第63話 恨むなよ。俺だって困ってんだ
ムラマサの言う通り、確かにそこに大きな塔があった。
大陸の西端。もう数百メートルも行けば海に繋がる崖の近くに、全長四〇メートルほどの高さの塔が聳え立っていた。
「まあ、大きな塔ですね」
楽しそうに塔を見上げるスノウビィとは対照的に、ムラマサは精神的な意味で疲労困憊だった。
ここに来るまでに大きな森を一つ通ったのだが、少しでも目を離すとスノウビィが迷子になりかけ、西へ進むはずが何かに導かれるように方角を変えて進みだす始末。
仕方なくムラマサが先導し、数秒おきに背後を振りかえってスノウビィがついてきていることを確認しなくてはならなかった。
「中に人がいらっしゃいますね。それも大勢」
「だろうな。明らかに人が通った跡がある。手入れもされてるみてえだし」
「結界も張られてあります。人払いの結界です。簡単なものですが、効果はあるでしょう」
「なるほど。一般人は偶然にも立ち寄らないってわけか。どおりでやけに不審な目で見られてると思った」
――あちこちの陰から、二人を監視する気配がいくつもあった。
目視では確認できないように巧妙に隠れてはいるが、この二人にかかればそんなものは隠れた内に入らない。
結界をものともせず塔に接近できた二人を警戒しているようだ。
「どうするよ。揉め事は避けた方が無難だぜ。引き返して野宿に一票」
「却下です。この塔を尋ねるに百票」
「なんでそんなに票持ってんだ」
「魔王ですもの」
スノウビィは階段を上り、入口らしき扉を数回ノックした。
数十秒の沈黙。
明らかに人の気配があり二人を監視しているが、中から人が出てくる様子はない。
居留守を使うつもりのようだ。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」
再びスノウビィがノックする。
中に人がいるのは分かっているが、一応呼びかけを行ったようだ。
ムラマサはその傍でイカゲソを噛みながら、塔の住人たちがこのまま居留守を使ってくれることを期待した。
魔王であるスノウビィが人間領で何かに接触する機会は、少なければ少ないほどいい。
……とはいえ、このまま引き下がるつもりもなさそうだ。むしろ無人だというのを口実に塔の中に踏み入ろうなどと言い出しかねない雰囲気だ。
そんなスノウビィの気配を察したのか、ついに塔の扉が開いた。
このまま踏み入られるよりは追い返す方が得策だと判断したのだろう。
中から現れたのは中年の男性だった。
白衣を身にまとい、見るからに研究者といった風体だ。
「どちら様でしょうか。こんな夜中に」
「夜分に大変恐れ入ります。わたくし、スノウ――」
「おいおいおいおいッ!!」
大慌てでスノウビィの口を押えるムラマサ。
あろうことか今スノウビィは自分の名を名乗ろうとした。信じがたい愚行だ。
「今は一発ギャグの流れじゃねえだろ! ビビらせんな」
「んむーー! むむぅー!」
口を押えられたスノウビィがモガモガと暴れる。
「ここは俺に任せとけ。いいな? お前は後ろで黙ってろ」
「……んむぅ……」
不満そうにジト目で睨まれるも、ムラマサは意に介さずスノウビィを下がらせた。
「あー……失礼。仕切りなおさせてくれ」
「ええ、どうぞ」
「俺はジャック。後ろのあれはポチ。冒険者でね。少し前にバラディアに来たばかりなんだ」
「ああ、冒険者の方々ですか。それで、何用でしょう」
「なんとなく想像できてると思うが、お察しの通り道に迷ってね。どこかで夜を超したかったところなんだ。するとここに大きな塔があるのを見かけてな。無人なら一泊借りようってわけさ」
「それはそれは。大変でしたね」
口先だけの言葉だとしてももう少し感情をこめるべきだと思わせるほどに平坦な声音。
どう見ても突然の来訪者である二人を疎ましく思っている。
「ですが、残念ながらこの塔は我々が使用しています。空き部屋もありません」
「そうか。そりゃ残念だ」
「申し訳ありません。ここから南に行けばセドガニアという港町に付きます。そこを目指されるのがよいでしょう」
「だよな。お邪魔しましたー」
去ろうとするムラマサの背をスノウビィがツンツンとつつく。
振り返るとスノウビィが「もっと粘れ」と目線で訴えていた。
「……あー……ただ、あれだ。もう夜も深い。それに町に着くまでに森を一つ抜けなきゃならないだろ? こっちにはこんなチビッ子もいてな。できればもう移動はしたくないとこなんだよ。危ねえしさ」
「……」
露骨に迷惑そうな顔をする研究員。
だがそれが正解だ。
