第38話 悪夢の死都


「あららら……大変なことになってるじゃないの」

 宿屋から出てきたパンダは周囲を見回して間の抜けた声をあげた。


 ほんの数十分前まで都市を歩いていたパンダだが、その時は都市は正常な姿を保っていた。

 だが今や都市は阿鼻叫喚の坩堝と化していた。

 この都市にこれほどの数の人間がいたのかと驚くほどの人の波が、大通りを流れていく。


「奴の仕業か」

「他に誰がって感じね」

 まず間違いなくブラッディ・リーチの暴走だろう。

「もう……焦らなくたってすぐ遊びに行ったのに。せっかちね」

「で、どうするんだパンダ」

「そうねぇ……」


 こうなると色々と作戦も変わってくる。

 事態が良くなっているのか悪くなっているのか、その見極めも難しい。情報が不足し過ぎている。

 手っ取り早く情報収集を済ませるなら、グールが押し寄せているという西門に向かうのが確実だが、それは危険すぎる。

 もしその場にブラッディ・リーチがいれば、パンダ達はろくな備えもないままに戦闘に巻き込まれることになる。それではここまでの準備も台無しになる。


 とはいえ悩んでいる時間もない。手早く方針を固める必要がある。

「プランは二つよ。プランAは、この町にある戦力と一緒にブラッディ・リーチと戦う。いま警備兵や冒険者たちがグールの相手をしてるはずよ。数はかなりいるだろうから、上手く運べば強力な助成を得てブラッディ・リーチと戦えるかもしれない」

 それは願ってもない状況だ。ホークがあれほど欲した他者の協力を、およそこれ以上ないという規模で手にできる。


「プランBは、この都市は無視して館へ向かう。館への侵入は結界で察知されるだろうけど、戻るには時間がかかる。それまでに人質を救出できるし、何より余計な邪魔がなく戦える」

 この町の戦力が役に立たない場合は、少なくとも足手まといを抱えながら戦うという最悪の事態は避けられるし、最優先目的である被害者救出の成功確率が各段に上がる。


「どっちにするんだ?」

「それはこの町の戦力次第ね。グールに手こずってるようなら要らないわ。でもグールを圧倒してるなら使える。見極めは私がするわ。なんにせよ、あなたは銃を取りに行ってちょうだい。私は西門へ向かう」

「別行動を取るのか?」


 確かに時間的なロスは最小で済むが、それでは連携が取れなくなってしまう。

「マリーは別にこの都市を襲うことが目的じゃないわ。グールを使って私を探してるのよ。だから私はあえてグールに見つかって、マリーに場所を教える」

「……囮になる気か?」

「大丈夫、ノロマなグールじゃ鬼ごっこにもならないわ。でもマリーは私を追ってくる。だからあの子が館へ戻ったりあなたとバッタリ遭遇する確率も減る。それからタイミングを見て私も館へ向かうわ。そこで決着よ」


