第84話 ではわたくし達はこれで


 引き千切られ、殴り飛ばされ、叩き潰された。

 メインタワーは今や、一人の少女によって地獄へと姿を変えていた。


 青白い大きな魔力の鎧を纏う少女、パイ・ベイルは獣のような咆哮をあげながら周囲の人間を無差別に襲い始めた。

 非戦闘員である研究員たちは抵抗することもできずに殺害された。


 続いて駆けつけた盗賊団員たちが応戦したが、今のところ誰一人としてまともに戦えている者はいない。

 盗賊はもともと正面からの戦闘に適した職業ではない。

 だがそうであっても、数十人を超える盗賊団員たちを次々と蹴散らして血祭にあげるパイの戦闘能力は、一介の魔獣の力を大きく超えている。


 メインタワーは完全に崩壊した。

 その全てを、スノウビィという一人の魔人に蹂躙され尽くした。


「く……くく、く……」

 半生を捧げた研究……それが音を立てて崩れ去っていく様を見つめながら、ハンスはこらえ切れず笑った。


「何がおもしれえんだ?」

 確かな怒りを込めて、カイザーが尋ねた。

「過去に犯した、被験者の魔獣化という失態……それにより我々の研究は軍に破棄された。それをずっと後悔していた。二度と同じ過ちは繰り返さないと誓ったというのに……」

 ハンスは狂気を秘めた眼差しで眼下の惨劇を見下ろしていた。


「それがまさか……最後の最後に、こうやって潰えることになるとは。見たまえ、我々は結局、自らの研究によって滅びようとしている。――報いか? それとも、皮肉というのかね、こういうのは」


 荒れ狂うパイの暴虐は、ともすれば今までこの研究の犠牲になった者たち全ての怒りが凝縮したかのようだった。


「さてどうするカイザー。君ならばあの魔獣も倒せるかもしれんが」

「お断りだ。これ以上てめえらに肩入れする義理もねえ」

 冷たく言い放ち、カイザーはハンスの頭髪を右手で掴んだ。


「ぐうっ……!?」

「答えろ。こうなったのはサブタワーが出力を弄ったからなんだな?」

「……そうだ。そんなことを聞いてどうする」

「つまりサブタワーでも同じ実験が行われてたんだな?」

「……? そうだが」


 そこでハンスはカイザーの言いたいことを察した。

「まさか……サブタワーに出向くつもりか?」

「そうだ。サブタワーでなら出力を正常値に戻せるんだろ? そしてそこでも実験は行える」

「……サブタワーには、ツインバベルを乗っ取った何者かがいるんだぞ? その力は計り知れん。本気で行く気か?」

「そいつらは塔を制御できるんだろ? なんなら取引でも持ち掛けて協力してもらう。――いざとなりゃ、一戦交えたってかまわねえ」

「……く、くくく……! まったく君の執念は私にも劣らないな! よかろう、力を貸そうじゃないか」


 カイザーが右手を離すと、ハンスは数歩ふらつきながらもしっかりとした足取りで管制室の一つのデスクに向かった。

 そこは所長であるハンスのデスクだ。そこに数々のデータが保存されている。


「し、所長! そんなことより、早く逃げましょう! あの化け物は我々の手に負えません!」

 管制室にいた数人の研究員が叫んだ。

「カイザーさん、あなたならあの魔獣を倒せるんでしょう!? お願いします、あの魔獣を倒し――」


 カイザーの右手が払われる。

 仕込みナイフを取り出し研究員の首を両断した。

 ひっ……と他の研究員が悲鳴をあげるのを、カイザーは冷えた眼差しで睨みつけた。


「黙ってろよ。契約もろくに履行できねえクズ共が。結局最後まで研究を成功させられなかったようなカスを、なんで俺が救わねえといけねえんだ? あ?」

 ドスの利いた声を浴びせると、研究員たちはそれだけで縮み上がって大人しくなった。


「カイザー、これを」

 デスクを漁っていたハンスがカイザーに手渡したのは、数枚の紙と魔石だった。


「サブタワーに辿り着いても君では魔術式の書き換えなどはできないだろうから、この魔石を魔法陣に設置したまえ。簡易的ではあるが、出力の調整ができる。詳細はこの書類に記載してある」

「おう。で、他に準備はいらねえのか?」

「新たな魔導具を使う必要がある。デスサイズは先程の実験で酷使しすぎたから、しばらくは使用不能だ。倉庫に保管しているあの杖を使いたまえ。おそらくそれが一番確率が高い」


