第67話 キャラメル・キャメル
パイと共に商店街を駆け抜けるパンダ。
時間帯は昼食時のピーク。商店街は大勢の人でごった返していた。
「すみません! どいて! どいてください!」
人垣をかき分けながら進む二人。その数十メートル前方に、同じようにして進む女性の姿が見えた。
あちらは丁寧に人を分けるようなことはせず、触れる端から相手を突き飛ばすようにして強引に道を作っていた。
「あははっ、こういうのも楽しいものね」
追いかけっこを楽しむ子供のように笑うパンダ。
「悠長なことを言ってる場合ではありませんよ! このままでは追いつけません」
「それは獲物を後ろから追ってるからよ。先回りしましょ。狩りの基本よ」
「? この近辺の地形に詳しいんですか?」
「いいえ全然。――でも、狩りの仕方は知ってる。こういうときはね、逃げる側の気持ちになって追うの。――こっちよ」
そう言ってパンダはパイの手を取っていきなり道を逸れた。
「ちょ、ちょっと!?」
突然のことに慌てるパイを気にも留めず、パンダは商店街の大通りにある脇道に入った。
そのせいであの女性を完全に見失ってしまい不安に駆られるパイ。
だがパンダはまるで正解の道を知っているかのように迷いなく脇道を進み続ける。
「どうしてこっちに?」
「あのまま北に進むとかなり開けた通りに出る。東にはバラディア軍基地がある。逃げる側はどちらも避けたいと思うものでしょう?」
「……」
「逆にこっち側は建物が密集して裏路地がたくさんある。ああいうコソドロが大好きなね。先回りしてれば、あっちから飛び込んできてくれるわ。――ほら来た」
パンダが指さした先に、大通りからこの路地に飛び込んできた女性の姿があった。
「――げっ!? なんで!?」
どうやら二人を撒いたと安心していたのか、いきなり近くに現れた二人を見て女性が飛びのいた。
「くっそ!」
再び逃げようとする女性。
だが近すぎる。もう十分にパイの有効射程に入っていた。
「『ライト・チェイン』!」
パイがスキルを発動する。
掌から放たれた数本の光の筋。それが鞭のようにしなって女性の右脚に絡みついた。
「ぶべぇっ!」
光の筋に足を取られて、女性は顔面から転倒した。
それを見てパンダがひゅう、と口笛を吹いた。
「やるぅ、あなた白魔導士だったのね」
「はい。これでも冒険者をしていたことがあります」
「なんだ、元同業者だったのね。今後ともよろしく~。――さぁて」
女性が転倒した隙に一気に接近。急いで起き上がろうとするが、それを遮るように立つ二人を見て女性は動きを止めた。
「鬼ごっこはおしまいよ。観念なさい」
「ちょ、ちょちょちょっと待ってほしいっす! 降参っす! まさか白魔導士とは思わなかったんすよ」
「言い訳は結構です。今からあなたを自警団に突き出します。きっちり絞ってもらいますからね」
「ま、待って! それだけは勘弁してほしいっす! うちにはお腹を空かせた妹と弟が……あたしが捕まったらあの子たちが……!」
目に涙を溜めて訴えかける女性に一瞬躊躇を見せるパイ。
慈悲深い神官としての性質が彼女の良心をくすぐる。
「……」
そんなパイの様子をじろりと見て取った女性が――そっと右手を背後に回す。
「……自警団にはついてきていただきます。ただ……今後このような真似はしないと誓っていただけるのであれば、私の方から多少好意的に事情を説明しても構いません。誓えますか?」
「誓うっす誓うっす! 誓いまくり! もう二度と悪いことしないっすよお!」
