第104話 オリヴィアと交渉


 建物の中はまさに工房といった具合に物や道具で溢れかえっていた。

 それなりの広さはあるはずだが物が密集しているせいでとても窮屈に感じられた。

 ごぽごぽと音を立てて泡立つ液体の入った大釜や、用途不明のアイテムがずらりと飾られた棚。鍛冶用の道具なども見受けられ、とても僅かな時間で用意したとは思えないほど工房として充実していた。


 来客は想定していないのか椅子もテーブルもオリヴィア一人分しかないため、各自適当なところに腰かけて話をすることになった。

 パンダがここまでの経緯を話すのを、オリヴィアだけでなくキャメルも興味深そうに聞き入っていた。

 彼女は既にパンダが四代目魔王であると知っていたが、それでもほとんど眉唾な話で、こうしてじっくりとパンダの過去を知らされてはいなかった。

 話を聞いていく内に、キャメルは自分が盟約を結んだ相手がどれほどの魔人なのかをぼんやりと理解できてきたのか、悩ましげに呻くような姿も何度か見せた。


「…………なるほどねぇ。冥府の魂を取り込んで強制的にレベルを上昇させる、か。面白い事考えるもんだね」

「私も初めて聞いたときは同じ気持ちだったわ。研究自体もほとんど完成してたし、私自身が第一成功例ってことになるみたい。ただ、その技術はもうビィの手に渡ったでしょうね。これからどうなることやら」


「それで、ルドワイアのエルダーがその実験で半魔人化したから、それを治してほしい、と」

「ええ。私は正直そんなの無理だと思うんだけど、あなたなら何か案があるんじゃないかと思って」

「随分高く買ってくれてるみたいじゃないか」

「もちろん。世界広しと言えど、あなたほど『魂』について見識を深めてる者はそうはいないでしょうからね」

「そうかい。なら私もハッキリ言わせてもらおうじゃないか」


 オリヴィアはパンダを横目で見遣りながら、椅子のひじ掛けにつけた左腕に頭を乗せながら素っ気なく言い放った。


「――無理だね。そのエルダーを元に戻すことはできない。諦めな」


 予想通りの返答のはずだが、意外だと思ってしまうほどにあっさりと突き放されたことに、パンダは若干驚いた。

 それだけパンダも、オリヴィアならばあるいは、と期待していた部分があった。


「魂は不可逆。一度変質した魂は元には戻らない。そんなこと、あんたなら当然分かってるもんだと思ってたけどねぇ」

「もちろん分かってるわ。だから私も無理だと思ったし、だからこそあなたにしかできないと思った」

「私にだって無理さ。摂理に反する」

「ではパンダはどうなる」


 次に口を挟んだのはホークだった。

 ホークにとってもこの一件は、ブラッディ・リーチに辿り着くための近道に成り得る話だ。無理だと言われてあっさりと退きさがるわけにはいかない。


「なんだいパンダってのは」

「ちっ、どいつもこいつも。文脈で察しろ。こいつの今の名前だ」

 パンダを親指で差しながら言うホーク。

「こいつは昔100レベルの魔王だったはずだろ。だが今はレベルダウンしている。魂は必ずしも不可逆ではないという証明だろ」


「それはスノウビィの『レベルドレイン』っていうユニークスキルによるものさ。なんだい、あの小娘に頼んでみるつもりかい? エルダーの魂を吸ってくれって? できると思ってるのかい?」

「話を逸らすな、論点はそこじゃない。『魂は必ずしも不可逆ではない』ことは認めるんだな?」

「いいや? そもそもあんたはスノウビィの『レベルドレイン』のスキルの原理を理解してんのかい」

「いや、詳しくは知らないが……」

「だったらなんで『フルーレの魂が逆行してる』なんて断言できんだい?」

「……」


 反論に困るホーク。

 根拠としては『そう見える』としか言えないのは確かだ。パンダのレベルは明らかに全盛期よりも下がっている。

 それが証明にならない理由が分からなかった。


「……パンダ、どうなんだ。さすがにお前は知ってるだろ」

「まあね。あの子のレベルドレインの原理はレベルシステムに近いものだけど、より似通った理論で言うなら、ヴェノム盗賊団がやっていた例のレベル上昇実験の方が近いわ。レベルシステムは、生命エネルギーへと変換された魂を取り込むけど、彼らの試みは違うでしょ?」

