第69話 『執念』


 パンダとパイからなんとか逃げおおせ、セドガニアの奥地……人気のない倉庫の影に身を隠していたキャラメル・キャメルは、追手が来ている気配はないと判断し一息ついた。


「まったく……あのガキンチョ今度会ったらただじゃおかないっす」

 思い出すだけで腹が立つ。

 あのパンダとかいう忌々しい少女のせいで危うく自警団に突き出されるところだった。


 そんなことになれば様々な余罪でキャメルは当分外には出られなくなる。

 ほんの暇潰しのスリごときでそんなことになってたまるか。


 ……そう、暇潰しだ。

 かつては盗みも殺しも、キャメルにとっては生きるための手段だった。死に物狂いで技術を磨いた。


 その腕を買われてヴェノム盗賊団に誘われてもう数年になる。

 かつてのヴェノム盗賊団はキャメルにとって居心地のいい場所だった。

 各国を回り悪事を働き、大きな見返りはないものの小さなリスクで日々を生きる。

 中規模な盗賊団に相応しい、身の丈に合った仕事。各々が自由に今を生きていた。


「……はぁ。昔が恋しいっすねー」

 キャメルは誰かのために戦ったことなどない。

 彼女は常に自分のため、自分の幸福のためだけに戦ってきた。

 そのためなら何人死のうが、何人が絶望しようが一切どうでもいい。僅かな金銭のために女子供を殺したこともあった。


 そんな生活に未来はない。いずれ破滅すると分かっていても……それでもその日々には自由があった。

 ただ己のためだけにあらゆる悪事が許された。自由の名の下、全てはキャメル次第だった。


 事態が変わったのは三年前。

 ヴェノム盗賊団の頭領が変わった。

 かつて世界中に名が知られていた凄腕の賞金稼ぎ、カイザー。彼がヴェノム盗賊団の頭領へと名乗りを上げ、それからこの盗賊団は変わった。


 カイザーは怪しげな研究施設と手を組み、ある一つの目的のために盗賊団を動かした。

 今までのようなセコい盗みはしない。

 狙うのは常に大物。研究に必要な資材、資金、実験用の人攫い……更には強力な魔導具を巡って、何度も各国の兵士……ときには騎士団とすら争った。


 今まで経験したことのない激戦の中、数々の仲間が死んでいった。

 それだけの危険を冒して得る見返りはほぼゼロ。全ての成果は研究に費やされ、売れば一財産築ける魔導具をいくつも無為に失った。


 ……確かに研究が成功すれば、ある意味ではどんな金銭よりも得難い報酬が手に入る。そう信じるからこそ盗賊団員たちも不満を押し殺して任務に務めた。

 だがキャメルは研究成果になど興味なかった。

 カイザーが目指す境地……そんなことよりも自身の安全だけが心配だった。


 組織を抜けようと思ったこともあった。

 しかしカイザーは利口で慎重な男。外部へ情報が漏れることを嫌い、組織から去る者を決して許さなかった。

 仕方なくカイザーに従い続けていたキャメルではあったが、日々の不満は溜まりに溜まっていた。


 そんなときはふと町へ出て、小さな悪事で気を紛らわせた。

 日銭にもならない小さな盗みを成功させたときこそ、これこそが自身の器に合った仕事だとキャメルは満足感に満たされたものだ。


「――ッ!」

 不意に懐の魔石が反応した。

 それは盗賊団員に所持が義務付けられている通信用の魔石だ。


 通信魔石は使い方にクセがあり、適性がない者が使おうとすると特殊なスキルの習得が必要になる場合もある。

 不要なスキルを一つ習得することは、自身の人生にとって取り返しがつかない損失だ。それでもカイザーはただ利便性の観点から全ての盗賊団員に強制した。


「も、もしもし。キャメルっす」

『俺だ』


 魔石から聞こえてきたのは、まさに今考えていた男の声。

 ヴェノム盗賊団の頭領、バンデット・カイザーだった。


「ぼ、ボス。お久しぶりっす!」

『なんで塔に顔を出さない』

