第90話 一つだけ条件があるわ


「ここね」

 地面に点々と続いていた魔力反応。

 キャメルが残した痕跡を辿って、パンダとホークはついにメインタワーまで辿り着いた。


 数十メートル上空まで聳え立った大きな塔。

 ここがヴェノム盗賊団と研究機関ハデスのアジトであり、パイが捕らえられている場所だ。


「うーわ……すっごい魔力ね。気持ち悪ぅ」

 パンダの青の魔眼が、この塔に充満したおびただしい冥府の魂を見て取った。

 魔力や魂がこれほどの密度で一箇所に密集することなど、自然現象ではほとんど見かけることはないだろう。


 この塔に渦巻く魔の気配はホークにもひしひしと感じられた。

 塔に近づくだけで体が芯から底冷えしてくるような悪寒。

 それを魔眼によって視覚化できているパンダにはなおさら気持ちの悪い光景だった。


「こんな場所に長居するとそれだけでおかしくなりそうだな」

「そうね。急ぎましょ」


 二人が塔の入り口の前に立つ。

 周囲を警戒しながらではあったが、拍子抜けするほどに何の妨害もなかった。

 見張りの一人くらいいるものと予想していたがそれすらなく、塔は不気味な静寂に満ちていた。


「本当にここが盗賊団のアジトなのか? 人の気配がしないぞ」

「少なくともキャメルはここに逃げ込んだはずよ。いざとなればあの子を捕まえて事情を聞きましょ」

 もしそうなれば、今度は夕方のような温い尋問では済ませられない。

 ホークの前では気が引けるが、マリー直伝の拷問術を披露するとしよう。


 一応敵のアジトに乗り込むのだ。警戒は怠らずパンダは塔の扉を開け、


 ――瞬間、感じ取った異変に顔をしかめた。


「――パンダ」

「血の匂いね。それも相当多い」


 二人には嗅ぎ慣れた匂い。

 優れた嗅覚を持つ二人は、それが血の匂いだとすぐに察しがついた。

 それもこの広い塔の中にむせ返るほどの量。

 何十人分もの血液がそこら中に散っているようだ。


「何らかの戦闘があったようだな」

「……戦闘、というより」

 一方的な虐殺に近い印象を受ける。


 訝しみながら暗い塔内を眺めていると、奥から小さな物音が聞こえてきた。

 ずる……ずる……と何かがゆっくりと床を這うような音が聞こえてくる。


「……?」

 目を凝らして見てみると、誰かが身体を地面に引きずってこちらに進んできていた。


「あらら」

「ふん」


 それが誰かを理解し、パンダは苦笑し、ホークは嘲笑した。

 それは先程森でパンダ達を裏切り、口汚く罵って逃走したキャラメル・キャメルだった。

 彼女の腹部には大穴が開いており、身体中の骨が折れているのか、まともに歩くこともできない様子だった。

 血まみれの身体を懸命に動かしながら、息も絶え絶えに塔の出口を目指していた。


 ほとんど死に体だが、それでも生への執着が肉体を突き動かしているようだ。

 放っておけば数分もせずに絶命するだろう。その無残な姿を見て、二人は先程の一幕を糾弾する気すら失せてしまった。


「……っ……あん……た、ら……」

 キャメルも二人に気づいたのか、動きを止めて二人を見上げた。

「た、たす……け……」

 恥も外聞もなく、キャメルはただ二人に縋るしかなかった。


「あ、謝る……っす……さっきのこと……あれ、うそ……っす。ほんとは……お二人のこと、大好きで……!」

 パンダは歩みを進めながらやれやれと肩を竦めた。

「ごめんなさいね。あなたの死に芸を見届けたいのは山々なんだけど、こっちも時間がなくて」


 そのまま二人はキャメルを素通りして塔の奥に進んでいった。

 軽口をかけるパンダはまだ良心的だ。ホークなど、倒れ伏すキャメルに、道に落ちている生ゴミほどにも興味を示さず一瞥もくれようとしなかった。


 もともと全てが終わればキャメルは始末する予定だった。

 パンダが魔人であることを知ったキャメルを生かしておく理由はない。

 裏切られた恨みは別になかったが、それはさておきメインタワーまでの案内が終わった以上もうキャメルは用済みだ。


「待って……助け合い……人類皆兄弟……!」

「人類に言ってちょうだい」

 パンダもホークも人間ではない。的外れな説得だった。

 遠くなっていく二人の背中を見つめながら、キャメルは血反吐を吐きながら叫んだ。


「――もうパイ・ベイルは救えないっす……!」


 ぴたりとパンダの足が止まった。


「あの神官は……実験の影響で……魔獣に――ガフッ! ……ま、魔獣に、なって……暴れまくってるっす……」

「……」

「冥府から送られる……魔力を纏って……もう手がつけられ、ないっす……!」

「なら魔断で消し飛ばすだけだ」


 ホークの言葉通り、パイの魔力の鎧もまた魔力体。魔断で破壊することができる。

「ヒャハ……! 無駄っすよ……! 冥府の魔力は、無限……! どれだけ消しても一瞬で……再生、するっすよ……!」

「で、何が言いたいわけ?」

 パンダは振り返ることもなく声だけで尋ねた。


「パイを倒すにも……ドラゴンを止めるにも……まずは魔術式を止めないとだめっす。でもその機能は……この塔から失われて……別の塔に制御、されて……ゴホッ……はあ、はぁっ……」

