第83話 でも強くなれたでしょう?


 メインタワーの振動が激しくなり、塔に充溢していた冥府の魂がその密度を急激に上昇させる。

 魔法陣が見たこともないほど強く発光し――その中央で、パイが絶叫した。


 人の喉から発せられているとは思えない絶叫。拘束具が軋むほどに身体を振り乱して壮絶な苦痛を表現する。


「なんだ! なにが起こった!?」

 ハンスが近くの研究員に尋ねる。


 彼らも慌てた様子で、この異常の解析を行った。


「こ、これは……ツインバベルの出力値が……と、とんでもないことに!」

「見せろ!」

 ハンスが値を確認し――その顔が驚愕に染まった。


「な、なんだこの、ふざけた値は!」

 ハンス達が苦心して到達した最適値を嘲笑うような、途方もない出力で冥府から魂が雪崩れ込んできていた。

 魔術式に組み込んだデスサイズがその許容量を軽くオーバーさせ、激しい紫電をほとばしらせる。

 こんな異常値で実験などできるわけがない。


「サブタワーの仕業か!?」

「そ、そのようです。あちらから値を書き換えられ……メインタワーでは操作が効きません」

「何故こうまで私たちの邪魔を……! 向こうは私たちの実験を妨害することそのものが目的だというのか!?」

「い、いえ、それが……」


 何かに気づいた研究員が、おずおずとハンスに報告した。

「実は、サブタワーでも実験が行われているようで……」

「……は?」

「本来サブタワーにはそんな機構はないはずですが、このメインタワーの稼働に便乗して、サブタワーでもレベル上昇実験を行っているようです。この出力は、むしろ向こうに合わせた結果、かと……」


 サブタワーが個別に実験を行っているというのも驚きだが……それ以上に信じがたい事実がある。

「実験を、行っている……? !?」

「は、はい……」

「ふざけるな! こんな出力で被験者が耐えきれるわけないだろッ! 失敗が確実な実験に何の意味がある!?」


「成功する見込みがあるってことなんじゃねえのか?」

 背後でやり取りを見守っていたカイザーが口を開いた。


「成功する見込み? そんなわけがないだろう。こんな……こんな馬鹿げた出力に誰が耐えられる!?」

「俺も詳しくは理解してねえが、要は魔導具の質によって、一度にろ過できる冥府の魂の量は違うんだろ? なら、向こうが用意した魔道具によっては、高出力でも処理が追いつくのかもしれねえ」

「……」


 カイザーの言葉は正しい。

 冥府から呼び寄せた魂の量がいかに膨大でも、それをろ過し切るだけの性能を持った魔導具なら、理論上は問題ない。

 しかしデスサイズを超える魔導具など、そうそうあるものではない。

 しかもデスサイズは魂を操ることに長けた魔導具だ。この実験には最適と言える。それを超える魔導具となれば……それこそ、魔王城に眠るとされる伝説の武具でなければ不可能だ。


