第15話 すこぶる順調ね


 二週間が過ぎた。

 第一チェックポイントでの狩りは二日目にしてパンダが早速飽きてしまい、三日目からは第二チェックポイントでの狩りに移行した。


 第二チェックポイント付近ではフォレストウルフをはじめとした、リビア町周辺に現れる魔物の中では中堅どころが出没するようになる。

 彼らは巣穴を作る習性があるが、特に緑の多い草地を好む。

 緑の体毛を持つため生い茂った草木の中に紛れると迷彩色となり見分けが非常に難しい。


 第二チェックポイントではそういった、魔物達にとって適した環境が人工的に用意されている。

 そのため第一チェックポイントとは違い、戦闘能力だけではなく生息する魔物の特性をしっかりと把握して対策を立てる能力が試され、培われることを目的としている。


 ここではロニーとフィーネの経験が何よりも活かされた。

 二人はこの国営ダンジョンを数年前に踏破しているし、生息する魔物に対する必勝法をいくつも知っていた。

 更にトリスが用意した数々の薬品が度々痒いところに手が届き、探索は極めてつつがなく進んだ。

 このトリスの働きぶりはロニーとフィーネも予想外であったらしく、しきりにトリスを褒めていた。


 薬師をパーティに加えてダンジョンに潜る意味はほぼない。

 それは、薬師が作れる薬はほとんどが市場に出回っており、金さえあれば誰でも集められるし、その汎用性は高レベルになるほどに他の職業のスキルでも代用できるようになることが多いからだ。

 しかしいざパーティに加えてみれば活躍の場は決して少なくないと、ロニーも評価を改めていた。トリスはいつになく照れくさそうだったが、同時に自信もつきはじめていたようだ。




 そんな探索を二週間ほども続けた結果、トリスとパンダのレベリングも順調に進んでいった。

 トリスはレベル7。パンダはレベル5まで上がった。二週間でこの速度でのレベリングは本来難しく、まさしくパワーレベリングの真骨頂といったところだった。

 トリスのレベルが7に上がったタイミングで一度第二チェックポイントへ戻ると、パンダがロニーに提案を持ち出した。


「――第三チェックポイントに行きたい、か」

「ええ。いいでしょぉ?」

 甘えた声でロニーに懇願するパンダだが、ロニーもそろそろ来るだろうと思っていたところだ。


 この二週間で第二チェックポイントは完全に攻略したと言ってもいい。

 付近に生息する魔物はほぼ全種類討伐したし、全エリアを回った。

 同じ魔物だけを狩り続けるというのも有効なレベリング法ではあるが、それではパンダが二日と持たずに飽きてしまうだろうという考えから、ロニーはなるべくパンダに新しい刺激を与え続けられるように配慮してきた結果だ。


 その甲斐もあってパンダはおおむね楽しそうにしていたが、この数日少し退屈そうにしていたのをロニーは見逃していない。

 単純に簡単すぎるのだ。

 それは多くの冒険者にとって望ましいことではあるが、ことパンダに限っては最も疎ましいものだ。


「変わらないわねあんた」

 フィーネはやれやれと肩を竦めるが、いつものように頑なに慎重案を強行しようとする様子はなかった。

 彼女もこの二週間で、パンダが並々ならぬ力量とセンスを持っていることを把握していた。

 このパーティならばおそらく第三チェックポイントでのレベリングにも十分耐えられると信頼するほどに。


「どうするのロニー?」

 いつものように、判断はロニーに委ねることにした。

「ふむ……」

 予定ではパンダのレベルが6になれば第三チェックポイントに移動する予定だった。

 1レベル分前倒しにするだけだと言えばそれだけだ。時間にすればおよそ四、五日程度になるだろう。


「――よし、明日から第三チェックポイントに行こう」

「やった!」

「ただし、第三チェックポイントは第二チェックポイントまでとは多少勝手が違う」

「敵が強くなるんでしょ?」

「それだけじゃない。第三チェックポイントでは、一日の終わりに町に戻ることはしない。第三チェックポイントにある簡易宿舎に寝泊まりすることになる」


「あら、どうして?」

「単純に時間の問題だ。森の入り口から第三チェックポイントまでは遠い。いちいち町に戻ってたら、往復だけでかなり時間を取られてまるでレベリングが捗らない」

 フィーネはもちろん承知の上だったが、今の説明でトリスも理由を理解したようだ。


「そっか、せっかく効率を上げるために奥に行くのに、移動で時間かかってちゃ本末転倒だもんね」

「そういうことだ。武器の修理や、必要なアイテムが切れたときとかは町に戻るが、それ以外は目標レベルになるまでダンジョンに籠る」

「それも期待しないほうがいいわよ。第三チェックポイントにある商店でだいたいのものは揃っちゃうからね。まして私たちはパーティに薬師がいるんだから。薬草を現地調達すればかなり長持ちするわ」


