第19話 不愉快罪で処刑するわ


 マーシェラルドにとっても不可解な任務であることに違いはない。

 魔王城といえば魔族領の最奥、選ばれし者しか立ち入ることのできない領域であり、マーシェラルドですら数回しか赴いたことはない。


 そんな魔王城から離反した魔人を狩る。それがマーシェラルドに課された任務だった。

 しかしその魔人に関する詳細な情報は一切開示されなかった。

 ただ脆弱な魔人であるということ……しかし絶対に油断してはならないという釘だけを刺された。


 そうしてこの辺境の地に赴きようやく見つけ出した魔人は、マーシェラルドの予想を遥かに下回る脆弱ぶり。

 低レベルにもほどがある。何ら特別な力を感じない、木っ端だった。


 あんな小娘がかつて魔王城にいたなどと信じられない。

 が、自らの主人の言を疑うわけにもいかない。今はただ全力で任務にあたるのみ。

 完遂した暁には、望外な褒章が約束されている。


 ……そう、奇妙といえばそれも奇妙だ。

 たかだかあれだけの魔人を討伐するために提示された褒章は、マーシェラルドですら目も眩むような誉れ高いものだった。

 一体何者なのか興味は尽きなかった。もし生け捕りにできれば拷問して話を聞くのも悪くはないかもしれないと、マーシェラルドは密かにほくそ笑んだ。


「『サーチ・オブジェクト』」

 探知魔法を発動する。


 感知条件を移動体に限定。

 森に生息する魔物は全てマーシェラルドの気配に怯え巣に籠っているだろう。今森を移動しているのは、森から抜けようと走り回っている者だけだ。


 探知系魔法としては下級のものであり、本来マーシェラルドが有していた魔法ではない。 しかし今回の任務にあたり、主から直々にこのスキルを習得するように命令が下された。

 マーシェラルドには不要なスキルであり、それを覚えるために貴重なスキルポイントを消費してしまうことは痛手ではあったが、主からの命令であれば断れるはずもない。


 慣れない探知魔法ではあるがすぐに勝手は掴めた。

 魔人の魔力によって増幅され、効果範囲は常人のそれを大きく上回る。

 集中すればこの森全てを範囲内に収めることも可能だ。


「――む?」

 そのとき、探知魔法に不可解なものが引っかかった。

 注目すべき移動体は三つ。

 ただの魔物ではない。明らかに規則性と目的をもって移動している。


 一つは目標の魔人で間違いない。

 第一チェックポイントから遠ざかるように移動している。


 そして二つ目……。

 もう一つ魔人の反応がある。


「……何者だ?」

 少女と合流するような動きではない。

 しかし少女からつかず離れず、一定の距離を置いて移動している。


 まさかあの魔人の従者だろうか。

 しかしならば先ほどの奇襲に無反応だったのはおかしい。

 この下級の探知魔法では対象の強さまでは分からない。


「一応、留意しておくか」

 そして三つ目の反応だが……。


 ――これは一体どういうつもりなのか?


