第93話 セドガニア防衛戦-2
ドラゴンに満ちたセドガニア上空を見上げながら、奮戦を続けるバラディア軍兵士たちは頭上で巻き起こる激闘に言葉を失っていた。
数千のドラゴンが密集してとぐろを巻き、さながら竜巻のようになっている。
その中心ではラトリアとベアが空中戦を繰り広げていた。
そしてそこから少し離れた上空で、マリーがドラゴン達からの猛攻撃をなんとか凌いでいた。
マリーの周囲をくまなく覆う血の鎧。赤い球体が上空を飛び回り、それを無数のドラゴン達が追いかけるという馬鹿げた光景が広がっていた。
「この……!」
マリーの役目は、ベアがラトリアを撃退するまでの間ひたすら逃げ続けること。
何千というドラゴンとまともにやり合うのは愚の骨頂だ。
血の盾を球状に常に三重以上展開し、攻撃は捨ててとにかく逃げ続ける。
「くっ……」
それは言葉以上に多大な労力を要した。
どこへ逃げてもドラゴンからの攻撃を回避し続けることはできず、常に血の盾に誰かしらの攻撃が加えられる。
その度に血の盾ごとマリーの身体があちこちへ叩き飛ばされ、盾が徐々に破壊されていく。
マリーの身体に直接のダメージはなくとも、血の盾は無事ではすまない。
破壊される度に新たに補充を繰り返す。ドラゴンの攻撃力は血の盾の防御力を上回っており、その度に消費される血の量は予定よりも大幅に多い。
ラトリアの参戦によって、ドラゴンの大半を担っていたベアの戦力がそちらに全て持っていかれた。そのためマリーの負担が増大しすぎていた。
「ベアさん! もうあんまり保たないよ!」
その声にベアは応えない。そんな余裕はなかった。
ベアは四方八方から襲い掛かるドラゴン達を生身でいなし続けながら、彼らを踏みつけ蹴り上げ、空高く上昇していた。
ドラゴンの背に乗り空を駆けるラトリアにどこまでも追いすがり、なんとか近接戦に持ち込もうと試みる。
だが縦横無尽に空を移動するドラゴンを、飛行能力をもたないベアが追い詰めるのは至難の業だった。
加えて、ラトリアには強力な遠距離攻撃がある。
「――ッ」
ベア目がけて、五○メートル大の巨大な剣が発射される。
ベアであっても回避するしかない大威力の一撃に阻まれ、ベアの進撃が止まる。
せっかく詰めたラトリアとの距離も、その僅かな隙に再び開いてしまう。
「――ッ」
だがその直後、次はラトリアが回避を迫られる。
ベアが手当たり次第に殴り飛ばしてきたドラゴンが砲弾となって迫る。ドラゴンを操り巧みに回避するが、避けきれないものはラトリア自ら大太刀で防ぐしかない。
その一瞬の隙に再びベアが距離を詰め、そこにラトリアのグラントゥイグが放たれる。
戦闘はその繰り返しだった。拮抗しているといえば聞こえはいいが、実際には防戦に回ったラトリアを切り崩す手段がベアにはないということだ。
「……」
ベア一人ならばこのまま何時間でも粘る自信はある。だがマリーの方はそうはいかない。
血の残量が有限である以上、こんな持久戦を強いられてはやがて限界が来る。
ラトリアはスノウビィによって、マリーを殺すよう命令されている。が、ラトリアが直接手を下す必要はない。
ここでベアの相手を引き受けていれば、いずれドラゴン達がマリーを殺す。
「……」
ベアは死など何ら恐ろしくない。フルーレのためならばいつだって死ねる。
優先されるべきは、どうすれば最もフルーレの……パンダの役に立つかということだ。
マリーの存在はパンダにとって必ず有益だ。
低レベルになったパンダが魔王討伐を目指すのならば、相応の時間が必要だ。
だが魔族に弓引くパンダの命を狙う者がいる。その注意を、より魔族の脅威であるマリーに向けさせることができれば、パンダから魔族の意識を逸らせる。
