第68話 『魔人』


 パイが危機感を覚えたそのときには、パンダの身体がぐん、と沈み込んでいた。

「きゃあ……!」

 うつ伏せだった体がパンダに捕まれ、ごろんと半回転させられる。

 仰向けになったパイにパンダが馬乗りになり、パイの動きを封じる。


 その右手には、路地裏に差し込む斜光を跳ね返す鈍色の輝き。鋭利な直剣が握られていた。


「ま、魔人……!?」

「ええ」

「う、嘘です、そんなこと!」


 到底信じられなかった。

 こんなところを魔人がふらふらと歩いているなど非常識極まりない。

 それに、今はともかく……先ほどまでパンダが見せていた姿は人間の少女そのもの。無邪気に楽しそうに笑うその姿には、魔性の片鱗も感じなかった。


 ……だが、聖属性の白魔法が弾かれた以上、その意味合いを他ならぬ神官であるパイが否定することはできない。


「私の不注意だったわ。元冒険者の白魔導士だから神官の業なんて使えないって、固定観念に油断しちゃった」

 常識的に言えばそうだ。

 神官は戦闘用の職業ではない。

 神官から冒険者へと転職したパイの経歴が極めて異色なのだ。普通の白魔導士は、聖属性の白魔法など覚えない……いや、習得できないのが一般的だ。


 聖属性の白魔法は、ほとんどが神官に適性を持つ者にしか使えない。

 その神官が戦闘用の職業ではないからこそ、聖属性の白魔法を使える白魔導士は魔族との戦いで重宝され、それを攻撃手段として転用できる者は勇者とすら称されるのだ。


「お互い、不運な巡り合わせだったわね。――私のこと、恨んでくれていい」

 パンダは直剣を逆手に持ち直し、その切っ先をパイに向ける。

 上空から注ぐ凶刃の殺意を浴び、ひっ、とパイが息を呑む。

 無我夢中で逃れようとするが、パンダに馬乗りになられているため身動きが取れない。それでなくとも痺れ薬のせいで力が入らないのだ。


「こ、このことは、誰にも……!」

「いいえ、あなたは言うわ。あなたは真面目で優しい人。それにこの町を愛してる。そんな神官が、この町に潜む脅威を見過ごすはずないもの」

「や、やめ、て……」


 パンダが今何を考えているのかは明白だ。

 死人に口なし。彼女から放たれる殺気は静かで穏やかだった。敵意からくる殺意ではなく……故に無慈悲だった。


「死にたく、ない……た、助けて」

「駄目よ、神官が魔人に命乞いなんかしちゃ。せめて痛みはなく済ませてあげるから、目を閉じて」

「や、やだ……嫌だ! 誰か! 誰かぁッ!!」


 恐怖のあまり目に涙を溜めて叫ぶパイ。

 しかしここは人気の全くない路地裏。彼女の悲痛な声を聞き届ける者はいない。

「助けて! 誰か助けてぇ!!」

 どれだけ叫ぼうともその声は虚しく路地裏を反響するのみ。

 そんな哀れなパイの姿に、パンダは気の毒そうに小さく眉を寄せた。


「さようなら。運が悪かったと思って諦めてちょうだい」


 そう言い残し、パンダは容赦なく直剣を振り下ろした。

 迫る刃。

 あと瞬き一つ分の時間の後、自らの命を刈り取るその凶刃を見遣り、パイは死を悟った。

 恐怖に耐えきれず、パイは顔を背けて両目を瞑り――




「――――」

 そうして数秒が経過した。

 一瞬後に訪れると覚悟した痛みが、未だ来ない。


「…………?」

 恐る恐る目を開く。

 するとすぐ目の前に剣の刃があった。

 パイの心臓まで僅か数センチというところで、ピタリと止まっている。


 死んでいない……いや、というよりも、とどめを刺されていないという方が正しい。

 パンダは何故か寸でのところで剣を止め、彫刻のように静止していた。

 一体なぜ。そう思いパンダの表情を窺う。



 ――パンダは双眸を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべていた。



「――――うそ」

 ぽつりと呟くパンダ。

 彼女は何か信じられないものを目にしたようにパイを凝視していた。


「……パイ……あなた……まさか……」

 見ると剣の柄を握るパンダの手がかすかに震えていた。

 パンダは我を失ったように呆然とパイを見つめている。


 パンダが何に驚愕しているのか、パイには分からない。

 だがこれが千載一遇の好機であることは分かった。

 この隙にどうにか脱出を――。



「――何をしている?」



 その時、パイに福音が舞い降りた。

 路地裏から第三者の声が聞こえてきた。

 決して届かないと思っていた、パイの助けを求める声……それに応えるように一人の女性が立っていた。


 赤い長髪に端正な顔立ち。尖った耳はエルフの証だ。

 腰に差しているのは二丁の銃。珍しい武器だが、間違いなく戦士だろう。


「た、助けてッ!」

 咄嗟にパイが叫んだ。

 非戦闘員ではなく戦士がこの場に辿り着いたことは、パイにとってこれ以上ない幸運。助かる道はここしかない。


「助けてください! 襲われているんです!」

「……襲われてる? こいつにか?」

 女性は怪訝な顔でパンダを見た。

 確かにパンダはパイに馬乗りになり剣を振り降ろしている。傍目にも襲われていると判断できる構図ではあるが、それでもこんな少女が、という疑問が困惑となって女性の動きを封じているようだ。


 だがパイには、この女性を動かす強力な情報があった。

「魔人なんです!!」

「……なに?」

「この少女は魔人なんです! 本当です! 助けてください!」

「…………」


 その言葉を聞いて女性はさすがに険しい顔を浮かべ、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 パイの表情に希望が蘇る。

