第87話 ……別に頼んでないし


 突如訪れた異変は、セドガニアにいる誰もが感じ取れた。

「な、なんだこれは……!?」

 作戦室内で指揮を執っていたバロウンが狼狽する。


 作戦室が小刻みに振動していた。

 いや、正確には部屋ではなく、震えているのだ。


「せ、セドガニア中のドラゴンが、全て一斉に動き出しました!」

 観測手が叫び、バロウンも事態を理解した。

 今までセドガニアの上空を旋回するばかりだった、一万体ものドラゴンがついに何かを発見したのだ。

 その全てが一斉に動き出した衝撃派が、大気を震わしているのだ。


 想像を絶する大質量のうねりは、まさに力そのもの。空を移動するだけで町を揺るがす程のエネルギーを有していた。


「どこに向かっている! すぐに調べろ!」

「はっ!」


 ドラゴン達はやはり、何かを待っていたのだ。

 そして彼らはそれを見つけた。それが何なのかを把握できれば、この状況を打破するきっかけになるかもしれない。


 バロウンがそう期待していると、別の通信手がバロウンに声をかけてきた。

「バロウン殿、セドガニアで何者かがドラゴンと戦闘中との報告が」

「ドラゴンから逃げるために一時的な戦闘は許可する。その辺の判断は現場に任せたはずだ。いちいち報告するな」

「いえ、その……一時的ではなく、本格的な戦闘が行われているようです」

「……チッ、どこの馬鹿だ。すぐにやめさせろ。下手にドラゴンを刺激するな」


「そ、それが……兵士ではないようです。報告では、民間人のようだ、と」

「……冒険者か? ドラゴンと戦えるような者が残っていたという話は聞いていないが」

「報告では、その……戦っているのはとのことです」


 その言葉にバロウンと、そして傍らで報告を聞いていたシィムの双眸が見開かれた。

「灰色の……女、だと?」

 バロウンがシィムを見る。シィムもまた何かを言いたそうな顔でバロウンを見つめていた。


 当初、ラトリアと共に討伐予定だった魔人。

 それが灰色の女性だったはずだ。


「――代われ! 私に通信を繋げ! それと、シィム殿にも魔石をお渡ししろ!」

 バロウンが通信魔石を奪い、通信を自身と繋げた。

 シィムも通信魔石を受け取り、通信手の声を傍受した。


「おい、聞こえるか! 詳細を報告しろ!」

『は、はい。今、少し向こうの方で、灰色の髪をした女性と……あと、小さな女の子がドラゴンと戦っています』

「その少女の特徴を教えろ」

『少女は……う、浮いています。浮遊術でしょうか。どんなスキルかは分かりませんが、上空を自由に移動しています』


 バロウンがシィムを見ると、シィムは力強く頷いた。

 浮遊術は、人類にも魔人にも特殊な能力だ。吸血鬼であるブラッディ・リーチはその能力を有している。


「……どうやって戦っている? そもそもたった二人でドラゴンと戦えているのか?」

『……戦えてるなんてもんじゃない……す、すげえ……ドラゴンを、殴り殺してる……!』

「殴り……殺してる、だと?」

『灰色の髪の女性が殴ると、ドラゴンが吹っ飛んでいきやがる! やべえ! 何者だあいつ!?』


「……その少女はどうだ? どんな戦法を使っている?」

『少女は……あれはなんだ……? 風……いや、水? なにか、赤い何かを操って、ドラゴンを攻撃しています』

「……決まりだ」

「はい。間違いありません」


 バロウンの呟きにシィムも同意した。

 二日前にゴード部隊が森で遭遇した吸血鬼、ブラッディ・リーチ。そしてそれと同行する灰色の魔人。

 セドガニアで戦闘を行っているのは、この二人で間違いない。


『う、うわあああああ!!』

 不意に魔石から悲鳴が聞こえてきた。

「なんだ、どうした」

『ど、ドラゴンが……! 全部のドラゴンが接近してきます! や、やばい、逃げろ!!』


 逃走中なのか、魔石からの声は一時的に途絶した。

「ドラゴン……奴らが狙っていたのは……その二人なのか?」

 バロウンは必死に頭を回転させ、現状を把握しようと努めた。


「……まず、やはり件の魔人と吸血鬼はこの町に来ていた。この騒動の直前に占星術で捕捉した魔力反応は、間違いなくこの魔人のものだろう」

「はい。私たちが有している情報とも完全に一致しています」

 シィムの同意を得て、バロウンは小さく頷いた。


「そして、何者かに召喚されたドラゴン達は、灰色の魔人とブラッディ・リーチを狙っている……? この襲撃は――そうか……! この町に潜伏していた二人を炙り出すためのもの……!?」


