第11話 今後ともよろしく☆
最初の記憶は、一面に広がる赤色だった。
堅牢な壁に覆われた四角の部屋の中で、彼女は一人佇んでいた。
周囲に散らばる肉片と夥しい血。無数の屍は全て彼女が屠った魔獣だ。
『――見ろ。ついに産まれたぞ。最強の魔人だ』
どこからか声がする。その声を彼女はぼんやりと聞いていた。
『――次だ。次の魔獣を送り込め』
歓喜に満ちた声音が響き渡ると、どこからともなく異形の怪物が現れた。
――殺した。
『――素晴らしい。素晴らしいぞ。次だ』
――心臓を握り潰した。
『――強い。よもやこれほどの魔人があの女から産まれるとはな。次だ』
――首を跳ね飛ばした。
『――これならできるぞ。我が野望………我らの悲願。これが成し遂げるに違いない。――次だ。休む暇など与えるな。一刻も早くレベルを上げるのだ』
――四肢をバラバラに解体した。
その最中。
絶え間なく繰り返される単調な作業に……彼女はただ、一つの感情だけを抱いていた。
『――我が娘よ。貴様に名前を与えよう。貴様はやがて魔王となり、人類を滅ぼすのだ』
――退屈だ。
「……レベルドレイン?」
パンダは間違いなくそう言ったが、ロニーは聞き返さずにはいられなかった。
「ええ。私はある魔人に力を奪われたの」
「……にわかには、信じられない話だ。レベルを奪う能力だなんて……聞いたことがない」
レベルが上がるというのは、つまり魂が強化されることを意味する。
他者を殺すことで得た魂を用いて、自らの魂を更に強大に変化させることがレベルシステムの神髄だ。
その性質上、魂はいかなる状態へ変化しようともその絶対量は増加するのみであり、決して弱体化はせず、かつ不可逆のものであるとされている。
だからこそスキルを習得する際、多くの人間が頭を悩ませることとなる。
どのように強化しようとも、二度と取り返しがつかないからだ。
「正確には魂を吸い取る能力ね。原理的にはレベルシステムと似たようなものよ。ただ、その魔人はそれをユニークスキルとして持ってるの。さながらソウルイーターといったところね」
レベルに不釣り合いな技能の謎を、パンダはそう説明した。
つまりレベルだけが下がり、身に着けた技能は残ったということだ。一応、説明にはなっている。
「じゃあ、君は以前はもっと高レベルだったと」
「まあ、それなりにね」
いくつだった、と訊かれれば100だと答えるつもりだったが、ロニーはそれ以上追及してこなかった。
それよりもロニーの興味は別のものに引かれていた。
「魔人に力を奪われた、と言ったね」
「ええ。……まあ、厳密には――いえ、これはあなたにはどうでもいい話ね。彼女はもう魔人と言って差し支えないわ。……はむ。いやぁん美味しい!!」
パンダは焼けた肉にかじりついて満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ君は、その魔人に奪われた力を取り戻すために旅をしている、と?」
「は?」
訳が分からないとばかりに首をかしげるパンダ。
「どうしてそんな話になるの? 言ったでしょ、私は自由気ままな冒険者生活がしたいからあそこを出たのよ」
「……奪われた力には未練はないのか?」
「全然。それに……そうね、ごめんなさい、語弊があったわ。力は奪われたというよりは、あげたの」
「あげ、た……? どうして」
「欲しがってたから。私もちょうどレベルが鬱陶しかったしね」
「鬱陶しい……?」
「だって何するにしたって簡単になっちゃうじゃない。だから冒険するにしてもレベルを下げて、不自由な状態で始めたかった」
「不自由? さっき自由になりたいって言ってなかったか?」