「お前が奴の注意を引いている隙に私が人質を救出するということか。だがここで奴と戦うプランもあるんだろ? どっちのプランにするか、私はどうやって判断すればいい」

「簡単よ。西門で私が暴れてたらプランA。そうじゃなきゃプランBよ」

「……ふ、いいだろう」


 かなり予定と変わってしまったが、これで作戦は決まった。

 後はお互いに最善を尽くすだけだ。

「じゃ、幸運を祈るわ」






 結論から言って、プランBでいくことになった。

 つまり、シューデリアに存在する戦力ではブラッディ・リーチの相手は荷が重すぎるようだ。


 パンダが西門へと到着したとき、既にそこは死者のひしめく戦場と化していた。

 鎧を着こんだ警備兵と多数の冒険者パーティが一丸となって迎撃しているが、一目見て戦況は芳しくない。

 ざっと見えるだけで三〇〇人以上のグールが西門から雪崩れ込んできている。

 子供から老人まで手当たり次第に数を増やしたのだろう。あのグールの群れの後ろに生存者はいない。

 二つの勢力の戦線はさながら生と死を分かつ境界線だった。


 グールは本来強力な魔物ではない。

 適正レベルは8~15がいいところ。この町の冒険者ならば倒せるはずだが、どうもかなり苦戦しているようだ。


 まず足が速く力も強い。そしてある程度の知性を持って行動しているらしく、頻度は少ないながらも回避行動すら見せることがあった。

 これらはいずれも低位のグールには見られない特徴だ。

 エーデルンから聞いた話では、生み出した吸血鬼の強さによってグールの質は変わるらしい。


 無自覚とはいえ今や魔族四天王の一人に数えられるブラッディ・リーチの生み出すグールは、それだけで他のそれとは格が違うようだ。

 適性レベル20といったところか。これはグールでは相当高いレベルだ。

 それが数百も雪崩れ込んでくる上に、彼らは死を全く恐れない。死なばもろとも兵を巻き込んでの特攻で何人もの警備兵が押しつぶされていた。

 そして倒された者もまた新たなグールとして蘇るという悪循環に、じりじりと後退しながらの迎撃しか打つ手がない状態だった。


「あっちゃー……だめだこりゃ」

 これでは話にならない。

 こんな状態でブラッディ・リーチとの戦闘への助成が求められるはすもなく、パンダはプランBへの移行を決意した。


 まずホークにプランBを伝えるために、パンダはグール達を迎撃しているあの集団には参加しない。

 その上でグール達にパンダの存在を気づかせ、ひいてはグールを通じてマリーにもそれを伝える。

 そうしてしばらく鬼ごっこを続ける。当然、マリーに捕まったら絶対絶命だ。

 それが成功すればホークがマリーの館へ向かう。


 ――そこからはかなりアドリブが必要だ。

 マリーの動き一つで状況はガラリと変わってしまう。


「ま、なんとかなるでしょ」

 近くにマリーの姿はない。まあ当然だ。見えるような位置にマリーがいれば西門などとっくに壊滅しているはずだ。


「きゃあああああああ」

 路地裏から悲鳴。

 逃げ遅れた女性がグールに追い詰められていた。

 迎撃部隊は大通りを抑えるので手一杯で、他の路地にまで気をまわしている余裕はないらしい。


 女性は路地裏の行き止まりで足止めをくらい、引き返すべき道に四体のグールが立ち塞がっている。

「誰か! 誰か助けて!」

 恐怖にかられて泣き叫ぶ女性。必死に壁をよじ登ろうとしているが、女性には高すぎた。

 心を搔きむしるようなおぞましい呻き声をあげながら迫るグール達。

 甲高い悲鳴をあげる女性の喉元目がけて、無慈悲な牙が突き刺さろうとしたとき。


「はぁい♪」


 パンダが蹴り上げた小石が、こつん、とグールの頭部に命中する。

 グール達がパンダを視界に入れ、途端、ぴたりと動きを止めた。

 目の前の女性がまるで見えていないかのように、グール達の視線はパンダに釘付けになっていた。


「私に会いたかったんでしょ?」


 グール達の真の目的はパンダの捜索と確保だ。

 都市を襲うのはそのための手段でしかない。

 故に、


「グアアアアアアアア!!」


 野獣さながらにグールがパンダに飛び掛かる。

 先程まで女性を追い詰めていたようなノロマな動きではない。

 鬼気迫るその姿はまさに主であるマリーの妄執を具現したかのようだった。

 とはいえそんなものに捕まるパンダではない。

 ひょい、と横に交わすと、グールは勢いよく路地裏の壁に激突した。それだけで壁に罅が入るほどの衝撃。その威力だけで、そこらにいるグールとの格の違いが窺える。


「あはは、いくら私のファンだからって、それは熱烈過ぎるんじゃない?」

 他の三体も同様にパンダ目がけて駆け出す。

 パンダは背を向けてペンペンと尻を叩いた。


「捕まえてごらん。景品は応相談といきましょ」






 ガンショップ『ジャンズ・レフト』の扉が荒々しく開け放たれた。

 入店してきたホークを見遣り、店主のボルクハルトは咥えていた煙草の火を消した。


「よう、待ってたぜ。外が騒がしいがなんかあったのか?」

「西門からグールの襲撃だ。命が惜しいなら逃げることだな」

「そうかい、ならそうさせてもらおうかね。じゃ、渡すもん渡して店じまいだ」

「モノは出来てるんだろうな」

「舐めんじゃねえ。俺はやるっつったらやるんだよ」


 ボルクハルトはカウンターの下から大きなトランクケースを取り出し、カウンターに置いて開けた。

 中には二つの銃。赤と紫のハンドガンが収められていた。

 紫の魔法銃『サーペント』には変化はない。今朝見た通りの毒々しい凶暴さを感じさせる。

 一方で、赤の実弾銃『レッドスピア』は一目見て大きな改造が施されていた。


 まずスライドと撃鉄と引き金の形が違う。別のパーツへと交換したのだろう。

 銃身には銀のルーン文字が彫られている。

 サーペントとは違い、研ぎ澄まされた槍のような鋭い力を感じるフォルムへと変貌していた。


「試験も済んでる。俺にはあんたほどの早撃ちはできねえが、ジャムは一度も起こらなかった。排莢と次弾装填回りの機構をガッツリ強化しといた。ルーンで強化もしたし、よほど無茶しねえ限りはこれで大丈夫なはずだ」

