第61話 『汚名』
ゴード家は二五〇年以上前から続く騎士の家系だ。
代々優秀な騎士をルドワイア帝国に排出し続けている名門中の名門。
過去、エルダークラスまで上り詰めた者も三名おり、ゴードの名を持つだけでルドワイア帝国内では将来を約束されたも同然だ。
そんなゴード家に生を受けたラトリア・ゴードもまた、当然のように騎士を目指していた。
父であるレイ・ゴードの代では子宝に恵まれなかった事情もあり、その長女であるラトリアに寄せられた期待もまた大きかった。
そんな期待にラトリアは見事応え、弱冠二〇歳という若さでルドワイア帝国騎士団に入団。
生まれ持ったポテンシャルも高く、持ち前の生真面目さと周囲のサポートにより急速に頭角を現していった。
ルドワイア帝国北方、旧アルトリニア大空洞。
かつて魔人との戦いで消滅した都市、アルトリニアにポッカリと開いた超巨大な空洞。
人類がレベルシステムを取り戻し、ルドワイア帝国を建国したときには既に、その大空洞内部は強力な魔物の住処となっていた。
今ではそこは、人間領における最高難易度の国営ダンジョンとして運営され、ルドワイア帝国騎士団に入団を希望する者はその国営ダンジョンで地獄のレベリングを受けることになる。
――このダンジョンの適性レベルはS-57。
現役のルドワイア騎士ですら少数パーティではあまりにも危険とされる、人間領で最も死と隣り合わせにある場所だ。
毎年、騎士団員への昇格を目指すルドワイア帝国軍兵士、世界中で名を馳せた冒険者、他国の騎士団の部隊長クラスなど、そうそうたる強者たちが一〇〇〇人近くもこのダンジョンに挑む。
その内の三割はあまりの過酷さにリタイアし、もう三割は死亡する。残った四割の内、能力を認められ騎士団への入団を認められる者はその中でも一割程度しかいない。
――ラトリア・ゴードは、その地獄のダンジョンでなんと歴代七位という好成績を残し、鳴り物入りで騎士団に入団した。
それから一年、ラトリアはいくつもの作戦に赴き着実に実績を重ね、将来を嘱望される逸材となっていた。
――順風満帆に思われたラトリアの未来だが……あの日、その全てが狂うこととなった。
それは今から二年前。
ラトリアはルドワイア帝国騎士団で一年を過ごし、二一歳になっていた。
このときラトリアのレベルはS-61。騎士団の中でも十分一人前の実力を認められ、その日ラトリアは一つの大戦争に参加していた。
事の発端は六年前。
新たに魔王となった四代目魔王は、常識を覆すような圧倒的な力で次々と人間領を陥落させ、人類を恐怖に陥れた。
対抗したルドワイア軍はことごとく壊滅し、あまりにも強大なその力に世界中に緊張が走った。
しかしそれとほぼ同時期に、一人の英雄が誕生した。
ルドワイア帝国史上最も優れた戦士と名高い一人の騎士が、神器に選ばれ勇者として覚醒したのだ。
魔王の軍勢を度々退ける最強の騎士。彼はまさに人類の希望となった。
彼は四人のパーティを組み、そのいずれもが、一〇〇年に一人の逸材と称されるほどの伝説的な者たちだった。
同時期に生まれた、どちらも史上最強の魔王と勇者。
この二勢力の活躍により、魔族と人類の戦いは更に激化し――そしてその六年後、ついに人類はその命運を勇者に託すことを決意した。
他国からも応援を募り、集いに集った総勢二〇万人もの軍勢。
――それを囮にしての、勇者パーティによる魔王の一点攻略。
まさに人類と魔族の種族戦争を決着させかねない、一世一代の大戦争だ。
そんな戦争に、ラトリアもまた参戦していた。
人間領と魔族領を繋ぐ三つの大橋を超え攻め入った人類軍。
迎え撃つのは同じく二〇万以上の魔族の軍勢。
かつてない大規模戦闘の中、ラトリアは一つの部隊に配属され、じっと機を待っていた。
両脇を高い壁に挟まれた渓谷。
そこを抜ければ、その先で戦闘を繰り広げている本隊と合流でき、魔族の部隊を挟み撃ちにできる。
ラトリアの部隊は総勢五〇人。平均レベルは70を超えており、中にはエルダークラスの剣士もいた。
よほどの障害がない限り作戦は成功する……そう思われた。
――だが、その渓谷に佇む一つの影が、彼らを阻んだ。
「あー……しんど」
そう言ってその魔人は咥えていたタバコを口から離し、疲れた息と共に紫煙を吐き出した。
その男もまたいくつか傷を負っており、額を流れる血が髪を伝ってタバコの火に落ちた。