「同じことよ。自由になるっていうのは、不自由を克服するってことでしょ? だから自由になるには、まず不自由にならないといけないの」
「……」
ロニーには理解できない価値観だったが、少なくともパンダはそう信じて、自らの力を他者に譲り渡したらしい。
「実際、力を無くしてからのこの一月は、本当に楽しかった。人生で一番楽しかったわ。貨物船で密入国したり、お金がないからウエイトレスのバイトやったり。今日だってそうよ。フォレストウルフ相手にあれやこれやと頑張ったり、ジャイアント・トレントから逃げるために必死になったり」
「それが楽しかったのか?」
「あなたも楽しかったでしょ? ジャイアント・トレントから逃げてるとき」
「よしてくれ。二度とごめんだ」
嘆息するロニーを見て、パンダは花が咲いたように笑った。
それから口いっぱいに肉にかぶりつき、リスのように頬っぺたを膨らませる。
その姿はどこか間抜けで、しかし確かに今の生活を心から楽しんでいるように見える。
そんなパンダに釣られるようにロニーにも軽く笑みがこぼれ、ロニーも肉を口に運んで食べた。
「じゃあ本当に、ただ冒険者として気ままに生きることだけが目的だと?」
「うーん、一応最後には魔王を討伐しようと思ってるわ。そこを冒険のゴールに設定してるの」
「……前もそんなことを言ってたが、本気なのか?」
「もちろん」
「生涯の目標ってわけか」
「ちょっとちょっと、そういうのじゃないわ。出来たらいいな、じゃなくてちゃんと達成するつもりよ。レベルを上げて、パラメータのビルドもしっかりやって、いずれは勇者を仲間にして、神器も手に入れて」
パンダは飄々と語るが、声音は真剣だった。どうやら本気で魔王を討伐する計画は立てているらしい。
しかもそれを楽しんでいるという。常人とはかけ離れた感性の持ち主であるのは疑いようもない。
「……羨ましいな。俺はもう、魔人とは出会いたくもない」
「あら、昔魔人と戦ったことがあるの?」
「…………昔、な」
言うとロニーの表情は急激に陰りを見せ始めた。
「当時は……俺はまだレベル20になりたてだった。パーティは今と同じ、俺とフィーネと白魔導士が一人。バラディア国ってところに寄ったとき、魔獣の目撃情報があったんだ」
バラディア国はルドワイア帝国に次いで強力な軍を持つ強国だ。
騎士団のレベルも高く、今まで多くの魔人を討伐した実績を持っている。
ルドワイア帝国が魔族領の魔族との戦争を主目的としているのと違い、バラディア国は人間領内に発生した魔族の脅威を排除する任につくことが多い。
「だが当時は二年前の大戦争が終結したばかりで、どの国もまともに兵が残っていなかった。だから冒険者組合に魔獣の討伐依頼がきた」
なるほど、とパンダは納得した。
二年前の大戦争といえば、パンダがまだ魔王の頃に起こった、両軍ともに二○万以上の兵を動員しての、人類の命運をかけた一大戦争のことだ。
実際にはその戦争は魔族の注意を引くための囮で、勇者パーティを用いてパンダをピンポイントで討伐しようとした。
しかし勇者パーティが返り討ちにあったと知らされなかった人類の軍は、その後も勇者パーティが魔王討伐の勝ち鬨を上げるのを健気にも待ち続け、結果、泥沼の消耗戦を強いられたのだ。
パンダはあの後すぐにシャワーを浴びて昼寝をしたので詳細は覚えていなかったが、相当な数の騎士が死んだらしい。
バラディア国もその影響を受け、深刻な騎士不足に永く喘ぐこととなったのは想像に難くない。
「魔獣討伐に参加したのは合計で三○人にもなる猛者たちだった。中にはレベル40近くの有名な冒険者もいた」
「倒せたの?」
「……魔獣はな。でも……そこに魔人が現れたんだ。その魔獣の主だった」
「まあ、よくある話よね」
『魔物』『魔獣』『魔人』。これらは全て異なる意味を持つ。