 バラバラだった点が少しずつ繋がっていく感触に、バロウンの声が興奮気味に上ずる。


「で、では、その灰色の魔人を倒せば、もうドラゴンはこの町を襲わなくなるのでは!?」

 兵士の一人がバロウンに提案する。

 もしそうであれば、事態は一気に好転する。一万ものドラゴンを全滅させることは不可能だが、たった二人を倒せば全てが解決するのであれば希望はある。


「…………いや、違う」

 だがバロウンにはまったく別の予感があった。

「奴らはそもそも、目的に関係ない人間を襲っていた。命令だけを遂行しようとする、完璧な兵器じゃない」

「それは……」


「おそらく、ドラゴン達には最重要命令が埋め込まれている。だがそれ以外の部分では『好きに暴れる』ことを許可されているんだ」

 その事実はまさに、召喚士の悪辣さを如実に表している。

 目的の遂行だけを目的としていない。圧倒的な『力』が弱者を蹂躙することを、この召喚士は許容しているのだ。


 血がにじむほどにバロウンが固く手を握りしめる。

 煮え立つような怒りが彼の胸中を満たしていった。


「この召喚魔法の術者は……狂ってる。たった二人を殺すために――無関係の人間を何人殺すつもりだッ!!」


 怒りに任せてバロウンが作戦室のテーブルを殴り飛ばす。

 顔を紅潮させ、荒く息づきながらバロウンは叫んだ。


「こいつだ! この召喚士! こいつが俺たちの……セドガニアの敵なんだッ! 二人を殺すために数万人を巻き添えにするなんて、この召喚士は発想からしてもう異常者だ! こいつは絶対に容赦しない。目的の二人を殺せば、それ以降はもう人を襲わなくなる……そんな安全装置を用意しているわけがない!」


 誰もが固唾を飲んでバロウンの言葉を聞いた。

 バロウンは意識的に冷静さを取り戻したのか、静かに深呼吸をしてシィムに向き直った。


「グラッセル殿。ブラッディ・リーチは、貴殿の所属する部隊を丸ごと相手取ったんでしたね?」

「はい。私とラトリア隊長は不在でしたが、一四名のルドワイア騎士と一人で渡り合いました」

「そして、灰色の魔人は、ラトリア・ゴード殿を上回る戦闘能力を持っている……そうですね?」

「……はい。ラトリア隊長自らがお認めになられました。単騎での戦闘力では、おそらく灰色の魔人が上回っているとのことです」


 一瞬だけ躊躇したシィムではあったが、そう伝えた。

 今バロウンが求めているのは正確な情報であって、ラトリアの名誉ではない。

 ラトリア自身が言ったことだ。あの灰色の魔人は、自身の力を上回っていると。


「――いるじゃないか。最高の戦力が」


 バロウンの言葉に、周囲にいた者たちが驚愕の表情を浮かべた。


「ま、まさか。バロウン殿、あの魔人を……」

「そうだ、援護する。ルドワイア帝国騎士団の一部隊と渡り合う吸血鬼に、エルダーを上回る戦闘力を持つ魔人。……これほどの助力はもう望めん。チャンスは今しかない!」

「し、しかし! 我々はバラディア軍です。魔族と共闘するのは……それに、まだ事情も定かではありませんし……」

「ならその事情とやらを聞いてきてくれ!!」


 敵意すら剥き出しにしてバロウンが叫び、その迫力に兵士が数歩後ずさった。

「今すぐあの魔人に事情を聞いてきてくれ! 町中のドラゴンが集まっている中、それをかき分けて聞いてきてくれよ、なあ!?」

「……そ、それは……」

「今は人だ魔人だと言っている場合じゃない。一人の召喚士の狂った黒魔法に、この町の者全員で戦うときだ。兵士だけじゃない。今もこの基地では全員が協力して怪我人の治療に当たっている」