「……仮にそんな魔導具を用意できたとしても、一度にこれほどの魂を吸収させれば被験者が先に壊れる。人間の魂はそんなに強固ではない」

「なら向こうの被験者は相当な高レベルなのかもな。レベルが高ければ魂の強度も高い。そうだろ?」

「……レベルだけでこの負荷を乗り切るつもりなら、80レベルは必要だぞ」

「所長! それよりこっちの問題です! どうするんですか!?」


 研究員から悲鳴にも似た質問が飛ぶが、どうすると言われてもどうしようもない。

 もともと今回の実験は、サブタワーが全ての決定権を有している。向こうが決めた値をこちらで操作できないという前提条件がある。

 出力値がこれほど異常に書き換えられたなら、もう実験はできない。


「……実験は中止だ。被験者を魔法陣から出して――」

「中止すれば解決する問題なのか?」

 今度はカイザーからの問いかけ。

 ハンスは苦い面持ちで首と横に振った。


「この問題は解決できない。それこそ、サブタワーの魔術式を書き換えない限りは。実験は……失敗だ」

「なら最後までやれ。『どんな風に失敗するか』見届けさせろ」

「なっ……君は、まさか……」


 どういう風に失敗するか……それを知ろうとする意味は一つしかない。

 もう実験が正常に行えないのなら、異常なまま続行し、どの程度の被害が出るのか。『それは許容範囲内』かを知ろうとしているのだ。


「まだ、続ける気なのかカイザー。こんな状況で、まだレベルの上昇を諦めていないのか?」

「諦める? 寝ぼけてんのかてめえ」

 カイザーはギロリとハンスを睨み付けて言った。


「俺は盗賊団の頭領だぞ。狙った獲物は必ず手に入れる。欲した獲物を、一度たりとも諦めたことはねえ」

「……」

「続けろ。たかが女一人死んだところで構わねえだろ?」


 カイザーの心を変えることはできないと悟るハンス。

 カイザーもまた同じだ。ハンス同様、消えない執念に心を支配されている。


 力への……自らの悲願への飽くなき欲求。その一点で協力関係を結んだハデスとヴェノム盗賊団。

 協力者として、ハンスはカイザーに報いてやりたいという思いが確かにある。

 研究完遂の暁にはこの塔を差し出すという約束も当然履行するつもりだ。


 ……だが、それでもこの異常事態だけは見過ごせない理由がある。


「カイザー……君の気持はわかる。だが君は理解していないのだ。これほど過剰な出力で、冥府の魂を吸収させ続けるということの意味が」

「……どういう意味だ?」

「このままでは被験者の身体がもたない。それは死を意味するだけではなく――」

「――所長!」


 そのとき、一人の研究員がハンスを呼んだ。

 振り返ると、全ての研究員が管制室の下を見下ろしながら呆然としていた。


「ひ、被験者が……被験者の様子が」

「…………まずい」

 状況を確認せずとも、何が起こったのかハンスには予想がついた。

 ガラス張りになった壁に駆け寄り、パイの姿を確認するハンス。


 ――そして理解した。事態は、最悪の方向に転んでしまったと。


「どうした。あの神官に何かあったのか。――なんか、いつの間にかみてえだが」

 カイザーにもその異常は分かった。

 先ほどまであれほどけたたましく響いていたパイの絶叫が、今ではピタリと止んでいる。


「……ああ。もう彼女は苦痛を感じてはいないだろう。そんな感覚は……残っていまい」

「あ? なんだそりゃ。結構なことじゃねえか。実験は成功したってわけか?」

「……見たまえ」


 ハンスが窓の外を指さす。

 カイザーがその先を確認し……


「……なんだありゃ?」

 普段は冷静沈着な彼の顔に、珍しく動揺が浮かんだ。


「この研究が、元はバラディア軍主導で行われていたという話はしたな?」

「ああ。だがこの実験の危険性が問題視されて凍結されたって奴だろ? それがどうした」

「おかしいとは思わないかね? これほどの研究が、たかだか数十人の犠牲者を出した程度で投棄されたのだ。成功すれば魔人を打倒するきっかけに成り得る、この研究がだ」


「それも聞いたぜ。バラディア軍は人間領を護る組織だから、メンツが」

「それだけではない。――あれは、まだ私たちが『限度』を知らなかった頃だ。行き詰っていた私たちは、ある種の自棄になって、出力を大きく上げて実験を行った」


 ハンスも、そのときだけは過去を悔やむように眉を寄せて、声を絞り出した。


「――そしてその時も……こうなったんだ」






「ぐああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」

 サブタワー内部にはラトリアの絶叫が轟いていた。

 想像を絶する苦痛と、自身の中に無数の魂が入り込んでくる不快感は、ラトリアであっても耐えられるものではなかった。


「やめろ! やめろおおお!! 私の中に――入ってくるなあああああ!!!」

 髪を振り乱し、眼球が焦点を結ばず揺れ動く。

 しかも今はスノウビィによって有り得ないほどの高出力で魂が呼び出されている状況。

 それでもかろうじて自我を保てているラトリアこそ賞賛に値すると言えるだろう。


「分からねえなあ……こんなことで本当にレベルが上がんのかよ」

 その光景を不思議そうに眺めていたムラマサが尋ねた。

 ムラマサにはこの状況は趣味の悪い拷問のようにしか見えなかった。


「当然です。レベルシステムとはつまるところ、肉体ではなく魂を強化する術ですので」

 肉体は魂の影響を強く受ける。

 レベルが高い、とはつまり『魂が強い』という意味を持つ。

 魂を強化することで、それに影響されて肉体も強靭になる。それがレベルシステムのメカニズムだ。


「どれくらい強くなれるもんなんだ?」

「理論上は100まで上昇できるはずですが、現実的には不可能ですね。その前に魂が負荷に耐えられないでしょう。ある程度レベルを上昇させたら、魂が慣れるまで時間を置く必要がありますし、やはり当人の許容量というものがありますからね」


