第98話 『後遺症』『爪痕』そして――


 柔らかなベッドの上でパイは目を覚ました。

 まだ朦朧としたままの意識で周囲を見回すと、他にもベッドに横になっている者たちが大勢いた。どこかの医務室のようだ。


「ここは……」

 呟くと、傍らでガタッと激しい音が聞こえてきた。


「パイさん!」

 誰かにぎゅっと手を握られた。

 見ると、パイが横になっているベッドに寄り添う形で一人の女性がパイを見つめていた。


 それはパイと同じ教会に勤務している神官、モニカだった。


「モニカ、さん……」

「パイさん! よかった……本当によかったです! もう会えないかもしれないと、私は……!」

 モニカはパイを強く抱きしめながらぽろぽろと涙を流した。

 状況が飲み込めず狼狽するパイに向けて、モニカは嗚咽交じりに説明した。


「夕方にパイさんが教会を出ていかれて……それからしばらくして町にドラゴンが現れて……」

「ドラゴン……?」

「町中の神官が基地に集められたはずなのに、パイさんが……うぅぅ……パイさんがいなくて、私は……パイさんは、もう……うわああああん!」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をパイの服に押し付けながらモニカはひとしきり泣いていた

 そんな状況でもいまいち記憶が混濁しており、パイはモニカと感情をうまく共有できていなかった。


「――パイお姉ちゃん!」


 だがその声を聞いて、パイの意識は一気に覚醒した。

「ケリー!?」

 見ると部屋の奥からケリーがパイに向かって駆け出してきていた。

 やがてパイのベッドまで辿り着くと、モニカと被さるようにパイに抱き着いた。


「お姉ちゃん、目が覚めたんだね! よかった!」

「ケリー……あなたは、確か……」


 キャラメル・キャメル……いや、ヴェノム盗賊団に拉致されていたはずだ。

 だが見たところ怪我はないようだ。それだけでもパイは涙が出る程嬉しかった。


「ケリー……無事だったんですね」

「うん! ホーク様が助けてくれたの!」

「ホー、ク?」

「ええ。勇者ホーク・ヴァーミリオン様です。ヴェノム盗賊団に捕らえられたケリーを助け出してくださったそうなんです」


 ホーク・ヴァーミリオン。

 路地裏でパンダに襲われていたパイに向けて、一切の容赦なく銃を発射したあの赤い髪のエルフ。

 魔人と繋がっており、それを知ったパイを、孤児院の子供たちを人質にとって口封じしようとした邪悪な女……。


「何故……彼女がケリーを……?」

 ホーク。ヴェノム盗賊団。――そして、パンダ。

 様々なキーワードが出てきたことで、そのときパイの脳裏に次々と先程までの記憶が一斉に蘇ってきた。


「――――」

 心臓を鷲掴みにされたような恐怖を感じ、パイは思わず息を呑んだ。


 そうだ。パイはヴェノム盗賊団に捕らえられ、怪しげな実験の被験者にされ、そして――


「――うっ!」

 強烈な吐き気が込み上げてきて、パイは咄嗟に口元を押さえた。

「パイさん!?」

「お姉ちゃん、大丈夫!?」

「……だ、大丈夫……大丈夫、です……」

 言いながら、パイはブルブルと指先を震わせていた。


 ――そう、パイは魔獣化したのだ。

 魔力の鎧を纏う怪物になって、メインタワーにいた者たちを次々と殺害していった。

 パイの意識はほとんどなかったが、それでもそのときの記憶はうっすらと残っている。

 断末魔をあげる者たちを容赦なく叩き潰していく光景がフラッシュバックし、パイはあまりの恐怖に痩身を震わせた。


「私は、どうして……」

 どうして無事なのか?

 あのとき、確かパイはメインタワーで起こった爆発に巻き込まれて、塔から大河へ落下したはずだ。

 ほとんど意識はなかった。どうやってここまで辿り着いたのだろうか。


 どうして魔獣化が治まっているのか?