「そうか」

 ホークは右手にレッドスピア、左手にサーペントを握る。

 ずっしりとした重み。グリップもホークの手によく馴染んだ。

 この二丁の銃が、ホークの新たなパートナーだ。


「こっちは装備だ。ホルスター二つにマガジンポーチに、それを固定するベルト。後はメンテナンス用の備品だ。説明書も入ってるが、分からねえことがあれば店に来な」

「ああ、分かった」

 ボルクハルトの説明を受けながら一つずつ装備していく。

 ホークが既に着用していた鎧と上手く嚙み合わせて着けるのは骨が折れたが、なんとか全て着用し終えると体積が一回り大きくなったように見えた。


「へっ、似合ってるじゃねえか。ガンエルフの誕生ってわけだ」

「ふん、貴様の銃が使い物にならなければいつだって弓士に戻る準備は出来ている。それより、早く逃げた方が身のためだぞ。ここにもじきにグールがやってくる」

「ったく、おっかねえな。おらさっさと出ていきな。店じまいにも準備ってもんがあんだよ」


 憎まれ口を絶やさないボルクハルトに対して苛立たしげに鼻を鳴らす。

 ホークとてこんなところで軽口を叩き合うような暇はないのだ。言われるまでもなく店の扉を開け外へ出る。


「――死ぬなよ」

 その去り際に、一言だけ残していった。

 ボルクハルトがどんな表情を浮かべているかなど確認する気はない。ホークはそのまま店を出た。


 別にこんな人間が一人死んだところで知ったことではない。

 が、この都市に一つしかない貴重なガンショップだ。その店主には生きていてもらわなければ困る。

 それだけだ。




 建物の屋根を伝って西門を目指す。

 大通りは人がごった返しすぎてまともに進めたものではない。

 狂乱の波に呑まれて誰も正常に行動できなくなっている。そんな波に逆らって進んでは時間がかかりすぎる。


 西門に向かうにつれてそれは顕著になっていった。

 まだ西門が見えていないにも関わらず、大通りには多数のグールが徘徊していた。

 そこら中に飛び散った血液と戦闘の痕跡。グール含めいくつもの死体が転がっている。

 西門ではグールを抑えきれず、かなり都市の内部にまで侵入を許している状況らしい。


 作戦では、西門付近でパンダがグールと戦闘しているかで、その後のプランが決まる。

 パンダが西門付近にいれば、それはこの都市の戦力がブラッディ・リーチとの戦闘に耐えられると判断したということだ。

 パンダ自らが身を晒して戦っていれば、当然そこにブラッディ・リーチが現れる。つまりそこが奴との決着の場だ。


 もしそうでなければ、パンダは今グール達と遊びながらブラッディ・リーチから身を隠しているはずだ。

 その場合はホークは西門での戦闘には参加せず、そのままブラッディ・リーチの館へと向かう手筈になっている。


 ……が、どうやら確認するまでもないようだ。

 こんなところまでグールに攻め込まれている時点でこの都市の防衛力も知れるというもの。

 どう見てもグールをやり込めているようには見えない。

 こんな場所でブラッディ・リーチとやりあおうとは、さすがのパンダも思い切らないだろう。


「ふん」

 屋根から眼下を見下ろす。

 逃げ遅れた者たちがグールの手にかかり次々と喰われていく。死と悲鳴に満ちた地獄の釜を覗き込みながら、しかしホークの心に僅かの憐れみもない。

 エルフ族が容赦なく殺されたように、人間たちも成すすべなく蹂躙されるがいいとすら思えた。

 もはやこんな都市に留まる理由もない。さっさとブラッディ・リーチの館に向かおう。


「お姉ちゃん、逃げて!」

 そのとき、一人の少女の叫びがホークの耳に届いた。


 幼い少女が地面に倒れ込んでいる。脚をくじいたのか、立ち上がることができないようだった。

 その少女を庇うように、別の少女が前に立っている。そんな二人に迫る三体のグール達。


「私はもういいから! お姉ちゃんだけでも!」

「うるさい! あんたを置いていけるわけないでしょ!」

 姉は震える足で小さなスコップを握りしめていた。あれで応戦するつもりのようだが、無謀にも程がある。


「こ、来い! 化け物!」

「お姉ちゃん! やめてええ!」

 グールは姉のすぐ目の前まで迫り、その口を大きく開いてかぶりつこうとしていた。

 あまりの恐怖に涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら姉は目を閉じる。


 ダン! という銃声。

 三連射された銃弾が三体のグールに一発ずつ命中。

 発動した魔断がグールの体内にある魔力を残らず消し飛ばした。

 糸の切れた人形のようにくずおれるグール達。

 何が起こったのか理解できず呆然としている姉妹のもとへ、ホークが静かに歩み寄った。


「消えろ」

「…………ぇ」

「邪魔だから消えろと言ってるんだ。東門にでも向かえ」

「……は、はい……!」

 よろよろと覚束ない足取りで、二人は大通りの奥へと歩いていく。


「あ、ありがとうございます、エルフのお姉さん!」

 二人は大粒の涙の流しながらホークに礼を言い、その場を後にした。

「……勘違いするな人間ども。別に助けたわけじゃない」

 二人が去ったのを確認した後、ホークは静かに呟いた。

 

 別にあんな人間が二人死んだところで知ったことではない。

 あのガンショップの店主は試験したと言っていたが、人間の言葉など信用できない。だから本番前に一度試し撃ちがしたかったのだ。


 ……それだけだ。

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