魔物は言わずもがな、人間以外の異形の怪物たちだ。
カテゴライズは人間が行っており、生物的特徴などから、単なる野生動物と魔物の線引きを行っている。
一方で魔獣とは、『魔人の支配下にある魔物』という意味だ。
全ての魔獣はいずれかの魔人と『血の盟約』を交わし、主従関係を形成している。これが魔物との決定的な違いだ。
そして『魔獣』と『魔人』をひっくるめて『魔族』と呼ぶ。
つまり魔獣には必ず主となる魔人がおり、魔獣討伐の際には魔人が近くにいないことを確認してから行うことがセオリーとなっている。
かつてロニー達はその鉄則を破ったようだ。
あるいは大人数だからと慢心したのかもしれない。冒険者に魔獣討伐の依頼が来ることは稀だ。魔獣討伐に関しては素人が集まっていたとしても不思議はない。
「……どうなったかもう分かると思うけど、三○人いた討伐隊の内二五人が死んだ。まるで歯が立たなかった。あれは……虐殺だった。俺たち三人は戦闘に参加することもできず、ただ怯えて突っ立ってた」
「フィーネが漏らさなかったかとっても心配だわ」
「……………………まあ、仕方ないさ。フィーネも当時はまだ冒険者として経験が浅かった」
「え、漏らしたの!?」
パンダは口に含んだ肉を噴き出して、涙を流しながら爆笑した。
「これ、本人に言わないでやってくれよ。今でこそこうやって笑い話にできるが、昔は夜も眠れないくらい怯えてたんだ」
「ええ、ええ、……わ、わかった……ぷ、く、ふふ……! でも、まあ、そうね。よかったじゃない逃げられて」
「……他のメンバーが次々と殺されていく中で、必死に逃げたんだ。それ以来、魔人がトラウマになってる。フィーネはもちろん、俺も。……何より」
そこでロニーは言葉を区切り、自嘲するように渋い笑みを浮かべた。
「何より堪えたのが……その魔人は決して上位の魔人じゃなかったってことだ」
それはパンダもとっくに感づいていたことだ。
レベルの高い魔人ならば、五人も獲物を逃すはずがない。せいぜいレベル50程度の魔人だったのだろう。
だが、それでもその力はジャイアント・トレントなど比較にもならない程だ。ロニー達にかなう相手ではない。
「俺はね、パンダ。いつかルドワイアの騎士になりたいと思ってるんだ」
「それはまた大きく出たわね」
「ああ、我ながらそう思うよ」
「あそこの騎士になろうと思うなら、もう20レベルは上げないとね」
「それもそうだが、それ以前に……魔族と最前線で戦い続けてるルドワイアの騎士を目指しておきながら、魔人が怖いだなんてな」
「あはは、それもそうね。カッコつかないわね」
パンダは茶化すように笑ってまた肉を食べた。
「じゃあ、あなたも恐怖という不自由を克服しなきゃね。私と一緒に」
「君と?」
「ええ」
パンダは串に刺さった肉を全て平らげて、串を火に放り込むとじっとロニーの瞳を見つめてきた。
「もしあなたが……そうね、私のこと気味悪いって思うのも無理ないけど、もし……それでもいいって言ってくれるなら、私はあなた達と一緒にパーティを組みたいって思う」
「……正直、君にパーティが必要とは思えない。一人でも十分国営ダンジョンでレベル上げができるだろう。レベル10にもなれば、君ならバラディア国でも通用する冒険者になれると思う。だから、」
「強さは関係ないわ。それこそ勇者とかなら話は別だけど、私が私のパーティに求めるのは、私がどれだけそのパーティを好きになれるかよ」
「……」
「私、あなたのこと好きよ。フィーネもトリスも。今日、一緒に薬草を採っていてとても楽しかった。あなたはどう? ……私とパーティ組むの、やっぱり嫌?」
「…………俺は」
言い淀むロニーに、パンダはそっと右手を差し出した。
