第114話 シラヌイとインクブル


 赤黒いショートヘアをなびかせる女性、リュドミラが人間領を訪れたのは今から一カ月ほど前のこと。

 彼女が盟約で連なっている四天王、カルマディエから直々に命令が出た。


 とある水晶を渡され、「この水晶に反応する魔人を抹殺せよ」というものだった。

 この少女が一体何者なのか。何故カルマディエが直々に動いてまで抹殺したいのかは分からないまま、厳命を受けた。


 リュドミラは配下の魔人、魔獣、合わせて総勢三六名に人間領への潜伏を命じた。

 特にバラディア国を中心に各地へ散り、その少女を当てもなく探して回った。

 正直、雲を掴むような話ではあった。手がかりと言えば紫の髪の少女という情報と、渡された水晶が反応するというくらい。


 何の手掛かりもないまま、バラディア国をコソコソと歩き回る日々を過ごしていたが、先日カルマディエから連絡が入り、その少女はバラディアに来ている事や、ホーク・ヴァーミリオンという勇者を仲間に加えていることなどが追加情報として与えられた。


 その勇者は戦闘力自体はS-60レベル相当のエルフということでさほど脅威になるとは思えなかったが、魔族に対して特効を持つらしい。

 万全を期すのであればリュドミラもそれなりの備えをする必要がある。

 そこで彼女の配下の者の中でも信頼のおける三人を招集した。


 細身で黒髪をオールバックに撫でつけた剣士、アドバミリス。61レベル。

 大柄で一撃の威力に特化したポテンシャルを持つ大剣使い、アリアシオ。68レベル。彼はこの作戦中はリュドミラの下についているが、本来はリュドミラと同じ魔人と盟約を交わしているため、盟約のランクとしては同格の実力者だ。

