役目を終え迷宮は終了する。
その順序が正常動作なのだ。
そのプロセスを無視してインクブルを殺すのは、いうなればこの迷宮を強制的に終了させることに等しい。
確かに迷宮は消滅するかもしれないが、正しい順序を踏まずに強制終了する迷宮の内部にいるホーク達が、無事に迷宮の外に出られるかは分からない。
これもまたパンダの予想にはなかった可能性だ。
パンダがリスクを負ってまでホークをこの場所に向かわせたのは間違いではなかったようだ。
様々な者たちから情報を集めて迷宮の全貌を暴き出したパンダだが、彼女は自身の推理に穴がある可能性を自覚していた。
迷宮の完全攻略のための最後のピースはシラヌイが持っていたのだ。
「……つまり、奴の目の前で、お前を殺せと?」
「はい。それをインクブル様自身が見届けることが重要なのです」
「だが奴は迷宮の法則に阻まれてお前の元まで辿り着けない」
「法則を歪める必要があります。私もまた斧に選ばれた者の一人です。私自身が強く願えば、斧が応えてくれるかもしれません」
「どこまで法則に干渉できる」
「それは……分かりません。試したことがありませんので。それに、『今の私』が出来る干渉はわずかだと思います。今の私はあくまでも、斧が作り出した幻ですから」
今のシラヌイは、亡霊であると同時に神器に選ばれた勇者でもある。
神器が敷いた法則に干渉することはできても、本物のインクブルと比べるとその出力は劣るはず。
どこまでのことが出来るのかはやってみるまで分からない。
「それに、ここにある斧は本物ではありません。法則に強く干渉するためには、本物の斧に近づく必要があります」
「……」
ホークは祭壇に祀られている斧を見遣った。
これもまた神器が作り出した幻の斧だ。二つ存在する本物の斧は、一つはインクブルが持っており、もう一つは第一の迷宮内に存在する。
「本物のお前が神器に訴えかけるしかないのか?」
「それも難しいです。本物の私は、仮死状態になっています。神器の力でかろうじて延命していますが、自由に動くことも、話すこともできません」
「そこはパンダの予想通りか。となれば、『今のお前』にやってもらうしかないが……」
この遺跡にはシラヌイの斧はない。
シラヌイが祈るべき神器を持つのはインクブルだけということになるが、そのインクブルには迷宮の法則によって近づけない。
何よりも突破すべき難題は、やはり転移の問題だ。
これに関してはこのシラヌイになんとかしてもらうしかない。
「この遺跡はお前の願いが作り出した回帰迷宮だ。であれば、今のお前でも干渉できるはずだ。まずは転移の法則を消せ。できるか? ……いや、てきてもらわないと困る」
「……やってみます」
「それができれば、お前はパンダ達に接触できるようになるはずだ。奴に指示を仰ぐ。あいつなら私よりも的確な方法が浮かぶはずだ」
「信頼されているんですね」
小さく笑うシラヌイに、顔を背けるホーク。
このやりとりはインクブルの亡霊ともした。
こういうところまで息を合わせなくてもいいだろ、とホークは苛立たしげに舌打ちした。
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