パンダのためを思うならば、ベアの命よりもマリーの命の方が価値がある。
ベアには命を賭してマリーを守護する使命があるのだ。
「……」
幾度目かの攻防。互いに命中し損ねたグラントゥイグとドラゴンの砲弾は、セドガニアのあちこちに無秩序に降り注ぐ。
ドラゴンの襲来で既に崩壊していたセドガニアが、ラトリアとベアの戦闘が始まってからは大半が瓦礫に呑まれた廃墟と化していた。
そんな戦場に数千のドラゴンと数千のバラディア軍兵士が入り乱れて大乱闘を起こす様はまさに混沌としか表現しようがない。
現状、ドラゴンの半数以上をバラディア軍が引き受けている形になっている。だからこそベアもマリーもここまでの善戦が出来ているが、それも長くは持たない。
時間と共にバラディア軍は減り続け、ドラゴンは増え続ける。このまま消耗戦を強いられれば圧倒的に不利。
戦力が残っている今しかチャンスはない。ここからは時間が経つごとに形勢は不利になっていく。
最優先事項はやはりラトリア・ゴードの撃破だ。あの騎士さえ倒せれば戦況は打開できる。
だが空中に陣取るラトリアに詰め寄る手段がどうしてもない。それさえあれば、ベアは死なばもろとも特攻を仕掛ける覚悟はあるが……。
「――飛べ、ブラッディ・リーチ!」
そのとき、地上から声が聞こえてきた。
マリーとベアが声のした方を見ると、部隊の指揮官らしき男がマリーに向けて叫んでいた。
「灰色の魔人を抱えてあの騎士のところまで飛ぶんだ! 周囲のドラゴンは我々が全力で撃墜する!」
その言葉を皮切りにバラディア軍の動きが変わった。
マリーを襲うドラゴン達を狙っていた攻撃が止まり、指揮官の合図に備えて一斉掃射の構えを取った。
「ベアさん……!」
マリーがベアを見遣る。だがベアは鋭い目つきで沈黙していた。
飛行能力を持たないベアの代わりに、マリーがラトリア目がけて突進する。
作戦自体は単純だが、効果は大きい。マリーの飛行能力はドラゴンにも劣っていない。二人の力が合わされば一気にラトリアに接近することも可能だろう。
だがマリーに抱えられた状態ではベアは満足に攻撃も行えない。飛行中に襲い掛かってくるドラゴンの対処ができないのだ。
つまりその間は、地上部隊の掩護がドラゴン達を撃墜してくれることをアテにしなければならない。
彼らの乏しい攻撃力に命運を委ねるのはあまりに危険だ。
何より、現状は彼らが勝手にドラゴンと戦っているだけで、二人と共闘しているわけではない。
……が、この作戦は紛れもなく、魔族と人間との共闘だ。
人間ごときの力を頼るのは魔王に仕える者としての誇りが傷つけられるが……。
「……マリーさん、お願いいたします」
断腸の思いでベアは決行した。
ラトリアへの追撃を中止し、マリーの傍まで跳躍する。そのついでにマリーを襲っていたドラゴン達を軽く数十体ほど殴り飛ばす。
血の盾に飛び込むベア。ドラゴン達の攻撃を悉く防いだ血の盾が、そのときは抵抗なくベアを受け入れる。
マリーはベアの腰に両手を回し、その体をしっかりと抱きかかえる。
周囲からドラゴンが迫ってくるのを感じながら、マリーは一層強く飛翔した。
赤い球体が空を突き抜ける。その直線上には、ドラゴンにまたがるラトリアの姿。
「撃てえええええええ!!!」
指揮官の号令で、一斉に黒魔法が放たれた。
雨が逆さに降るような密度で色とりどりの魔法が空を切り裂き、マリーを狙って襲い掛かったドラゴン達に次々と着弾する。
竜巻のように密集していたドラゴン達がボロボロと地上に落下していく。その中を突き進む赤い球体。その速度は、距離を取ろうと後退するラトリアを大きく上回っている。
「マリーさん、血を」
ベアがマリーに首筋を晒す。失った血を補給できる絶好の機会だ、逃す手はない。
「うん!」
