第73話 ハデスプロジェクト


 ――冥府。


 それはこの世界の誕生と同時に、現世と表裏を成す形で存在した、もう一つの世界。

 全ての魂がいずれ辿り着くとされている、死者の国だ。


 生者の魂は死後、生命エネルギーへと変わり、周囲の者に吸収される。

 が、誰にも吸収されずに残った生命エネルギーも存在する。


 そういった生命エネルギーはやがて消滅し、冥府へと下る。

 世界の誕生から冥府に溜まり続けた死者の魂の総量は、計測不能なほど膨大な量となっているだろう。


 その冥府の魂を現世に呼び込めるならば。

 冥府に溜め込まれた無尽蔵の魂を、生命エネルギーとして吸収できるならば。


 ――人類の力は、魔人をも超えるだろう。






「なにそれ。メチャクチャ面白そうなことやってるじゃない」

 キャメルの説明を聞き、パンダは顎に手を当ててしきりに頷いていた。

「いいわね……面白い着眼点だわ。昔から思ってたけど、この手の研究はやっぱり人類の方が面白いこと考えるわよね」

 ワクワクが止まらない様子のパンダ。

 かつての黒魔導士としての血が騒ぐ。パンダは研究を主とする黒魔導士ではなかったが、この手の話自体は嫌いではなかった。


「もともとはバラディア軍が主導で行ってた研究らしいんすけど、研究は上手くいかなかったらしいっす」

「そうでしょうね。冥府の門を開けるだけでも相当な労力でしょうに」

「門を開けるのにもかなり時間がかかったらしいんすけど、なんとか開けた後も問題が山済みで。なんでも、冥府から現世に魂を取り込むと、生命エネルギーじゃなくて『魂』として取り込んでしまうらしくて」


 現世では魂から生命エネルギーへと変質するが、冥府ではその逆のことが起きる。

 すなわち、冥府に送られた生命エネルギーは再び魂に変質するのだ。

 冥府に存在するのはあくまで『魂』。生命エネルギーではない。


 よって現世へ呼び寄せた際にも魂として呼び寄せてしまう。

 これが大きな問題点だった。


「じゃあ吸収できないわね。既に特定の規格を持った魂を自分の魂と融合させることはできないもの。そんなこと常人には耐えられないわ。レベルを上げるには、生命エネルギーとして取り込むしかない」

「その通りっす」


「そうすると冥府の門をくぐった後で、何らかの方法で魂を生命エネルギーに変換するしかないけど……いや、駄目ね。だって傍に冥府の門が開いてるんでしょ?」


 パンダがその案の問題点を即座に看破した。

 生命エネルギーは周囲に存在する魂に引き寄せられ、それに融合する性質を持つ。

 仮に冥府から取り出した魂を被験者の傍で生命エネルギーに変換したとしても、その近くに冥府の門が開いていては無意味だ。


 冥府には数え切れないほどに大量の魂が蠢いている。そんな極大の密度の魂がすぐ傍にあるのだ。生命エネルギーは一瞬でそちらに吸収されてしまう。

 被験者が獲得できる生命エネルギーなど、本来の数千億分の一程度しかないだろう。


「そうっす。実験でもそこでつまづいて、結局『魂のまま被験者に吸収させる』しかないってことになったらしくて、そのせいで何人も被験者が発狂して廃人になったんす」

「まあそうなるわね」

「その時点で研究は一旦頓挫。その危険性と、何人もの被験者を廃人にしてしまったことが明るみに出そうになって、バラディア軍は研究を放棄。無期限の凍結措置になったらしいっす」


