第96話 償いってわけじゃないの


 その異変は誰の目にも一目で見て取れた。

 セドガニアの空を覆っていた無数のドラゴン。彼らが一斉に吠え声を発しだしたのだ。


 幾千にも折り重なった声は大気のみならず、セドガニア全体を大きく震わせた。

「な、なんだこれ……!」

 戦闘中だったバラディア軍兵士たちが思わず耳を塞いでたじろいだ。


 ドラゴン達の声は、どこか悲鳴に似ていた。

 相手を威嚇したり獲物を襲う時のような叫び方ではない。断末魔の叫びさながらだった。


「お、おい見ろッ!」

 一人の兵士が叫んだ。

 戦闘中だったドラゴン達は一斉に動きを止めたかと思うと――足元から徐々にその輪郭を失っていった。


 ドラゴン達は青白い光の粒となって空に散っていく。

 全てのドラゴンで同じことが起こっていた。

 地上を襲っていたもの。マリーを攻撃していたもの。空を飛んでいたもの。


 全てが一斉に光の粒となって空に消えていき、無数の光が夜の闇を照らした。

 ドラゴン達が幻のように掻き消えていき、それに比例して空が光に包まれていく様は例えようもなく神秘的で、兵士たちは皆言葉を失ってその光景を見つめていた。




「……これは……」

 作戦室内で戦況を見守っていた者たちも、突然の出来事に訳が分からず呆然としていた。

「北西の超巨大魔力反応、消失!」

 占星術師の報告に、バロウンは弾かれるように占星術師に向きなおった。


「た、確かか!?」

「はい! それだけではありません、ドラゴンが……ドラゴンの魔力反応が、物凄い勢いで消滅していきます! す、すごい……もうほとんどありません!」

「……召喚魔法が……止まった?」


 それに伴い、召喚されていたドラゴンまでもが丸ごと姿を消した。

 それが意味することをしばらく理解できずにいたバロウンだったが、次第に状況が飲み込めてきた。


「誰かが、止めたんだ……召喚魔法を」

「だ、誰がですか?」

「…………分からん。分からんが、とにかく……召喚魔法が止まった。それでドラゴンが消えたんだ」

「それは……つまり……どういう……」

「分からないか?」


 バロウンは右手を固く握りしめ、高く頭上に掲げた。


「我々は勝った……生き残ったんだ!」


 そのバロウンの言葉に、作戦室内の者たちの抑え込まれていた感情が爆発した。

 割れんばかりの大歓声が作戦室内に響き渡る。

 ある者は叫び回り、ある者は泣き崩れ、またある者は隣にいた者と固く抱き合った。


「すぐに戦闘部隊に伝えろ! 戦闘終了! 戦闘終了だ!」

「はい!」

「負傷者を基地へ搬送しろ! これ以上誰も死なせるな!」

「はっ!」


 嬉々として動き回る兵士たち。

 それとほぼ同時に、セドガニア中から歓声が巻き起こるのが作戦室の中まで聞こえてきた。

 町で戦闘中だった兵士たちも、セドガニアが勝利したことを理解したらしい。

 ドラゴンの咆哮にも負けないような大歓声だった。


「終わった……悪夢の夜が……」

 バロウンは力尽きたように椅子に座り込んだ。

 もはや超えられないと思っていた夜が、ついに終わる。

 バロウンがそう安堵した、そのとき――。


「――ッ! まだ戦闘中の者がいます!」


 通信手が叫んだ。椅子に座っていたバロウンが勢いよく立ち上がる。

「ドラゴンか!?」

「い、いえ。戦っているのは――灰色の魔人と、ラトリア・ゴードです!」




「ぐああああああああああああああああああああああああッ!!!」

 満身創痍の身体に鞭打ってベアを戦っていたラトリアが、何の前触れもなく絶叫した。

 それに合わせるようにドラゴン達も咆哮。その異常事態に、ベアも動きを止めて警戒した。


 やがてドラゴン達が次々と消滅していくのを見て、ベアはスノウビィの召喚魔法が停止したことを悟る。

「ベアさん!」

 上空からマリーが降下してきてベアの傍に着地した。

 彼女もまた多少傷を負っていたが、防衛に徹していたため重傷には至っていないようだった。


「ドラゴン達が消えてくよ!」

「はい。戦闘が終了したようです。ただちにセドガニアを出ます」

「うん! じゃあこれで――」


 マリーの言葉が途切れる。

 ぽかんと口を開けたまま上空を見上げる。


 ラトリアの頭上にグラントゥイグが出現していた。

 が、問題はそこではない。


 ――その大きさは、一○○メートルを超えていた。


「……やば」

「最後の悪あがきというわけですか」


 ラトリアは両手で頭を押さえながら絶叫し続けていた。

 冥府の門が閉じ、魔術式が破壊されたことによってラトリアにかけられていたスノウビィの洗脳が解かれようとしているのだ。


 自分の洗脳が解かれようとしていることをラトリア自身も感じたのだろう。

 だからこそ、『マリーを殺す』というスノウビィからの命令を遂行するために、最後の攻撃に打って出た。

 グラントゥイグに自らの魂を捧げることによって、その力を最大まで解放したのだ。


 一○○メートルにも上るグラントゥイグの剣先はもはや壁としか形容しようがなかった。

 こんなものが放たれれば、それだけでこの町が吹き飛びかねない。

 ベアはともかく、マリーが無事で済むかはかなり怪しい。


「――下がってください」

 ベアがマリーを庇うように一歩前に歩み出た。

「どうするの……?」

「破壊します」

「あ――あれを!?」


 ベアの怪力を知っているマリーでも、さすがにあれを受け止められるようには思えなかった。

 現にベアはあの半分……五○メートル大のグラントゥイグも、迎撃ではなく回避することでやり過ごしていた。


「問題ありません。奥の手があります」

 焦りも動揺もなく言い放つベアに、マリーは一瞬躊躇った後に頷くことができた。


 ――魔王に命を狙われている。

 初めてベアにそう聞いたときは冗談だと思ったし、それを信じた後でも、その重大さはいまいちマリーにはピンと来ていなかった。


 だがこの町での戦闘により、マリーはそれを嫌というほど実感させられた。

 マリー一人を殺すために一万にも上るドラゴンの軍勢を差し向けるなどという、常識はずれの戦術。……これが、魔王に命を狙われるということなのだ。


 その窮地を逃れることができたのは、グレイベアという魔人が矢面にたってマリーを守護してくれたからだ。


 ベアの言うことならば信じられる。どんな窮地も、ベアと一緒ならば乗り越えられる。マリーはそう信じることができた。


 マリーが飛翔。ベアの後方に離れる。

 この町での戦闘を締めくくる最後の一撃をベアに委ねた。


「……」

 ベアとラトリアの視線が交差する。

 ラトリアが最後にして最大の攻撃を仕掛けようとしているならば、ベアもそれに相応しい攻撃で迎え撃つ必要がある。


 ベアが右腕を振りかぶる。


「――我が魂を、かの王に捧ぐ」


 右腕に装着された紫のガントレットがガチャリと音を立て、やがて激しい旋風を巻き起こし始めた。


 ――このガントレットは、かつて四代目魔王フルーレが自作したものだ。


 ムラマサの愛刀『夜喰』に匹敵する刀を作ると言って、フルーレは一時期、武器制作にハマっていた時期がある。

 その片手間に造られたこのガントレットは、結局完成する前にフルーレが飽きてしまった。その後破棄しようとしたが、せっかくなのでベアに譲ったという経緯がある。


 四代目魔王から直々に下賜された武器……ベアは歓喜し、それ以降このガントレットを愛用していた。


 ――そして今、この武器の真価が発揮されるときがきた。

 ベアは高らかに、この魔導具の真名を告げる。


「――『ベアクロー参式・クマキチスーパーマグナムver0.88』――!」


 ガントレットを覆っていた旋風は暴風へと姿を変える。

 それらは、ガントレットが吸い上げたベアの魂が純粋な力へと変換されたものだ。

 ムラマサの『夜喰』やデスサイズと同様に、ベアクロー(以下略)も使用者の魂を吸収して能力を増大させる特性を持つ。


 ラトリアが一層強く叫ぶ。

 限界まで威力を増したグラントゥイグが、ついにベア目がけて射出される。

 巨大化しているというのに、その速度は全く落ちていない。いや、むしろ今までのどの一撃よりも速い。


 ラトリアが繰り出せる最大火力。

 それを、ベアの一撃が真正面から迎え撃つ。


「ハアアアアアアアアッ!!」


 ベアが咆哮。

 渾身の力を込めた一撃がグラントゥイグの切っ先に激突し――


 ――グラントゥイグが粉々に粉砕された。


 極限まで威力を高めたベアクロ―は、吸収したベアの魂を全て攻撃力に変換して放った。

 その一撃はもはやパンチという概念すら覆しかねない威力だった。


 地が裂け、大気が震え、駆け昇った衝撃波がセドガニアの空を貫いた。

 地面が激しくめくれ上がり、一本の巨大な傷跡を残してセドガニアを突き抜ける。

 その直線上にある全てのものは衝撃波に飲み込まれた。衝撃波はセドガニアの北門をも破壊するとそのまま北の森まで達し、無数の瓦礫と粉塵を乗せて北の空に消えた。


 衝撃波の範囲外にあったものも無事ではない。ベアのパンチとグラントゥイグが激突した余波はセドガニアをくまなく舐め尽くし、巻き起こった暴風に人も物も天高く吹き飛ばされていく。


 上空に退避していたマリーですら思わず両手で顔を庇うほどの暴風。

 その直撃を受けたグラントゥイグは木っ端微塵に粉砕され、やがて消滅した。


 ――そして、その衝撃波を正面から受けたラトリアもまた無事で済むはずがなかった。

 既に重傷を負い、大太刀もなく、グラントゥイグを破壊されたラトリアにその衝撃波を回避する術はない。

 ラトリアもまた宙に舞う瓦礫と共に天高く吹き飛ばされ、やがてセドガニアを飛び越して見えなくなった。


「……うっわぁ……」

 しばらくは目も開けられないような暴風が続いていたが、それが収まるとマリーは目を開けて周囲を見回した。

 ただでさえドラゴンに破壊され尽くしたセドガニアに、とどめとばかりにベアの一撃が刻まれ、町は完全に崩壊していた。


 その破壊をもたらした本人であるベアは、不意に地面に倒れ込んだ。


「――ッ! べ、ベアさん!」

 慌てて駆け寄るマリー。

 ベアは受け身も取らないまま顔から地面に突っ伏していた。

 抱きかかえると、ベアは疲れたように息を一つ吐いた。

 幸い意識ははっきりとしているようだった。


「……今の技を使うとしばらく動けません。運んでください」

 それがベアが最後の最後までこの奥の手を使わなかった理由だ。

 たとえラトリアを倒しても、ドラゴンが増え続ける以上この技は使えなかったのだ。


「う、うん。どこまで運べばいい?」

「とにかくセドガニアを抜けてください。そのまま北へ進んで、適当な場所で休息を取ります」

「わかった」


 マリーはベアを抱きかかえると飛翔。そのまま北を目指して飛んだ。


「隊長、あれ……!」

 その様子を遠くから視認していたバラディア軍兵士たちが、反射的に武器を構えた。

 ドラゴンとラトリアが去った今……この町にいる最大の脅威はあの二人だ。

 見たところベアは動けないようだし、マリーも無傷ではない。

 今があの二人を討伐する絶好の機会であるのは確実だった。


「……よせ」

 それを部隊長が制止した。

「……隊長、奴らは魔族ですよ」

「今はまだ共闘中だ。あの二人への攻撃命令は出ていない」

「……あんな強力な魔人を放置するんですか?」


 部隊長にもその危険性は十分理解できていた。

 共闘とは言っても、実際にはドラゴン対あの二人の戦闘が勃発し、バラディア軍が勝手にその戦いに便乗したという形に過ぎない。

 彼女らはセドガニアを助けたつもりなど一切ないだろう。


 ……だが、それでも彼女たちがいなければこの町の住人はドラゴンによって全滅していた可能性すらあるのだ。

 それを棚上げし、去っていく二人を背後から襲うような真似はできない。


「見逃すんだ。今日だけは」

 部隊長の言葉を聞いた部下たちは、数秒ほど迷うもやがて武器を収めた。


 静寂を取り戻したセドガニアの夜に消えた二人の魔族。

 彼らの姿も、もう見えなくなっていた。






「――来たッ!」

 メインタワーの管制室で準備を進めていた研究員たちは、待ち望んだ魔力反応を観測して狂気した。


「止まった! サブタワーの魔術式が停止したぞ!」

「マジっすか!?」

 キャメルが研究員に詰め寄ると、研究員は興奮しながら頷いた。


「停止プロセスを全て無視して魔術式自体が破壊されています。もうこれでサブタワーは機能を失いました!」

「……馬鹿な」

 痺れ薬のせいで動けないハンスは、地面にうずくまったまま信じられないとばかりに呆然と呟いた。


「カイザーが……負けた?」

「そうっすよ! 見たかオッサン! ホークの旦那にかかりゃこんなもんっすよ! あ~ホークの旦那マジ感謝っす!」

 キャメルは嬉々として拡声用魔石に近づき、今も実験場で戦闘を続けているパンダに声をかけた。


『パンダの姉御! やったっす! ホークの旦那がサブタワーをぶっ壊したっす!』

「すぐに冥府の門を閉じて!」

『門を閉じろっす!』

『もうやってます! ――――よし! 終わりました! これでメインタワーの魔術式が止まります! 冥府の門もじきに閉じるはずです!』

『聞いたっすか姐御! 冥府の門が閉じるっす!』


 その報告を聞き、パンダも思わず安堵の笑みを浮かべた。

 デスサイズの力を解放させ続けパイの動きを封じてきたパンダではあったが、パンダの身体は限界をとっくに超えていた。

 もう立っているだけで足がガクガクと震え出す始末。

 握力はほぼなくなり、デスサイズが驚くほど重く感じた。


 それでも最後の一滴まで力を絞りつくし、ほとんど精神力だけでパンダは戦闘を続けていた。

 いつ終わるとも知れないまま全力で肉体を酷使してきたパンダの戦いに、ようやく終わりが見えた。


 これでパイへの冥府の魂の供給は終わる。

 魔力の鎧も消滅し、パイは一時的にショック状態になり動けなくなるらしい。


「あとは――」

 パイの魂にデスサイズの刃を差し込み、付着した魔族の魂のみを正確に切除する。

 ……実際のところそれが一番難易度の高い作業なのだが、失敗は許されない。


「――グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 そのとき、パイが絶叫した。

「――ッ!」

 パンダには一瞬で理解できた。

 今までの咆哮とは違う。悲鳴に近い叫び声だ。


 青の魔眼でパイを確認する。

 一目見て魔力の鎧の波長が乱れている。規則性をもってパイの身体を覆っていたものが、今ではその収束が解れかけている。


「オッケー……! いいわよ、きてきて……!」

 来たるべき時に備えてパンダが集中する。

 パイが苦しむように両手で頭を抱えふらふらとよろめいている。


 ――いける。

 あとは魔力の鎧さえ消えれば……!


『メインタワーの魔術式――よし、完全停止しまし――』



 ――直後、実験場の魔法陣が眩い光を放った。



「――――あ」

 パンダの青の魔眼が、それが魔力爆発の予兆であると見抜いた。


「――パイッ!」

 パンダが駆け出したそのときには、既に魔術式に仕込まれた魔力爆発が起爆していた。


 激震がメインタワーを揺るがした。


「な、なんすかこれ!?」

 制御室にいた者たちも突然発生した爆発に戸惑い、激しい揺れのせいで姿勢を崩して膝をついた。


「ぱ、パンダの姐御!? これって――!?」

 問いかけるも応答はない。

 実験場はまさに爆心地とでもいうべき状況だ。爆風は実験場の壁を突き破り、メインタワーの外部まで通じる巨大な崩落を発生させた。


 制御室から、その爆風に吹き飛ばされるパイと、崩落していく地面に倒れ込んでいるパンダの姿が見えた。

「姐御!」

 再度呼びかけるがパンダは意識がないのか、あるいは立ち上がる気力がないのか、ぴくりとも動かなかった。


「くっそ……!」

 ここでパンダに死なれてはキャメルも道連れで死んでしまう。

 ……が、もはやそんなことを言っている場合ではない。


 再び塔のどこかが爆発。制御室がぐらりと傾き、崩れた天井の一部が制御室に降り注いだ。

 パンダの安否に関わらず、このままではキャメル自身が塔の崩落に巻き込まれて死ぬ。


『姐御! あたしはお先に脱出するっす! 姐御も早く逃げてくださいっす! ほんと頼むっすからね!』

 そう言い残し、キャメルは制御室の出口に向かって走り出す。


「ま、待ってくれ!」

 研究員がキャメルの腕にしがみついて呼び止めた。


「あ!? なんすか、放しやがれっす!」

「わ、我々も連れて行ってくれ!」

「は?」

「約束だろう! 君たちに協力したら……!」

「『助ける』なんて言ってないっすよ!」


 うざったそうに舌打ちするキャメル。

 彼らとの協力関係は、あくまでパイを倒せば脱出の障害がなくなるから勝手に逃げろというものだった。

 この状況でキャメルが彼らを助ける意味などない。


「あんたらに構ってる暇なんかないんすよ! そんじゃさいなら」

「なっ――じゃ、じゃあ我々はどうすればいいんだ! どうやって脱出すれば……!」


 縋りついてくる研究員を、キャメルは容赦なく蹴り飛ばした。


「知るかバーカ。潰れて死んでろっす」


 そう言って制御室から出ていくキャメルを呆然と見送る研究員たち。

 それを見守っていたハンスが、くだらなさそうに一度鼻を鳴らした。


「言っただろ? 信用していい女ではないと」


 絶望に歪んだ彼らの悲鳴も、直後に落下してきた天井と共に埋もれて消えていった。




 爆発に見舞われたパンダは意識を朦朧とさせて床に倒れ伏していた。

 半分意識を失っているような状態だったが……ここで倒れたらパイを救えないという理解だけが、なんとかパンダの意識を繋ぎとめていた。


「……っ……パ、イ……!」

 立ち上がろうとするも、爆発の衝撃に加え先の戦闘の疲労でもうまともに体が動く状態ではなかった。

 パイは魔力の鎧のおかげで爆風によるダメージは最小限に抑えられたようだが、冥府の門が閉じたことによるショック状態に陥っているようで、彼女は彼女で身動きが取れる状態ではなかった。


 再び魔法陣が爆発。

 それが決定打となり、実験場の床が崩落する。それに合わせてメインタワーが完全に倒壊し、頭上から瓦礫が降り注いでくる。


 しかも、その爆発に吹き飛ばされたパイが、実験場を突き破って塔の外へと叩き出された。

「――ッ! パイ!」

 咄嗟に助けに向かおうとするが、身体が上手く動かない。

 そもそも二人の距離が離れすぎている上に、実験場の床が崩落したことでパンダは空中に放り出されてしまった。

 これでは助けに行くどころか、まともに移動することもできない。


「――デスサイズ!」

 握りしめた大鎌に向けてパンダは叫んだ。

 パイの魔力の鎧から吸収した魔力は全て消費しており、もう先程までの突進は使えない。

 それでもパンダは諦めなかった。


 パンダは自身の魂をデスサイズに捧げた。

 それが成功するかどうかは賭けだ。

 意図せず実験の被験者となったパンダのレベルは僅かに上昇したが、それでもレベル15の魔人が蓄えられる余剰分の魂は決して多くない。

 それがデスサイズの力を解放させる燃料として満足な量かはパンダにも分からなかった。


「ここまで来たのよ! お願い、あと一度だけ――私に力を貸してッ!」

 パンダの切なる願いに応えるように――デスサイズが強く紫電を迸らせた。


 正真正銘、最後の解放。

 パンダは一筋の閃光となって突き抜けた。

 崩れた床を蹴り上げ、悲鳴をあげる身体を押し殺し、ただひたすらに疾走した。


 パイが放り出された巨大な穴に一瞬にして接近したパンダは躊躇うことなく飛び込んだ。

 視線を降ろすと、眼下に巨大な河が見えた。

 メインタワーは大河に面した崖の上の建てられた塔だ。このまま落下すればあの河に着水できるだろう。


 その河に向かって一直線に落下していくパイを発見。

 パンダがデスサイズの推進力を曲げ、ほとんど直角に曲がって急降下。

 それと同時にデスサイズに蓄積された魔力が尽きる。


 十分だ。パンダの落下速度はパイを遥かに上回っている。

 パイを覆っていた魔力の鎧は既に消滅していた。もうパンダを阻むものはなにもない。


「――パイッ!」


 パンダが必死に手を伸ばす。

 その声が聞こえたのか、パイはうっすらと目を開いてパンダを見た。


「……ぱん、だ……さん」

 ゆらりと伸ばされたパイの手を、パンダがしっかりと掴んだ。

 そのままパイの身体を引き寄せ、力強く抱きしめる。

 二人は抱き合いながら塔を落下していく。

 崖を通り過ぎ、河に着水するまで数秒というところまで来たとき……パンダがデスサイズの刃をパイの胸元に合わせた。


「――今度は間に合わせてみせるから」



 ――着水。

 大きな水しぶきが立ち上がり、二人の姿は水の中に消えた。

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