「冥府の魂を自分の魂に吸収させる、というものだろ?」

「そう。本来一つの肉体に二つの魂を入れることはできない。――うーん、いえ、出来るか出来ないかで言うと出来るんだけど、弊害は皆も知っての通り、精神がその負荷に耐えきれないのね」


 今議題に挙がっているラトリアの話も、まさにそういうことだ。

 一つの肉体に大量の魔族の魂を取り込んだために起こる精神崩壊。あの研究者たちが長年頭を悩ませていた難題だ。


「でも、ビィのレベルドレインはそれを可能にするの」

「どうやってだ」

「あのスキルは『レベルをドレインする』というよりも、と言った方が正確ね。『一つの魂を二つの肉体で共有する』って言うと分かりやすいかしら」

「全然わからん」

「見かけに寄らず鈍い子だねぇ」


 馬鹿にされたホークが眉を吊り上げ、額に青筋を浮かべる。

 その迫力にキャメルは悲鳴をあげて物陰に隠れたが、オリヴィアは意に介さず続けた。


「ようは、フルーレ嬢ちゃんの魂はまだ消えちゃいないのさ。スノウビィに吸収されたわけじゃない。そのままの形でこの世界に残ってる。ただ、その魂をスノウビィとフルーレが二人で共有して使ってる状態なのさ」

「魂を共有……」

「そうさ。あのスキルの凄いところはね、魂の形をそのままにして共有しているにも関わらず、その後両者の間で改めて魂の規格を再定義するってところなのさ。それらはオリジナルの魂と同一でありながらそれ単体でユニークなのさ。だからパンダ嬢ちゃんは新たにレベルを上げられるし、スノウビィは100レベルに到達しても更に力を蓄えられて、」


「それは今はどうでもいいでしょ。関係ない話して混乱させないの。どう、ホーク。だいたい理解できた?」

「……つまり、パンダが持っていた土地を二つに区切って、二人で使ってるようなものか?」

「まあ……そうね」


 ホークの解釈は決して的外れなものではなかったが、例えが稚拙過ぎてパンダもぎこちなくしか頷けなかった。

 一応パンダなりに気を遣ったつもりだが、オリヴィアはそんな配慮は持ち合わせていなかった。


「ククク、可愛らしいお嬢ちゃんだね。掛け算はまだリンゴが三つでバナナが四つみたいな考え方してるのかい?」

「――」

「キャメル、命令よ。ホークがオリヴィアを撃ちそうになったらあなた身代わりになって撃たれなさい」

「嘘でしょお!?」


 今にも魔法銃をホルスターから抜きかねない剣幕のホークを見て恐々とするキャメル。


「…………。とにかく、貴様の言いたいことは何となくわかった。ようするにパンダの魂は逆行したわけではなく、形はそのままにスノウビィと共有して使っていて、その比率が圧倒的にスノウビィの方が多いせいで、パンダはレベルが下がったような状態になっているということだな」

「極めて簡略化して言うとそういうことだね。で、仮にスノウビィのスキルでそのエルダーの魂をドレインさせても、魔族の魂を除去することはできないよ」

「何故だ?」


「ラトリアの今の状態はね、ホーク。真水に大量の墨を混ぜ込んだようなものなのよ。レベルドレインして水かさを減らしても、濁った水が元に戻るわけじゃないでしょ?」

「つまり……打つ手はないと?」

「だからそう言ってるじゃないのさ」


 ホークが重苦しい溜息を吐く。

 元から無茶な話だというのは予想出来ていたしダメ元ではあったが、パンダの話では五分五分くらいの望みはあるような口ぶりだった。

 それがこうもあっさりと切り捨てられたのは、ホークにしても落胆を禁じえなかった。

 結局はラトリアはもう手の施しようがないという事実が更に強固なものになっただけだった。それも、パンダ自身が太鼓判を押す黒魔術の権威から。


「帰るぞパンダ。もうこの魔人に用はない」

「はー、結局あたしの調査も無駄骨っすか」

 二人はさっさと立ち上がりこの場所を後にしようと歩き出した。


「――まだよ」


 しかし、パンダだけはその場から動こうとしなかった。

「まだ諦めるのは早いわ。……ねえオリヴィア、質問を少し変えるわね。『どうすればこの問題を解決できる?』」

「なに言ってんだい。そりゃ同じ事じゃないか」

「いいえ。あなたは一般論を口にしたに過ぎない。出来るか出来ないかという問いに出来ないと答えただけ。だから質問を変えるの。『どうすればいいと思う』?」

「……」


「これでも、私も昔は黒魔法に関してはそれなりだったのよ。だからこそオリヴィアの知識の深遠さを知ってる。あなたはまだ、数百年に渡る研究によって蓄えた叡智の、ほんの一部でしか判断していない。そうでしょ? あなたが本当に知恵を振り絞ってそれでも駄目なら私も諦めるわ。だから考えて。どうすればラトリアの問題を解決できる?」