「……いいでしょう。ではついてきてください。自警団ではしっかりと反省の言葉を述べていただきますからね」
パイは『ライト・チェイン』を解除し、大通りに向けて歩き出した。
――愚かな油断と詰られても仕方のない失態。
無防備過ぎるパイの背後を見遣りながら、女性は背に回していた右手を取り出し――
「もちろんっすよ……甘っちょろい白魔導士さん!」
女性の右手に握られた小型のナイフにパイが気づいたときには、既に手遅れだった。
女性は手慣れた手つきでナイフを投擲した。
容赦なくパイの喉元を狙った一撃は、パイには回避できない奇襲。
しかし――。
キン、と堅い音が響き、女性が投擲したナイフが弾かれる。
勢いを失ったナイフはパイの足元に力なく転がり、それに並ぶように一本の串が地面に落ちた。
「なっ――!?」
女性が驚愕に目を見開いた。
完全に虚を突いたはずの一撃。それを防いだのはパンダだった。
「ちんけなスリくらいなら笑って許してあげられるけど、そんなもの持ち出すのはやり過ぎね」
そう言ってパンダは投げた串とは違う、別の串に刺さった焼き魚を齧り始めた。
「……パンダ、さん」
そこでようやくパイも事情を察した。
女性の投擲に合わせてパンダもまたあの焼き串を投げ、ナイフを弾いたのだ。
パンダは気にする素振りもなく飄々としているが、それにいったいどれほどの技量が必要か、パイも、そしてナイフを投げた当人である女性も理解できた。
驚愕と……それを上回る怒りがパイの胸に広がっていく。
「…………」
一秒ごとにパイの表情が険しくなっていく。
確かな怒りを秘めた眼差しは鋭く女性を睨み付けていた。
温情をかけた相手からの最低な裏切り。
こうなっては先程の妹や弟の話も真実とは思えない。人を騙し、欺き、裏切り、そんなことを平然と行える卑劣な女。
この女性は、パイがこの世で最も嫌悪する人種だ。
「あ、あはは~……ち、違うんすよ」
空笑いで誤魔化すが、女性の額から脂汗がいくつも滲み出てきていた。
「二人ともなんか勘違いしてるっす。白魔導士さんを傷つけようと思ってナイフを出したんじゃないっす。ほら、この子が魚食べてるから切り分けてあげようと思ったんすよ~」
「あなた本当に面白いわね」
女性の弁明を聞いてパンダは可笑しそうに笑っていたが、それとは対照的に、パイは女性の言葉を聞くほどに胸中が冷め切っていった。
「ねえ、あなた名前なんていうの?」
「え、な、名前っすか? いやあ……あたし実は孤児でして。名前とかないんすよねー」
「妹たちにはなんて名乗ってるの?」
「い、妹?」
「いるんでしょ? 妹と弟」
「あ、あー……そうっすね、はい」
やはり嘘だったか、とパイは深い溜息を吐いた。
なかなか口を割ろうとしない女性に、パンダも呆れたように肩をすくめた。
「往生際が悪いわね。まあいいわ、自警団で聞けばいっか」
「わーっ! 待って! キャメル! キャラメル・キャメルっす!」
「あら、かわいい名前ね」
「……偽名の気がするのですが」
「偽名っす! でもほんとに名前はないんす。だから自分でそう名乗ってるんっすよ」
「わお、なんだか親近感覚えるわぁ」
「あ、も、もしかしてあなたも偽名なんすか? うわーじゃあ私たちもう友達みたいなもんっすね!?」
「あはは。まあそうかもね」
「ですよね!? じゃあここは何とか見逃してほしいっす。親友のオチャメだと思って」
「駄目です」
ひたすら自分勝手な理屈を並べ続ける女性、キャメルに対してパイは今度こそ一歩も譲らない姿勢を見せた。
よほど先程の奇襲が腹に据えかねるらしい。
「あなたのような人に少しでも情けをかけた私が愚かでした」
