第62話 ハンスとカイザー


 バラディア国は人間領のちょうど中央に本国を構える大国だ。

 その領土は大きく縦長で、その最南端に港町セドガニアはある。


 しかしセドガニアとバラディア本国の間には距離にして縦に数キロメートル、横に数百キロメートルにもなる巨大な河が流れており、その河はバラディア本国とセドガニアを分離するような形で大陸を九割以上も横断している。

 この河を通るにはぐっと東に向かい、架けられた大橋を渡るしかない。


 そんな河を西の端近くまで移動したところに、一つの大きな塔が立っていた。

 普通なら人も寄り付かないような崖の上にポツンと聳え立つその塔は、ともすれば灯台のようでもあったが、それにしてはやや大きすぎた。


 全長四〇メートルにもなる大型の塔……その内部では、数十名の人間が生活していた。

 半数は見るからに非力な痩せた男女。彼らは一様に白衣を着用し、日夜研究に明け暮れる研究者たちだった。


 そしてもう半数は、装備も風貌もバラバラでありながら、肩に同じエンブレムを彫った服を着用している。

 ――それは、ここ数年バラディア国を騒がせている盗賊団、『ヴェノム盗賊団』のエンブレムだった。


 研究者と盗賊団。

 一件繋がりのない二つの組織が協力関係を結び、この塔で共に活動するようになってもう数年になる。




 研究員たちが眠りにつき、逆に盗賊団員は活気づく、そんな深い時間帯。

 一人の研究者が未だ研究室に残り、静かに書類のチェックを行っていた。


 無造作に伸び放題な黒髪に、明らかに運動不足な、枯れ木のように痩せた肢体。

 黒縁メガネの奥に覗く瞳は暗く淀んでおり、眼の下の隈とも長い付き合いであることが窺える。

 年齢は四十路を超えており、長年研究にその身を費やしてきた生粋の研究者だ。


 彼の名はハンス・クルーリー。

 研究機関『ハデス』の所長を務める人物だ。


「魔術式……魔力循環機構……魔道具の適合率……いずれも許容値、か」

 ハンスは集めたデータを眺めながら満足げな笑みを浮かべた。

「……いいぞ。実にいい。いよいよ計画も最終段階か」


 自身が長年の歳月を捧げた研究がいよいよ実を結びそうな予感に、ハンスも興奮を抑えきれなかった。


「あとは……アレさえ届けば」

 ハンスの頭はここ数日そのことでいっぱいだった。


 この研究の完遂に必要不可欠な道具。

 それさえ揃えば、もはやこの研究は達成したも同然だとハンスは確信していた。

 数々の失敗、挫折を乗り越え、今度こそはと思える実験結果が今、彼の持つ書類に記載されている。


 逆にこの期を逃せば、次にチャンスが訪れるのはいったいいつになるのか。

 逸る想いを抑えきれず、ハンスは皆が寝静まった後も一人研究室に残り、吉報を待っていた。


 ――そんな彼に、ついに福音が届けられる。


「入るぜ」

 ノックもなく研究室のドアを開ける音が一つ。

 遠慮なく研究室に足を踏み入れたのは、研究員ではなかった。


 浅黒く焼けた肌に、厚い装備の上からでも分かる筋骨隆々とした肉体。

 黒に近い茶髪をドレッドヘアに仕立てた派手な出で立ちは、まさに暴力を生業とする者に相応しい姿だった。


 彼こそは、ヴェノム盗賊団の頭領。

 バンデッド・カイザーの通り名で恐れられる盗賊だ。


「おお! 待ちわびたぞカイザー!」

 ハンスは椅子から飛び上がらんばかりに駆け出し、カイザーに近寄った。

「それで? 手に入れたのか?」

 まるでオモチャを買って帰ってきた父親を急かすようなハンスの反応に、カイザーもやや呆れ気味に笑った。


