第95話 ツインバベル攻略戦-3


 サブタワー内部で邂逅したホークとカイザー。

 二人の戦いがついに始まった。


 カイザーのメインウエポンは長槍。近接戦を得意とする戦士だ。

 一方でホークの武器は銃。近接戦は不得手。

 両者の得意な間合いが明確な以上、それが勝敗を左右する大きなファクターとなるのは明らかだった。


 まずはカイザーが仕掛けた。

 ぐんと身をかがめての突進。数歩も近寄れば長槍の間合いに入る。

 それを魔法銃の連打で迎撃するホーク。

 高速発射される魔弾を三メートルの距離で完璧に見切るカイザー。長槍を巧みに振り回し、魔弾を全て弾き飛ばす。


「……」

 ホークが数歩後退。この距離でここまであっさりと魔弾が見切られるのであれば普通に撃っても無駄だ。カイザーの間合いに入らないよう距離を取る。


「遅え」

 だがカイザーは更に深く踏み込んで長槍を突き出した。

 閃光のような刺突がホークを襲う。

 予想よりも遥かに鋭い。穂先がホークの頬をかすめ、微量の血が宙に舞う。


 刺突を外したカイザーが槍を回転させる。

 脇腹を狙った払い。直後に縦の回転斬り。それらをなんとか回避したホークが体勢を崩し、そこを寸分違わず狙い撃つ刺突の波状攻撃。


「温い」

 迫る長槍に、上から魔弾を叩き込む。

 衝撃に長槍ががくんと下がり、カイザーが一瞬コントロールを失う。

 それを見たホークが反撃。魔弾を四連射するも、カイザーは流れるような動作で長槍を短く持ち直し魔弾を次々と斬りはらった。


「……」

 並の戦士なら今の攻防で勝負が終わっていてもおかしくなかったが、カイザーはわずかの動揺も見せずに凌いでみせた。

 ……やはりこの男はそこらの戦士とは格が違う。


「……なんて銃使ってやがる」

 一方でカイザーもホークの持つ魔法銃に驚愕していた。

 今まで数人の魔銃士を見たことのあるカイザーではあったが、ここまで凶悪な魔法銃を使用している者は初めてだった。


 銃の中でも規格外の威力。カイザーですら長槍で弾いた手が痺れるほどだ。

 ここまで威力に特化させた銃を好んで使う馬鹿がいるとは、カイザーは半ば呆れる思いだった。


「しかも近距離でもなかなか戦えるじゃねえか。へ、そうこなくっちゃよ」

「貴様こそ、見かけによらず小手先の技は達者なものだ。大道芸のセンスはあるらしい」

「ハッ、そういうお前はただぶっ放すだけか? んなもんガキでもできんだよ」


 カイザーが踏みこむ。それを魔弾で迎撃するホーク。

 先程の同じ要領で追い散らせると踏んだが、それは誤りだった。


 カイザーが背に隠し持っていた短杖取り出し、その先端を魔弾にぶつけた。

「……!?」

 ホークが驚愕したのは、その杖に魔弾を防御されたことそのものではない。


 ――今の一瞬、明らかに『魔弾の軌道が歪んだ』ように見えた。

 本来の軌道を変え、まるでその短杖に吸い込まれるかのような動きをした。


「チッ……!」

 魔弾を連射するホーク。だが、やはり魔弾はあの短杖付近で一気に軌道を変え、あの杖に向かって進んでいく。

 カイザーはほとんどあの杖を前にかざしているだけで魔弾を凌いでしまった。


「おらあッ!」

 防御を短杖に任せたカイザーは右手に構えた槍を放つ。

 一息の内に放たれた三つの刺突がホークを責め立てる。

 その全てを間一髪で回避するも、形勢は一気にカイザーに傾いた。


 カイザーは槍と杖を左右に装備し、それぞれ攻撃と防御に役割を割り振った。

 もはやわざわざ槍で防御する必要はない。杖が勝手に魔弾を防いでくれるなら、カイザーはひたすらにホークを責め立てればいいだけの話。


 怒涛のように繰り出される槍の連撃。ホークは広間を転がるように回避しながらなんとか範囲外に逃げようとするが、カイザーは執拗に追撃する。

 常に一定の距離を保ちながらホークに休ませる隙を与えない。


「くっ……!」

 ホークが一層強く横に飛ぶ。広間のちょうど右端に追い詰められるような形になった。

「……」

 カイザーの視線が細まる。一瞬の思考の後、カイザーは突如攻撃を止めて距離を離した。


「……?」

 眉をひそめるホーク。

 何故ここにきてカイザーが攻撃を止めたのを訝しみ……そしてその理由を察した。

「……そういうことか」


 カイザーが気にしたのは、ホークとの『立ち位置』だ。

 ホークが回避し続け、それをカイザーが追い立て過ぎたために、先程とはホークとカイザーの立ち位置が逆転していた。


 ――すなわち、実験場の扉にホークの方が近くなってしまっていたのだ。


 それを嫌ったカイザーは、攻撃を中止してでもその位置関係を覆した。実験場の扉を背にし、実験場をホークから護ろうとしたのだ。


「やはりそこに魔術式があるわけか」

 それは二人の戦闘において、ある意味で最も重要な要素と言える。


 ホークの目的はこの塔を停止させることだ。言ってしまえばカイザーを倒す必要はない。

 魔術式に魔断を撃ち込みさえすればそれでホークの仕事は終わるのだ。

 それはカイザーにとっては実験の頓挫を意味する。


 故にカイザーはこの扉の奥……実験場にはなんとしてもホークを入れるわけにはいかない。逆にホークはなんとしても実験場に進入しなければならないというわけだ。


「悪いがこの奥は立ち入り禁止でな。許可証はお持ちかな?」

「今からくれてやる。貴様の脳天にな」

「そうかよ。だがそのためには――こいつをなんとかしねえとな?」


 カイザーは左手に握った短杖をぶんと振り、ホークに突き出した。

「――魔力を吸収する杖か」

「ご明察。ヴァルナワンドって言ってな。お前の魔弾も勝手に吸ってくれるのさ」


 魔弾は魔力の塊を弾丸として撃ちだしたものだ。ヴァルナワンドはその魔弾を瞬時に吸収できる。

 実際はカイザー自身もまた、この杖の性能には驚いていた。

 武器として使ったことはなかったため、まさか発射された魔弾の軌道を変えるほどの強烈な吸引力があるとは思わなかった。


 ただの実験用の装置として持ってきただけの杖が、意図せずホークへの切り札へと変わった。

 これで鉄壁。ヴァルナワンドを身体の正面に構えているだけで、ホークの魔弾は全て無効化してくれる。


 ホークの強さは破魔の力に大きく依存している。

 魔族、黒魔導士にとっては天敵。だが人間の戦士であるカイザーにはその力は発揮されない。

 カイザーに対してはホークは魔法銃一丁で戦うことになるが、その肝心の魔弾が無効化されては勝ち目はない。


「――ただ撃つだけならガキでもできる。そう言ったな?」

「ああ。てめえの魔弾はもう俺には通じねえ」

「……なら」


 ホークはゆらりと、魔法銃を頭上に向けた。

「――こんなのはどうだ」

 そのまま引き金を引いた。


 どういうつもりだと訝しんだカイザーは――次の瞬間、頭上から迫ってくる魔弾に度肝を抜かれることとなった。


「なに――!?」

 天井に命中した魔弾が軌道を変え、有り得ない角度から降ってきた。

 跳弾。実弾でも難しいそれを魔力弾で成し遂げただけでも驚愕すべきだが、最も特筆すべき点はその精度。

 跳弾した魔弾はカイザーの頭部を正確に狙い撃っていた。


「チッ……!」

 この角度はいくらなんでもヴァルナワンドの吸引力では防ぎ切れない。

 咄嗟にヴァルナワンドを振って魔弾を防ぐ。それによってがら空きになったカイザーの胴体へホークは立て続けに魔弾を放った。


 四連射。撃鉄を起こし弾倉を回転させ、新たな魔弾を更にもう一発。計五発。

 その全てが四方の壁に跳弾し、不規則な軌道を描いてカイザーに迫る。


「舐めるな!」

 その全てを一瞬で見切るカイザーもまた驚異的な反射神経の持ち主だった。

 槍と杖をどちらも防御に回し、迫る魔弾を全て叩き落とす。

 跳弾には驚かされたが、来ると分かれば見切れないことはない。ヴァルナワンドの鉄壁神話はあっさりと崩されたが、依然ホークの魔法銃の性能ではカイザーの身体能力を超えられない。