「ゆ、許してほしいっす! 私なんてほんと取るに足らない家なし子なんす。路地裏育ちの惨めな孤児っす。憐れんでほしいっす!」
ぶちん、とパイの額から血管の切れた音が聞こえた気がした。
「……この私の前で孤児を侮辱するなんて……許せない!」
「え、ちょちょちょっと待って。そんなつもりは……」
「もう諦めなさいよ。あんまりしつこいと折角の謝罪芸もくどくなっちゃうわよ」
「ぐ、ぬぬぅ……!」
ぎり、と歯を噛みしだくキャメル。
しかしその姿からは観念した様子はなく、むしろどこか腹をくくったように見えた。
「……どうあっても見逃す気はないんすね?」
「無論です。あなたには自分の犯した過ちをしっかりと悔い改めていただきます」
「……そうっすか。後悔するっすよ……?」
キャメルがゆっくりと両手を背後に回す。
今度はパイの目にもそれと分かる程あからさまだった。
「っ、あなた、まだ……!」
「往生際悪いわねえ。たかがスリ程度、ちょっと怒られてくればいいじゃない」
「……ひひっ、スリ程度、っすか? そうっすよねぇ、あんたらにとっては。でもね、お金がないとパンも買えないんすよ。飢えて死ぬんす。スリだってあたしにとっては命がけだったんすよ」
パイが右手を構える。いつでも白魔法を発動できる準備を整える。
パンダは焼き串を紙袋にしまい、右手を剣の柄に這わせる。
「この程度のピンチなんでもないっす。いつだって乗り越えてきたんす。ええ、あたしは惨めなコソ泥っす。いつだって無様に媚びへつらって……平気で人を騙して、裏切って……そして……」
キャメルは意を決したように右手を抜き放ち、何かを投擲した。
「――生き残ってきたんすよ!」
白刃が閃く。
投擲に合わせて抜き放たれたパンダの剣が投擲物を捉える。
容易く両断されたそれは、何やら筒状のものだった。人を殺傷することを目的とした形ではない。
「……? これは……」
呟くパンダ。直後、ぼふん、という破裂音と共に辺りが白に包まれた。
「な……! 煙幕!?」
パイが狼狽し、白魔法を放つ機を逃す。
辺りに充満した白煙に視界を遮られ、完全にキャメルを見失うパイ。
「ヒャハッ!」
その隙に乗じキャメルが動く。
袖に仕込んでいたワイヤーを射出。路地裏の壁に固定し、ロープを巻き取る。
巻き取られたワイヤーと共にキャメルの身体も浮き上がり、白煙の中から離脱する。
「ヒャッハーッ、残念っしたねぇ!? そんじゃさいな――」
ひゅん、と何かが飛来する音が聞こえ、次の瞬間キャメルの身体がぐらりと傾く。
「え?」
浮き上がっていたはずの身体が急に重力に引き寄せられ、急速に落下。そのまま路地裏の地面に顔から激突した。
「ぴぎゃっ!?」
カエルのように地面にうつ伏せに倒れ込むキャメル。
何事かとワイヤーを確認すると、ワイヤーが中ほどで切断されていた。
「な、なんで!?」
困惑しながら視線を動かすと、壁に突き刺さった一つのナイフを見つけた。
それは先程キャメルがパイに向けて投擲した投げナイフだった。
「いろいろ仕込んでるのねあなた。次はもっと面白いの期待していいのかしら?」
白煙の中から声が聞こえ振り返ると、パンダが楽しそうにキャメルを眺めていた。
「こ……」
こいつ……!
キャメルが驚愕する。
パンダはあの一瞬の内に地面から投げナイフを拾いあげ、キャメルが射出したワイヤー目がけて投げ返し、ワイヤーを切断したのだ。
「ば、馬鹿な! なんで見えてるんすか!」
パンダは白煙に呑まれ視界を奪われたはず。
何故そんなにも正確な投擲ができるのか?