「……」

「我々の敵はこの地獄を生み出した召喚士だ。それに抗う者は、誰であれ味方だと思え! たった二人で数千体のドラゴンに真っ向から立ち向かっている者たちがいる。それを援護して何が悪い!?」


 バロウンに反論しようとする者はいない。

 誰もが決心したように、バロウンの指示を待った。


「――北門の部隊を町に戻せ。戦闘態勢に移行したドラゴンを引きつれてしまっても構わん。大至急、全て戻せ」

「はっ!」

「町にいる部隊に伝えろ。現在より作戦を変更。我々はこの町で応戦し、ドラゴンに対し徹底抗戦に出る! ――全責任は、俺が取る!」


 作戦室にいる全ての者に向けて、バロウンは声高に叫んだ。


「セドガニアの全戦力を投入し――灰色の魔人とブラッディ・リーチを援護するッ!」






 ドラゴンの密集率が異常なまでに高まった。

 全長一〇メートルほどのドラゴンの巨体が数千と密集すれば、それは黒い塊としか認識できなくなるほどだった。


「――フッ!」

 ベアの鋭い右ストレートが、迫りくる黒い塊に叩きつけられる。

 その一撃だけで数十体のドラゴンが冗談のように吹き飛び、地面に激突していく。

 ベアは建物の屋根の上を疾走しながら、手の届く距離にいるドラゴンを殴り飛ばし続ける。


 ドラゴンが近接攻撃しか攻撃手段を持っていないのも幸いした。

 灼熱のブレスを吐くドラゴンも存在する中、ベアの独壇場である近距離戦を仕掛けてくれるのは願ったりだ。


「べ、ベアさん! ちょっと早い!」

 その背に必死についていくマリーではあったが、ベアは屋根を走っているとは思えない速度で移動しつづけ、マリーの飛行速度を以てしてもついていくだけで精一杯だった。


「止まれば捕まりますよ。急いでください」

「う、うん!」

「あなたはとにかく血の盾で防御を固めてください。自分を狙うドラゴンだけを迎撃してください」

「分かった!」


 無限にも思えるドラゴンに一斉に襲い掛かられるというのは、マリーにとっても思わず身がすくむような光景だった。

 だが目の前にベアの背中があるだけでマリーの支えになった。

 前から襲われることはない。前方の敵は全てベアが始末する。ベアの圧倒的な力を目の当たりにすれば、マリーにもそう信じることができた。


「――ッ!?」

 背後から奇襲。ドラゴンが大きな口を開け、マリーを噛み砕こうと襲い掛かる。

 血の盾を展開。後方一八〇度を覆い衝撃に備える。


「ぐっ!」

 ドラゴンに頭突きを見舞われるような形でマリーが吹き飛ぶ。ドラゴンの巨大な牙が血の盾に食い込み、盾ごとマリーを押す。


「――」

「大丈夫!」

 一瞬マリーの安否を気にかけるベアではあったが、マリーがそれを制止。

 ドラゴンの牙を以てしても、マリーの血の盾を突き破ることはできていなかった。


 ドラゴンの顎の力は凄まじく、血の盾が大きくたわむ。しかし盾が壊れることはなく、マリーを守護しつづけた。

「ハッ!」

 血の斬撃を放つ。ただでさえ高速の斬撃を、この至近距離で外す方が難しい。


「……っ、硬い……!」

 一息に首をはね飛ばすつもりだったが、ドラゴンの外皮の予想以上の硬さに致命傷を逃す。

 斬撃が中ほどまでしか通らない。

 今のマリーはS-70相当の力を持っている。一方でドラゴン達は、一体あたりS-58相当。