 パイは自分の皮膚を確認した。魔獣化した後、パイの皮膚は墨のように真っ黒に変色していたはず。

 だが今ではすっかり元の色に戻っている。


 近くにあった鏡で顔を確認する。艶やかだった黒髪は真っ白く変色してしまっていたが、真っ赤に染まっていた瞳は元に戻っていた。


 ……明らかに魔獣化が治まっている。

 あの実験は魔族の魂を自身の魂に吸収させる実験だったはず。


 一度変質した魂が元に戻ることなどない。

 パイは知る由もないが、同じ実験を施されたラトリア・ゴードは全てが終わった今でも消えることなく後遺症が残り続けている。

 それを考えればパイはあの救いようのない状態から、限りなく人間に近い状態まで回復している。

 これはいったい何故なのか……?


「パイさんはヴェノム盗賊団に攫われたのですよね?」

「は、はい。それで、あの、ヴェノム盗賊団は……」

「安心してください。ホーク様が倒してくださいました」

「あのエルフが……?」


「ヴェノム盗賊団は北に大きな塔を作って、そこで大量のドラゴンを生み出してセドガニアを襲撃したのです。しかしホーク様はその塔に乗り込み、お一人で塔を破壊してくださったのです」

「ホーク様のおかげでこの町の皆は助かったんだよ!」

「ええ、その通りですよケリー。まさにあの方こそ偉大なる勇者様です……塔を破壊し、ドラゴンを消し、攫われたパイさんまでも救い出してくださるなんて……」


 モニカは感極まったように胸の前で手を組み、主に感謝の言葉を紡ぎ始めた。


「……」

 ――違う。

 モニカの言葉を聞いて、パイは小さく呟いた。


 あの塔はドラゴンを生み出すためのものではない。冥府の門を開けてレベルを上昇させるためのものだ。

 ヴェノム盗賊団はむしろあの異常事態に取り乱していたように見える。


 ……誰か。別の誰かがいたのだ。ドラゴンを生み出したのはヴェノム盗賊団ではない。


 ――そして、今のモニカの言葉で何よりも間違っているもの。それは……


「――パンダは? パンダ、さん……は、どうなったんですか?」

 パイを救い出したのはホークではなくパンダだ。


 おぼろげな意識の中、それでもハッキリと覚えている。

 パンダがパイを救うために死に物狂いで戦っていたことを。

 塔から投げ出されたとき、パンダがパイを追って塔から飛び降り、パイの身体を抱きしめてくれたことを。


 パイはどうしても確かめたかった。

 パンダは何故あそこまで必死にパイを助けようとしてくれたのか。

 魔人であるはずの彼女が……それを知ったパイを容赦なく殺そうとした彼女が、どうしてパイの命を救おうとしたのか。


「……ぱんだ、さん? はて、どなたでしょうか」

 モニカは人差し指を頬に当てて首をかしげた。


「だ、誰って……私を助けてくれた……!」

「いえ、ですからパイさんを助けてくださったのはホーク様で……」

「違います! あのエルフは、あの場に居もしなかった! 紫の少女です。ここに来ていないのですか!?」

「いえ……すみません、私は存じ上げません」


 申し訳なさそうに謝罪するモニカに、パイは悔しそうに俯いた。

 ……本当に、パイを救い出したのはホークなのか?

 あの塔での戦いも……パイを抱きしめてくれたあの温もりも……全てパイが見た夢だったとでも言うのか?


「そんな、はず……」

「あ、そうでした! ホーク様からパイさんへ、またお預かりしていたものがあったんでした」


 モニカは修道服の袖をゴソゴソを探し、やがて何かを握り込んでパイに差し出した。

「……っ」

 強烈な既視感にパイの表情が強張る。


 ――魔弾。


 直感的にそう思ってしまった。

 昨日もホークはパイに贈り物をした。パイを殺し損ねた魔弾を見せつけ、余計なことを喋れば孤児院の子供もろとも貴様を殺すと脅迫してきたのだ。


 ……今度はいったい誰を……。

 そう身構えたパイは、しかし……。


「――――え?」


 モニカの掌の上にあるものを見て、思わず言葉を失った。



 ――それは、オレンジ色のバッジだった。



 小石ほどの大きさの、シンプルなデザインのバッジ。

 その中央には『P』の文字が刻印されていた。


「ど、どうして……」

 恐る恐る、パイはそのバッジを手に取って見つめた。


「あのエルフが……のバッジを……」



 このバッジは、パイが冒険者だった頃に所属していた――ロニーパーティのパーティシンボルだ。



「それ、パイさんがいつも大事に身に着けているバッジですよね? きっとホーク様が拾ってくださったんですね」

「…………違う」

「え?」

「これは……私のバッジじゃない」


 パイのバッジにも同じく『P』の文字が彫られているが、これはパイのバッジではない。

 ずっと身に着けてきた大切なバッジだ。傷や汚れも、全て覚えている。パイのバッジはこんなにも真新しいものではない。


 では、いったい誰のものだというのか……?


