第94話 ツインバベル攻略戦-2
メインタワーにパイの咆哮が響き渡る。
パンダ目がけて飛び掛かったパイが右腕を振り下ろすと、連動して動いた魔力の鎧が床に叩きつけられた。
それだけで塔が振動するほどの破壊力。だがその速度はパンダに見切れない程ではない。
「――ハッ!」
回避から流れるように反撃。デスサイズの刃が魔力の鎧に命中する。
この魔力の鎧の実態は、パイが吸収しきれなかった冥府の魂だ。
ならば魂を刈り取る性質を秘めたデスサイズは極めて相性がいい。
パンダを叩き潰すために伸びた部分がごっそりと削り取られる。
ヴェノム盗賊団が繰り出したあらゆる攻撃を弾き返し、分厚い壁を容易く貫く硬質な魔力の鎧が、デスサイズの前には嘘のように柔らかかった。
しかも、デスサイズは魔力の鎧を削いだだけでは終わらなかった。
削り取った魔力の鎧をデスサイズが内部に取り込んだ。
デスサイズのような高ランクの魔導具は、術者の魂を取り込んで性能を上昇させることができる。今回はその魂を魔力の鎧で代用した。
デスサイズの刃から激しい紫電が迸る。
その紫電はパンダをも包み、次の瞬間、パンダは稲妻のように突進した。
パイにはほとんど残像しか見えない速度。前方にいたはずのパンダが次の瞬間にはパイの背後に回っていた。
魔力の鎧が弾け飛ぶ。今の突進の間にパンダは繰り出した斬撃は五つ。その内のどれ一つとして、パイにはまともに視認できたものはなかった。
明らかにレベル15のパンダには不可能な速度の疾走。
デスサイズが吸収した魔力の大部分を消費することでパンダはそれを可能とした。
吸収した魔力を燃料とし一時的に俊敏性を爆発的にブーストさせたのだ。
「……うわ、ほんとに一瞬で再生するのね」
しかしパンダもまた驚愕することとなった。
五つの斬撃で一気に削り取ったはずの魔力の鎧が、次の瞬間には元通りになっていた。
冥府から送り込まれる無尽蔵の魂がある限り、魔力の鎧は何度でも再生する。それは聞いていたが、ここまで一瞬で再生されるとは思っていなかった。
「グウウウウウガアアアアアア!!!」
パイが雄たけびを上げてパンダに襲い掛かる。
先程までパイが蹂躙してきた、塔にいた者たち。あんな連中とパンダはまるで格が違うと理解できたのか、パイの獰猛さがここにきて更に一段階上がた。
――だがそれも、今のパンダには脅威ではない。
「――フッ!」
再びパンダが疾走する。
先程の突進で魔力の鎧を大きく削り取っていたため、使い切ったデスサイズの魔力も十分に充填済みだった。
一筋の雷光となったパンダは再度パイの魔力の鎧を削り取る。
パンダを叩き潰そうと振り下ろされた部分ごと、半分以上も魔力の鎧を消し飛ばす。
それもすぐに再生したが、そのときには既にパンダは次撃を放っていた。
攻撃の度にデスサイズが削り取った魔力をフルに使い切り疾走。それにより攻撃が命中すると再びデスサイズに魔力が充填される、というループを作り出す。
魔導具が吸収する魂は術者が溜め込んだ『余剰分』の魂だ。
既にレベルアップし、変質してしまった魂は吸収できない。魂の不可逆性はレベルシステムの根幹だ。
故に魔導具は、術者が次のレベルアップまでに溜め込んだ魂だけを消費して発動する。
その性質上、本来であればこの爆発的な突進も連続使用はできない。
だが今回だけは別だ。
パイが纏っているのが冥府の『魂』であり、デスサイズが斬撃によって『魂を刈り取る』という性質を持っている今回のケースだけは、パンダは無制限にこの力を奮うことができる。
「うああああああッ!」
それはまさに斬撃の暴風だった。