 レベルだけで見れば12レベルもの差が開いているというのに仕留めきれない。

 バラディア軍の兵士がどれほど過酷な戦いを強いられているかが見て取れた。


 斬撃を受けたドラゴンは力なく地面に落下していくが、倒し切れていない。すぐに攻撃を再開するだろう。

 このままではマリーの迎撃では追いつかなくなってしまう。


「ベアさん、こいつら硬いよ!」

「……? そうですか?」

 ドン、と爆音のような音が響き、ベアに殴られたドラゴンが吹き飛ばされ建物に激突する。

 その腹部には、向こうの景色が覗けるほどの巨大な大穴が開いていた。


「柔らかいですが」

「ベアさんと一緒にしないで! ――うわっと!?」

 言ってる間にも他のドラゴンが襲い掛かってくる。

 今のところ血の盾を突破してくるような攻撃はなさそうなので、マリーは盾を何重にも重ねて自身を囲った。


 ほとんど球状になったマリーの盾をドラゴン達が次々と攻撃する。

 まるでピンボールのようにマリーはあちこちへ飛ばされながら、時折目についたドラゴンに斬撃を見舞う。

 ドラゴンの密集率が高すぎるため、どこに斬撃を放っても誰かしらに命中する。


 だが火力が足りない。

 いや、一撃で数体のドラゴンを無力化できていると考えれば十分な火力はあるのだが、ドラゴンの数と迎撃能力を比較して釣り合いが取れていないのだ。

 血の盾が絶え間なく攻撃に晒され、大量の血が周囲に激しく散っていく。

 その都度、血の盾を補強しながら上空を飛び回り逃げ続ける。血の盾の耐久力に全てを託し、マリーは一心不乱に血の斬撃を放ち続けた。


「ベアさん、この数……まずくない?」

「……」


 ベアも内心で徐々に焦りを感じ始めていた。

 この程度のドラゴン、何百体こようとも撃退する自信はある。

 しかし、いくらなんでも異常過ぎる。町にいるドラゴンだけでも手に負えない数なのに、北の空からは途切れることなくドラゴンが飛来し続けてきている。


 ベアはスノウビィが一体どのような魔法を行使したのか知らない。

 その魔力源として冥府に満ちる無限の魔力をバックアップにしていることも知らず、いくら膨大とはいえドラゴンの数に限りはあると考えていた。


 ……だが、今更になってその認識を改める。

 まさかとは思うが、スノウビィが本当に無尽蔵のドラゴンを召喚する術を持っているとしたら……。


「……一刻も早く町を抜けて……いえ」

 言いながら、その作戦が最善ではないことを悟る。

 当初は町さえ抜ければなんとかなると思っていたが、もはやそんな域を超えている。

 たとえセドガニアを突破してもドラゴンは絶え間なく襲い掛かってくるだろう。

 二人を発見した以上、その命を奪うまで終わることなく戦い続ける。


「……」

 単純な持久戦は難しい。スノウビィは何らかの召喚魔法を行使したはずだが、その大本を叩くのが望ましい。

 だがベアにはその場所すら分からない。発見するには、北からやってくるドラゴンの群れを逆に辿るしかないが……いくらベアでも辿り着けるかはかなり怪しい。


「……今は耐えるしかありません。逃げるにしてもドラゴンの数が多すぎます。もっと数が減るまで待ちます」

「これ減るの? むしろ増え続けてる気がするけど」

「セドガニアは壊滅状態ですが、じきに人類側の応援が来るはずです。そこまで粘れれば可能性はあります」


