第60話 シィムとラトリア


 バラディア国南方にある、港町セドガニア。

 U字型をしている大陸の内側の海に面しており、美しいビーチから漂う潮の香りが町中に漂っている。

 元は漁港だったが、バラディア国がその力を増していくにつれて様々な軍事物資が行き交うようになり、今では軍港さながらの重々しさも持ち合わせている町だ。


 バラディア本国はもちろん最も戦力が集中している都市ではあるが、その次に大きな軍事基地を持っているのがこの港町だ。

 

 ルドワイア帝国騎士団ゴード部隊はその基地内に特別宿舎を用意されており、本来は数十人規模で宿泊が可能なのだが、現在それを利用しているのはたったの二名だった。

 ラトリア・ゴードとシィム・グラッセルがセドガニアに到着したときには既に夜も深くなっており、特に重傷を負っていたラトリアが姿を見せたときは軍の者が大慌てで対応しようとした。


 それを全て断ったラトリアは、あつらえられた客室に戻るとすぐに通信用の魔石を起動した。

 相手はルドワイア帝国騎士団本部。

 今日起きた出来事を詳細まで緻密に報告した。




『――部隊が壊滅?』

「は。生き残ったのは私とシィム・グラッセルのみです」

『どういうことだ? 君ほどの騎士がいながら』

「……申し開きのしようもありません」


 通信相手からも困惑した様子が伝わってくる。

 彼はラトリアが騎士に成りたての頃から懇意にしてくれている軍上層部の一人、キース・リトルフだ。

 ラトリアが今騎士団に在籍していられるのも彼の力添えあってのものだ。


『遭遇した魔人というのは、それほどの個体だったのか?』

「はい。単純な戦闘能力では私を凌ぎます。推定ですが……おそらく、S-85を超えているかと」

『……』


 戦闘において数が勝敗を決する時代は遥か昔に過ぎ去っている。

 レベルシステムが普及してからは、千の軍勢を超える一が存在し得る。まさしく一騎当千の強者が、たった一人で戦局を揺るがしかねないのだ。


 S-85の魔人となれば、魔族の中でも只者ではない。

 レベル10とレベル20。

 レベル70とレベル80。

 どちらも同じレベル差だが、その内容は大きく違う。戦力差としては後者の方が圧倒的に開きがある。


 このレベル帯においては、もはや数の力は気休めに近い。

 その手の化け物は、同じく化け物級の一人に任せる方が無難とされている。

 故に、S-85の魔人は通常戦力では討伐困難と見なされるレベルだ。


『それに加え吸血鬼一体に、他にも魔人が一体いたそうだな』

「はい。どちらも私は詳細を把握しておりませんが……」

『とすれば、万全を期すならエルダークラスがあと三人は欲しいな。……二年前ならともかく、今エルダーを三人となると……』

「キース殿、しかし……!」

『分かっている。預言にあった何者かである可能性は、確かに高い。いや、それ以外に考えづらいほどだ』

「では、早急に他のエルダーを派遣していただきたい。あんな魔人がバラディアを襲えば、大惨事になります」

『簡単に言ってくれる』


 キースの苛立ちを感じ取り、ラトリアの口をつぐんだ。

『エルダーの出動は私の一存で決められることではない。本来であれば議題として議会に回す必要がある。……緊急事態ということで簡略化し他の評議員に許可を貰えるよう掛け合ってみるが……それなりに時間はもらうぞ』

「……失礼を承知で申し上げます……迅速なご対応をお願いいたします。その魔人はこの港町近くの森で遭遇しました。いつ襲ってきてもおかしくありません」


『おい――私が仕事の遅いノロマだと言いたいのか?』

「……滅相もありません。しかし、」

『二日だ。許可をもらって出動の準備まで一日。ルドワイアからバラディアまで専用の駿馬を飛ばして一日。それが最短だ。それ以上はどれだけ急かそうが無駄だ。マーガレット秘蔵の飛竜でも借りれば別だがな』

「……ご尽力痛み入りいます」


 二日。その間にあの魔人が攻めてこない保証はどこにもない。

 いざとなればラトリアが再び対処するしかないが……あの魔人が本気になったときの戦い方を知っているラトリアには背筋の凍る話だ。


 あの魔人を相手に生き残る可能性は極めて低い。

 自身の命を度外視した攻撃……ラトリアには、出来て相打ちが精々だろう。

 再びあの魔人をまみえることになれば、ラトリアも覚悟を決めるしかない。

 

