第70話 悪には決して屈しません


 逡巡は思いのほか短かった。

 教会の自室に籠り、およそ二時間。パイはひたすら思案を繰り返していた。


 唐突にパイだけが知ることとなった、一人の魔人と一人の勇者。

 彼女らは間違いなく人類に害をなす存在だ。

 つい今朝がたルドワイア騎士団の者たちから話があった。バラディアに災いをもたらす何者かがセドガニアに迫っていると。


 パンダがその何者かである可能性は否定できない。

 そうであった場合、それを未然に防げるのは現状パイしかいない。

 これを放置すれば、後にどれほどの被害が出るか想像もできない。


 これはパイに与えられた試練。

 パイが為すべき使命だ。

 ……そう自らを奮い立たせても、それでもパイがここまで悩んだ理由は、言うまでもなく孤児院の子供たちの存在だ。


 パンダとホークは、この孤児院の子供たちを人質に取ってパイを脅迫した。

 パイの選択によっては……子供たちが犠牲になる可能性がある。


「……」

 いや、可能性ではない。

 あのエルフ……ホークは、きっとやる。

 パイに向けて容赦なく魔弾を放ったホークの冷酷な瞳を思い出し、パイは確信した。あの女はきっと、いざとなれば子供たちを皆殺しにするくらい平気でやってのけるだろう。


「……じゃあ何故私を殺さなかったの?」

 それだけが何度考えても分からなかった。

 ここまで婉曲にパイの口を封じようと思うなら、いっそパイをあの路地裏で殺害しておけばよかったはずだ。


 何故命を見逃されたのか。

 それに関してはもう知りようがない。

 だが一つだけ確かなことは、今パイの両手には大小含め多くの命が乗っている。パイの選択によってその内のいずれが零れ落ちるのか……そんな責任を取る勇気はパイにはない。


 パイは何度も主に祈りを捧げ、悪に立ち向かう勇気を願った。

 その甲斐あって、という訳でもないのかもしれないが、パイはとうとう決心した。


 ――パンダとホークのことをバラディア軍に報告する。


 どう考えてもそれが正しい行いのはずだ。

 子供たちの命を天秤に乗せたつもりはない。もとより、人の命など大小で測れるものではないはずだ。


 パイを突き動かしたのは使命感。

 悪の脅迫に屈してはならない。悪の存在を隠匿してはならない。

 あの二人は裁かれるべき悪だ。


 立ち上がったパイは部屋を出てモニカの部屋を訪ねた。

「モニカさん」

 ノックの後に入室し、モニカに声をかける。

「パイさん? どうしたんです、先程から」


 パイの様子がおかしいことに気づいていたモニカが心配そうに尋ねる。

 それに応える余裕もなく、パイは用件だけを伝えた。


「少し外出してきます」

「あら、もうすぐ晩御飯の支度が……」

「急用です。申し訳ありませんが、今晩の支度はお任せします」

「ええ、まあ……構いませんけども」


 こんなに強硬な姿勢のパイを初めてみたモニカが戸惑いながらも頷く。

「私の外出中……誰が来ても教会には入れないでいただけませんか」

「え……? そ、そういうわけには……教会はどなたにもご利用いただけるよう常に開けていますし……」

「お願いします。私の外出中だけでいいんです」

「……う、うーん……」

「モニカさん!」


 ぐい、と詰め寄るパイ。

 その圧力に圧され、モニカは「わあっ」と大きく仰け反った。

「とても大事なことなんです!」

「わ、分かりました分かりましたぁ! もう……一体どうしちゃったんですかパイさん?」