「え、い、いやー特に深い理由はないっす。ただ皆さんお忙しいかなと思って、邪魔しちゃ悪いなーって……」


 盗賊団員は基本的に塔で生活するが、外に出て任務にあたる者もいる。

 キャメルもそんな一人だ。スパイさながらに情報収集を命じられたキャメルは、こんなのは盗賊団の仕事じゃないと常々思っていた。


『定期的に戻ってこいと言ったはずだ。次はねえぞ』

「は、はいっす! ご迷惑をおかけして申し訳ないっす! ご、ご用件はそれだけっすか?」

『いや。気になる報告を聞いてな。――お前、さっき誰かと戦闘したんだってな?』


 ぐ、とキャメルが言葉を詰まらせる。

 おそらくセドガニアに潜伏している他の盗賊団員に目撃されたのだろう。

 焦りに心臓がバクバクと早打った。


「え、戦闘? 何のこと……あっ! もしかしてあれのことっすか? あーなるほどなるほど! いやあ~戦闘なんてもんじゃないっすよ。ほんのお遊びっすよお遊び! 皆さんほんと大袈裟なんっすから~」

『武器の使用に加え、町に仕掛けていたトラップも一つ使ったそうじゃねえか?』

「……あの……えっと……ちょっと遊びに、熱が……入ったっていうか。ほら、あたしって凝り性だし、何でも一生懸命やる性質で……」


 別にいいじゃん、と言い返してやりたかった。

 そのトラップだって元はキャメルが仕掛けたものだし、その際に散布される薬もキャメルが作ったものだ。

 だがカイザーはこういう身勝手な行為を許さない。

 不必要な揉め事を避け、普段は陰に身を隠しながら生活するように指示されていた。


 不自由だ。

 こういうガチガチに組織化されたところが、またたまらなく嫌なのだ。

 昔のように……好きに暴れ、奪い、殺し、私腹を満たす。それこそがキャメルの求める生活だ。

 だが今ではほんの気まぐれに女から金を奪うだけでも厳重注意される。

 まるで軍隊だ。こんなのはキャメルの望んでいた盗賊団ではない。


『とりあえず、何があったか報告しな』

 そう命令され、キャメルは仕方なく全てを話した。




『――再三言ったはずだよな? もうしょうもねえ盗みはやめろってよ』

「……はいっす」

『そんなことしなくても食ってけるだけの金は与えてんだろが』

「べ、別に金のためにやってるわけじゃ……」

『あ?』

「うひっ!? な、なんでもないっす!!」


『自警団に絞められたらどうするつもりだったんだ?』

「も、もちろん誓って盗賊団のことは喋らないっす!」

『いや、てめえは喋るな』

「そ、そんなことないっす!」

『いや、一〇人捕まってもてめえはその中で真っ先に喋る。一〇万ゴールド賭けてもいい』


 否定するキャメルだったが、正直キャメルがベットする側でもカイザーと同じように賭けるだろう。


「い、以後……このようなことは決して……」

『まあいい。それより朗報だ。研究がもうじき完了しそうだ』

「え! ほ、本当っすか!?」


 それはまさに朗報だった。

 三年……この研究に付き合わされたこの時間は耐え難い苦痛だったが、それがもうじき終わるのであればこれほど喜ばしいことはない。

 研究が成功することそのものはキャメルも大歓迎だ。その恩恵はキャメルにも与えられるはずだ。


『だから一度町に出てる奴らも全員戻すつもりだ。お前も一度戻ってこい』

「はいっすはいっす! いや~やっとこの時が来たんすね! 私も頑張って盗賊団に尽くした甲斐があったってもんっすよお~。感無量っすね!」

『ただし、お前はその女二人きっちり始末してから戻って来いよ?』

「…………え?」


 喜んでいたキャメルの動きがぴたりと止まる。

「二人っていうのは……つまり、あの白魔導士と冒険者のこと……っすよね?」

『当たり前だ。単なるスリならまだしも、武器を見せてトラップまで使ったんだろうが。なら向こうもお前が盗賊だって気づいてる可能性がある。研究が最終段階に入ったこんな大事な時期にくだらねえ心配を抱えたくねえ』