火の消えたタバコを苛立たしげに睨んだ男は、そのまま吸殻を地面に投げ捨て靴の裏で揉み消した。
「この手のキツイ仕事はいっつも俺だ。俺は守るより攻める方が好きなんだがなあ」
男は手頃な岩に座り込み、懐から新しいタバコを取り出した。
「つまんねえ仕事与えられたよな、お互いさ」
その言葉が自身に向けられたものだとラトリアは一瞬分からなかったが……周囲を見回せば、そうであることは明白だった。
何故なら、今この渓谷において生き残っている部隊員は、ラトリアただ一人だったからだ。
地面に散らばる死体の数は合計四九体。
その全てをたった一人で斬り捨てた魔人こそ、目の前でダルそうにタバコをくゆらせる男……ムラマサだった。
「……こん、な……こんな、ことが……」
あまりの絶望に、構えた剣がカタカタと揺れる。
ラトリアはその体に一切の傷を負っておらず、ムラマサから少し離れた位置でじっと立っているだけだった。
ラトリアが生き残ったのは、何も彼女が優れた騎士だからではない。
この部隊で唯一、彼女だけがムラマサとの戦闘に参加しなかったからだ。
そういう点ではある意味ラトリアだけがムラマサとの彼我の戦力差を正確に把握できたとも言える。
ムラマサが見せたほんの数回の太刀筋。
それを見ただけで、ラトリアは本能的に悟ってしまった。
この男には何をしても絶対に勝てない。
この男を前に生き残る唯一の手段は、戦わないことなのだと。
そうしてラトリアは戦闘に参加することなく、他の仲間が次々と斬り殺されていくのを、ただ黙って見ているしかなかった。
そして全ての仲間が死に絶えた今、ついにラトリアの死ぬ番が来た。
死ぬこと、それ自体はラトリアも覚悟していた。
彼女もまた栄光あるルドワイア帝国騎士団の一人。人類のために戦い、その果てに死に花を晒すことは本望だ。
……だが、こんな死に方は嫌だと思った。
戦って死ぬにしても、こんな……こんな化け物を相手に、何の戦果もなく、意味もなく、誰の役に立つでもなく……ただ人知れず死ぬ。
実力を競い合い、その末に力及ばず負けるならいい。
だがこの魔人を前には、今まで積み上げた苦労も、努力も、全てが無為になる。
この魔人に挑むということは、虫が炎に飛び込むようなもの。
その死に意味はない。踏みつぶしたアリの数が一匹増える……そんな次元での無価値さ。
今までの自分を全て否定され、何も残すことなくただ死ぬ。
その事実が、何よりも恐ろしかった。
「――で、どうすんだよデカパイの姉ちゃん」
不意に声をかけられ、ラトリアはビクリと身体を震わせた。
「さっきからそこでカカシみてえに突っ立ってるが、やんのかやんねえのかどっちだよ」
「……わ、私は……」
ムラマサのその問いの本質的な意味に気づけず、ラトリアはただ己の想いを口にした。
「し、死にたくない……こんな場所で……こんな形で、死にたくない……!」
「あー、それはなんか分かるな。俺もどうせ死ぬならマジのあいつとやりあって、相打ちとかで死にてえもんだ。まあ無理くせえが」
ムラマサはそう言って笑いながらタバコを吹かした。
「じゃ、とっとと帰んな」
「…………なに?」
何を言われたのか理解できず、ラトリアは間抜けな声を漏らした。
「死にたくねえんだろ? なら消えな。家に帰って飯食って寝れば、そのへっぴり腰も元に戻ってるさ」
「こ、殺さないのか……? 私を、見逃すというのか?」
「この谷を越えるってんならそりゃ一刀受けてもらうが、逃げる女をケツから斬ったりしねえよ」
「……」
その言葉どおり、ムラマサはすっかりやる気をなくしたようにだらしなくタバコを吸い続けた。
「私……私は……」
「ま、どっちでもいいからこのタバコ吸い終わるまでに決めな。お前みたいなベッピンさんがこんなつまんねえ戦争で死ぬこたねえと思うがね」
「……ッ!」
恐怖に揺れる心でも、その言葉だけは否定しなければならないとラトリアの瞳に熱が灯った。
「つ、つまらなくなどない! 私たちはこの戦争に勝って、人類の未来を……!」
「勝てるかよ。こっちにはあの魔王がいんだぜ? あんなバケモンどうやって倒す気だよ」
そう言って笑うムラマサを見て、ラトリアは声も出せないまま戦慄した。
これほどの魔人をして、化け物と称させる魔王とは……一体どれほどの怪物なのか?