「……とにかく、お願いします。それと、孤児院も閉鎖してください。子供たちも一切外に出さないようにお願いします」

「……」


 切迫したパイの様子に、ようやくモニカも事の重大さを察したようだ。

「わかりました。仰る通りにします」

「……ありがとうございます。子供たちは皆いますか?」

「ええ、多分……ああ、ケリーは散歩に出ていたと思います」

「分かりました。帰ってきたら以降は孤児院から出さないでください。…………それと、」


 その先に続く言葉を、パイは紡げなかった。

 ただじっとモニカを見つめ、静かに告げた。


「……子供たちを、お願いします」


 ――もし自分になにかあったなら。

 そう口にするのが怖くて、パイは恐怖を振り切るように勢いよく教会を後にした。






 少しずつ日が落ち始めたセドガニアの町を、パイは小走りで進んでいた。

 何かに追われるように身をかがめて移動するパイを、周囲の者たちが怪訝な顔で見送っていく。

 ……事実、パイは逃げていた。


 どれだけ陰に身を潜めようと、人ごみに紛れようと、どこからかパンダがこちらを監視しているような気がしてならなかった。

 実際、そんなことがあっても何ら不思議ではない。

 パンダだってパイの動向は無視できないはずだ。下手な動きを見せないか監視していてもおかしくない。


「……」

 パイは道中で何度も振り返り周囲を見回し、パンダやホークの姿がないことを確認した。

 それでもふと気づけば誰かの視線に狙われているような気がして、歩きなれたはずの町を進むのに驚くほど時間がかかった。


 ほとんど寄り道せずに一直線にバラディア軍基地に向かっている。

 事情を説明すればすぐにバラディアの警戒度が増すだろう。それに伴って、教会と孤児院にも護衛を割いてもらえるかもしれない。

 今となってはそれが、子供たちを護る最善の策に思えた。


 パンダだって、パイに正体がバレた今は慎重になっているはずだ。

 いくらなんでもこんなところをふらふらと歩いているはずが――。



「――あら、パイ。いいところに」



 どくん、とパイの心臓が大きく脈動した。

 勢いよく振り返ると、まさにそこに彼女がいた。


 紫のショートツインテール。

 色の違う両目。

 紫のゴシックドレスを着流した美少女。


 パンダがまるで何事もなかったかのようにパイの前に姿を現した。


「ひっ――!」

 思わずパンダから一歩後ずさるパイ。

 それを怪訝そうに見つめるパンダ。


「どうしたの? そんなにビックリすることないじゃない」

「な、なん……! なんで……!」

「?」


 挙動不審なパイに不思議そうに首をかしげるパンダ。

 だがそんなパンダこそパイには不気味でしかなかった。


「わ、私を……監視してるんですか!?」

「――」

 パンダの目が細まる。


「……どういう意味?」

「私は、何も……何も言ってません! だから子供たちだけは……!」

「……」


 パンダはしばらくパイを見つめたまま黙り込んだ。

 だがやがて重い空気を軽やかに笑い飛ばした。


「何か勘違いしてるみたいね。あのことなら何も心配しなくていいわよ」

「……」

 何も心配しなくていい、というのが何を指しているのか理解できず、パイは全く安堵するどころではなかった。


「それより、さっきのことでちょっと話があるの。ついてきてもらえる?」

「――ッ!」


 