「マーシェラルド様!」

 騎乗していた魔獣、ギルニグが反転する。

 何者かからの奇襲を察知し、後方から三つの飛来物を確認する。


 ギルニグが力任せに飛来物を叩き落とす。

 バリン、とガラスの割れる音。飛来物は液体の入った小瓶だった。

 主を汚すわけにはいかないと、ギルニグはマーシェラルドを背後に隠しその液体を一身に受けた。


 粘性のある鈍色の液体。これ自体に害はないようだが、不快な異臭を放っていた。

「……油?」

 眉を顰めるマーシェラルド。その推測は正しかった。



「――『ファイア・ボム』!」



 木々の影から飛来する火球がギルニグを襲う。

 火球はギルニグに直撃すると同時に爆発。爆炎が周囲に拡散する。

 浴びせられた液体は延焼効果を高める特殊な油が込められており、ファイア・ボムの爆炎を吸い込んで燃え上がる。


 一瞬にして火達磨になったギルニグに向かって、更に追撃が襲う。

「――『疾風駆け』! 『スラッシュ』!」

 炎に視界を遮られたギルニグへ、突風のように迫る斬撃が命中する。

 血しぶきが噴き上がり、ギルニグの顔が僅かに歪む。

 しかし無様に狼狽えることは許されない。なぜなら、


「――それで、これはどういう趣向の挨拶でしょうか?」


 彼の背には絶対的な主人が騎乗しているのだから。


 パチン、とマーシェラルドが指を鳴らす。それだけで魔力が暴風となって巻き起こった。

 その風に燃え盛っていた炎が一瞬にして吹き消される。炎に照らされていた森に瞬く間に闇が蘇る。

 マーシェラルドは煤で汚れたコートを一度払うと、何事もなかったかのように襲撃者を出迎えた。


 ロニー、フィーネ、トリス。

 三人の冒険者がそこにいた。


「さて、ご用は?」

 憤怒に唸り声を上げるギルニグとは対照的に、マーシェラルドの声音は至って平常。この程度、彼にとっては攻撃とも呼べない子供の悪戯のようなものでしかなかった。


「先ほどは見逃して差し上げたつもりでした。恩を売ったつもりはありませんでしたが、よもやこのような野蛮な形で返されるとは。一体何が目的なのです?」

「――貴様を止める。彼女の元へは行かせない」


 そう語るロニーの顔には拭い難い恐怖の念が浮かび上がっていた。

 気丈に構える剣の刃先は、しかし小刻みに揺れている。指先の震えを隠しきれていなかった。


「怯えていらっしゃるご様子。生まれたての小鹿のように脚を震わせてまで、何故私を阻むのです? 私はあなた方など眼中にないというのに」

「仲間を護るためだ」

「あの娘はあなた方を仲間などとは思ってはいませんよ。彼女はあなた方を囮にして逃げているのです」

「逆だ。彼女は自分を囮にして俺たちを逃がそうとしている。――だからこそ今、俺たちはこうしてお前たちに追いつけた」


 パンダが逃げるつもりならばこのルートを通るはずがない。

 このルートは先程決めた逃走ルートから正反対の、更に森の奥へ進むルートだ。

 パンダが囮になるつもりならばここを通るはずだ。だからこそロニー達はここを目指した。


 故に、ここでマーシェラルドと遭遇するということ事態が、すなわちパンダがロニー達を護ろうとしていることの証明に他ならないのだ。


「……つくづく可笑しな方たちだ。なぜ人間であるあなた方が魔人を護ろうなどと? 先ほどの私の話が偽りだとでも?」

「いいや」

「ではなぜ?」


「――関係ないってことよ、そんな話は」

 言葉を発したのはフィーネだった。声も膝も震え、杖を持って立っているのが精一杯ではあったが、その心だけは、決して屈してはいなかった。


「あんた、今まで一度もあの子の名前を口にしてないわね。名前、知らないんじゃないの?」

「……? それがなにか?」

 マーシェラルドは確かに対象の名前など知らない。知らされていないし、知る必要もない。


 ――しかしフィーネは、それこそが答えだとでも言わんばかりに、得意げに胸を張った。

「あの子はね、パンダっていうのよ」

「……パンダ? あの笹を食べる?」

 思わず吹き出しそうになるマーシェラルド。偽名だろうが、それにしてもセンスを疑う。


 しかしロニーは首を横に振った。

「そのパンダは知らないが、あのパンダは肉を食べるぞ」

「パンも食べるしスープも飲むわよ。おいしそうに」

「わ、私もパンダちゃんと一緒にアイスを食べたよ!」

「よく食べて、食べた分だけ遊んで、疲れたら寝て」

「暇があったら悪戯三昧。隙を見せたらからかわれて」

「でもいつも笑ってて、楽しそうで」


 三人の言葉をマーシェラルドは黙って聞いていたが、彼らが何を言いたいのか、まるで理解ができなかった。


「それで? 結局どういうことです? それともまだ何かありますか?」

「いいや、それだけだ」

「……は?」


「それだけなんだ、俺たちが知ってることなんて。これが、俺たちが知るパンダの全部なんだ。魔人とか、素性とか、そんなのどうでもいい。俺たちにとってパンダっていうのは、ただそれだけの――大切な仲間なんだ」

