第120話 廃虚の町
「また別の場所に転移したか」
廃墟の町の片隅で、リュドミラはうんざりしたように嘆息した。
迷宮を歩いていたリュドミラ達は、またしても何の前触れもなく別の場所に転移してしまっていた。
アドバミリスも周囲を見回しながら状況の整理を開始した。
「とすると、やはりあの森も、そしてこの町も……私たちは変わらず迷宮の中に囚われているのでしょうね」
「少なくともあの迷宮と何らかの関わりがある場所なのは間違いない」
もはやあの迷宮で何が起きようとも動じないくらいにはリュドミラの精神も安定してきた。
「重要なのは、この町に奴らも来ているかどうかということだ」
「そうですね。十中八九あの少女やエルフも来ているとは思いますが、万が一にでも私たちだけが転移していたとすれば、そんな馬鹿な話はない」
「探知魔法……使う?」
シェンフェルの問いに、リュドミラはしばし逡巡した。
迷宮の中であれば、間違いなくあの少女はそこにいた。故に逃がすことはないだろうと安心できたが、今もこの町に来ているかは不明だ。
そもそも今は町の中。最悪の場合、町の外に逃げられれば追跡が困難になる。
探知魔法を放って少女の存在を確認しておくのは必須に思えた。
「……」
それでもリュドミラが探知魔法の使用を躊躇してしまう理由は、あの騎士の存在があるからだ。
あの謎の騎士もこの町に来ている可能性がある。いや、そう考えるべきだ。
あの森に現れ、その後迷宮に戻ってからもあの騎士はいた。ならば同じくこの町に来ていると考えるのが自然。
あの騎士の戦闘能力は、今のリュドミラ達では太刀打ちできないほどに強力だ。
もし探知魔法を放てば、それをあの騎士に感知されるだろう。だからこそ先程の迷宮では少女の追跡のために探知魔法を使わなかった。
だが、いかにリスキーとはいえこの状況では断行するしかない。
「――目的を確認しておくぞ。我々はカルマディエ様の命によりあの少女を抹殺する使命がある。最優先目標はそれだ」
アドバミリスとシェンフェルが頷く。
「あの謎の騎士との戦闘は避ける。奴は私達では倒せない。戦おうとは思うな。そして……少女を殺すためにはあの騎士に見つかるのはまずい。可能な限り陰に隠れながら進む。だが逆に、たとえあの騎士に殺され我々が全滅したとしても、あの少女さえ抹殺できればそれでいい。この条件も忘れるな。カルマディエ様のため、我らの命を捧げる」
それにも二人は迷うことなく頷いた。
いざとなれば死なば諸共の自爆特攻をしてでもあの少女を殺す。
それが魔族に忠誠を誓う魔人の生き様だと彼女たちは信じて疑わなかった。
「探知魔法を使え、シェンフェル。ただし一度で確実に探知できるよう限界まで広範囲を探知しろ」
「出力を強めると、絶対気づかれる……いい?」
「かまわん。だがすぐに座標を教えろ」
こくんと頷くシェンフェル。
彼の持ちうる最大限の出力で探知魔法を放つための、長い溜めに入る。
数十秒の間魔力を練り上げ、満を持してその全てを探知魔法として放った。
リュドミラにもはっきりと肌で感じ取れる魔力の波。それが町中をくまなく舐める。これだけ強い探知であれば間違いなく探知された者全員にその気配が感じ取れただろう。
……無論、あの騎士にもだ。ここからは時間との勝負になる。
「……十一時の方角、一四二〇メートル、五人」
「奴らだな。クソ、もう全員で合流されたか」
「……九時の方角、九七〇メートル、一人」
「そちらはあの騎士でしょうね」
「……」
嫌な位置だ、とリュドミラは舌打ちした。
あの少女の場所に向かうには一度あの騎士の近くを通る必要がある。
最短ルートではないが反時計回りに大きく迂回するのが最善か。
「……二時の方角、一二五〇メートル。二人」
「……? 誰だ?」
リュドミラの問いにアドバミリスも首を傾げた。
迷宮で出くわしたのは合計で六人だったはずだ。内一人は魔力弾で殺した手ごたえがあった。
仮にそいつが生きていたとしても一人多い。