 人間領の魔族の脅威と戦うバラディア軍は、人類にとって正義と平和の象徴的存在だ。

 そういった不祥事を許容できない複雑なしがらみがあるのだろう。


「でも、その研究に携わってたメンバーが諦めきれずに、独立して研究組織を立ち上げたんす」

「あー、分かるわ。私でも多分続行したでしょうね」


 パンダからすればこの研究が凍結になったということの方が驚きだ。

 この研究は人類が魔人を打倒するための突破口に成り得る、極めて意義のある研究だ。

 パンダならばどれほどの犠牲を出そうとも断行すべきと判断しただろう。


「そうして出来たのが、研究機関『ハデス』。そいつらが、あたし達『ヴェノム盗賊団』に協力を持ち掛けてきたんす」






「そんな研究――許されるわけがありませんッ!」

 パイが怒りとも恐れともつかない叫び声をあげた。


 セドガニアで捕えられ連行されたパイは、セドガニアから北に行ったところにあるハデスとヴェノム盗賊団のアジトに連れてこられていた。

 手足は硬い鎖で拘束され身動きを封じられたまま地面に打ち捨てられている。


 その地面には、倒れ込んだパイを中心に巨大な魔法陣が描かれている。

 夥しい量の術式によって構築された魔法陣は、塔から供給される魔力を帯びて青白く発光していた。


「冥府は死者の眠る世界です! その門を開き現世に呼び戻すなど、死者への冒涜です!」

 研究機関『ハデス』の所長、ハンス・クルーリーから実験の説明を受けたパイは、その内容に驚愕し、同時にそのあまりのおぞましさに戦慄した。


 彼らが行っているのは死者の魂を愚弄する行為だ。

 ましてそのために何人もの人間を攫い、結果的に殺害している。身の毛もよだつような邪悪な集団だ。


 パイを取り囲むように立つ数人の研究員たち。

 彼らはパイの言葉など聞こえていないかのように着々と実験の準備を進めていた。


 唯一パイの言葉に答えているのは、所長であるハンス・クルーリーだった。

 ただし、彼はその場にはいない。


『死者に人権などない。どうせ自我もない亡霊に等しい存在だ、我々が有効活用して何が悪い』


 実験場に響くハンスの声。

 彼はその実験場より五メートルほど上空にある部屋にいた。

 ガラス張りになった壁からパイの姿を観察し、拡声用の魔石で話しかけていた。


「こんなおぞましい研究、今すぐやめてください! そしてセドガニアの自警団に出頭し、罪を償うのです! これ以上の犠牲者を出してはいけません!」


『愚かな娘だ。この研究によって死亡した人間など、しかいない。それだけの犠牲で、人類は圧倒的な力を手にできるのだぞ。もうダンジョンに籠ってのレベリングも必要ない。誰もが望むままにレベルを上昇させることが可能になる。これがどれほど偉大な研究か理解できないというのか』


 ハンスと同じ部屋で実験を見守っているバンデット・カイザー。

 彼もまた、ハンスの言葉に内心で頷いた。


 カイザーは幼少期から貪欲に力を求めてきた男だ。

 レベルを上げるために世界中の狩場を巡り、膨大な時間と労力をかけて地道にレベリングを行ってきた。


 そうして彼が辿り着いたレベルは、S-64。


 ルドワイア帝国騎士団ですら十分一流と見なされる実力を手に入れた彼だが、更なる力を求める欲望は留まることを知らなかった。


 故に、カイザーはハデスからの協力の申し出を受けた。

 この研究が完遂された暁には、カイザーは通常では手に入らないような力をその身に宿すことができる。

 全ては飽くなき力への欲求ゆえだった。


「……しかし、毎回同じ説明してて飽きねえのかねこいつは」

 パイに向かってこの研究の偉大さを熱弁するハンス。

 これは今回に限った話ではない。

 ハンスは被験者を実験に用いる前に、必ずと言っていいほど同じ話を被験者にしてきた。


 おそらくは、被験者がこの研究の偉大さを理解し、ハンスの理想に共感し、自らの意思で実験に参加してくれることを期待しているのだろう。


 以前、ハンスはカイザーに、『研究者とは名誉のために研究をするのではない』などと嘯いていた。

 ……が、本心はおそらく別だ。彼はもともと、この研究によって至高の名声を手にできると期待していたはずだ。


 それが叶わない今、ハンスはその栄光を周囲の者から与えてほしいと無意識の感じているのかもしれない。

 あるいは、一人でも多くの人間に自らの偉大さを知らしめたいという自己顕示欲によるものか。

 どこまで行っても、やはりハンスもまた俗っぽい研究者の一人ということだろう。


「――ボス。ちょっといいですか?」

 そのとき、一人の盗賊団員がカイザーに声をかけてきた。

「なんだ?」

「あの、の件なんですが、確かに妙なことが起こってまして……」

「おう、報告しろ」


 部下の報告に意識を集中するカイザー。

 背後でそんなやり取りが行われていることにも気づかず、ハンスは悦に入ったようにパイに向けて演説を続けていた。


『だが、君はとても幸運だ。幸いにも実験はついに最終局面を迎えている。かつては解決不可能だと思われていた問題点も、今ではほぼ克服できている状態にある。他の被験者のように廃人になったりはしない』