「……パンダ」

 それしかあり得ない。

 やはり彼女は夢ではなかった。

 ホークではない……このバッジは、パンダからの贈り物なのだ。


「パンダが……ロニー達と、パーティを組んでいた?」

 彼らは一月ほど前に、ハシュール王国の国営ダンジョンで魔人の襲撃に遭い死亡したと聞かされた。

 その頃に、確か……


「――ッ!」

 そのとき、パイは一つの出来事を思い出した。

 フィーネ。彼女が亡くなる少し前に、通信魔石を使って彼女と話したことがあった。


 ――彼らのパーティに加わった一人の少女のことについて。




『――ええ、トリスの他に、もう一人冒険者のお守りをすることになったわ』

「まあ。それは大変ですね。でも冒険者なのですから戦力にはなるのでしょう?」

『……驚かないでよ、そいつレベル1だそうよ。ふざけたチビっ子でね』

「レベル1の子供……? 珍しいですね、フィーネがそんな子供をパーティに入れようとするなんて」


『私は全然乗り気じゃないわよ。でも、ロニーがやけに気に入っちゃってるみたいでね』

「気に入ってる……? まさか、ロニー……」

『ちょっと、チビッ子って言ってるでしょ。ロニーはそんな趣味ないわ。まあ……確かに顔はびっくりするくらい綺麗よ。どっかの貴族のご令嬢って言われても納得できるくらい』


