第18話 今すべきことは


 遠方で聞こえていた戦闘音は一分もしない内に聞こえなくなった。

 それが何を意味するのか理解できてしまい、ロニーパーティからは口数も減っていった。

 トリスは涙目になりながら。フィーネはブツブツと何かを呟きながら。ロニーはそんなメンバーに注意しつつ、とにかく周囲を警戒しながら。ひたすら森を進み続けた。


 森の中は異常なほど静かだった。

 いや、これは明らかに異常だ。おそらくほとんどの魔物は魔人の存在を本能で察知し、巣に籠っているのだろう。


 魔人は遥か昔から地上の支配者として他の種族を蹂躙してきた。あらゆる生物にとって魔人は天敵であり、よほどの上位種族でない限りは戦おうとは思わないだろう。

 それは人間も同じこと。

 人間種の中で最も強い軍隊とされている、ルドワイア帝国騎士団。

 彼らが団結することでようやく渡り合えるのが、魔人という種族なのだ。


 パンダにもいつものような明るさはない。

 パンダは先程からじっと何かを考え込んでいるようだった。

 彼女は先程、自分が狙われているのかもしれないと語った。その理由までは明かさなかったが、確かにパンダのプロフィールは謎に包まれているものが多い。


 しかし、なんであれやることは変わらない。

 いつもの十倍くらい広く感じるこの森を、一秒でも早く抜け出すこと。それだけがロニ―達のすべきことだ。




「止まれ」

 ロニーが静止をかけ、四人は動きを止めた。

「このまま行くと第二チェックポイントを横切ることになる。迂回した方がいいな」

「今はもういないんじゃない?」

「駄目だ。敵の規模が分からない。待ち伏せがいる可能性がある」

「ルートはどうする?」


 ロニーは地図を睨みながら最適なルートを模索する。

「……こことかいいんじゃないかな」

 トリスが地図を指さす。

 四人が今いるのは、ちょうど山の中腹。標高六○メートルほどの峠だ。

 すぐ右手には傾斜の大きい崖が広がっている。


 そこからちょうど、第二チェックポイントを通らずに森を下るルートがある。

 そこから森を下り続ければ、第一チェックポイントすら通らずにダンジョンの出入り口まで一気に降りることができる。


「確かに、このルートは悪くない。……魔人の狙いが俺たちじゃないならな」

 今この森のどこかに魔人が潜んでいるのは確実だ。

 そして数分前まで、第三チェックポイントの者たちが通ったルート上にいた。

 今はそこから正反対の位置に進んできたつもりだ。


 こういうときは逃げる側ではなく、追う側の気持ちになって考えるべきだ。

 魔人がこのパーティを狙っていると仮定すると、第三チェックポイントの一行から離れたことは既にバレているはずだ。

 第二チェックポイントに向かう可能性が低いことも予想がつくだろう。


 もし魔人たちがこの森に詳しければ、ここが最適なルートだと見当がつくだろう。

 ロニーが追う側ならば、おそらくここで待つ。


「……だめだ、ここは危険だ」

 いや、危険ではないルートなど存在しない。

 同じ森の中にいるのだ。どのルートを通っても危険は避けられない。

 ルートを変えればそれだけ長く森に留まることを意味する。その時間に比例して危険は増していく。

 ならばいっそ、少しでも早く森を抜けることを優先するべきか。


 ロニーは三人の顔を見回した。

「……トリスの言うルートはリスクは高いが上手くいけば一気に森を抜けられる。あとは、大きく迂回して第一チェックポイントを目指すルートだ。こっちは、比較的安全だ。……いや、嘘だ。安全なんかじゃない。安全な場所なんかもうない」

「ならトリスの方でいきましょ」

 パンダが即答する。


「時間をかける方がまずいわ。おそらく森の中にはもう人間の姿はほとんどないはず。なら、何らかの探知系魔法を使われたらどこへ隠れてても一発よ」

 パンダの語る可能性を失念していたことに今更ながら気づくロニー。


 確かに、周囲の状況を探知するスキルは存在する。

 魔人がどの程度のスキルを有しているかは不明だが、あったとしてもそれほど優れたスキルではないはずだ。

 そうでなくてはここまで魔人をかいくぐれるはずがない。せいぜい、漠然とした方角に誰かしらの気配を察知できる、程度のものだろう。個人を特定できるようなものではないはずだ。