「……問題の克服? この実験は成功間近だというのですか?」

『その通り。見たまえ、そこに大鎌が設置されているだろう?』


 パイが視線を動かすと、そこには確かに一つの大鎌があった。

 禍々しい紫の鎌。農作用ではなく、明らかに戦闘用に作られたと分かるその鎌だが、一目見ただけで夥しい魔力を帯びていることがパイにも分かった。


『それはデスサイズ。『魂を刈り取る鎌』として異名を持つ、強力な魔道具だ』

「これが……一体なんだというのです」

『つまるところ、この研究の最大の壁は、純粋な魂のままでは人間に吸収させられないという点に尽きる。故に私が導き出した答えは――『魂をろ過』するという方法だ』

「魂を、ろ過……?」


 ろ過と聞いて、不純物の混ざった水から不純物を取り除く技術のことを想像するパイ。

 だがそれを魂に対して行うというのがどうしてもイメージできなかった。


『魔導具の中にはね、魔力を吸収して更にその能力を増大させるものがいくつか存在しているのだよ。その中でも更に特殊なものになると、魔力の代わりに魂を用いるものすらある。そこにあるデスサイズなどはまさにその典型だ』

 ハンスの言葉通り、そういった武器は存在する。

 主に魔族が好んで使用する、まさしく『魔』導具の名に相応しい武器だ。


『魔導具は、取り込む魂を純粋な魔力へと変換する。その魔力をブースターとして用いて能力を向上させるのだ。――その魔導具の機構を利用し魔術式に組み込む……すると魂は魔導具によってろ過され、被験者の精神を汚染する原因である『魂が持つ個別の規格』を破壊する。そうして汲み取られた魂は、むしろ魔力体に近い存在となるのだ。そうなれば人体への吸収は十分に可能だ』


「……ん……んん?」

 正直、ハンスが語る話の半分以上は理解できなかった。

 が、なんとなくニュアンスだけは伝わった。


 つまり研究の概要はこうだ。


 冥府から呼びだした魂は、そのままではレベルアップに使えない。

 そこで、魔導具を用いて魔力的に加工することで、人体への負担を最小限まで抑えた後、その魂を吸収してレベルを上げる。


「では、その魔導具を用意するために……あなたはヴェノム盗賊団と手を組んだのですね」

『そうだ。そんな強力な魔導具はそう易々と手に入るものではない。ならば盗むしかない。この研究の成果の提供を約束し、ヴェノム盗賊団には今まで多大な貢献をしてもらったわけだ。いくつもの魔導具を用意してもらったが……結局、かろうじて使い物になりそうなものはそのデスサイズを含めて僅か数個しかなかったよ』


 この研究の最も大きな壁は、その理論の複雑さよりも、むしろ必要な道具を集める難易度にあったと言っても過言ではない。

 その手の強力な魔導具は人類にとっても大きな武器だ。大抵はルドワイア帝国やバラディア国の軍が欲しがる。いくらあっても足りない。


 このデスサイズもその一つ。バラディア騎士団が入手し、本国へ持ち帰るところだった。

 そうなってはハンス達に手に入れる機会はない。故に輸送中の部隊を強襲するしかなかった。


『だが幾多の挫折と困難を乗り越え、ついに必要な道具が全て揃った。そして全ての調整が終わり、今まさに最後の実験に取り掛かろうとしているのだ。――誇りたまえ! 少女よ、君はハデスプロジェクト初の成功例として、人類史にその名を刻むことだろう!』


 高らかに宣言するハンス。

 彼は実験の成功を確信しているようだが、彼の話を聞いてパイはどうしても納得できない点があった。


「……ですが、それではあくまで『魂を魂に吸収させる』という方法は変わっていないのではないですか。それはあまりに危険です!」

『ほう――なかなか話の分かるお嬢さんのようだ』


 今までの被験者は皆怯えるばかりでハンスの言葉などほとんど聞き流していたものだが、パイはハンスの理論を理解し、問題点まで指摘してきた。

 そんなパイの態度はハンスを大いに喜ばせた。


『その通り。しかも、それ以外にも問題点が増えてしまってね。魔導具が用いる魂は、『魔のエネルギー』……つまり魔族のものが最適であるようなのだ。必然、冥府から呼びこむのも魔族の魂ということになる』