「ああ、私に目くらましは効かないわよ。目がいいからね」
パンダの右目には、あらゆる魔力を見通す魔眼が宿っている。
たとえ物理的に視界が遮られようとも、キャメルが放つ魔力の波長を追えば見逃すことはない。
「ぐっ……! ま、まだっす! 勝負はこれからっすよ!」
そう言ってキャメルは路地裏の奥へ駆け出して行った。
「勝負、ねえ」
逃げてるだけじゃない、とその後ろ姿を微笑ましく見送るパンダ。
「けほっ、けほっ! ぱ、パンダさん、一体なにが……!」
「ほら、こっちよ」
「え、あ、ちょっと!?」
煙の中からパイの手を掴んで引きずり出し、キャメルを追って走り出す。
キャメルは迷宮を彷徨うかのように路地裏を走り続け、ゴミに躓き壁にぶつかりながら必死に逃亡していた。
その背中が見える距離にぴったりと張り付いて走る二人。
「なんて人なの……! 往生際が悪いにもほどがある!」
「彼女、盗賊ね」
パンダの言葉に、え? とパイが聞き返す。
「ただのスリにしては装備がガチすぎる。使ってる装備も、どれも盗賊が好んで使うようなものばかり。多分、スリとかはほんの暇潰し程度で、本職は盗賊なんでしょうね。そりゃ自警団に行きたがらないわけだわ」
「……盗賊」
その言葉にパイの目が吊り上がる。
盗賊と聞けば、否が応にも『ヴェノム盗賊団』が頭をよぎる。
最近セドガニアを拠点とし暴れている極悪な盗賊団だ。パイの愛するこの町の平穏を脅かす、ある意味では魔物以上に忌むべき存在だ。
「……許せない。絶対に自警団に突き出してやります」
「その意気よ。ほら、捕まえたわ」
パンダとパイが動きを止める。
目の前には、袋小路に阻まれて動けなくなっているキャメルの姿があった。
「あ、う、ぐう……!」
ペシペシと壁を叩いて悪あがきするキャメル。しかし背後に二人が立っていることに気づき、完全に追い詰められたことを悟ったようだった。
「ま、まま待って! 暴力反対! 話を聞いてほしいっす!」
「……黙りなさい」
「私は聞いてあげるわよ? あなたの悪あがき滑稽で面白いし」
「降参! 降参っす! だから命だけは勘弁して欲しいっす! うちには寝たきりのおばあちゃんが……!」
「もうあなたの言葉なんて聞く耳もちません。地面に膝をついて両手を上げなさい」
「分かったっす! 言う通りにするっす! ほらっ、何も持ってないっす!」
キャメルは指示通りに地面に両膝をつき、両手を上げて戦う意思がないことを示した。
「……今からあなたを拘束します。命までは取りませ――」
言いながらパイはゆっくりとキャメルに歩み寄り――
「――ッ、パイ、待って!」
「え?」
「……ヒャハッ」
咄嗟に呼び止めるパンダ。
しかし一歩間に合わず、パイのつま先が何かを引っ掛ける。
それはこの袋小路に張られた一本のワイヤー。それがパイの足によって、ぐい、と引っ張られる。
直後、ぶしゅう、という音と共に壁から黄色いガスが噴き出てきた。
「なっ!?」
不意を突かれたパイがその煙を吸い込んでしまう。
途端、どくんと早打つ鼓動。体に力が入らなくなり、パイは地面に倒れ込んだ。
「――ヒャハハッ! まんまと引っ掛かったっすね! あたしはここに追い込まれたんじゃないっす。あんたらをここに誘い込んだんっすよ!」
キャメルは勝ち誇った笑みを浮かべながら懐からマスクを取り出し装着した。
「ここらはあたしの庭っす。こんなこともあろうかと事前にいろいろ仕込んでたんすよ! そうとも知らずにアホ面並べて罠にかかってやんの! ぷふぅ~! 正義漢ぶってるからこんなことになるんすよばぁ~~~っか!!」
「……なるほどねぇ」
パンダも今回ばかりはしてやられた気分だった。
キャメルを一方的に追い詰めているという思い込みが、この路地裏そのものへの注意を散漫にしてしまった。