 一時は死を覚悟したほどの窮地に、これで大きな光が差した。

 人類だけでなく、エルフにとっても魔人は天敵。いかに不可思議な状況とはいえ無視はできないはずだ。

 あとはこの女性がパンダよりも強者なら……。


「……?」

 そこまで考えて、ふとパイに疑問がよぎる。

 エルフの女性の乱入を受けても、パンダは変わらず不動だった。

 パンダは未だに動揺から抜け出せていないようで、その瞳はじっとパイを見つめ続けていた。


「どういうことだ?」

 女性が尋ねる。

 それに応えようとパイが口を開き、

「あ、あの、この少女が」

「黙ってろ。貴様に言ってるんじゃない」

「え……」


 女性の問いはパイではなく、パンダに向けられたものだった。


「これはどういうことだ、パンダ」


「な……」

 何故この少女の名を知っているのか。

 ……考え得る限り最悪のケースが脳裏をよぎり、パイが身を震わせる。


「……白魔導士だと思ったら神官だった。白魔法を受けて魔人だってバレた」

 端的に状況を説明するパンダに、エルフの女性は呆れ果てたように嘆息した。

 その光景は、疑うまでもなく二人が顔見知りだと語っていた。


「ど、どうして……」

 魔人とエルフ。

 決して相容れない種族同士が、なぜ知己の間柄なのか。

 このエルフの女性は、明らかにパンダが魔人だと知っている。その上でまるで友人のように話している。


 九死に一生を得たと思った希望が、更なる絶望として襲い掛かった。

 もしこの女性がパンダと協力関係にあるというのなら……今この場は、パイにとって絶体絶命の死地でしかない。


「ま、魔人は……エルフの敵……でしょう?」

 パイの問いかけ。

 そうであってほしいという願いを込めた問いに、「ああ」と女性は短く答え……


人類きさまらもな」


 パイの頭蓋目がけて銃の引き金を引いた。


 銃声。

 紫の魔法銃から魔弾が放たれた。


 恐怖を感じる間もないほどあっけなく放たれた魔弾。

 パンダが慈悲深く思えるほどの容赦のなさは、まさに問答無用。物言わぬ銃そのもののような冷徹さだった。


 無抵抗なパイに向けて放たれた死の凶弾は――パイの数十センチ右側の地面に命中していた。

 パイが知っている魔法銃よりも遥かに大威力の魔弾。

 これが直撃していればパイの首から上は綺麗に吹き飛んでいただろう。


「……何のつもりだパンダ」

 魔弾がパイに命中しなかったのは女性が外したからではなく、パンダの妨害があったからだ。

 パンダは視線をパイに向けたまま、左手だけを瞬時に動かして魔法銃の銃身を掴んでいた。

 そのまま銃の軌道を逸らし、魔弾の脅威からパイを救った。


「…………だめ」


 パンダはあくまでパイだけを見つめながら呟いた。

「……この子は……殺しちゃだめよ」

「ふざけてるのか? こいつはお前の秘密を知った。殺すしかないだろ」

「……だめ。この子はだめ」

「おいパンダ」


 苛立った様子の女性を無視し、パンダはパイの首を左手で掴んで締め上げた。

「あ、ぐ……!」

「ごめんなさい。少しだけ、眠ってちょうだい」

 

 首を絞められ徐々に意識が薄れていく。

 何もかも訳が分からない状況の中……パイは為す術なく意識を手放した。


 ――ただ、その間際。

 うっすらと見えたパンダが、言葉にできない複雑な表情を浮かべていたことが、やけに脳裏に残った。






「……ん」

 その後、パイが目を覚ますとベッドの上だった。

 どれほど意識を失っていたのかは不明だが、窓の外の景色はまだ明るかったため、せいぜい数時間しか経っていないと思われた。


 見渡すと、そこは見慣れたパイの自室だった。

 孤児院『白鳩』に隣接する教会の一室。馴染んだベッドの感触に、パイは静かに安堵した。もう二度とこのベッドで眠ることはできないと諦観していたが、どういうわけか一命は取り留めたようだ。


「――ッ! パンダ!」

 だがそんな安堵も一瞬。

 あの少女を思い出しベッドから跳ね起きる。

 どうやら痺れ薬の効果は切れたようで、今は自由に体を動かすことができた。


 パイは急いで部屋を飛び出し、隣の部屋へ向かった。

 そこはこの教会に勤務するもう一人の修道女、モニカの自室だった。


「モニカさん!」

 ノックもなしに扉を開け放つ。

 中では椅子に座って紅茶を飲んでいたモニカが面食らった顔を浮かべていた。


「あらあら、どうしたんですかパイさん、そんなに慌てて。いえ、それよりもう動いても大丈夫なんですか?」

「な、何があったんですか!? 私はどうしてここに!?」

「ああ、あの方がここまで運んでくださったんですよ。なんでもパイさん、盗賊に襲われて薬で意識を奪われたとか」

「……っ」


 確かに半分は事実だが、もう半分はでまかせだ。

 パイの意識を奪ったのはあの少女、パンダだ。

 そして、何よりも重要なことをモニカは知らない。


 奴は魔人なのだ。

 魔人と、そうと知りながら行動を共にするエルフ。

 そんな危険人物たちがこの教会に立ち入り……あまつさえモニカと話をした。その危機感に、パイは思わず鳥肌を立てた。


「あ、あいつが……パンダが、ここに?」

「ぱんだ?」

 はて? とモニカは首をかしげた。


「……? 紫の少女が、来ませんでしたか? その少女の名がパンダというのですが」

「んんー……いえ、そんな方は来られていませんね。パイさんを連れてきてくださったのは、ホーク・ヴァーミリオン様です」

「……ホーク?」


 どこかで聞いたことのある名だが、すぐには思い出せなかった。

 だが状況から考えてあのエルフに間違いない。


「それは、あの赤い髪のエルフの女性ですか?」

「ええ。その方ですよ」


 一瞬戸惑うパイだが、すぐに事情を察する。

 パンダはどうやらこの教会には足を運ばず、パイを送り届けたのはあのエルフの女性一人だったようだ。

 それもよく考えてみれば当然の話だ。

 あの少女は魔人。わざわざ神の家である教会に近寄ろうとはしないだろう。


「あのエルフと何か話したんですか?」

「ええ。最近この町で起こっている事件について尋ねられましたので、私の知っている限りでお答えしました。ちょうどルドワイア騎士団の方々から話を伺っておりましたので、そのことも」

