第147話 『シラヌイ』『インクブル』
「――ッ、……ここは……」
リュドミラが目を覚ますと、そこは『空白地帯』ではなかった。
岩や土の壁が続く、シュティーア遺跡の内部だった。
「起きた?」
見ると、リュドミラはシェンフェルに抱きかかえられながら遺跡を移動していた。
どうやら意識を失ったリュドミラを、シェンフェルがここまで運んでくれていたらしい。
「……降ろせ」
「ダメ。傷が開くよ」
インクブルから受けた一撃はリュドミラに甚大な被害をもたらしていた。
シェンフェルの魔法によって少しずつ回復していっているが、それでもまだ動けるような状態ではなかった。
が、自分よりも一回り以上小さな少年に抱きかかえられているという状況が気に喰わなかったのか、リュドミラは乱暴に身をよじってシェンフェルの腕の中から抜け出した。
「ガッ……! はぁ……はっ……!」
まともに立ち上がる力も出せず、リュドミラは地面に膝をついて蹲った。
想像以上にインクブルの一撃が効いていた。あのときシェンフェルの援護がなければ間違いなく致命傷になっていただろう。
「迷宮は……インクブルはどうなった……」
「死んだ。迷宮も消えて遺跡に戻った。僕たちは出発地点があの人たちから離れてたから、そのまま逃げてきた」
どうやらインクブルの打倒には成功したらしい。
迷宮も消え、その消滅にリュドミラとシェンフェルが巻き込まれて死亡するような事故も起こらなかったようだ。
そしてその場からの離脱にも成功。一見すると上々の結果に思えた。しかし、リュドミラの表情は険しかった。
「パンダはどうなった」
「生きてる」
「神器は……!」
「分からない。この遺跡に戻ってきているなら、人間の手に渡った」
「馬鹿が!」
リュドミラは起き上がると、苛立ちに任せてシェンフェルを突き飛ばした。
「何故パンダを殺さなかった! 神器がどうなったかも確認せずに逃げてきただと!? どういうつもりだ!」
「あのエルダーも『空白地帯』に来てた。戦えば負けてた」
「ッ……」
今のリュドミラ達の最優先目標は、神器の情報を魔王城に持ち帰ることだ。
リュドミラが意識を失った状態で、ディミトリとホークがその場にいたのでは確かに勝機は皆無だろう。
パンダの言葉が思い出される。いつでも自分たちを殺していいと豪語したあの余裕も、まるでこうなることを予見していたかのように思えた。
勝利条件は達成したが……大きな敗北感を伴う勝利だった。
「……今からでも……」
再び遺跡に戻り、パンダを殺すことはできないかと思案するリュドミラ。
ディミトリもかなりの重傷を負っていた。ホークが最終的にどの程度まで負傷したかは不明だが、こちらもシェンフェルが無傷。二人がかりならば勝機はあるかもしれない。
そう考えるリュドミラの肩に、シェンフェルの小さな手が添えられた。
「ダメだよ」
そう言って首を横に振るシェンフェル。
リュドミラは悔しそうに歯噛みしながら顔を背けた。
「……撤退する。遺跡を出たら魔王城と連絡を取れ」
「うん」
重い足取りのまま、それでも生還を果たした二人は遺跡の出口に向かって進んでいった。
「おい、お前さっきから何しとんねん」
「うぅ……ううぅ~……!」
蹲って頭を抱えながら唸っているミサキ。
声をかけても反応がないので、ディミトリはミサキの背中を軽く蹴飛ばした。
「うひゃあっ!! た、助け――え?」
「耳栓はずせアホ」
「ディミトリさん!」
スポッ、と耳栓を外すと、ミサキはディミトリに駆け寄って抱き着いた。
「うわ~んディミトリさ~ん! 良かったです! 怖かったです!」
「お前そんなとこで何しとってん」
「パンダさんから言われたんです、これから戦闘が起こるからここでじっとしていろって」
「お前アホやなホンマ。……まあええわ、確かにあの騎士に標的にされるよりはマシやしな」
「あれ、ここはどこですか……? それに、あの騎士は?」
「死んだわ。迷宮から脱出できたようやな」
「あ、パンダさん達は!?」
ディミトリが親指で指さしすると、そこには地面に座り込みながら頭を抱えるパンダの姿があった。
インクブルに受けたダメージがまだ残っているのか、苦しそうに呻き声をあげていた。傍にはキャメルとホークがおり、パンダの容態を確認していた。
「……助けられちゃったわね、ありがとう。あなたが来てくれなかったらやられてたわ」
「気にせんとってください。むしろワシ抜きでよくあの騎士と戦えとったもんですわ」
