第42話 怨嗟の炎


 マリーは血を流動的に変化させて攻撃する能力を持つ。

 その能力自体は魔法に近いが、攻撃方法は物理的なもの。速度は最強のエルフたるホークをして見切るのが困難なほど。単純だが非常に強力。


 ホークは魔力を打ち消す反魔力――破魔の力を任意の物体に付与できる能力を持つ。

 マリーの操る血には余すことなく魔力が込められており、それを破魔の力で破壊すればもうマリーはその血を操ることができなくなる。

 また四天王としての血の盟約を持つマリーに破魔の弾丸――魔断が一発でも命中すれば、その瞬間に盟約が破壊され、盟約の呪いによってマリーは死に至る。


 ただ一撃。

 それがどれほど遠いかホークは身に染みている。


 互いの能力は既に承知し合っている。

 マリーの血の攻撃を防ぐのにホークは手一杯だが、逆にホークの破魔の矢はマリーには軽く防がれる。

 故にマリーは必勝。隙などない。


 ――マリーのその認識は僅か一秒で覆されることとなる。


 連続的な発砲音。

 二発の魔弾と三つの魔断。計五発の銃弾がほぼ同時にマリーに襲い掛かる。

 その速度は、歴戦の戦士であるホークの放つ矢、それすらも凌駕していた。

 今までマリーの体感したことのない速度で迫る銃弾――それが同時に五つ。


 一瞬面食らうマリーだが、今や四天王の一人に連なる魔物『ブラッディ・リーチ』に見切れない速度ではない。

 血の盾を生み出す。血の伸縮、凝固の速度は銃弾に十分匹敵する。

 速度域で後れを取ることはない。


 だが――。

「――ッ!」

 咄嗟に右へ回避するマリー。そのすぐ左脇を魔断が掠める。


「ッ……」

 ……捌き切れない。

 展開した血の盾はたった一発の銃弾で効力を失い無効化される。

 そこへ横並ぶように迫る四発の銃弾。血の塊をぶつけて相殺しようとするが速すぎて間に合わない。

 事実一発は捌き切れず、ついにマリーへの反撃を許してしまった。


 なんとか回避できたが、しかしという事実だけで、昨夜とはまるで話が違う。

 昨夜、ホークは三〇本の破魔の矢を費やして、ついに一度たりともマリーに回避行動を取らせることすらできなかった。

 マリーは上空から戦場を支配し続け、僅かも動くことなくホークを完封した。


 ――その優位が今のマリーにはない。

 昨夜までは鉄壁だと信じていた壁が、たった今崩れた。


「……何、その武器」

 ホークの獲物が昨夜までとは違うことには一目で気づいていた。しかしマリーは銃という武器そのものは見たことがない。

 それがどういう攻撃方法なのかを知らなかった。

 何か小さな礫と魔力の塊が恐ろしい速さで迫ったことまでは分かったが、その仕組みまでは理解できなかった。


 そんなマリーの動揺が収まるのを待つホークではない。

 立て続けに連射される二丁拳銃。

 次は倍の一〇発。全てがマリーを正確に狙い撃っていた。


「っ……」

 防ぎ切れない――マリーは瞬時に判断した。

 血の盾を展開しても最初の魔断で突破される。その後ろに控える九発を、ここで突っ立って捌けるはずがない。

 飛翔。エントランスの天井付近まで飛び立ち、銃弾の脅威から離脱する。


 ホークが接近。まだ意表を突かれているマリーを追い立てる。

 一方でマリーも、今の一幕でようやく銃という武器を理解した。


 あの赤い銃からは鉛が撃ち出されている。それが破魔の矢と同等の効果を持っており、あの弾丸には絶対に当たってはいけないし、血の防御も相殺される。あれがホークの切り札だ。