 しかし今はもう国営ダンジョンに人がいない。ならば探知に引っかかった端から襲撃すればいずれはロニー達に行き当たる。

 初めから選択肢などなかったのだ。ロニー達にできることは、とにかく早く森から抜ける、ただそれだけだった。

「わかった。ああ、パンダの言う通りだ。どのみち、」



「――どのみち、もう手遅れなのですから」



 頭上から声が放たれるのと、パンダがロニーを突き飛ばすのは同時だった。

 直後、地面が爆発した。


 一瞬前までパンダがいた位置を中心に半径数メートルの魔力爆発。

 パンダに突き飛ばされたロニーは間一髪、範囲外へと抜け出せた。しかし、


「――パンダ!」

 パンダはその爆発を受け、大きく後方へ吹き飛ばされた。

 そこは六○メートルの高さを誇る崖。瞬く間にパンダは爆発の勢いのままに地上へと落下していった。


「――ほう、面白い。ただの雑魚かと思いましたが、知恵は回るようですね。なるほど、あの方が気に掛けるわけだ」

 声と共に、頭上から大質量の物体が落下してきた。

 ジャイアント・トレントよりも一回りほど小さいが、それでも十分巨大だと形容できる巨体。全身が鈍い紺色の体毛に覆われた獣だった。


 巨大な口と耳は狼のようだが、四本足での立ち姿は猿のようだ。腕は丸太のように太く、長く鋭い爪が四本ずつ。そして異常なほど太い尻尾。

 紛れもない怪物。三人は一目でその正体が分かった。


 この化け物こそ、魔人の眷属――『魔獣』だ。

 ――そしてその上に騎乗する人型の男こそ、この森を襲撃した魔人に他ならないのだと。


「マーシェラルド様。あのコムスメは崖のシタへ落ちマシタ。死ボウした可能性がタカイかと」

 獣らしく、しわがれた聞き取りにくい声だが、確かに魔獣は声を発した。

 その唸り声、鼻息一つだけでも、トリスは失神してしまいなほど怯えていた。

 マーシェラルドと呼ばれた魔人が嘆息する。


「だから貴様は知性が足りぬというのだギルニグよ。あれは逃げられたのだ。自ら崖に飛び込んだのが見えなかったのか?」

「ハッ――申しワケゴザいません!」

「しかしあの小娘も良い反応であった。狙いが自分であることを察していたか……? まあよい」

「この虫ケラドモはいかがいたシマしょう?」

 ギルニグと呼ばれた魔獣が、残った三人をジロリと見遣る。

 そこに圧倒的な暴虐の気配を感じ、誰もが恐怖に身をすくませた。


「――ギルニグ」

 しかし、魔人マーシェラルドは苛立ちを込めた口調でギルニグを呼んだ。

「私の言を忘れたか? あの小娘は逃げたのだ。この者たちを囮にしてな。意味がわからないのか? それとも我らの使命を忘れたか?」

「も、モウシワケございません! ただちにあのコムスメを追撃いたシマス!」

「よろしい。では、」

「待て!」

 恐怖を押し殺しロニーが叫んだ。


 トリスとフィーネが信じられないといった顔でロニーを見る。

 当然だ。彼らは三人には目もくれず、今にもこの場から去っていきそうだったというのに、わざわざ呼び止めるなど正気ではない。

 しかしロニーにはどうしても尋ねなければならないことがあった。


「お前たちは何者だ! なぜ彼女を狙う!」

「キサマ……! ゴミの分ザイで、我がアルジに声を……!」

「良い。実は私も少々気になっていたところだ」

 マーシェラルドはその時初めてロニーを目を合わせた。


 黒のコートに黒のハット。まるで闇が具現化して立っているような気すらする。

 その闇から浮かんだような白い顔の中に、煌々と光る赤い瞳に射抜かれて、ロニーはあまりの恐怖に胃が冷え切っていくのを感じた。


「あなた方こそ一体何者なのですか? あの少女とはどのようなご関係で?」

 ギルニグとは違い、穏やかな口調で話しかけるマーシェラルド。その紳士然とした雰囲気がまたたまらなく不気味だった。


「俺たちは彼女の仲間だ」

