第66話 飽きさせない町ね


 パンダとホークがセドガニアに来て数時間が経過していた。

 情報の集まりそうな場所はあらかた回ったが、結局有益な情報は得られなかった。


 仮にブラッディ・リーチがこの町にいるとして、いつまで留まっていてくれるのかは分からない。それこそ、既にこの町を離れている可能性すら十分にあるのだ。

 調査が空振りに終わる度にホークの苛立ちは募り、目に見えて口数も減っていった。


 こうなるともう手段はそう多くない。

 その中で最も可能性がありそうなのは、バラディア軍を尋ねてみるという選択肢だ。


 ここセドガニアにはかなり大きな軍事基地がある。あそこならば、もしかすると一般には公開されていないような情報が集まっているかもしれない。

 少なくともバラディア軍はセドガニアの警戒レベルを上げている。

 門で聞いた兵士の話からはそれがブラッディ・リーチに関することなのか判断できなかったが、行ってみる価値はあるだろう。


 しかし、さすがに魔族であるパンダを、魔族討伐のエキスパートであるバラディア軍基地に近づけるのは得策ではない。

 ここはホークの出番だ。またしても勇者という肩書をフルに使っての情報収集をすることになった。




 そうしてホークがバラディア軍に出向いている間、パンダは待機ということになった。

 それほど長い時間がかかるとも思えないので、適当に食事でもして時間を潰すことにした。


 パンダは新しい土地に出向く度に、飲食街を見て回るのが楽しみで仕方ない。

 リビア町は自然豊かな土地柄もあって身体に良さそうなものが多かった。良くも悪くも質素。ただし野菜とスープは絶品だった。

 逆にシューデリアは俗っぽいB級グルメと高級店がごちゃ混ぜに立ち並んでおり、さながらテーマパークのようでとても楽しかった思い出がある。


 ではセドガニアはというと。



「いやああああん素敵いいいいい!!!」



 目を爛々と輝かせながらパンダが叫んだ。


 セドガニアはとにかく魚介だった。

 魚だけではなく、貝やら海藻やらとにかく海の幸に恵まれた町だ。

 食べ方も様々で、煮るも良し焼くも良し。なんと生のまま切り身を米に乗せる店すらあった。

 大きな店は開け放たれた大衆食堂やオープンカフェぐらいしかなく、他は露店がメインだった。


 小さな屋台に数席の椅子が並び、それらが列を成して一つの道を作っている。

 まさに食い倒れロードとも呼ぶべき様相だった。


「こ、この匂い……たまらないわね!」

 特にパンダを興奮させたのは、焼き魚の香ばしい香りだった。

 串に刺さった魚がそこら中で焼かれ、それら全てが織り合わさったなんともいえない匂いがパンダの鼻孔をくすぐる。


 時間帯もまさに昼時のピーク。

 大勢の人でごった返す食い倒れロードに満ちる喧噪と、海辺の解放感も手伝ってまたどうしようもなく食欲を誘った。


「おう嬢ちゃん! どうだい一杯!」

 声をかけられたパンダが振り向くと、屋台から気の良さそうな男がハチマキ姿で丼を持っていた。


「あら丼もの? ごめんなさい。私今日は魚尽くしにしようと思ってるの」

「何言ってんだ嬢ちゃん。ここはセドガニアだぜ? 当然魚料理に決まってらあ」

 そう言って男は丼の中身をパンダに見せた。


「タイフィッシュって白身魚の炊き込み飯さ! うち秘伝の特製だしが効いてて最高だぜ? どうだい、食べるか?」

「食べるううう!」

「はいよ! タイ飯一丁! 嬢ちゃん美人さんだから大盛サービスだ!」

「わーい♪」


 そうしてパンダもまた喧噪の一部へと飲み込まれていったのだった。






「では夕飯の買い出しに行ってきます」

「ごめんなさいねぇパイさん……買い置きがないの忘れてて」

「いえ、お気になさらず」


 ルドワイア騎士団の二人を送り出した後、昼食を取った『白鳩』の面々。

 その際に孤児院の院長であるモニカが、夕飯の分の食材がないことに気が付いた。

 同じく教会の神官であるパイが買い出しを買って出た。


 ちょうど散歩がしたかったというのもある。

 今セドガニアは町中の神官が総出で入国者の検査に当たっている。

 パイもそれに徴用され、早朝から数時間も拘束されたのだ。少し体を動かしたかった。


 神官の服を脱ぎ、私服に着替え教会のドアを開ける。