 そう問い詰めるパンダを、オリヴィアは冷たく笑い飛ばしてあしらった。


「悪いけどね、私もそれほど暇じゃないんだ。あんた達に協力して私に何の得があるってんだい? そんな無駄なことに時間も思考力も使いたくないね。知己のよしみで話だけは聞いてやった。助言もしてやった。それで満足することだね」

「そう。確かにその通りね。なら――あなたにメリットがあればいいのね?」


 パンダはキャメルの方へ顔を向けると、彼女に声をかけた。

「キャメル、外の馬に積んだままのアレ、持ってきてちょうだい」

「は、はいっす!」


 キャメルは駆け足で拠点の外に出ていった。

「なんだい、土産でも持ってきたのかい?」

「ええ、きっと気に入ってくれると思うわ」

「へえ? 珍しい薬草でも手に入れたかい。それとも、純度の高い魔石?」

「いいえ、もっといいものよ」


 少しするとキャメルが一抱えの荷物を持って戻ってきた。

 布で覆い隠されているが――それでも、その形状にオリヴィアは見覚えがあった。


「――ちょっと俟ちな。まさか、それ……」

 言い終わる前にパンダは布を取り払い、覆い隠していた中身を晒した。

 紫色に鈍く光る大鎌。デスサイズだった。


「これ――私の鎌じゃないか!」


 椅子から立ち上がりデスサイズを手に取ろうとするオリヴィアだが、その手が鎌に届くよりも先にパンダがひょい、と鎌を遠ざけた。

「なんであんたが私の鎌を持ってるのさ!」

「もとはと言えばあなたがバラディア騎士団に鎌を奪われちゃったのが悪いんでしょ?」


 ぐ、と言葉を詰まらせるオリヴィア。

 すると見る見る内にオリヴィアの顔が怒りに歪み始めた。


「そうさ……あの連中……いつもは討伐作戦ったってほとんどフリだけさ。毒沼が広がってきたあたりで連中から極秘で勧告が届いて、作戦決行の日時を知らせてくる。だから私はそれまでに必要な荷物をまとめて、用済みな研究成果を奴らにくれてやってたのさ」


 討伐作戦の実態が全く別の目的を持った茶番だというのは知っていたが、まさかご丁寧に襲撃の日時まで知らせていたとは、他の三人は呆れた気分だった。


「だけどあの日……あの討伐部隊は勧告もなしにいきなり襲ってきたのさ。それも本気で殺すつもりでね」

「部隊長に昇格したばかりで事情を知らなかったとか、そんなところかしらね」

「連中の都合なんて知ったことじゃないよ。私は不意打ちに対応し切れず、なんとか応戦しようとしたけどデスサイズを奪われたせいで満足に戦えず、ろくに道具も持ち出せないまま逃げる羽目になったのさ」


 今思い出してもハラワタが煮えくり返るのか、オリヴィアが顔を真っ赤に紅潮させながら目を剥き出しにして声を絞り出していた。


「だからギルディアの近くのこんな目立つ草原にわざわざ拠点を構えてやったのさ! さっさと私に謝罪しに来ないとここにドデカイ毒沼を作ってやるぞってね。その時にデスサイズを持ってこなかったら、もう二度と研究成果を残してやらないぞって言ってやるつもりだったんだ。なのに――なんであんたが持ってんだい!」

「残念だけど、その人達もデスサイズを盗賊団に奪われちゃったのよねー」

「なんだって!?」


 オリヴィアは怒りのあまり近くの棚の上にあったガラス瓶を、一列まとめて叩き割った。

「私の大切な鎌を奪っておきながら、どこの馬の骨とも知らない賊ごときに盗られたってのかい!?」

 部屋の隅でキャメルが居心地悪そうに視線を逸らした。


「で、今は私の手にあるってわけ」

「返しな! それは私のだよ!」

「今は私のよ」

「ふざけんじゃ――」


 パンダに掴みかかろうとするオリヴィアの動きが止まる。

 オリヴィアよりも一息早く、ホークが魔法銃を抜き払い銃口をオリヴィアに向けていた。

 あと一歩でもパンダに近寄れば撃つと、その気配が告げていた。

 さっきまでの軽口に対する剣呑さとは比較にならない。

 敵対する魔人を屠ろうとする、魔断の射手の眼光だった。


「なんだい。やるってのかい、この私と」

「それもいいけど、もし失敗したらあなた二度とこの鎌を取り戻せないわよ? あなたはバラディアに入れないでしょうけど、私たちは入れるもの。手放したりもしないわよ? この鎌いまの私のメインウエポンなんだから」

