第2話 冒険者パンダ


 ハシュール国南方に位置する町、リビア。

 魔族領からも遠く、周辺に生息する魔物も比較的弱い個体が多いとされている。

 そのため駆け出し冒険者が集まりやすく、冒険者用の国営施設が用意されている。

 その一つ。国営冒険者管理局は連日盛況だった。


「新規の冒険者登録ですね。必要事項をこちらにご記入ください」

 駆け出し冒険者が集まるため、冒険者登録の件数も他の町の管理局窓口より多い。

 今日だけで三件目だ。

 皆これからの冒険に期待と不安が混ぜ合わさった顔をした若者たちばかりだった。

 彼らを見送った受付嬢は一息つく。


「それにしても最近多いわね、新規登録」

 冒険者管理局の受付嬢になってそれなりの年月が経つが、今年は例年よりも明らかに多い。

 十年前に匹敵する多さだ。


 これもやはり、新魔王が誕生したからだろうか。


「二年前みたいな大戦争はこりごりだけど…………あら?」

 そのとき、新たな来訪者が現れた。

 見慣れない風体。一見、ただの少女にしか見えない。

 しかし。


 カツン、と少女の靴が管理局の床を踏み鳴らす。

 すると管理局内の喧噪が僅かに静まり、周囲の者たちが少女を目で追い始めた。

 理由はない。ただなんとなく、自然と目がその少女を追ってしまっていた。


 鮮やかな紫のショートツインテール。

 左目は髪と同じ紫。しかし右目は透き通るような美しい青。

 まだ十かそこらの年齢だろう。幼さの中に、しかしはっきりと窺える類まれな美貌。

 ともすればどこぞの貴族の令嬢ともとれる容姿だが、一方で着ている服はボロ布もいいところ。


 あまりにもチグハグな見た目は確かに人目を惹くが、周囲の者が彼女をつい眺めてしまうのはおそらくそれが理由ではない。


 不気味な気配。言いしれない魅力が少女から発せられていた。


 少女はそのまま受付嬢のところまで歩み寄った。


「冒険者登録したいんだけど、いいかしら」

 眉を寄せる受付嬢。

 椅子に座っている受付嬢が目線を下げるほどの小柄な身体。

 カウンターからは少女の鼻より上からしか見えない。


 ――こんな少女が冒険者?

「……新規の冒険者登録ですね。失礼ですが、レベルはおいくつでしょうか」

「1」

「……保護者の方はご同伴でしょうか。あるいは、どなたかからの紹介状などはお持ちでしょうか」

「どっちもないわ。あれ、そんなの必要なかったと思うけど」

「誠に申し訳ございませんが、登録には審査が必要でございます。奥で少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 登録にレベル制限はないが、冒険者はときに命がけの職業だ。こんな少女には危険すぎる。

 とはいえ、ひとまずこの場で対応しないという権限は受付嬢にはない。奥で審査を行ってもらうしかない。


「面倒だけど、まあ仕方ないわね」

「ではこちらの書類に必要事項をご記入ください」

「はぁい」

 受付嬢が渡した書類にペンを走らせようとした少女の手が、最初の項目で止まった。


「…………名前、か」


 小さく「ま、なんでもいいか」という声が聞こえた気がした。


「パ、ン、ダ……っと」



 パンダ。

 少女は自らをそう名乗った。






 一時間にも及ぶ審査が終わり、なんとかパンダの冒険者登録申請が受理された。

 二年前の戦争で両親を亡くした孤児が、独り立ちのために冒険者の道を選んだ……あらかじめ考えていた筋書きが思いのほか手応えがなかったため、かなりアドリブに頼るはめになってしまったが、最後はなんとか押し切ることができた。