 人間の力に頼るような真似はベアの本意ではないが、言っている場合ではない。

 この戦況の重要性は人類も承知しているはず。セドガニアの惨状を放置すれば、被害はバラディア全土まで及び、それは人類陥落の引き金となるのだ。

 必ず事態を打開するための手を打っているはず。


「それまではひたすら迎撃に専念してください」

「迎撃って言ってもなあ……なにかいい手ある?」

「こうして」


 ベアは飛び掛かってきたドラゴンをひらりと躱し、その尾を右手で掴んだ。

「こうして」

 そのまま尾をブン、と振り回す。

 ドラゴンの巨体がまるで鞭のようにしなり、周囲のドラゴンに激突していく。

 全長一〇メートルの手斧を扱うように、ベアはドラゴンを振り回して上空のドラゴンを撃ち落としていった。


「こうして」

 ボロボロの肉片に変わったドラゴンを、続いて豪快にジャイアントスイング。

 範囲内にいるドラゴンを蹴散らしながら、最後には密集度の高い場所に放り投げた。

 大質量の砲弾と化したドラゴンが激突し、一気に数十体のドラゴンが四方に弾け飛んだ。


「こうします」

「私は別の手段考えるよ」


 この人ほんと無茶苦茶だなあと呆れながら、マリーは地道に目の前のドラゴンに対応した。

 血の盾の防御力がドラゴンの攻撃力を上回っているというのが不幸中の幸いだ。

 周囲の敵はほとんどベアが引き受けているが、それでもこの圧倒的な物量を前には完全に迎撃し切るのは不可能。


 常に数体以上のドラゴンがマリーに張り付き襲い掛かっている状況だ。

 それをなんとか凌げているのは強固な血の盾の賜物。

 だがそれも数枚の血の盾を重ね、一度に操れる血の量の大半を防御に回してやっとというのが現実。


 わずかでも強度を下げればたちまちマリーの命は危うくなる。

「……」

 ベアを信用していないわけではない。

 だが単純に持久戦には限界がある。


 マリーの操る血は魔力から生み出したものだ。

 その魔力が有限である以上、血の盾もいずれは尽きる道理にある。


 今は以前のように魔力源となるグールもおらず、血の貯蔵量は決して多くない。

「まずいなあ……」

 なんとか突破口を見つけなければ、いずれ物量に押し切られる。

 ……いや、それこそがスノウビィの作戦ということか。


 圧倒的な力と物量による殲滅……まさに魔王らしい戦術と言える。


「……ッ!」

 幾度目かの攻撃で血の盾が破壊される。

 ドラゴンの吠え声がすぐ間近に聞こえ、マリーが一瞬怯む。

 血の盾が間一髪間に合うが、鋭い体当たりに見舞われ勢いよく押し飛ばされる。


「ぐっ……!」

 斬撃を繰り出すが、ドラゴンを切り刻んだ端から別のドラゴンがやってくる。

 たまらず一気に飛翔。上空まで飛び上がり離脱を試みる。

 だがそれがよくなかった。遮蔽物のない上空はドラゴンの独壇場。全方位から迫るドラゴンの群れがマリーに殺意を浴びせかける。


 全てを撃墜することはできない。

 マリーは前方に集中して斬撃を放つ。

 数体のドラゴンを戦闘不能に至らしめるが、後方まではカバーしきれない。

 迫るドラゴン。後方の血の盾に魔力を注ぎ込み衝撃に備える。


 そのとき。


「――撃てえええええ!!!」


 地上から無数の魔力弾が発射され、マリーを攻撃しようとしていたドラゴンに命中した。