 ではそれだけに注意すればいいかというとそんなことはない。

 あの紫の銃からは魔力の塊が発射されている。その威力は赤の銃の比ではない。

 この魔弾でもマリーの防御は突破されてしまうし、命中すればかなりの損傷は免れない。


 そんな強力な銃弾が、恐るべき連射速度で襲い掛かる。

 瞬間火力と弾幕は、昨夜の弓矢などまるで比較にならない。


「……ふぅん」

 どうやら昨夜までのホークと同じだという認識は今すぐ正す必要があるようだ。

 武器が一つ変わっただけだが、それだけでも別人のように戦闘力が上がっている。


「パンダの入れ知恵かな?」

 ホークは答えないが、それ以外有り得ない。

 こんな武器があるならホークは昨夜の時点で使っていたはずだ。つまり昨夜まではこの武器を使うという発想すらなかったということ。

 誰かの助言となれば、もうマリーにはパンダしか思い浮かばない。

 間違いなく二人は繋がっている。ならばここでホークを半殺しにすれば、パンダの情報も手に入るというもの。


「――たかが武器を変えた程度で!」

 一層激しく飛翔するマリー。

 たとえホークが強くなったとしても、結果は変わらない。


 ――昨夜までと戦力が違うのがマリーも同じなのだ。




 ――勝てる。

 彼我の戦力差がハッキリと縮まったことをホークは実感した。

 パンダは決して信用できる魔人ではないが、彼女の言葉は確かに正しかった。


 紫の魔法銃『サーペント』の魔弾を牽制としてばら撒きながら、ホークはエントランスを疾走する。

 地の利もホークに味方した。

 昨夜のように開けた平地ならブラッディ・リーチは上空に浮遊するだけで大きなアドバンテージを得られたが、館のエントランスという閉鎖空間ではそれも活かせない。

 どれだけ高く飛ぼうともせいぜい五メートルが限度だ。


 それだけの近距離ならば、ブラッディ・リーチも易々とはホークの弾幕を防げない。

 尤も、それはホークにとっても同じことだ。

「――このッ!」

 ブラッディ・リーチから血の風が吹き荒れる。

 それはこの一戦でブラッディ・リーチが初めて繰り出す攻撃。風は斬撃となってホークを襲う。


「――シッ!」

 だがそれも、昨夜までとは話が違う。

 素早く二連射。魔弾と魔断を一発ずつ前方に放つ。

 血の斬撃と銃弾が交差する。途端、空気が弾けるような音と共に血の塊が飛散する。

 風に風穴があき、ホークはそこへ飛び込んだ。


「うっ……!」

 ブラッディ・リーチの顔に焦りが浮かぶ。

 昨夜の戦いでもホークは幾度となくブラッディ・リーチの攻撃を回避して見せたが、これほどあっさりと突破されたことはなかった。

 そう、ブラッディ・リーチの血がホークの銃弾を防げるように、ホークの銃弾もブラッディ・リーチの血を防ぐ盾に成り得る。


 条件で言えば必ずしもブラッディ・リーチが優位ではない。

 ブラッディ・リーチが昨夜ホークを完封できたのは、攻撃と防御の比率の要素が大きい。

 絶え間なく襲い来るブラッディ・リーチの攻撃を回避しつつの反撃という方法しかホークにはなく、弓という武器の性質上、その回数は目に見えて少なかった。

 攻撃と防御を極めて高い水準で維持し続けることができる――それがブラッディ・リーチの強さの秘訣と言える。


 ――その均衡がついに崩れる。

 二丁の銃が火を噴き、天井付近まで飛び上がったブラッディ・リーチを追い立てる。

「くっ……」

 血の盾を展開しながら回避する。

 血の盾は大きく広範囲をカバーできるように広げられている。それを同時に四つ作り出し、ホークからの射線を遮る。


 この血の盾の大きさだけでもブラッディ・リーチの焦りが浮き彫りになっている。昨夜のように、最小限の血の塊だけをぶつけて魔断を相殺するという方法を取らない。

 そんな見切りができるほどの余裕がないという証明だ。


