第85話 セドガニア防衛戦
ドラゴンの大群との交戦が始まってからおよそ一時間弱が経過していた。
セドガニアから数キロ北上した地点でドラゴンを迎え撃った、総勢一万人にも上る大軍勢は、今やその数を四割程度にまで減少させていた。
「迎撃部隊より本部! もう持ちこたえられない! 既に半分以上が戦死した。このままでは一時間もせず全滅する! 繰り返す! 全滅する!」
観測手が悲鳴交じりに本部に報告する。
目の前に広がる惨状をどうにか伝えようと必死だった。
『状況を報告せよ』
「状況だと!? ドラゴンで埋め尽くされてるッ! 空だけじゃない、地上もだ! もう上空のドラゴンを撃ち落とす余裕はない。地上に降りたドラゴンの相手だけで限界だ!」
セドガニアに向かうドラゴンを少しでも減らそうと、地上にドラゴンが降り立ったあとも黒魔導士は上空のドラゴンを優先して攻撃していた。
しかし今となってはそれすらできない。
この一時間で地上に降り立ったドラゴンの数は五〇〇体を超える。
その内三〇〇体以上を撃破できたのは大健闘。人類の意地を見せつけるめざましい戦果だ。
……だが、そんな必死の抵抗が虚しく思えるほど、この戦場は絶望に満ちていた。
千を超えるドラゴンが地上を黒に塗りつぶし、それを数千人の人間の血が上塗りする。
地上に降り立って交戦を始めたドラゴンは全体の一割程度だ。だがその一割を相手に軍勢は満身創痍。もはや誰も上空のドラゴンを撃ち落とそうなどと試みなくなった。
けたたましい爆発音と、それをかき消す悲鳴が絶え間なく響き続け、気づけば陣形などとうになくなっていた。
その場にいる誰もが、目の前のドラゴンを倒すことだけで精一杯という状況だった。
「なあ教えてくれ! いったいどれだけの数がいるんだ!? 俺たちはあと何体ドラゴンを倒せばいい!?」
彼らを最も絶望させているものは、ドラゴンの数が一向に減る気配がないことだ。
倒せども倒せども、ドラゴンの数は減るどころか増えるばかり。
漆黒の雲が途切れることなく、今やほとんどのドラゴンを素通りさせてしまっている現状。終わりのない地獄がどこまで続くのか、誰もが知りたがっていた。
『――ドラゴンの総数は現在調査中だ。戦闘を継続せよ』
「ふざけるな!! もう保たないと言っているだろ! 頼むから、地上がドラゴンで埋め尽くされてる状況を想像してくれ!! こんなの俺たちの手に負える数じゃない! ルドワイアからの援軍は来ないのか!?」
『ルドワイア帝国への応援要請は既に終わっている。応援は――じきに来る。もちこたえろ』
「く――そおおおおおおおおおおッ!!」
いったいどんな刑罰を科されてこんな場所にいるのかと思い始める。
視線を動かすと、誰かがドラゴンに頭から喰われていた。別の場所では誰かが踏みつぶされ、すぐ傍で誰かが尾で薙ぎ払われていた。
視線を移す度にそこで誰かが死んでいる。
軍勢の数は減り続け、ドラゴンは増え続ける。
そしてその数倍のドラゴンが上空を過ぎ去り、セドガニアへ向かっている。
「……頼む。撤退の許可をくれ。もうこの場所での遅滞戦闘に意味はないはずだろ。もう俺達にドラゴンを迎撃する余裕なんてない。こんな地獄にこれ以上長居する意味はないはずだろ!? なあ!」
『…………撤退した先が地獄じゃないと思っているのか?』
「……なに?」
『今セドガニアが今どういう状況か分からないか? 君たちが撃墜し損ねたドラゴンが、全てセドガニアの上空に集まっているんだぞ』
「……そっちは……どうなってるんだ」
『……セドガニアの空が完全に閉ざされている。ドラゴンの群れで、びっしりとな。その内の一割が地上に降り立ち……避難中の住民を襲っている』
「……」
『武器をもっていない者たちが、空から降ってくるドラゴンに喰われながら死に物狂いで基地を目指して逃げ惑ってるんだ! ――頼む、そこで一体でも多くドラゴンを撃墜してくれ。これ以上……町にドラゴンを入れないでくれ!』
通信魔石から聞こえてくる悲痛な叫びに、それ以上何も言えなくなる。
この戦場は確かに過酷だが……その数倍、数十倍の数のドラゴンが空を覆いつくすセドガニアは今、例えようもない地獄に違いなかった。
