第20話 ごめんなさいね最後まで
大質量の魔獣が地を踏みしめ、太い尾が地を叩く。
それだけで大地が揺れ、ひび割れた。
「図にノルなよ虫ケラが。力のサもワカラぬか!」
ギルニグが苛立ちと共に咆哮する。その吠え声だけで、ともすればパンダなど吹き飛ばしてしまいかねない突風が巻き起こった。
「力の差、ねえ」
その只中にあってパンダは動じることもない。
確かにギルニグの言葉は何も間違っていない。
ギルニグは魔獣の中でもそれなりの強さだ。一介の魔人が従えるには十分な戦闘力を持っている。
単騎で討伐するなら、適正レベルはS-50を超えるだろう。ジャイアント・トレントすら軽く凌駕する。
一方でパンダのレベルは5。
いかに並外れたポテンシャルを持つパンダとはいえ、ポテンシャルは潜在的な強さだ。低レベルの内はその真価は発揮されない。
今のパンダには紛れもなくレベル5の魔人としての強さしかない。
数字の上では、相手にもならない。まだロニーの方がずっと勝算はあるだろう。
――しかし、パンダの脳内では着々とギルニグ攻略の方程式が構築されていた。
「私をコロすだと? 偉ダイなる四天王のヒトリ、カルマディエ様にツラナるこの私を」
「カルマディエ? 誰それ」
パンダの知らない四天王だ。ビィが選んだのだろう。
なら四天王になったのはつい最近の話のはずだ。
その手始めに部下にこんな任務を与えるとは、どうやら本気でパンダを抹殺したいらしい。
「ま、あなたみたいな頭の悪いペットを遊ばせてるくらいだから、底は知れてるわね」
「キ――キサマアア!!! ミノホドを知れゴミがッ! ユルさぬ……! キサマなど一瞬で食い殺シテヤるわ!」
「一瞬?」
無論だ。
戦力差は明らか。持久戦など有り得ない。
ギルニグはパンダを侮っている。
今すぐ問答無用で攻撃すればいいものを、余裕を見せつけているのがその証拠だ。
その隙を突くしか突破口はないが、それができるのはせいぜい最初の五秒が限度だろう。
――五秒も戦えば、ギルニグも笑ってはいられなくなる。
同時に、そこが限界だ。そこからは一秒ごとにパンダは死に近づく。
故に勝負は一瞬。ギルニグにはまるで悪夢を見たように死んでもらおう。
「――できた」
ギルニグを殺す算段がついた。
必要なスキルは二つ。あとは俊敏性が必要だ。
パンダは自らの魂へ手を伸ばす。
魔人であるパンダは、自らのレベルを操作する能力がある。
人間とは違い、レベルシステムを用いずともその場でスキルのビルドができる。
その魂の動きはギルニグにも感じ取れたようだ。
「悪アガキか。無ダなことを」
ギルニグの嘲笑などには耳も貸さず、パンダは必要な二つのスキルを習得した。
余ったスキルポイントは全て俊敏性に割り振った。
これで、速度だけで言えばパンダはレベル18相当の戦士と同等になった。
ロニーよりも少し遅いくらいだが、想定ではこれでもギリギリ足りるはずだ。
「――『コンバート・アンデッド』」
最後の仕上げに取り掛かる。
パンダが魔法を発動すると、周囲に紫の魔力の渦が広がっていく。
その渦は彷徨うように辺りを徘徊し、やがて吸い込まれるように死者の肉体へと入っていく。
すなわち、ロニー、フィーネ、トリスの肉体へと。
――直後。
三人の身体がビクンと痙攣する。
既に絶命したはずの肉体が動いたことで、ギルニグに動揺が走る。
「ナニッ……! 死霊術だと!?」
それは死者を操る黒魔法とされているが、正確には『死者の魂』を操る術だ。
魂は死後、生命エネルギーへと変化するが、今パンダが行ったことはその逆。
生命エネルギーの代わりに魔力を用い、それを魂へと偽装したのだ。
彼らの本当の魂は既にギルニグへと吸収されたはずだ。故にその中に宿る人格はもはや再現できない。
しかしそれでも、仮初の魂を与えられた彼らの肉体はアンデッドとして蘇り活動を再開する。