 防戦一方のブラッディ・リーチがたまらず後退。ホークから距離を取ろうとする。

 ホークは迷わず突進。

 ただでさえブラッディ・リーチの攻撃はホークに無効化されてしまうというのに、この期に及んで距離を離そうと逃げること自体が愚行。


 パンダの言う通り、確かにブラッディ・リーチは戦闘に関しては素人だ。

 今ブラッディ・リーチは戦術よりも感情を優先させた。ただホークの攻撃から逃れたいと言う思いだけで後退した。

 それが愚策だと気づけないほどにブラッディ・リーチはホークの攻撃に怯んでいる。


 三発の魔弾を撃ち出す。

 魔断でこじ開けたスペースへの狙いすました狙撃。ブラッディ・リーチの対処が遅れ、盾の展開が間に合わない。

「ひっ――!」

 ブラッディ・リーチの口から声が漏れる。

 魔弾は惜しくもブラッディ・リーチを外したが、彼女にはその擦過音すら聞こえただろう。


「……クク」

 知らずホークの口からは歪んだ笑いが零れる。

 あのブラッディ・リーチが無様にも悲鳴を漏らしたという事実が何よりもホークを昂らせた。


「悲鳴を聞くのが好きなんだったな? クズが」

 そのために何人もの少女を拷問してきたのだ。

 ――ミリアすらも。


「――貴様のも聞かせろ、吸血鬼ッ!」


 憎悪に燃え盛るホークの心に応えるように、二つの銃が激しく火花を散らす。

「グッ――アアアアアア!!」

 ブラッディ・リーチの咆哮。

 今までにない量の血液がうねり、暴風となって乱れ狂う。


 それはホークを狙ったものではなく、ただ力任せに周囲を破壊しつくした。

 エントランスの階段、壁、柱、調度品に至るまで、およそ周りにあるもの全てを薙ぎ払っていく。

 地下牢へ続く側の壁も叩き折られ、燃え盛る炎を纏いながら瓦礫がホークに降り注ぐ。


 嘲るように鼻を鳴らす。こんなくだらない攻撃でホークを仕留められると思っているのなら的外れもいいところ。

 燃える瓦礫に身を隠しながら、ホークは弾倉の入れ替えを行う。

 レッドスピアから空になったマガジンを捨て、次を入れる。

 続いてサーペントの弾倉を開き、魔力を撃ち尽くした魔石を全て吐く。そのまま流れるように五発の魔石を装填。


 残りはレッドスピアのマガジン三本――計五四発。

 サーペントの魔石一〇個――計五〇発。

 合わせて一〇四発。

 ――余裕だ。このままいけば十分ブラッディ・リーチを轢き殺せる物量。


 二丁の銃の再装填にかかった時間は四秒足らず。

 その間にブラッディ・リーチは可能な限りホークから距離を取ったが、いずれにせよこの狭いエントランスからは逃げられない。

 獲物は依然檻の中にいる。


「……気分はどうだ、吸血鬼」

 銃を構えながらホークが声をかける。

「報いの時だ。貴様の犯した罪……残らず償わせてやる」

「……報い? 罪?」


 不思議な言葉を聞いたようにブラッディ・リーチは怒りに満ちた目でホークを睨み付けた。

「私のどこに罪があるっていうの? 何の報いを受けるっていうの?」

「……」

「強ければ支配し、弱ければ支配される。それだけでしょ。だったら……私がここで何しようと構わないでしょ? だって――」


 ホークが銃を構え、ブラッディ・リーチの周囲に血が浮遊する。

 紅蓮の炎がエントランス全体を覆い始め、館が音を立てて崩れ落ちる音が響く中、二つの殺意が交差する。


「――だって私は、この館の支配者なんだからッ!」

「ほざいてろ」


 有無を言わさず放たれる魔断。

「いいよ、だったら――私も本気で相手してあげる!」

 それを迎え撃つブラッディ・リーチの血液が、かつてないほどに激しく脈動した。


 魔断を防ぐために展開される血の盾。しかしそれは今まで見たこともない大きさだった。

 ブラッディ・リーチの前方に扇状に展開された盾の大きさは、それまでのざっと五倍はある。その内どこに命中しようとも魔断は効果を発揮し、たちまち盾は水しぶきをあげて飛散する。

