第65話 モニカとパイ
ゴード部隊が壊滅してから二日。
ラトリアの傷もほぼ癒え、シィムの精神状態も回復した。
二人はこの二日間セドガニア中を歩き回り情報収集に努めた。
森で遭遇した謎の魔人。ハシュール王国を襲った吸血鬼。
そしてゴード部隊を壊滅させた謎の少女、スノウビィ。
彼女たちの情報はどんな小さなものでも欲しい。
今日か明日中には、ルドワイア帝国から数名のエルダーがこの町に派遣されるはずだ。
だが彼らはスノウビィ達の情報を全くと言っていいほど知らない。
唯一伝えられるのは、ラトリアがその身をもって知ったあの灰色の魔人の脅威だけだ。
あのレベル帯の魔人を相手に無策で挑むのは危険すぎる。
ラトリアはまずバラディア軍セドガニア支部に掛け合い事情を説明。
既に預言のことは伝わっていたらしく、思いの他スムーズに話は進んだ。
早急に過去の事例の調査を依頼。そしてセドガニアの警戒レベルを上昇させた。
更に、セドガニアに設置されている超広範囲探知魔石の精度を強化。先日ゴード部隊が南の森で強化した探知魔石と併せて稼働させ、周囲の魔族の反応をより精密に探知するよう頼んだ。
……どこまでの効果があるかは不明だが、やって損はないだろう。
正直、ラトリアが戦ったあの灰色の魔人は、事前に存在を察知できたからといって対処できるような甘い相手ではない。
あれを倒せるのは、ラトリアと同様にエルダーの称号を得た者くらいだろう。
今は一刻も早いエルダー部隊の到着を待つばかりだ。
「……そうですか。やはり目ぼしい情報はありませんか」
「ええ。お役に立てず本当に申し訳ございません」
「いえ、お気になさらず」
頭を下げる女性に、ラトリアは軽く右手をかざして礼を示した。
モニカ・フィオルメ。
実際には三十路を超えているようだが、その容姿や修道服から僅かにのぞく肌は瑞々しく、まだ二十代でも十分通用するだろう。
おっとりとした雰囲気に、優しげな垂れ目。見るからに善人な顔つきをしている。
女盛りの美女だが、彼女は聖職者。貞淑に操を護り続け、未だに独り身だ。
彼女は、セドガニアにある教会の一つ……そしてそこで運営されている孤児院『白鳩』の院長を務める人物だ。
「ではここ数日で魔人に遭遇した負傷者は来ていないんですね?」
「ええ。負傷した方は何人もいらっしゃいましたが、そのような話は聞きませんね」
「……」
空振りに終わった手応えを感じ、シィムが息を吐いた。
ラトリアとシィムの二人がこの孤児院を訪れたのは、聞き込みの一環だ。
教会は負傷した冒険者などの治療のためにも開かれており、格安の寄付で治療を受けられる。
神官の適性を見出す者は女性に多く、そのほとんどが元から教会の関係者である場合が多い。
かつては神の教えも土地によって違っていたそうだが、ルドワイア帝国が率先して矢面に立ち、宗教の統一を図った。
レベルシステムの普及によって多くのスキルを獲得した人類にとって、他者の傷を癒せる白魔法のスキルは極めて重要だ。
これを軍事利用しない手はない。
ただでさえ強大な魔族と戦うためには、貴重な白魔導士を遊ばせておく余裕はないのだ。
しかし反発があった。
特定の宗派において、白魔法は神の業として崇められ、それを戦いに用いることは冒涜であるという糾弾がされたのだ。
……当時は、人類にとって最も混迷を極める時代だった。
魔人の家畜として世界に散っていた人類が、レベルシステムを手に反逆を志し、大陸の北東に集結したとき……彼らはあまりにもバラバラだった。
人種。価値観。肌の色。習慣。食事すらも。
そして宗教もだ。
そんな状態で魔人となど戦えない。少なくとも、白魔法を神の業などともてはやし、もったいぶる連中は捨て置くわけにはいかない。
ルドワイア軍と信仰集団による宗教戦争が勃発し、ほどなくルドワイア軍が勝利した。
宗教は統一され、今では主要国家のほとんどで同じ神を崇め、同じ教えを受けている。
その教えの下、神官たちは日々、人々の治療を行っている。
――ルドワイア帝国が軍事目的で広めた宗教の下、負傷者の傷を癒す。
……つまり、神の教えに従い慈悲の心によって施しを与えているはずの神官は、その実、潜在的な意味で軍属であるという見方もできる。