 ……だがそれは、魔法銃を操るのがホーク・ヴァーミリオンでなければ、の話だ。


 ――閃光。

 カイザーが五つ目の魔弾を撃ち落とした直後、その魔弾が激しい光を放った。

「な――!?」

 突然のことに面食らうカイザー。加えて激しい閃光がカイザーの視力を一時的に奪う。


「閃光弾……!?」

 魔法銃から放たれるのが全て攻撃用の魔弾だという先入観がカイザーの足元を掬った。

 視界が真っ白く塗りつぶされる。だがそれはホークも同じはず。この光の中ではまともに射撃などできるはずもない。


 だがカイザーの鋭敏な聴覚が、床を蹴って疾走するホークの足音を聞きとがめた。

 それでホークの策を理解した。ホークはこの閃光で視界を奪い、その隙にこの広間を抜け実験場に飛び込むつもりだ。

 視力を奪われたカイザーには、疾走するホークを迎撃することもできない。


 ――とホークが読んだのなら……。


「甘えんだよッ!」

 カイザーがヴァルナワンドを床に叩きつけた。

 同時に、ヴァルナワンドに蓄積していた魔力を全て解放した。


 この杖はただ魔力を吸収するだけではない。

 魔法銃の原型となったこの武器の本質は、蓄積ではなく解放。

 蓄えた魔力の塊を魔力弾として撃ち出すというものだ。


 凄まじい魔力爆発が巻き起こる。

 カイザーのすぐ足元で起こった爆発は容易く広間の床をぶち抜き、広間全体を崩落させた。


「なっ……」

 今度はホークが驚愕する番だった。

 カイザーの視界が奪われている今なら容易くその脇を抜けて実験場に辿り着けると予想したが、まさか広間そのものを沈めてホークを妨害するとは思わなかった。

 何よりもその判断に至るまでの時間があまりに短い。カイザーの判断力と思考速度は並の戦士を圧倒していた。


「チッ……!」

 広間と共に落下するホークとカイザー。

 その最中、ホークは撃ち切った魔石を弾倉から破棄。素早く五つの弾丸を装填した。


 銃士にとって最も大きな隙はリロード時にある。

 本来であればカイザーを前にそんな余裕はないが、彼の視界が奪われており、かつ落下中の今ならば可能だと行動に移した。

 カイザーによる予想外の妨害を受けた直後でもしっかりと機転をきかせたホークもまた抜け目がない。


「――」

 だがカイザーもただでは転ばない男。

 この場はホークのリロードを見逃すしかないが、それでもそこから最大限の情報を取得していた。


 あの魔法銃の弾倉は五つ。

 魔石一つあたり五発の魔弾が発射可能。つまり五発ごとに一度、弾倉の回転が挟まれる。

 五発装填するには約二秒のタイムロスがある。


「……覚えたぜ」

 次はそう易々とリロードできると思うな、とカイザーは密かに殺意を研ぐ。


 ヴァルナワンドの魔力開放によって放たれた魔力弾は広間の床を二階分も突き抜け、ホークとカイザーは四階から二階まで落下することとなった。

 折り重なった瓦礫が道を塞ぎ、ここから実験場前まで登るのは困難になってしまった。


「実験場は遠いなあ? あ?」

 不敵に笑うカイザーに、ホークは魔弾を発射。

 五連射した魔弾を、カイザーは一つ一つヴァルナワンドで無効化した。


 ホークが舌打ちを飛ばす。もうカイザーの視力が回復している。

 それよりも、二人が落下したのは一辺五メートルもない個室だった。

 閉所で戦士と対峙しているという危機感がホークを突き動かす。


 魔弾を連射。カイザーが防衛に回ってくれることを期待して魔石二つ分全てぶちまけた。

 この至近距離で跳弾して襲い掛かる魔弾はカイザーにとっても脅威だったのか、無理に攻めてくることはなく防御に徹した。


 その隙にホークは部屋の扉を蹴破り外へ出た。細い廊下を走りその場から離脱を試みる。

「逃がすかよ!」

 すぐさま追いすがるカイザー。


 単純な身体能力で言えばカイザーはホークを上回っている。

 一本道の狭い廊下。数メートルの距離が開いているが、カイザーの速力ならば曲がり角につくまでに追いつける。


 ホークが反転。バックステップでカイザーと距離を開けながら魔弾を発射。


 壁や床に跳弾しながら五発の魔弾がカイザーを襲う。

 だが狭い通路では大きな角度は望めず、防御はヴァルナワンド一つで事足りた。

 ホークが五発目を撃ったことを確認。カイザーが大きく踏み込む。

 今装填されている魔石は撃ち切ったはずだ。


 撃鉄を起こして次弾をセットするホーク。

 それが五つ目の魔石だ。無論カイザーもそれを把握していた。

 今装填されている魔石で撃てる魔弾はせいぜい五、六発。それを凌げばあの魔法銃は弾切れだ。

 できればホークは撃ちたくないだろう。故にカイザーは攻めた。

 手を緩めればすぐにでも距離を詰めると威圧する。