 それを意に介さず、立て続けに同じ規模の盾を展開。

 事実上、ホークがどこに魔断を撃とうとも確実に自身を守護し切るだけの範囲をカバーする。


 まさに鉄壁。こうなればもはやブラッディ・リーチは逃げ回る必要もない。

 絶対的な守護を展開しつつ、更に苛烈さを増す血の斬撃がホークを襲う。物量に物を言わせた圧倒的な火力と防御力はそれだけで脅威。並の者なら太刀打ちできないだろう。


「――馬鹿が」

 だがホークはそんなブラッディ・リーチの浅慮を嘲り、一言で切り捨てる。 

 ブラッディ・リーチの攻撃を紙一重で回避しながら、ホークは魔断を血の盾目がけて放ち続けた。

 その度にブラッディ・リーチの足元には大量の血が降り注ぎ、今や巨大な水溜まりを作るほどになっている。


 戦闘は素人だというのは知っていたが、まさかこれほど愚かとは思いもしなかった。

 あんな量の血を使い続ければすぐに底が尽きるに決まっている。

 今までブラッディ・リーチはホークの魔断の軌道を見切り、そこに最小限の血液をぶつけることで相殺してきた。

 ホークの弾幕を前にその余裕がなくなったブラッディ・リーチは防御に専念する必要があり攻め手を失った。そんな状況を打破するための作戦なのだろうが、お粗末としか言いようがない。