この違和感、矛盾を、人類は三〇〇年間なんとか見ないふりをしてきている状態だった。
白魔導士と神官はどちらも同じ白魔法を用いるためよく混同され、実際に明確な線引きはほとんどない。
強いて言えば、白魔導士はより戦闘用の支援魔法を得意とし、神官は解毒などの状態異常の解除を得意としている。
あえて差別化しようとするならば、やはり神官は聖属性の白魔法を使える者が比較的多い、という点で白魔導士とは異なると言えるだろう。
そんな事情から、教会には日々多くの負傷者が担ぎ込まれるため、必然的に情報が集まりやすい性質を持つ。
ラトリアとシィムがこの教会を訪れたのもそんな理由だ。
もしかするとあの魔人たちと遭遇した者がいるかもしれないと思い尋ねてみたが、結局情報は得られなかった。
まあ、ラトリアも本気で期待したわけではない。
あの魔人と遭遇して生き残れるような者などそうそういるものではない。
「……では……噂でもいいので、何か聞いたことはありませんか? 最近この付近で起こった出来事や事件など、なんでもいいので」
「うーん……申し訳ありません。そういった話には疎くて」
「……そうですか」
今日に至るまで全く収穫のなかった聞き込み調査に焦りを感じていたシィムはなんとか食い下がろうとするが、結局はこれも空振りに終わった。
目に見えて落胆するシィムを気の毒に思ったのか、モニカはなんとか有益な情報はないかと頭を捻った。
「……そうですねぇ……そういうのはパイさんの方が詳しいんですよねぇ」
「パイ?」
「ええ、うちで務めているもう一人の神官です。あの子は少し前まで冒険者でしたから」
「ほう、それは珍しいですね」
冒険者として活動する神官などほとんどいない。
そもそも神官は戦闘向きの職ではないし、どうしても白魔導士がいない場合に限り限定的に徴用される程度だ。
冒険者のように長い期間戦闘に携わるようなことは滅多にない。
そういう経歴があるのなら、確かに何か知っている可能性はある。
冒険者にとって情報は命。アンテナは常に張り巡らせているものだ。
そしてその癖は日常に戻ったとしてもそうそうなくならない。自身の命を支えていた習慣だ。
「そのパイさんは今どちらに?」
「今は門で入国者の検査のお仕事をしているはずです」
「ああ……」
そうだった。今は町中の神官が総出で検査に当たっているところだった。
「いつ頃お戻りになるかは分かりますか?」
「朝に出ていきましたので、もうそろそろだと思いますが……」
モニカがそう呟いたまさにその瞬間。
教会の扉が開かれる音が響いた。
「あ、パイさんが帰ってきたのかも。見てきますね」
モニカは椅子から立ち上がると応接室を出て行った。
そのまま待つこと数十秒。再び応接室のドアが開かれた。
「お待たせいたしました。やっぱりパイさんが帰ってきてました。ほらパイさん、入って入って」
モニカが笑顔で連れてきたのは、彼女と同様に修道服を着こんだ神官だった。
黒髪を短く切り揃えたショートボブ。おそらくまだ十代と思われる若々しさに溢れる少女だった。
彼女の顔を一目見て、ラトリアはなるほどと納得した。
目つきがそこらの神官とまるで違う。明らかに戦闘を経験している者の目だ。
かつて冒険者であったというのも、一時の話ではなくそれなりの期間活動したようだ。
「こちらがこの教会のもう一人の神官、パイ・ベイルです」
「パイ・ベイルです。初めまして」
会釈するパイに合わせてシィムとラトリアも椅子から立ち、騎士の一礼を取った。
「初めまして、ベイル殿。私はルドワイア騎士団ゴード部隊の部隊長ラトリア・ゴードです。こちらは同部隊の部隊員シィム・グラッセルです」
「初めまして。シィム・グラッセルと申します」
「……ルドワイア騎士団」
パイは驚いたように二人を見た。
「凄いのよパイさん。こちらのラトリアさんは、あのエルダークラスの騎士なの」
「え、エルダー!?」
瞠目するパイ。
それからしげしげとラトリアを眺める。そんなパイに向けてラトリアは優しく微笑みかけ、その傍でシィムが誇らしげに胸を張っていた。