「……」

「だからパンダを助けたい……って、二人に言ったら、二人とも俺と同じ思いだった。それだけだ」


 いつの間にか、剣先の震えは止まっていた。

 フィーネも、トリスも。恐怖を押し殺す、より強い意志が体を奮い立たせていた。


「……そんな理由で、我々に挑むと? それがあなた方の選んだ死だと? 生命の価値だと?」

「そうだ」

「…………なんと、嘆かわしい」

 マーシェラルドは重く深い溜息を吐いた。

 その瞳はもはやロニー達を見てはいなかった。


「これほど愚かな種族を……これほど無価値な生命を相手に、我らは手をこまねいているというのか。今この一幕の茶番だけで、我らの積年の悲願の価値は堕してしまうではないか。――――否。それもじきに終わる。今代の王は先代のように甘くはない。じきにこのような不出来な生命は死に絶えるだろう。――なるほど、であれば確かに、ここで無為に死にゆくも一興か」

 マーシェラルドはギルニグから降り、三人に背を向けて歩き出した。


「ギルニグ。私はあの魔人を追う。貴様はそこのゴミを始末しろ」

「仰セノままニ」

 ズシン、と地面が揺れる。

 圧倒的な暴力の具現がロニー達を見下ろしていた。


 マーシェラルドはそのまま歩を進め、やがて森の闇の中へ消えていった。

 パンダを追いかけるつもりだろうが、ギルニグが立ちはだかる以上、それを止める手立てはロニー達にはない。


「ムシケラの分際で、ワレラに刃向かったツミ――万シに値スル」

 魔人は強力な自然治癒力を持つ。その配下たる魔獣は血の盟約により同様の恩恵を受ける。先程与えたダメージなどもうどこにもなく、魔獣の持つ力を余すことなく振るうことができる。