 デスサイズを手に入れるまでにいくつかの魔導具で実験を試したことがある。

 その内の一つ。魔杖がこの塔の保管庫に眠っている。


「それを使えば成功するんだな?」

「いいや、失敗するだろう」


 薄ら笑いとともにハンスが答える。

「今朝調整した実験環境のみが、唯一成功する可能性のあったものだ。出力値も、魔導具も、魔術式も、全て異常をきたしている」

「……」

「あの魔杖も、その魔石も、全て失敗したものに過ぎん。その中ではまだマシ、というだけでね。――それを承知の上でサブタワーに向かうんだろう?」


 一度失敗した実績を持つ環境での実験……失敗することが分かってる実験だ。

 そして失敗した場合、ほとんどの者が廃人になった。

 果ては、あの神官の少女のように人ならざる怪物へと姿を変える。


 そんな試みなど愚行そのもの。約束された破滅に飛び込むようなものだ。


「……ああ。それでも俺はサブタワーに向かう」

 カイザーの断固たる決意に、ハンスも満足げに頷いた。

「では行くといい。……君が見事実験を成功させることを、この塔で陰ながら応援しているよ」

「その頃にはてめえも死んでるかもしれねえがな」


「ふっ……それは困る。せめてメインタワーは稼働させ続けなくては。レベルを上昇させる機構は未だにメインタワーが担っているのでね。君が実験を終えるまでは動かし続けなくては」