「ま、魔族の魂を、神官である私に……!?」


『そうだ。ろ過したとしても、魔族の魂を吸収するのは人間にとって負荷が強すぎる。これもまた被験者のハードルを上げる要因となってしまってね』


 まるで昔の面白い苦労話でも話すように笑うハンス。

 だがそれを検証するための実験にいったい何人の無辜の人間が犠牲になったのか……そう考えるだけでパイは堪えようのない怒りを覚えた。


『まず、ある程度のレベルが必要だ。レベルが高ければ魂の強度も高まる。データでは、20レベル……万全を期すなら25レベルほどもあればなんとか負荷には耐えられるはずだ』

「……」

 パイのレベルはA-22。一応条件はクリアしている。


『それだけではなく、君は白魔導士――いや、実は神官なんだったか? ならばより好都合。神官は闇属性への抵抗力が強い。魔のエネルギーの負荷にも耐えられるだろう』

「……もし私がこの実験を乗り越え、本当に強大な力を手にしたなら……あなた達を絶対に倒します。覚悟しておくことですね」

『ハハハハッ! それに関しては問題ないさ。こちらには頼もしい味方がいるのでね』


 そう言ってハンスは後ろを振り返った。

 そこには、盗賊団員と何かを話すカイザーの姿があった。

 バンデット・カイザーの名で世に知れ渡る彼の力があれば、仮にパイが実験を乗り越え力を手にし、その末にハンス達に襲い掛かったとしても問題ない。


 カイザーは並の魔人であれば一人で打討伐できるほどの実力者だ。

 パイ一人で倒せる相手ではない。


「――ハンス」

 ハンスからの視線に気づいたのか、盗賊団員との会話を終え、カイザーがハンスのところへ歩み寄り声をかけてきた。

「なんだね? ――ああ、少々話しこんでしまったかな? 安心したまえ、じきに準備も終わる。そうなればすぐにでも塔を稼働させる」

「いや、その前に一つ話しておきたいことがあってな」

「……?」


 妙に真剣な面持ちのカイザー。

 彼が利口で慎重な男だと知っているハンスは、その様子からなにか望まないアクシデントが起きているようだと直感した。



「実は今、『サブタワー』と連絡が取れない」



「…………なに?」

 訳が分からず眉を寄せるハンス。


「……どういう意味だね? 連絡が取れない?」

「ああ。サブタワーで作業させてる盗賊団の奴らには、定期的にこっちに連絡を寄越すように指示を出してたんだが、少し前から連絡が途絶えてる。具体的には昨日の早朝あたりからだ」

