第3話 ウエイトレスパンダ
「しかし大きくなったなトリス」
にこやかに笑いかけるロニーに、トリスははにかんだ笑顔を返した。
自分よりも三○センチほども背の高いロニーに言われても素直に喜べなかった。
「四年ぶりになるんだね、ロニーがこの町を出てから」
「そうか、そんなになるか」
ロニーは恥ずかしそうに短い赤毛を弄る。
するとロニーの傍らにいた女性が心外そうに顔をしかめた。
「ちょっと、ロニーだけじゃなくて私もなんだけど?」
「あ、ご、ごめんフィーネ! そういうつもりじゃなくて」
「気にするなトリス。フィーネは相変わらず寂しがり屋だから、仲間はずれにされるのが嫌いなんだ」
「ちょっとロニーいい加減なこと言わないでくれる!?」
顔を赤くしたフィーネがロニーに掴みかかり肩をがくがくと揺らす。この光景を見るのも四年ぶりだとトリスは懐かしんだ。
ハシュール国から遠く離れた異国、ルドワイア帝国の騎士を目指してロニーが旅立ったのが四年前。ロニーが一九歳のときだ。
当時は魔族との永きに渡る抗争の末期。
人類も大きく追い詰められ、いつ大戦争が勃発してもおかしくないという緊張感が世界に蔓延していた時期だ。
ロニーは子供の頃からの夢を追うためにリビアを飛び出し、冒険者として修行の旅に出かけようとしていた。
それに無理矢理付いていったのが、当時一五歳だったフィーネだ。
まだ初級の魔法もろくに使いこなせない黒魔導士見習いには危険だとロニーと口論になったが、最後はロニーが折れて二人旅を続けることとなった。
それから四年。旅は決して順風満帆ではなかったが、それでも四年ぶりに再開した二人はトリスからは一回り大きくなったように見えた。
「しばらくはこの町にいるんだよね?」
「ああ、もうしばらくはどこの国もゴタゴタしてるだろうしな」
「ハシュールくらいよ、こんなに能天気にしてるのは」
フィーネは呆れたように町を見回すと、平和ボケした住民たちを睥睨したあと、嘆息して綺麗な黒髪を手で払った。
もともと二人はまだ帰郷する予定はなかったのだが、それも一月前に起こったある出来事でそうもいかなくなった。
一月前とは……つまり新魔王誕生の報せだ。
初めは風の噂程度でしかなかったが、三日もするとそれは世界中に広まり、五日がたった頃、ルドワイア帝国が正式に新魔王の誕生を公表した。
先代魔王が襲名したのが十年前。
あまりにも短い間隔での魔王交代は世界に驚愕と、何よりも混乱をもたらした。
しかもそれが、過去最強と言われていた先代魔王を更に上回る力を持っている可能性があると発表されたときの衝撃は凄まじいものがあった。
先代魔王といえば、二年前に起こった大戦争の際に、人類史上最強とも言われていた勇者パーティを返り討ちにした伝説を持つ怪物だ。
それを超える魔人などもう想像の及ぶレベルではない。
混乱は世界中に波及し、特にルドワイア帝国においては他国の比ではなかった。
騎士を除名するもの。逆に騎士への成り上がりをめざすもの。国から去る者。逆に訪れる者。
冒険者管理局の依頼はあるときは激増し、あるときは皆無にまで消える。
それに合わせて大量の物資が多国間を行き来し、人や物や武器が物凄い速さで流動した。そうなれば当然トラブルが発生し、それを稼ぎ時と目を付けた大量の冒険者が帝国へ訪れた。
冒険者の流入が多くなったせいで、レベル上げのために周辺に生息する魔物の討伐が過剰なまでに横行。
テリトリーを荒らされた魔物たちが住処を変え、そこで別の魔物と衝突。あるいは人間たちへの反抗へと乗り出し、たった二週間で発生した負傷者の数は、例年の半年分にも及んだ。
急いで教会に他国から神官を集めるなどの措置が取られたが、現状でも全く神官の数が追い付いていない状況になっている。