「それはまた不思議な子ですね。貴族のご令嬢ということは、さぞおしとやかな少女なんでしょうね」

『あははっ! ぜんっぜん! 正反対。とんだお転婆で考えなしの悪ガキよ』



 ……そうだ。

 あのとき、フィーネは新しく少女がパーティに加入したことを話してくれた。

 言葉では嫌がっている風だったが、通信越しに聞こえる彼女の声はとても優しく、とても楽しそうだった。



「……悪ガキ……? その子、悪い子なんですか?」

『え? ああ、そういう意味で悪いってことじゃないわ』



 それがパンダだったのだ。

 そのとき、パイは全てを理解した。

 パンダが何故あれほどまでに必死にパイを救おうとしたのかを。



『まあ……いい子だとは思うわよ。悪人じゃないわ、それは私が保証する』



「あぁ……ああぁ……! ロニー……フィーネ……!」

 今は亡き仲間たちのことを思いながら、パイはバッジを胸元に握りしめて嗚咽を漏らした。

 溢れ出る涙をこらえることもできず、パイはただ泣き崩れた。


〝――今度は間に合わせてみせるから〟


 あのとき、塔から落下しながらパンダはそう言った。

 彼女がいったい何に間に合わなかったのか……それを理解して、パイは一層深く嗚咽を漏らした。


 このバッジに込められた想いは、パンダ一人分ではない。

 ロニーパーティ全員の想いが込められている。その想いが……今、こうしてパイの命を繋いでくれたのだ。


 胸が締め付けられるように痛かった。

 強くバッジを抱きしめながら、パイは涙が枯れるまで泣き続けた。






 セドガニアを北上すると巨大な河が大陸を横断しており、その大河を超えて更に北に進んだところに、バラディア本国がある。

 数十メートルにもなる大きな外壁に囲まれた巨大な都市であり、バラディアで最も活気のある首都だ。


 早朝から忙しいのはいつものことだが、今日の本国の喧噪はいつもとは違っていた。


「列に並んでください! 焦らないで、ゆっくり進んでください!」


 本国の南門には長い行列ができており、誰もが疲労と恐怖に満ちた顔で列の消化を待っていた。


「……にしても、信じられないよな。セドガニアが一晩で壊滅しただなんて」

 門で来訪者を監視していた兵士が言った。

 この列に並んでいるのは、セドガニアから避難してきた者たちだ。

 数千体のドラゴンによる襲撃というにわかには信じがたい話も、こうして犠牲者の列を見ていると納得するしかない。


 セドガニアは完全に壊滅し、破壊され尽くしたらしい。

 一晩明けた今でもそこら中で火の手が上がり、刻み込まれた破壊の爪痕は消えることなく残り続けているとのことだ。


 セドガニアからの要請で本国は避難民の受け入れを承諾。

 ただし都市に入る際の検査は厳しく行うようにと通達があった。

 特に魔族かどうかの検査には、特別な装置が配備されることになった。


 この装置は魔のエネルギーを感知することができる。

 しかもその有効範囲は非常に狭く設定されているため、これを門に設置しているだけでいちいち神官に白魔法を使わせずとも魔族の可能性があるものを感知できるという優れものだ。


 消耗品な上に量産は難しいため緊急時にしか使用許可が下りない貴重品だが、今回ばかりは全ての者を検査する必要があるため、計四台もの使用が認められていた。


「おう、調子はどうだ」

 そのとき、装置を監視していた兵士の下へ一人の騎士が声をかけてきた。


「あ、先輩。お疲れ様です!」

 兵士が椅子に座りながら挨拶する。

 兵士と騎士という違いはあるが、この二人は昔からの先輩後輩の関係で、仲も良いことで有名だった。


「装置は反応したか?」

「全然です。四台とも全く反応なしです。まあこんなところを魔族が通るわけないっすけどね」

「本当に動いてるのかこの装置?」


 騎士はそう言って装置をコンコンと軽く小突いた。


 ――そのとき、装置がかすかに赤く発光した。

「え……あ、ちょ、ちょっとあなた――!」

 装置が反応したのを見て取り、兵士は慌てて今通っていった者を呼び止めた。


「え、な、なんですか?」

 装置が反応したのは中年の小太りの女性だった。

「今あなたに装置が反応しました。申し訳ありませんが、神官による検査を受けていただきます」

「な、なんですって!? ちょっとやめてちょうだい! 私は魔族なんかじゃないわ!」


「ええ、分かっています。念のためです。少し白魔法を受けていただければ終わりますので」

「ふざけないで! 私のどこが魔族だっていうの!? 検査なんてするまでもないわ!」

「申し訳ありませんが、拒否は認められません。――おい、この方を検査しろ」

「はい」


 まだぎゃあぎゃあと騒ぎ続ける女性を半ば無理矢理押さえつける形で、神官が女性に白魔法を施した。

「装置が反応した者は神官による検査を受ける。そうだったな?」

 不意に騎士が尋ねてきた。


「え? ええ、そうですね。いくら装置が反応しても、誤作動ってこともありますし、やっぱり神官に検査してもらうのが確実ですからね。そこで初めて魔族確定ですね。それがどうかしたんですか?」