生命は魂を有し、死後、魂は生命エネルギーとなる。
その理の中で、唯一アンデッドだけは特殊な性質を持つ。
生者と死者の狭間に存在する彼らが持つのは、魂でも生命エネルギーでもない、いわば半生命エネルギーとでもいうべきもの。
それこそが『死者の魂』の本質。それを操るのが
今パンダが使用した魔法『コンバート・アンデッド』は、カテゴリで言えば初級魔法だ。
コンバート系魔法は、基本的に武器や防具に使用される。その武具の性質を各属性へと一時的に変質させる魔法だ。
同カテゴリーにあるこの魔法の効果は……生者死者問わず、その肉体をアンデッド化するというもの。
その結果。
むくり、とフィーネが立ち上がった。続いてパンダの足元で死んでいたロニーが起き上がり、下半身のないトリスはゆっくりと地面を這い始めた。
「――おはよう、皆。ごめんなさいね、寝てるところ」
温かく慈しむように声をかけるパンダ。
その声に応える者はいない。アンデッドとして蘇った彼らに理性はなく、瞳は赤黒く充血し、肌は見る見るうちに腐食していく。
声にならない呻き声をあげながらよろめき歩く姿には、かつての面影など微塵もない。
……それでも、パンダは無性に彼らを抱きしめたくなった。
「……グゥゥ……ァァ」
ロニーの濁った瞳は宙を泳ぎ、やがてパンダへと向けられる。
アンデッドは意思を持たない魔物だ。その性質は極めて単純で、生あるものをひたすら襲う。
この場合、最も近くにいるパンダがその標的となる。
ロニーだけでなく、フィーネとトリスも、その敵意をパンダへと向け、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ロニーの右手がパンダの顔へと迫る。
そのまま腐った爪でパンダを引き裂こうとしたそのとき。
「『コンバート・アンデッド』」
鼻先までほんの数センチのところで、その動きがぴたりと止まった。
パンダが生者ではなくなったからだ。
パンダは同じ魔法を自身にも施した。
肌も髪も急速に腐り変色し、かつての美貌がおぞましい姿へと変貌していく。
ただその変化にあって、両目だけが尚変わることがなかった。
紫の左目。青の右目。
この二つはそれぞれ全く異なる力を持つ。それは肉体のアンデッド化ですら影響を与えることのできない強力な魔力を帯びている。
その両目をゆっくりと細め――パンダは限りなく優しく語りかけた。
「――私は仲間よ」
三人の動きが止まり……やがてパンダに興味を失ったように体を反転させる。
パンダがアンデッド化したことで、この場にいる生者はただ一人。
すなわち、ギルニグだけだ。
「……ごめんなさいね。もう一度だけ、力を貸してちょうだい」
四人ともがアンデッドと化したロニーパーティを見遣ったギルニグは、抑えきれない笑みを漏らした。
「ク、クク……! ナンダこれハ? こんナモノが貴様の秘サクか!?」
パンダが僅かなスキルポイントで自身を強化したことはすぐに分かった。
微々たる強化ではあるだろうが、挑む以上はかすかでも勝算を見込んだのだと思っていた。
いったいどんな手でくるかと見物していれば、出来上がったのは三体の木偶。
彼らは確かに、唯一の生者であるギルニグを本能のままに襲うだろう。
しかしだからなんだというのか。
こんなアンデッドの攻撃ではギルニグは傷一つつかない。
これで僅かでも戦力差が埋まったと考えているのならば、度し難いほど愚かだ。
「これが貴様のキリフダか。こんなゴミが!」
ギルニグが右手を振り上げ、すぐ足元まで這い進んできたトリス目がけて振り下ろされる。
それはギルニグにとっては攻撃でもなんでもない。ただのゴミ掃除だ。
――しかしその時点で既にギルニグは初手をパンダへ譲っていた。
既に戦闘は開始されていた。
ギルニグを待ち受ける死の五秒間。その領域に、彼は完全に無防備なまま飛び込んだ。