そんな混迷を生き抜くにはロニーのパーティはまだ若すぎた。仕方なく旅を中断し、ロニーとフィーネは久しぶりに故郷へ帰ることを決断したのだった。
帰郷した二人が真っ先に顔を出したのがトリスのところだった。
トリスはフィーネよりも二つ年下で幼馴染だった。昔から妹のように可愛がられ、トリスも二人を本当の姉や兄のように慕っていた。
思い出話は尽きず、土産話も話しきれないほどあった。
その全てを立ち話で消化することは難しい。ロニーは辺りを見回した。
「お、あんなところに食事処ができてるじゃないか」
「ほんとだ。前はなかったのに」
「一年くらい前にできたんだ。結構おいしいって評判みたいだよ」
「よし、じゃあせっかくだし三人で飯でも食うか」
ちょうど時間もいい。反対する者はいなかった。
「いらっしゃいませー!」
やけに小さな少女がウエイトレスをやっていた。
紫のショートツインテールに、色の違う両目。思わず息を呑むほど端正な顔立ちだった。
「三名で」
「かしこまりましたー! こちらのお席へぇ……どうぞっ!」
なぜそこまでと思うほどのオーバーアクションで誘導する少女。
そういう店なのかと思いきや、厨房の奥で店長らしき人物が頭を抱えているのが見えた。どうやらこの少女が何故かノリノリなだけらしい。
「ご注文はお決まりでしょうか! 本日のおすすめは魚介たっぷりパスタです!」
「じゃあ俺はそれで」
「私も同じのでいいわ」
「私は……ハンバーグセットで」
「かしこまりましたー。オーダー入りまーす! 魚介たっぷりパスタ三つ!」
「え、あの……」
トリスが何か言おうとしたときには少女はテーブルから去っていた。
ウエイトレス姿のまま厨房で調理を開始する少女。どうやら魚介たっぷりパスタの調理は少女が任されているらしい。
楽しそうな顔から察するに、単に料理がしたかっただけのようだ。
「……なにあのふざけた店員。文句言ってやりましょうか」
「い、いいよフィーネ。私パスタも好きだし」
「しかしあんな子この町にいなかったよな? トリスは知ってるか?」
「ううん、見たことない。あんな目立つ子、一度見たら覚えてるはずだもん」
「他所から出稼ぎにでも来てるんでしょ」
興味なさそうなフィーネとは違い、ロニーは何故かあの少女のことが気になった。
理由はない。ただなんとなく、気配が他の者と違う。
冒険者として四年を過ごしてきたロニーの勘が、少女の放つ気配に何かを感じ取っていた。
「へえ、じゃあとうとう家を継ぐことにしたのかトリス」
「ま、まだ決めたわけじゃないよ」
『薬草師リーフ』と言えばハシュールのみならず他国にまで知れ渡る名門薬草師一家だ。
トリス・リーフはリーフ家の長女として将来的に家督を継ぐことになるはずだったのだが、トリス自身が久しくそれに消極的だった。
彼女の自信のなさは産まれもったものではあったが、優秀すぎる父の跡を継ぐとなると余計に及び腰になってしまっていた。
しかし新魔王の誕生による混乱で負傷者が続出したことから、主にルドワイアからの薬草やポーションの発注依頼が激増し、トリスの父一人で捌ききるのは難しくなった。
そこでトリスが家の手伝いをすることになったのだが、これを機にトリスに自信をつけてもらい、正式に家を継いでもらおうという目論見がトリスの父にあるらしい。
「でもそうなると問題はレベルね」
フィーネの言葉通り、当面のトリスの課題はレベル上げということになる。
トリスのレベルは4。一般人としては普通だが、手に職をつけようとするなら絶望的に低い。
非戦闘員であったとしても、一部の技術者にとってレベルは重要な要素だ。
単純な技術云々はともかく、レベルが上がらないと習得できないスキルなども少なからずある。
薬草師にしても、調合した薬の効力を上げたり、効力を変質させたりというスキルがある。そもそも高位の薬草師スキルを持っていなければ作り出せない薬もいくつか存在する。