「いや、確認しただけだ。じゃあ俺は一度都市に戻る。引き続き頑張ってくれ」

「はっ! お疲れ様です!」


 兵士が敬礼したのと同時に神官による検査も終了した。

「問題ありません。この女性は魔族ではありませんでした」

「……ほう」

「だから言ったじゃない! もういいでしょ!?」


 女性は怒りながら兵士を振りほどき、そのまま都市の中に消えていった。

「あちゃー……本当に誤作動だったのか?」

 よく見ると装置の発光も収まっていた。


「おう、調子はどうだ?」

 そのとき、背後から声がかけられた。

「え、あれ、先輩?」

 それはついさっき都市に入ったはずの騎士だった。


「あれ、先輩いま都市に入りませんでしたっけ?」

「は? 何言ってんだ。俺はずっとこの列を監視してただろうが」

「……えー? だってさっき……」


 訳が分からず困惑する兵士だったが、そのとき装置が再び赤く発光したことでそれどころではなくなった。


「あ、ちょっとあなた! 止まってください!」

「あら、私?」


 立ち止まったのは一人の少女だった。

 紫のショートツインテールに紫のゴシックドレスという奇抜な恰好をしている。背には何やら大きな包みを背負っている。


「魔族感知用の装置が反応しました。申し訳ありませんが神官による検査を――」

「ま――――ま、待て待て待て! よせ! よせ馬鹿野郎!」


 兵士を押しのけて騎士が一歩前に出ると、騎士の一礼を取って頭を下げた。


「も、申し訳ございません、ホーク・ヴァーミリオン様!」

 騎士の謝罪を受け、傍らに立っていたホークが不愉快そうに鼻をならした。


「ほ、ホーク!? あのホーク・ヴァーミリオン様!?」

「そうだ、セドガニアを救った勇者様だ」


 兵士だけでなく周囲の避難民たちも驚愕と羨望の眼差しをホークに向けた。

 彼らにしてみればホークは命の恩人。救国の英雄そのものだ。


「謝る相手を間違えているんじゃないか?」

 ホークがあごをしゃくると、二人は慌てたように視線を移した。

「た、大変申し訳ございませんでした。貴女は……パンダ様、ですね?」

「ええ。大丈夫よ、気にしないでちょうだい」

「この度はバラディアをお救いいただき感謝の言葉もございません。さあ、どうぞお通りください」

「せ、先輩……!」


 兵士が不安そうな顔で騎士に耳打ちする。

「でも、装置が反応しましたよ? 検査をしないと……」

「馬鹿野郎! 勇者様を相手に魔族検査などできるか! 失礼にもほどがある!」

「し、しかし……装置が反応した者は例外なく神官の検査を受けさせろと指令が……」

「――ああ、きっとこれのせいじゃないかしら」


 パンダはそう言うと、背に背負っていた包みを解いて中身を晒した。

「……ッ!?」

 その場にいる誰もが思わず一歩後ずさった。

 パンダが取り出したものは、禍々しい紫の輝きを放つ大鎌――デスサイズだった。


「ヴェノム盗賊団のアジトから頂戴しちゃったのよ。これは元は魔人の武器だから、きっとこれの魔のエネルギーが反応しちゃったのね」

「なるほど、そういうことでしたか」


 その場にいる誰もが納得したように頷き、続いてパンダの持つデスサイズをしげしげと眺めた。

「じゃあそういうことで。通らせてもらうわね」

「ええ、もちろんです。歓迎いたします、勇者一行様」


 その場にいる兵士たちが同時に敬礼し、都市に入っていく二人を見送った。

「……あれがデスサイズか……」

「本当にあの子が所有者なんだな」


 ツインバベルからセドガニアに帰還した二人は、事の顛末を語った際にデスサイズのことも報告していた。

 元はバラディア騎士団が毒沼の魔女から奪取したものだが、それがこんな形で戻ってくるとは思っていなかったようで、皆一様に驚いていた。


 本来であればそのままバラディア軍へ返還を要求するところだが……二人は軍属ではなく冒険者だ。冒険者が盗賊のアジトで入手した宝を没収するには相応の理由が必要だ。

 セドガニアを救った勇者ホークのパーティメンバーということで、今回は特例としてデスサイズをパンダの所有物として認める決定を下した。


 全身紫の少女が紫の大鎌を携える姿はひときわ目立ち、この日よりパンダには通り名が定着した。


 ――『パープルパンダ』。

 勇者ホークのパーティメンバーとして、彼女の名は一気に世に轟くこととなった。






「いい拾い物をしたな」

「ええ。これがあれば今後もあれくらいの検査なら誤魔化せそうね」

 都市に入った二人は、予想以上にすんなりと事が運んだことに満足げだった。

 セドガニアの一件でバラディア本国の検査は厳しくなっているだろうと予想していたが、デスサイズがあれば今後もなんとかなるだろう。


 そうでなくとも、デスサイズは武器としては十分に一級品の性能を持っている。

 今までは店売りのショボイ直剣でなんとか頑張ってきていたが、これでパンダもようやくまともな武器で戦えるようになったのは喜ばしいことだった。


「姐御ー!」

 遠くからパンダを呼ぶ声が聞こえてきた。

 一般市民に変装したキャラメル・キャメルだった。


「どうでしたかあたしの潜入! 役に立ったっすよね?」

「まあそうね。どの程度の検査をしてるのか事前に知れるのは便利ね」

「そうっすよね! いやあ~あの装置があたしに反応したときは、さすがのあたしもちょっとヒヤッとしたんすよ? でもそこは愛する姐御のため、あたしは恐怖を押し殺して……」