「――待って。もう一人いる。探知阻害してるけど、見つけた」
「どこだ」
「後ろ。一五メートル」
弾かれるように振り返るリュドミラとアドバミリス。
あの騎士がすぐ背後まで迫っているかもしれないという危機感に、素早く戦闘態勢を整える。
「――あーあ、バレちゃったか」
しかし聞こえてきたのは、若い男の声だった。
夜の街の影から一人の男が姿を現した。
濃い栗色の髪に、シェンフェルよりも少し高い程度の背丈。
まだ若い少年だった。
「君たちも魔人? 今の魔法から察するにそれなりに強そうだけど」
「『も』、ということは貴方もですか?」
アドバミリスの質問に少年は笑って頷いた。
「ああ。僕はテラノーン。ちょっと人探しをしていてね。君たちもかい?」
「ええ、その通りです。もしよければお話を――」
「それは後だアドバミリス。――テラノーン。我々と敵対するつもりがないなら場所を移動するぞ。今の探知魔法で奴に居場所を感づかれた可能性が高い」
「いいよ。じゃあ適当な家に入ろうか」
テラノーンを連れて、三〇〇メートルほど離れた家に入った。
廃虚の町らしく住民たちの姿は一切なく家の中も荒れ放題だったが、各人は適当な場所に腰かけた。
「我々が魔人だという証明は必要か?」
開口一番リュドミラが尋ねた。
「出来ればほしいけど、まあ別にいいよ。今でこそ人間もちょっとは手強くなってきたけど、君たちくらいの実力者はまだまだ少ないからね」
テラノーンの回答に、リュドミラとアドバミリスは静かに顔を見合わせて頷いた。
森で出会った魔人、バルブルも同じようなことを言っていた。
彼とはいくつも話が噛み合わなかったが、その原因には既に察しがついている。まずはそれを確認しなければならない。
「逆に僕の方が証明が必要かな?」
「一つだけ質問させてくれればいい。現在の魔王はサタン様か?」
「……? 当たり前だろ、何を言ってるんだ? 現在の、ってどういう意味だい?」
「いや、忘れてくれ。貴殿が魔人だと信用しよう」
この返答もバルブルと同じだ。
リュドミラ達と現在における認識が違う。が、今はそれでいい。『認識が違う』という認識さえ持っていれば、ひとまず余計な混乱はしなくて済む。
「バルブルという魔人を知っているか?」
「いや、知らないね。君たちの仲間かい?」
「知らないならいい。ちなみに、今は魔人歴何年だ?」
「305年だね。それが?」
テラノーン以外の三人が神妙な顔で互いを見遣った。
バルブルと話して感じていた違和感がついに確信へと変わった瞬間だった。
リュドミラ達がいたのは、魔人歴608年の世界だ。
――つまりここは、三〇〇年前の世界だということになる。
人類がレベルシステムを獲得して間もない頃。
まだルドワイア帝国も建国されておらず、魔人の支配から脱却した人間たちが必死に魔族へ抵抗を続けている時代だ。
その時代の魔王は、確かにサタンだった。
「――分かった。もう十分だ」
それについて、リュドミラはテラノーンに伝えないことにした。
三〇〇年後の未来からやってきたと話しても困惑させるだけだ。下手をすれば怪しまれて敵対してしまう恐れもある。ここは適当に話を合わせておくだけでいい。
「それで、人を探しているとのことだが、誰を探しているんだ」
「あれ、もしかして君たちの目的は違うのかい? てっきり同じだと思ってたよ」
「我々もとある人物を探している。紫の髪をした少女だ」
「ふーん、じゃあ僕のターゲットとは違うね。僕はとある男を探してるのさ。名前は――」
――そのとき、町にけたたましい音が鳴り響いた。
キィン、という甲高い音。町中に響くほどの大音量には聞き覚えがあった。
「これは?」
「私たちが追っているターゲットのものだ。奴らは罠を使う」
続いて、もう一度同じ音が町に響いた。
しかし音の発生源は先程とは違う場所だった。距離にして数百メートルは離れているように聞こえた。
「二つ目……?」
少女が罠を仕掛けたのだとすれば、罠にかかったのはあの騎士かと思ったが、違う場所で続けて二度音が鳴っているのは不可解だ。