「……」

「それより、ね? ラトリアを治す方法を見つけ出す方が可能性高いんじゃないかしら」


 鋭くパンダを睨み付けるオリヴィア。

 しかしその手の威嚇がまるで通用しない相手であることを思い出したのか、やがてオリヴィアは忌々しげに息を吐くとドカッと椅子に座りなおした。


「……約束しな。協力したらその鎌を私に返す。いいね?」

「もちろん。約束するわ」

「……いいだろう。協力してやろうじゃないのさ」

「で、結局問題は解決できるのか? 言っておくが、協力するだけでは不十分だぞ。しっかりとこちらの望みは叶えてもらう」


 先ほど自らの口で不可能だと述べた理論。それを自らで覆すという難題に挑むことになる。

 オリヴィアの協力が得られるのは頼もしいが、そもそも挑む課題が達成可能ではないなら同じことだ。


「考え方を変える必要があるだろうね」

「というと?」

「前提として、そのラトリアとかいうエルダーの魂を元に戻すことはできない。私の持ってるどんな知識を使ってもね」

「パンダは貴様ならできると考えているようだが。『魂』のスペシャリストなんだろ?」


「魂を操る術は魔人を最強の種族足らしめた、魔人の持つ最も優れた能力さ。だから私はその効果を高めるために数え切れないほどの研究を繰り返してきた。成功例はいくつもある。魂の性質を変化させる。獲得できるスキルを拡張する。スキルポイントで高められる新たなパラメータの発見。……それでも、魂を逆行させることはできなかった。あんた達もそれはもう諦めな。だから、妥協案を模索していくしかないだろうね」


「依頼主が納得さえすればそれでいいわ。私たちは依頼を受けた立場だから、魂を元に戻すことに拘りがあるわけじゃないの。妥協案を教えてちょうだい」

「話を聞いた限りでは、半魔人化してしまったことが問題なんじゃなく、それによって精神が暴走してしまってることが問題なんじゃないのかい?」

「……どうでしょうね。依頼主はラトリアの症状が魔人化だってことも分かってなかったみたいだけど」

「半魔人化の影響で精神が暴走し、破壊衝動のまま他者を攻撃している。これがおそらく依頼主が最も解決したい問題のはずだ」


 ホークがパンダの補足をする。

 そもそもシィムはラトリアの症状を、スノウビィによる洗脳だと考えているようだが、それだけでは半分も正解していない。

 何よりも問題なのはラトリアが魔族の魂を大量に取り込んでしまったこと。

 原因を正しく把握していないのだから、正しい解決法もシィム自身分かっていないのだ。

 そう考えれば、少なくともシィムが最も望んでいることはラトリアが正気に戻ることだと言えるだろう。


「だったら、その暴走を抑えるだけなら可能だよ。魂を元に戻すことはできないけど、精神をまともな状態に戻すことはできる」

「待て、仮に暴走が収まったとしても、セドガニアを襲撃し今も人間と敵対している事実は変わらない。元に戻っても結局人間に処刑されるだけじゃないのか?」

「それが問題なんだったら、魂を元に戻したところで同じさ。半魔人化が治って人間に戻れたとしても処刑されるだけじゃないか」

「……」


 確かに、と納得するホーク。

 シィムはラトリアの症状を治したいと言っていたが、その結果としてどのような未来が欲しいかは言わなかった。

 おそらく彼女にもまだ分かっていないのだろう。とにかくラトリアの状態を元に戻したいという一心で動いているような気配があった。


「そこはもう一度依頼主に確認してみるけど、とりあえずその案で進めましょう。ラトリアの精神暴走状態を治すことはできるのね?」

「それでいいなら、かなり現実的な話になるね。方法はいくつか思いつく。――魂が肉体に大きな影響を与えるなんて話はするまでもないね?」


 それはもはや一般常識として認知されていることだ。

 だから魂を強化すると肉体も強靭になる。レベルシステムのメカニズムだ。


「人は行動するときや思考するときも、多くの場合一度魂にアクセスして、その魂の規格に沿うアクションを実行する。『性格』とか『個性』なんて言われてる概念も、つまりは魂の規格の差異ってことなのさ。つまり――」