「全員かね?」

「全員だ。こんなことは今までなかった」


 ふむ、と考え込むハンス。

 確かに珍しい出来事だ。カイザーは盗賊団を強固に組織化することを好み、特にこの手の報告は手抜かりを許さない男だ。当然部下達もそれを承知のはず。

 その規則を全員揃って破るというのは、確かに考えづらい。


「何かがあったのかもしれん。調査部隊を派遣してはどうかね?」

「もうやった。今朝向かわせたが……そいつらからの連絡も途絶えたらしい」

「……」


 思いのほか奇妙なことが起こっていると理解したハンス。

 そんなハンスの予感を裏付けるように、彼以上に深刻な顔を浮かべたカイザーが口を開いた。


「これは俺の予想だが、もしかするとサブタワーが何者かの襲撃にあった可能性がある」

「いや、それは有り得んよ」

 カイザーの懸念をハンスははっきりと否定した。


「私は今朝から二度も実験を行っている。それで実験用の人間がいなくなったので君に補充を依頼したのだ。覚えているだろう?」

「……ああ」

「つまりその時点までは、間違いなくサブタワーには研究員がいたことになる。つい数時間前の話じゃないか」

「サブタワーの連中と実際に話して生存を確認した奴はいるか?」


「私はしていないが……誰かはしているんじゃないか?」

「つまり、分からないってことだな?」

「カイザー、考え過ぎだ。慎重なのは君の美点の一つだが、度を過ぎればそれも損なわれる。少なくとも数時間前まではサブタワーは稼働していた。それは間違いない」


 楽観するハンスとは裏腹に、カイザーはどうしても悪い予感を脳裏から払拭できなかった。

 ハンスの言い分も理解できる。だが部下と連絡がつかないのもまた事実。

 カイザーはこういうとき、甘い予測がいかに自分の足元を掬うか身に染みていた。


「例えば部外者が昨日……いや、一昨日の深夜にサブタワーを襲撃し、占拠。そして塔の仕組みを理解し、サブタワーを動かしていたとすれば」

「それこそ有り得ん」

 その推測はハンスの癪に障った。


「私が十数年をかけて構築した魔術式だぞ? それをたかだか一日やそこらで解読し、あまつさえサブタワーを制御するなど……有り得ん。もしそんなことができる者がいるとすれば――」


 ハンスはそこで言葉を区切り、断言した。


「その者は常識を遥かに超えた――稀代の天才だよ」






「サブタワー?」

 ヤキゲソを噛みながらムラマサが尋ねた。


「はい。この試みのために用意された補助装置。それがこの塔なのです」

 スノウビィは大きな魔法陣が描かれた床に中心に立ちながら、びっしりと書き込まれた魔術式を指でさすっていた。


「冥府から死者の魂を引きずりだして、無理矢理レベルを上げる研究、ねえ……」

 スノウビィからそう聞かされてからも、ムラマサはいまいちピンと来ずに眉唾なイメージしか持てなかった。

 ムラマサは根っからの戦士で、頭脳仕事は生理的に受け付けないような性質だ。

 レベルを上げるには他者を斬りまくるしかない。そういう固定観念を根強く持っていた。


 だが、スノウビィにはそんな固定観念はない。


 スノウビィが有するユニークスキル『レベルドレイン』は、他者の力を吸収し自らのものにする。

 この力を使い、スノウビィはかつての四代目魔王、フルーレからその力を譲り受けたのだ。

 スノウビィにとって力とは奪い取るもの。コツコツとレベルを上げるなど、そんな不自由は彼女には不要なものだった。


 スノウビィはその四代目魔王が手放しで認めるほどの、黒魔法の天才だ。

 彼女にとってこの程度の魔術式の解読はなんでもない。

 重要なのはそこに書かれている理論だ。


「つまり、ってことなんだよな?」

「はい。この試みにおける『メインタワー』と『サブタワー』が存在します。その二つを総称して『ツインバベル』と呼んでいるようですね。私たちがいるこの塔がサブタワーということになります」

「冥府から呼びこんだ魂を、魔導具でろ過するんだろ? なんで二つも塔がいるんだ?」


「主目的は単純に負荷分散のためです。メインタワーの魔術式の処理の一部をサブタワーで受け持ってメインタワーの負荷を軽くできます。それに、一箇所に魔のエネルギーを集中させすぎるのも危険です。一度にろ過できる魂の量は魔導具のスペックに左右されますから、余剰分は一時的に別の場所にプールさせておくという役割もあります」