「……仲間?」

「そうだ。同じパーティを組んでいる」

 マーシェラルドは理解不能とばかりに首を傾げた。


「一体なにゆえ魔人と人間が仲間になどなっているのです?」


 今度はロニーが言葉を失う番だった。

「……な、に……?」

 ロニーだけではない。トリスとフィーネも、今のマーシェラルドの言葉を全く理解できなかったようだった。


 しかしマーシェラルドはどこか合点がいったように一度頷いた。

「その反応……知らなかったというわけですか。あの娘は魔人ですよ」

「馬鹿なこと言わないで!」

 次に吠えたのはフィーネだった。

 その無礼な態度にギルニグが不機嫌そうに唸り声を上げるが、マーシェラルドは特に気にした様子はなかった。


「あの子が……あの子が魔人だなんてあるわけない!」

「いいえ、事実です」

 マーシェラルドはコートの下から一つの水晶を取り出した。

「これは我が偉大なる主より賜った道具です。この水晶に反応する魔人を殺すこと、それが我々の使命。そしてその魔人は紫の髪をした少女だと聞いています。――先ほど、この水晶はあの少女に確かに反応した。彼女は間違いなく魔人です」


 三人は絶句するしかなかった。

 パンダが魔人であるなどと信じられないが、しかしマーシェラルドが嘘を吐く理由もない。

 そして狙いがパンダであるならば、彼らがこの国営ダンジョンを襲撃したことにも説明がつく。


「じゃあ……何故彼女を殺すんだ。同じ魔人だろ」

「そんなことは私の知る必要のないことです。私はただ偉大なる主の命を遂行するのみ。……しかし聞いた話では、どうやらあの娘はかつては魔王城にいたとか」

「なっ……!? 魔王城!?」


 そんなことがあるわけがない。

 そう言い返そうとしたロニーの脳裏に、


〝――私はずっと……そう、とある施設にいたの〟


 ある日のパンダの言葉が蘇った。

「しかし愚かにも魔族を裏切り、あろうことか偉大なる魔王様へと弓引くため人間の世界へ下りた、と。そんな愚者は当然捨て置けません。それだけです。――ククク、しかしまさか人間を仲間に加えていたとは。それで、人間と共に魔王様を倒す、と? ク、ククク……! 愚か過ぎて言葉もない」

 マーシェラルドは口元を残虐に歪ませてひとしきり笑ったあと、目深にハットを被りなおした。

 その手をどける頃には、先ほどまでの紳士の表情へと戻っていた。


「さて、無駄話が過ぎましたね。個人的な知的好奇心も満たせましたし、満足です。――行けギルニグ。あの娘は間違いなく生きている。速やかに殺せ」

「ハッ――!」

 グルニグは大きく跳躍し、そのまま崖の下へと飛び降りていった。


 緊張の糸が途切れたのか、がくりとトリスの膝が崩れる。

 見逃された。いや、もとより眼中にもなかった。手にかける手間すら惜しいと言うように魔人の脅威から解放された三人は――しかし容易に安堵に浸れる状況ではなかった。


「……ロニー」

 弱弱しいフィーネの声。

 彼女が何を言いたいのか、当然ロニーも察しが付く。


「今の話……嘘よね?」

「……そうは聞こえなかった」

「でも、そんなのおかしいよ!」

 トリスもまたマーシェラルドの言葉を信じられないようだった。いや、信じたくない、というのが本音だろう。


「ねえロニー! パンダちゃんが魔人なんて、そんなの違うよね!?」

「…………違う」

「……」

「……………………と言えるほど、俺たちはパンダのことを知らない」

 そう答えるしかない。


「パンダは昔、今より高レベルだった。高い戦闘技術を持っていた」

 魔人として。

「昔、施設にいたと言っていた」

 魔王城にいた。

「……レベルを、魔人にドレインされたと言っていた。いや、譲り渡したと言っていた。……そうだ。どうして不思議に思わなかったんだ。パンダは魔人と普通に話せる立場だったんだ。奪われたんじゃなく、譲り渡せるほど」