パンダ達は狩る側ではなかった。先ほどキャメルが言った通り、これは確かに『勝負』だったのだ。
黄色い煙は袋小路を覆いつくした。
パンダはこの中でも目が見えるようだが、それはキャメルにとってはもう問題ではない。
この煙はキャメル特製の痺れ薬だ。
命を奪うほどの力はないが、一息吸うだけでも数時間は身動きが取れなくなるほど強力。即効性も高いため、この煙を発動させた時点でキャメルの勝利も同然だ。
「じゃ、楽しい罰ゲームといきましょうかねぇ~?」
キャメルは投げナイフを取り出して構える。
目標は、痺れ薬で動けなくなっているパイだ。
「あんたみたいな善人ぶった女が一番嫌いなんすよ!」
投擲。
ナイフがパイの頭部に迫る。身動きができないままそのナイフを見つめるしかないパイ。
「くっ――!」
恐怖に駆られ目を瞑る。
ナイフがパイに命中する、その直前――。
カン、という甲高い金属音が響く。
「え?」
パイが目を開けると、彼女を庇うようにパンダが立っていた。
手には彼女の直剣。痺れ薬の影響をものともせず、パンダは飛来した投げナイフを打ち払った。
「な、なんで動けるんすか!」
パイが後ずさる。
パンダもまた痺れ薬を吸い込んでしまっていた。本来なら身動きが取れる状態ではないはず。
……もしパンダが人間であったなら。
「残念だったわね。私、この手の状態異常に耐性があるから」
パンダに限らず、魔人はそういう種族だ。
今のパンダはレベルダウンに伴いその耐性が弱まってはいるものの、パイほど痺れ薬の影響を受けることはない。
「あ、あんた……なんなんすかさっきから!」
キャメルの中に激しい怒りが生まれる。
不意打ちの投げナイフ。煙幕。痺れ薬。
その全てをパンダ一人に攻略されている。
相手がパイ一人ならキャメルはとっくに逃げおおせていたというのに、こんな少女一人のせいで、未だにキャメルは窮地を脱することができずにいる。
「で、でも多少は効いてるみたいっすね。なんすか。やる気っすか? 痺れ薬のせいでまともに戦えないくせに!」
「そうねぇ、確かに薬が効いててうまく戦えないかもだけど……」
パンダは剣をキャメルに向けて構えた。
「あなた一人くらいならなんとでもなるわよ?」
少女から放たれているとは思えない威圧感に、キャメルが更に一歩たじろぐ。
その時、キャメルは直感した。
この少女と戦えば、自分は負ける。
「くっ……!」
キャメルが懐から何かを取り出した。
それはマッチだった。
それがキャメルにとっての最終手段だった。
「こ、この煙は可燃性が高いんすよ。ここで私がマッチに火をつけたら、ここら一帯火の海になるっすよ!?」
「あなた……手を変え品を変え、よく頭が回るものね。惜しいわね……スリなんてやめて盗賊として真っ当に活動すればいいのに」
「真っ当な盗賊なんていないっすよ」
「あはは、それもそうね。ところで、そんなことしたらあなたも危ないんじゃないの?」
「……危ないっすよ。でも、逃げる算段はあるっす。――そこで倒れてる人とは違って」
パンダはちらりとパイを見遣った。
パイは痺れ薬のせいで身動きが取れなくなっている。ここで路地裏で火災なんて起きたら助かる可能性は低いだろう。
「ほらほら、どうするんすか? そんなに戦いたいなら相手になってやるっすよ? それともビビっちゃったっすかあ?」
「はあ……分かったわよ。見逃してあげるから、さっさと消えなさい」
「ぐっ……」
一回り以上も年下の少女に舐められた屈辱にキャメルの頬が紅潮する。
だがそこで食い下がれないのがキャメルという女性の小物なところだ。
キャメルは悔しそうに唇を噛みしめながらも、路地裏の高い壁に向けて仕込みワイヤーを射出した。
「か、顔は覚えたっすよ! 次に会ったときにはこの借りを倍にして返してやるっすから首を洗って待ってろっす!」