 そんな二人の会話も、今のラトリアには聞こえていなかった。

 ラトリアの脳裏に響くのは、ただ殺戮を望む魔性の声。


 ――殺せ。殺せ。殺せ。

 ――壊せ。壊せ。壊せ。

 ――喰らえ。喰らえ。喰らえ。


 際限なく響く呪詛の念が、ラトリアの心を蝕んでいく。

 荒れ狂う魂の塊に、内部からぐちゃぐちゃに掻き回されているような感覚。

 何より自分という存在が何かに塗り替えられていく気配に、ラトリアは心底恐怖した。


「逆に、時間さえかけりゃ高レベルの魔人が作り放題ってわけか。すげえな。人類滅ぼしても、今度は魔族社会もおかしなことになりそうだがな」

「それはそれで良いではありませんか。ムラマサさんも、手応えのある剣士と戦いたい放題ですよ」

「……へっ、たしかに。そりゃいいや」


 次第にラトリアは自分の名前すらもおぼろげになってきた。

 何故自分はこんな場所にいて、これほどの苦痛を感じているのか。

 何もかもが白濁とした意識に呑まれ、その白を圧倒的な魔の暗黒が飲み込んでいく。


 ――聞こえますか、ルドワイアの騎士さん。


 そんな混濁としたラトリアの脳裏に、美しい純白の声。

 全てが曖昧な意識の中、その声だけが唯一鮮明に聞こえた。


 ――辛いですか? ですがもう少しの辛抱です。あと少しで貴女は大きな力を手にできます。ファイト、です。


 ……もうやめてくれ。

 ……私を解放してくれ。


 ――そうですか……できれば貴女には自らが力を得る瞬間を実感していただきたかったのですが、仕方ありませんね。


 ……解放、してくれるのか。


 ――はい。苦痛を与えることが目的ではありませんもの。


 ――ではおやすみなさい、ルドワイアの騎士さん。目が覚めたとき、きっと貴女は一回り強くなっていることでしょう。


 ――貴女自身がそれを認識できないのが、少しだけ残念ですが。


 温かな聖母のようなその声に、ラトリアは全てを委ねた。

 やがて真っ白な手がラトリアの魂を抱きしめる。優しく包み込まれる感触が全ての苦痛を退け、ラトリアを癒す。


 ……すまない、みんな……。


 残った僅かな意識の中で、ラトリアは詫びる事しかできなかった。

 必ず救うと誓ったセドガニアの民たちは、これで全ての希望を失うことになる。

 それどころか……あろうことかラトリア自身が、この魔人の尖兵へと成り果ててしまう。


 その絶望から目を背けるように、ラトリアは静かに意識を手放した。


 ……逃げてくれ……どうか……私から、逃げて……。




「――おい、どうしたんだこいつ? 急に黙っちまったぞ。死んだのか?」

 怪訝そうにムラマサが尋ねた。

 先ほどまであれほど悶え狂っていたラトリアが、急に糸の切れた人形のように動かなくなった。


 実験が終わったのかと思ったが、未だに魔法陣は発光し続けているし、冥府から魂も呼び込まれ続けているように見える。


「いいえ、わたくしの魔法で意識を奪いました」

「眠らせたのか?」

「違います。暗示……という方が近いでしょう。全ての意識より優先させて、命令を送り込みました。内容は召喚魔法で呼び出しているドラゴンさん達と同じです」

「ブラッディ・リーチを殺せって?」

「はい。これでこの方は、この塔が停止するまでの間、わたくしたちの傀儡として動いてくださるでしょう」


 今この地にいる者の中で、ムラマサとスノウビィに次ぐ最強の戦士。

 それを手中に収めたことで、事態は更にスノウビィの望む形に動いていくだろう。


「どれくらい強くなったんだ?」

「ひとまず5レベルほどにしておきました。元がS-81レベルだったようですので、今はS-86レベル相当ですね」

「ほー。この短期間でそんなに強くなれるもんなのか」

「ええ。じきに全ての魔族がこの塔の恩恵に与ることができるでしょう。……うふふ、楽しみですね」


 実際に塔を運用してみて、スノウビィはいたくこの研究が気に入ったようだ。

 全ての魔族が際限なくレベルを上昇させられる……それは、間違いなく魔族間のパワーバランスを崩壊させることになるだろう。


 魔族は『血の盟約』によってその主従関係が絶対的なものとして成立している縦社会だ。

 しかしそれも大前提として、主人たる魔人の力あってのもの。