 ……やはり、パンダは何らかの形でパイを口封じに来たのか。


「……わかりました」

「ありがと。こっちよ」

 パンダは先導して歩き出した。

 先ほど路地裏でキャメルを追い詰めたあの路地裏のあたりに入り込んでいった。


「……」

 やはり人気のない場所を選ぼうとしている。

 このまま言われた通りついて行った先で、先程の仕切り直しということか。


「……」

 薄暗い路地裏を歩きながら、パイは必死に活路を模索した。

 どうする。

 どうするのが正解だ。


「……」

 こうなった以上もうパイに残された選択肢は多くない。

 ……いざとなれば、パイがその身を擲ちパンダに殺されることで、最悪でも教会と孤児院には被害を出さないようにするしかない。

 もしそれ以外の道があるとすれば……ここでパンダを殺し、そのことがホークにバレる前に大急ぎでバラディア軍に駆け込む。


「……」

 ――やるしかない。

 何故かは分からないが、パンダは今あまりにも無防備だ。全くパイを警戒していない。

 この路地裏の先でパンダは何かしらパイと交渉をしたいのだろうが、どんな条件であろうともおそらく受け入れられるものではないだろう。

 魔人との取引など考えるだけでおぞましいだけだ。


 だが今ならば少なくともパンダの不意を突ける。

 パイは神官だが、白魔導士としてのスキルも習得している。

 ……どちらも敵を倒すための職ではないが、一時的にパンダの動きを封じるくらいはできる。


「……どこまで行くんですか?」

「もうすぐよ。あまり人に聞かれたくない話なの」

「……」


 それはそうだろう。

 やはりパンダは何かしらの取引条件をパイに提示するつもりのようだ。まさに悪魔の契約……どんな冷酷非情な要求をされてもおかしくない。


「……」

 護らなければ。

 子供たちを。モニカを。この町を。

 この悪しき魔人を、今ここで、自分が、倒さなくては……!


「主よ……どうか我が傍にお立ちください。私を見守り、私の肩を抱き、私に勇気をお与えください」


「……? 何か言った?」

 パンダが振り返りそう尋ねたときには既に、パイは魔法を発動させていた。


「『ライト・チェイン』!」


 数本の光の帯がパンダ目がけて放たれる。

 対象を捕縛する白魔法。これが命中すればパンダの動きを完全に封じることができる。


「え?」

 ぽかんと呆気にとられるパンダ。

 完全に虚を突いた不意打ち。


 捕えた。

 パイがそう確信し――。


 ――その予想通り、『ライト・チェイン』がパンダの四肢を絡めとった。


「うぎゃっ!?」

 間抜けな声と共にパンダが路地裏の壁に磔にされる。

 光の帯が壁に張り付き、パンダの身体を固定する。


 完全に決まった。文句なしの手応えを感じ……しかしパイはどこかで意外だと感じた。

「……」

 高確率で成功すると思っていた奇襲だったが……どこか腑に落ちなかった。

 只者ではないと感じていたあの魔人を、これほどあっさりと捕縛できたことも意外だし、何より……これでハッキリしたが、パンダはパイのことを全く警戒していなかったことになる。