彼らは想像もしていないだろうが、実は彼らは今、生存の瀬戸際に立っている。
ここで二人を受け入れれば、この塔の住人に命はない。
スノウビィは彼らのことなど気にしないだろうが、いくらなんでもムラマサがそれを許さない。
可能な限り人間との接触は持つべきではない。この塔で一泊するなら住人は皆殺しにする必要がある。
「申し訳ありませんが、ここは宿泊施設ではありませんし、関係者以外の立ち入りを禁止しています。そちらにも事情はおありでしょうが、こちらにも事情はある。ご理解いただけますね?」
「なるほどなるほど」
思ったよりも厳重だ。
こうなるとバラディア国が運営している施設である可能性が高い。そうなれば更に揉め事を起こすのは得策ではない。
「……ここはもしかしてバラディア軍かなんかの研究施設とか? だったらさすがに俺も迷惑かけられないな」
「お答えできません。お引き取りを」
向こうも相当苛ついているようだ。
これは諦めた方が無難だろう。スノウビィには野宿してもらうしかない。
そう思ってスノウビィの様子を確認したムラマサは……彼女の表情を見て嫌な予感を覚えた。
スノウビィは何やら意味深な笑みを浮かべていた。
普段から自然と笑みを絶やさない温和な表情をする彼女ではあったが……今スノウビィが浮かべているのはそういう類のものではない。
何か面白いオモチャでも見つけた子供のような……そういう無邪気故に不吉な笑みだった。
「――何か、面白い試みをされているようですね」
スノウビィが言った。
それは研究員に向けて放たれた言葉ではあるが、スノウビィの視線は彼を見ていなかった。
スノウビィはもっと漠然と、この塔全体を眺めているようだった。
ムラマサには見えない何かを……その澄んだ青い瞳で捉えたようだ。
「……どういう意味でしょうか?」
「ずっと気になっていました。この塔に満ちる魔力は、日常ではほとんど見かけないほどに特殊です。どこかで見た覚えがあったのですが、なかなか思い出せませんでした」
「……魔力?」
「ええ。ですがようやく思い出せました」
スノウビィは嬉しそうにはしゃいでいた。
その様子に、彼女以外の誰もが不吉さを覚えた。
「――冥府の門を開けたのですね」
瞬間、今まで無表情だった研究員が双眸を見開いて狼狽した。
「な、なん……なんだと!? 何を言っている!」
「この塔に満ちる魔力はこの世のものではありません。冥府のものです。私も以前一度行ったことがあるので間違いありません。……それにしても興味深い。人為的に冥府の魔力を呼び込むだなんて。それも魔法で加工されていますね。とても高度な技術が必要でしょう」
「き、貴様! 一体何者だ!」
ムラマサには何の話かさっぱり理解できなかったが、研究員の様子では、スノウビィの指摘は全て的中しているようだ。
「――ここまでだ。どいてな」
その声は新たな乱入者の者だった。
物陰から姿を現したのは一人や二人ではなかった。
一〇人を超える武装した者たちがムラマサとスノウビィを囲むように一定の距離を保ちながら現れた。
「……盗賊?」
ムラマサが怪訝そうに声を漏らす。
現れた武装集団は、その装備や出で立ちを見るに、盗賊のようだった。
何故そんな者たちがこんな場所で、それもこんな研究員と行動を共にしているのか。
「お、おい。この塔で揉め事は……!」
「うるせえよ、黙ってろ。こいつら……明らかにこの塔のことを知ってやがる」
なるほど、とムラマサも納得した。
どうやら彼らは二人があらかじめこの塔の情報を入手してから訪ねてきたと思っているようだ。
そうでなくては説明できないほどに、今スノウビィが言い当てた内容は普通の者には看破できないことのようだ。
「それに……見てみろよこの女。こんな上玉見たことねえ」
「ああ。こっちは退屈な塔の生活で女に飢えてんだ。これくらいの役得があったっていいよなあ?」
下卑た笑みを浮かべる男たちに囲まれてもスノウビィには僅かの動揺もない。
「ジャックさん」
「ん?」
「わたくし、この塔に興味があります。是非詳しく調べてみたいです」
どうやらスノウビィの中で、この塔は単なる宿泊施設からもっと別のものへと意味合いを変えたようだ。
はあ……とムラマサは悩ましい溜息を洩らした。
「……なんつーか……運が悪かったな、おたくら。マジで同情する」
気の毒そうに男たちに声をかけながら、ムラマサは刀の鍔を指で弾いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます