第97話 生存者たち
「お帰りなさいませ、魔王様」
スノウビィが魔王城に到着すると、一人の魔人が彼女を出迎えた。
「お出迎えありがとうございます、カルマディエさん」
スノウビィが微笑で応えると、魔人は更に深く頭を垂れた。
魔人と人間は似た容姿を持っている者が多いが、その魔人は明らかに人間とは違う容姿をしていた。
紺色の肌に濃い桃色の長髪。真っ黒な目に赤い眼球が妖しく輝いていた。
豊満な肉体を過剰に晒す煽情的な服装。それに相応しい妖艶な美女だった。
彼女こそ魔族四天王の一人、カルマディエである。
「大事はございませんでしたか?」
「はい。ムラマサさんが護衛についてくださってましたもの」
ムラマサの名を聞き、カルマディエは一瞬だけ不愉快そうに眉をひそめた。
「……あの男はどちらに?」
「戻ってくるなり喫煙所に走っていかれました。ほら、魔王城の外にあるあの前衛的なデザインの小屋です」
「……? あの喫煙所はグレイベアに破壊されたと記憶しておりますが」
「ムラマサさんの臣下の方々が再建したそうです」
「では私の配下の者に改めて取り壊しを命じておきます」
相変わらずムラマサには容赦のないカルマディエを見て、スノウビィは楽しそうにくすりと笑みを浮かべた。
「――それで、ご報告では人間領で大規模魔法を行使した、とお聞きしましたが」
「はい。とっても楽しかったですよ」
「魔王様。恐れながら、現在は人類との戦争を起こす時ではありません。その引き金になりかねない行動は可能な限りお控えいただければ、と」
「大丈夫ですよ。ちゃんとムラマサさんにも賛同いただいた上で行いましたし」
「あの男の言葉など何の保証にもなりません。棒振りしか能のない野蛮な男です。決して過剰な信頼を寄せぬようお願い申し上げます」
カルマディエとムラマサは犬猿の仲だ。顔を合わせれば互いに嫌味や皮肉を言い合うのはもはや日常風景だが、今はこの場にムラマサがいないためカルマディエの言いたい放題だった。
「もう、心配性ですねカルマディエさんは。大丈夫です。私たちの痕跡は決して残らないように注意いたしました。魔術式が停止すればドラゴンは消滅しますし、魔術式のある塔も爆破するようにしてあります」
「その魔術式は既に停止したとの報告がありました」
まあ! とスノウビィは驚いたように口元を手で押さえた。
「本当ですか? いつ頃でしょうか」
「数時間前に。バラディアに潜伏させている私の配下の者からの報告ですので間違いないかと」
「……そう、ですか。予想よりも随分と早かったですね」
さすがに半日は魔術式は動き続けていると思っていたが、まさか発動から僅か数時間で停止されてしまうとは予想外だった。
「では、吸血鬼さんは倒せなかったようですね。とても残念です」
四天王の盟約は健在だ。ブラッディ・リーチが死亡した気配はない。
作戦の最も重要な要素が失敗したと分かり、スノウビィは少しだけ不愉快そうな顔を浮かべた。
失敗することも十分にあり得ると予想していた作戦ではあったが、生来の負けず嫌いであるスノウビィにとっては敗北感の残る結末だった。
「まあ、それは仕方ありませんね。それよりも優先すべきことを見つけてしまいましたので」
「それなのですが……本当に四天王の盟約を取り戻すこと以上に重要な事柄なのですか? 私にはどうしても信じがたく……」
「ええ、きっとカルマディエさんもお気に召すと思いますよ」
そう。たとえ吸血鬼の討伐に失敗し、新たな四天王が選定できなくとも……この研究を魔王城に持ち帰ることが出来た以上、十分に成果はあったと言える。
「冥府の魂を用いてレベルを強制的に上昇させるという研究です。こちらを是非カルマディエさん主導のもと実現させ、魔人で独占したいと考えております」
山の岩肌に見つけた小さな洞窟に入り込むと、マリーは担いでいたベアを地面に寝かせた。
「ここまでくれば多分見つからないよね」
ベアが首肯するのを見て、マリーも安心したようにベアの隣に座り込んだ。
「あー……つっかれたぁ……」
ひとまず危機を乗り切ったという安堵から、どっと疲れが押し寄せてきた。
セドガニアを出た二人はそのまま北上し大河を超え、現在はバラディア本国から少し離れた山脈の頂上付近にいた。
ベアの負傷が大きいためしばらくはここで回復を待つ必要があるが、ここまでは人間たちも追ってこないだろう。
「ドラゴン、すっかりいなくなったね」
「はい」
見ればわかるとばかりに短く答えるベア。
だがマリーの問いの真意は別のところにあった。
「……あの人達、どうなったかな」
「? 誰のことです?」
「ほら、あの兵士の人達」
「ドラゴンが消えたのですから生存したでしょう。それが何か?」
「……ううん。なんでもない。ごめんなさい、どうでもいいこと訊いちゃったね」
バラディア軍があの後どうなったかなど考慮するに値しない些末事に過ぎない。
だが、マリーは心のどこかでずっと彼らの安否を気にしていることを自覚していた。
彼らは全力でマリーを援護し続けてくれた。
誰かに護られるという経験のなかったマリーにとって、それは現実とは思えない奇妙な光景だった。
人間は敵。男はもっと敵。
彼らはマリーに痛みと恐怖を与えるだけの存在だ。
……そのはずなのだ。
マリーにとっての味方は、この世にベアしかいない。
今はそれだけ理解できていれば十分だ。
「兵士たちはともかく、あのエルダーは気がかりです」
不意にベアが言った。
一瞬誰のことか分からなかったが、それがあのルドワイアの騎士のことを指していると理解したマリーは、不思議そうに首をかしげた。
「どうして? あの人死んじゃったでしょ?」
「いえ、彼女は生きているでしょう」
「嘘!? あれを受けて!?」
ベアクローの衝撃波で彼方まで吹き飛ばされたはずだが、あんな攻撃を受けて生きているなどマリーには信じられなかった。
「おそらく。グラントゥイグにかなり威力を相殺されました。吹き飛んでいきましたが、肉体的にさほど損傷がなくとも不思議ではありません」
「威力を……相殺? ……あれで?」
冗談かと思ったが、よく考えれば不思議な話ではない。
ラトリアもまたグラントゥイグという強力な魔導具に魂を吸収させ、能力を限界まで解放していたのだ。
結果的にベアの一撃に敗れたが、その威力の大部分を削り取っていてもおかしくはない。
「まあ、でももう一度出会っちゃってもまたベアさんがやっつけてくれるよね? ――私のこと……ずっと護ってくれるんだもんね?」
「もちろんです」
「……うん。ありがとう、ベアさん」
そっけなくではあるが、ベアがそう返してくれたことがマリーには何よりも嬉しかった。
夜が明け始めていた。
地平線から昇る太陽が木々の隙間から森を照らす。
――その光を恐れるように、ラトリア・ゴードは闇に身を隠していた。
「はぁ……は……ぅ、ぐ……」
ベアによって受けた傷は極めて重く、生きているのが奇跡だった。
生きている、というよりも、それはもはや死んでいないだけという表現の方が正しい。
一撃で致命傷に成り得るベアの拳を直撃し、その上であの規格外の一撃により発生した衝撃波を受けた。
普通なら死んでいて当然のダメージだったが、半魔人化したラトリアは人を超える自然治癒力を有し、その恩恵でかろうじて命を繋ぎとめている状態だった。
立ち上がることもできず、ラトリアは満身創痍の身体をひきずりながらセドガニア北方の森を這いずっていた。
冥府の門が閉じられ、魔術式が破壊されたことで、スノウビィによって施された洗脳は既に解除されていた。
自我を取り戻した彼女は、自らが犯した罪の重さに押し潰されそうになっていた。
「私は……なんという、ことを……」
ムラマサに敗北したばかりか、スノウビィによって洗脳されあろうことかドラゴンと共にセドガニアを襲撃するなど……もはやどうやっても償いきれない大罪だ。
たとえ極刑に処されようとも、ラトリアは何ら不満はない。
いや、むしろ誰でもいいから自分を裁いてほしかった。もはやラトリア一人では背負いきれない重すぎる罪を、どんな形でもいいから償いたかった。
……だが、今はまだ死ねない。
――スノウビィ。あの魔人はあまりにも危険すぎる。
あの紫の魔眼……あんなものを使われてはどんなエルダーも太刀打ちできない。
しかも奴は冥府の魂を用いてレベルを強制的に上昇させる研究を手に入れた。あれが魔族に渡れば、人類は窮地に立たされる。
これらの情報を持っているのは、おそらくラトリアだけだ。
これを然るべき者に伝えるまでは、ラトリアは死ぬわけにはいかない。
どんな生き恥を晒そうとも、生き延びなければならないのだ。
「――いたぞ! こっちだ!」
そのとき、背後から声が聞こえてきた。
振り返ると一人の兵士がラトリアを指差して叫んでいた。
「見つけたぞ、ラトリア・ゴードだ!」
森の奥から一○人を超える兵士たちが姿を現し、地面に這いずるラトリアを見ると驚いたような顔を見せた。
「ほ、本当にやるんですか!? だって彼女はルドワイアの……」
「関係ない。こいつはドラゴンを操ってセドガニアを襲った! こいつはもう人類の敵だ!」
「見ろ、あの灰色の魔人にやられて動けない。俺達でも倒せる!」
兵士たちは各々武器を構えてラトリアに向けた。
「…………よせ」
――そのとき、ラトリアは心底恐怖した。
ラトリアを殺そうとする彼らに、ではない。
――彼らを殺そうとしている自分自身にだ。
「……やめろ」
――殺せ。
――殺せ。
――殺せ殺せ殺せ!
スノウビィが施した洗脳は確かに解除された。
……だが、ラトリアの魂に吸収された魔族の魂そのものは、切除されずに残り続けた。故にラトリアの精神は半魔人化したまま、ただ本能的な感情に汚染されていた。
魔族にとって本能的な欲求――それは、破壊と殺戮だ。
「――やめろおおおおおおおおおおおおおッ!!」
もう誰も殺したくない。
そう泣き叫ぶラトリアを嘲笑うように、グラントゥイグの一撃が森を揺るがした。
「いやぁ~この度は到着が遅れてしもうて、ホンマえらいすんませんでした」
大袈裟に謝罪する男性に、バロウンは軽く手を振って頭を上げるように促した。
ドラゴンが消滅してから数時間後。陽が登り始めた頃に、予定通りルドワイア帝国から派遣されたエルダー部隊が到着した。
部隊は平均レベル68の二○名のルドワイア騎士と、二名のエルダークラスの騎士を要する強力な編成だった。
二人のエルダーの内の一人。
それがこの男だ。彼は自身を、ディミトリと名乗った。
「いえ、来ていただけただけでも有難いです。もし可能でしたら、しばらくバラディアに滞在してくださると大変心強いです」
「何言うてはるんですか、もちろんですがな。ワシらがおればもう安心ですわ。大船に乗ったつもりでいてください」
「はあ……」
つい気のない返事を返してしまうバロウン。
それくらい、正直に言って目の前の男は強そうには見えなかった。
レベルシステムが強さの基準となる今の世で、見た目で強さを計ろうとすることは見当違いではあるのだが、そういうものとはまた違う雰囲気のような部分で、ディミトリは決して強者には見えなかった。
年齢はおそらく三十路前半といったところだろう。
伊達眼鏡をかけた糸目の優男で、珍しい方言を話していた。
その口調や態度もどこか軽薄……よく言えばフランクで、他の者が証言してくれなければ彼がエルダーだと信じるのに時間がかかっただろう。
しかし彼らはバロウン達が待ち望んでいたルドワイアからの援軍であり、当然丁重にもてなすべき者たちだ。
バロウンは彼をセドガニア基地の応接室に案内すると、事件の詳細を報告した。
ディミトリは興味深そうに、しきりにふんふんと頷いてメモを取っていた。
「聞いとった通り……なんやえらいけったいな話でんなあ」
「ええ、我々も正直まだ混乱から完全には抜け出せておりません。もう朝日は拝めないものと半ば諦めていましたよ」
「そらあきまへんな。遅れたワシらが言うのもなんですが、人間諦めへんかったら案外なんとかなるもんですわ」
「ええ、こうして夜を超えられた今は、本当にそんな気分です」
「そらよかったですわ。――で、この事件の実行犯は、ヴェノム盗賊団……で、間違いないんですね?」
「はい。勇者ホーク・ヴァーミリオン殿から直接お聞きした情報ですので、間違いないかと」
「ホーク・ヴァーミリオン……例のエルフ勇者でっか。彼女が召喚魔法を止めたって聞きましたけど、ほんまでっか?」
「ええ。彼女の破魔の力で魔術式を破壊したそうです」
事件後、セドガニアに戻ってきたホークはセドガニア基地に寄り、バロウンに事の顛末を話した。
行方が知れなかったホークがこの町を救うために一人で戦っていたと知ったときは、誰もが驚愕しそして感謝と共に彼女の偉業を称えた。
「そらまた大活躍ですな。ホークさんがおらへんかったらまだドラゴンが町におったかもしれへんっちゅうことですか」
「ええ。あの方はまさにセドガニアの……いえ、バラディア、ひいては人類の未来を救った英雄ですよ」
「つまりヴェノム盗賊団のアジトに単身乗り込み、盗賊団を壊滅させ、魔術式も止めて帰ってきた、と」
「そう聞いています」
「……ふーん」
ディミトリはさらさらとメモを取りながらどこか腑に落ちない様子だった。
「ホークさんは今どちらにおられます? まだセドガニアに?」
「いえ、事情聴取後はすぐにバラディア本国に向かわれました」
「んー? なんでまた? 引き留めたりされへんかったんですか? せっかくやしもうちょっといてもろた方が安心とちゃいます?」
「いえ。ホーク殿に限らず、生き残ったセドガニアの住民も順番に本国へ移送する予定です。……ご覧のとおり、今のセドガニアはもう……人が住める環境ではありませんので」
「あらまあ……それは残念ですわ。色々お聞きしたいことができたんやけどなあ」
「……? なにか、気がかりな点でもございますか?」
どこか含みを持たせた言い方をするディミトリに、バロウンは質問した。
その質問を受けてディミトリはどこか小馬鹿にするように笑った。
「気がかりな点だらけやないですか。なんでホークさんはヴェノム盗賊団のアジトを特定できたんですかね?」
「町で盗賊団の団員に命を狙われたそうです。彼らを尋問してアジトを特定させたと仰っていました」
「なんで彼女が盗賊団に狙われるんです? しかも彼女は昨日この町についたばかりって話やないですか」
「……」
バロウンが内心で驚く
ホークがいつこの町に訪れたかなど話していないのにすらすらと喋るところを見ると、ディミトリは既にこの一件について独自に調査を進めていたようだ。
……食えない男。それがディミトリの印象だった。
「そもそもたかが盗賊団がこんな大規模な召喚魔法を実現したっていうのもおかしな話やないですか。だいたい何の目的があってこんなことしたんでっか。聞くところによるとこの町にはエルダーをサシで倒せる高レベルの魔人がおったそうですが、ドラゴンはその魔人を狙っとったいう話やないですか。なんでヴェノム盗賊団がそんな魔人を狙うんです?」
「……」
「それにヴェノム盗賊団が壊滅したっちゅうのも変な話ですわ。こんな大事件起こしたらアジトが襲撃されることなんか予想できたはずやのに、なんで彼らは塔から逃げへんかったんやろか」
「……」
「アジトといえば、なんや塔は二つあったそうやないですか。ホークさんは二つとも爆破させたんでしょうかね? だとしたらそらまた凄い話ですがな。たった数時間の間に大忙しや」
「……そう聞いていますが」
「そういえばドラゴン襲撃直前に灰色の魔人討伐作戦が進行していて、ホークさんはそれに参加予定やったんですよね? 仮にその直後に盗賊に襲われて、ブチキレて盗賊団ぶっ潰したろうと思ったとして……せめて皆さんに一言伝えてから行くのが普通とちゃいますか? 何も盗賊団のアジトに一人で乗り込むことないやないですか。バラディア軍の一部隊でも借りたいと思うもんちゃいます?」
「……詳しい話は……。こちらも状況が逼迫しておりましたので」
「ああ、いえいえそらもうしゃあないですわ。ワシこそ五月雨式にすんません。いやあ、ワシは戦闘よりこういう調査仕事ばっかりこなしてるもんでして。疑問を解消せんとなんや落ち着かんのですわ」
おどけたように笑うディミトリを見ながら、バロウンは頬を伝う冷や汗を拭った。
絶望的な戦況から一転しての勝利の吉報。それを成し遂げたという一人の勇者の報告。
……浮かれてしまっていなかったといえば嘘になるが、それにしても確かにバロウン達はホークへの事情聴取が甘かったと気づいた。
ディミトリはそんな大雑把な調査はしない。ホークが語った内容の疑問点を次々と列挙してみせた。
しかもバロウンが伝えていない情報もいくつも持っており、それらは全て正確なものだった。
相当な情報網を持っており、何より早い。ほんの数時間前の情報をこの町に到着する前に調べ上げていたのだ。
「うーん、ホーク・ヴァーミリオン……なんや気になるなあ……」
「……」
「ま。そんなんは後でバラディア本国に寄ってホークさんに直接訊けばええだけの話ですな。それよりもまず住民の皆様の安全が第一ですわ。それに関してはご安心ください。住民の方々がバラディア本国に移送し切るまでは、我々が責任を持って護衛させていただきますんで」
「ありがとうございます。これほど心強いことはありません。何卒よろしくお願いいたします」
軽く頭を下げたバロウンは、ついでに先程から気になっていたことを尋ねてみた。
「……ところで、貴殿の部隊にはもう一人エルダーがいると聞いていたのですが」
シィム・グラッセルの報告ではそうなっていたはずだ。
ヴィクトリア・シュトラフカ。人類最高峰の超火力を誇るエルダーだ。
だがバロウンが彼らと出会ったときには、ヴィクトリアらしき人物の姿は見えなかった。
「あー、ほんますんません。お恥ずかしい話なんですが、あのじゃりん子、すっかりスネてしもうたんですわ」
「スネる……? 何故ですか?」
「何千体ものドラゴンの群れに好きなだけ攻撃していいと聞いたときは、そらもうウッキウキやったんですけど、町についてみたらドラゴンなんか一匹もおらんやないかーって怒ってどっか行ってしもたんですわ」
「……は、はあ……」
バロウンも引きつった笑みを返すのがやっとだった。
ヴィクトリアがまだ年若い少女だという話は聞いていたが、まさかそこまで幼稚な思考の持ち主だとは思わなかった。
「いやぁ、エルダーって連中は皆変わりもんばっかりでまいりますわ」
そう言って笑い飛ばすディミトリに、貴方も十分変わり者ですよとバロウンは言ってやりたくなった。
「――エルダーといえば、ラトリア・ゴードに関しては誠に申し訳ないことをしてしまいました」
ディミトリは一転して真剣な面持ちで言った。
口調も先程までより堅かった。
「人類の守護者たるルドワイア帝国のエルダークラスの騎士が、あろうことか魔物と協働して他国を襲うなど決して許されることではありません。同じエルダークラスを戴く者として謝罪させていただきます。誠に申し訳ございませんでした」
「……いえ、ディミトリ殿に謝罪していただくようなことでは」
「とんでもない。自国ならまだしも、ルドワイアにとってかけがえのない友好国であるバラディア貴国をラトリア・ゴードは襲撃いたしました。これは政治的な問題に発展する可能性すらあり、ルドワイア帝国の沽券に関わる重大な汚点です。この件に関しましては、後日改めて正式に釈明の場を設けさせていただければと存じます」
恭しく畏まるディミトリ。
だが実際にはルドワイア帝国は人類の最後の砦であり、他の追随を許さない人類最強の国家だ。
ルドワイアを相手に強く出れる国はない。バラディア国ですら例外ではない。
多くの物事はルドワイアを中心に回っているとすら言っていい。この一件についてルドワイアに責を問うことは難しいだろう。
それよりもバロウンにはもっと確認しておきたいことがあった。
「……それなのですが……私にはやはり、どうしても彼女が自分の意思でセドガニアを襲撃したとは思えないのです。私が最後に見た彼女は、清廉で厳格。気高く慈悲深く……まさに騎士の鑑としか言いようのない女性でした」
「しかし、事実としてラトリア・ゴードはセドガニアを襲撃し、貴国の兵士に甚大な被害をもたらしました。いかなる事情があろうともこれは見過ごせません」
「……では、やはり……」
「ええ。継続いたします。詳細は先程バラディア本国から通達があったことと思います」
ディミトリの言葉にバロウンは重苦しく俯くしかなかった。
その通達はバロウンのもとにも届いており、既に行動に移している兵士もいると聞いた。
それを止める術はバロウンにはない。彼にできることは、結末を見守ることだけだ。
「――ラトリア・ゴードを魔族の眷属として断定し、これより全世界で指名手配いたします。もし発見した際には確保……あるいは『討伐』することとなります。是非貴国にもご協力いただければと思います」
「納得できませんッ!」
セドガニア基地に用意されたゴード部隊専用の個室の中で、シィムは怒りに任せて叫び散らしていた。
「ラトリア隊長に討伐命令なんて……そんなの絶対に認めません!」
シィムが叫んでいる相手は、ラトリアを騎士団に復帰させた張本人、キース・リトルフ評議員だった。
ラトリアが全世界に指名手配されたと聞いたシィムはすぐさま彼に連絡を取った。
ラトリアの知己である彼ならばきっとこの決定を覆してくれると信じて。
だがキースからの返答は残酷なものだった。
『ラトリアはドラゴンと協働してセドガニアを襲撃した。その処遇としては当然だ』
「だから、隊長は操られていたんです! 私は隊長と直接会って確認しました! セドガニアを襲ったのは隊長の意思ではありません!」
『S-81レベルの騎士を操れるほどの者など誰がいる』
「だから! 何度も申し上げているではありませんか! スノウビィです! あいつがラトリア隊長を操ったんです!」
このやり取りももう何度目になるか分からない程繰り返したが、シィムの証言が取り入れられることはなかった。
『その魔人がドラゴンの襲撃に関与したという証拠が何もない。魔術式は破壊され解読不可能。拠点と思われる塔は二つとも爆破されている。……せめてドラゴンの死体が残っていればそこから調査もできたが、一体残らず消滅したとなってはそれもできん』
「それこそがスノウビィが関与していたという証拠じゃないですか! 明らかに意図的に証拠を隠滅しています! 本当にヴェノム盗賊団がこの事件の実行犯なんていう話で決着させるつもりですか? ふざけてる! ラトリア隊長はエルダークラスの騎士ですよ? ヴェノム盗賊団なんかに負けるわけない!」
『事件の真相については今後も調査が進められるだろう。その結果、君の言う通りスノウビィなる魔人の関与が明らかになる可能性もゼロではない。――だが仮にそうなってもラトリアの処遇は覆らん。彼女がセドガニアを襲ったのは紛れもない事実だ』
「そんな……そんなこと……だって隊長は、操られて……」
『だとすれば尚更討伐せねばならない。彼女ほどの騎士が敵に操られ人類を襲えばどれほどの被害が出るか見当もつかん。これ以上エルダークラスの騎士が人類を襲うなどあってはならない』
キースの非情な言葉にシィムは何も言い返せず奥歯が砕けそうになるほど歯を噛み砕くことしかできなかった。
『これは評議会の決定だ。私一人の力ではもう覆せん。――なにより、私個人としてもラトリアの討伐命令には賛成だ』
「なっ――! あ、貴方は……貴方はラトリア隊長とは知己の仲でしょう!? 隊長が裁判にかけられた際は庇って、隊長が騎士団に戻れるよう計らって、隊長をエルダーに推薦して……貴方だけは隊長の味方じゃないんですか!?」
その糾弾に対して、キースはしばし言葉を躊躇うような気配があった。
だが彼の意思は変わらなかった。
『私は今でも、彼女の味方のつもりだ』
「では何故!」
『味方をするというのは、エコ贔屓するという意味ではない。『正当な評価を与える』……それこそが彼女に対する最も真摯な接し方だと考えている』
「……っ」
『君もそう思っていたのではないかね?』
その言葉にだけはシィムは何も言い返せなかった。
ラトリアへの正当な評価……それはラトリア以上に、誰よりもシィムが願ってやまなかったものだ。
だが……こんな形でそれを欲しかったわけではない。
シィムはただ、ラトリアこそが最も騎士に相応しい人間だと証明したかっただけだ。
『ゴード部隊が壊滅したことで、君も別の部隊へ転属することになるだろう。――その部隊の者たちとラトリアを討伐することになるかもしれん。覚悟はしておけ』
キースはそう言い残して通信を切った。
覚悟などできるわけがない。シィムは絶望に淀んだ瞳で立ちすくみ、この先に待つラトリアの運命を嘆くことしかできなかった。
「……いや、違う」
シィムはあのときのことを思い出した。
セドガニアを襲撃していたラトリアと再会し、そこで彼女と交わした言葉を。
ラトリアは暴れ狂う自身の肉体に必死に抗おうとしていた。
最後はシィムを庇って灰色の魔人との戦闘を再開した。
そんな彼女に何一つ言葉をかけてやることもできなかった自分をシィムは恥じた。
……もう二度と同じ過ちは繰り返さない。
「――隊長。私が……必ず貴女を救ってみせます」
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