「なるほど。アクセスする魂を固定化すればいいってわけね」


 一人で合点がいったように頷くパンダに、オリヴィアは不快そうに眉をしかめた。


「……茶々入れないでくれないかい。私は話の腰を折られるのが大嫌いなんだ。それともなにかい、あんただけ理解できるような端的な説明で十分なのかい?」

「ああ、ごめんなさいね。さすが専門家は頼りになるって感心してただけなの。黙っておくから、二人に説明してあげて」


「……ふん、まあとにかく、そのエルダーが自分の意に沿わない行動をしているのは、自身の中に複数の魂の規格を持ってるせいさ。思考や行動の際に、魔族の魂にアクセスを奪われて、そいつらの魂の規格に沿う行動をしちまってるって話さ」

「だから魔族の本能である破壊と殺戮を、身体が勝手に行ってしまうというわけか」

「解決法は今フルーレ嬢ちゃんがイキがって語った通り、アクセスする魂を本来の魂だけに固定化すればいい。そうすれば他の魂に思考や行動を奪われることもなくなる」


 オリヴィアの説明に、ホークは少なからず感心していた。

 ラトリアの症状を聞いた限りでは誰しもが、取り込んだ魔族の魂を除去したり、ラトリアの魂を元の状態に戻したり、というところに解決法を見出そうとしていた。

 だがオリヴィアはそういった固定観念に囚われず、魔族の魂を内に秘めたままでありながら精神状態を元に戻すという方法に瞬時に辿り着けた。

 パンダがあれほど信頼を置くのも頷ける。数百年を研究に費やしたというのは伊達ではないらしい。


「で、それは可能なのか?」

「なんとかなるだろうさ。ただ薬を長期間継続して服用してもらうことにはなるだろうね。それと並行して、内部の魔族の魂を少しずつ除去していく。これは薬じゃできないから定期的に処置しないといけないけど――」

「まあ! てっきり薬を作ってそれで終わりだと思ってたのに、そんなに長期に渡ってサポートしてくれるなんて! ありがとうオリヴィア、クライアントにもいい条件が提示できそうだわ!」