「……で?」

「あんたらは、サブタワーの場所も……! 魔術式の止め方も……! なんも知らないんじゃないっすか!? あたしは――知ってるっすよ!?」


「別にあなたじゃなくても他の人に聞けばいいんじゃない?」

「ヒャハッ……! もう誰もいないっすよ……! 皆殺されたっす。唯一……管制室の奴らは……生きてるみたいっすけど……場所わかるんすか? ロックされた扉の開け方、知ってるんすか? そこまでの隔壁……突破できるんすか……!?」

「……」

「パイを救いたいなら……あたしの力が――必要なはずっす!!」


 それはキャメルの最後の足掻き。

 ホークは黙ってキャメルを見下ろしていた。今回のこの騒動に関して、ホークは一貫してパンダに判断を委ねていた。

 ホークからすれば、キャメルの言葉など信用できるはずもない。真面目に耳を傾ける価値もない醜悪な女だ。


 嘘を吐き、人を騙し続けてきた者の末路は往々にしてこういうものだ。

 最後の最後で信じてもらえず、誰にも助けられない。

 キャメルも半ば諦観していた。散々裏切ったパンダが自分の言葉を信じてくれるとは思えない……しかしもうそれしか生き延びる道はない。


 キャメルは一縷の望みを託してパンダの背中を見つめ続けた。

 そして――。


 ――パンダはゆっくりと、キャメルに振り返った。






「そろそろか……」

 静寂に満ちたメインタワー内。その管制室から、ハンスは静かに実験場を見下ろしていた。

 被験者であるパイが暴走し、塔の人間を無差別に襲い始めてから数十分が経過していた。

 ヴェノム盗賊団が総がかりで立ち向かったが、無限に供給される魔力の鎧を突破できた者は一人もおらず、今やこの塔の中で生き残っている者はこの管制室にいる面々だけだろう。