「俺を誰だと思ってんだ? 狙った獲物は必ずいただく、天下のヴェノム盗賊団だぜ」

 そう言ってカイザーは背に抱えていた荷物を降ろし、中から一つの武器を取り出した。


 聖水を染み込ませた布で全身をくまなく覆われているが、その形状を見れば誰でもその武器が何かを把握できる。


 ――大鎌。


 人の身長ほどもある長い柄に、巨大な刃が取り付けられた、見るからに戦闘用の大鎌だ。

「おお……おおお!!」

 興奮を隠し切れないハンスは待ちきれないとばかりに布を剥がし始める。


 やがて全ての布を取り除くと、大鎌の真の姿が二人の前に晒された。


 毒々しい紫。

 柄も刃も全てが紫で統一された、覗き込んでいるだけで狂気に侵されそうな禍々しい鎌だった。


「これが……」

「ああ。『毒沼の魔女』の魔道具、デスサイズだ」


 数日前、『毒沼の魔女』の討伐を試みたバラディア国騎士団。

 結果的にその作戦は失敗したが、『毒沼の魔女』の用いる魔道具、デスサイズの奪取に成功した。

 彼らはそのままデスサイズをバラディア本国へ持ち帰る手筈だった。


 その情報を入手したヴェノム盗賊団は、帰還途中のバラディア国騎士団部隊を襲撃。

 鮮やかな手口で見事デスサイズの強奪に成功したのだ。


「素晴らしい……素晴らしいぞこれは。ついに必要な道具が全て揃った……!」

「こいつが使い物になるとも限らねえんじゃねえのか?」

「無論、検証は必要だ。だが問題ないだろう。デスサイズシリーズといえば『魂を刈り取る鎌』として世界に名が知れるほどの武器だ。まさにこの研究に打ってつけの魔道具。むしろこれ以上は望めない」


 ハンスは感無量とばかりに天井を仰ぎ見た。

「……長かった。あの屈辱の日から八年。ついにここまで来た」

「あんたらとも随分長い付き合いになったな。……最初に話を聞いたときは昼間から酔っぱらってんのかと思ったぜ」

「研究員たちの多くもそう言った。だが私の目に間違いはなかった。ここまで来られたのも、君たちの協力あってのことだ。――研究所を代表し礼を言わせてくれ、カイザー」

「よせよ気持ちわりい。奪って喜ばれる盗賊団なんていい笑い話にされちまう」


 カイザーは不快そうにハンスから一歩距離を取った。

「俺達はあんたらのために力を貸したんじゃねえ。俺達のためだ。あんたらは約束さえ守ればそれでいい」

「無論だ。研究成果は全て君たちに譲ろう。何ならこの施設を丸ごとな」

「……人生を捧げた研究だろうに。そう簡単に手放しちまうのか。俺には理解できねえが、研究者ってのはそういうもんなのか?」


 その言葉でハンスはかつての自分を思い出したのか、忌々しげに眉をひそめた。

「……富や名声を求めて研究を行う者など所詮は二流。真の研究者は、己の手が未踏の英知に触れた事実こそを誉れとするのだ」

「あんたらの言葉はいつも意味わからねえな」


「かつてこの研究はバラディア軍主導のもと行われていた。……だが、連中はこの研究の偉大さを理解せず、に恐れをなして研究を凍結させた」

 いよいよ研究が大詰めを迎えた興奮からか、ハンスはいつになく饒舌になっていた。


「バラディア軍は自らを正義の使者とでも思っているようだが、実際には魔族専門の掃除屋に過ぎない。魔族の討伐などただの業務に過ぎないのだ。それを愚かにも勘違いし、正義の名のもとにこの研究を私から奪った」

「……」

「連中はこの研究の危険性を憂いたのではない。それによってバラディア軍の品位、面子……そういうくだらない体面に泥が付くのを嫌っただけだ。もし連中が本当に人類の未来を思うのであれば、この研究は続行するべきだったはずだ。どれだけの犠牲を出そうとも」