「……」

 それでも発砲を渋るホーク。ならば容赦はしない。カイザーは長槍で刺突を放った。

 狭い通路だ。横に回避するにも限界がある。刺突は極めて脅威のはず。

 カイザーの予想通りホークが発砲。迫る槍の穂先に向けて魔弾を撃ち放った。


 ……まず一発目。残るは四発。


 ――そう予想したカイザーだったが、ホークが放ったのはただの魔弾ではなかった。


「――なにッ!?」

 槍に強烈な違和感。

 放たれた魔弾に槍が接触した瞬間、甲高い音と共に――穂先が大きな氷に覆われた。


か……!」

 続けざまに二発の魔弾を放つホーク。

 どちらも槍の穂先に命中し、直後、巨大な氷が発生。それは氷柱のように横に伸び、通路の壁と一体化した。


 魔法銃とは、ただ鉛玉を魔力弾に置き換えただけの武器ではない。

 その名の通り『魔法』を操る銃だ。

 魔石には様々な効果を持つ魔法効果が込められており、それを発射することで簡易的に魔法を発動することができる。


 今ホークが使用したのは氷結弾。氷の魔法が込められた魔石だ。

 殺傷力では先程までの魔力弾に大きく劣るが、命中した箇所に一メートル大の氷を出現させることができる。


 それを数発連続して発射することで、カイザーの槍が氷に覆われ、その氷が壁と一体化したことで槍の動きを止めた。


「仕込んでやがったか……」

 五つ目の魔石に氷結弾を仕込まれていたとは思わずカイザーが歯噛みする。

 動きが止まったカイザーに向けてホークが二連射。今度はカイザーの胴体を狙っていた。

 左手のヴァルナワンドで防御。ホークの魔法銃はそれで完全に弾切れに陥ったが、凍った槍のせいで動きが止まったカイザーはホークを攻撃できない。

 カイザーを置き去りにホークは廊下を駆けだしていった。


「クソが」

 力任せに氷を叩き割る。

 それで槍は自由になったが、その頃にはホークの姿は通路から消えていた。


「……」

 ホークは間違いなく四階に向かったはずだ。

 この通路を進めば階段があり、そこからなら四階に上がれる。


 ――だがそれは遠回りだ。

 地の利はカイザーにある。この塔の構造を熟知しているカイザーはより短い移動で実験場前の広間に辿り着くルートを知っている。


 傍らの扉を開け中に入る。

 そこにも別の通路が広がっており、そのすぐ横が非常用階段になっていた。

 ここから四階に上がれば一気に実験場前の広間に到着できる。


 階段を駆け上がるカイザー。

 おそらくカイザーの方が先に実験場につくだろうが、油断はできない。

 もし先にホークに実験場に入られたら、魔法陣に魔断を撃ち込まれて全てが終わりだ。


 全速力で実験場に向かう。

 数回の曲がり角があったがほぼ減速せずに走破。最短距離で実験場前の広間に到着した。

 広間はヴァルナワンドの一撃で大穴が開いていたが、軽く飛び越えれば実験場の扉には辿り着ける。


 扉が開けられた形跡はない。ホークはまだここに辿り着いていないようだ。


「――」

 気配遮断スキルを発動して広間の陰に隠れる。

 ホークを相手にどこまで通用するかは不明だが、もしホークが勇み足でここに飛び込んでくれば背後から狙い撃てる。


 カイザーが耳をすませる。

 広い塔内とはいえ、今は二人以外誰も人がいない状況だ。

 ホークが急いで廊下を走っていれば微かにその音が聞こえてくるはず。


 その予想通り、カイザーの優れた聴覚が、おそらくホークのものであろう足音を捕捉した。


「……?」

 そこでカイザーが奇妙な違和感を覚える。

 足音はから聞こえてきていた。


「……三階?」

 実験場は四階にある。

 だが間違いなくホークは三階を走っているようだ。

 念のため聴覚を強化するスキルを施し確認するが、確かにホークは三階にいる。

 さっきまでは二階にいた。つまり階段を上ったということになるが、何故わざわざ三階で降りたのか――。


「――ッ!! ヤロウッ!」


 心臓が縮まるような悪寒を感じて、弾かれるようにカイザーが立ち上がった。

 広間の大穴を飛び越え、実験場の入り口を力任せに開け放った。


 ――直後、魔法銃の連射音が響き渡った。


 発砲音は下から。それと同時に、実験場に刻まれた魔法陣のすぐ傍の床が崩れ出した。


 ――下だ。

 ホークは三階にある実験場の真下にあたる部屋から、天井をぶち抜いて直接実験場への道を作ろうとしたのだ。

 カイザーが駆け寄ると、ちょうど人一人が通れる程度の穴が床に開き、そこから確かにホークが顔を覗かせていた。


「うらあッ!」

 ヴァルナワンドの魔力を解放。穴に向けて魔力弾を発射した。

 それに合わせて銃声。魔法銃ではなく赤の銃から魔断が放たれ、ヴァルナワンドの魔力弾を消滅させた。