「そ、そんなことしてはいけませんモニカさん!」

「え、何故ですか?」

「だって……!」


 あのエルフは魔人の仲間だから。

 そう口をついて出てしまいそうになり、思わずパイは口ごもった。

 今それを伝えるべきか迷い、結局保留にした。代わりに別の理由を言った。


「……ルドワイア騎士団の方々から教えていただいた情報です。あまりみだりに口外すべきではないと思います」

「ああ、それなら問題ありませんよ。だってホーク様は勇者様ですもの」

「――――は?」

「驚きましたぁ。まさか勇者様とお会いできるだなんて思いませんでしたもの」


 意味不明な言葉を聞き、パイが素っ頓狂な声を上げる。

「ゆう……しゃ? は? だ、誰が……?」

「誰って、ホーク様です。窮地をあんな御方に救っていただけるなんて、これも日頃の信心の賜物でしょう。後ほど一緒に主に感謝の祈りを捧げましょうねパイさん」

「……」


 質の悪い冗談を言うなとモニカを諫めようとしたパイは、しかしそこでふと思い出した。

「……あ」

 先日、ハシュール王国で勇者の称号を認められたエルフがいた。

 他国の話だが、大きなニュースだったのでパイの耳にも届いていた。そのエルフの名が、確かホーク・ヴァーミリオンだったはずだ。


「……馬鹿な」

 あれが勇者?