 同時に漂ってくる潮風の香りがパイは特に好きだった。

 穏やかな陽気。未知の脅威が迫っているなど信じられないほどに和やかな日常がそこにはあった。


「あ、パイ! どっか行くの?」

 一人の少年がパイに気づき駆け寄ってきた。


 教会に隣接している孤児院の庭で遊ぶ数名の子供たち。その中でも特に活発で人懐っこい少年が彼だ。

 名はケリー。今年で九歳になる男の子だ。モニカはもちろん、特にパイによく懐いている。


「はい。夕飯の買い出しに」

 パイが応える。

 ケリーに敬語を使うのは特別な理由があるわけではない。

 パイは誰に対しても礼儀正しく、敬語を使うというだけだ。


「そうなんだ。じゃあ俺荷物もつよ!」

 笑顔でそう言うケリーにパイも微笑み返し、有難く承諾しようとしたとき。

「ねえケリー! 早く続きやろうよー!」

 孤児院の庭からケリーを呼ぶ子供たちの声。

 見ると、どうやらボール遊びの途中だったようだ。


 それを見て、パイは優しくケリーの頭を撫でた。

「それには及びません。大した荷物でもありませんから、ケリーは遊んでいてください」

「えー……でも」

「子供は遊ぶのも仕事の内です。それに、今の内に沢山遊んでお腹を空かせておくと、夕飯がとても美味しくなりますよ」


 パイの説得にやや渋々とした様子で従うケリー。

 孤児院の庭に戻っていき、そのまま子供たちをボール遊びを再開した。


 そんなケリーを微笑ましく眺めながら、パイは今日の夕飯を奮発しようと決めた。






 パイ・ベイルはこの町で生まれ、物心ついたときには孤児院『白鳩』にいた。

 そんな彼女が教会の教えを受け、やがて修道女になるのは当然の成り行きだった。

 中でも彼女は、スキルの力を用いて人々を救う神官の道を選んだ。


 神官が用いる神秘の力……それは人の病を癒す神の御業。


 ――そんな風に考えられていたのは遥か昔の話だ。

 つまるところはレベルシステムによって会得したスキルに過ぎない。

 ルドワイア帝国が宗教の統一を図ってからはその認識はより強固になったし、実際にそれは正しい。


 パイもスキル習得のためにレベリングをしたことがあるし、思いのほかパイはポテンシャルが高かった。

 そんなレベリングの最中に出会った冒険者パーティと、奇妙な縁から共に活動するようになったのが数年前の話。


 今では冒険者は廃業したが、なんだかんだとレベルは上がり、現在はA-22という、それなりに高レベルな神官にまで成長した。


 数カ月前にセドガニアに戻ってきたパイは、それから神官として成長した能力を存分に奮ってきた。

 冒険者時代はどちらかと言えば白魔導士としての活動が主だったが、パイには神官の適性の方が強くあった。

 怪我や病を治すスキルを多く習得し住民を助けてきた彼女はこの町の人気者だ。


 私服に着替えた今のパイを見て神官だと気づく者は少ないだろう。

 だがそれでも少し買い出しに出るだけで、すれ違う人々から挨拶されるほどだ。


 それに一つずつ丁寧に応えるパイ。

 冒険者時代のあの慌ただしい日々は鮮烈で新鮮だったが、やはりパイにはこういう生活の方が合っているようだ。


「さて、今日の夕飯はどうしましょうか」

 商店街を見て回りながら今日の献立を考えるパイ。

 この町はどの食材も新鮮で美味しいが、やはり魚が名産品だ。


 ……なのだが、逆に白鳩の子供たちはいい加減、魚料理に飽きているらしい。

 度々肉料理が食べたいとせっつかれてモニカが困っているのを目にしたことがある。


「では今日は豪勢にお肉をふんだんに使った料理にしてみましょうか」

 子供たちの喜ぶ顔が目に浮かびほころぶパイ。中でもケリーは特に大喜びするだろう。


 そう考えて肉屋に向かおうとしたとき、ふと曲がり角から人影が現れた。

 咄嗟のことで反応が遅れたパイと人影がぶつかる。


「きゃっ」

「うわっと!」


 身体同士がぶつかり体勢を崩すパイ。

 しかし冒険者時代を乗り越え成長したパイはこの程度では転倒もしない。身体が自然とバランスを保ち、数歩よろけただけで済んだ。


「いやあ~すんませんっす。前方不注意っすね~」

 ぶつかった人影が陽気に謝罪した。


 おそらく二十代前半と思われる、栗色の髪をした明るい女性だった。