 ふ、とホークは小馬鹿にしたように笑い、その部屋から姿を消した。

「あのアマ……」

 ホークはおそらく、カイザーが先に実験場前に到着することを予想していたのだ。あるいは陰に潜伏してホークを奇襲しようとしていたことすら読んでいたのかもしれない。


 カイザーの姿を確認するや否やあっさりと退いたのは、彼女なりの挑発のつもりだろう。

 『こんな攻め方もあるぞ』とカイザーを揺さぶったのだ。


 ホークの目的が魔術式の破壊であるならば、カイザーは実験場前に陣取っていればホークは手出しが難しくなる。

 究極的には、ひたすら防衛に回るだけでホークを完封できるはず。

 ……そんな甘い見立てを嘲笑う一手だった。


「……上等だ」




 三階の廊下を移動し、手近な部屋に潜り込んだホークはそこで一旦息を潜めた。

「追ってきてはいないか」

 カイザーはやはり頭のキレる男だった。ホークの予想通り先に実験場前に到着していたようだが、寸でのところでホークの策に気づき実験場に飛び込んできたようだ。


 手持ちの魔弾はまだ十分にある。

 この戦闘中に使い切ることはないだろう。カイザーにはこの魔法銃が頼りだ。


 ハシュールでのブラッディ・リーチとの戦闘以降、練習していた跳弾も大分サマになっている。

 ただそれでもカイザーを仕留めるには力不足のようだ。

 あの男はやはり相当手強い。


「何か奴を出し抜く手を考えないとな」

 氷結弾も見せてしまった。他の特殊弾もいくつか持ってきているが、カイザーも警戒しているだろう。


 ホークはゆっくりと扉を開けて部屋の外に出た。

 現在、カイザーは四階、ホークは三階にいる。別の階にいる以上、ここからは遭遇戦になる。

 先に居場所を悟られた方が負ける。不用意な行動はできない。


 そのとき、塔が激しく振動した。

 何事かを警戒している内に、通路の天井から隔壁が降りてきた。

 それなりの厚さのある鉄製の隔壁が各所で降ろされる音が聞こえてきて、ホークも事態を察する。


「……そうきたか。奴め」

 カイザーが塔内の隔壁を降ろしたらしい。各所で一斉に降りた様子だったことを考えると、制御室のような場所があるのだろう。


 これで動きが封じられた。

 隔壁自体は魔弾で破壊できそうだが、その発砲音でホークの居場所が割れてしまうだろう。

 通路が隔壁で分断されれば、カイザーとの遭遇時は必然的に閉所での戦闘を強いられるというわけだ。


「……」

 慎重に通路を進むホークは、すぐに隔壁の降り方に違和感を覚えた。

 隔壁が降りる間隔や場所が不自然にまばらだった。移動中に随所で行き止まりに出くわすが、どこかしら他の道へ進むことができるようになっていた。


 完全に侵入者を足止めしたり捕えることが目的の設計ではないことが一目で分かった。

「……なるほど。迷路のつもりか」


 もしこの塔のことが明るみになり、バラディア騎士団などに攻め込まれるようなことがあった場合の備えということだろう。

 全ての隔壁を降ろしても、道を知っている者ならば外までの脱出ルートがしっかりと確保されているのだ。


 そのルートを知らないホークにはこの塔は迷路さながらだが、カイザーは勝手知ったる我が家のように進むことができる。

 この不利は大きい。移動ルートが限定されるため待ち伏せにも十分に警戒しなければならない。


 隔壁を避けて塔を進むホーク。

 迷路のように複雑に入り組んで見えるが……実際にはほぼ一本道であることに気づく。


「……」

 ホークの直感が危険を察知する。

 このまま道なりに進んではいけない。明らかにカイザーに誘い込まれている。

 ホークは道を左に外した。そちらは隔壁が降りていたが、その先に確か階段があったはずだ。

 いずれにしてもどこかで四階には上がらなくてはならない。


 隔壁に魔弾を撃ち込む。分厚い隔壁に容易く大穴が開き、五発も撃ち込めば十分にホークが通れるだけの大きさになった。

 隔壁を超えて先に進む。今の発砲でカイザーに位置がバレたはずだ。急がなくてはならない。


 真新しい記憶を辿り、階段のある場所に辿り着いた……そのとき。

「なっ……」

 初めてホークが焦りを覚えた。


 階段が崩されている。


 階段は上部からバラバラに斬り落とされ、瓦礫が積み重なって通れなくなっていた。

 まだ埃が舞っているところを見ると、ついさっき落とされたようだ。

 無論カイザーの仕業だろう。隔壁を降ろした騒音に紛れて階段も破壊していたらしい。


「……」

 力技でここを通ることもできなくはなさそうだが、今の魔弾の発砲音でカイザーに位置が割れている以上、可能な限り早急にここから離脱したい。瓦礫をなんとかする時間はないだろう。