「…………」


 ここが好機とばかりに白々しく騒ぎ立てるパンダに、オリヴィアは「しまった」と文字がはっきりと浮かび上がりそうなほど表情を歪めた。


「……チッ、余計な事口走っちまったよ」

「こいつと交渉するときは一瞬も隙を見せないことだ。古くからの知人だろうにそんなことを怠るとはな」

「黙りなエルフの小娘。……まあいい、こっちもデスサイズのためさ。それくらいの面倒は見てあげるよ。さて、問題はむしろこっからさ」


 オリヴィアの言いたいことには誰もが察しがついた。

 それはシィムと交渉している段階から問題点をとして挙がっていたことだ。


「薬を作るのはいいが、どうやって飲ませるつもりだい? エルダークラスの騎士が暴走して暴れてんだろう? 羽交い絞めにでもする気かい」

「それに関してはこれから依頼主と相談ね。そもそもあなたが解決策を思いつくかも分からなかったんだもの。――もしラトリアを捕獲することになったら、よければ、」

「お断りだね。私は研究者なんだ、荒事はごめんだよ」

「そうなるわよねー。ま、しょうがないわね。じゃあ私たちは依頼主に契約内容を確認しに行くから、承認されたらすぐに薬の制作に取り掛かってちょうだい」


「無理だね」

 ぴしゃりと断言するオリヴィアに、三人は呆気にとられたように目を丸くした。


「……無理というのはどういう意味だ」

「言葉通りさ。言ったろ? 問題はこっからだってさ」

「まだ何か問題があるのか」

「あんた達、一番根本的な事を見落としてないかい? ――材料さ。薬を作るための材料がない」


 あっ、という間抜けた声が三つ重なった。

 あまりに初歩的過ぎる話なため、珍しくパンダですら失念していたほどだった。

 半魔人化したエルダーを救うための方法を見つけるという、大きな関門にばかり意識が向いていたため、そのための最初の一歩を見落としてしまっていた。


「……何が足りない」

「いろいろさ。リストアップしてあげるよ。言っとくけどそれに関しては契約範囲外だからね。あんたらで集めな」

「こんだけゴチャゴチャあるんすからなんとかなんないんすか?」

「前の工房なら集めなきゃならない素材も少なかったろうね。ただ、少し前にあのバカな騎士団どもに根こそぎ持ってかれちまったからねぇ」

「そう繋がるわけね……」

「今この工房にある材料に関してはサービスしてあげるよ。足りないのは…………はいよ、これで全部さ」


 オリヴィアは紙に必要な材料を書いてパンダに渡した。

「ふんふん…………なるほど…………、――――え?」

 内容を確認していったパンダは、最初の内はむしろ安堵していた気配すらあった。

 それほど無茶な素材は書いておらず、全て集めるのは確かに面倒だが時間さえかければなんとかなりそうなものが多かった。


 が、最後の一つを見て途端にパンダは顔を引きつらせた。


「……濃度五〇〇以上の未加工の魔石ですって……?」

「はあ!? なんすかそれ! 冗談っすよね!?」

「まあそういうリアクションになるだろうね。けど、それは絶対に必要だから、なんとかしてもらうしかないよ」

「……」

「なんだ、そんなに入手が困難な素材なのか? 魔石だろ?」


「なに言ってんすかホークの旦那! そこらの店売りの魔石とはレベルが違うっすよ! 濃度五○○の魔石なんて滅多に見つかるようなものじゃないっす。ヴェノム盗賊団でもそんな大物、よほどの理由がないと狙いませんよ!」

「しかも未加工。いわば原石のような状態で残ってるものとなると、まず市場には出回らないでしょうね。軍が研究開発用に軍事予算で買うような代物よ」

「ねえ姐御、こんなの馬鹿げてるっすよ。そんな魔石が手に入るなら、こんな魔人に渡すことないっす。あたしが高値で売っぱらってくるっすよ。そうすれば二年は遊んで暮らせるっすよ」

「その魔石がありそうな場所は分かるか?」


 キャメルの言葉を完全に無視してホークが尋ねる。

 ホークにとっては金などよりもブラッディ・リーチに辿り着く手がかりの方が遥かに重要だ。


「分かるさ。魔族領だよ」

「……なんだと?」

「魔石っていうのはね、鉱物に長い年月をかけて魔力が蓄積していくことで生まれるの。だから魔族領からは比較的採掘しやすいわ。ただ、それでも濃度五〇〇ともなると魔族領でもそう簡単には見つからないわね」

「お前も見た事はないのか?」

「いいえ、魔王城にはゴロゴロあったわよ。昔魔導具づくりにハマッてた頃に沢山使ったし」


「ああー……あったねぇそういえば。ムラマサ坊やの夜喰に匹敵する刀を作るって息巻いて、濃度一四〇〇の魔石を八つもオシャカにしたのはよーく覚えてるよ」

夜烏やがらすね。懐かしいわぁ」

「そんな馬鹿話はどうでもいい。人間領では入手できないのか?」

「そうねぇ……魔石の原石を見つけるっていうのは、言い換えれば『魔力溜まり』を見つけるって話よ」

「魔力溜まり?」


「魔力って基本的に一箇所に溜まるようなものじゃないんだけど、何らかの要因で一箇所に魔力が溜まってしまうような場所が出来たりするの。それが何十年って続くと、そこにある鉱物が魔石に変わったりするわ」

「最近じゃ人工的に作ろうとするのが主流かねぇ。人間領に自然に長期間の魔力溜まりが出来る場所なんてそうあるもんじゃないからね」


 二人の話を聞き、ホークは先行きが相当に暗いことを理解した。


「……いいわ。とにかくここに書いてある素材が必要だっていうのは分かった。なんとかするから、材料が揃ったら連絡するわ」

「そうかい、期待してるよ。こっちだってデスサイズがかかってんだ」

「はぁ~……もったいないっす。なんでエルダーなんかのためにこんな苦労を……」

「黙って働け。まずはクライアントに依頼内容の確認が必要だ。一度ギルディアに戻るぞ」


「オッケー。――あ、そうだ。ねえオリヴィア、ついでにもう一つお願いしたいことがあるんだけど」

「……今度はどんな面倒事だい」

「あなたなら大したことじゃないわ。ちょっと作って欲しいものがあるの」

「……はぁ」


 彼女がこういうことを言い出すときは、決まって厄介なことを頼まれるということを、オリヴィアとホークは良く知っていた。

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