「怪我はないっすか? 大丈夫っすか?」

「ええ、大丈夫です。お気になさらず」

「いやあ~ほんと申し訳ないっす。次からは気を付けま~っす。そんじゃっ」


 女性は明るい口調で軽く手を振り、パイを通り過ぎた。

 なんだか騒々しい人だなとパイが笑った、その直後――。


「うわっとっ!?」

「おっとっと~」


 背後で再びその女性の声。

 振り向くと、なんとまたしても別の誰かとぶつかったようだった。


「……えぇ?」

 まさか立て続けに二度もぶつかるとは思わず、パイは思わず呆れ半分に噴き出してしまった。


 予想外だったのは女性も同じなようで、慌てたように飛び退った。

「いってて。もう、何なんすか!?」

「あらら、ごめんなさいね」


 見ると、ぶつかったのは奇妙な出で立ちの少女だった。

 目の覚めるような美少女。紫のショートツインテールに、紫のゴシックドレスを着流している。

 おそらくこの付近の子ではない。こんな目立つ少女をパイが覚えていないはずがない。


 更に目につくのは、両手に抱えた食べ物だ。

 右手には三本の串。それにはそれぞれ別の焼き魚が刺さっており、左手には袋を一つ抱えている。その中にもぎっしりと食べ物が詰まっていた。


「許してちょうだい。前方不注意ってやつよ」

「ったく~。どこ見て歩いてんすかっ! 気を付けてくださいよね!」

「ええ、次からは気を付けるわ」


 まるで先程のパイと女性のやりとりを見ていたかのように、少女の言葉は二人の会話を忠実になぞった。


 まったくもう、と先程とは打って変わって不機嫌な様子の女性。

 しかしそれ以上気にすることもなく、ぷんぷん怒りながらその場を去ろうとした。


 ――その背中に、少女が声をかけた。


「ねえ、これ落としたみたいだけど?」


 その声に振り向く女性。パイもつられて、少女が手に持ったものを見遣った。

 それは巾着袋だった。

 大抵の者はああいう袋にゴールドを詰めて持ち運んでいる。

 少女はその袋をチャラチャラを揺らし、女性に見せた。


「これ、あなたのじゃない?」

 その言葉に女性だけでなく、パイも思わずその袋を見つめ……。


「……え? ――あっ!?」

「…………え?」


 同時に声を漏らした。

 どちらも同じ感情。困惑の後に驚愕を声に出した。

 ――だがその意味合いは全く異なる。


 パイと女性は同時に自分の所持品を手探りで確認した。

「……ない」

 愕然とするパイ。腰に下げていたはずの巾着袋がなくなっている。

「……」

 一方で、女性の方もまた信じられないような表情を浮かべていた。


「あの……その袋は……」

 パイは思わず少女に歩み寄り声をかけた。


 少女が持つ袋は、どう見てもパイのものだった。

 同じような巾着袋でも、毎日使うものだ、自分のものを見間違えたりはしない。


「……少しいいですか?」

「ええどうぞ」

 少女から袋を手渡されたパイは中身を確認する。


 ……やはり同じだ。

 さっき買い物用に金額を確認したから間違いない。


「これ……私のです」

「あらそうなの? あの人が落としたんだけど」

 少女は可笑しそうに女性を指さした。


「え、いや、あの~……あ、あははぁ~……」

 冷や汗を流しながら狼狽する女性。

 その姿を見て、パイも事情を察した。


 ――スリだ。

 あの女性は先程パイとぶつかった瞬間に袋をスっていたのだ。

 ……そして。


「……」

 パイが恐る恐る少女の方を見る。

 すると少女と目が合い、少女はパチンと可愛らしくウインクを飛ばしてきた。


「……」

 その仕草で、少女もまた全てを把握していると理解できた。


 つまり、この少女もまた、あの女性から袋をスったのだ。

 正確には……おそらくパイが袋をスられるのを目撃し、スり返してくれたのだ。


「……そ、そん……」

 そんな馬鹿な。

 言葉にせずとも、女性の顔はそう言っていた。

 そしてそれはパイも同意見だった。


 油断があったとはいえ、パイに一切気づかれることなく袋をスってみせたあの女性の腕前はかなりのものだ。おそらく相当手慣れている。


 そんな女性に気づかれることなくスり返すこの少女は一体何者なのか?