 ともかく来た道を戻る。もうここは進めない。別の道を考えるしかない。

 しかも時間をかければ他の階段まで崩されかねない。早急に四階に上がらなければ。


 だがこの塔の構造を知らないホークには、他に思い当たる階段など一つしかない。

 実験場前の広間に続く、あの螺旋階段だ。あの大きな階段が破壊されたのならさすがに塔中に騒音が響き渡るだろう。その気配はない。


「……」

 あるいは先程のようにどこかの部屋から天井を撃ち抜いて無理矢理上の階に移動する手段もある。

 ……が、この状況では得策ではない。

 上がった先がどのような隔壁の降り方をしているかが不明なためだ。


 ここまで移動してきた道のりは複雑ではあったがホークは全て記憶している。

 たとえカイザーと遭遇してもうっかり行き止まりに追い詰められることはないだろう。


 だが四階に上がってしまえばそうもいかない。魔弾の発砲音で位置がバレる以上、不用意に天井をこじ開けて閉所に追い詰められるのは避けたい。


「……」

 結局このまま進んで螺旋階段を目指すのが最善のように思えるが……それがまたクサい。

 カイザーに誘導されているような感覚がどうしても拭えない。


 とはいえ他に思いつく方法もなく、ホークは細心の注意を払いながら螺旋階段を目指した。

 通路を進むと、やがて隔壁に阻まれた。

 この隔壁を抜けると螺旋階段への扉があったはず。ここはもう魔弾で隔壁をこじ開けるしかない。


「……」

 ホークが二丁の銃を構える。弾丸はフルに装填している。

 ホークがカイザーの立場なら、この隔壁の奥で待つ。隔壁の破壊には魔弾を使うしかないため、その直後は装填された魔弾の数が最も少ない状態になっているからだ。


 この隔壁を突破した瞬間、カイザーとの戦闘が始まると予想していいだろう。

 ホークが意を決して魔弾を発射しようとした――そのとき。



 ――ホークの右わき腹に激痛が走った。



「ガッ……!?」

 全く予期していなかった痛みに、ホークが右方向を確認する。

 通路の壁……隔壁のすぐ横にある個室の壁から、一本の槍が突き出ていた。

 それは間違いなくカイザーの長槍。それが壁を突き破ってホークの胴体に命中していた。


「ば――」

 馬鹿な、と思ったときには壁が一気に破壊され、中からカイザーが姿を現した。

 カイザーは隔壁の奥ではなくその横の個室に息を潜めてホークを待っていたのだ。


 だがホークの正確な位置が特定できないはずの密室で、何故正確にホークに槍を命中させられたのかがホークには分からなかった。


 ホークはカイザーの所持するスキルを侮った。

 カイザーはスキルで聴覚を強化し、小さな音源からホークの位置を特定することができるのだ。


 なまじ探知魔法の気配がなかったために正確な位置はバレていないだろうという油断が命取りとなった。

 まさにそれを避けるために選んだ聴覚強化のスキルなのだ。カイザーのスキル選択が功を奏した瞬間だ。


 この応用力こそレベルシステムの神髄。レベルシステムを持つカイザーと持たないホークでは、元から取り得る選択肢に大きな差があるのだ。


「くそ!」

 奇襲を受けたホークは、それ以上に自分がどれほど窮地に立たされたかを悟る。

 前方は隔壁。後方にはカイザー。狭い通路で逃げ場はなく、両者の距離は数メートルしかない。


 カイザーの猛攻。長槍の穂先が壁や床を舐めるように軌跡を描くが、障害物に当たることはない。

 狭い通路で振るっているとは思えないほどにカイザーの槍の冴えは見事。

 ホークが必死に回避を続けるが、流石に避けきれず体中を浅く切り刻まれる。


 噴き出た血が弧を描いて通路中に散る。

 損傷はあるがまだ戦闘継続は可能だ。だがそれも長くはもたない。ここでカイザーを仕留めるしかない。

 ホークはあえて前進。カイザーとの距離を詰め、捨て身の攻撃を仕掛けた。


 魔法銃の銃口がカイザーの胴体に張り付くほどの至近距離で発砲。

 ここまで近ければヴァルナワンドで防ぐこともできない。一気に五連射で勝負をかける。


 ――だが当たらない。

 カイザーは巧みに身体を逸らし、または腕で魔法銃の軌道を無理矢理ずらして魔弾の弾道を自分の身体から外し続けた。


 撃鉄を起こし、撃ち切った魔石から次弾を装填。

 だがその一瞬のタイムロスをカイザーは待っていた。ホークの魔法銃が一つの魔石につき五発の魔弾しか撃てないことは確認済みだ。きっちり五発数えて撃鉄を起こすタイミングを狙い撃つ。