「――『ソウル・ブラスト』」
パンダの魔法が発動し、戦闘の火蓋が切って落とされた。
――炸裂。
ギルニグにとっては全く予想外の攻撃。すぐ足元で突如発生した爆発が、トリスを叩き潰そうとしていた右腕に直撃する。
「ガッ――!?」
何が起こったのかすぐには理解できなかった。
『ソウル・ブラスト』という魔法はギルニグも聞いたことはなかったが、しかしその名からどのような魔法であるかは想像できた。
ブラスト系魔法は初級の黒魔法であり、多くの黒魔導士が習得している。
フィーネがジャイアント・トレントに使った『ファイア・ブラスト』は、炎を炸裂させる魔法だ。同様の魔法が各属性に存在する。
その中で最も特殊な魔法が『ソウル・ブラスト』だ。
文字通り『魂を炸裂させる』魔法だ。それも、カテゴリーが死霊術であるため、対象となる魂はアンデッドが持つ半生命エネルギーのみとなる。
――つまり今回で言えば、炸裂したのはトリスの魂だ。
内側から爆発したトリスの肉体は跡形もなく消し飛び、その魂の奔流がギルニグの右腕に襲い掛かった。
右腕の損傷自体は大きくない。魔獣の持つ自然治癒力だけですぐに完治する程度だ。
しかしギルニグを真に襲ったのは痛みではなく動揺。
あるはずのない痛みに思わず一歩後退し、炸裂した魂が青白い閃光となり視界を覆う。
――その閃光を突き刺すように、突如としてパンダの姿がギルニグの眼前に現れる。
「――ハアアアアアッ!!」
咆哮。
パンダ自身、これほど肉体を限界まで稼働させての疾走は人生で初めてだと思うほどの一走。
速度を決して落とすことなくギルニグに肉薄し、膝を昇り、胸板を駆け上り、最後には右肩を蹴り上げて跳躍。
一瞬にしてギルニグの背後を取る。
その疾走の最中繰り出された斬撃は計一八回。
目にも留まらぬ早業で、およそ手が届く範囲を余すことなくジグザグに斬り刻んだ。
「グッ――! ムダだッ!」
しかしそのいずれもが、ギルニグにとってかすり傷程度のダメージしかない。
そもそもの膂力が違う。筋力を上げていないパンダが与えるダメージは微々たるもの。その僅かなダメージもギルニグの自然治癒力で即座に完治していく。
予期せぬタイミングで始まった戦闘に戸惑うギルニグだが、それも一瞬。ほとんど本能のままに、上空へ飛び上がったパンダに殴りかかる。
それは一撃でも直撃すればそれだけで決着がつく威力。
加えて、上空へ飛び上がったパンダは身動きがとれない。外れるはずもない一撃だとギルニグは確信する。
しかしそのタイミング。速度。位置。角度。全てパンダが思い描いた通りの条件に符号した。
「『ソウル・ブラスト』!」
再び発動されたソウル・ブラストの対象は、ギルニグの右足元まで迫っていたロニーだった。
ロニーの身体が光となって炸裂する。
ギルニグにとっては先程以上に意識の外からの攻撃。パンダに狙いを済ませた直後発生した背後からの爆発に対して、ギルニグは何の準備もできていなかった。
ソウル・ブラストは他のブラスト系魔法とは違い媒体がそもそも魔力の塊だ。故にその威力は他のブラスト系魔法よりも一段階高い。
その直撃に見舞われたギルニグの右足が関節からがくんと崩れ落ちる。
その反動に釣られて、パンダに放たれた殴打は軌道が僅かに逸れ、パンダのすぐ左脇を掠め飛んでいく。
それを予期していたような完璧なタイミングで身をかがめ、パンダはギルニグの右腕に飛び乗った。
「ウアアアアアアアア!」
そのまま右腕を疾走。斬撃の風となり流星の如く落下していく。
そこでようやく、ギルニグはパンダが三体ものアンデッドを作成した意味を理解した。
これらは爆弾なのだ。それも、対象を自動的に追尾する。
三度限りの奇襲。内二度が既に成功している。
この一瞬の間にパンダが放った斬撃は計三四度にも上り、その全てが命中している。
――だが。
「――キかぬというのが……わかラヌか虫ケラァッ!!」
何度斬りつけようとギルニグに決定的な傷は負わせられない。
受けた傷が瞬時に癒えていくのを感じながら、ギルニグは無駄な攻撃を繰り返すパンダの愚鈍を詰る。
三度目の攻撃。ギルニグの右腕が振りかぶられ、地に降りたパンダを狙い撃つ。
だがやはり、その位置もタイミングも全てパンダの計らったもの。ギルニグの左足元には残る一人、フィーネがいた。
やることは同じだ。フィーネにソウル・ブラストを使い、ギルニグの態勢を崩す。
ギルニグの攻撃は逸れ、その隙にパンダが攻撃を仕掛けるという流れ。
――パンダの右目が小さく輝きを放つ。
青の眼がギルニグを見据え、視界に捉えた。
――あと七回。
右目で読み取った情報から推察するに、それで決着がつく。
パンダが攻撃を仕掛けてから四秒。ギルニグはまだ混乱から解けていない。十分すぎる。
「――『ソウル」
しかしそこで、初めてパンダの計算が狂う。
パンダがソウル・ブラストを放とうとしているのを察知したギルニグは、その時になって初めて足元にフィーネがいることに気が付いた。
それがパンダの誘導だとは気が付かなかったが、その意図には気が付いた。
「――ナメるなッ!」
ズン、とギルニグは地面を踏みしめた。力んだ脚の筋肉が隆起し、地面が激震する。
仮に足元でソウル・ブラストが発動しようとも、これほど力を込めれば態勢が崩れることはない。
未だ混乱から解けていない状況ではあったが、それでもギルニグの戦闘本能がそうさせた。
それはパンダの想定外の行動だった。混乱している状態であればただ怒りに任せ暴れるだけだと踏んでいたが、ギルニグの魔獣としての戦闘センスを見誤った。
だが何より誤算だったのは、ギルニグが地面を踏みしめた衝撃で大地が揺れ、その衝撃でフィーネが大きく後ろへ押し飛ばされたことだった。
よろめくように後ろへ下がったフィーネはほどなく転倒し尻もちをつく。
そのせいでギルニグから四メートルは離れてしまった。
これはソウル・ブラストでダメージを与えるには遠すぎる距離だ。
ギルニグがほくそ笑む。そんなつもりで行った行動ではなかったが、運は彼に味方した。
これでパンダに策はない。もとより勝ち目のない戦いではあったが、虎の子のソウル・ブラストもこれで不発に終わる。
戦闘開始から六秒が経過。
やはりパンダの見積もりは正しかった。ギルニグの隙を突けるのはせいぜい五秒。ギルニグは既に冷静さを取り戻しつつある。
――ここから先はパンダも捨て身でかかる必要がある。
「――ブラスト』」
「ムダだ! シネェッ!」
ギルニグの右手、その鋭い爪がパンダ目がけて放たれる。
狙いは完璧。妨害も入らない。パンダの速度では回避も不可能。
――殺った。
ギルニグがそう確信したとき、パンダが思いもがけない行動に出た。
パンダはソウル・ブラストを自身に対して発動した。
パンダは今アンデッド化している。
理論上パンダにソウル・ブラストを用いることは可能だが、そんな発想がギルニグにあるはずもない。
それはかつて黒魔術に精通していたパンダだからこそ可能な荒業。
アンデッド化するために用意した仮初の魂は魔力として全身に流れている。
パンダは魂の炸裂する箇所――起爆地点を左腕に集中させた。
その直後、ギルニグの爪がパンダに直撃。
パンダはその直前、体をほんの僅かだけ右へ寄せた。その結果ギルニグの爪が貫いたのはパンダの左半身――ちょうどパンダがソウル・ブラストを発動させた位置だった。
ギルニグの爪の威力はパンダの身体で受けきれるような半端なものではない。
まるでバターにナイフを通すようにパンダの身体は裂け、左の鎖骨から左わき腹にかけて丸ごと削り取られた。
本来パンダの身体に宿る魂を全て炸裂させるはずだったソウル・ブラストはまず左腕から起爆し、直後パンダの動体から切り離された。
結果、炸裂したのは吹き飛んだパンダの左半身のみ。
そしてその左半身は、狙いすまされた軌道でギルニグの正面へと飛んでいった。
――そして炸裂。
すぐ鼻先で炸裂したソウル・ブラストがギルニグの顔面を抉る。
さすがにギルニグにも耐えがたい激痛が走り思わず後退する。なによりソウル・ブラストの閃光で視界が完全に遮られた。一瞬ではあるが、パンダの姿を完全に見失う。
その一瞬で十分だった。
パンダはよろめくギルニグ目がけて跳躍。口元に飛びつき、そのまま剣撃を放つ。
その数は七回。パンダが予定していた回数を違わず見舞う。
だがそこで怯むギルニグではなかった。
「グガアアアアアアアッ!!!」
パンダが自分のすぐ眼前にいると理解したギルニグは、見えないながらもその口を大きく開き、空に向かって噛みついた。
パンダの姿は見えていなくとも、すぐ傍にいるのならば当たる可能性はある。
そしてその考えは正しかった。
ギルニグの歯がパンダの右足を捉えた。
鉄のような太い歯が肉を突き刺す感触を感じ、ギルニグは勝利を確信した。
これでパンダはもう動くこともできない。このまま噛み殺せば終わりだ。
しかしソウル・ブラストの閃光から視界を取り戻したギルニグが目にしたのは、短剣を逆手に構えて振り下ろすパンダの姿だった。
「――フッ!」
パンダは何ら躊躇することなく短剣を右脚に突き刺し、そのまま両断した。
パンダにはもう足など不要だった。
既に全ての準備は終わっている。あとは腕一本あれば決着がつく。
パンダは片足でギルニグの鼻を蹴り上げ、ついに目的の場所へ到達する。
――ギルニグの左目だ。
ザン、と短剣を左目に突き刺した。
「ガアアアアアア!!」
ギルニグが痛みに悶絶する。
頭を振り乱しパンダを振り落とそうとし、その衝撃で短剣が弾き飛ばされる。
短剣はパンダが持つ唯一の武装だったが、もはやそれを見遣ることもなくパンダは右手をギルニグの左目に突き入れた。
それで、必要な工程は全て終わった。
あの短剣でギルニグを四一回攻撃する。
ギルニグの身体で最も柔らかい箇所――つまり眼球に剣で穴をあけ、そこに指を差し込むこと。
目は魔獣であっても柔らかい部位だ。そして脳に近く、生物の構造上、最も魔法の効果を受けやすい箇所だ。
催眠。洗脳。暗示。多くはこの部位を狙って行われるほど効果が高い。
「――『コンバート・アンデッド』」
それは無論、『属性付与』も同様だ。
「――ギ、――グアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
ギルニグの絶叫。狂ったように暴れ回る。
その勢いに負け、ついにパンダが吹き飛ばされる。
木に激突し崩れ落ちるパンダ。腐敗した体がその衝撃に弾け飛ぶ。
――だが問題ない。これで終わりだ。
「ギザ、マアアア!! ワダジ、ワダジになニヲ、ナニをジダアアアアア!!」
パンダは答えない。ただ最後の処刑を実行するのみ。
何のことはない。パンダが自身にしたのと同じことをしたまでだ。
すなわち、コンバート・アンデッドによる肉体のアンデッド化。
肉体は急速に腐敗し、強烈な悪臭が放たれる。歯は腐り落ち、目は腐った葡萄のようにぐちゃぐちゃになっていた。
自らの肉体から襲い掛かる耐えがたい不快感に、ギルニグは発狂しながら身悶える。
「アリエない!! なゼワタシが! キサマの魔ホウなどウケルハずがアアアア!!」
そう、他者の肉体へ直接影響を与えるような魔法の効果は、対象の魔法抵抗力によって左右される。
魔獣であるギルニグが持つ魔法抵抗力は高い。特に肉体のアンデッド化など、催眠とは違い肉体に直接影響を与える魔法だ。並以下の魔法抵抗力でも簡単に無効化されてしまう。
しかし、
「――ッ! マサカ……アノ剣……!」
パンダにはそれを可能とする方法が一つだけあった。
ロニーから借り受けたあの短剣には、魔法抵抗力減衰のルーンが彫られている。