「……」

『いいな、今日中だ。誰かにテメエのことベラベラ喋られる前に片付けろ』


「そ、それはちょっと……難しいかもっす……」

 白魔導士の女、パイはどもかく……あの紫の少女、パンダを仕留めるのはかなり骨が折れそうだ。

 それをあと数時間の内にとなるとかなり無茶が必要だ。


『それは、お前が女もろくに殺せねえカスだからか?』

「――ち、違うっす! よく考えたら全然難しくなかったっす! いや~血が滾るっすよ。愛するヴェノム盗賊団のため、どんな任務でもこなす所存っす!」

『……とにかく、さっさと済ませろ。いくらか人手も貸してやる。終わったらそのまま塔に戻ってこい』


 そう言い残してカイザーは通信を切った。

「……」

 通信魔石を握る手がプルプルと震える。

 焦りと怒りに駆られながら、キャメルは塔にいるカイザーに向かって吠えた。


「――死ねクソ野郎ッ!」






「……馬鹿女が」

 通信を切ったカイザーはうんざりしたように自室の椅子に座り、背もたれにもたれかかった。

 キャメルは以前から問題児中の問題児。何度言っても個人的な小さな盗みをやめられず、度々危険な目に遭っている。あれはもう身に染みついた癖だろう。


 いっそ始末してしまえればいいのだが、あれでキャメルの習得しているスキルや技術はなかなか有用な場面が多い。

 戦闘ではクソの役にも立たないが、ここぞというときに他の者にはできない仕事を任せたりできるという点で、カイザーはそれなりにキャメルを評価していた。


 あとは彼女の性格……口が上手くお調子者の太鼓持ち。それでいて腹黒く欲深く、自分の利益だけを考える狡猾さは、盗賊の中でも随一だ。

 ただ……そんなクズそのもののような人格の中でも、一点だけカイザーがキャメルを好意的に評価している点がある。


 それは生き汚さ。

 何が何でも生き延びてやるというあの生への執着は、他の誰にも真似できないほど鬼気迫るものがある。

 それに関してだけはカイザーも一目置いていた。


「ま、それももうじきか。長かった研究もようやく完遂らしいしな」

 この研究所と協力関係を結んでもう三年になる。

 研究に必要だと言われればどんな魔導具でも集めた。その度にカイザーを以てしても過酷だと感じる戦いが繰り広げられた。


 その全てが、もうじき報われようとしている。

 この研究が成功した暁には……カイザーは目も眩むような強大な力を手にできるのだ。


 そんな未来を想像していたカイザーの自室が激しく叩かれる。

 盗賊団の頭領である彼の部屋をこれほど乱暴にノックする者はそうはいない。

 来訪者に察しがついたカイザーが入室を促すと、外から一人の研究者が入室してきた。


 ハンス・クルーリー。

 この研究所の所長を務める、研究者のトップだ。

 彼の顔は激しい苛立ちに歪み、今にも爆発しそうだった。


「なんか良くないことでもあったのか?」

「その通りだカイザー」

 ハンスは苛立ちを隠すこともなくカイザーに食って掛かった。


「実験が失敗したのか?」

「いいや。実験は順調だ。ハデスプロジェクトは九九パーセント完遂していると言える段階にある」

「そりゃめでてえな。デスサイズは使いものになったわけだ」


 ヴェノム盗賊団が苦労して手に入れた魔道具『デスサイズ』。

 あの毒々しい紫の大鎌を使えば、この研究は成功するとハンスは豪語した。どうやらその言葉通りの結果になったようだ。


「なのに、なんであんたはそんなに苛ついてんだ?」

「今朝から実験を数回行い、デスサイズを術式に組み込むことに成功した。やはり一筋縄では行かず苦戦したが……それも終わった。これで調整は万全。おそらく次の実験は、我々が望む形で成功するだろう」