パンダは突進から突進を繰り返し、その度に幾重にも斬撃を繰り出した。
パイを中心に紫電の軌跡が何重にも折り重なる。そのあまりの速度にパイは全くついてこれていなかった。
止むことのない斬撃に晒され、パイが無我夢中で暴れ狂う。
だが無駄だ。パイはパンダの速度に全く対応できていない。しかも再生する端から魔力の鎧はデスサイズに削り取られていく。
パイがぶんぶんと両腕を振り回しても、それに連動して動く魔力の鎧が常に破損している状態だった。
『す――すっげええ! パンダの姉御! メチャクチャ強いじゃないっすかあ!』
拡声用の魔石からキャメルの興奮声が聞こえてきた。
管制室から戦いを見守っていたキャメルが嬉しそうにパンダに手を振っている。
パンダが死ねば盟約の呪いによってキャメルも死ぬのだ。
彼女にとってもパンダの戦いの行方は気が気ではないだろう。
本当にパンダ一人でパイと渡り合えるのかと不安だったキャメルだが、蓋を開けてみればパンダはパイを完全に圧倒していた。
『さっすがあたしのご主人様っす! 最高っす! もう一生ついていくっすよ!』
『あれは彼女の力ではない。デスサイズの能力だ』
『あ? うっせーっすよ所長。黙ってろバーカ!』
『ふ、馬鹿は君の方だ。あんな戦い方で、あの少女の身体がもつと思っているのかね?』
『……は?』
ハンスの予想は正しかった。
「……はっ……はあ……!」
パンダの猛攻が止まる。動きを止めたパンダは額から大量の汗を流し、肩で激しく呼吸を繰り返していた。
「……キッツ……」
流れる汗を拭う。その僅かな時間だけで、あれだけ削り取った魔力の鎧は完全に再生していた。
「グアアアアアアアアアア!」
どれだけ魔力の鎧を破壊されようとも、パイ自身には全くダメージはない。
何事もなかったかのようにパンダへの攻撃を再開するパイ。
大きく横に飛んで回避。だがパイは先程までの防戦を取り戻すかのように苛烈な攻撃に転じた。
パンダが巧みにデスサイズを振り回す。
デスサイズの刃は迫る魔力の鎧をことごとく斬り飛ばしたが、その衝撃を完全には殺しきれていなかった。
大威力の連打をデスサイズで受ける度に、パンダの両腕にどんどんと負荷が溜まっていく。
こんな迎撃方法がいつまでも続くはずがない。
「――ハアッ!」
デスサイズの力を解放し、再びパンダが疾走する。
稲妻のような突進はパイには捕えられない。が、同時にパンダにとっても濫用できる能力ではなかった。
「くっ……!」
二度の突進の後、パンダの動きが止まる。
呼吸を整えている内に魔力の鎧は完全に再生していた。
『どうしたんすか姉御!? 何で攻撃やめちゃうんすか!』
『あんな小さな体であれほどの瞬発力を連続で使えば、身体に甚大な負荷がかかって当然だ』
『え、そうなんすか姉御!?』
「うるさいわねえ……」
珍しく悪態を吐くパンダ。それだけパンダもいつになく疲労している証拠だった。
ハンスの予想通り、パンダの肉体はデスサイズのもたらす機動力にまったくついていけていなかった。
他の者がこの条件で同じことをすれば、まったく制御できずにそのまま壁に激突するだけだろう。
ましてその最中に正確に魔力の鎧を切り刻むなど論外だ。パンダだからこそこれほどの無茶が実現できている。
だがパンダを以てしてもこの芸当は負担があり過ぎた。
一分にも満たない攻防で、もうパンダの身体が悲鳴をあげ始めている。
「準備したんだけどね……まさかこんなにキツイなんて……」
こうなると予想していたパンダは、この部屋に来る前に事前にステータスビルドを行っていた。
パンダはレベル5の時点で、リビアの国営ダンジョンに現れた魔獣、ギルニグを倒すために一度スキルの習得とパラメータ上昇を行った。