 そんなことが有り得るはずがない。

 無感情にパイに銃口を向けて引き金を引いたあの冷徹な眼差しを思い出し、パイはぶるりと身震いした。


「……」

 伝えるべきだ。

 あのエルフは魔人の仲間、あるいは手先……何にしてもあの少女と協力関係にある危険人物だ。


「――あの、モニカさ……」

「ああ、そうそう!」


 パイの言葉よりも一歩先んじて、モニカが手を叩いた。

「忘れるところでした。ホーク様から預かっていたものがあったんでした」

「……預かり物?」

 身に覚えがなく困惑するパイ。

 いずれにせよあのエルフから渡されるものなどろくなものとは思えないが……。


「えっとぉ……ああ、これですこれです」

 モニカはポケットから何かを取り出した。

 かなり小さなもののようで、モニカの小さな手にすっぽりと握り込まれていた。

 モニカが右手を差し出し、そっと手を開いて握っていたものをパイに見せた。



「――ひっ!?」



 思わず一歩後ずさるパイ。


 ――それは一発の銃弾だった。

 鉛玉ではない。魔法銃用の魔石を加工した、魔弾だった。


「こ、これは……!?」

 上ずった声で尋ねる。

 モニカは「うーん」と頭を捻った。


「私もよく分からないのですが、見せれば意味が分かると仰っていました。、と」

「……」

 ごくりと喉を鳴らす。

 撃ちそびれた分とは、考えるまでもなくあの路地裏での一発……パンダによってパイの頭を吹き飛ばし損ねた、あの魔弾のことを言っているに違いなかった。


「ああ、それとと仰っていました。何かのお守りなのかも知れませんね」

「人数分……? だ、誰のことですか?」

「多分、孤児院の子供たちのことではないでしょうか」

「なっ……」


 絶句すると共に、強烈な危機感に胃がぎゅっと収縮するのを感じた。

「こ、子供たちに会わせたんですか!? あの女を!」

「え、ええ……それが何か?」

「どうして!!」

「ど、どうしてって……何かいけませんでしたか?」


 大声を出すパイを不思議そうに見つめるモニカ。

 ぐ、と言葉を詰まらせる。

 いけませんでしたか、などと呑気に言うモニカに理不尽な怒りすら覚えた。


 いいわけがない。

 あのエルフは魔人の仲間なのだ。それを、よりにもよって孤児院の子供たちと会わせるだなんて。


「……」

 だがそれを伝えることはできない。

 もしそれをすれば……子供たちを含め、この教会の者に命はない。


 これは脅しだ。余計なことを喋れば殺すと、人質を取られたのだ。


「ふざけてる……!」

 魔人と繋がっている上に、あのエルフは平気な顔で人に銃を撃ち、子供たちを人質にとって脅す。


 ……あんな女が勇者であるはずがない。

 勇者とは人類の希望そのものだ。

 だがあのエルフの本質は、むしろ邪悪ではないか。


 しかし、あの二人の脅威を正しく把握しているのはパイだけだ。

「私が……私が、なんとかしないと……」

 震える手を胸元で握り、パイはその場にひざまずいた。


「主よ……どうか私に力を。悪しき者に立ち向かう勇気をお与えください」






 セドガニアのとある一軒家の屋根の上から、パイのいる教会と孤児院『白鳩』がはっきりと見渡せた。

 その屋根の上でパンダはじっと教会を見下ろしていた。

 あの路地裏での一件があってから、パンダはずっと思いつめた表情をしている。


「で、どうするんだ?」

 その傍らに佇んでいたホークが言う。

「言われた通り釘は差しておいたが、このまま放置するのは危険過ぎるぞ」

「……分かってるわ」