「ちょ、ちょっとパイ……? これは何の真似?」

 未だ困惑から抜け出せていない様子のパンダ。なんとかライト・チェインから抜け出そうと身をよじる。

「……あなたの……あなたの好きにはさせません! あなたをバラディア軍に連行します!」

「ま、待って待って。何の話よ。私がなにしたっていうの?」

「何を……!? 自分が何をしたか忘れたとでも言うつもりですか!」


 パンダは訳が分からないとばかりに視線を泳がせ、やがて何かを思い出したように頷いた。

「あっ、あ~……あれ? あれのこと? あれ、まだ怒ってるの? もう、あんなのちょっとしたお茶目じゃない。ね? もう機嫌なおしてちょうだいよ」

「ふ――ふざけないでください! あんなことをして、私があなたを許すとでも思っているのですか!?」

「まあ、そうね……確かに私もちょっとやりすぎちゃったと思うわよ? 謝るわ。だからこの魔法解除してよ、おねがぁい! ?」


「――ッ!!」

 その一言でパイの身体がカッと熱くなる。

「誰が――誰があなたの仲間だと言うんですかッ! 私は神に仕える身です! 決してあなたのような魔人の仲間になどなりませんッ!」


「――――は? 魔人?」


 呆気にとられたように放心するパンダ。

「私が……魔人? 何言ってるの、パイ」

「……?」


 訳が分からないと失笑すら浮かべるパンダの姿に……そこでようやく、パイも違和感を覚えた。

「……」

 何かがおかしい。

 パンダが魔人であることは互いに自明のはずだ。

 それを今更しらばっくれようとするはずがない。


「……あなた……」

 つまり目の前のパンダは……。


「……誰?」


「――チッ」

 途端、パンダの顔が不機嫌そうに歪む。

 それは今朝見た少女が到底浮かべそうにもない、野卑な表情だった。


「……なんすか。あんたら、仲間じゃなかったんすか」

「――ッ!?」

 パンダと同じ声でありながら、口調が完全に変わる。

 そしてその喋り方にパイは身に覚えがあった。


 パンダの身体が仄かに発光し、次の瞬間には別人へと変わっていた。

「あ、あなた……!」

 パンダの代わりに現れた人物。


 それは先程パイと争った盗賊、キャラメル・キャメルだった。


「変装スキル!?」

 瞠目するパイ。

 そう、キャメルには稀有な才があった。それが、一度見た人物の姿を完璧に再現する変装のスキルだ。


 今まで発見例の少ない希少スキル。

 しかもキャメルのそれは極めて精巧。

 変装スキルといっても、身長や声は再現できないものがあるが、キャメルのスキルはそんな出来損ないとは比較にならない。


 容姿だけでなく、本来装備していない武器や防具まで本物そっくりに作り出すことができる。

 スキルを解除すれば消滅するハリボテではあるが、本物と二人並べても区別がつかないほどのクオリティで変装することができる。


 このスキルが、キャメルがヴェノム盗賊団の頭領、バンデッド・カイザーから重宝されている理由でもある。

 この能力でキャメルは数々の軍の施設に潜入し、盗賊団では入手できないような情報を持ち帰った。

 