その効果は攻撃を受ける度に発動される。
パンダの魔力とギルニグの魔法抵抗力の天秤がちょうど傾く回数――それが四一回だったのだ。
左腕と右脚を失ったパンダはその身を木に預け、もはや一歩も動くことができないほどに損傷している。
だがそれでも……右腕くらいはどうにか動かせる。
その手の平をギルニグにかざす。
その時になってようやく、ギルニグはパンダが導き出した処刑の筋書きを理解した。
――そう、パンダにはたった一度の行使で、アンデッドを爆死させられる魔法がある。
「死ね」
「キサマアア!!」
パンダが何をしようとしているのか理解し、ギルニグの焦りが頂点に達する。
今すぐに奴を殺さなければ。
そう逸る気持ちとは裏腹に、腐敗した肉体には上手く力が入らない。歩くことすらままならないほどだった。
馬鹿な。
ならば何故パンダは本来の身体とは全く異なる不自由な肉体で、あれほど正確に、素早く動き回れていたのか。
「『ソウル――」
「ガアアアアアアア!!!」
ギルニグの足掻き。死から逃れようと遮二無二身体を振り回す。
強靭な両腕が鞭のようにしなり、周囲にあるもの全てを破壊していく。
――その一つ、人の頭ほどの岩にギルニグの拳が命中。それは絶妙な軌道を描いてパンダ目がけて打ち飛ばされた。
「――ッ」
初めて、パンダの表情に焦りが浮かぶ。
それはギルニグにとっても予想だにしない一撃。
故にパンダの計算にも存在しなかった異分子。身動きの取れないパンダに向かって、砲弾さながらに迫る岩片。
当たれば間違いなくパンダの身体を破裂させるだけの威力がある。
瞬時にいくつもの対策が脳裏をよぎる。
しかしそのいずれもこの窮地を脱する手にはならない。
…………最悪。
パンダが内心で舌打ちする。
打つ手はない。ソウル・ブラストも間に合わない。
まさか最後の最後で、こんな形で敗北することになるなんて。
冷めた諦観が胸をよぎった、そのとき。
一つの影がパンダに覆いかぶさった。
肉の弾け飛ぶ音が響き渡った。
腐った飛沫と肉片がパンダに降りかかり、反射的に目を細める。
どさり、とパンダのすぐ傍に倒れ込んだのは……フィーネだった。
胴体には大穴が開き、許容量を超える損傷を受けた肉体から、パンダが与えた魂がゆっくりと抜け落ちていく。
「ナンダトォッ!?」
ギルニグが憤怒のあまり絶叫する。
幾重にも張られたパンダの策謀の中で、これだけは彼女の手の外にある現象だった。
ギルニグに押し飛ばされたフィーネは、その後もアンデッドとしての本能に従い、ギルニグに向かって歩みを進めていた。
ただそれだけだ。
その歩みの導線と岩片の軌道が、驚くべき確率でちょうど一致した。そしてフィーネに命中した岩片は軌道が狂い、パンダからほんの僅かに逸れた場所へ飛んでいった。
――それはギルニグにとってあまりにも不運な偶然だった。
そう、偶然としか思えなかった。彼には。
「――――」
しかしパンダにとってそれは偶然ではなく、明らかに確かな意思を宿した出来事にしか思えなかった。
〝――私が護ってあげるからね〟
いつか、フィーネはそう言ってパンダの頭を撫でた。
その感触を、パンダは今、はっきりと思い出せた。
「…………ごめんなさいね、最後まで」
パンダは自分が今どんな顔を浮かべているか分からなかった。
事切れたフィーネの亡骸に微笑みかけたつもりだったが、どうも上手く笑えていない気がした。
――そして決着の時が訪れる。
もはや互いに策はない。
右手をかざず。その手は、しっかりとギルニグを――その内に秘める魂を捉えていた。
「『ソウル――」
「ヤメロォ!!」
ギルニグが絶叫しながら前進する。満足に立ち上がることもできないため、這うというよりも転げ回るようにして、パンダを止めようと進む。
しかしまるで間に合わない。