「そんな方々が……いったい何の御用でしょうか。私に聞きたいことがあるとか……」
「はい。少しお話をお聞かせ願えればと」
四人が席につき、シィムがモニカにしたものと同じ説明をパイにも繰り返した。
パイはいたって真剣な面持ちでシィムの説明を聞き続けていた。
やがてシィムが説明を終えると、パイは顎に手を当て考える素振りを見せた。
「……そんな魔人がこの町の近辺に出没したなんて……穏やかではありませんね。対処できるのですか?」
「ご安心を。少なくとも数日中にルドワイアから部隊が派遣されるはずですので」
「その部隊のためにも、我々が少しでも情報を集められればと動いております」
「……エルダーの方でも、そういう仕事をなさるんですね」
悪気はないのだろうが、パイのその言葉にシィムがややムッとする。
だがパイの意見はもっともだ。憤りを覚えるべきは彼女ではなく、ラトリアにそんな任務を平然と任せる軍の上層部だとシィムは考えを改めた。
「お恥ずかしながら、私もまだまだ若輩者ですので」
「あっ、す、すみません……そういうつもりで言ったのでは」
「いえ。お気になさらず。それより、これについて何か知っていることはありませんか? 聞くところによると、ベイル殿は冒険者だったとか」
「……はい」
途端にパイの表情が暗くなった。
冒険者の頃の記憶が脳裏に蘇り、その記憶にじっと耐えているような感じだった。
自由で楽しく、一攫千金の夢がある……冒険者は一見そういう稼業に見られがちだが、実情はもっと泥臭いのが常だ。
どんな辛い経験があっても不思議じゃない。
「あー……珍しいですよね、神官で冒険者だなんて」
重い空気を察したシィムが話題を提供するが、それもパイの過去を掘り起こすだけだ。
こほん、とラトリアが咳払いしシィムを窘めた。
「……自分でもそう思います。不思議な縁でした。……今は廃業して神官の務めに専念しています」
「なるほど」
「ですので、今の私に前ほどの情報網は残っていません。一応昔のつてを少し尋ねてみようと思いますが……あまり期待しないでいただけると助かります」
「……そうでしたか。いえ、お気になさらず」
目に見えて落胆するシィムを見てパイも気の毒に思ったのか、必死に何か役立ちそうな情報はないかと脳内を探ってみる。
「では、単純に何か最近でおかしなことはありませんでしたか? どんな些細なことでも構いませんので」
今度はラトリアが尋ねた。
魔人のことに限らず、限界まで間口を広げた。
「最近ですと……そうですね、やはりヴェノム盗賊団の話題でしょうか」
「ヴェノム盗賊団?」
「あ、聞いたことあります。バラディアを拠点として最近暴れ回ってるそうですよ」
この手の情報に関しては、一年半もの間国営ダンジョンに籠っていたラトリアよりもシィムの方が詳しいようだ。
「もともとはそれほど大きな盗賊団じゃなかったそうなんですが、数年前にトップが変わったらしく、以降はかなり派手に動いてるみたいです。一度ルドワイア軍にも討伐依頼が来ていたはずですよ」
「ルドワイアに? たかが盗賊団だろう? バラディアにいるならバラディア軍が対処すればいいものを」
「それがそうもいかないみたいですよ。確かにその盗賊団、一人一人は大したことないみたいなんですが、新しくトップになった奴が相当ヤバイ奴なんです」
「やけに詳しいなシィム」
「え? ……あー……」
バツが悪そうに言い淀むシィム。
言うべきかどうかしばし迷う彼女の視線は、目の前のパイをチラチラと通過する。
どうもパイを前にしては言いづらいことのようだ。
「バンデット・カイザー」
その沈黙を破ったのはパイだった。
「新しくヴェノム盗賊団の頭領となった男です。私も噂程度にしか聞いたことがありませんが、かなりの悪党だそうです」
「そうなんですよ。もうスタンプラリーでもしてるのかってくらい悪事という悪事はあらかたやってきたらしいですよ。危険度S級で指名手配受けてる極悪人です」
「……なるほど。腕も立ちそうだな」
「ラトリア隊長ほどじゃありませんが、かなりのものでしょうね」
「そんな男がバラディアで盗賊活動か……真っ当に賞金稼ぎでもしていればいいものを」