 誰もが強大な力を得ることができるようになれば、盟約の強制力だけでは魔人を従えられなくなる可能性は低くない。


 より原始的な、純然たる力のみが全てとなる混沌の時代……スノウビィはそれを望んでいるのだ。


「――さて、実験はこれくらいで十分でしょう。これ以上やるとこの方の魂がもちませんからね」

 そう言ってスノウビィは魔術式を停止させた。

 魔法陣の発光が収まり、その中央でラトリアが倒れ伏していた。


「なあ、ちなみに、キャパオーバーの魂を吸収させたらどうなるんだ?」

 何気ないムラマサの質問に、スノウビィは呆れたように嘆息した。


「ムラマサさん……それをわたくしにお尋ねになりますか、普通?」

「あ?」

「申し上げましたとおり、肉体は魂の影響を強く受けます。今回冥府から呼び寄せた魂は全て魔族の魂ですので、それを膨大に自身の魂に融合させてしまったなら――」


 スノウビィは可笑しそうに一度笑って、言った。



「――それはもう、人間ではありません」






 ――それはもう、人間の姿ではなかった。

 有り得ない量の魔族の魂を吸収してしまったパイ・ベイルの魂は、その肉体に多大な影響をもたらした。

 極黒に変色した肌。歯はまるで野獣のように太く長く成長し、その双眸は炎のように赤く燃え盛っていた。


 体内で吸収し切れなかった魂が、それでもパイの肉体にまとわりつき、半透明な青白い魔力の鎧としてパイの身体の一部に成り果てていた。


 鉄枷などとっくに意味を成していなかった。

 パイの身体を魔力の鎧が覆った瞬間に、その圧力に耐えかねて弾け飛んだ。


 自由になったパイがゆらりと起き上がる。上半身をがくんと前に倒す姿はゾンビのようでもあったが、膨れ上がった魔力の鎧のせいで、その体は巨人のように大きくも見えた。



「グウ――ウウウグウガアアアアアアアアアアッ!!!」



 パイが咆哮する。

 それは人のものとは程遠い……憎悪に歪んだ獣の叫びそのものだった。


「え、な……ひっ――ぎゃああ!」

 近くにいた研究員の身体が吹き飛んだ。

 パイが右手を軽く振っただけで、パイの全身を覆う魔力の鎧が連動して動き、研究員を殴り飛ばした。


「う、うわあああああああ!」

 逃げ惑う研究員たち。

 だがその動きがことさらパイの神経を逆撫ですることとなる。


 パイが跳躍。逃げる研究員に飛び掛かり、着地と同時に踏みつぶした。

 その血しぶきすらも、魔力の鎧に護られたパイには一滴もかからない。

 パイはただその殺戮衝動のままに、目に映る全てに襲い掛かり始めた。


「……どうなってる?」

 阿鼻叫喚がひしめく実験場を見下ろしながら、カイザーが呟いた。

 先ほどまでただの少女だったはずのパイが、今ではあんな化け物へと姿を変えている。

 姿だけではなく、その力もまた桁違い。大の大人がボールのように軽々と宙を舞い、魔力の鎧に叩き潰されていく。

 あの姿は、まるで……


「魔獣だよ」

 力なくハンスが言った。

「なに?」

「魔の魂を吸収しすぎた者は、その影響を受けて魔へと変貌する。あれはもはや……魔獣だ」

「……」


 ハンスは立ち続ける気力すらなくしたのか、がくんと膝をついた。

 今この瞬間、ハンスが半生を捧げた研究は……幕を閉じた。


「今度こそ本当に……実験は失敗だ」






「実験は成功ですね」

 満足そうに宣言するスノウビィの目の前には、ゆらりと立ち上がったラトリアの姿。


 ……だが彼女もまた、以前のままの姿ではいられなかった。


 美しかった金の髪は頭頂部から真っ白に変色していた。

 唯一毛先に残った僅かな金が、かつての面影を窺わせる最後の名残だった。


 見た目上は、パイほど劇的な変化はない。

 しかし、かつては力強い意思が宿っていた双眸は、何の光も映らないほどに虚ろ。

 自我を持っていないのは誰の目にも明らか。


 今ラトリアの中にあるのは……スノウビィから与えられた命令を果たさなければならないという、その一念のみ。


 その体から溢れる膨大な密度の魔力……内包する力が視認できるほどに、圧倒的な『力』の気配が匂い立った。


 かつてのラトリアは、もういない。



 そこにあるのは――魔の手に落ちた騎士の姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る