「私はいつか魔王を倒すわ。その旅の途中で、魔人なんて一○人でも二○人でも倒せるわよ。その頃にはそこらの魔人なんて怖くもなんともなくなってるだろうし、レベルも上がって騎士にだってなれてるわよきっと」
「……君が言うと、なんだか本当にそうなりそうで怖いよ」
ロニーは降参とばかりに肩をすくめて――パンダの手を握り返した。
「君を信じるよ、パンダ」
握る手に力を籠めると、パンダは嬉しそうにウインクを一つ飛ばした。
「――ええ、トリスの他に、もう一人冒険者のお守りをすることになったわ」
リビア町の宿屋の一室で、フィーネはベッドに腰を下ろしながら会話していた。
だが部屋にはフィーネ以外誰もいない。フィーネの話し相手はずっと遠い場所にいる。
フィーネの右手の中で光る石は、通信用の魔石だ。
魔力を注ぎ込むことで、離れた場所にいる相手との通話が可能になる。
会話が外へ漏れることもない。テレパシーの魔法の一種だ。
フィーネの話し相手は、もう一人のパーティメンバーの白魔導士だ。
今は帰郷のため一時パーティを離脱しているが、フィーネは定期的にこうしてテレパシーによる交信を行っている。
決して安くない魔石の無駄だと相手によく怒られるが、それでもこの時間はフィーネには大切なものだった。
「……驚かないでよ、そいつレベル1だそうよ。ふざけたチビっ子でね。……………………私は全然乗り気じゃないわよ。でも、ロニーがやけに気に入っちゃってるみたいでね。…………ちょっと、チビッ子って言ってるでしょ。ロニーはそんな趣味ないわ。まあ……確かに顔はびっくりするくらい綺麗よ。どっかの貴族のご令嬢って言われても納得できるくらい。……………………あははっ! ぜんっぜん! 正反対。とんだお転婆で考えなしの悪ガキよ」
弾けるように笑うフィーネ。
白魔導士との会話はいつも弾む。フィーネがこの世で二番目に心を許せるかけがえのない仲間だ。
「…………え? ああ、そういう意味で悪いってことじゃないわ。まあ……いい子だとは思うわよ。悪人じゃないわ、それは私が保証する。元気で明るくて。……………………ええ、鍛えればそれなりにはなりそうね。見込みはあると思う。さっきも言ったけど、ジャイアント・トレントと戦って生き延びたのよ。……………………もちろんよ。ロニーのおかげ。でも、生き残れただけでも奇跡だと思うわ。……………………ううん、反対。仮にそうでも、私はあの子が冒険者になるのは反対。…………それもあるけど、やっぱり幼すぎる。ほんとに小っちゃいのよそいつ。一四○センチもないんじゃないのってくらい。…………ええ、もちろん。リビアに滞在してる間だけよ。困ったわよほんと」
そのとき、フィーネは廊下の床を踏み鳴らす足音を聞き取った。
迷いなくフィーネの部屋に向かって歩いてくる。
歩調でなんとなくわかる。ロニーが帰ってきたようだ。
「噂をすればロニーが帰ってきたみたい。…………ええ、じゃあもう切るわね」
そう言い残し通信を遮断した。
その直後、フィーネの部屋のドアがノックされる。
「どうぞ」
声をかけるとノブがひねられ、外からロニーが姿を現した。
「ただいま」
「おかえりロニー。ねえ、パンダのことなんだけど」
「ちゃおっ☆」
ドアの影からひょこっとパンダが顔を出してきた。
「…………なんでいるの?」
「そのことなんだが、パンダには正式に俺たちのパーティに入ってもらうことになった」
「……は?」
「つまり、リビアを出た後も一緒に旅をしてもらうつもりだ」
「…………」
「末永くヨロ☆」
右手でピースサインを作るパンダを見て、フィーネは深い嘆息と共に頭を抱えた。
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