 過激な物言いのハンスだが、その意見に関してはカイザーも同意見だった。

 ハンスが十数年の歳月を捧げたこの研究が、彼の願いどおりの結果になるのならば……おそらく、人類は魔人を超える力を手にできる。

 それほどに強力な研究だ。


 それが完遂した暁には、その成果を全てヴェノム盗賊団に譲り渡すとハンスは約束した。


 だからこそカイザーはハンスに協力し、数年間、彼に命じられるままに動いてきた。

 その見返りは、カイザーが全力で支援するに値するものだと感じたからだ。


「もうすぐだ……もうすぐ、私の正しさが証明される。その瞬間……私の努力の全てが報われるのだ」

 じきに訪れる祝福の日が見えているかのように遠くを見つめるハンス。

 このままでは詩でも詠いかねないと思ったカイザーは、それを遮るように話を戻した。


「で、結局いつごろ塔は稼働予定なんだ?」

「まずはこのデスサイズが魔術式の核として機能するかの検証が必要だ。その後デスサイズ用に魔術式を若干書き換え、いくつかテストをして問題がなければ――いよいよ『ツインバベル』を稼働させる。……まあ、何事もなければ二日といったところだろう」

「……」


 それを聞いて、カイザーは可笑しそうに鼻を鳴らした。

「……? なにがおかしい?」

「いや、そういえばあんたらには言ってなかったな。俺の盗賊団じゃ、その手の言葉はタブーにしてるんだ」

「その手の言葉?」


 自分がどんな失言をしたのか思い当たらず首をかしげるハンス。

 それはあくまでカイザーの持論というか、ジンクスに近いものだ。

 別にハンス達にまで強要するつもりはない。

 気にしないでくれ、とカイザーは小さく手を振った。


「――、ってとこだ。俺たちの間では、そういうことを言うと何事か起きるってのが通説でな」






 満天の月が照らす雲一つない夜空を、一つの飛翔体が移動していた。

 大きな翼をはためかせ飛ぶそれは、純白のドラゴンだった。


 全長は約六メートル。ドラゴンの中では比較的小さな体格でありながら、その飛行速度は空の覇者の名に相応しいものだった。

 夜空に残る白い軌跡は幻想的で、まるで御伽噺の一時を描いたかのようだった。


 そんな美しい絵に紛れ込んだ、あまりにも不釣り合いな男が一人。

 純白の竜の背に寝そべり、イカゲソを噛みながら寝ぼけ眼で空を見つめるその男の名はムラマサ。

 彼はハシュール王国での調査を終え、スノウビィの待つバラディア国近辺へ帰還しているところだった。


「……スノウビィにはじめて竜を借りたときは歳甲斐もなくはしゃいだもんだが……何度も乗ってると飽きるもんだな」

 竜の背に乗っての空の旅にもすっかり慣れてしまったムラマサにとって、竜は単なる移動手段にまで格を落とした。


「ま、早えからいいんだけどよ。――おっと、もう着いたのか」

 竜が高度を落とし始めたことで、目的地周辺まで到着したことが分かった。


 この竜はスノウビィが魔法で召喚した召喚獣だ。

 戦闘は考慮されておらず、まさに高速移動用に特化した飛竜だ。

 故に召喚者であるスノウビィの場所へ正確に帰還することができる。

 ……この正確さが召喚者であるスノウビィにも宿らないかとムラマサは切に祈るばかりだった。


「……なんだここ」

 案の定、そこはあらかじめスノウビィと打ち合わせていた場所ではなかった。


 打ち合わせでは、港町セドガニアの南方の渓谷で落ち合う予定だった。

 しかしここは明らかに山ではなく、小高い丘だった。

 それもセドガニアを大きく北に通過している。


「――説明してもらおうか」

 竜が地面へと降り立つと、ムラマサはその背から飛び降りた。

 そしてそのすぐ傍でムラマサの到着を待っていた少女――スノウビィに問いかけた。


「……」

 スノウビィはバツが悪そうに視線をムラマサから外し、吹けもしない口笛をスコスコ吹いていた。


「セドガニアの南で落ち合うはずだったよな? ここ、明らかにセドガニアより北にあるんだが」

「ムラマサさん、聞いて驚かないでくださいね? なんとわたくし、吸血鬼さんの手がかりを掴んだんです」

「ほう」


 その話が本当なら確かに、内容次第ではこの状況にも納得できるというものだ。

「実はここからずっと南にある森で、ルドワイア騎士団の方々とばったりお会いしたんです」