 裏を返せばそれだけ高効率を維持できるということでもある。

 第二チェックポイントまでが魔物との戦闘経験を積むためのエリアであるとするならば、第三チェックポイントはサバイバル能力を培うためのエリアだといえる。


「じゃあひとまず今日は解散にするが、各自、明日から森に籠ることを想定して準備しておくように」

「特にトリス。いいわね」

「う、うん」

「明日からしばらくお風呂入れないのね……」

「さすがに水浴びくらいはできると思うぞ。湯は沸かしてないと思うが……」


「お風呂がいいの! ねえフィーネ、今日は一緒にお風呂に入りましょ」

「いやよ。あんたと一緒に入るとどっと疲れるんだから」

「なんだ、二人はよく一緒に入るのか?」

「ええもちろん。フィーネが寂しがっちゃって」

「私が入ると、こいつが狙いすまして入ってくるのよ。その度にベタベタ体触ってくるし悪戯するし最悪よ。もう二度とごめんよ」


「じゃあ今日はロニーと一緒に入ろうかしら」

「え、お、俺!?」

「いい加減にしなさいこのクソガキ!」

「あはは、このネタほんと鉄板ね」

 締め上げようとするフィーネの腕をするりと抜け出す。


「待てこの!」

「きゃー、トリス助けてぇ~」

 パンダは笑いながら後方を歩くトリスへと駆け出していく。

 激しい舌打ちでそれを見送ったフィーネを見て、ロニーは弾けるように笑った。


「随分賑やかになったな俺たちのパーティも」

「やかましいっていうのよアレは」

 フィーネは忌々し気に、後ろを歩くパンダを睨み付ける。

 パンダは今度はトリスへとちょっかいを出し始めていた。


「でも、傍から見てると仲のいい姉妹に見えるぞ」

「やめてよ。あんな妹なんてお断り」

「でもまあパーティが明るくなるのはいいことさ」

 ロニーパーティは決して明るいメンバーが揃っているわけではない。

 フィーネは元より、もう一人の白魔導士も筋金入りの堅物だ。


 一見クールなロニーですらこのパーティではムードメーカーの役割を担うほどだ。

 そんな中にパンダが加わればいったいどうなってしまうのかとロニーは少し心配していたのだが、フィーネが順調にパンダに心を開いてくれているのを見て大丈夫だと確信できた。


「……不思議な子だよな、パンダって」

「なによ急に」

「いつも本当に楽しそうにしてるだろ。何するにしても新鮮って感じだ。あの子を見てると、冒険って本当は楽しいものなんじゃないかって思えてくる」

「……楽しいもんじゃないわよ、冒険なんて」

「俺たちの常識ではそうだ。でも彼女を見てると、どんなに苦しいことも、危険なことも、見方を一つ変えるだけで随分違って見えるんだって気づかされる。人生には、もっと楽しいことがそこら中にあるんだって」