 いや、それだけではない。


「あら? どうしたの二人とも、黙っちゃって。……もぐもぐ」

 美味しそうに焼き魚を齧りながら尋ねる少女。


 ……そう、この少女は今食べ物で両手が完全に塞がっている。

 右手には三本の串。左手には大きな紙袋。とても満足に手を動かせる状態ではない。


「……どうやって……」

「見様見真似よ。初めてやってみたけど案外できるものね」

「……」


 呆気にとられるパイ。

 もっと追及したいところだが……今はそれよりも重要なことがある。


「――そこの貴女。これはどういうことでしょう?」

「えっ!?」

 呆気に取られていたのは女性も同じのようだ。

 パイからの呼びかけに我に返った様子で慌て始めた。


「貴女が私から袋を盗ったんですね?」

「え、え~? いやぁ、そんなことはないと思うんですが……うん」

「では何故この少女が私の袋を持っているんです?」

「そ、それはほら……あっ! きっとこいつがスったんすよ! あなたから! そうに違いないっすよ。いやぁ~こんなちっこいのにワルっすねぇ~こいつ! とんでもない奴っすよ!」

「アハハッ! あなた面白いわね」


 愉快そうに笑う少女。

 焼き魚を頬張りながら、まるでコメディ演劇でも眺めるような気軽さでこの場を見守っている。


 それに反比例して、パイの表情はどんどんと険しくなっていく。

 素直に謝罪するならまだ救いはあったものを……平然と嘘を並べ立てる様には反省の色など微塵もない。


「……自警団に突き出します」

「ちょっ!? そ、それは勘弁してくださいっす~!」

「なりません。私はこの町の平和を願う者として、あなたのような人を見過ごせません。いい歳した大人がこんな姑息な真似を……恥を知りなさい!」

「す、スリに歳は関係ないっすよ!」

「あら? 今の完全にスリだって認めちゃったわよね?」

「あうっ!」


 パイが女性にじりじりと詰め寄る。

 ぐぬぬ……と追い詰められた女性が――次の瞬間、パイの後方を指さした。


「――あ! そこに魔人が!」

「え!?」

 咄嗟に振り替えるパイ。

 が、当然のごとくそこには魔人らしき人影などない。


「ぷふぅ~っ! 引っかかってやんのぶぁ~~か!! こんなとこに魔人なんかいるわけないっしょマジウケルんすけど~! さいなら~♪」


 シュタタッ!

 女性はパイを嘲笑しながら一目散に逃げ去っていった。


「なっ……!?」

 騙された分と煽られた分の、二重の怒りに顔が紅潮するパイ。

 だがもう一つ追加でパイは赤面することとなった。


「ぷっ……あははっ! あ、あなた……! あんなのに引っ掛かる普通!?」

「ぐっ……!」


 紫の少女からも笑われ、パイは恥ずかしさと屈辱感で拳を震わせた。

「ま、待ちなさい!」

 急いで女性を追いかけるパイ。

 すると、何故か少女もパイの後についてきた。


「? なんですか?」

「面白そうだから私も付き合うわ。半端に時間余っちゃってて」

「危険ですよ」

「心配しないで。私こう見えても冒険者だから」

「……冒険者?」


 訝しげに少女を眺める。

 すると、確かに腰に剣が差してあった。

「……そうですか」

 こんな歳で冒険者とは。

 そう言われてみれば、なるほど先程のスリの腕前もどこか納得できる気がした。


「……わかりました。そういうことであればお願いします」

「任せて。私パンダ、よろしくぅ」

「私はパイ・ベイルといいます。よろしくお願いします」


 こうして奇妙な出会いを果たしたパイとパンダは、二人並んでスリの女を追うこととなったのだった。

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