マリーが嬉しそうにその首筋に牙を突き立て、ベアの血を吸い上げる。
相も変わらず脳が痺れるような美味さにマリーが甘い吐息を漏らす。同時に全身に力がみなぎる感覚を覚える。
「私が合図したら手を離してください」
「うん。私が血で足場を作る。それを踏んで」
迫りくる血の球体に目がけてグラントゥイグが放たれる。
「今です」
「ベアさん――いっけえ!」
マリーが作り出した血の塊を蹴ってベアが跳躍する。
だがそれが直線的な軌道であるならば、自在に空を移動できるドラゴンを捕えるのは難しい。ラトリアはそう判断し、ドラゴンの軌道を変更する。
だがそんなことをベアが許すはずがない。
ベアはラトリアではなくグラントゥイグ目がけて跳躍していた。
宙を突き進むグラントゥイグに接触したベアは、そのまま剣身の上を疾走する。
マリーも含め、それを見ていた者たちは皆その常軌を逸した行動に度肝を抜かれた。
だがそれでは終わらなかった。
五○メートルあるグラントゥイグを踏破したベアは、そのままグラントゥイグの柄を両手で握り込んだ。
地面に激突寸前だったグラントゥイグがぴたりと停止する。射出時のエネルギーを全てベアの怪力が握り潰した証拠だった。
「ハアアアアアッ!!」
ベアの咆哮。空中でぐるりと身体を回転させる。
するとグラントゥイグが大きく弧を描いて反転――ラトリア目がけて振り下ろされた。
「――ッ!」
今まで無表情だったラトリアも、その時ばかりは驚愕に目を見開いた。
グラントゥイグのサイズは五○メートル。つまりベアの半径五○メートル以内は、どこに飛ぼうとあの剣の射程範囲内だ。
ラトリアを乗せたドラゴンは軌道を変えていたが、そんなものは関係ない。
ラトリアが跳躍。騎乗していたドラゴンの背を蹴り上げ上空に離脱する。
その直後、振り下ろされたグラントゥイグがドラゴンの胴体を真っ二つに両断した。
だがまだ終わらない。ベアは更に身体をコマのように回転させ、宙に放り出されたラトリア目がけてグラントゥイグを振り抜いた。
その軌道上にある数十体のドラゴンをもろとも斬り飛ばしながら、ベアが必殺の一撃を見舞う。
だが次の瞬間、ベアが手にしていたグラントゥイグが幻のように掻き消えた。
この剣はラトリアの意思で作り出したもの。たとえベアが握っていようとも消すことができる。
咄嗟のことで初撃は許してしまったが、二発目を許すはずがない。
「――」
だがそれで問題ない。ドラゴンに騎乗し空を支配していたラトリアが、この瞬間だけは空中で身動きが取れなくなっている。
またベアがグラントゥイグを振り回したことで周囲のドラゴンも一時的に一掃されている。ラトリアには足場になるドラゴンもいない。
今ならばラトリアに接近できる。
「――!?」
だがそんなベアの予想は裏切られることとなった。
ラトリアは足元に小型のグラントゥイグを出現させ、それを足場にして跳躍した。
「っ……!」
そんな応用の仕方があると思い至らなかったベアが歯噛みする。
なんなら、ラトリアはその気になればグラントゥイグに乗ったまま剣を射出し移動することだってできたのだ。
すぐに追いかけようとするが、今はベア自身も空中に放り出されている状態。
周囲のドラゴンを一掃したせいでちょうど足場になるようなドラゴンもいない。
その隙にラトリアは近くにいたドラゴンに飛び乗った。
これではまた振り出し……いや、同じ手が通じない以上、状況は更に悪化した。
だがその時。
「――まだだよ!」
マリーの声が響くと同時に、突如出現した赤い線が、ラトリアの騎乗したドラゴンの首筋に突き刺さった。
ラトリアとベアが共に驚愕の表情を浮かべる。
それはマリーが繰り出した、針状の血の塊だった。