 まだ年若い少年だが、パーティを援護する補助魔法に長けた黒魔導士、シェンフェル。56レベル。

 この三人に加え、73レベルを誇るリュドミラの四人パーティであれば、たかが60レベル相当の勇者一人に後れを取ることは有り得ない。


 そうしてつい昨日、シュティーア遺跡に潜ったのは本当に偶然だった。

 バラディア国でまだ未探索のエリアの一つという認識しかなく、この遺跡に関する何の前情報も持たないままリュドミラパーティは遺跡に入ってしまった。


 それほど広くはない遺跡ではあったが、念のためにたっぷり一日かけて探索を行い、少女は発見できなかったために戻ろうとした矢先、突如謎の迷宮に囚われた。


 訳も分からないまま迷宮を進むと、そこで出くわした少女に水晶が反応したのだった。




「――ダメ。探知魔法にかからない。探知阻害スキルで消されてる」

 シェンフェルが無表情のまま言った。

 長い黒髪に顔の半分が隠れているせいで分かりにくいが、それでも無表情の下に若干悔しそうな気配を匂わせていた。


「クソ。ちょっと目を離した隙に逃げられるとはな。この状況でよく咄嗟に逃げようと動けるもんだ」

 アリアシオが苛立たしげに舌打ちした。

 目標の少女はつい数秒前まで確かにそこにいたはずだ。

 だが迷宮からいきなり森林へと転移したことに狼狽している内に、少女はどこかへ消えてしまっていた。

 しかも探知魔法への対策までしているあたり、抜け目がないとしか言いようがなかった。


「どうしますかリュドミラさん。ちょっと意味不明なことが起こり過ぎてる。今は下手に動かない方がいいかもしれませんよ」

 このパーティの中で最も慎重派な魔人、アドバミリスは一度状況を整理することを提言した。

 あの迷宮では、逃げ惑う人間たちをリュドミラ達が一方的に追い立てる形にはなっていたが……実のところ、状況が飲み込めていないのはリュドミラも同じだった。

 遺跡にいたはずがいつのまにか迷宮に囚われ、今度はいきなり森の中に転移した。

 全てがあまりに唐突、かつ脈絡も前兆もなく、一瞬にして事態が急変した。


 その動揺を突かれ、目前まで追いつめた標的を逃してしまった。

 ならば同じ轍を踏まないためにも、ここは愚直に追いかけるのではなく状況の把握こそを優先させるべきという判断は、いかにも慎重派のアドバミリスらしいと言えた。


「……駄目だ。探索は続ける。外に出てしまったのならそのまま逃げられる可能性がある。これはカルマディエ様からの勅命だ。失敗は許されない」

 それは先程、迷路の壁を壊して直進すると決めたときにも確認したことだ。

 いざとなれば諸共生き埋めになったとしてもカルマディエからの命令は果たす。リュドミラにはその覚悟があった。


「探せ。まだ遠くには行っていないはずだ。なんとしてもあの少女を殺す」






「どうなってるんだ……」

 同時刻、ホークもまたこの状況に困惑していた。

 つい数秒前、迷宮の通路で遭遇した魔人たちに魔法銃の銃口を向け、引き金を引こうとした矢先、今度は森の中に迷い込んだ。

 掲げた銃口は標的を見失ったまま彷徨うしかなかった。


 四人の魔人は姿を消しており、同様にパンダとキャメルの姿も消えていた。

 この場にいるのはホーク、アッシュ、ルゥ。そして……


「ルイス! ルイス!」

 地面に倒れたルイスに、ルゥが涙を流しながら駆け寄った。

「『ライト・ヒール』! お願い、目を開けてルイス! 『ライト・ヒール』!」

 何度も回復魔法を施すルゥだが、ルイスが目を覚ます気配はない。


 ルイスの損傷は酷かった。自身の倍以上もレベル差があるリュドミラの一撃を、正面から無防備なまま直撃してしまった。

 万が一の奇跡を考慮して、パンダはルイスを肉体をキャメルに運ばせたが、パンダにはルイスが即死していると察しがついていただろう。

 それでも何度もルイスの名を呼び続けるルゥの痛々しい姿に、アッシュも歯を食いしばって俯くしかなかった。


「もう死んでる」

 代わりにホークが宣告した。

 その言葉で糸が切れたのか、ルゥは激しく嗚咽を漏らしながらルイスの身体に顔をうずめて泣きじゃくった。


 周囲にはまだあの魔人達がいるかもしれない……その理性一つで泣き声を噛み殺せたのは、ルゥが見せたせめてもの意地だった。


「どうしてこんなことに……だから私は嫌だって……こんな遺跡に行くのはやめようって言ったのに……!」

「移動するぞ。どけ、そいつの装備を回収する」


 冷淡なホークの言葉に、アッシュとルゥが怒りを露わにしてホークを睨んだ。

「おいホークさん……あんた……!」

「あの魔人たちがまだ近くにいるかもしれない。パンダ達の姿もない。こんなところで留まっている時間はない」