 それも、ハンスを含めて僅か四名という有様だ。元は五名いたが、内一人はカイザーに殺害されて管制室の床に転がっている。

 他の三名は管制室の隅で小さく座り込んで身を震わせていた。


「所長……ど、どうするんですか……?」

「そろそろカイザーがサブタワーに到着する頃合いだろう。何事もなければサブタワーで実験が再開される。それを見届けようじゃないか」

「そんなことを聞いてるんじゃありません! 我々はどうなるんですか!?」

「さあ? 知らんよそんなことは。死ぬんじゃないのか?」


「じょ、冗談じゃない! こんなところで死ぬなんてごめんです!」

「なら管制室を出て塔の出口を目指せばよかろう。その道中にあの魔獣と遭遇しないことを祈りたまえ。運が良ければ君は晴れて自由の身だ」


 その言葉に研究員は押し黙るしかなかった。

 一体何人が無事にこの塔から脱出できたのか……それを知る術はないが、決して多くはないだろう。

 この管制室から出口までは遠く、かつ細く長い通路が多い。あの魔獣に見つかれば逃げ切ることはできない。


 幸いこの管制室はまだパイに発見されていないようだ。緊急用の隔壁が降り、それが突破されていないことからこの場所がパイに見つかる可能性はさほど高くないように思える。

 この塔の中では唯一、かろうじて安全だと思える場所がこの管制室だ。そこを飛び出す勇気はどうしても持てなかった。


「落ち着けよ。じきにバラディア騎士団がこの塔にやってくる。そしたらあの魔獣を倒してくれる!」

 他の研究員がそう言って励ました。

 その言葉は間違ってはいない。ドラゴンの群れという危機に見舞われたバラディア軍はやがてこの塔を突き止め、塔を停止させようとするだろう。


 今のパイを倒すためにはいくつかの手順を踏む必要があるが、多大な犠牲の末にその法則にも辿り着き、パイを倒しこの塔を停止させる日が来るだろう。


「その後でバラディア軍に保護を願い出よう。そうすれば助かる」

「おめでたいな君は。セドガニアを壊滅させた張本人として処刑されるのがオチだろうよ」


 ハンスのその言葉に、今度こそ彼らは絶望するしかなかった。

 保護などされるはずがない。そうでなくともこの塔で行ってきた実験を考えれば極刑は免れないというのに、この塔が原因でセドガニアが壊滅したのだ。

 情状酌量の余地はない。バラディア騎士団がこの塔を制圧したとき、彼らの命も潰えることになる。


「もう諦めたまえ。もしくは戦いたまえ。生き残るにはそれしかない」

 バラディア軍が来る前にこの塔を出て姿をくらませるしか生き残る道はないというのに、三人は誰もそうしようとはしなかった。

 たとえ死ぬとしても……パイに殺された多くの者たちのような死に方だけはしたくなかった。


 ハンスは下らなさそうに彼らを一瞥すると、興味も失せた様子で別の作業に移った。

 メインタワーは彼らのアジトということもあって、様々な防衛機能が施されている。

 その一環として、各地に探知用の魔石を設置し、塔の内部を監視することができる。


 サブタワーに機能を奪われたこと、そしてパイが暴れたことも相まって、その機能も半分以上が失われている。

 だがもはや塔の内部に生き残っている者はほとんどおらず、塔内を歩く反応があればそれがすなわちパイだと判断できる。


 パイは塔内を不規則に歩き回っているため度々探知範囲外へ出てしまい、追跡が困難な状態が続いていたのだが、やることもないためハンスはその作業に移った。

 可能性としては低いが、もしパイが管制室からかなり遠くをうろついているようなら部屋の隅でうずくまっている三人に伝えてやるのもいいだろう。


「……む?」

 だがハンスはそのとき、奇妙なものを目撃した。

 おそらくパイのものだと思われる強い反応が一つ。

 塔の入り口から実験場に続く廊下で止まっていた。


「……これは?」

 だがそれとは別の反応が、もう一つ。


 ――見たことのない魔力反応が、廊下でパイと対峙していた。






 新たな獲物を発見したパイが低い唸り声をあげる。

 艶やかだった黒髪は真っ白に変色し、逆に透き通るように白かった肌は真っ黒になっていた。

 ベアのような褐色肌とは違う、墨のような黒はとても人の肌とは思えない。

 目は赤く染まり、その奥には溢れんばかりの憎悪が宿っていた。


「…………はあ」

 変わり果てたパイの姿を眺めながら、パンダは静かに息を吐いた。

「……間抜けね……何も進歩がないじゃない」

 自嘲気味に笑いながら、パンダは剣を鞘から抜いた。


 パイの周囲を覆っている青白い魔力の塊。

 これはパイの魂が吸収しきれなかった冥府の魂が、彼女に纏わりついているのだ。

 あの魔力の鎧にこんな凡庸な剣が太刀打ちできるはずもないが、ないよりはましだろう。


『どちら様かな?』


 不意に男の声が廊下に響いた。

 拡声用の魔石でパンダに語り掛けているようだ。


「まずあなたから名乗ってくれる?」

『これは失礼。私はこの研究施設の所長を務めるハンス・クルーリーという者だ』

「あっそ。あなたタダじゃ済まさないから」

『乱暴なお嬢さんだ。声から察するにかなり若いようだが、まさかバラディア騎士団の騎士かね?』

「いいえ。冒険者よ」

『ほう、冒険者……とすると、君はあれか? その神官の少女の仲間だという、もう一人の少女かね?』


 今日の昼頃にキャメルと町で戦闘になり、カイザーに抹殺命令が出されていた二人の少女がいた。

 うち一人がパイで、もう一人は怪しげな冒険者の少女だったはず。

 このタイミングでこの塔に現れる冒険者など、ハンスにはそれくらいしか心当たりがなかった。


『冒険者の情報網も侮れんな……よくここまで辿り着けたものだ。一体どうやってここを突き止めた?』

「一度だけチャンスをあげるわ。この塔を停止させなさい。そうすれば命だけは見逃してあげてもいいわ」

『ふむ、やはり目的はその少女の救出か。健気なことだ。そんなことのためにでこの塔に乗り込んでくるとはな』


「やるの? やらないの?」

『そもそも不可能だ。この塔の機能は大部分がサブタワーに制御されている。こちらからでは停止できん』

「それをやるつもりだって言ったら協力する気はある?」

『ない。少なくとも、私の友人がまだこの塔を必要としている。彼の目的が果たされるまではこの塔を止めるつもりはない』


 交渉は決裂したことを理解したパンダは「そ」と短く相槌を返した。


「なら痛い目見てもらうしかないわね」

『その前に、君は目の前のそれをなんとかしなくてはならないのではないかね?』


 ハンスがそう言った直後、廊下の先からパイが駆け出してきた。

 パンダを新たな獲物として認識したパイは、魔力の鎧を振りかざしてパンダに襲い掛かった。


「言われるまでもないわ」

 パンダが直剣を構える。今のパイが並外れた戦闘力を持っていることは一目で分かったが、退く気など端からない。


 パイを救う。パンダの中にあるのは、ただその一念だけだった。


「私はそのために来たのよ」

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