「まさか、性懲りもなく私の前に現れるなんて……こんな小細工までして、何が狙いです! 返答によっては……」

 パイはキャメルを捕えているライト・チェインに力を込める。

 ギリギリときつく締め上げる光の帯に、怯えた表情を浮かべるキャメル。


 だがそれもすぐに不敵な笑みに変わった。


「ふ、ふん……偉そうに言ってんじゃねえっすよ。あんたなんて、あのパンダとかいうガキンチョがいなけりゃとっくにあの世行きだったんすよ。粋がってんじゃねえっす!」

「……だからなんです? あなたこそ、今の自分の状況が分かっているのですか? 言っておきますが、昼のように温情をかけたりはしません。このまま自警団に連行します」


 意図せずキャメルを不意打ちで捕えることができたパイ。

 昼間はその悪辣な本性を見抜けずパイを逃がしたが、今回はそんなヘマはしない。


 だがこの状況の中、キャメルは依然強気だった。

「ふ、ふふふ……甘いっすねぇ~? 私が何の策もなしに顔を出したと思ってんすかあ?」

「……ッ!?」


 そのとき、路地裏の陰から複数の人影が現れた。

 皆一様に戦闘服を着用し、パイを阻むように囲んだ。

 その出で立ちや雰囲気から、彼らがキャメルの仲間……ヴェノム盗賊団員であると察しがついた。


「くっ……!」

「おいおいキャメル。てめえまたドジ踏みやがったな?」

「所定の場所に誘い込む前にバレやがって。使えねえ奴だな」

「い、いやあ面目ないっす。でも仕方なかったんすよ。この二人が仲間じゃないなんて知らなくて」

「言い訳はいい。それよりここはまずい。まだ近くに人目がある。さっさと片づけるぞ」


 パイが早くに決心できたため、まだ路地裏を深くまで行っていない場所での会敵になった。

 パイからすれば、ほんの数十メートル……そこまで逃げられれば大勢の人で賑わう通りへ出られる。


「……」

 キャメルを捕えているとはいえ、複数の盗賊に囲まれたパイが圧倒的に不利。

 しかしやるしかない。

 一か八か先手を打って……


「――おっと、抵抗は許可しないっすよ?」

 そんなパイの動きを察知し、キャメルが釘をさす。

「もしおかしな動きをしたら……かわいい坊やがどうなっても知らないっすよお?」

「な――」


 坊や。

 それが誰を指しているかを察し、パイが青ざめる。

 ニヤリと邪悪な笑みを浮かべるキャメル。そんな彼女に応えるように、キャメルが懐に忍ばせていた通信魔石が反応した。


『――お姉ちゃん! パイお姉ちゃんッ!』


 ドクン、とパイの心臓が大きく脈動する。

 通信魔石から漏れ聞こえる悲痛な少年の声……それは、


「ケ、ケリー!?」

「おっと、それ以上近づいちゃだめっすよ」

 咄嗟にキャメルに詰め寄ろうとするパイを制止する。

 それと同時に通信魔石も途切れ、少年の声も聞こえなくなった。

 だが間違いなく、今の声は孤児院の子供の一人、ケリーのものだった。


「ケリーに何をしたんですか!」

「別になんもしてないっすよ? ただちょっと別の場所についてきてもらっただけっす。あんたの姿で誘ったらホイホイついてきたっすよ。マセたガキっすね。ヒャハハハッ!」

「こ、この……卑怯者ッ!」

「はあ? 卑怯? そうっすけど、それがどうかしたんすかあ~?」

「くっ……!」


 確かに先程モニカに聞いた限りでは、ケリーはいま外出中だったはずだ。

 そこを昼にキャメルと争ってから数時間しか経過していない……それだけの短時間にパイのことを調べ上げ、人質を取り、パイに接触してきた。

 仕事が早すぎる。昼間のようなキャメル個人の手際じゃない。明らかにヴェノム盗賊団が組織立って動いている。


「……何が望みですか」

「うちのボスがあんたに用があるらしいんすよね。うちのアジトまで来てもらうっすよ」

「その前にケリーを解放してください」

「あれえ~? なんか戯言が聞こえるっすねえ。あたしらに命令できる立場っすかあ?」

「……もしケリーに手を出したら、私は舌を噛み切って死にます。私が必要なのでしょう?」

「ハッ! 何言っちゃってんすかこの女! やれるもんならやってみろばぁ~~っか!!」


 キャメルが顔を歪めて笑い飛ばしたそのときには、パイは口を大きく開いて舌を突き出していた。

「――ッ!」

 そして次の瞬間、開いた口を勢いよく閉じ――


「がっ……! こいつ……!」

 背後から盗賊団の一人が咄嗟に手を差し出した。

 パイの口に指を潜り込ませる。その指に阻まれてパイの舌は無事だったが、代わりに男の指にパイの歯が深く食い込んだ。


「マジでやりやがったこいつ! 何考えてんだ!」

 激しく出血した指を抑えて悶える男。

 パイは強い眼差しでキャメルを睨み付け、キャメルはそんなパイを気味が悪そうに見返していた。


「……ばっかじゃないの? あんなガキ一人のために死ぬとか、あんた頭イカれてんじゃないすか?」

「あなたのような孤独で哀れな人には分からないでしょうね。人は愛する者のためなら身を投げ出すことだって出来るのですよ」

「……キモ。マジ反吐が出るっすわ」

「なんとでも言いなさい。さあ、ケリーを解放する気になりましたか」

「……」


 キャメルは数秒悩んだが、やがて降参したように一度頷いた。

「いいっすよ、あのガキは解放するっす。ただし、今は駄目っす。あんたにはやってもらいたいことがあるっすからね。それが終わったら解放するっすよ。こっちだって、別にあんなガキ要らないっす。男なんて使い道もないっすからね」