「ルイスとルゥは幼馴染なんだ。ルゥが今どんなに苦しいか分かるだろ!」

「分かるが、ここは戦場だ。そういう感傷が命取りになる」


「分かる……? あなたに……私の何が分かるっていうんですか。私は……私はずっとルイスを……。あなたに何が分かるって……!」

「私は二○○年の年月を戦争に捧げた。その中で何千人という同胞の死を見届けてきた」

「っ…………」

「最愛の妹もつい最近失った。――不幸自慢は終わりだ。移動するぞ」


 有無を言わせぬホークの言葉に、二人も押し黙るしかなかった。

 ホークはルイスの装備を素早く取り外し、必要な物だけを取り分けていく。

 中でもホークが今なによりも欲しいものをルイスは持っていた。


「貰っていくぞ」

 それは弓だった。

 ルイスは弓を主兵装とするレンジャーだ。バラディアで活動する冒険者だけあってそれなりの弓を使っている。

 魔断が使えないホークが魔人たちと渡り合うには、破魔の矢がどうしても必要だ。

 ホークは弓の具合を確かめて、特に問題がない事を確認すると背に装備し、矢筒を左脚に装着した。


「……どこに移動するんですか?」

「少し待て。今気配を探る」


 転移した場所が森だったのは幸運だと言えるだろう。

 エルフは森の民だ。森そのものと会話をするように、森の中での動きはエルフには鋭敏に伝わってくる。


「……」

 だが、その感覚がかなり鈍いことをホークは解せなかった。

 森の中にいるのは確かだ。ホークはエルフ族固有の能力として、森の中で能力が向上する。その恩恵は確かに感じ取れる。

 なのに、森の声が全く聞こえてこない。普段ならば森の中にさえいればかなりの広範囲に渡って動きを探れるのに、その感覚が非常に鈍くなっていた。


「……本当に訳の分からんことが続くな」

 そう愚痴るホークだが、ようやくかすかにだが何者かの気配を察知できた。

 あの魔人たちのものではないようだが、パンダ達のものでもないようだった。


「こっちだ」

 詳細は分からないが、ともあれ行ってみるしかない。

 ホークが先導し、その後ろをアッシュとルゥが続いた。

 その場に置き去りにすることになるルイスの遺体を、ルゥは悔しそうに最後まで見ていた。


 周囲にあの魔人たちがいないか慎重に警戒しながら、ホーク達は森を進んでいく。

 ほんの数分の移動だけで、ホークは強烈な違和感を抱いた。


「……不気味な森だな。生き物がまるでいない」

 豊かな自然が溢れているこの森に、野生動物の姿どころか虫たちのさざめきすらもなかった。

 奇妙なほどの静寂。ホークの感覚を研ぎ澄ましてみても、森を走る動物たちの音や、鳥の羽ばたき音も聞こえてこない。


 ……そのくせ、そんな動物たちが生息しているという『痕跡』だけは残っている。

 動物の足跡や糞、樹木には鳥や虫たちの巣が見える。

 なのに肝心の生き物の姿だけが見えない。


 まさにシュティーア遺跡と同じだ。

 あの遺跡にも、人間の痕跡はあるのに人間だけが神隠しにあっていた。


「ならこの森も、外に出たのではなく……」

 まだ遺跡の中なのか。そんな疑念が沸いてくる。

 どうあれ、とにかく今は進むしかない。

 進むにつれて、その向こうから感じる何者かの気配は明確になっていく。

 数は二人。パンダとキャメルかと一瞬期待したが、やはり違うようだった。


「……ホークさん」

 不意に、ルゥが消え入りそうな声をかけてきた。

「なんだ」

「……さっきは……申し訳ありませんでした。自分だけが辛い思いをしてるなんて……傲慢でした」

「気にするな」


 人間の傲慢さには慣れている。

 そう声に出して言わなくなっただけ、ホークにも成長が窺えた。


「ホークさんは……どうやって乗り越えられたんですか? その……妹さんの……」

「妹は殺された。殺した奴を地の果てまで追いかけて殺してやるつもりだ。その一念で私は正気を保てている」

「……」

「憎しみは正当な権利だと私は思っている。憎しみに飲み込まれるか力に変えられるかは本人次第だ」

「憎しみを、力に……?」


「妹を殺したそいつは強かった。だが私は憎しみに囚われ、奴への恐怖など微塵も感じなかった。それも言わば、憎しみを力に変えて、恐怖を克服したと言えるのかもな」

「……」

「……くだらん話は終わりだ。あそこに誰かいるぞ」


 ホークが指差した先には、小さな小屋があった。

 森の中には生き物の気配がまるでないが、あの小屋からは二人分の気配が感じられる。


「友好的な相手とは限らん。警戒しろ。アッシュ、前衛を頼む。できれば魔弾は撃ちたくない」

「確かに、銃声は出したくないですね。分かりました」


 アッシュは剣を構えて、静かに小屋の扉の前に立つ。