 ドラゴンは呻き声をあげながら落下し、地面に激突した。


「……?」

 マリーが訝しみながら見下ろすと、そこには十数名のバラディア軍兵士がいた。

 数名の黒魔導士と、それを守護する戦士たち。

 彼らの攻撃は、明らかにマリーを援護するものだった。


「目標を確認した! あれだ! あれがブラッディ・リーチと灰色の魔人だ!」

「やべえ……まじでドラゴンとやりあってやがる……」

「急げ、あの二人を援護しろ!」

「攻撃開始!」


 彼らはマリーを襲おうとするドラゴン達に攻撃を行い始めた。

 黒魔導士の魔法はドラゴン相手では非力ではあったが、着実にダメージを与えている。

 その効果は決して小さくなく、マリーを襲うドラゴンの数が目に見えて減少する。


 その内、どこからともなく別の部隊も集まってきた。

 皆同じようにドラゴンに対し攻撃を開始。マリーを狙うドラゴンを集中して撃ち落とした。


「……ベアさん、あれ」

「まだ戦力が残っていましたか。脆弱な支援ですが、囮くらいにはなるでしょう」

「……私たちが誰か分かってないのかな。人間だと思われてる?」

「いえ、そうではないようです。魔族の手も借りたい状況、ということでしょう」


 兵士たちは二人のことを『灰色の魔人』『ブラッディ・リーチ』と、正確に呼称している。

 やはりセドガニアに二人の情報は広まっていたようだ。それに、二人がセドガニアにいることに困惑が見られないことから、やはり事前に占星術に捕捉されていたのだろう。


 だが事態が急変し、ドラゴンと戦う者は誰であれ共闘に値すると判断されたようだ。


「好機です。彼らは我々を援護するつもりのようです。このまま戦闘を継続します」

「……私を……護る……?」


 そのとき、マリーは奇妙な感覚を抱いた。

 ……人間は全て敵だと思っていた。

 だが、今彼らは必死になってマリーを護ろうとしている。


 それが……とても不思議な気分だった。


「……いらないよ、あなたたちなんて」

 そう悪態をつくマリーではあったが、戦況はみるみる好転していった。

 各地から駆け付けた援軍の数は、あっという間に一〇〇名を超えた。

 迎撃能力が高まったのもあるが、何よりもマリーを狙うドラゴンの数が減ったことが大きい。


 バラディア軍から攻撃を受けたドラゴンは攻撃目標を変更し、地上の兵士たちに襲い掛かった。

 その分だけマリーの負担が減り、それはマリーの生存率だけではなく攻撃力までも上昇させた。

 防御に回す分の血を斬撃に回せるようになったマリーは、先程までよりも遥かに効率よくドラゴンに攻撃を仕掛けられた。


 マリーの負担が減った分だけ、ベアの負担も減る。

 度々マリーの安否を気に掛ける必要があったベアも、これで思い切った攻撃に出れる。

 ドラゴンの総数自体は依然として増え続けているが、二人を中心とした戦場自体は徐々に安定し始めた。


「ブラッディ・リーチ……つ、つええ……! これがハシュールを半壊させたっていう吸血鬼か……」

「ホーク・ヴァーミリオンはこんな奴を一人で撃退したのかよ!?」


「それより、あの灰色の魔人はなんなんだ!? あいつ半端じゃねえぞ!」

「……エルダーを超える戦闘力を持っているってのは嘘じゃないようだな。――あいつの援護はいい! 俺たちの援護なんて邪魔になるだけだ! ブラッディ・リーチを優先して援護しろ!」