「軽く気絶してたから覚えてないんだけど、あれからどうなったの?」
「あの魔人二人は逃げましたわ。ちょっと距離が離れてたんが不運でした。出発地点がズレて追われへんかった」
「そう……インクブルとシラヌイは?」
「奴らは消えたよ」
二人の最後を見届けたホークが言った。
迷宮が消え、シュティーア遺跡に戻ってきたとき、あの二人の姿はなかった。
迷宮と共に消失したのだろう。最後まで互いを抱きしめ合ったまま、二人はその旅路の執着を迎えることとなった。
「でも、神器は残ったのね」
「そのようだな」
シュティーア遺跡の地面に、二本の斧が転がっていた。
迷宮が消えても神器は残った。所有者を失った一対の斧は、今はその光をも失っていた。
「これで……迷宮は終わったんすよね?」
「そうなるわね。シュティーア遺跡の神隠しも解決よ。……念のため聞いておくけど、キャメル。魔石の方は無事よね?」
「何言ってんすか姐御、あたしがお宝を手放すわけないじゃないっすか! じゃーん!」
キャメルがバッグの中を開くと、そこにはいくつもの魔石が入っていた。
いずれも三〇〇年間、神器の魔力を間近で吸い続けた高濃度の魔石だ。オリヴィアが要求する魔石の基準も余裕でクリアしているだろう。
いくつかはオリヴィアに渡すとして、それでも一つ売却するだけで数百万ゴールドの値が付くお宝だ。
それに加え、シュティーア遺跡の事件を解決したことでルドワイアからも多額の報奨金が出るだろう。
まさに一攫千金を成し遂げたキャメルはホクホク顔だった。
「なーるほどぉ、それが目当てやったんですか」
ディミトリが近づいてきてバッグの中身を覗き込んだ。
「偶然見つけたのよ。せっかくだから貰っておこうと思って」
「それがええと思いますわ。あんなけったいな迷宮を攻略した報酬ですからね、ガメつくいきましょ。ほんならもうやり残したことはないですよね?」
「? ええ、まあそうね」
「そうでっか」
その言葉を最後に、ディミトリの放つ気配が変わる。
伊達眼鏡の奥の瞳がギラリと光り、パンダを射抜く。
その瞳の奥に、かすかに……しかし明確な殺気を感じ取ったパンダの双眸が見開かれた。
「――ほな、行きまっせ?」
ディミトリが僅かに右手を動かしただけで、複数の魔力糸がパンダ目がけて放たれた。
パンダの四肢を斬り飛ばすことが目的だと一目でわかるほど鋭い動きでパンダに襲い掛かる魔力糸。
その内の一本はパンダの首に巻き付き、あと僅かでも糸が締まれば首に接触するところまで迫る。
「――」
思いがけない奇襲に晒され、パンダの身体が強張る。
咄嗟に回避行動を取ろうとした身体を……しかしギリギリのところで抑え込む。
それはほとんど反射的な直感だった。
――動いてはいけない。
魔力糸が見えていることを知られてはならない。
その一念だけで、自身の命を狙う魔力糸を、パンダは不動のまま迎えうった。
「――」
「――」
パンダとディミトリの視線が交差する。
一瞬の空白をおいて、魔力糸はまるでもとから存在していなかったかのように掻き消えていた。
「……? 行くってどこにっすか?」
そんなことが起きているとは知らないキャメルが呑気に尋ねる。
ホークもミサキも、ディミトリの言葉の真意が掴めずにいた。
そんな中、パンダとディミトリだけが静かに目線を合わせていた。
「……決まってますがな。遺跡の出口ですわ。いつまでもこんな場所におる必要ないでしょ?」
「ああ、確かにそうっすね! さっさとこんなヤバい場所からおさらばっすよ。ね、パンダさん!」
「…………ええ、そうね」
額を流れる冷や汗を誤魔化すようにディミトリから顔を背けるパンダ。
その後ろ姿を見つめながらディミトリは一人、内心でほくそ笑む。
やはり、彼の予想通りだった。
――パンダには魔力糸が見えている。
確かに今、パンダはまったく身動きを取らなかった。常人にはそう見えただろう。
だがディミトリの目は誤魔化せない。瞬き程の刹那の間ではあったが、パンダは確かに魔力糸を目で追った。なまじ鋭すぎる反射速度が仇となった。
ディミトリの意図を瞬時に読み取り、まるで糸が見えていないかのように振る舞って見せたその対応力は凄まじいとしか言いようがないが……ここはディミトリの洞察力が一歩上回った。
パンダには魔力糸を視認する術があるのだ。であればあの宿屋の一件は、やはりパンダの潔白を証明する要因にはならない。