血の針は直径五センチほどの太さで数十メートルの長さがあり、ドラゴンの首を貫通しその向こうにある壁まで突き刺さっていた。
首筋に突き刺さった血の針のせいで身動きが取れなくなったドラゴン。それに騎乗しているラトリアもその場に釘付けにされた。
しかもそれだけではなかった。長く伸びた血の針は、落下するベアのすぐ足元まで伸びていた。
針に着地するベア。マリーが操るその血は確かな強度を持ち微動だにしない。
その時ラトリアとベアは、マリーの意図を理解した。
――これは『道』だ。
ドラゴンの動きを封じただけではない。宙に刻まれた一筋の赤い線は、マリーがベアのために敷いた……ラトリアへ続く一本の道なのだ。
「ベアさん、行って!」
言われるまでもなくベアは駆け出していた。
マリーを毛嫌いしているベアも今回ばかりは認めるしかない。このマリーの一撃は、ラトリアを追い詰める値千金のファインプレーだ。
細い針の上を疾走するベア。その速度は、数十メートルあった両者の距離を一瞬で消し去った。
「きゃあ……!?」
今の一撃に意識を向け過ぎていた無防備なマリーを、周囲のドラゴンの体当たりが襲う。
事前に装着していた血の鎧を通して伝わる衝撃はなお強く、マリーの矮躯を簡単に吹き飛ばした。
だがベアには援護に向かう余裕はない。ようやく手にしたこのチャンスを無駄にするわけにはいかない。
マリーが攻撃を受けたことで、血の針が瞬時に液状化して落下した。
だが問題ない。そのときには既にベアはラトリア目がけて跳躍していた。
「――」
ラトリアが手元にグラントゥイグを出現させる。今度はロングソード大の大きさだが、その強度は変わっていない。
今まで踏み越えられなかった両者の距離が、ついに手が届くところまで縮まった。
ベアが拳を突き出し、ラトリアがそれをグラントゥイグで防御した。
衝撃までは殺せず、ラトリアの身体が吹き飛ばされる。
その背後には、セドガニアの中心に建てられた大きな時計塔がある。その大きさからドラゴン達が少し暴れた程度では破壊されず、今やセドガニアに唯一まともに形を残している建造物だ。
その時計塔にラトリアの身体が激突する。
一瞬怯むラトリアに、ベアは再び飛び掛かって殴りかかった。
再度グラントゥイグで防御するラトリアは再び吹き飛ばされ、時計塔の外壁を突き破った。
時計塔の内部に叩き込まれたラトリアが瞬時に周囲を確認。
遮蔽物のない開けた空間が広がっていた。
周囲を強固な壁で覆われた密閉空間。ドラゴンもここまでは入ってこれない。
空中と違い確かな足場があり、ドラゴンもおらず、適度な広さがありながらも遮蔽物のないこの時計塔内部は――まさにベアの最も得意とするステージだ。
――ついにラトリアを捉えた。
同じく時計塔内部に飛び込んできたベアが白兵戦の構えを取る。
ここならば邪魔も入らない。正真正銘の一対一だ。
「――ハアッ!」
ここでラトリアを仕留める。
裂帛の気合を乗せたベアの突進を、ラトリアが受けて立つ。
背に差していた大太刀を抜き右手に装備。左手にはグラントゥイグを装備した。
森との戦闘のときとは違い、今回は二刀流。ベアの攻撃を知っているラトリアとは違い、これはベアには初見の戦闘スタイル。
――関係ない。全て叩き潰すのみ。
連打と連撃が激しく打ち合わさる。
武器が二つに増えたからといって攻撃頻度が二倍になるというわけではない。使い慣れていない二刀流はむしろ、熟練の一刀に大きく劣る。
だがラトリアに限ってはその法則は当てはまらない。
大太刀とグラントゥイグを両手で振るうその姿は、まるで元からその戦闘スタイルであったかのように巧み。
ベアの連撃と互角の速度で渡り合って見せた。
――だが温い。
森での戦闘とは違い、片手で振るわれた大太刀の威力が著しく下がっている。