 鋭い刺突。回避を行うが間に合わず、槍がホークの左太ももを切り裂いた。

「ぐっ……!」

 激痛が脳を焼くがホークは構わず魔法銃を発射。


「――ッ!」

 今度はカイザーではなく通路の床に発射された。

 攻撃を目的としたものではない。


 ――閃光弾。

 咄嗟にそう判断したカイザーが目をつむる。その予想は的中し眩い閃光が廊下を照らす。

 二度も同じ手を食うカイザーではない。

 目を瞑りながらカイザーは素早く前蹴りを放った。


「がはっ……!」

 腹に命中した蹴りがホークを後方に吹き飛ばす。

 隔壁に叩きつけられたホークは、構わず魔法銃を乱射。

 眩い光に視界を奪われたのはホークも同じだが、ほとんど勘に任せて魔弾を撃ちまくる。


 カイザーが前方にヴァルナワンドを構える。これで正面から撃たれた魔弾はヴァルナワンドが防いでくれる。

 そうくると予想していたホークは全ての魔弾を壁や床に跳弾させてカイザーを攻撃した。

 閃光で相手が見えないため正確な狙いなどつけられないが、その内一発でも当たってくれと祈りながら撃った。


 幸運にも、ホークが放った八発の魔弾の内三発がカイザーに命中する軌道にあった。

 閃光のせいでカイザーはそれが見えていない。回避できるはずもない。


「――」

 だがカイザーは己の能力を信じた。

 先程ホークを奇襲するために発動していた、聴覚を鋭敏にするスキル。あれがまだ効果を持続していた。


 壁と床に跳弾した魔弾――その着弾位置を、聴覚で一瞬で把握する。

 ホークの現在位置は隔壁付近。そこから着弾位置を直線で結び付ければ、跳弾の軌道も大まかに割り出せる。


 視界を封じられたまま、カイザーは槍と杖を振って魔弾を防御した。

「な――」

 目が見えているとしか思えない正確さで魔弾を防いだカイザーの力量に、ホークは今度こそ戦慄した。


 閃光が収まり視界が戻る。互いに瞼を開ける。

 ホークは全身に無数の傷を負い重症。

 一方でカイザーは全くの無傷だった。


「今のを凌ぐのか……!」

 ホークにとっても大きな賭けだったが、カイザーの戦闘力が上を行った。

「チッ……!」

 ホークは背後に手を回し隔壁に魔弾を連続で撃ち込んだ。

 力任せに隔壁に大穴をこじあけ、その中に飛び込む。


 カイザーがヴァルナワンドの魔力を解放。大威力の魔力弾が隔壁を粉々に粉砕した。

 その爆風にあてられてホークが吹き飛ばされる。

 廊下の先まで飛ばされたホークが突き当りの扉に激突する。


 痛みにうめくホークだが……今激突した扉が螺旋階段に続く扉だと気づいた瞬間、素早く起き上がって扉を蹴破った。

 その先には確かに螺旋階段が続いていた。この階段を上って四階まで行けば、実験場は目の前だ。


 背後からカイザーが追ってくるのが感じられ。ホークは急いで階段を上った。


「――させるかよ」


 カイザーがそう呟いたときには、ホークのつま先が段差に仕掛けられていたワイヤーを引っ掛けていた。


「――ッ!?」

 焦燥に駆られて階段を登っていたホークは、足元に仕掛けられていたトラップを見逃してしまった。


 爆発。螺旋階段に仕掛けられていた爆薬が起爆し、五階以下の段差が吹き飛んだ。

 幸い咄嗟にその場から跳躍していたホークは爆発の直撃を受けることは避けられたが、代わりに足場を失ったまま、落下していく螺旋階段に放り出される。


 一瞬の浮遊感の後、ホークの身体が落下し始める。

 目の前まで迫った実験場が再び遠のいていく。ここで一階まで落とされたら、もうカイザーを退けて四階まで上がるチャンスはない。


「――まだだッ!」

 ホークが螺旋階段の壁面に向けて魔弾を発射。

 撃ち出されたのは氷結弾。着弾と共に壁に大きな氷を発生させ、ホークはそれに着地した。


「ッ――んだとぉ!?」

 カイザーが驚愕の声をあげる。

 ホークは続けて螺旋階段の壁面に氷結弾を発射した。


 一定間隔を開けて壁に氷の足場が生み出され、それは緩やかに上階を目指していた。

 ホークは自ら作り出した急増の氷の階段に飛び移りながら上昇していく。


「次から次へと……ふざけんじゃねえぞ」

 カイザーもまた跳躍。このまま四階に到着させるわけにはいかない。

 カイザーは氷の足場を使わず、身体能力だけで螺旋階段の壁面を駆けあがった。

 そんな滅茶苦茶な上り方をするカイザーにこそ、ホークはふざけるなと言ってやりたい気分だった。


 氷の足場を渡りながら魔法銃の弾丸をリロード。

 カイザーが悔しそうに舌打ちする。できればリロードはさせたくなかったが、この状況ではカイザーも見送るしかない。


 先に四階に辿り着いたのはカイザーだった。実験場前の広間に続く階段でホークを待ち受ける。


「――」

 それを見てホークが軌道を変える。氷の足場の間隔を広げ、より高く跳躍した。

 そのまま四階を通り過ぎていくホーク。


「あ……?」

 その意図が読めず困惑するカイザー。

 だがホークが五階に降り立ち、そのまま駆け出したことで狙いを察する。


「ハッ、そういうことかよ」

 わざわざ五階まで登ったのは、単にカイザーから逃げるためではない。

 先程と同じだ。実験場までの道がカイザーで塞がれているならば、別のルートから実験場に進入すればいい。


 つまり五階の床を魔弾でぶち抜いて直接魔法陣に接近しようとしているのだ。


「二番煎じかよ。いよいよ打つ手もなくなってきたか?」

 崩落した広間を飛び越え、カイザーが実験場に飛び込む。

 直後、激しい発砲音と共に実験場の天井に穴が空いた。当然その奥にはホークがいる。


 カイザーが魔法陣の中央に立ち迎撃態勢を整える。

 ついに実験場の天井が突き破られ、崩落した瓦礫と共にホークが落下してくる。


「……ッ」

 魔法陣中央に陣取るカイザーを見てホークが顔をしかめる。

 やはりカイザーは瞬時にホークの狙いを読み切り迎撃態勢を整えていた。


「さあ、決着といこうぜ。そっから魔法陣に魔断を当ててみな」


 ここで勝負が決まる。