「聞いた話では、最近バラディア騎士団の部隊を襲ったとか」
「バラディア騎士団を?」
パイの言葉に瞠目する二人。
いくら腕に自信があるとはいえわざわざバラディア騎士団を襲うなど正気の沙汰ではない。
よほど貴重な物資でも運んでいたのだろうか。
「分かりました。ちょうどこの後出向く予定もありましたので、こちらからもバラディア軍に詳細を尋ねてみます。可能であれば私の方でもできることがあれば対応しましょう」
「はい。是非お願いします。この町の住人は皆ヴェノム盗賊団に怯えています。エルダークラスの騎士様に動いていただけるのであれば、これほど頼もしいことはありません」
安心したように頭を下げるパイ。
そんなパイに見えないように、シィムがラトリアに耳打ちした。
「隊長……いいんですか、そんなこと言っちゃって」
ラトリア達の任務はあくまでも例の魔人の詳細を調べることだ。
いくら厄介な盗賊団とはいえ、エルダーが動くほどの事態にはならないだろう。
任務の重要度から考えてもラトリアが盗賊団の対応に当たることはない。できない約束をするのはラトリアらしくないと訝るシィム。
「問題ないだろう。今すぐ対応というのは難しいだろうが、この一件が片付けば少しくらい時間もできるだろう。困っている市民を助けるのも我々の務めだ」
曇りない瞳でそう言い放つラトリアを見て、シィムは悔しげに唇を噛んだ。
……こんなにも眩しい騎士がどうして不遇な扱いを受けなければならないのか。
たった一度の過ちで全てを失ったラトリア……その名誉をいつかきっと取り戻してみせる。シィムは改めて固くそう決意した。
「では我々はこの辺で失礼いたします。貴重なお話をありがとうございました」
ラトリアの言葉に、モニカとパイは並んで礼を返した。
教会を出たところで、ラトリアは先程から気になっていたことをシィムに尋ねた。
「そういえば、さっきヴェノム盗賊団の頭領の話が出たときに何か隠したな、シィム」
「……あー、はい。すみません。あの場で言うべきではないと判断しました」
「今なら言えるか?」
「あー……そうですね」
シィムは教会へ振り返り、続いて周囲を見回して二人の会話を聞いている者がいないことを確認し、気まずそうに口を開いた。
「実はその頭領……バンデット・カイザーなんですが……実は、バニスさんの昔の仲間だそうで」
「……なに?」
不穏な気配を感じて眉を寄せるラトリア。
「バニスさん本人が言ってたので間違いないと思いますが、バニスさんが昔賞金稼ぎをしていた頃の仲間でありライバル、みたいな関係だったそうです。バニスさんがルドワイア騎士団に入団したことをきっかけに関係は切れたそうですが」
「……なるほど。それは……ああ、他言無用がいいだろう」
S級の指名手配犯と仲間だった男が、まさかルドワイア騎士団にいたとは。
そのカイザーという男も、まさかこの二、三年の間に急に悪に染まったわけではないだろう。バニスと組んでいた頃から相当な悪党だったはずだ。
……なら当然、バニスもそんな悪事に関わっていたと考えるのが自然だ。
ラトリアはそっと頭を抱えた。
「死んで清々しましたよ、あんな奴」
「……シィム、彼は私たちの部隊の一員だ。……その、過去はどうあれ、最後は任務に殉じた騎士だ。礼を尽くせ」
「……はい。申し訳ありません」
外ならぬラトリアの言葉だからこそ、シィムはまるで自身に洗脳を施すように脳内のバニスに礼を尽くそうとした。
……が、できなかった。彼の善い面を探そうとして一つも見つからないと気づいた時点で諦めた。
「しかしあのバニスのライバルか……確かに、そんな奴がいてはバラディア騎士団も手を焼くだろうな」
バニスはルドワイア騎士団内でもそれなりの実力者だった。
それと互角の者がなぜ盗賊団の長などやっているのか。それほどの力があれば他にいくらでも道はあったはずだ。
現にバニスはその力一つでルドワイア騎士団にまで上り詰めたのだ。そんな可能性もあったはずだ。
謎は晴れないが、ラトリアはひとまずその男のことは保留し、バラディア軍基地へ足を進めた。
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