「おいおい」


 さすがのムラマサもやや呆れてしまう。

 魔王であるスノウビィにとってルドワイア騎士団は、勇者にも並んで最大の脅威となる存在だ。

 そんな連中とばったり遭遇したなどと呑気に語る姿に、呆れを通り越して本気で心配になってきた。


「その方々にお話を伺ったのですが、なんとその方々は私たちが追っている吸血鬼さんと少し前に戦ったらしいのです」

「……そりゃすげえ偶然だな。見つけたのか?」

「いえ、どうやらその方々も吸血鬼さんを逃してしまったらしく……ただ、北に向かったとお聞きしましたので、私も北を目指して移動したんです」

「……まさかとは思うが、『ずっと北を目指してたらここに着いた』なんて言わねえよな?」

「まあ! ムラマサさん、とてもお鋭いですね」


 興奮気味に笑うスノウビィを見て、ムラマサは悩ましげに頭を抱えた。

「……もひとつまさかだが……セドガニアには入ってねえだろうな?」

「む。さすがにそんなことしません。私の魔眼はあらゆる魔力を見通します。設置された探知魔石の結界くらい簡単に避けられます」


 それを聞いて胸を撫でおろすムラマサ。

 ひとまず、魔王が突如バラディアの探知に引っかかり戦争の引き金に……という事態は回避できたようだ。


「それで、吸血鬼はまだ北にいるのか? ……ここから北っていうと、もう河を超えて本国に着いちまうぞ」

「あ、先程四天王の盟約を追ってみたのですが、吸血鬼さんはまだセドガニアを出ていないようです。通り過ぎてしまいましたね」

「……通り過ぎた?」

「はい」

「…………お前さ」

「はい?」


 仮にも四天王の一人として一瞬の躊躇を覚えるムラマサではあったが、一度誰かがハッキリ言っておくべきだと決意し、その言葉を放った。


「お前バカだろ」

「んなっ……!?」


 スノウビィは白い顔を、カァァ、と紅潮させてわなないた。

「な、なんてことを仰るんですか! ひどいです! 心外です! 撤回を要求します!」

「なら盟約に命じな。俺はお前の命令に逆らえねえんだから、いくらでも撤回してやるよ。本心はともかくな」

「むうぅ~……!」


 スノウビィはぷっくりと頬を膨らませムラマサを睨み付ける。

 そんなことどこ吹く風とムラマサはイカゲソを噛んでいた。


 ――何を隠そう、スノウビィは極度の負けず嫌いだ。

 戦闘はもちろん、こういう些細な舌戦でも勝ちにこだわる性質なのだ。


 ムラマサにいいように言われたままでは収まらず、スノウビィは何か反論の糸口を探す。


「――あ」

 そこでスノウビィはふと異変に気付く。

 ムラマサの衣服に染みついたある臭い……それはスノウビィが最も嫌う臭いの一つだった。


「ムラマサさん、タバコ吸いましたね?」

「ん? ああ、吸ったぜ」

「私言いましたよね。もうタバコ吸わないでくださいって。これは命令違反ではありませんか?」

「『お前の傍』と『魔王城の中』では吸うなって命令だった。それには背いてないぜ」

「……むぅ」


 それはスノウビィなりの温情のつもりだった。

 大の愛煙家であるムラマサから完全に喫煙の機会を奪うのは忍びないだろうと、せめて自分が息を吸わない場所での喫煙は許可したのだ。


「……では命令を追加します。私と作戦行動中は全面禁煙です」

「おい、そりゃないぜ。これ以上俺にイカゲソ喰わせる気かよ」

「知りません。ムラマサさん意地悪ですから、これくらい当然です」

「勘弁してくれよ……よう、せめて戦ってるときは吸わせてくれよ。それないとイマイチ集中できねえんだよ俺」

「むぅ、それは困りますね……分かりました、それは認めましょう」

「はぁー、よかった。恩に着るぜ」


「ただし、それ以外ではもう絶対に吸ってはいけませんからね?」

「マジできついわ……飯食ったあとも一服できねえのかよ」

「……あら? ムラマサさん、もしかしてタバコを吸われたのって……?」

「ん? ああ、例の館を調査した帰りにハシュールの飯屋に寄ってな」

「あ!」


 スノウビィはしめたとばかりに目を輝かせ、ムラマサを指さした。


「あ! あ! それ! だめですよそれ! いけません! カルマディエさんから念押しされてましたよね。不用意に都市に入ってはいけません、って。命令違反ですムラマサさん!」