「おい貴様」


 キャメルの言葉を遮ってホークがドスの利いた声を投げた。

「は、はひっ……!」

「ハッキリ言っておく。私は人間が大嫌いだ。だがその中でも、貴様のようなクズはとびきり反吐が出る程嫌いだ。パンダの命令に絶対服従という前提があるからこそ生かしておいてやるが、貴様を仲間とは認めん。私の機嫌を損ねればいつでも貴様を殺す準備はできていることを忘れるな」


「も、もち、もちろんっすよホークの旦那……あ、あはは、怖いなあ~。心配しなくてもあたしはパンダの姐御に一生ついていくっす。ね、姐御!」

「私も一応言っておくけど、私部下には厳しい上司で通ってたから。その辺は覚悟しといてね」

「……も、もちろん……っす」


 キャメルはダラダラと滝のような冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべた。


「で――では早速、このキャラメル・キャメル、お二人のために情報収集に奔走してくるっす! いや~腕が鳴るっす! お二人のお役に立てると思うと嬉しくて嬉しくて」

「早く行きなさい」

「は、はいぃ~!」


 びゅーん、と走り去っていくキャメルを、二人はやれやれと見送った。

「生かしておく価値があるのか、あれ」

「ああ見えてあの子のスキルはかなり有用よ。変装、トラップ、薬の調合。他にもいくつか盗賊スキルを持ってるみたいだし、盟約でしっかり首輪をつけれるならなかなか得難い戦力よ」

「ふん。しばらくは様子見か。使い物にならないと分かれば容赦なく殺すからな」

「ええ。判断はあなたに任せるわ」


 パンダは個人的にはキャメルのことを滑稽で面白い奴だと思っているが、ホークにとってキャメルとは、ホークの嫌いな要素を全て凝縮して一晩煮込んだような人間だ。

 パーティメンバーとして共に行動するだけで相当なストレスだろう。


「ところで、本当によかったのか?」

 不意に、ぶっきらぼうにホークが言った。何のことか分からず首をかしげるパンダ。


「何のこと?」

「……あのバッジ。大切なものだったんじゃないのか?」


 ぴたりとパンダの動きが止まる。

 あれはロニーパーティの証として、ロニーの死に際に貰ったものだ。


「……いいのよ。あれはただのバッジよ」


 そのバッジを、パイが身に着けていたのだ。


 あのとき。路地裏でパイに魔人であることがバレ、殺すしかないと馬乗りになって剣を振り下ろしたとき。


 咄嗟に顔を背けたパイの襟もとに、オレンジ色のバッジがつけられているのが見えたのだ。


 それを見てしまった以上、パンダにはもうパイを殺すことはできなくなってしまった。

 パイがヴェノム盗賊団に攫われたと知ったときも、見捨てようなどと考えもしなかった。


 ただあのバッジをつけていた。

 それだけで、パンダは無条件でパイを救おうと思った。

 かつてロニー達がパンダを助けるために魔獣に戦いを挑んだように、パンダも見返りを求めずパイのために戦った。


 彼女を生かせばパンダが魔人であることが世に知れ渡るかもしれない……そんな状況になってもパンダは迷わなかった。

 ロニー達はパンダが魔人だと気づいてもパンダのために戦ってくれた。

 ならばパンダが魔人だとパイが知っていたとしても、パイを助けるのは当然だと思った。


「あれはあの子に持っていて欲しいの。パイを救ったのは私じゃない。私を助けようとしてくれたロニー達の意思があの子を救ったんだって……パイには知っておいて欲しいの」

「……お前がそれでいいなら好きにしろ」


 ホークはそっけなく言い捨てるとパンダを置いて歩き出した。

「……ええ。だってロニー達との思い出は、今も消えずに残ってるんだもの」


 バッジはその繋がりを視覚化するためのものだ。

 だがそれはパンダ達の関係性の本質ではない。

 バッジを失っても、そのバッジに込められた意味までは失われることはない。


 ロニー達もまた同じだ。

 彼らは死に、肉体は消えたが、彼らが残した意思が消えることはないのだから。


「だからこれでいいのよ。たとえ形がなくなったとしても――」

 パンダは吹っ切れたように朗らかに笑った。


「――それでも」






第三章   消えないものもあるのよきっと   完

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