「結構なことじゃねえか。その実験が成功したら、ついにってわけだな?」


「そうだ。あと一回……あと一回実験が出来れば研究が完遂する……そんな段階にきているのだ」

「やりゃいいじゃねえか」

「それが出来ないから憤慨しているのだッ!」


 ハンスは唾を飛ばしながらカイザーに吠え掛かった。

「君は当然知っているな? この研究の実験にはだと」

「ああ」


 つまりは人体実験だ。

 そのためヴェノム盗賊団も、各地から条件にあった者たちを何十人も拉致してきた。

 まるでモルモットのように消費される人間たち。

 その狂気こそ、この研究がバラディア国に見放された要因でもあった。


「だというのに……そんな貴重な『資材』を、君の部下達が使い潰しているそうじゃないか!」

「……あー……そういうことか」


 なるほど、とカイザーも納得した。

 今まで拉致してきたのは、ほとんどが若い女性ばかりだった。

 男に比べ簡単だという理由と、もう一つは盗賊団員たちの欲望のはけ口にするためだった。


 ただでさえ手の付けられないような荒くれ者たちばかりが存在するヴェノム盗賊団。

 彼らはその破壊的な欲求を、盗みや殺しで満たしてきた。

 だがカイザーが頭領となりこの組織をまとめてからは、彼らはそんな欲求を吐き出すこともできずに、日々淡々と与えられた仕事をこなすばかりになってしまった。


 そんな抑圧された不満が爆発しないようにと、カイザーは拉致した女性たちを好きにしていいと指示を出した。

 そうすることで彼らの不満は多少なり解消されるようになった。


「『在庫』がなくなったのか?」

「そうだ! あろうことか……捕えていた全ての女が屍のように衰弱している! 言ったはずだ、実験に使うためには強い精神力が必要だと。あんな状態の人間では使い物にならん! あと一回だぞ!? あと一回で研究が完遂するというのに……何故一人くらい残しておかなかった!」

「分かった分かった。あいつらには俺からキツく言っとくよ。それと……そうだな、追加で誰か攫ってくればいいんだな?」


「そうだ。今すぐ連れてきたまえ! こんな状態で実験できないなど……生殺しだ!」

「十数年待ったんだろ? あと数日くらい待ってろ」

「数日だと!?」


 ハンスは聞き捨てならないと烈火のごとく怒りを露わにした。

「冗談はやめてくれ! 研究の完遂が目の前にあるというのに、数日も待たせると言うのか!?」

「あのな。人を攫うってのは畑で芋を盗むのとは訳が違う。腹が減ったからってまたすぐ補充はできねえ。攫う相手も選ばなきゃならねえし、どうしても時間がかかる」


 計画的に作戦を進めることを好むカイザーにとって、このくらいの慎重さは当然だ。

 それでなくともヴェノム盗賊団は今や一級の犯罪集団だ。カイザー自身も世界中で指名手配されている。どれだけ慎重になってもなり過ぎることはない。

 だがそれでもハンスは食い下がった。


「一人でいい!」

「あ?」

「いつものように大人数を攫ってくる必要はない。今回は一人だけでいいんだ。それなら時間はかからないだろう?」

「……まあ一人くらいなら急げば今日か明日中には用意できるかもしれねえが……そんなこと言って駄目だったからもう一人、なんてオチが目に見えるぞ」

「そんなことはない。約束しよう、あと一回の実験で完璧な結果を残してみせる。いや、既に残せていると言っていいレベルの調整だ。ある意味では既に研究は完成している……それを確認するための実験なんだ。だから一日でも早く資材を確保してくれ」

「……」


 研究者の言う『次こそいける』がどれほど信用ならないか、カイザーはこの数年で身に染みている。

 ……が、今回ばかりはハンスも気迫が違う。相当な手応えを感じているのは確かなようだ。

 この情熱は他の誰にも共感できないだろう。

 ハンスがその人生を捧げた、消えることなき執念の強さだ。


「……いいだろう。モルモットの在庫が尽きたのはこっちの不手際でもあるしな。ただし、そこまで言うからには次の一回で決めろ。……前に言ってたよな。実験に適した条件があるって。どんな奴を攫ってきてほしい」

「ふむ。条件はさほど厳しくはない。あくまで理想の条件がある、というだけだ」

「それでいい。教えろ」


「まず、精神力の強い者がいい。強ければ強いほどいいが、人並みあればとりあえずは大丈夫だ。同じ理由で幼い子供はだめだ。精神的に実験の負荷に耐えきれん」

「他には?」

「レベルが高い方がいい。レベルが高いほど魂の強度も高いからな。こちらも高ければ高いほどいいが、最低値としては15は欲しい。あとは……そうだな、闇の魔法に耐性があれば理想的だな」


「ってことは、神官か。さすがにそれは厳しいぞ。数が少ねえし、一人攫うだけでも騒ぎになる」

「白魔導士でも構わんよ。神官ほどではないが、彼らも闇の魔法に対する耐性がある」

「無茶言うなよ。戦闘職じゃねえか。そんなもん――――あ」


 そこでカイザーがあることを思い出した。

「……いや、ちょっと待て。一人心当たりがあるかもしれねえ」

「おお! それは素晴らしい」


 カイザーは先程使用した通信用の魔石を再び起動した。

 数秒後、相手が通信を繋いだ。


『――はい、キャメルっす』

「俺だ」

『え、ボス!? や、やだなあ~、心配しなくてもちゃんと仕事は……』

「そのことなんだがよ」


 慌てたように言い訳するキャメルの言葉を遮り、カイザーが言った。


「さっき始末するって言ってた女二人組……一人は白魔導士だったよな?」

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