 その力はジャイアント・トレントすら軽く凌駕するだろう。

 戦闘になどなるはずもない。それでも三人の目には曇りなき闘志が宿っていた。


 出会って二週間ほどしか経っていない少女。

 それでも、命をかけて護りたいと思える大切な仲間なのだ。


「苦ツウと絶望のナカで死んデいけ。下等セイブツが――!」

「……やってみろ」

 各々の武器を構え、三人はギルニグの獰猛な眼光を睨み返した。






「――え?」

 爆音を聞いたパンダが動きを止めた。

 パンダが移動してきた道。そのルートの後方から確かに爆発音が聞こえてきた。


「――」

 胸騒ぎを覚え、パンダは近くの木を駆け上がった。

 頂上まで登ると、周囲の森が一望できた。そして確かに、二キロほど後方で煙が上がっている。


 紛れもなく、何者かの戦闘によるものだ。

 魔人襲来の報せを受け、国営ダンジョンからは全ての者が避難しているはずだ。今森に残っている者など、ロニー達しかいない。


「まさか……」

 だがここはロニー達が通るはずがないルートだ。

 あんな場所で戦闘など起こるはずがない。それこそ、改めてロニー達と魔人が遭遇でもしない限りは。


「――」

 形のない何かがパンダの胸を撫でた。

 それは今までパンダが感じたことのない感情だった。

 その正体は分からないまま、パンダは元来た道を全速力で引き返した。






「ルートを変えた?」

 再び探知魔法を展開したマーシェラルドは、パンダが進路を変えたことを察知した。

 その向かう先には第一チェックポイントがある。順調に森の出口を目指しだしたと考えれば筋は通るが、それにしてはいささか唐突だ。


「まあいいその前に私が始末すればよいだけのこと」

 パンダは来た道を引き返すような形で走っている。それではマーシェラルドとの距離はむしろ縮まるだけだ。

 森を抜けることなどできるはずもない。それよりも遥かに早く捕えられる。

 あの鬱陶しい人間どももギルニグと交戦している。一分と保つはずもない。

 任務遂行の障害は何もない。


 あるとすれば、先ほど感知した謎の魔人の反応くらいだが……。


「……む?」

 そこでマーシェラルドは違和感を覚えた。

 先ほどの魔人の反応が消えている。

 まるでパンダを監視するように一定の距離を置いて追従していたのだが、その反応が今はどこにもない。

 森から抜けたか、あるいは。


「こちらの索敵に感づかれた――」

 マーシェラルドは足を止め、周囲に意識を集中した。

「――ようだな」

 そして、すぐ背後にかすかな気配を感じ取った。


 いや、気配というよりも、研ぎ澄まされた殺気と言った方が適切だろう。

 どうやら隠すつもりはないようだ。

 明確な敵意を持って、一人の魔人がマーシェラルドの背後に立っていた。


 灰色のローブに身を包み、フードで顔を深く覆っている。

 フードで隠された顔を窺うことはできないが、かすかに見える口元は女性のようでもあり、すらりと長い手足と身長は男性のようでもあった。


 パンダを初めて見つけたときはそのあまりの脆弱さに、水晶が反応するまで本当に魔人なのか確信が持てなかったが、この魔人は違う。

 容姿は一切分からないのに、対峙しただけで魔人だと確信できる。


 強大な力を内包していることが一目でわかった。

 何よりマーシェラルドの探知魔法による索敵を一度で見抜き、二度目となる今はその気配を感知されることなくマーシェラルドの背後を取ったのだ。ただの魔人ではない。


「貴殿は、我らが偉大なる魔王に忠誠を誓う闇の一族で相違ないな?」

 その呼びかけに答えず、魔人はただ沈黙したまま佇んでいる。

 構わずマーシェラルドは続けた。


「我はマーシェラルド。偉大なる四天王の一人、カルマディエ様の盟約に連なる者。かのお方の命を遂行中である。貴殿がいかなる血脈の者かは知らぬが、邪魔立てはお控え願う」