「よく分かんね。ほんとに同じ言語かよ」


 そういえばフルーレもこういう小難しい話が好きだったな、とムラマサは思い出した。

 やはり魔王というのは頭も良くないとなれないものなのだろうか。


「理屈はともかく、目的は単純です。メインタワーのお手伝いをするのが、我々が今いるこのサブタワーということです」

「お手伝い、ねえ。てかよ。昨日からちょくちょくこの塔が動いてるみたいだが、大丈夫なのか?」

「ええ、それは問題ありません。わたくしがしっかりと制御していますので」


 二人がこの塔、サブタワーに流れ着いたのが二日前。

 スノウビィは一目でこの塔の異常に気付き、この塔に冥府の魂が集まっていることを看破した。

 そしていたくこの塔に興味を持ったスノウビィが思う存分調査ができるように、ムラマサがこの塔にいる人間を残らず始末した。


 この塔は崖の上に建てられていたので、せっかくなので彼らはまとめて崖から投げ捨て海に沈めた。

 今ではスノウビィとムラマサ以外の者は綺麗さっぱり消え去った。


 それでひとまず問題はなくなり、ちょっとくらいスノウビィのワガママを許してやるかと思っていたムラマサだったのだが、問題が発生した。

 サブタワーからの連絡が途絶え不審に思ったのか、どこからか盗賊団の部隊が調査にやってきたのだ。


 今では理解できるが、彼らこそこのサブタワーの異常を察知した、『メインタワー』から遣わされた調査隊だったのだろう。


 彼らも殺して海に捨てておいたが、他にも同じ組織の人間がいるだろうというのは問題だ。

 厄介なことになる前にさっさとここを出ようと提案したムラマサだったが、スノウビィは頑なにこの塔を離れようとしなかった。


 それからも何度かこの塔が稼働し、冥府の魔力が流れ込んでいる気配がムラマサにも感じられた。

 今は誤魔化せているが、その内この塔に侵入者がいることは明らかになるだろう。

 本命であるブラッディ・リーチ討伐を前に余計な面倒は抱え込みたくないところなのだが……。


「制御出来てるっつっても、いい加減誰か別の奴が操作してるってバレる頃合いだ。そろそろ移動して、ブラッディ・リーチ討伐に備えねえか?」

「――ムラマサさん。少しよろしいでしょうか」

「なんだよ」


「まず、一日かけてこの魔術式を解読してみた感想なのですが……よくできています。この術式を構築した方の力量の高さがよく分かります」

「それで?」

「この研究は、わたくしの見立てではほぼ完成間近にあります。今は細かい調整を行っている最中のようですが、それも段階的には最終段階まできています」

「? つまり?」


 スノウビィが結論として何を言いたいのかを察することができずに尋ねる。

「ハッキリ申し上げますと――この研究成果は人類の手に渡るべきではないと思います。魔族の世の安定のためにも」

「……そんなに脅威なのか?」

「はい。この施設と理論が人類に広まれば、それは人類がレベルシステムを獲得したとき……いえ、それ以上の魔族の脅威となるでしょう」

「……」


 人類のレベルシステム獲得は、魔人を世界最強の種族という玉座から陥落させた、革命的事件だ。

 この塔がそれに匹敵する代物ならば……確かに、このまま捨て置くわけにはいかない。


「じゃ、話は早えな。今すぐこの塔を真っ二つに斬っちまおうぜ。それで終いだろ」

「ムラマサさん……あなたはどうしていつもそう短絡的なことばかりお考えになるのです?」

「おいふざけんな。お前にだけは言われたくねえぞ」

「うふふっ。いつも意地悪ばかり仰るから、お返しです」


 悪戯を成功させた子供のように無邪気に笑うスノウビィを見て――ああ、本当に似ている、とムラマサはしみじみ思った。


「この塔を破壊することに異論はありません。ただし、その研究成果、データ、理論などは我々がいただきます。そして、『冥府から魂を呼び込み強制的にレベルを上げる』――この技術は、魔人が独占する。……というのはいかがでしょう」

「……」


 試しにそれが実現した未来を想像してみるムラマサ。

 ――もしそれが可能であるならば、間違いなく人類との種族戦争は終わる。無双の力を手にした魔族の軍勢が、瞬く間に人類を駆逐するだろう。


「アリかもな」

「はい、大アリです。そのためなら、この地で吸血鬼さんを取り逃すことになっても構いません」

「……本気か? 四人目の四天王の選定をこれ以上先延ばしにするのか?」

「はい。この研究にはそれだけに価値があると思います」


 その言葉にはさすがのムラマサも驚いた。

 ブラッディ・リーチが四天王に選ばれてしまったことは、完全にスノウビィの責任だ。それは全魔族の不利益に繋がる失態であり、彼女の沽券に関わる問題だ。


 この問題は早急に解決したいとスノウビィ自身も考えているはず。

 しかしそれを差し置いても、この研究はここで対処する価値がある。スノウビィはそう判断したのだ。


「……ま。マジで考えてのことならいんじゃね。お前の命令に従うさ」

「ありがとうございます、ムラマサさん。そこで一つ提案なのですが、わたくし、なんととても凄いことを思いついてしまったのです! ――――ムラマサさん? 何故そんなに嫌そうな顔をされているのですか?」

「いや、だって……お前がそういうこと言い出すときってさ……」

「もうっ! 今度は本当に凄いことを思いついたんですっ!」

「はあ……まあいいや。言ってみな」


 五パーセントくらいの期待感で続きを促す。

 スノウビィはやたらと自信満々に言い放った。



「冥府の門を開け、そこに満ちる無限の魔力を使って――セドガニアを壊滅させます」

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