ついにパンダの尻尾を捕まえた。ディミトリはそんな手応えを感じていた。
「そうと決まれば行きましょか。出口までの道すがら、いろいろ教えてもらいまっせ」
神隠しさえ起きなければ、シュティーア遺跡は何の変哲もないただの遺跡だった。
魔物もおらず、入り組んだ構造もしていない。出口に向かって進むのは容易だった。
その道中でパンダ達は、ディミトリに事の経緯を語った。
もちろんパンダ達の秘密に関する情報が露呈しないように多少誤魔化した部分もあったが、おおむねあの迷宮で起きたことは全て伝え終えた。
「なるほど……そういうことやったんですか」
パンダの話を聞きながらディミトリはしきりに頷き、ミサキは熱心にメモを取っていた。
「しかし驚きですね。まさかその斧が神器だなんて」
「せやなぁ。せやけど確かに、あの遺跡で起こった出来事はそれくらいやないと説明できん」
二つの斧はディミトリが背中に抱えて持ち運んでいた。
基本的に冒険者がダンジョンで発見した財宝は冒険者のものになるが、さすがに神器はそうはいかない。人類の命運を左右する代物だ。神器はディミトリがルドワイアに持ち帰ることになった。
それに関してはパンダ達も異存はなかった。パンダ達が持っていても持て余すものだ。これは人類の手に委ねるべきだろう。
代わりに、パンダ達が遺跡の神隠しの謎を解明したことに関しては、ディミトリ自身が保証してくれることになった。エルダークラスの騎士の口添えがあれば問題なく受理されるだろう。
報奨金はルイスパーティに全て譲る約束だったが、彼らは全員この迷宮に倒れた。彼らの手柄を掠め取るようで僅かに気が咎めたが、折角なので貰うことにした。
「あ、見てください! 出口っすよ!」
キャメルが指差した先には、確かに遺跡の出入り口があった。
階段状になって地上へと続いており、上部から自然の光が差し込んできていた。
ひゃっほーと駆け出していくキャメル。それに続く面々も、階段を登って地上へと上がった。
時刻は夜明け前。地平線から覗く朝日が、迷宮の生還者たちを祝福するように出迎えた。
ホークにとっては数日ぶりの陽の光。その眩しさに思わず目を細めた。
「ほんならワシらはこれで。楽しい遺跡探索でしたわ」
「ええ、こちらこそ。あなた達が来てくれて助かったわ」
「パンダさん、いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした! ディミトリさんには私の方からきつく言っておきますので!」
「は? お前なんやねんミサキ。何ワシの保護者面しとんねん」
喧嘩する二人を微笑ましく横目で見遣って、パンダは停めておいた馬にまたがった。
「はぁ~終わった終わったっす。やっとゆっくりできるっすよ~」
「あら、何やってるのキャメル?」
「へ?」
パンダの馬に相乗りしようとするキャメルを、パンダが制止する。
何を言われているのか分からず戸惑うキャメルに、パンダは満面の笑みを浮かべながら言った。
「あなたと私達はこの遺跡で偶然出会って一時的に協力関係を結んだだけでしょ? 遺跡の探索も終わったんだから、あなたとはこれでお別れよね?」
「……」
ハッ、とした表情でキャメルは息を呑んだ。
視線を移すと、ディミトリがニヤニヤしながら二人を見つめていた。
……そう、キャメルは今回、そういう立ち位置でパーティに参加していた。ディミトリにもそう説明した。
なのにここで、まるでパンダのパーティメンバーかのように自然と馬に相乗りするなど不自然過ぎる。
「そ……そう、っすね~。あ、あはは~、いやほら、なんかもうあたし達って、今回の一件で完璧に心が通じ合ったっていうか、そんな感じだったじゃないっすか。だからなんかこう、自然にやっちゃったっていうか、ね?」
「ええ、分かるわよその気持ち」
「そうっすよね~! それじゃあ、あたしはこの辺で! 楽しい旅ができたっす! さいなら~」
キャメルは引きつった笑みを浮かべながらその場を後にした。
ルイス達が乗っていた馬も、一度迷宮から脱出した際に回収済みだ。余った馬もないため、キャメルはここからギルディアまで、再び徒歩で帰還する羽目になるだろう。
ここ数日ろくに休息も撮らずに働きっぱなしだったキャメルには申し訳ないが、ここは最後の試練と思って耐えてもらうしかない。
それを見届けたディミトリは、苦笑しながら彼らの馬にまたがって走らせた。