 ホークは瓦礫と一緒に天井から落下してきている。その真下には魔法陣とカイザー。

 そのまま落下すればカイザーのすぐ傍に着地することになる。無事ではすまないだろう。


 活路は一つ。着地するまでにカイザーを撃ち抜く。それのみだ。


「――できるもんならよ!」


 覚悟を決めたホークが、両手に二丁の銃を構える。

 紫の魔法銃『サーペント』からは魔弾が。そして赤の銃『レッドスピア』からは魔断が発射された。

 実験場の天井は七メートルほどもある。

 それだけの距離があれば、カイザーならば魔弾を叩き落とす程度造作もない。


 二丁の銃が狂ったように連射される。

 魔弾はもちろんだが、それ以上に魔断を放置することはできない。

 これが一発でも魔法陣に命中すれば魔術式が停止する。そうなればレベル上昇実験はできなくなる。


「うおおおおおおおおおおお!!!」

 カイザーが咆哮し、長槍とヴァルナワンドを振り回した。

 豪雨のように降りかかる魔弾と魔断。それを片っ端から撃ち落としていく。


 弾倉に込められた魔弾は二○発。魔断は一八発。

 計三八発の弾丸が二秒もかからず全て撃ち尽くされた。狙いを複数に散らせて迎撃難易度を上げるが、カイザーはその全てを見切って見せた。


 一瞬の内に宙にいくつもの火花が散り、カイザーの長槍の軌跡が幾重にも刻まれる。

 弾かれた弾丸がそこら中に散り、実験場に無数の穴を穿つ。


 ――それでも、魔法陣には傷一つない。


 カチン、という乾いた音が二度鳴る。ホークの持つ二丁の銃がどちらも弾切れになった音だった。


 ホークが焦燥に息を呑み、カイザーが勝利の笑みを浮かべた。


「――おらあッ!」

 落下してきたホーク目がけてカイザーが長槍を全力で振るう。 

 空中で回避もできず、魔弾もない。苦し紛れにホークは赤の銃『レッドスピア』で槍を防御した。

 レッドスピアは銃の中では確かに頑丈だが、カイザーの一撃を正面から受けきれるほどではない。


 レッドスピアが粉々に粉砕され、長槍の柄がホークの右半身に命中した。

「ぐああああ――!?」

 あまりの衝撃にホークの意識が飛びかける。自分の骨が砕ける音がハッキリと聞こえた。

 実験場の壁まで吹き飛ばされたホークは、壁に激突するとそのまま倒れ伏した。


「勝負あったな」

 確かな手ごたえを感じ、カイザーが勝利を宣言する。

 ホークはあの重症。魔法銃は弾切れ。赤の銃は破壊され魔断も撃てない。


 一方でカイザーは未だ無傷。

 かなり手こずらされたが、結果的にはカイザーの圧勝だった。


「……ッ……パン、ダ……」


 ホークはゆっくりと立ち上がり、ボロボロの身体を抱きかかえながらパンダの名を呼んだ。



「――魔術式は止めたぞ。あとはお前がなんとかしろ」



 次の瞬間、カイザーの足元の魔法陣が眩い光とともに弾け飛んだ。


「――は?」

 呆けた声を漏らすカイザー。


 だが間違いなく、魔法陣が動きを止めていた。

 発光が止まり、塔の振動も徐々に小さくなっていった。


「な……なんで――――何をしやがったてめえッ!!」

「破魔の力で壊しただけだ」

「ふざけるな! てめえの魔断は一発たりとも魔法陣に当たってねえ! 全部叩き落としただろうが!」


 カイザーに限ってミスはない。魔断どころか、魔弾すら全て弾き飛ばしてみせた。

 間違いなく魔断は一発も魔法陣に触れていない。


 ホークも同様だ。

 ホークならば掌から直接破魔の力を流し込むこともできるが、ホークは空中で長槍の直撃を受け吹き飛んだ。

 魔法陣には指一本触れられなかったはずだ。


「魔断は……銃弾に破魔の力を付与したものだ」

 ごほ、と血の塊を吐き出しながらホークが言った。

「以前は弓で同じことをしていた。矢に破魔の力を付与し、命中した対象に破魔の力が発動する」

「だから! てめえの魔断は一発も――!」


「分からないか? ただの鉛、ただの矢に能力が付与できるなら――他のものに同じことができるのも当然だろ?」


 その言葉を聞いてカイザーの動きがぴたりと止まった。

 ゆっくりと足元を見下ろす。


 ――魔法陣の中に、無数の瓦礫片が転がっていた。


 それらは、ホークが天井を破壊した際に落下してきたものだ。

「……まさか」

「そうだ。その瓦礫片に破魔の力を付与しておいた」


 小石ほどの瓦礫の欠片。

 それが――すなわち魔断と同様の効果を持っていたのだ。

 上空から乱射された銃弾は囮。カイザーの意識を魔断に向けるためのもの。


 二丁の銃から発射される銃弾――その圧倒的な存在感の中、周囲に飛び散っていただけのただの瓦礫片に注目する者などいない。

 これこそがホークの最後の策だった。


「――て、め」

 カイザーがホークに向けて一歩踏み出した、そのとき。


 ――魔法陣が眩い光を放った。


 二人が呆気にとられたようにその魔法陣を眺め――次の瞬間、その光が一気に弾けた。


 凄まじい轟音と共に大爆発が起こる。それは実験場だけではなく、塔の各所で発生した。

「な――!?」

 驚愕するカイザーとホークは、どちらもその爆発に飲み込まれた。


 これはスノウビィが魔術式に仕掛けた最後の罠。

 スノウビィがこの一件に関与した痕跡を抹消するために、魔術式が停止した際には強力な魔力爆発を起こし、塔もろとも全てを爆破する作戦だった。


 彼女が仕掛けただけあってその爆発は極めて大規模だった。

 サブタワー全体が内側から弾け飛び、激しい振動と共に倒壊していく。


 突然のことに全く対処できないまま、ホークとカイザーは崩壊する塔に飲み込まれていった。






 どれほどの時間が経過したのか、意識を取り戻したホークは身体に覆いかぶさる瓦礫をどかした。

 どうやらうまい具合に瓦礫同士が積み重なりスペースが出来たおかげで、瓦礫に押し潰されずに済んだようだ。


「……悪運尽きないな」

 ホークは半ば自嘲気味に笑った。

 思えば二○○年続いた戦争でも、こういう幸運は度々ホークに降りかかった。