 パンダが何故パイの殺害を躊躇ったのか。

 その理由を、ホークはパンダから先程聞いた。

 驚きはしたものの、パンダの考えにホークはひとまず納得した……が、それはそうとしても問題は何も解決していない。


 パイはパンダの正体を知った。

 それは同時にホークの秘密を知ったも同然だ。魔人であるパンダとパーティを組んでいることが知れれば、ホークの勇者としての立場も終わる。

 なまじ勇者として有名になってしまった以上、もしこの秘密が広まれば二人はたちまち人間領に居場所を失うだろう。

 それでは魔王討伐どころの話ではなくなる。


「『なるようになれの出たとこ勝負』がお前の主義だと言っていたが、それでも今回は軽率過ぎたな。馬鹿が」

「もう、反省してるってば」


 ぷん、とそっぽを向くパンダ。

 再び肩をすくめるホークだが、それ以上追及するつもりはなかった。


 いずれこんな日が来るとは覚悟していた。

 もちろんパンダが魔人であることを最後まで隠し通せればそれに越したことはないが、それは難しいだろうと思っていた。


 ――パンダが魔人であるということは、決して消えない事実だ。


 現にセドガニアに入国する際も、一歩間違えれば検査で全てが明るみに出ていた。

 バラディアでこれなのだ。ルドワイアなどはもっと厳重だろう。いつまでも隠し通せることではない。

 ただ、ホークの予想よりも遥かに早かったというのは苦しい誤算ではあるが。


「厄介なのは、やはりあの女を殺せないということか」

 今回の一件も言ってみれば、パイをあの路地裏で始末できていれば問題はなかったのだ。

 それがこんな形で足元をすくわれるとは、さすがのパンダも想像もしていなかった。


「脅したとはいえ、絶対の保証はないぞ。むしろ私の読みでは奴は喋る。あの手の人間は自分のせいで周囲が被害を被ることを何より嫌う。しばらくは悩むだろうが、その末に私たちのことを伝える決心をするだろう」

 同じことをパンダも考えていた。


 僅かな時間ではあったが、行動を共にして感じたパイの印象は、誠実で潔白。真面目な堅物のイメージだ。

 孤児院の子供たちの安全はもちろん考慮するだろうが、そうであっても最終的にはパンダという魔人が町に入り込んでいること……そして勇者として称えられているホークがその魔人と行動を共にしていることを告白するだろう。

 パンダ達を放っておけば、どのような被害が出るか分かったものではない。


「……ねえホーク」

 囁くような声でパンダが口を開いた。

「もし、私のことがバレて、世界中に広まって……人間領に居場所がなくなったとしても」

 そのときだけは、パンダは心配そうな顔でホークを見返した。


「私と一緒に旅してくれる?」


 それは、あくまでもパンダはパイを見逃すということを意味していた。


 しかしそれはあまりにも酷な要求。

 パンダ以上に、ホークは有名になりすぎている。どの国、どの町に赴こうとも、まともに受け入れてはくれないだろう。

 むしろ騎士団が派遣され討伐の対象になるだけだ。


 二人はどこで体を休めることもできず、人間領に潜む騎士団の……そしてカルマディエの配下の魔人たちの脅威に晒されながら生きていくことになる。

 そんな状況では魔王討伐の旅どころではない。明日を生き延びるのも精一杯な日々になる。


「――何か勘違いしてないか?」


 その上で、ホークは断言した。

「私は勇者だから魔王を倒すんじゃない。人間共が私たちをどう思おうが知ったことか。むしろ、お前こそ覚悟しておけよ。今までのような能天気な旅ができないからといって泣き言は聞かんからな」