それ以降12レベルになるまで溜め込んでいたスキルポイントを全て費やし、肉体の強化を行った。
それなりに強靭な肉体を手に入れはしたが、それでもデスサイズの負荷に耐えるにはまるで力不足だった。
「……ッ!」
再び始まるパイの猛攻を、今度はデスサイズの力を解放させないまま凌ぐ。
だがその方法でもパンダの身体は軋みを上げ、結局それから離脱するためにデスサイズの力を解放するしかないという悪循環に陥っていた。
『姉御! なんでパイ本人を攻撃しないんすか! それじゃいつまで経っても倒せないっすよ!』
「黙れ」
盟約に命じて黙らせた。いい加減うるさすぎる。
キャメルの言う通り、パイ本人を攻撃すればあっさりと彼女を倒すことはできるだろう。
だがそれでは意味がない。パイを殺しては、何のためにここまで来たのか分からなくなってしまう。
パイの魂に付着している魔族の魂を切除する……その試みも、一度しか試せない。
その作業には極めて繊細な処置が必要だ。
大剣で果実の皮を剥くようなものだ。その際には皮だけを正確に剥く必要がある。もし実に傷をつければ、それはすなわちパイの魂を破壊することになる。
ましてパンダの獲物はデスサイズ。魂を物理的に破壊できるこの鎌でパイの魂に傷をつければ、どれほどのダメージがパイにフィードバックするか分かったものではない。
だいたい、仮にそれが成功しても一時的なものに過ぎない。
一時的に魔力の鎧が消滅するという意味では全くの無駄というわけではないが、冥府の門から魂の供給が行われ続けている以上、再びパイの魔獣化が起こってしまう。
ローリスクに見合わないハイリスクを背負うことになる。パイの命をそんな危険な賭けにベットできない。
『――パンダさん。私は研究員です。キャメルさんが喋れないようなので私が』
「なに?」
『足元の魔法陣は、可能な限り破壊しないでください。サブタワーが停止した後、こちらで冥府の門を閉じる際にその魔法陣がないとまずいです』
「簡単に言ってくれるじゃない」
パイの攻撃をなんとかやり過ごしながら、パンダが恨めしそうに研究員を笑い飛ばす。
この状況で魔法陣の防衛まで行うなど無茶が過ぎる。だが必要だと言われればやらないわけにもいかない。
『場所を移せませんか?』
「開けた場所はある? 狭い通路は駄目。デスサイズの機動力を活かせない」
『……この塔は基本的に狭い通路と個室ばかりです。……そうだ、食堂が一階にあります』
「……駄目。遠すぎる。この子から目を離せない」
戦闘を考慮してのことではない。問題は別のところにある。
パイの魂はまだ魔族のものと融合してはいないが、それも時間の問題なのだ。時間は過ぎれば過ぎる程まずい。一秒でも早く魔族の魂を切除する必要がある。
今は冥府の門が開いているため処置できないが、理想を言えば門が閉じた瞬間に切除したい。
ホークがいつサブタワーを停止するか不明な以上、常にそれに備えている必要がある。一階まで降りて食堂に向かうまでの間、パイから距離を離したタイミングで冥府の門が閉じたら目も当てられない。
そんな危険を冒すならこの場である程度戦いをコントロールできている方がいい。
『ですが、このまま戦えば魔法陣が……!』
「分かったわよ。攻撃させなきゃいいんでしょ?」
半ば自棄になったパンダは、スタミナ切れ覚悟の突進を繰り出した。
振るわれた魔力の鎧を掻い潜り、身体をコマのように回転させての連続斬り。魔力の鎧の大部分を削り取ると、再びデスサイズの力を解放。
デスサイズの連続使用により襲い掛かる負荷に、パンダは歯を食いしばって耐えた。