去り際にチラリとパンダを見遣ったが、特に言葉を交わすこともなく二人はその場を去った。
最後に残ったのはパンダとホークの二人だけだった。
ホークは疲れ切った声で一度深く嘆息した。
「終わったな……」
「楽しいダンジョンだったわね~」
「二度とごめんだ」
愚痴をこぼしながらパンダと同じ馬にまたがるホーク。
「これで問題は全て解決か?」
神隠しを解決し、カルマディエの刺客をやり過ごし、高濃度の魔石も入手した。
今回の一件ですべきことは全て達成出来たと感じたホークだが、パンダは苦い顔で首を横に振った。
「まだよ。ディミトリの件が残ってる」
「ディミトリ? 奴がどうした。もう疑いは晴れたんじゃないのか?」
「いいえ……むしろ逆ね。彼はまだ私を疑ってる。それも、かなり確信をもって」
わざわざパンダを試すように魔力糸を放ってきたのがその証拠だ。
……いや、そもそもパンダ達の疑いが完全に晴れたのであれば、ディミトリ達はこんな場所まで出向いてくる必要すらなかったはずだ。
彼らがここに来たという時点で、それはパンダ達が未だ疑われているという意味だ。
「今のところはなんとかやり過ごせてるけど……あの子とはいずれ決着をつける必要があるわ。旅が窮屈になるのは嫌だけど、これからは少し気を引き締めないといけないわね」
パンダがここまで言うのだから、やはりあのディミトリという男はかなりの曲者のようだ。そう遠くない内に、ディミトリは再びパンダの前に立ちふさがるだろう。
「でもまぁ、ひとまずそれは置いておきましょう。今はとにかく都市に戻って、ゆっくりシャワーでも浴びましょ」
「そうだな」
その提案にはホークも賛成だった。
ホークもこの遺跡に潜ってからここまで、飲まず食わずの不眠不休で警戒を続けてきた。いかにホークと言えどもそろそろ体力が限界に来ていたところだ。今はただゆっくりと休みたいというのが本音だった。
そうして馬を走らせようとしたホークは……一度だけ、シュティーア遺跡へ振り返った。
「……」
「? どうしたの? 何か忘れ物?」
動きを止めたホークを怪訝そうに見つめるパンダ。
「……いや。何でもない」
そう言い残してホークは手綱を操り、馬を走らせてその場を去った。
ホークが考えていたのは、やはりシラヌイとインクブルのことだった。
ホーク達は迷宮のゴールへと辿り着き、こうして迷宮からの脱出を果たした。
だがあの二人はここへは戻らなかった。迷宮の消滅と共に同じく消え去った二人は、まるで本当に亡霊だったかのように思えた。
……だがそうではない。あの二人は亡霊などではなかった。
二人は生きていた。幻ではなく、確かに存在する生命として生きていたのだ。
ただ、ホーク達とは終着点が違っただけだ。
二人は今日、長い旅路を終えて眠りについた。
迷宮を彷徨う亡霊は、幾度も同じ場所を回帰し続け、ようやく終着へと至った。
ホークは静かに、その終着が二人にとって幸福なものであることを祈った。
「……パンダ」
「ん、なあに?」
「私たちの旅の終着はどこだ? 魔王を……スノウビィを倒し、魔族を滅ぼしたときか?」
「……」
ではその後、二人の道はどこへ続くのか?
ホークの問いかけには、そんな意味が込められていた。
「ゴールっていうのはつまり……もう進むべき道がない、行き止まりの状態ってことよ」
「……」
「混迷という不自由を克服してゴールに辿り着いた者は、『もうどこにも進めない』という不自由に陥る。本当に自由になりたいのなら、ゴールなんてない方がいいのかもしれないわね」
「……つまり、迷い続けることこそ自由だと?」
「ええ。迷ったっていいのよ。その代わり、どこにだって行ける。そんな人生こそ、最高の自由ってものでしょ?」
パンダらしい答えを聞き届け、ホークは微笑した。
彼女はこれでいいのだろうと思った。
『自分が辿ってきた道が間違っていないかどうか』。廃虚の町で、インクブルとホークは語り合った。
それと同じ問いをパンダにすれば、きっと返答は一つだろう。
――間違っていない。だって今、最高に楽しいから。
パンダならきっとそう答えるだろうとホークは確信できた。
「でもまあ、いずれビィは倒すけどね」
「当たり前だ」
軽口を叩きながら、二人は夜が明けていく世界の光を浴びた。
二人の旅はまだ続いていく。
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