「ロニー」

「今の魔人も言っていた。パンダは魔族を裏切ったと。……パンダの旅の目的も、魔王を倒すことだ」


 頭を抱える。

 辻褄が合ってしまう。パンダの素性の説明がついてしまう。


「ジャイアント・トレントの攻撃から生き延びたのはどうだ? 魔人の生命力があったからと考えたら」

「ロニー、やめて」

「全部説明がつく。出会った頃から感じていた違和感の説明が……パンダが魔人だとしたら全て……!」

「ロニー!」

 フィーネがロニーの両肩を掴み、強く揺する。


 我に返るロニー。その瞳を、フィーネの迷いのない眼が見つめていた。

「……そうじゃないでしょ? 私たちが今考えなきゃいけないのは、そうじゃない」

 その言葉に、ロニーは少なからず驚きを覚えた。


 かつて魔人の恐怖に心から屈し、長くトラウマと戦ってきたフィーネ。

 その恐怖は人一倍根深く、フィーネの心を縛っているものだと思っていた。


 だが、たった今魔人と遭遇したばかりだというのに。パンダが魔人だと知らされたばかりだというのに。

 フィーネは驚くほど冷静だった。ロニーを気遣う余裕すらあるほどに。


「……ああ、そうだな」

 心のどこかで、今までフィーネを侮っていたのかもしれない。

 いつまでも、か弱い少女のままだと。冒険者には向かないと。自分が護らなければならないと。だから危険には決して晒せないと。


 しかしそうではなかった。フィーネは今すべきことが分かっている。そして、ロニーにそれを示している。フィーネはいつの間にかこれほどまでに強くなっていた。

 ならばロニーも立ち上がらなければならない。

 リーダーとして。仲間として。


「――今、俺たちがすべきことを確認する」






 自由落下ではないとはいえ、六○メートルもの崖を転げ落ちるのはかなりのリスクがあった。

 それでもほぼ無傷で生還できたのは、やはりパンダの常人離れした技巧の成せる業だった。


 パンダはすぐさま頭上を見上げる。

 崖は一応傾斜を持つもののほぼ垂直。これを六○メートル登るのは難しい。身体能力で言えばパンダはまだレベル5しかないのだ。

 何より、上からは今にも魔人がパンダを追ってくるだろう。ここを登る意味は皆無だ。


 先の不意打ち。あれは明らかにパンダを狙い撃ちしたものだ。


 あれはスキルというほどのものでもない、ただの魔力の塊をぶつけたに過ぎない。黒魔導士がよく使う、無加工の魔力弾だ。

 あの魔人は魔法に精通している。ならば探知の魔法も習得しているだろう。


 あの一撃で、敵の狙いがパンダであることが判明した。

 であれば差し向けたのは予想通り、四天王の内の誰かで間違いないだろう。

 しかしあの魔力弾は、確かに脆弱な魔人ならば十分な殺傷力を持つが、パンダを仕留めるには温すぎる。


 パンダがかつて魔王であったと知る者が放つ攻撃ではない。

 しかしパンダを侮っているにしては今回の襲撃は慎重すぎる。


 ――要約すると、四天王からは『慎重に、確実に葬れ』と指示を受けておきながら、あの魔人はパンダの素性までは知らない。

 知らされていないのだ。力量を見誤っている。

 ならば追ってくるはずだ。脆弱な敵だと侮っているから、一直線に。しかし四天王からの厳命があるから頑なに。

 ――それこそ、周囲の有象無象などに注目することなく。


 そこまで読み切り、パンダはあの瞬間崖から飛び降りた。

 あの場に残されたロニー達が狙われる可能性は低いと踏んだ。

 そんなものに構うよりも、四天王から直々に抹殺を指示されたパンダを逃がす可能性を見過ごすわけがない。


 ここは逃げるべきだ。ルートは一つ。

 先ほどロニー達と決めた、あのルート。


 ――あれを、真っ直ぐ正反対に進む。


 魔人に見過ごされたロニー達は無我夢中で国営ダンジョンの出口に向かうだろう。それでいい。

 パンダが彼らを逃がす囮になる。


 それが、今パンダがすべきことだ。

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