ベアの怪力と比べれば明確に差がある。
ベアが一歩、強く踏み込む。
グラントゥイグを気合で回避。右肩にそれなりの切傷を負うが無視した。
代わりに渾身の右ストレートを打ち込む。片手で振るう大太刀一本では防ぎ切れない威力。
「――」
このまま打ち合えば死ぬ。そう直感したそのときには、ラトリアはグラントゥイグをあっさりと手放し、大太刀を両手で握り防御した。
「……っ」
ベアの一撃を受け止める。それと同時にベアの背後にグラントゥイグが出現。
防御と並行して繰り出されたグラントゥイグは、攻撃中のベアの背後から放たれた。
身体をずらして回避。直後、再びグラントゥイグがベアの頭上から射出された。
今度はバックステップで回避。するとベアを外したグラントゥイグを、一歩前進したラトリアがキャッチ。再び二刀流に持ち直して連撃を繰り出した。
「……」
……上手い。ベアが驚愕する。ラトリアは完全にグラントゥイグを使いこなしている。
連打戦は二刀流で手数を増やし、逆に重い一撃は一刀流で受け止める。
そのいかなる最中であってもグラントゥイグはベアを攻撃できる。四方好きな位置からベアを狙い撃ち、奇襲、迎撃、かく乱……あらゆる用途に用いることができる。
「……これほどとは」
近接戦であれば十分にラトリアを圧倒できると考えていたが、その認識をベアは改めた。
グラントゥイグを手に入れたラトリアは、数日前よりも遥かに厄介な剣士だ。
……それだけではない。
数十秒にも満たない打ち合いだが、ベアは確信した。
やはり、ラトリアのレベルが上昇している。
体感的にはおよそ3レベルは上昇しているように感じられる。短期間にそれだけのレベル上げは有り得ないが、そうとしか思えないほどに、ラトリアは数日前よりも数段、力を増している。
「――ッ!」
たまらず距離を取るベア。近接戦を仕掛けておきながら後退させられるという屈辱感が彼女の心を苛む。
「『ドラゴン・ブレス・フォース』」
「『ドラゴン・ブレス・フォース』」
「『先読み』」
「『ソニック・ブースト』」
「『ハイ・シールド・エンハンス』」
「『バスター・アサルト・エンハンス』」
前回と同様に、お互いに補助スキルを施す。
ベアは攻撃寄り。ラトリアは防御寄りの補助をかけ、戦闘力を増大させる。
ラトリアに先読みを使わせるのは大きな不利だ。
グラントゥイグという変則的な攻撃手段は、先読みの力を借りてより的確にベアを襲うだろう。
それは仕方がない。ラトリアが防御を固めるのなら、ベアはそれを上から叩き潰す。
ベアの連打。
威力を増した攻撃を、ラトリアが二刀流で捌く。
金属音が幾重にも重なり、激しい火花が時計塔の内部を照らす。
ベアはひたすら前進し、その分だけラトリアがじりじりと後退する。
ラトリアは一刀流と二刀流を巧みに使いわけ、時折グラントゥイグによる奇襲を挟んでベアを揺さぶる。
本来なら有り得ないようなタイミングと角度から襲い掛かるグラントゥイグは、それでもベアに掠りもしない。
ベアこそ未来が見えているのではという正確さで行われる回避は、そのままラトリアへの攻撃へと転じる。
攻撃から攻撃へ。ベアの猛攻は苛烈を極め、ラトリアがそれをあの手この手でいなし続けるという形が続く。
二人の攻防は際限なく加速し、一撃ごとに重くなっていく。
ベアが一層深く踏み込む。両者の距離が数十センチまで詰まり、接近を嫌ったラトリアが大太刀を横一文字に振り払いベアを追い払おうとする。
「――」
だがベアは回避しなかった。
大太刀の刃を左手で掴む。硬質なガントレットに阻まれた大太刀が止まり、同時にそれを握るラトリアの動きも止められた。
「――」
グラントゥイグを手放し大太刀を両手で握る。
ベアは大太刀を離すつもりはないだろう。ならばガントレットごと両断する。