「……ま、あそこまで能天気に笑えてれば人生楽しいかもね」

「そういうフィーネだって、もうパンダのことは仲間だと思ってるんだろ?」

「……さあ、どうでしょうね」

 フィーネはロニーの問いから逃げるように歩く速度を上げた。


「ふう」

 フィーネがパンダの仲間入りを拒むのは、個人的にパンダが嫌いだからではない。

 あの夜……ロニーパーティが魔人と遭遇したあの日から、フィーネは冒険者稼業に疑問を感じているようだ。

 そんな冒険者に自ら足を踏み入れようとしているパンダに、彼女は少なからず思うところがあるのだろう。


 だからこそ、ロニーはパンダにパーティに入って欲しいと強く思う。

 パンダの前向きな、底抜けの明るさを見続ければ、いつかフィーネの心の棘も取れるのではないかと、ロニーは期待していた。






「パンダちゃんは凄いよね」

「なによ急に」

 その後方で、トリスとパンダは別の話題に華を咲かせていた。


「私よりずっと小さくて、ずっと子供なのに……私よりずっと強い」

「薬師と戦士よ。比較するようなもんじゃないわ」

「ううん、力だけじゃなくて、もっと別の……心、とか」

「心、ねえ」

「だって、私無理だよ……魔物がたくさん襲ってきてるのに、パンダちゃんみたいに笑うなんて」


「それは心の強さとは言わないわね。私のは趣味みたいなものよ」

「し、趣味!?」

「あなたが草をコネコネするのを楽しいと感じるように、私はフィーネをからかったりご飯を食べたり冒険したりするのを楽しいと感じるだけ。心の強さじゃないわ」

「戦うのも楽しいの?」

「戦いは、……」


 魔人は超越種だ。この地上のどの種よりも優れている。

 同時に、魔人は闇の化身だ。他者の痛みと苦しみを愉悦とし、生来の残虐性を併せ持つ魔性の種族だ。

 その過程として、魔人は戦いを愉しむ傾向がある。

 ――戦闘そのものではなく、圧倒的な力による殺戮を。


 だが、はっきりと言える。パンダにそんな感情は一切ない。


「楽しいわよ、戦うのは」

「……ど、どうして?」

「――自分の性能を、完全に稼働させている感覚が楽しいの。ジャイアント・トレントと戦ってるときとかは、結構悪くなかったわ」


 ――弱者の蹂躙など、もうとっくに飽きたからだ。


 パンダに勝る者など一人たりともいなかった。世界にはパンダよりも弱者しかいなかった。

 パンダにとって戦いとは虐殺だった。作業だった。故に退屈だった。全力で戦えたことなど一度もなかった。


 しかし……不自由がいとも容易くそれを叶えてくれた。力という自由を失ったことで、新たな自由を手に入れた。


「すごいね……あんな怪物と戦ってても楽しいと思えるなんて。私なんて、戦ってなくても怖いのに」

「今は怖くないでしょ?」

「ううん、怖いよ。今だって、皆の後ろをついていってるだけで怖い。……あっ、み、皆が頼りないっていうことじゃなくて、その……怖いものは怖いっていう」

「あはは、分かってる分かってる」


「……私ね、ずっとそうだったんだ。家を継げってお父さんに前から言われてたんだけど、自信がないからってずっと保留にしてもらってた。ううん、薬草だけじゃない。何するにしたって自信なくて。……そんな自分が、すごく嫌で」

「自信ってやってからつくものじゃないの? 挑戦しない内から自信があるとかないとかおかしくない?」

「それはそうなんだけど、なんていうか……それこそ心の強さってやつなのかも」


 どちらかと言えば価値観の違いだとパンダは思った。

「……私も、パンダちゃんみたいになれるかな」

「それは無理ね」

「……だよね」


「なる必要ないわ。隣の芝生は青いものよ」

「パンダちゃんも誰かを羨ましいって思うことあるの?」

「ええ。しょっちゅう。周りの人全部が羨ましかった」

「どうして?」

「自由だったから」

「自由……」

「でも私は誰かになりたかったわけじゃないの。私は私のまま、自由になりたかった。だからあなたもあなたのまま、あなたの不自由を克服するといいと思うの」


 トリスはしばしパンダの言葉を咀嚼し、ゆっくりと飲み込んだ。

 トリスの臆病さは生来のものだ。そんな彼女にとってパンダの恐れのなさには度肝を抜かれたと同時に羨望も感じた。

 だがパンダの言う通り、トリスにはトリスにしかできないことがある。パンダのようになることとパンダになることは、意味が違う。


「――わかった。私、パンダちゃんみたいに強くなってみせる。――私のまま」

 トリスの答えに、パンダは優しく笑った。






 その夜、町に戻ったトリスは薬作りの没頭していた。

 明日から籠り切りでレベリングするための準備というのもあるが、パンダの言葉に触発されたというのも大きかった。


 ところが、新たに薬を調合しようにも材料がほとんどない状態だった。

 本来は父エドガーが定期的に薬草を採取しにいくのだが、今はエドガーにもトリスにもその余裕がなく、今リーフ家には薬草の予備はほとんどない状態だった。

 しかし調合の練習がしたいとエドガーに頼み込み、なけなしの薬草を練習に使っていいと許可をもらった。


 エドガーにとっても悩みどころだったが、今まで家を継ぐことに消極的だった娘が、自ら調合に対して熱意を見せたことが嬉しかったということもあり、エドガーなりの親心で許可をだした。