 確かにあの盾ならばいちいち魔断を見切る必要はない。巨大な盾に隠れながら攻撃に専念できるが、そのために使い捨てられる血の量は今までの比ではない。

 ブラッディ・リーチは魔力で血液を生み出しているとパンダは言っていたが、あんな浪費の仕方をしては魔力がもつはずがない。


 パンダからはブラッディ・リーチとの根競べは控えろと釘を刺されたが、奴があんなことをしでかす以上は乗らない手はない。

 ホークの魔断はまだ五〇発以上残っている。ブラッディ・リーチはその一発一発に巨大な血の盾を使い捨てている。


 そんなことを五〇回も続ければ、軽く一〇〇〇リットル以上は血液が消費されることになる。

 有り得ない。もしそんなに余剰があるなら初めから同じことをしていたはずだ。

 貯蔵量がどれほどかは不明だが、間違いなく有限だ。そして枯渇を危惧して戦わなければならないくらいには膨大ではないはず。


「――ハアッ!」

 掛け声と共にブラッディ・リーチから血の風が襲い掛かる。

 風というのは、そうとしか思えないほどの速度で迫りくる、薄く研がれた血が鞭状になって敵を両断する攻撃だ。


 ――その数が、今までの三倍以上もある。

 視界を埋めつくす赤の線。目に見えるだけで何百リットルの血液が蠢いているか定かではないほどの物量。

 それを鉄面皮で迎え撃つホーク。


 弾をばらまきながらエントランスを疾走する。

 回避できるものは回避し、回避が困難なものには銃弾をぶつけて防ぐ。魔断でも魔弾でも、どちらでも血の塊を吹き飛ばす威力はある。

 攻撃を巧みに躱しながら魔断の銃撃。ブラッディ・リーチを覆う盾を弾き飛ばすと、内側からもう一枚の盾が顔を覗かせた。


「ふん、なるほどな」

 さながらマトリョーシカの要領で、ブラッディ・リーチは血の盾を何重にも展開しているようだ。

 それも一枚突破されるごとにしっかり補充していく徹底ぶり。

 確かにそれならば防御は鉄壁。護りは気にせず攻撃だけに専念できる。


 本気でいくというブラッディ・リーチの言葉は嘘ではないらしい。

 攻守において今までにない圧倒的な物量。

 だがそれは裏を返せば、それだけ魔断の効果が高まるということでもある。


「いつまで保つか試してやる」

 ブラッディ・リーチの策は単純明快。ガス欠覚悟で畳みかけ、魔力が尽きる前にホークを叩き潰すつもりだ。

 ならば今度はホークこそが防御に徹する番。

 長期戦に持ち込めばブラッディ・リーチは勝手に魔力を使い果たして自滅する。

 その時が最後だ。


 ……大丈夫。頭はしっかり冷えている。

 怒り。憎しみ。今にも眼前の敵をぶち殺したいという欲求が胸を焦がしても、ホークは冷静に最適な戦術を選べる。

 これが踏んできた場数の違いだ。二〇〇年の戦争の重み。我を忘れるほどの憎悪の中でも、ホークは戦場では冷静になれる。


 一方的に弱者を嬲ることしかしてこなかった奴に、同じ真似ができるわけがない。

 少し攻め込まれただけで慌てて愚かな攻勢に転じる無様さがブラッディ・リーチの弱さの証。

 そこを突く。ブラッディ・リーチは自らの心の弱さに食いつぶされるのだ。


「ウアアアア!」

 ブラッディ・リーチの咆哮。

 奴も自身が扱える限界量の血液を使用しているはずだ。


 幾重もの血の刃がエントランスを縦横無尽に切り刻み、その間を縫うようにホークの銃弾が突き抜ける。

 床も壁も、ホークがいる場所はその一瞬後にはブラッディ・リーチに破壊しつくされる。

 ホークは絶えずエントランスを駆けまわることで狙いを定めさせず、ブラッディ・リーチの猛攻を凌ぎ続ける。


 とはいえそれも完全ではない。回避し切れなかった斬撃によってホークの身体はところどころに無数の切傷が刻まれ、流れた血で体の半分ほどが赤く染まっている。

 だがそんなことは問題ではない。今やホークの身体は痛みすら凌駕して動き続けることができる。

 人は痛みと恐怖によって支配されるとブラッディ・リーチは嘯いた。

 ならばそれに抗うホークには、痛みも恐怖もありはしない。

 ホークは反逆し続ける。ブラッディ・リーチに。その異形が放つ狂気に。


 ホークは今、間違いなく至っている。

 この館を支配するブラッディ・リーチの……その内に秘める歪んだ世界を穿つ、魔断の射手へと。


「消えろ!」

「――ッ!」

 これで九つ。ブラッディ・リーチの血の盾が破壊される。

 同じ位置に浮遊し続けるブラッディ・リーチの足元には、数百リットルもの血液が落下し巨大な血だまりを作っていた。

 それはもはや瓦礫の山と化しつつあるエントランスに飛び散り真っ赤に染め上げ、その血を更に赤く包み込む紅蓮の炎。


 火はとうとうエントランス全体を覆いつつある。