だがそれこそベアの望んだ展開だった。
ラトリアが大太刀を振り抜くと同時に、ベアも右手を振り下ろす。
頭部を狙われていると直感したラトリアがグラントゥイグを射出。自身の頭部を守護する。
だが関係ない。ベアが狙ったのはラトリアでは大太刀そのものだった。
一層激しい金属音と共に、ベアの右拳が大太刀の腹に叩きつけられた。
衝撃に耐えられなかった大太刀は中ほどから真っ二つに砕け折れた。
「……ッ!」
読み負けたことを悟るラトリア。先読みが効いているにも関わらず直感に頼ったことが仇となった。
大きく後ろに跳んで距離を取ろうと試みるが、ベアがそれを許さない。
大太刀を失ったラトリアはこれで迂闊にグラントゥイグを射出できない。その間は丸腰になるためだ。
ならばラトリアはグラントゥイグを飛び道具ではなくロングソードとして扱うはず。
――そんなベアの予想に反し、ラトリアはグラントゥイグを射出した。
時計塔の外から外壁を突き破って現れたのは五○メートル大のグラントゥイグ。
時計塔を両断する勢いで突き刺さったグラントゥイグは、内部にいたベア目がけて射出されたものだった。
「……ッ!」
今度はベアが読み負けた。
予想外の一撃に反応が遅れたベアが咄嗟に回避するも僅かに間に合わず、左腕が根元から斬り飛ばされた。
「くっ……!」
強靭なベアの肉体を一撃で斬り落とすグラントゥイグの威力はまさしく規格外。
その直撃を受けた時計塔ももちろん無事ではすまなかった。
時計塔が一気に倒壊し、ベアとラトリアがその崩壊に巻き込まれて空中に放り出される。
「――ッ!?」
直後、空中で身動きのできないラトリア目がけて、瓦礫片が撃ち飛ばされた。
それは落下の最中にベアが殴り飛ばしたもの。
片腕を斬り飛ばされた直後だというのに全く萎えることのない殺意が、執拗にラトリアを責め立てる。
「がはっ……!?」
空中で身動きができず、グラントゥイグも射出済み。そして大太刀を失ったラトリアにその瓦礫を防ぐ術はない。
腹に直撃した瓦礫はまさに砲弾そのもの。
内臓が潰れる感触を感じながら、ラトリアは大きく後方に弾き飛ばされた。
だがそれでは終わらない。ベアはすぐに体勢を立て直し、瓦礫を蹴って跳躍。
吹き飛んだラトリアに一気に接近する。
「くっ……」
時計塔に突き刺さったグラントゥイグがかき消える。
即座に手元に出現させようとするが、まるで間に合わない。
ベアの右手が振りかぶられ――直後、ベアの身体に衝撃。
一体のドラゴンが大口を開けてベアの身体に丸ごと噛みついた。
時計塔の外に出たベアは、再びドラゴンの脅威に晒されていた。
ラトリアを注視するあまりドラゴンの存在を一瞬とはいえ失念してしまった。
ベアのアッパーが炸裂し、ドラゴンの上顎から上が消し飛んだ。
絶命し高度を落とすドラゴンの口から飛び出し、ベアが再びラトリアに迫る。
タイムロスはほんの数秒。だがラトリアにはそれで充分だった。五○メートル大のグラントゥイグを出現させる。
両者ともに空中。逃げ場はない。先に相手を攻撃した方が勝つ。
そしてその勝敗は、一目見てラトリアに有利だった。ベアが肉薄するまでに、グラントゥイグがベアを叩き落とせる。
必殺の一撃が放たれようとした、そのとき――。
「――ラトリア隊長!」
地上から聞こえてきたその声に、ラトリアがぴたりと動きを止めた。
「――シィ」
直撃。
ラトリアが動きを止めた一瞬の隙を見逃さず、ベアの右ストレートがラトリアの胴体に命中した。
文句なしのクリティカルヒットが炸裂し、ラトリアは苦悶の声すら漏らす間もなく吹き飛ばされた。
流星のように上空から落下したラトリアは、そのまま地面に叩きつけられた。