パンダはその魂を握り潰すように、右手を硬く握りこみ――ついでに中指を突き立てた。
「――ブラスト』」
――ギルニグの絶叫をかき消す爆音。
魔獣の身体を巡る大質量の魂が瞬時に炸裂した。
その威力はロニー達のときとは桁違い。地面に巨大なクレーターを残し、周囲の木をへし折るほどの大威力。
そんな大爆発を内側から食らったギルニグの肉体は、いかに魔獣といえども耐えきれるはずもない。
強烈な爆風に煽られ、細かくなったギルニグの肉片が散っていく。
その強風はほぼ半身を失ったパンダを容易く吹き飛ばした。
そもそもパンダは身動きもとれないほど満身創痍。それでなくとも左腕と右脚を失った状態で満足な受け身も取れず、森の中を転げ回る。
その暴風は一瞬にして止み、森に静寂が戻った。
ギルニグの気配は完全に消滅。周囲には一切の魔族の気配はない。
――気にしていなかったが、マーシェラルドの気配も感じられない。
数秒で終わる殺し合いだからと気に留めていなかったが、今の爆発はこの森全体に轟いた。どこにいてもマーシェラルドは感づいただろう。
何故彼がここにいないのか。今何をしているのか。
それはもはやパンダの与り知らないことだ。
それよりも問題は、パンダにはもう僅かな時間しか残されていないということだ。
「…………ふう」
地面にうつ伏せに倒れたまま、弱々しく呼吸するパンダ。
今、パンダがこれほどの損傷を負って生きていられるのは、彼女の肉体がアンデッド化しているからだ。不死の名の通り、本来アンデッドの肉体には死の概念は存在しない。
アンデッドが死亡するのは、肉体が生命活動を停止するのとは違う。
肉体の損傷によって魂が体外へ抜け出てしまうことが原因だ。
今パンダの中にあるアンデッドの魂は、パンダが魔法で作り出したものだ。だからこそ必死に肉体に押し留めることでパンダの魂はどうにかこのアンデッドの肉体に留まっていられる。
それだってこの大きすぎる損傷の中、いつ魂が生命エネルギーとなって霧散してもおかしくない状態だ。
しかし、それもそう長くはない。そもそも、パンダが自らに施したコンバート・アンデッドの魔法は、永続的なものではない。
時間が経過すれば効果は切れ、パンダの肉体は元へと戻る。
……いや、戻ってしまう。
そうなればパンダの生死は純粋な生命活動の可否にかかってしまう。そして今のパンダの損傷は、元の肉体ならば十分致命傷だ。
魔人として有する自然治癒力ではまるで追いつかない。
つまり、パンダの命には今タイムリミットがあるということだ。
「……死にそう」
比喩ではなく、純粋にそう感じた。
今の状況を鑑みれば、もう死ぬしかない。
せめてギルニグの魂を吸収できればまだ可能性もあっただろう。レベルが上がれば何らかの対処法がとれたはずだ。
だがギルニグの魂は今パンダがきれいさっぱり消し飛ばした。
ブラスト系魔法は対象物を純粋な魔力の塊へと変換して炸裂させる魔法だ。ソウル・ブラストによって魔力へと変化した魂はもう生命エネルギーとして吸収することはできない。
他の可能性を探るが、どうにも駄目そうだ。
「……ふふ」
冷めた笑みが浮かぶ。
ギルニグ程度の雑魚にここまで追いつめられるとは。
力を見誤ったか。それとも、まだ魔王のつもりだったか。
ロニーの言う通りだ。
今の彼女は、ただのパンダでしかないというのに。
「――案外、それほどでもなかったみたいね、私も」
どうやらここで死ぬ宿命のようだが、もう仕方がない。
まさか魔王討伐の旅が、最初の町の最初の魔族との戦闘で終わるとは。
無念というか、不完全燃焼だが……まあ夢半ばに果てるのもまた冒険の醍醐味か。
「ワビサビってやつなのかしらね」
そう満足そうに笑ったパンダは力なく動き、
ふと、その指先が何かに当たった。
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