 音を立てないようにゆっくりと扉を開く。中には誰の姿も見えないが、そんなはずはない。

 アッシュが扉を抜け、慎重に小屋の中へ一歩踏み込んだそのとき。


「――やあああああああ!」


 開いた扉の陰から、一人の男が飛び掛かってきた。

「なっ!」

 背後からの奇襲。咄嗟に剣を構えると、激しい金属音が鳴り響いた。

 その男も直剣を握っていた。振り下ろされた剣がアッシュの剣とぶつかり、ギリギリと火花を散らす。


「くそ、この野郎!」

 アッシュが応戦する。数度の剣戟が交差し、アッシュがやや追い詰められる。

 剣技だけで言えばアッシュよりも僅かに上だが、実力的にそこまで大きな差はないと感じた。

 せいぜいA-35程度の能力だ。


 ホークの相手ではなかった。


 軽く射った矢が背後から男に襲い掛かり、右の太ももに突き刺さった。

 念のため破魔の力を込めた破魔の矢を受け、


「――ぐあああああああっ!?」


 男は悲鳴をあげて倒れ込んだ。

 小屋の床の上でビクビクと痙攣し、まともに立ち上がることも出来なくなった男を見て、ホークは僅かに警戒を強める。


「魔人か……?」

 破魔の矢が効果を発揮するのは魔族だ。男は魔獣には見えないから、魔人ということになる。

 だがそれにしては随分と弱い魔人だな、とホークは訝しんだ。


「アッシュ、大丈夫!?」

「ああ、この野郎……いきなり襲い掛かってきやがって!」


 アッシュがとどめを刺そうと剣を振り上げた、そのとき。


「――インクブル様!」


 小屋の奥から一人の女性が姿を現し、倒れ込んだ男に駆け寄った。

 真っ白な長髪が特徴的な、二十代後半と思しき綺麗な女性だった。

 女性はインクブルと呼んだその男に覆いかぶさり、アッシュの直剣から護ろうとした。


「わ、私はどうなっても構いません! どうか……どうかインクブル様だけは……!」


 哀れなほど怯えた様子の女性からは、何の力も感じられない。

 明らかに非戦闘員にしか見えなかった。


「し、シラヌイ……!」


 女性の下で、インクブルが苦しげに声を発した。

「よせ、シラヌイ……逃げろ、お前だけでも……」

「出来ません! 死ぬときは一緒です、インクブル様!」


 そう言ってインクブルを抱きしめる女性、シラヌイ。

 インクブルはそんなシラヌイを押しのけると、右脚に刺さった矢を引き抜いて投げ捨てた。


「……」

 魔人ではないのか。

 インクブルの様子をつぶさに観察しながら、ホークは少しだけ警戒を緩めた。

 破魔の矢を受けた魔人は、血の盟約を破壊されて即死する。

 例外として、ブラッディ・リーチやパンダのように強力な盟約を持っていた場合は死には至らないが、代償として壮絶な激痛を味わうことになる。


 その激痛はパンダですら一撃で悶絶し失神するほど。

 だがインクブルは苦しんでこそいるようだが、そこまでの痛みを感じているようには見えないし、盟約の呪いを受けて死んでもいない。

 魔人ではないという証拠だ。


「アッシュ、一旦武器を収めろ。インクブルとか言ったな。何者だ。この状況を説明できるか?」

「状況……? なんのことだ。俺たちを……殺しにきたんじゃないのか?」

「何の話だ、貴様らなど知らん。誰と勘違いしてる」

「……ん? その耳……お前、エルフか? なら……そうか、俺たちを追ってきたんじゃないのか」


「え? もしかしてあんたらもあの魔人に追われてるのか?」

 アッシュの言葉に、インクブルとシラヌイが驚いたように目を見開いた。

「お前たちも奴らに?」

「ああ! よかった、俺達だけじゃなかったんだな!」

「あぁ……インクブル様……!」


 嬉しそうにインクブルの手を握るシラヌイ。

 アッシュは剣を鞘に納め、インクブルに右手を差し出して握手を求めた。


「俺はアッシュ。こっちはルゥと、勇者のホーク・ヴァーミリオンさんだ」

「? 勇者?」

「ああ、魔人にだって引けを取らないくらい強い人なんだぜ。なあ、同じ敵に追われてる者同士、協力しよう」

「……わかった。俺はインクブル。彼女はシラヌイだ」

「シラヌイです。よろしくお願いいたします」


 一気に緊張から解放されるアッシュたち。

 この状況下で同じ境遇の者に出会えたことで安堵しているようだ。


「……」

 が、ホークは全く逆の焦燥感を覚えていた。


 あの四人の魔人は、カルマディエがパンダを殺すために放った刺客の可能性が高い。

 彼らの目的はパンダの抹殺だ。であれば、こんな謎の二人組を追うとは思えない。

 もちろんその可能性はゼロではないものの、最悪の場合は……。


「……まさか、まだいるのか? 別の魔人が……」

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