巻き起こる粉塵。そこに慌てて飛び込む一つの陰。
ラトリアの、今となっては唯一の部下……シィム・グラッセルだった。
「隊長! ラトリア隊長ッ!」
シィムが駆け寄ると、地面に出来た小規模なクレーターの中にラトリアが倒れていた。
なんとか一命は取り留めているようだが、間違いなく重傷だ。
「隊長……なぜ、こんな……ことに……」
報告を受けただけでは信じられなかったが、ここにいるのは間違いなくラトリアだった。
報告通り、ラトリアは確かにセドガニアを襲撃していたのだ。
あれほど美しかった金の髪は真っ白に変色し、身体から放たれるオーラは疑いようもなく魔族のもの。
変わり果てたラトリアの姿に、シィムは立ちすくむしかなかった。
「……殺、せ……」
不意にラトリアが口を開いた。
「私を……ころ……せ。シィ、ム……」
「な……で、できません!」
「やれ……私は、もう……自分を――ウ、ぐ、あああ……! 制御――でき……!」
ラトリアは何かに操られている。
シィムにはそうとしか見えなかった。その支配に、ラトリアは懸命に抗おうとしていた。
そのとき、何者かが二人の傍に降り立った。
灰色の魔人。落下したラトリアにとどめを刺しに来たようだ。
片腕を無くしているが、それ以外での損傷は見受けられない。今のラトリア一人殺す程度の力は十分に残されているようだった。
ベアは傍らのシィムなど見えていないかのようにラトリアだけを見遣り、その右手を構える。
「や、やめろッ!」
咄嗟にベアに魔力弾を放つシィム。
だがベアが軽く殴りつけただけで、その魔力弾は彼方へ弾け飛んだ。
「ひっ……!」
ベアが煩わしそうにシィムを見る。
その視線に射抜かれただけでシィムは動けなくなった。数日前に、この魔人一人にゴード部隊が壊滅させられたことを思い出し、自分などでは相手にもならないことを理解する。
――そのとき、グラントゥイグが頭上から降ってきた。
ベアがシィムへ一歩歩み寄ろうとするのを阻むように、グラントゥイグはベアの頬を掠めて地面に突き刺さった。
地面に倒れていたラトリアが起き上がり、逃げるように跳躍。ベアもそれを追った。
もう満足に動けるような状態ではないはずのラトリアが、それでも必死に逃走を試みたのは、スノウビィから与えられた命令を遂行するためだ。
……だがシィムはそれが、ラトリアがシィムを救うために振り絞った最後の力のように見えた。
「……どう、して……」
一人取り残されたシィムは、あまりの悔しさに膝から崩れ落ちた。
今……ラトリアが自分を殺せと命じたときに……どうして自分は「大丈夫だ」と一言言ってやれなかったのだろうか?
ラトリアは何かに肉体を支配され、望まない戦闘を強いられている。
それに懸命に抗おうとするラトリアに、私がきっと救ってみせると一言励ますだけで、どれだけ彼女は救われただろう。
何故それができなかったのか……理由は簡単だ。
シィム自身が、それを諦めてしまっていたからだ。
重傷を負い地面に横たわる彼女を見て。それがスノウビィによる洗脳だと知って。
もう自分ではどうしようもないと……ラトリアを殺すしかないと見限ってしまったのだ。
そんな自分の弱さが、どうしようもなく悔しかった。
「……何をした……」
その悔しさは。怒りは。
やがて一人の少女に向けられた。
町にドラゴンを放ち壊滅させ、その召喚魔法を止めるために向かったラトリアを返り討ちにし、洗脳した……。
間違いない。こんなことができるのはもう、あいつしかいない……!
「――隊長に何をしたんだ、スノウビィ!!」
破壊され尽くしたセドガニアの空に、憎悪に満ちたシィムの叫びが響き渡った。
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