『――次に、吸血鬼だが……それには私も心当たりがある。特徴からハシュール国を襲った吸血鬼『ブラッディ・リーチ』でほぼ間違いない。血を操るという能力も一致している』

「ブラッディ・リーチ? ……その吸血鬼は討伐されたはずでは?」

『そのはずだ。最近勇者に選ばれたエルフが討伐し、ハシュール王国騎士団がそれを確認したはずだが……とにかくそいつだ。君がいなかったとはいえ君の部隊を丸ごと相手取ったんだったな?』

「はい。こちらも詳細は分かりませんが、吸血鬼単体では戦力的にこちらが上回ったようです」


 が、その後あの魔人が乱入し部隊を蹂躙した。

 ラトリアとシィムはその現場を目撃してはいないが、そう考えるしかない。


『その上、シィム・グラッセル含む七名の部隊員を殺害した別の魔人がもう一人…………どうなってる? 連中、バラディアで何をする気だ?』

「分かりかねます」

『この魔人について追加の情報はないのか?』

「……いえ。グラッセルも冷静さを取り戻してきましたので再度取り調べましたが……先程お伝えした報告以上のものは何も」


『最低限……容姿、名前、目的は分かっているからまだ良しとしよう。出来れば適正レベルと能力の情報が欲しいところだな。――フン。だと? それでもルドワイアの騎士か』

「……部下の失態をお詫びいたします。どうかお許しください」


 相手には見えていないにも関わらずラトリアは通信の向こうにいるキースに深々と頭を下げた。

 そんなラトリアの姿が見えているかのように、キースの静かに嘆息する声が聞こえてきた。


『……いいだろう。この魔人――スノウビィに関してはこちらで調べておこう』






 通信を終えたラトリアが別室に戻ると、薄暗い部屋の中にシィムがいた。

 シィムはベッドの傍の床に、膝をかかえてうずくまっていた。


「……シィム?」

 ラトリアが部屋の灯りをつけるとビクリと身を震わせ、入室者がラトリアだと気づくと安堵の息を漏らした。


「隊長……お疲れ様です。お怪我はもう大丈夫なんですか?」

「まだ万全ではないな。薬で応急処置を施しただけだ。このあとバラディア軍属の神官に治癒してもらうつもりだ」


 ベアに受けた傷は甚大だったが、それでも今はなんとか動けるくらいには回復した。

 バラディア軍の神官ともなれば用いる回復魔法も上位のものだろうが、それでも完治には多少時間がかかるだろう。


「――シィム。何度も同じ質問をして悪いんだが、もう一度だけ例の少女について教えてくれ」

「……はい」

 その質問がくることは想定していたのか、シィムは素直に頷いた。


「少女の名はスノウビィ。容姿は全身真っ白で、端正な見た目に右目に眼帯。礼儀正しく敬語を使い、一見強そうには見えない。……ここまでは報告通りだな?」

「はい」

「で……肝心の強さだが」


 そこでラトリアは一旦言葉を区切り、シィムの様子を窺った。

 シィムはあの時のことを思い出したようで、僅かに目を伏せて身を縮こまらせた。

 目に見える動揺……シィムは明らかに恐慌状態にある。


「何をされたか分からない……だったな?」

「……はい」


 シィムの返答を受け入れ、ラトリアはしばし思案した。


 ……『何をされたか分からない』と一口に言っても様々な捉え方ができる。

 最も分かりやすいのは未知のスキル。

 俗にユニークスキルと呼ばれる、特定の人物のみが有する超希少スキルであれば、その原理を理解できなくても不思議はない。


 あるいは不意打ち。

 視界外からの狙撃なども、それと気づく前にやられることもあるだろう。

 もしくは催眠、洗脳、暗示などのスキルを使われれば、一時的に意識を失いその間に攻撃されることもある。


 極論、圧倒的な実力差があり、相手の攻撃が速すぎて見えなかった……などという理屈でも、ラトリアは納得できただろう。


 ……だが、シィムの語る内容はそのいずれでもなかった。


「本当に分からないんです。スノウビィは……

「少なくとも魔法は発動させただろう? 君がいた場所から半径数百メートルが氷漬けになっていたんだ。いつそうなった?」