「さぁて、ようやく私の魔王討伐冒険譚が始まるのね」


 期待に胸を躍らせるパンダは、ここまでの長い道のりを感慨深さと共に振り返った。




 ――パンダが魔王の座を譲り渡してから一ヶ月が経過していた。

 最初の一週間は身動きも取れないほど衰弱し、ようやく動けるようになったパンダはその身一つで魔王城を出た。

 無一文での旅路には多少不安はあったが、それもまた旅の醍醐味、パンダは魔王城のものは何一つ持っていくつもりはなかった。そうでなくては意味がない。

 これはパンダが彼女の力だけで成し遂げてこそ意味のある冒険だ。


 ハシュール国を最初の町に選んだのは本当になんとなくだ。

 できるだけ魔王城から離れたところがいいと思ったのと、自然が豊かでのんびりできる場所がいいと思っただけだ。


 先立つものもなく馬車にも乗れないパンダは、仕方なく着ていた服を売り払い種銭にし、金が尽きかけると貨物船に紛れて他国へ密入国するなど、相当無茶な旅を続けていた。


 結局ハシュールに辿り着くまでに出立から三週間が経過してしまった。

 なんとか残してきたなけなしの所持金も、今の冒険者登録費用でちょうど無くなった。正真正銘無一文。

 宿も食事も取れないが、まあなんとかなるだろう。


「何せ私はもう冒険者だもの。依頼の一つや二つ片づければお金なんてすぐ手に入るでしょ」




 パンダの予想を裏切り、魔物討伐の依頼にはレベル制限がかけられていた。

「…………あー……そういえばそういうのあった気がする……」

 レベル制限などパンダには縁遠い話だったため気にも留めたことがなかった。


 無視して張り紙を一枚はがし受付嬢に持っていく。

 依頼内容はフォレストウルフの討伐。

 住民が薬草採取中に襲われたらしい。一体につき三○○ゴールド。レベル制限は5。


「これ受けたいんだけど」

「……申し訳ございません。こちらの依頼はレベル5以上の方でないとお受けいただくことはできません」

「大丈夫、私超強いわよ。ワンちゃんなんて相手じゃないわ」

「申し訳ございません。規則ですので」

「じゃあこれ」

「……あの、ですので、こちらの依頼もレベル4以上の方でないと……」

「もう……私が受けられる依頼ってないの?」

「レベル制限のない依頼ですと……こちらなどはいかがでしょう」


 ――町の川の下流にゴミが溜まって水かさが増しています。ゴミの掃除・撤去をお願いします。


「やだ。つまんなそう」

「……そう仰られましても」

「あ、これいいじゃない! エルフの森近郊でジャイアント・トレントの目撃情報あり。調査依頼、討伐で追加報酬ありですって」

「……それは推奨レベル30の依頼です」

「まあ多分なんとかなるでしょ。これ受けさせてよ」

「……それよりも、貴女は戦闘用の装備などをされていないように見えるのですが」

「ええ。装備もアイテムもないわ。大丈夫。ほら、あるじゃないあの……なんだっけ、パンチで戦う職業」

「モンク、でしょうか」

「そうそれ。そのスタイルでいくから」

「……モンクの訓練を積んだご経験は?」

「ないけど、まあ私器用だから案外どんな職業でもきっとこなせるわ」




 叩き出された。

「なんて受付嬢なの。信じられない」

 しかしこのままでは本当に川のゴミ拾いをするハメになる。


 やはりサクッとレベルを上げるのが先決だろうか。しかしいかに低レベルとはいえ、レベルを三つも上げようと思うならどんなに急いでも三日はかかる。

 特にこの周辺の魔物でレベルを上げるとなるといったい何匹討伐すればいいものか。

 余裕をもってレベルを上げるならば一週間は欲しいところだ。


「その間何も食べられないっていうのは辛いわね……」

 肉体的にではなく、精神的に辛い。食事はパンダの楽しみの一つなのだ。

 パンダがこの世で最も嫌うものランキングベスト3が禁欲だ。一週間などとても耐えられない。


「空いた時間にレベル上げができるような、別の仕事を見つけるべきかな」

 かつ面白いものがいい。適度に体を動かしたい。食事が出れば言うことなし。

「まあ、そんな都合のいい仕事なんてあるわけ……」

 町を歩きながら、とある飲食店の壁の張り紙が目に留まる。


『従業員急募! 未経験者でも安心。従業員同士の仲のいいアットホームな職場です!』


「すみませーん! 表の張り紙見たんですけどー」



 ――こうして、元魔王パンダの魔王討伐冒険譚の初日は、皿洗いから幕を開けたのだった。

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