「その辺はてめえに任せる。一応言っとくが、実験が終わってもこっちを助けになんて来ねえぞ」

「期待していないさ。どの道……この先どうしろと言うんだ。私の全てだった研究は潰えた。私はこの塔で、その最後を見守って冥途の土産にするとしよう」


 ふん、とカイザーは興味なさそうに鼻を鳴らし、そのまま管制室を出た。


 ここから先はカイザーにとっても大一番。

 何が待ち受けているか分からない闇へ飛び込むことになる。


 だがそんなものはカイザーにとって常だった。

 冷静沈着で用心深く慎重……そんな彼の気質も、結局は自身の足元が常におぼつかないものだという自覚からきたものに過ぎない。

 彼の人生は常に、傍らに破滅を侍らせたものだった。


 カイザーには三つ年上の兄がいた。

 物心ついたときには既に孤児だった二人は、生き抜くためにあらゆる悪事に手を染めた。

 敵だらけの世界で、ただ一つ信じられるのは自身の力のみだった。


 やがて二人はそれぞれの道を進む。

 カイザーは賞金稼ぎへ。そして兄は『ヴェノム盗賊団』を立ち上げ頭領となった。

 力を求め、カイザーは危険なターゲットを進んで狩っていった。

 時には魔人に単身挑んだこともある。


 一方でカイザーの兄はヴェノム盗賊団の連中と世界中でコソコソとケチな悪事を働き、私腹を肥やすことだけに日々を費やしていた。

 機会があれば会い、酒を飲みかわすような間柄ではあったが、歳月が経つにつれカイザーは兄への失望を禁じえなくなっていった。


 ひたすらに力のみを求めるカイザ―とは違い、兄は貧弱な己を誇張するための見せかけの権力を集めるのに必死だった。

 ヴェノム盗賊団はくだらない組織だった。

 小物たちが集まって、更に小物を狙う。身の丈を自覚していると言えば聞こえはいいが、向上心もなく先のない小さな盗賊団だった。


 そんな折、研究機関ハデスから協力の申し出があったことを兄から聞いたカイザーは、その研究に強く興味を持った。

 無尽蔵の魂を操り、望むままにレベルを上昇させる研究……それはまさにカイザーが望む理想形だった。


 是非その研究に一枚噛ませてくれと頼んだカイザーに……兄は笑って返した。

 そんな研究には協力しない。

 得体のしれない研究に貴重な魔導具を差し出すくらいなら、それを売って遊ぶ金に換える、と。


 ……そのとき、カイザーは完全に兄を見限った。



 ――そして、カイザーは兄を殺してヴェノム盗賊団を乗っ取った。



 研究にはどうしてもヴェノム盗賊団の組織力が必要だったのだ。

 新たな頭領として名乗りをあげ、それに反発した者は力でねじ伏せた。

 そしてハデスと協力関係を結び、今日まで研究を完成させるために惜しみない援助を行ってきた。


 ……それを今更、こんな形で終わらせてたまるものか。


 なんとしても力を手に入れてみせる。

 犠牲になったあの神官の娘……パイ・ベイルは、結果はどうあれ

 たかだか20レベル程度の女が、今ではヴェノム盗賊団全員を相手に暴れ狂っている。

 あれほどの力があれば、メインタワーの者たちが全滅するのも時間の問題だろう。


「ちっ……急がねえとな」

 様々な者たちが逃げ惑うメインタワーを、カイザーは急いで進んでいった。






「なんかイメージ変わったな」

 実験が終わり変貌したラトリアを見て、ムラマサは残念そうに言った。

「あの金の髪はなかなか好みだったのに。すっかり老け込んじまって」


 ラトリアの髪は今や真っ白に変色してしまっていた。

 かつての美しい金髪は、毛先にのみ僅かに残る程度となってしまった。


「……白髪が老化の象徴というのは聞き捨てなりませんねムラマサさん」

 スノウビィが不機嫌そうに言う。

 彼女もまた美しい銀髪をなびかせる者として、ムラマサの言葉は撤回させたいところだった。


「へいへい、悪うござんした。で、こいつこの後どうすんだ?」

「この方にはこのままセドガニアへと向かっていただき、吸血鬼さんを殺害していただきます。召喚したドラゴンさん達ともリンクしてありますので、見つければスムーズにその場所まで向かえるはずです」

「へえ? 竜とお友達になるとはな。竜騎士に転職ってわけかい」


 竜を手なずけられた者は過去の歴史にも数人しかいないが、ラトリアはこのサブタワーが陥落するまでの間は竜と共闘することができる。

 数千のドラゴンと共にラトリアが参戦すれば、ブラッディ・リーチが生き残る可能性を大きく減らせるだろう。


「ではお願いいたしますね、ルドワイアの騎士さん。期待しております」

「……」


 ラトリアは一言も発することなく、スノウビィに一瞥もくれずゆっくりと歩き出した。

 やがて実験場のドアを開けて外へ出ていき、その姿が見えなくなった。


「…………あれ、『グラントゥイグ』は?」

 ふと異変に気付くムラマサ。

 実験のために設置された魔導具、『グラントゥイグ』が忽然と姿を消していた。


「……あら?」

 スノウビィも今初めて気づいたようだった。

「あいつ、持ってってねえよな?」

 ラトリアはそんな動きはしていなかった。


「吸収されちゃったのでしょうか」

「は? 誰に」

「あの騎士さんに。もともと『形のない剣』ですから、実験の拍子に吸収されたのかもしれませんね」

「……」

「まあ、あの剣ははじめからあの騎士さんにお譲りするつもりでしたので、問題ありませんね」


 あの剣は魔王城の宝物の中でもそれなりのランクの魔導具だったのだが、スノウビィには興味ないらしい。

 スノウビィがいいというのなら別にいいのだが、これもまたムラマサの失態にされないだろうな、とそれだけが心配だった。


「さて、これで人間領ですべきことは全て終わりましたね」

「ブラッディ・リーチはドラゴンとあの騎士が始末する。ここの研究データを魔王城に持ち帰って……」

「この塔の召喚魔法を止めると同時に塔は爆破。私たちの痕跡は残りません」

「メインタワーの連中は?」

「標準値を遥かに超える出力で実験を行いました。あちらがどんな被験者を選んだかは不明ですが、間違いなく負荷に耐えきれず魔獣化するでしょう。大多数は命を落とし、この研究が人類に出回ることもないでしょう」

「晴れて魔族で研究を独占か」


 万事順調に進んだと言える。

 これでまた一つ魔族は強大な力を手にし、人類はまた一歩窮地に立たされることになるだろう。


 その手始めに、まずセドガニアが滅ぶ。

 ラトリアという虎の子を失い、もはやセドガニアにこの塔を止める手段はない。

 数日後に派遣されるルドワイア騎士団がようやくこの塔を停止させに来たときには、もうセドガニアは竜で溢れかえる魔境と化しているだろう。


 もしこの状況を覆せる何者かがいるとすれば……。


「お前なら、こんなときでも呑気にはしゃいでそうだな、フルーレ」


 すっかり可愛らしくなった元魔王の姿を思い出して、ムラマサは静かに笑った。

「? 何か仰いましたか?」

「いいや。それよりさっさと帰ろうぜ。これ以上この町に留まる理由もねえだろ」

「そうですね。では我々は一足お先に退場するといたしましょう」


 あの港町がどのような結末を迎えるのか、スノウビィは多少なり興味があったが、それを見届けることはできない。

 それが少しだけ残念だったが、スノウビィはおおむね満足そうではあった。


「楽しかったですね、ムラマサさん。いい旅ができました」


 心置きなく遊べて何より。

 無邪気にそう笑うスノウビィを見て、ムラマサは苦笑するしかなかった。


「魔王ってのは……どいつもこうなのか?」

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