「うん、それで近いうちに、国営ダンジョンでレベル上げしようとしてたんだけど、なかなかパーティが集まらなくって……」
「まあ薬草師連れて国営ダンジョンってのもね」
「ならちょうどいいじゃないか。俺たちとパーティを組もう」
「え、いいのロニー?」
「もちろん。外ならぬトリスのためだ」
「む……」
トリスのためと笑顔で言い切るロニーに、唇をとがらせるフィーネ。
相変わらずやきもち焼きだなあ、と苦笑いするトリス。
フィーネの片思いはもう十年にも及ぶ。
しかし図抜けた鈍感男であるロニーは未だにフィーネからの好意に気づいていないようだ。
ロニーの旅についていった時点で気づきそうなものだが。二人と再会したトリスが最も驚いたことは、二人がまだ恋人関係になっていないことだった。
「でも、ロニー達のレベルだとリビアの国営ダンジョンって行く意味ないんじゃない?」
「いいってそんなこと。幼馴染のためだ」
「そう? じゃあお言葉に……」
「あなたたち国営ダンジョン行くの?」
不意に声がかけられ三人はそちらを向いた。
先ほどの少女店員が盆に三つのパスタを乗せて傍に立っていた。
「魚介たっぷりパスタ三つお待ち! ねえ、今の話詳しく聞かせてよ」
少女はパスタを配り終えると無造作にトリスの隣に座った。
「ちょ、ちょっとあんた! 何勝手に座ってるのよ!」
「まあまあ。ほら、熱いうちに食べちゃってよ。それで、国営ダンジョン行くんだって?」
「あ、ああ。まあな。……ところで君は?」
「私はパンダ。数日前にこの町に来て冒険者始めたの」
「パンダ、ちゃん?」
変わった名前だ。トリスは首を傾げた。
魔族領にそんな名前の野生生物がいると聞いたことがある気がする。
「冒険者がなんでウエイトレスやってるのよ」
「お金がなくってね」
「管理局の依頼をこなせばいいんじゃ……?」
「私レベル1なのよ。だから受けられる依頼が少なくって」
「この町ならレベル制限のない依頼もあるはずだが」
「面白くなさそうだから受けたくないのよね」
だめだこの子。
「で、つまり君が言いたいのは」
「そゆこと。国営ダンジョンに行くなら私も連れてってよ。サクッとレベル上げたいのよね」
「ふざけんじゃないわよドチビ。なんで私たちが」
「いいじゃない別に。パーティ組みましょうよ。私強いわよぉ?」
「レベル1でしょうが」
「ちなみに、君の職業はなんなんだ?」
「今はウエイトレスね」
「なら仕事しなさいよ」
「戦った経験はあるのか?」
「まあね。今はまあ……モンクに近いかな」
なるほど、とロニーは頷いた。
人はレベルを上げるごとに新たなスキルを習得可能になる。
だが何レベルでどんなスキルを習得可能になるか……それを知る術は発見されていない。
レベルが上がり、神殿などの施設で調べてもらって初めて、今自分が手にできる力が判明する。故に、自分がどんな職業に適性があるのかを低レベルの内から知ることは難しい。
一つの指標として、家柄によってある程度の傾向はある。
魔導士の子供は魔導士の適正が高い可能性があり、故に名門薬草師の娘であるトリスも薬草師としてのスキルを秘めている可能性が高い。
だが絶対ではない。レベルを上げていく内に、最初の内はトリスは戦士向きのスキルばかりを習得してしまうかもしれない。
では戦士として自身をビルドすべきかというと、それも早計だ。
低レベルの内に覚えるスキルは、どの人間も共通して覚えやすいものが多いからだ。
例えばファイヤーボールなどの下級魔法は、戦士であっても習得可能な者が多い。
最初の内に黒魔法ばかり習得可能になったからと言って、黒魔導士の素質があると早合点してしまった結果、蓋を開けてみれば戦士の素質があり、序盤にとった黒魔法のスキルが無駄になってしまった、という話も珍しくない。