「……こんなやつらがセドガニアに来ていたなんてな。ドラゴンが来なかったら、こいつらと戦う予定だったんだろ? ……わかんねえもんだな」

「今は味方だ! 総員、全力であの二人を援護しろ!」


 兵士たちは捨て身も同然の火力支援に徹していた。

 数匹のドラゴンが襲い掛かろうとも、数名の戦士が死に物狂いでドラゴンを防ぎ留め、黒魔導士は彼らの守護を信じてマリーの援護を最優先する。


「怯むな! こちらの被害は無視しろ! 我々ではもうドラゴンを撃退できない。だがあの二人ならドラゴンを倒せる! 死んでもあの二人を死守しろ!」


 兵士たちが雄たけびを上げる。

 死にゆく者の最後の叫び。その命を散らしながらも、彼らは懸命にマリーを援護し続けた。

 そんな彼らを、マリーは静かに見下ろした。


「……」


 ――世界は、痛みと恐怖に支配されている。


 だが、彼らはその支配に抗おうとしている。

 痛みも恐怖も乗り越え、彼らはここにいる。

 町のため。家族のため。友のため。仲間のために。

 突如として訪れた不条理な暴力に立ち向かっている。


「……」



〝――可哀想な方ですね……貴女は〟



 不意に、その言葉を思い出した。

 かつてマリーが大商人の館で残虐の限りを尽くしていた頃。

 捕えたエルフの一人が、マリーに向けてそう言った。


〝――貴女は今まで、誰にも護ってもらえなかったのですね〟


 そのエルフは、今まで捕えたどんな少女とも違った。

 苛烈なマリーの拷問にあってただ一人、痛みと恐怖に抗おうとしたエルフだった。


〝――私も、ずっと護られ続けてきました。命がけで私たちを護ってくださった方がいるのです〟


〝――私は知っています。この世界に、痛みと恐怖以外の……もっと大切な『想い』があることを〟


「……」


〝――貴方にも、きっといつか分かる日が来ます〟


 ただの戯言と、今まで思い出すこともなかったそんな会話が、今になって蘇った。

「……ねえ、ベアさん」

 その理由が分からないまま、マリーは静かにベアに声をかけた。


「あの人たち、助けたほうがいいんじゃないかな」

「……? 何故ですか?」

 ドラゴンを殴り飛ばしながらベアが尋ねる。

 答えようとして、マリーは言葉に詰まった。自分でも何故そんな考えに至ったのか分からなかった。


「…………あの人たちが生きている分だけ、援護があるから……?」

「私たちの負担を減らすための援護です。援護を援護して私たちの危険を増やすなど本末転倒でしょう」

「……」

「だいたい、人間が何人死のうと些末な話です。我々さえ生存できればそれで問題ありません」


 淡々とした口調には何の感情も窺えない。

 ベアにとっては地上で奮戦する人間たちなど取るに足らない存在なのだ。

 何やら必死に二人を援護するつもりのようだが、そんなものは彼らが勝手にやっているだけ。


 ベアはそこに、何の『想い』も抱くことはない。


「……」

 それはマリーも同じはず。

 かつての被虐の日々の記憶はマリーの脳裏に消えずに残っている。

 憎き人間。憎き男たち。信頼できるのは己の力と、グレイベアという頼もしい味方のみ。


「そう……だよね」

 人間が何人死のうと関係ない。ベアとマリーがこの場を生き残ることだけが重要なのだ。


「本部から連絡! 北門の部隊が町に帰還したとのことです!」

「戻ってきたか! いいぞ、持ちこたえろ! いけるぞ!」


 地上の兵士たちが一気に活気づく。

 マリーが上空へ飛翔。上空から視線を移すと、北門から大勢の兵士が町に戻ってきていた。

 北門でドラゴンの迎撃に出ていた大軍勢が、ベアとマリーの援護のために戻ってきたのだ。

 二人がいる位置までまだ多少時間はかかるだろうが、これで戦況は更に好転する。


 戦場は未だ苛烈を極めるが、希望が見え始める。

 ドラゴン達は優先的にマリーを狙うが、マリーは鉄壁の防御で凌ぎ続ける。

 大多数のドラゴンをベアが単騎で屠りまくり、その二人をバラディア軍が必死の火力支援で援護する。


 この持久戦がどれだけ続けられるかは定かではないが、数時間後……ルドワイア帝国のエルダー部隊の到着まで持ちこたえられれば、セドガニアの勝利だ。


「いけるぞ! このまま戦況を維持しろ!」

「うおおおおおお!! 何体でもかかってきやがれ、トカゲども!」

「俺達の底力を見せてやる!」


 兵士たちの士気も十分に高まり、ようやく勝機が見え始めたと誰もが感じた――そのとき。


「――本部より通達! 巨大な魔力反応を捕捉! セドガニアに接近中とのことです!」

「なんだよ今更。ドラゴンに決まってるだろ」

「いえ、それが……観測班からの報告では、何者かがドラゴンに騎乗しているとのことです!」

「……っ! まさか、この召喚魔法の術者か!?」


 ドラゴンに騎乗しているということは、このドラゴンを操る者に違いない。

 この地獄を生み出した召喚士である可能性は十分にある。


「――ッ! ベアさん、あれ!」

 上空で戦っていたマリーもその異常に気が付いた。

 マリーが指差した方角を見上げると、ベアも奇妙な物体を視認できた。


 他のどのドラゴンよりも速い速度でセドガニアに向かってくる一体のドラゴン。

 その影が次第に大きくなるにつれて、ベアの高い視力がその騎乗者を認識した。


「あれは……」


 まるで竜騎士のようにドラゴンの背にまたがるその姿は……ベアにも見覚えがあった。



「――あのときの……エルダー?」



 その姿は間違いなく、数日前に森でベアと戦ったルドワイアの騎士。


 ラトリア・ゴードに相違なかった。

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