「……本当でしょうね」

「信用してくださいっすよ~。あたし、嘘なんか吐かないっす」


 ヒャハハ、とキャメルは小馬鹿にしたように笑った。

 パイが歯を噛みしだく。この女がどれほど容易く嘘をつき、人を平気で裏切るか分かってはいるが……人質を取られている以上従うしかない。


「……わかりました」

「決まりっすね。じゃ、連れてっちゃってくださいっす」

 背後にいた男たちに抑え込まれるようにしてパイは歩き出した。

 やがてパイの姿が見えなくなると、キャメルは地面に唾を吐き捨てた。


「胸糞悪い女っすね。ああいうのが一番キモイっす」

「おいキャメル、お前あいつは冒険者で白魔導士だっつってたが、あいつ神官だぞ」

 残った盗賊団員が言った。

 当初はパイのことを白魔導士だと聞かされていた面々だが、調査するにつれて彼女がこの町で有名な神官だと判明したのだ。


「いいんじゃないっすか別に? 神官の方がむしろ実験には使いやすいらしいっすよ」

「んなこと言ってんじゃねえ。神官を攫うのはまずいだろ。冒険者よりも騒ぎになりやすい。お前、なんでこのこと黙ってた」

 キャメルが視線を逸らした。


 カイザーから指令を受けたキャメルは、久々の楽しい任務に心を躍らせた。

 キャメルはパイのような、正義を振りかざして綺麗事を並べる奴が大嫌いだった。そんな女があのアジトで実験に使われ地獄を味わうと知って、キャメルは愉快でたまらない気持ちになった。


 本来ならばパイが神官だと気づいた時点でカイザーに一度報告するべきだったが、キャメルはそれを土壇場まで秘匿した。

 あの女が実験で苦悶に塗れる姿がどうしても見たかったためだ。


「もう攫っちゃったんすから細かいこと言いっこなしっすよ。今更作戦変更もできないんすから」

「……てめえいつかボスにぶっ殺されんぞ」

「それと、あのガキはどうすんだよ。マジで解放すんのか?」

「はあ? 冗談やめてくださいっすよ。事が済んだら適当に殺して海にでも捨てりゃいいっすよ。バレる頃には、あの馬鹿女は実験で頭ポーンっすよ」


 平然と言い放つキャメルに、同じ盗賊団員たちですら神妙な顔を浮かべた。

 彼らは悪党だし、仕事柄もっと多くの悪党を見てきた。

 だが、目の前の女はその中でもとびきりのクズだ。

 天地がひっくり返っても、キャメルの言葉だけは決して信用しないとその場に残った誰もが肝に銘じた。


「それより、本番はこれからっすよ。次はあの紫のガキっす」

「例の、勇者と同じパーティ組んでるっていうガキか。確かパンダとか言ったか」

 パイと同様に、パンダもカイザーから指示されたターゲットだ。

 しかし違う点は、パイは生け捕りを命じられたが、パンダは殺害を命じられたことだ。


「あのガキには借りがあるっすからね……ただじゃ済まさないっすよ」

 昼の一件でキャメルが仕掛けた策をことごとく無効化した忌々しい少女。

 あいつを今度こそ仕留める。

 キャメルが口元に凶暴な笑みを刻む。


「じゃあ作戦開始だ。キャメル、今度こそヘマすんじゃねえぞ」

「まかせてくださいっすよ。あたしの変装は完璧っす。誰にも見破れないっすよ」

「だといいな」


 そう言い残して他の盗賊団員はそれぞれの持ち場に去っていった。

 パンダの殺害はキャメルの働きにかかっている。


 パンダのことを調べるにつれて、大きな問題が浮上した。

 それは彼女の相方、ホーク・ヴァーミリオンの存在だ。

 ただのエルフと侮ることはできない。S-70相当の吸血鬼を一人で討伐した実力者だ。この場にいる全員でかかっても相手にならないだろう。

 まともに戦っていい相手じゃない。


 だがそこで活きてくるのがキャメルのもつ変装スキルだ。

 このスキルを有効に活用し、パンダを暗殺する。

 キャメルは今までこの方法で何人もの人間を暗殺してきた。成功率は非常に高い。


「……」

 ただ、キャメルにはどうしても一つだけ気がかりな点があった。



 ――決してあなたのような魔人の仲間になどなりませんッ!



「……魔人?」

 パイは確かにそう言った。

 昼間の時点では、間違いなくパイとパンダは共闘していた。だからこそキャメルはパンダに変装してパイに接近したのだ。


 だがパイの反応から察するに、昼から今までの間に急速に仲違いしたようだ。

 その原因がまるで分からないが、もしや本当に……


「……いや、まさかね」

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