「わお。負け惜しみのフルコースね」
「負けてないっす! 戦略的撤退っす! 覚えてろっす!」
そう喚き散らしてキャメルはワイヤーを巻き取った。
キャメルの身体が浮き上がり、路地裏の壁を超える。
やがてキャメルの姿が見えなくなると、パンダは倒れ込んでいるパイに振り返った。
「大丈夫?」
「くっ……う……」
パイは苦しそうに身体をよじる。が、痺れ薬のせいで力が入らないのか僅かに身じろぎができる程度だった。
「すみません……私のせいで」
「気にしないで。私に不利益があったわけでもないんだし」
パンダにとってはこの一件など単なる遊びに過ぎない。
本番であるブラッディ・リーチ討伐までのほんの暇潰しだ。
「動ける?」
「うっ……いえ、身体が痺れて……」
「うーん、じゃあ私が運ぶわ」
「す、すみません。何から何まで」
「気にしないで。困ったときはお互い様って言うらしいじゃない」
パイの身体を掴んで運ぼうとするパンダ。
「む……」
しかし力を込めてもずるずるとパイを引きずるのが精一杯だった。
非力とはいえ今のパンダのレベルは12だ。それくらいになればパイのような少女一人なんとか運べそうなものだが、うまくいかなかった。
「ごめんなさい、どうも痺れ薬が効いてるみたい」
麻痺耐性はあるが、多少は効果があったようだ。うまく力が籠められない。
「あ、では白魔法をかけます。おそらく麻痺が解除されると思います」
「あら、そんなのあるならさっさと使えばよかったのに」
「うっ……面目ありません。突然のことで……」
「あはは、まあいいわよ別に。じゃあお願いしようかしら」
「はい」
パイは右手を震わせながらパンダに狙いを定め、白魔法を発動させた。
「――『セイント・キュア』!」
「え?」
ぽかんとした表情で呟くパンダ。
――そのときには既に白魔法が発動していた。
パンダの身体を『セイント・キュア』の光が包み――
「――きゃあ!?」
バチン、と紫電が走り、パイは咄嗟に右手を引いた。
「な、なに……?」
今まで感じたことのない手応え。何が起こったのか咄嗟には理解できなかった。
しかし神官として、その現象が何を意味するのかは知っていた。
セイントとは、『
つまりセイント・キュアとは、聖属性の白魔法だ。
――それが、弾かれた。
失敗したのではなく、魔法の対象者が聖属性を受け付けなかったのだ。
……その現象が起きる種族は、この地上では数種類しかいない。
「……あれぇ~?」
ぽりぽりと頭をかきながらパンダが呟く。
妖しい紫の瞳が、じろりとパイを見下ろしていた。
先程までの快活で明るい少女はどこに行ったのだと思ってしまうほど……今パンダが放つ気配は異様だった。
とても見た目相応の少女には見えず、パイの背中をぞくりと悪寒が走る。
「あなた、白魔導士じゃなかったっけ?」
「は、はい……あの、冒険者時代は……はい。ただ……もとは神官、で……」
「へー、神官? 神官から冒険者に転職したんだ。珍しいわねぇ」
「あ、その……縁が……パーティに誘われて……あの、それより……どうして、魔法が……?」
どうして。
どうして聖属性の白魔法が弾かれたのか……そういう意味なら、既にパイは理解している。受け入れられないというだけで。
だからパイが本当に聞きたいことは別。
――どうして、こんな場所に魔人がいるのか。
「あ、あなた……まさ、まさか……」
「……なんというか」
人気のない路地裏を、なんとか後ずさって逃げようとするパイ。
しかし痺れ薬のせいで身体に力が入らない。
そんなパイへ、パンダはゆっくりと歩み寄った。
「ごめんなさいね?」
その手に一振りの直剣を握りながら。
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