「……わかりません。気が付いたら氷の中にいました。その速さは測れません。部屋に灯りを付けたら違う場所にいた……そんな感じに、いきなり景色が変わったんです」

「……」


 そんなことは有り得ない。

 ……とシィムの言葉を斬り捨てられたらどれだけ楽か。

 だがその瞬間を見ていない以上、唯一の生き残りであるシィムの言葉しか証言がない。


「そして、気が付いたら他の部隊員は死んでいた?」

「……はい。いつ死んだのか分かりません。でも、森が氷漬けになったときには既に……」

「……で、その間スノウビィは何らかのスキルを発動させた気配はなく、それがユニークスキルなのか黒魔法なのかも分からない、と」

「隊長、信じてください! 私は黒魔導士です。何らかの魔法が使われれば必ず分かります!」

「……そうだな」


 シィムの言う通り、彼女ほどの黒魔導士なら近くで誰かが魔法を発動させれば、事前でも事後でも魔力を感じ取れるはずだ。

 それがないということは……あれは黒魔法ではなかったということになる。

 だが、それではあの場で起きたことをまるで説明できない。


 ……いや、事実シィムは説明できないのだ。

 彼女の話を聞いているだけでも、あの場で起きたことの異常性はラトリアにも伝わってきた。


「ただ……」

 シィムが自信なさげに呟く。

 その先に続く言葉も、ラトリアは既に彼女から聞いていた。


、だな?」

「はい。いつ外したのかは覚えていませんが……気づいたときには外れていました。それが唯一彼女がした動作です」


 それを動作の内に加えていいかはかなり怪しいが、聞く限りでは本当にそれ以外に何もしていないらしい。

 となると、鍵となるのはやはり眼だろう。


「……魔眼、か」


 考えられる可能性で最も有り得そうなのはそれだ。

 魔眼の能力は多岐に渡るが、能力として発現させる者は稀だ。

 スキルのように使用するものもあれば、常時発動型パッシブのものもある。


 最もポピュラーなものは、暗示や催眠など、相手と目を合わせることで相手を惑わす能力だ。

 他にも特殊な魔眼を持つ者もおり、こういった類のスキルは人類よりも魔族の方が圧倒的に習得率が高い。


「でも……魔眼であんなこと、できるわけないですよね」

 シィムの言葉にラトリアも小さく呻くしかなかった。


 そう。魔眼の力は大抵の場合、小規模だ。

 魔眼一つで出来ることは、ほとんど他の手段で代用が聞く。

 それこそ最寄りの魔道具店に寄れば簡単な催眠魔法を放つ魔石が買えるし、魔法的な出力も本職の黒魔導士のそれとは比較にならない。

 魔眼を宿すならそういう汎用的なものではなく、もっとユニークな能力が好ましいとされているが、それこそもっと限定的で低位の能力になることが多い。


 魔眼とはそういう、あくまで補助的な能力なのだ。

 一方であの森で起こった出来事は、一流の黒魔導士でもそう簡単には引き起こせないほど大規模。

 魔眼程度で出来ることの範疇を遥かに超えている。


「……魔眼で君の意識を一瞬奪い、その隙に……」

「あり得ません! そんなこと……気づかないわけありません!」

「……」


 ルドワイア帝国騎士団の黒魔導士を相手に、使われたことすら気づかせない魔眼。

 しかも一切の魔法の痕跡を残さず、一瞬の内に広範囲を氷漬けにし七名のルドワイア騎士を瞬殺する魔眼。


 そうなのだと押し通されれば一応筋は通るが……もはやこじつけ、屁理屈の域だ。

 その話を許容するのであれば、今後『とある魔人がペーパーナイフで山を真っ二つにした』という話も信じなくてはならない。

 それほどに、本来魔眼が持ちうるキャパシティを超越している。


「……わかった。この話はここまでにしよう。今聞いた話はそのまま上に報告しておく」

 もはやラトリア一人で整理できる話ではない。判断は上に任せよう。

 キースからは『また馬鹿な報告を』と嫌味を貰うことになるだろうが、実際そうなのだから他に報告のしようがない。


「……すみません。私が不甲斐ないばかりに」

「気に病むな。私もあの灰色の魔人に遅れを取った。それより、今後の話をしよう」