そのため、最低でもレベルが10になるまではスキルの習得は推奨されていない。
初めの内は自身の傾向を知ることが何よりも肝要なのだ。
そこで低レベルの冒険者に人気の職業が、剣士とモンクだった。
この二つは特別なスキルがなくともそれなりに戦えるし、職業変えも簡単だ。
レベル1のパンダがモンクを名乗るのも納得できる。
「なんであんたみたいなレベル1のチンチクリンが冒険者なんかやろうと思ったのよ」
「……実は私、戦災孤児なの」
ぴくり、とロニーの肩が震えた。
「魔族と人間との戦争で両親を亡くしちゃって、一人で生きていかなくちゃいけなくなったの……だから……」
先ほどまでの快活さは影を潜め、悲哀の表情に包まれる。
なまじ端正な顔立ちのために、醸し出される雰囲気は倍増した。
だがフィーネには通用しなかった。
「なんで冒険者なのよ。普通に働けばいいでしょ」
「え、それはもちろん面白……普通の仕事だと生活が」
「冒険者こそ苦しい生活が多いわよ。命がけだしいろいろお金もかさむし」
「……まあ、あれよ。夢を追うというか、一攫千金というか」
「冒険者ってそんな夢のある仕事じゃないわよ。私たちみたいに騎士になるまでの修行も兼ねてとか、別の目的の中継ぎにやる人が多いの」
「中継ぎぃ? 噓でしょ? あんなに楽しそうなのに」
「まあ、逆に騎士とかになれなくて冒険者に落ち着くって人も珍しくはないけど……あんたは何か目指してたりするの?」
「いいえ、別に。でも冒険者って面白そうじゃない」
「……じゃあやっぱりさっきの戦災孤児の話関係ないじゃない」
「あなた見かけによらず理詰め脳ね。意外だわ」
「どういう意味!?」
「はは。許してやってくれお嬢ちゃん。フィーネはこれで君のことを心配してるだけなんだ」
「べ、別に心配なんか……! 私はただ、特に目的がないなら別の道の方がって……!」
わずかに頬を赤くしながらそっぽを向くフィーネ。
年端も行かない少女が冒険者として旅に出る苦難を、フィーネはよく理解していた。
だからこんな少女に軽々しく冒険者などになって欲しくはない。それだけだった。
「――あるわよ、目的なら」
「へえ? 言ってみなさいよ」
どうせくだらないものだろうと鼻で笑うフィーネに、パンダは妖しく口角を釣り上げた。
「魔王を倒す」
ポカンと放心する三人と、どや顔のパンダ。奇妙な沈黙が流れる。
「おい新入り! お前客の席でなにやってんだ!」
厨房の奥から店長の怒鳴り声が響き渡り、パンダはよいしょと席を立った。
「じゃあ気が向いたらいつでも声かけてちょうだい。きっと役に立つから」
ウインクを一つ飛ばすとパンダは厨房へと戻っていった。
呆然としながら目配せし合う三人。
「……まあ、なんというか」
苦笑いを浮かべながらロニーが頬をかく。
「夢は大きい方がいいよな」
「ただのバカよ」
「で、でも子供の頃は誰でも一度は思うよね。私が魔王を倒すんだーって」
トリスのフォローにはロニーも共感できるものがあるにはあった。
ロニーが騎士を目指しているのも、元は子供の頃に聞いた英雄譚に憧れたからだ。
魔王を倒すならばやはりルドワイアの騎士を目指すのが最も近道だ。
若き日のロニーも、いつか自分も魔王を倒せるくらいに強くなりたいと夢見たものだ。
「……そんな夢、あっさり吹っ飛ぶわよ」
フィーネの言葉に、ロニーは表情を暗くして俯くことしかできなかった。
……ロニーも、もはや魔王討伐など自分にできるはずがないと諦めてしまっていた。
「一度でも、魔人の力を目にすればね」
語るフィーネの瞳には、払拭しようのない恐怖の念が宿っていた。
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