「か、勝てる……あの人達なら!」
「んー? 勇者でも連れてきてんのか?」
「……ッ」
思わず言うべきではない情報まで口走ってしまい、咄嗟に口を押えるラトリア。
「あっ、あいつか? あの神器もった剣士。確か元ルドワイアの騎士だったか」
「――!? か、彼を知っているのか」
「ああ、一度やりあったことあるぜ。確かに強かったが……そうか……あいつが今日死ぬのか。クソ、いつか決着つけようと思ってたのによ」
まるでもう勇者の死が確定しているかのような言い草に、ラトリアも言いようのない不安が胸を満たしていった。
勇者と魔王……目の前の男は、そのどちらの実力も知っているのだ。
その上でなお……勇者には勝ち目がないと確信しているというのか?
「……さて、吸っちまったぜ」
ムラマサはすっと岩から腰を上げ、ラトリアに向かって歩き出した。
その口に咥えたタバコが残り僅かしかないのを目撃し、ラトリアは小さく悲鳴を漏らした。
「ま、騎士道に殉じてかっちょよく死ぬのもいんじゃね? 俺にゃ理解できねえが――まあ人生なんて、やりたいことやりゃいいのさ」
そう言ってムラマサはタバコを口から離し、指でピンと上空へ弾いた。
そうして開いた右手で、腰に差した刀の柄を握る。
次の瞬間には鞘から刃が抜かれ、その時にはもうラトリアの首は飛んでいる。
そう確信したとき――
「――うわああああああああああああああああああ!!!」
ラトリアは握っていた剣を放り出し、ムラマサに背を向けて走り出した。
ただ胸を焦がす恐怖心のままに、脇目もふらずに走った。その場から逃げ去ることしか頭になかった。
そんなラトリアの哀れな背を、ムラマサは小さく笑い飛ばした。
「あと20レベル上げて出直してきな」
一閃。
抜き放たれた刃の軌跡が、落ちてきたタバコの火を音もなく消した。
どれほど逃げ続けたのか定かではないが、人気のない森の陰に息を潜めて震えている内に戦争は終わっていた。
ラトリア達の部隊を待っていた本隊は多大な損害を出し撤退。
肝心の魔王討伐も、勇者パーティが魔王に返り討ちに遭い失敗した。
ただ一人おめおめと帰還したラトリアは軍法会議にかけられ、死刑が濃厚となった。
人類の命運を賭けた一大決戦において、敵前逃亡だけでも重罪だというのに、ラトリアはその後の対応もあまりにお粗末だった。
せめてムラマサの存在……作戦の失敗を早急に本部に伝えていればまだ弁明の余地もあったが、ラトリアは恐怖と罪悪感から森でひたすら隠れ続けていただけ。
その失態はあまりにも重い。
名だたる英雄……それこそエルダークラスの騎士たちが勝利のために華々しく散っていった中、ラトリアが晒した醜態はひときわ目立った。
轟々と非難を浴びながら、ラトリアもまた自身の犯した罪の重さに押し潰されそうになっていた。
せめて今度こそは騎士らしく、言い渡された刑を受け入れようと心に決めていた。
そんなラトリアを唯一擁護したのが、キース・リトルフ評議員だった。
キースは彼の祖父の代からゴード家と深く繋がりを持つ名家の者で、ラトリアの父レイを通じてラトリアともプライベートな付き合いがある、古くからの友人だった。
キースは数々の言葉巧みな弁護でラトリアを庇い、結果的にラトリアの罪は無期限の兵役活動禁止のみとなった。
書類上はまだ軍に属してはいるが、事実上の除隊命令を受けたラトリア。
そんな彼女だが、そのまま家に戻ることはできなかった。
長年積み上げてきたゴード家の実績と信頼。それに泥をつけたラトリアを、他ならぬ父レイが許さなかった。
ラトリアは勘当され、家からも追い出された。
行く当てもなく、生きる目的も見失ったラトリア。
そんな無様な姿に、軍の兵たちは蔑称を名付けた。
ラトリアの美しい金の髪、そしてラトリア・ゴードという名前にかけ、『
仲間を見捨て、一人戦場から逃げ出した臆病な鼠として、ラトリアは周囲から臆病者の誹りを受けることとなった。
そんな彼女が行きついたのは、かつて過酷なレベリングを行った、旧アルトリニア大空洞だった。
国営ダンジョンの管理人が必死に説得するのも耳を貸さず、ラトリアは単身大空洞へ潜った。
挑むのならば最低でもレベル50以上の者が一〇人以上でパーティを組む必要があるそのダンジョンに、たった一人で挑むという無謀は、自殺行為そのものだった。
……そう、それはまさに自殺と同義だった。