「知るかよ。お前からは言われてねえ。あんな奴の命令なんざ聞く義理ねえな」

「いけませんよそんなの! 私のことバカだと仰ったのに、ムラマサさんだっておバカさんです! 軽率! 怠慢! 考えなしです!」


 わーわー騒ぎ立てるスノウビィ。

 こういう手合いの相手をしていると猛烈にタバコが吸いたくなるムラマサは、味のしなくなったイカゲソを限界まで噛みまくった。



「――あ、そういやその飯屋でフルーレに会ったぜ」



 ピタリとスノウビィの声が止んだ。

 あれほど騒々しかった勢いは一瞬で鳴りを潜め、夜の丘に静寂が戻った。


「……フルーレが、ハシュール王国に?」

「ああ。話どおり、お前を倒す準備してるようだぜ。なんかもう勇者も仲間に入れてるみてえだ。それと、お前によろしくってよ」

「……」


 先ほどまでの、見た目相応の少女らしさは今は微塵もない。

 ――フルーレ。

 その名を耳にしただけで、スノウビィの目の輝きがガラリと変わった。


「……本当に愚かな方ですね、フルーレは。あれほど弱体化した今、本気で私を倒そうと?」

「みてえだな。あのペースじゃ何年かかるか分かったもんじゃねえが」

「何年経とうが不可能ですよ」


 普段のスノウビィを知る者が聞けば戸惑うほどに、彼女の口調には露骨に苛立ちの感情が含まれていた。

「もう私は誰にも負けません。仮にフルーレがかつての力を取り戻したとしても、もう私には勝てません」

「かもな」

「私はあらゆる不自由を克服してみせます。――彼女など、そのための道具に過ぎません。いただくべきものもいただきましたし、もうフルーレなんて、私にとってなんの価値もありません。せいぜい勇者ごっこでもして遊んでいればいいです。私が手を下すまでもなく、どうせその内に野垂れ死ぬでしょう。弱者になることを選ぶような愚者に相応しい顛末です」


 淡々と語るスノウビィを眺めながら、ムラマサはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。

「ほんと、見てて飽きねえよお前らは」

「……どういう意味でしょう?」

「いや。お前がそうやって感情剥き出しにする相手は、後にも先にもフルーレだけなんだろうなと思うとさ」

「……ムラマサさん。少し――不快です」

「これは失礼いたしました魔王様」


 芝居がかかった動作で謝罪するムラマサに、スノウビィもそれ以上なにも言うことはなかった。

「フルーレなんて今はどうでもいいです。それより、今は吸血鬼さんの方が大事です」

「仰る通りでございます。……ま、幸いまだセドガニアにいるんなら、こっちはそれより北にいる。ルドワイアに向かう吸血鬼を待ち伏せできる。ってわけで、向こうが動くまで俺達もこの辺りで待機するとしよう」

「待機と言われましても……」


 周囲をぐるりと見回すスノウビィ。

 小高い丘の上は見渡す限りの草原。それ以外には満天の夜空しかない。

 特徴的なものといえば、眠そうにイカゲソを噛む男と、翼を休める小型の白い飛竜一頭。


「どこでお待ちしましょう。どこかにお屋敷があればいいのですが……」

「あるかよ、んなもん。野宿でいいだろ」

「絶対に嫌です。虫に刺されちゃいます」

「これだからいいとこのお嬢様は…………いや、まてよ?」


 ムラマサは何かを思い出したように背後の白竜を振り向いた。

「そういやさっき、海岸沿いになんか見たな。あれは……塔……か?」

「灯台でしょうか?」

「にしては夜なのに灯りはついてなかった。だから……まあ、塔だ、とにかく。ここから西にいったとこにあった。お屋敷じゃねえからキングサイズのベッドはねえだろうが、ソファくらいはあるかもな」

「まあ!」


 スノウビィが嬉しそうに破顔した。

 野ざらしで一夜を過ごすことに比べれば、その塔の方がよほど上等だろう。



「いいですね。もし無人なら、一泊使わせていただきましょう」

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