……何か異変が起きている可能性がある。
今何よりも必要なのは情報だ。これだけ奇妙なことが立て続けに起こる迷宮において、情報戦で少女達に後手に回るのは避けたい。
「行くぞ。テラノーン、貴殿も来い。一人でも戦力がほしい」
「でも僕たちのターゲットは違うんだろう? 僕には僕の使命があるんだけど」
同じ魔人とはいえ、利害関係がないなら協力はできないという姿勢を見せるテラノーン。
そんな彼にリュドミラは冷笑を返した。
「二ついいことを教えよう。一つ。先程放った探知魔法でこの町に何者かがいることが分かった。それが貴殿の探している人物の可能性はある。……二つ。この町には80レベルを超える騎士が紛れ込んでいる。一人で出歩けば貴殿は死ぬ」
時間は少し遡る。
パンダ達がこの町に転移して間もない頃、放たれた探知魔法の気配を誰もが感じ取った。
「撃たれたな。探知魔法だ」
「お、俺も感じたぜ!」
「かなり強い出力で撃ってきたわね。まあ気持ちは分かるわ。この町に私たちがいるかどうかはまず確かめたいでしょうしね」
「そしてそれも明らかになった。どうする?」
「そうねぇ、とりあえず移動しましょ。探知された場所に留まるのはよくないわ」
五人は可能な限り物音を出さないよう注意しながら、影から影へ隠れながら移動を開始した。
明かりもない廃虚の町は薄暗く視界はかなり悪いが、せいぜい気休め程度にしかならないだろう。
迷宮から別の場所に転移して間もないが、パンダには相変わらず時間がなかった。
事態は目まぐるしく変わっていくが、パンダはその法則を解き明かす手がかりをなんとか見つけ出しただけで、まだこの状況を全く制御できていない。
そんな状態で取れる手段はそう多くはない。
「なあ、町の外に出ればいいんじゃないのか? 何も町の中に留まることないぜ」
アッシュの言葉。その意見は一理ある。
迷宮の中と違い、ここは外。遠くまで移動してしまえばあの魔人たちから逃げられるかもしれないと期待するのは無理もない話だ。
だがパンダは首を横に振った。
「駄目よ。今の探知魔法の出力感じたでしょ。相当広範囲まで探知できるみたいよ。逃げても追いつかれる」
「で、でも町の中にいたって同じだろ! だったら少しでも可能性がある方に賭けるべきだ! この町に留まる理由はないはずだろ!」
「それがそうでもないのよね」
「え?」
「あの騎士か」
ホークの言葉をパンダは首肯した。
「多分だけど、あの騎士もこの町に来てると思う。迷宮に戻ってきてるのは見かけたからね。あの騎士を上手く使えればリュドミラ達をどうにかできるかもしれないわ」
「そ、そんなの難し過ぎませんか? だって、向こうはその騎士の場所も分かってるんですよね?」
「なんとかするしかないわね。ここはもう森の中じゃない。ホークの戦闘力もさっきほど強くないし、罠も張りにくい。リュドミラに対抗できる手段はあの騎士だけよ」
残る魔人は三人。森から移動してしまった以上、ホーク一人で渡り合うにはまだまだ無茶をしなければならない。
町の外に出て正面から戦うくらいであれば、あの騎士を上手く使ってリュドミラ達を撃退する方が勝機があるとパンダは踏んだ。
「二人とも、これを渡しておくわ」
パンダは鞄からあるものを取り出してルゥとアッシュに渡した。
「なんだこれ?」
「音響弾よ。ホークの魔弾用に持ってきたけど、念のためにもっておいて。見ての通りこの町は広いし暗い。はぐれたら合流するのが難しくなると思う。だから自分の位置を知らせる用に使って。魔力を込めて地面にでも叩きつければ音が鳴るから」
「分かりました」
素直に受け取るルゥとアッシュに、パンダは注意深く釘を刺した。
「分かってると思うけど、これを使えばあの魔人たちどころか、こわーい騎士にも位置がバレるわ。使ったらすぐにその場から離れて」
「あ、ああ。分かった」
ルゥとアッシュは手渡された音響弾をまじまじと見つめた。
この小さく軽い魔石が自分たちの命綱になるかもしれないと気を引き締める。