五月雨式に攻撃を浴びせ続ければ、その間はパイの魔力の鎧は機能しなくなる。
結果的にパイがどれだけ暴れようとも魔法陣に被害が及ぶことはなくなる、という乱暴な理屈だ。
問題はやはりパンダの持久力。
爆発的なデスサイズの力の代償は高く、ものの数十秒でパンダはガス欠になってしまった。
「は――はぁッ……ぜぇ……!」
息も絶え絶えに呼吸を繰り返すパンダ。彼女の人生を振り返っても、ここまで体力的に追い詰められた経験など一度もなかった。
バクバクと早打つ心臓を何とか抑え込み、パンダは再度突進。
「――ッ!」
だがついにパンダの集中力が途切れ、手元が狂う。
削り取るはずだった魔力の鎧を外してしまう。立て直そうとするがもつれた足が上手く動かず、パイの目の前で倒れ込んでしまった。
「やばっ……!」
パイが右腕を振り上げるのが見えて、咄嗟にデスサイズを頭上に構えて防御する。
魔力の鎧が振り下ろされ、もうほとんど握力のなくなった両手にパンダが限界まで力を込める。
……だが、予想していた衝撃は来なかった。
「……?」
デスサイズに触れる直前で、魔力の鎧がぴたりと停止していた。
いや、正確にはその本体であるパイの身体が停止していたのだ。
「……ぱ……んだ、さん……」
パンダが目を見開いた。
声はパイの口から。パイは赤く濁った瞳で、それでもパンダのことを見つめ、それが誰かを認識できているようだった。
「……ころ、し……」
パイは震える身体を抑えながら、必死に声を発した。
その精神を魔族の魂に汚染されながらも、なお自我を保ち続けていられるのは彼女の精神力の賜物だ。
彼女は耐え難い苦痛の中でも、必死に破壊衝動に抗おうとしていた。
「ころし、て……!」
――パイは今まで、僅かに残った意識の片隅で、自らが繰り広げる殺戮を眺めていた。
悲鳴をあげながら逃げ惑う人々を、パイがその手で殺害してきた。
どうしても身体を制御することができず、自分の身体が誰かの命を摘み取り続ける恐怖にパイは震えていた。
だが、このパンダだけは違う。
パンダはその気になればパイを殺せる。意図的にパイ本体への攻撃を避け、魔力の鎧だけを攻撃しているためにこれほどの苦戦を強いられているだけだ。
この悪夢を終わらせられるのはパンダしかいない。
その理解が、消えかかったパイの理性を奮い立たせた。最後の力を振り絞り、殺戮を求める肉体を押さえつけてパンダに懇願した。
「殺して――!」
「イヤよ」
そんなパイの願いをあっさりと切り捨てるパンダ。
頭上の魔力の鎧を斬り飛ばし、距離を取って戦闘態勢を整える。
それはこの戦闘をまだ続けるという意思表示だった。
「ど……して……」
「だってイヤだもん」
それが答えだと言わんばかりにあっけらかんとした表情。
「――ウ――グ、アアアアアアアアアアッ!!」
もはや死ぬことすらできないと悟ったパイの心が、ついに魔族に屈する。
ただ破壊衝動のままにパンダに飛び掛かった。
「――大丈夫よ、パイ」
そんなパイに、パンダは優しく声をかけた。
「私がきっと助けてあげるから」
そう言ってパンダはデスサイズを解放した。
迅雷の如く駆け抜けたその疾走は今までで最も速く鋭い一撃だった。
その一撃はまるでパンダの揺るぎない意思が宿ったかのように強靭。魔力の鎧の大部分を消し飛ばした。
「……頼むわよ、ホーク。あなた待ちよ。なるべく早くしてくれると嬉しいんだけど」
流れ出る汗を拭い、パンダはサブタワーで戦っているであろうホークの勝利を待ち続けた。
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