「今後……。そう、帰還! 帰還命令はいつになりましたか?」


 シィムの気持ちはラトリアにも十分に察せられた。

 一刻も早くこの国から去りたい……彼女の瞳はそう訴えかけてきていた。


 ――それを裏切ることを忍びなく思いながら、ラトリアは口を開いた。


「帰還命令は出ていない。我々はこのまま任務を継続する」


 絶句するシィムが自身の放った言葉を理解できるまでラトリアは待った。

「任務……継続? そんなこと……だって、もう任務は終わったはずじゃ?」


 元々、ゴード部隊の任務は調査だった。

 預言され占星術にも捕捉された謎の魔力体。その詳細を調査することが主目的だ。

 そういう意味では既に部隊は任務を達成している。

 明らかに異常な魔人を二名と吸血鬼を一名捕捉し、バラディア国の脅威となる可能性を十分に見出し報告も済ませた。


「それなのに……これ以上何をしろっていうんですか? まさか、あの魔人たちと戦えと?」

「……」

「そんな……だって、『我々』って……私たちはもう二人しかいないんですよ!? 勝てるわけない!」


「戦闘は必須じゃない。私たちの任務は引き続き調査だ。その魔人たちについて可能な限りの情報を入手する。……早ければ二日後には応援でエルダーが派遣されることになる。彼らのためにもな」

「調査って……どうやってですか?」

「方法は今から考える。明日はまず聞き込みからだ。必要とあればもう一度あの森に出向くし、追加で探知魔石を設置しに行くことになるかもしれない」


「……キースさん……リトルフ評議員がそう仰ったんですか?」

「そうだ。彼の命令だ」

「……」


 シィムは意気消沈したように項垂れた。

 小さな身体を震わせながら、軍から下された非情な命令に打ちのめされていた。


「……本部は、本気でこの部隊を使い潰すつもりなんですね。私たちのこと……捨て駒としか思ってないんですね」

「……シィム」

「あいつだ……マーガレット……きっとあいつが……!」

「シィム。憶測で滅多なことを口にするな」

「……すみません」


 ラトリアはシィムの肩に優しく手を乗せる。

 ゆっくりと顔を上げたシィムにラトリアは優しく微笑み……そして、一転して真剣な面持ちへと変わった。


「気持ちは分かるが、君も栄光あるルドワイア帝国の騎士だ。ルドワイア帝国騎士団は人類の勝利のため戦う、人類の希望そのものだ。――私と初めて会ったとき、君は私に誓ったはずだ。人類の勝利のためその身を捧げると。あれは嘘ではないだろう?」

「……はい。もちろんです」


 ラトリアの言葉に、シィムもようやく決意を固めた様子だった。

 それでも、彼女の中に拭い難く恐怖の念があるのをラトリアも察していた。


 本来ルドワイア騎士が魔人を恐れるなどあってはならない。

 シィムは、普段から超がつくほど真面目で、意識も高い。誰よりも実直な、ラトリアの自慢の部下だ。

 特に今回の任務では、この部隊の――ひいてはラトリアの汚名を払拭するチャンスだと人一倍張り切っていたのをラトリアも知っている。


 ……そんなシィムがこれほどに戦意を失う相手。

 スノウビィ。

 そして名も知らぬ灰色の魔人と、その仲間の吸血鬼。

 それをたった二人で追えという命令は、死の危険があまりに高い任務だ。

 それを恐れるシィムを、ラトリアは責めるつもりなどなかった。


 何より、ラトリアもまた……過去に同じ過ちを犯してしまったのだから。


 ラトリアもかつて一人の魔人に心を砕かれた。

 圧倒的過ぎる力の差に屈し、恐怖した。


「……」

 ラトリアはふと、背に差した大太刀を意識した。

 かつて、ラトリアの主兵装は直剣だった。

 今こんな武器を使っているのも、思えばあの日植え付けられた恐怖心への抵抗なのかもしれない。


 あの日。

 ラトリアはそれほど完膚なきまでに敗北し、屈服したのだ。



 ――ムラマサという、一人の魔人に。

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