ラトリアは死に場所を探していた。
このまま臆病者としての汚名を被ったまま生き続けることに耐えられなかったラトリアは、せめて戦いの中で死のうと思った。
自分がまだ戦士であると……かつて人類のためにその身を捧げると誓った騎士であると、そう自認しながら死にたかった。
この薄暗く、過酷すぎる地獄の中でも気高く、恐怖を抱かず戦い抜く。
そうして、自身の誇りを……せめて自分にだけは示して死のうと思った。
――だがそれ以外にもう一つ、ラトリアがこのダンジョンを選んだ理由があった。
〝――あと20レベル上げて出直してきな〟
あのとき、背後から聞こえたその言葉。
その言葉が、ラトリアの脳裏に残り続けていたのだ。
……もし。
限りなく低い確率ではあるが、それでも、もし……この地獄を乗り越えられたならば。
きっと自分は強くなる。強くなって、再び戦場に舞い戻ってみせる。
そしていつか……あの日被ったこの汚名をそそぐ。
「私はいつの日かきっと……お前を超えてみせる」
決意に燃えるラトリアの瞳に、もう恐怖など微塵も宿ってはいなかった。
「――ムラマサァ!」
ラトリアが軍服を着終えたとき、部屋のドアがノックされた。
入室を促すと、一人の男性が入ってきた。
「――エルダークラスへの昇格、おめでとう」
そう言ってキース・リトルフ評議員はラトリアを称えた。
「ありがとうございます。リトルフ殿には、数々のご助力をいただき、感謝の言葉もありません。この御恩はいつか必ず」
ラトリアが恭しく一礼するのを見て、キースも小さく頷いた。
結論から言って、ラトリアは旧アルトリニア大空洞を生き抜いた。
一週間籠るだけで気が狂う者も珍しくないあの地獄を、ラトリアは実に一七カ月もの期間一度も外に出ることなく籠り続け、一日も休むことなく魔物を狩り続けた。
来る日も来る日も、襲い来る魔物を命からがら撃退する毎日。
仲間もいない単独での狩りは熾烈を極め、僅かな仮眠すら命がけだった。
いつ死んでもおかしくない日々の中、まるで大いなる者の意思があるかのような強運で、ラトリアは死に損ない続けた。
光も届かない薄暗い洞窟で一七カ月を過ごしたラトリアは――懐かしい地上へ戻ったときには、別人のような顔つきになっていた。
S-81。
ついにラトリアは20ものレベル上げを実現し、地上に帰還した。
レベルは上に行くほどに上がりづらくなっていく。60レベルの時点で既に高レベルだというのに、そこから20ものレベルアップを僅か一七カ月で達成した者は、過去の歴史を遡っても極わずかだろう。
そんな彼女の帰還を、キース・リトルフが待っていた。
ラトリアは元々高いポテンシャルを持つ騎士だ。
そんな彼女がレベルを80の大台まで上げたならば、実力的には十分にエルダーの基準に達する。
キースは軍に掛け合い、ラトリアのエルダークラス昇格の議題を議会に持ち込んだ。
二年前の戦争での手痛い敗戦以降、深刻な騎士不足に悩まされていたルドワイア軍も、一度は汚名を受けたとはいえ、ラトリアほどの騎士をこれ以上放置することはできなかった。
そして今日の式典で、ラトリアは遂にエルダーの称号を授与される。
今の彼女の姿を見て、もはや誰も鼠などと揶揄できまい。
「エルダーになった暁には、君に一部隊任せることになると思うが……マーガレット・エルメス評議員を知っているか?」
「はい。存じております」
「私と彼女は、少々違う価値観を持つ者同士でな。私の推薦でエルダーになる君が気に入らないらしい。そこで……どうも彼女からの横槍が入って、君の部隊には少々癖の強い者たちが配属される可能性がある」
「問題ありません」
軍にしても、ラトリアの復帰は騎士団の沽券に関わる問題。
目の上のタンコブとでも言うべき存在だ。
その程度の嫌がらせは覚悟しておくべきだろう。
「よろしい。では式場に向かうとしよう。――そうだ、何か一言を考えておくといいかもしれないな。その手の質問がないとも限らん」
「……一言、ですか」
「簡単な決意表明でいい」
「……」
決意。
あの日、ラトリアの中に宿った強い想い……それを決意と呼ぶのなら、答えはもう決まっている。
「私は……二度と」
ラトリアは静かに、しかし激しい熱を込めて言った。
「――二度と逃げません」
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