 床もまともに歩ける場所がないほどに炎に包まれている。だがホークは構わずに炎の中に飛び込む。

 ただでさえ苛烈を極めるブラッディ・リーチの攻撃を回避しようと思うなら、その回避先が炎の中だろうと躊躇う暇はない。

 一瞬でも躊躇すればその瞬間にホークの身体はあの血の風に貫かれるだろう。


「くっ……」

 斬撃が頬を掠める。

 ブラッディ・リーチの攻撃は少しも弱まることを知らず、むしろ時間が経つほどに激しさを増していくばかり。

 一三枚目。血の盾を突破されたブラッディ・リーチが新たな盾を生み出し前方に展開する。


 ここまでの攻防は互角。ブラッディ・リーチの決死の猛攻をホークは凌げている。

 ならばブラッディ・リーチを追い詰めているのはホークのはずだ。

 血を生み出す魔力の貯蔵が尽きたとき、ブラッディ・リーチは戦う術を失い敗北する。

 故に形勢はホークに有利なはず。……だが、


「……っ」

 一五枚目。血の盾が魔断に引き裂かれ地に落ちる。

 ――その直後、またしても同じ量の血の盾が展開される。


「馬鹿な……」

 多すぎる。

 もし魔力の底が見えているのなら、いくらなんでもブラッディ・リーチも戦略を変えるはずだ。

 攻守どちらかの消費を減らそうとするはず。なのに未だその動きがない。

 つまりまだブラッディ・リーチにとって、現状維持で問題ないだけの貯蔵があるということ。


「まさか、本当に……」

 無限の魔力があるとでも言うのか?

 いや、それでは最初の攻防の説明がつかない。

 初め、ブラッディ・リーチは血の消費を最小限に抑え、魔断に僅かな血の塊だけをぶつける作戦を取っていた。

 もし有り余る血の貯蔵があるならそんなことをする必要はないはずだ。

 ……しかし、ならば。


「何故尽きない……!?」

 一七枚目。しかし同じことが繰り返される。

 失った盾と同じものを即座に前方に展開。ホークを襲う血の風も変わらない苛烈さ。

 いくらなんでも不可思議すぎる。


 魔断は残り二五発。魔弾は今装填されている魔石の魔力をほぼ使い切っている。

 ――このままでは、本当にホークの所持する弾を全て撃ち切ってしまう羽目になりかねない。

 そうなれば全くの真逆。真に追い詰められているのはホークということになる。


「――まだ分からない?」

「なに?」

 ブラッディ・リーチの声。

 その声は余裕に満ちたものではなく、明らかに疲労の色が滲み出ていた。

 やはりブラッディ・リーチにとっても限界に近い能力の稼働だということは間違いないようだ。

 しかし疲労しながらも、ブラッディ・リーチの声からはは確かな勝機を感じ取っている気配が窺えた。


「吸血鬼はね、眷属のグールから魔力を吸収できるんだよ」

「な――」

「だから……昨日までなら、多分あなたが勝ってたよ。私はほとんどグールを作らなかったし、このお家にいたグールだけだとここまでの血は生み出せなかった」


 そう、ブラッディ・リーチが戻ってくるまでに、館内のグールはホークがほとんど殺し尽くしていた。

 本来ならそこでブラッディ・リーチは魔力供給源を失い、もっと早期にホークに敗北していたはずだ。

 ――だが、今日だけは話が違う。


「まさか……貴様」

「そんなつもりで作ったんじゃないんだけどね。――そう。私は今、都市にいるグールから魔力を貰ってるの」

 ホークの血の気が失せていく。


 それはブラッディ・リーチにとっても僥倖。予想外の幸運だった。

 都市を襲うためだけに作り出したグールの数は――今や数百体にも上る。魔力タンクとしての役割を期待してのものではなかったが、この土壇場でそれが功を奏した。

 その全てから魔力を汲み取れるのだとしたら、いったいどれほど膨大な魔力量になるのか想像もつかない。


「使いたくなかったんだけどね。もう半分以上グールが魔力切れで死んじゃった。まあでも、グールなんて後でまた補充すればいいだけだよね」

 むしろそちらの方が由々しき事態だとでも言いたげなブラッディ・リーチとは裏腹に、ホークはその言葉に絶望的な焦りを覚える。


 ――半分のグールが死んだ。

 逆に言えばまだ半分あるということ。

 一方でホークは既に七、八割の魔断を消費している。


 ……まるで足りない。

 このまま泥仕合にもつれ込めばホークの必敗。

 ホークは勝ち目のないチキンレースに自ら飛び込んでしまった。


「クソがッ!」

 突進。離していた距離を自ら詰める。

 それを楽しげに迎え撃つブラッディ・リーチ。距離を詰めるほどに血の風は密度を増すが、もう関係ない。ホークの方こそ底が見え始めた残弾……それが尽きる前に奴を仕留めなければ。