 まるで天の意思がホークを生かそうとするかのように、ホークは何度も悪運に命を救われてきた。


 ……あるいは、死の安息にはまだ早いということか。

 生き延びて戦い続けろという呪いなのかもしれない。


 実際、魔術式を破壊したはいいものの、その後のことは半ば諦めていた。

 仕事を果たした以上あとはサブタワーから脱出するだけだったが、重症の身体を引きずってカイザーから逃走できる望みは限りなく薄かった。


 それがまさか、こんな謎の大爆発に命を救われることになるとは。


 ホークは周囲を確認した。どうやらサブタワーの外に放り出されたらしい。

 完全に倒壊したサブタワーの残骸が天高く積みあがっている。


 ――そして、上空に開いていた冥府の門が閉じているのを確認した。

 あれほど空を覆っていた大量のドラゴンも、今では一匹たりとも飛んでいない。まるで幻だったかのように掻き消えていた。


「……終わったな」

 冥府の門が閉じたことでドラゴンがどうなるかは不明だったが、どうやら門の消失と共に消えてくれたようだ。

 これでセドガニアも救われたはず。

 メインタワーと……パイ・ベイルがどうなったかは、パンダに直接聞くしかないだろう。


「冥府の門は閉じられた。ツインバベルももうない」

 言いながらホークはゆっくりと歩き、とある地点で止まると……。


「貴様の計画もこれで潰えたな」

 瓦礫に埋もれて倒れ伏しているカイザーに魔法銃の銃口を向けた。


 カイザーは腹から下を大量の瓦礫に押しつぶされていた。

 それだけではなく爆発をモロに受けた身体はそれだけで大きく損傷し、もはや虫の息だった。


 カイザーは少しだけ頭部を動かし、目線だけを上にあげてホークの姿を確認した。


「……ふ。クソが……ピンピンしてやがる」

 あの爆発を受けてもホークが無事だと悟り、カイザーは可笑しそうに笑った。


「そうか……魔力爆発だったか……てめえには、効かねえってか?」

 カイザーの予想通り、ホークはあの爆発の瞬間、自身の身体に全力で破魔の力を流し込んでいた。

 いわば自分自身を魔断にしたのだ。


 爆発が火薬や爆薬によるものであれば効果はないが、ホークは一縷の望みを託して爆発を受け止めた。

 結果として、スノウビィが仕掛けた爆発は魔力的なものだった。破魔の力がそれを阻み、ホークは無傷で済んだ。


 だがカイザーはそうもいかなかった。

 塔を丸ごと破壊するような爆発を生身で受けてしまった彼は、その時点で既に瀕死の重傷を負った。

 今こうして生きていること自体が奇跡だ。


 だが幸運もそこまでだった。瓦礫に押し潰されたカイザーはもはや一歩も動くことはできず、ホークに処刑される運命となった。


 空になった魔石を弾倉から吐き出し、新たな魔石を詰める。

 無防備な頭部に狙いを定める。あとは引き金を引けばカイザーは死ぬ。


「……あそこに、あの杖があるだろ」

 ホークが視線を動かすと、カイザーの言う通りヴァルナワンドが少し向こうに転がっていた。

 幸い壊れてはおらず、まだ使えるようだった。


「やるよ、あれ」

「命乞いにしては下手過ぎるな」

「分かってねえな。盗賊ってのはお宝を溜め込んでんだ。冒険者が盗賊を倒すってんなら、大半はそれ目当てだ」

「貴様らのようなクズと一緒にするな。貴様らの宝など誰が奪うか」

「だろうな。だから『やる』って言ってんだ」


 カイザーはそう言って笑いながら、どこか遠い目をした。

「生きる目的もなくただ戦ってるとよ、自分が何者か分からなくなってくる。そんなときは自分の肩書とかが、案外道しるべになってくれたりするもんだ」


「……」

「昔は賞金稼ぎ。今は盗賊。その都度、俺は自分の在り方を変えてきた。肩書に相応しい振る舞いをすることで、自分を確かめてきた」

「……」


「――俺はバンデット・カイザー。ヴェノム盗賊団の頭領だ。狙ったお宝は必ず奪う。だが負けたら、お宝は全部奪われる。のさ。様式美ってやつさ」


 だからあの杖もホークに渡す。ただそれだけの話だった。

 損得の話でも、まして命乞いでもない。これはカイザーという男が貫く、最後のポリシーだった。


「お前はどうだ?」

「何がだ」

「お前はよ……へっ……とてもじゃねえが、勇者には見えねえよ」

「……」


「エルフなのに弓を捨てて銃なんて使ってやがる。相当な人間嫌いだろうに、勇者として人間を救ってやがる」

「目的のためだ」


「俺もそうさ。レベル上昇実験のために、やりたくもねえ盗賊稼業に手を出し、自分を騙してここまで走ってきた。……だが、目的ために周りを騙し、自分も殺してるようじゃ……お前も、いつか俺みたいに自分を見失うことになるだろうぜ」


 死に損ないのくだらない戯言と、そう聞き流すことがホークにはできなかった。

 カイザーのその言葉は……まるで預言のようにすら感じた。


「そうなればお前は、自分が何をすべきかすら見失うことになる。手段と目的が入れ替わり、何が正しいのかも分からなくなる」

「……」

「そうなったときにお前が縋れるもの……それはお前が持つ『勇者』って肩書だ。自分が何をすべきか分からなくなっても、『勇者としてすべきこと』が明確なら、迷わずにいられるからな」

「……黙れ」

「――お前はいつか、勇者として相応しい振る舞いを求められるときがくる。他でもない、お前自身にな。そんときにお前がどうするのか――クク、冥府でじっくり見物させてもらうとするか」


 ――銃声。


 撃ち出された魔弾がカイザーの頭蓋を貫き、その命を刈り取った。


 静寂が訪れる。塔の駆動音も、ドラゴンの吠え声も聞こえない。

 近くで河が流れる音が聞こえる程度の、生者の気配のない静寂がホークを包む。


「…………」

 魔法銃をホルスターに仕舞ったホークは、しばしその場に佇みながらカイザーの亡骸を見つめた。


 彼が死に際に残した言葉が、ホークの脳裏にいつまでも残り続けていた。

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