 パンダに念押しされるまでもなく、ホークの心は決まっていた。

 パンダと共にブラッディ・リーチを倒したあの日。

 そして、パンダと契約したあのときに。


「……」

 パンダは優しく、慈しむようにホークに微笑みかけた。

「ありがとう、ホーク。大好きよ」

「……虫唾が走る。二度と口にするな」


 不快感を隠そうともせず顔をしかめるホークに、パンダは楽しそうに笑った。

「――よっし! じゃあ気を取り直して、ブラッディ・リーチの討伐を目指しましょ! あの教会のシスターから話を聞いたのよね?」

「ああ。バラディア軍よりよほどいい情報が聞けた」


 ホークが話をした神官、モニカは、今日の午前中にルドワイア騎士団の騎士と情報交換をしていた。

 それが幸いし、ホークはその情報を丸ごと手にすることができた。

 バラディア軍を訪問して仕入れた情報と合わせると、かなり有力な情報が揃った。


「まず、ブラッディ・リーチはやはりこの近辺に出没したらしい。南の森でルドワイア騎士団と戦闘があり、特徴から間違いなく奴だとのことだ」

 これで二人がこの町に来た最低限の意義はあったということになる。


「加えて、奴と共に行動する魔人も確認されている。褐色肌に灰色の髪の女。職業はおそらくモンク。ルドワイアのエルダークラスと一対一でやりあって勝利するほどの強さらしい」

「決まりね。ベアよ。やっぱりあの子が噛んでたのね」


 完全にベアの特徴と一致し、これでベアとマリーが手を組んだことが確定した。

「なら、ある意味簡単な話よ。あの子、何を勘違いしたのかマリーが生きていた方が私の助けになるって思ってるみたいだけど、会って事情を説明すれば全部解決するわ」

「お前の命令なら従うか?」

「きっとね。『馬鹿なことしてないでマリーをこっちに引き渡しなさい』って言えば、マリーを差し出すはずよ。その場にベアを立ち合わせればマリーと戦闘になったとしても問題ないわ」

「ならそうさせろ。その馬鹿な魔人には一言いってやりたいが……まあもう一度ブラッディ・リーチに魔断を撃ち込めるなら悪い話じゃない」


 痛みを何よりも恐れるマリーにとって、魔断の激痛は二度と味わいたくない地獄の苦しみだろう。

 奴が絶叫し悶える姿をもう一度見れるのなら多少溜飲を下げてもいい、とホークは暗い愉悦を抱いた。


「じゃあ当面の目標は、マリーとベアを追うってことになるわね。どっちに遭遇しても同じ結果になるんだし」

「その後はどうする。そのグレイベアとかいう魔人の処遇は?」

「うーん……どうしましょ。捨て置いてもいいんだろうけど、また余計な真似されるのもねぇ……」

「殺してもいいか?」

「別にいいわよ――って言いたいところなんだけど、少し事情が変わっちゃうわね。さっき言ったように、もし私のことが人類にバレて逃げなくちゃならなくなったら、ベアは頼もしい戦力よ。あの子がいれば大抵なんとかなっちゃうわ」


 そんな戦力を無為に捨てるのはもったいない。

 それは理解できるのだが、ホークは意外そうな顔を浮かべた。


「……そういう、安易に旅の難易度を下げる手段は嫌ってるものだと思っていたが」

「ほんとは嫌よ。でも今回に関しては私に落ち度があるし、それくらいは妥協してもいいわ」

「……なら、グレイベアに関しては保留だな。まあ聞く限りではお前の命令は聞くようだし、後々でもどうとでもできるだろう」


 思ったよりも順調にブラッディ・リーチを追い詰めている手応えを感じ、ホークは頷いた。


「よし、やることは決まったな。必ずブラッディ・リーチを仕留めるぞ」

「ええ」


 おー♪ とホークに向けて拳を突き出すパンダ。

 少しだけ躊躇を見せつつも、こつんとホークも拳を合わせた。

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