 結局、使用許可がでた薬草を全て使い切ってしまったのだが、トリスは完全に熱が入り切ってしまい、不完全燃焼のままではどうにも我慢できなかった。

 この辺は、やはりトリスも薬草師としての血を継いでいたといったところか。


 そこでトリスが取り掛かったのが、薬の再調合である。

 これは既に作成した薬の効能を変えたり、上位の薬から下位の薬を複数個生成したりなど、様々なことができる。

 薬草師としてのスキルが必要になるが、トリスがレベル7に上がった際にめでたくそのスキルを習得し、これで胸を張って薬師を名乗れるようになった。


 再調合はどの薬でもできるわけではなく、特にトリスのスキルはまだ弱い。使える薬は少なかった。

 そこでトリスはエドガーが作成した薬を拝借し、それを再調合することにした。

 この二週間でエドガーが用意した、まだ売約されていない予備の薬を適当に盗り、再調合にかかった。


 無論、バレれば大目玉だ。

 しかし森でパンダと話したからか……あるいは彼女の豪胆ぶりに感化されたのか、トリスはいつになく大胆に行動に移した。

 別の作業場で作業中のエドガーの目を盗んで薬を拝借するのは困難で、薬を選んでいる余裕はなかったため適当に両手で抱えられるだけ持ってきた。


 そうして作業をすること三時間。

 毒消し薬が麻痺治し薬に変わり、ハイポーションが四つのポーションに変わり、攻撃力を増強する薬がその効果はそのままに防御力も上昇するように変わった。これは会心の出来だった。


 代わりに二つの薬がただの苦い水に変わってしまった。

 総合的な損失は二万ゴールドくらいありそうだが、初めてにしてはまずまずといったところだろう。


「おいトリス、いつまでやってんだ」

 不意に作業場の扉の向こうからエドガーの声がかかる。

「うぇ!? も、もう終わるよー!」

 トリスは慌てて周囲の薬をバッグに詰め込んでいく。明日の準備ともいえるが、証拠隠滅の意味合いが強い。


「どれどれ、ちょっと見せてみな」

「うわあ、開けないで!」

「なんだよ、娘の腕がどれほどのもんか確かめさせてくれよ」

「やめてよ恥ずかしいから!」

「何が恥ずかしいだ。おら開けるぞ?」


 直後作業場の扉が開けられた。

 トリスは奇声を発しながら、周囲にあった薬を掴めるだけ掴んでバッグに放り込んだ。


「おいおい、そんなにバッグをパンパンにしてどうする気だ。まさか全部持っていくつもりか?」

「い、いいでしょ別に! 明日から国営ダンジョンに籠るんだから」

「ま、別に構わねえけどよ。トリス、無茶だけはすんなよ。俺も昔はレベル上げをやったもんだが、お前が思ってるよりずっと危険なんだからな」

「わ、分かったってば。じゃあ私もう寝るね」

 トリスは大慌てで部屋から出ていった。


 作業場からは、生成した薬と使用した薬は全て持ち去られてしまったため、トリスの悪事が暴かれることはない――――と思ったようだが、それは父の薬師としての腕を見くびっていたと言うほかない。

 エドガーは、魔族と長年最前線で戦い続けている強国、ルドワイア帝国から名指しで指名が入るほどの一流の薬師だ。

 作業の痕跡、ちょっとしたシミ、あるいは充満する匂いだけで、トリスがどの薬を使って何を作ろうとしたか、あるいはどのような失敗をしたかまで全てつまびらかになる。


「ふ、あの悪ガキめ」

 トリスの所業を全て見抜いて上で、エドガーは楽しそうに笑った。

 常々トリスは気が小さすぎると思っていたのだ。これくらいの悪さをするくらいになって、エドガーはむしろ安心したくらいだ。 


「誰かの影響でも受けたんかね。ロニーとフィーネ……はねえだろうから、あの紫の嬢ちゃんか?」

 良い――ある意味では悪い――友人を得たのだろう。

 トリスが店にもたらした損失はそれなりにあるだろうが、そんなものはトリスが無事に国営ダンジョンから戻ってくれば十分チャラだ。大目に見てやることにした。



 しかしエドガーも……そしてトリスも気が付いていないが、最後にトリスが慌ててバッグに詰め込んだ薬の中には、この店で最も高価な薬も紛れ込んでいたのだが、それが判明するのはもう少し後のこととなる。





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