 変わらぬ沈黙を返す魔人。

 否。変わらぬのは沈黙だけではない。その魔人から放たれる殺気もまた変わらず鋭利。


 いくつかの感情が同時にマーシェラルドの胸中を巡った。

 まずは困惑。彼は今、四天王の一人であるカルマディエの名を出した。

 四天王は魔族のトップ。魔王に次ぐ最上位の盟約を持っているのだ。その名を出して退かない魔族などこの世にいるはずもない。


 それは四天王であるカルマディエへの冒涜だ。そんなこと誰にもできるはずがない。

 たとえこの魔人が四天王の一人だったとしても、この場は退くだろう。今のマーシェラルドの言葉にはそれほどの意味がある。

 それに一切動じることなく今なお殺気を放ち続けているこの魔人へマーシェラルドが抱いた次なる感情は――怒り。


 それは彼の主人、カルマディエすらも侮辱する行為に等しい。

 マーシェラルドは戦闘態勢へ移行した。

 パンダの始末は後回しだ。

 そもそも、相手は元よりやる気だ。ここで背を向けることは不可能。


「言葉も解さぬか。よかろう。その不忠、私が手ずから粛清しよう」

 胸にくすぶる怒りのままに、マーシェラルドの闇の魔法が顕現した。











 ――別に深い考えがあったわけではなかった。

 もとより着の身着のまま……流れに身を任せる自由気ままな冒険がしたかっただけだ。

 何事もなるようになるし、なるようになればいい。それを楽しんでこその旅なのだ。


 別に一人でも問題はないが、旅をするならやっぱり大勢の方がいい。その日あったことを、ご飯を食べて、お酒を飲んで、一緒に笑い合えたりしたら楽しそうだ。

 だが問題は、やはり魔人と人間では分かり合えないという点だろうか。

 一緒に旅をするなら、自分が魔人であることは隠すべきだろう。




 旅の最終目的は魔王を倒すことだ。

 そういう意味では、彼らはいくらなんでも力不足だと言うほかない。

 魔王どころか、そこらの魔人にもまるで歯が立たないだろう。


 でも彼らはとてもいい人たちだった。彼らとの日々はとても楽しくて、つい問題を先送りにしてしまった。

 その内どうにかなるだろう。

 もしどうにかならなくても、その時は同じパーティにはいられないかもしれないが、まあ仕方ない。寂しくなるが、新しい仲間を見つけよう。


 でも今はとりあえず、この楽しい日々が続けばいいと思っていた。


 別に――深い考えがあったわけではないのだ。




 ――その結果がこれだ。




「…………」

 一面に広がる赤。

 パンダには見慣れたものだ。なにせ物心ついて最初に見たものがこれと同じものなのだ。

 別に物珍しいものでもない。


 ――誰かの死など。


「ホウ、自らモドッテくるとは。探すテマが省ケルというモノ」



 フィーネは心臓に風穴。即死だろう。

 トリスは下半身が食いちぎられている。当然死んでいる。

 ロニーは左半身を失っていた。が、かろうじて意識はあるようだった。



「シカシ……マーシェラルド様はナニを? キサマを殺しに向かワレタはずだが」

 ギルニグが何か喋っているが、パンダは一瞥もしなかった。

 ただ静かに、ロニーの傍に膝をつき、その右手を握った。


「逃げてくれればよかったのに」

「……な……、ぜ……も、もど、……ッ」

「助けにきたつもりだったんだけど、少し遅かったみたいね」

 その言葉を聞いて、ロニーは血を吐き出しながら「そうか」と笑った。


「な、ら……、ぐ……やっ、り、……まちが……じゃ……、なか……」

「いいえ、これは間違えたでしょ。どうしてこんな無茶したの? あなた達、死んじゃったじゃない」

「……なか、ま……、ッ……だか、」

「…………」


 光の消えゆく瞳に向かって、パンダはなんと声をかければいいか分からなかった。

 だがせめて、最後は全てを偽らず見送ってあげたかった。


「ロニー。あなた達に秘密にしてたことがあるの。私ね」

 パンダの言葉を遮り、ロニーはほとんど動かなくなった手を懸命にパンダの胸元へ寄せた。

 弱々しく握られた拳が、こつん、とパンダを叩いた。


「かんけい、ない……きみが、だれ、……でも」

「……ロニー」

「きみ、は……、ぱんだ……だろ……」


 握られていた拳がゆっくりと開き、

 ――ぽとり、と何かがパンダの手の平に落ちてきた。

 Pの字が彫り込まれた、オレンジ色のバッジだった。


「……ロニー、これって」

 そこでパンダの言葉は途切れた。

 声をかけたその時にはもう、ロニーが息絶えていることを悟ったからだ。


「……」

 パンダは手の中のバッジを見つめた。

 これと同じバッジがロニーの服の襟についている。

 パンダの記憶が確かなら、フィーネも同じものを身に着けていたはずだ。


「……そう、知ってたのね、私のこと。それでも……助けに来てくれたのね」

 ならそれが答えだ。

 それ以外の答えなど存在しないし、必要ない。

 パンダの望んだものは――確かにその手の中にあったのだ。


「オロカな奴らダ」

 ギルニグの嘲笑。地の底から響くような笑い声が木霊した。


「この程度のチカラでこの私ニイドモウなどと。殺すのはジツにタヤスカったぞ」

「随分楽しそうね」

「当ゼンだ。弱者をクラうことこそ我らのヨロコび。キサマとてソウダろう」

「かもね。楽しいって大事よね」


 パンダの口調には淀みはなく、平常時と何ら変わらないものだった。

 いや、あまりにも淀みがなく平坦な声音であるという点では、ある意味では普段とは真逆であると言えるかもしれない。


「ナカマを殺されたトイウのに、恨みゴトの一つもなしカ。ククク……所詮ニンゲンなど我ら魔ゾクにとってそのテイドの存ザイか」

「あなたは命令されてやっただけでしょ? 私も昔はよく人間を殺したし、殺すように命令を出したりしたんだから、恨むのは筋違いよ」

「ホウ?」


「だから、今からあなたを殺すけど、それは恨んでるからとかじゃなくて――単にあなたがどうしようもなくウザったくて、ただあなたをぶっ殺したいってだけよ」


 鞘から剣を抜く。

 薄い青色の短剣を握り、パンダは凍てついた眼差しでギルニグを見据えた。


 そうだ。まさか善悪の話であるはずもない。

 仇を討つのでもない。ただの私事だ。


 お腹が空いたらご飯が食べたくなる。

 疲れたら眠りたくなる。

 退屈だったら遊びたくなる。


 同じだ。

 うざいから殺したくなる。それだけ。

 ただこいつの死に様が見たいだけ。


 ――ただこの胸に渦巻く激情を晴らしたいだけ。 



「おいでワンちゃん。冥府へ案内してあげる」

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