 一転して攻守が入れ替わる。ここにきて勝負の主導権を握られ圧倒的な劣勢に立たされる。

 二丁の銃から激しい弾幕を繰り出すが、攻守を兼ねる血の風がことごとく叩き落とし、それをすり抜けた魔断も血の盾に防がれる。

 加えて致命的なミスを犯す。残魔力が残りわずかな魔法銃をそのままに突進を仕掛けたせいで、大きく距離が詰まったタイミングであろうことか全ての魔石が空になる。


「っ、しま――」

 慌てて再装填を試みる。

 だが一旦距離を詰めたホークが突如動きを止めたことでブラッディ・リーチも事態を察する。

 この戦いで何度か見せたマガジンのリロード。銃の仕組みは知らないブラッディ・リーチではあったが、ホークが何をしているのかは漠然と理解していた。


「ハッ!」

 好機と見たブラッディ・リーチの攻撃。幾重もの血の斬撃がホークを襲う。

「くっ……!」

 再装填が完了した魔法銃を急いで構え迎撃しようとするが、一歩間に合わない。

 上段に構えた魔法銃の銃身と血の斬撃がぶつかり、その勢いで魔法銃が弾き飛ばされた。


「な……!?」

 瞬時に膨れ上がった絶望感と共に後悔の念が噴き上がるが、もう遅い。

 ホークの手から離れた魔法銃はホークの左上方へ飛んでいき、炎に包まれ崩れた壁に引っかかった。

 玄関扉の上方の壁に引っかかった魔法銃は、不安定なままグラグラと揺れていた。


 咄嗟にその場に向かおうとするも、ブラッディ・リーチも方が早かった。

 ホークと魔法銃のちょうど間に割り込むようにして飛び込み、ホークを遮った。


「……」

「残念だったね」

 くすくすと癇に障る笑い声を奏でながら、ブラッディ・リーチがホークの敗北を宣言する。

 今ホークの右手に握られている銃『レッドスピア』の弾倉も空だ。

 残すは最後の一マガジンのみ。計一八発の魔断……それが最後の武器となった。


 ――到底、ブラッディ・リーチを仕留められる数ではない。


「終わりだね。言った通りでしょ? 私がこの館の支配者なの。誰も私には勝てない」

「……」

「怖い? 怖いよね。今、あなたの世界こころは恐怖で支配されてるでしょ?」

「……恐怖、だと?」


 カチン、とホークは空になったマガジンを切り離した。

「今……私の心にあるのは怒りだけだ。憎しみだけだ。貴様を殺したいという殺意だけだ。皆を殺したお前を……ミリアを殺したお前を、私は絶対に許さん!」

 最後のマガジンをレッドスピアに装填し、ブラッディ・リーチに構える。


「たとえこの命と引き換えにしても貴様を殺すと、ミリアの亡骸に誓った。私はもとより死を覚悟してここに来た。恐怖など――とうに捨てた!」


 ホークの怒りに応えるように、エントランスを燃やす怨嗟の炎が激しさを増す。

 その熱に屈するように、崩れかけた壁が倒壊する。


 その壁に引っかかっていた魔法銃『サーペント』が静かに地面へと落下し――



「――あら捨てちゃったの? もったいない」



 パシン、と小さな手が銃を受け止めた。

 ホークもブラッディ・リーチも予想だにしなかった第三者の介入。


 紫の髪に紫のゴシックドレスを着た少女は、紫の魔法銃を指でクルクルと回しながら、玄関からエントランスへと入ってきた。


「それは克服してこそ面白いものなのに」


 そう言って、パンダはウインクを一つ飛ばした。

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