「まずはどこに移動するんだ? 闇雲に歩き回るのはかえって危険だぞ」
「理想的なのは、この町の端に近くて高い場所ね。まずは向こうの位置も知りたい。高台からならホークの鷹の目も活かせるからね」
弓の名手は、並外れた視力と索敵能力を兼ね備えていなければ務まらない。
探知魔法のような直接的な索敵手段を除く単純な索敵能力では、ホークはこの町にいる誰よりも優れている。
敵の位置を知りたいのはなにもリュドミラ達だけではない。むしろそれ以上にパンダ達は彼女らの位置を把握しておきたいのだ。
パンダは先頭を歩きながら、廃屋の影に身を隠して周囲を警戒しながら次の移動先を選別していく。
「探知魔法を連発してこないことを見ると、どうやらやっぱりあの騎士はこの町にいるみたいね。だからこそ騎士に感知されることを恐れて不用意に撃てないのよ」
「そうだろうな。あるいは、私達の近くに騎士がいて迂闊に近寄れないとかか」
「ちょ、それやばいっすよ!」
「今は移動が先決よ。いい、皆? とにかく影に隠れることを意識して。くれぐれもはぐれたりしないで――」
――パンダが振り返ると、そこにはキャメルしかいなかった。
「……えー?」
「え、何すか? ――――うおっ!? え、あれ、皆どこ行ったんすか!?」
キャメルも驚いて軽く飛び跳ねる始末。
つい数秒前までいたはずの、ホーク、ルゥ、アッシュの三人の姿がない。
軽く周囲を見回しても見当たらない。彼女らの姿が忽然と消えていた。
いや、というよりも……。
「――違う。私たちが転移してるわ」
周囲を見回してその事実に気づくパンダ。
それを聞いてキャメルも「あ!」と気が付いた。
暗い廃虚の町。同じような廃屋が立ち並んでいるため一瞬分からなかったが、明らかに先程までいた場所とは違う場所にいた。
つまり、『急にいなくなった』のはホーク達ではなく、むしろ二人の方だった。
「あ、姐御、これってどういう……!?」
「あの迷宮と同じね。何の前兆もなくいきなり別の場所に飛ばされる……この町でも起こるみたいね。ただしあの迷宮と違うのは……」
「なんであたし達だけ飛ばされてるんすか!? ホークの旦那は!?」
そう、そこが迷宮とは決定的に違っていた。
迷宮ではパーティがまとめて別の場所に飛ばされているようだったが、今回は何故かパンダとキャメルの二人だけが転移現象に遭っていた。
「私たちだけじゃないかもしれない。もしかしたら五人がそれぞれ別の場所に飛ばされたのかも」
「ちょ、マジっすか!? せっかく頑張って迷宮で合流したのに!」
「確かめる必要があるわね」
パンダは懐から先程アッシュ達に渡した音響弾を取り出した。
「まったくもう……言った傍から使う羽目になるなんて、ね!」
愚痴を漏らしながら音響弾を地面に叩きつける。
周囲に鳴り響く甲高い音。
町のどこにいても確実に聞こえるだろう。
もし今の音の意味を察してくれたなら、他の面々も音響弾を鳴らしてくれるはず。
「――!」
パンダの期待通り、別の音響弾の音が鳴り響いた。
町の景色から察するしかないが、そこは先程までパンダ達がいた場所に近いように思えた。
が……。
「遠い……数百メートルは離れてるわよ」
「一瞬で移動できる距離じゃないっすね……じゃあほんとに、転移の魔法っすか?」
「……魔法の気配は感じなかった。私の右目でもね。いったいどういう仕組みなの……?」
パンダはしばらく耳を澄ましたが、返答として放たれた音響弾は一発だけだった。
「返答は一発だけ……ということは、やっぱりホーク達は三人とも同じ場所にいるのね。転移したのは私たち二人だけよ」
「あーもうなんなんっすかこれえ! 訳わかんないっすよお!」
「いいから逃げるわよ。今の音で騎士や魔人がここに来るかもしれないんだから」
半泣きのキャメルを連れて、パンダは足早にその場から移動を開始した。
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