「……了解した。戦闘を継続する」
『幸運を祈る』
通信の切れた魔石を懐に仕舞い、観測手は項垂れることしかできなかった。
今の一幕だけで、彼にも十分伝わった。
セドガニアの作戦本部内でも、この状況を打開する見通しが全く立っていないのだ。
これだけの異常事態……詳細を知らされていない彼にも、何らかのからくりがあることは推測できた。
無限とも思えるドラゴンが一つの町を襲うなどあり得ない。明らかに自然現象ではない。
何かしら原因があるはずだ。
ならば、この惨状を覆す手段も必ずある。
希望的観測ではなく、ある種のメカニズムとして、それはあって然るべきものだ。
……ただ、それを成し得る者がいないというだけ。
いずれこの地獄は終わりを告げるだろう。
人類最後の砦、ルドワイア帝国から部隊が派遣され、彼らの圧倒的な力がドラゴンをも蹴散らし、やがてこの騒動の原因を突き止め解決するだろう。
……それがいったい何十時間後になるか。それが問題なのだ。
その時までとにかく時間を稼ぎ、現状を維持すること……それがこの場で命を散らす者たちの使命だ。
もってあと一時間という観測手の見立ては、決して大袈裟ではない。
それだけの時間があれば、この場にいる者全て、十分に死ねる。
「誰か……誰か……頼む……!」
この悪夢を終わらせてくれ、と。
そう祈ることしかできなかった。
「……ただいま迎撃部隊から連絡がありました。戦闘は苛烈。戦闘継続が可能な時間は、あと一時間ほどとのことでした」
通信手から報告を受け、バロウンは頭を抱えた。
「……バラディア本国からの応援到着予定時間は?」
「およそ六時間後です」
「……」
まるで間に合わない。
いや、仮に間に合ったとして……どうなる? 彼らにこの現状を打破できるだろうか。
増え続けるドラゴンの総数は……六時間もあれば二万を超えているだろう。
そんな数、もうどうしようもない。
この状況を打開できるのは、もうルドワイア帝国騎士団しかいない。
「――グラッセル殿」
「っ、は、はい!」
ルドワイア帝国と連絡を取り続けていたシィム……彼女に縋るようにバロウンは声をかけた。
「ルドワイア帝国からの援軍は、どうなりましたか?」
「……」
気まずそうに言い淀むシィムのその様子を見るだけで、バロウンは全てを察した気分だった。
「……明日の早朝到着予定だったエルダー部隊を、大至急セドガニアに向かわせるとのことでしたが……それでも五時間はかかるとのことです」
「……」
遅すぎる。
その頃には既に町は壊滅している。しかも、そこからようやく反撃開始なのだ。
「……無礼を承知で尋ねるが、その部隊ならばこのドラゴン達をなんとかできるのですか?」
そもそもとして、これだけの数のドラゴンに対抗できるのかも問題だ。
エルダークラスともなればその力は常識を超えるが、敵もまた常軌を逸した軍勢なのだ。
「はい。可能です」
しかしシィムは即答した。
「この町に向かっているエルダーの名は、ヴィクトリア・シュトラフカ。人類が誇る最強の矛の一つです」
「ヴィクトリア……? ――ッ! あの『マーブル・ボマー』か!?」
バロウンの瞳に僅かに希望が宿る。
ヴィクトリア・シュトラフカ。
史上最年少でエルダーの称号を獲得した天才として広くその名が知られている。
究極の対軍性能を誇る、歴代エルダーの中でも最高峰の超火力の持ち主だ。
彼女が到着すれば……確かに希望はある。
遅滞戦闘に意味が出てくる。あと数時間持ちこたえられれば、あるいは。
「……戦闘を継続させろ。とにかく耐えるんだ」
「はっ!」
「町はどうなっている?」
「町に配備していた部隊は……ほぼ壊滅。迎撃能力を失っています」
「……なら戦闘は避けろ。どのみち、もう倒し切れる数じゃない」
セドガニアを覆うドラゴンの数は、とうにセドガニアの戦闘力では根絶不可能な域に達している。
いたずらに戦闘を行って兵力を失う必要はない。
「生き残った全ての兵士は、逃げ遅れた住民の避難誘導に当たらせろ。方法は……現場に任せる。ただし戦闘は避けろ。なんとかして住民をこの基地に連れてこい。一人でも多くだ」
「バロウン殿……その、この基地は……安全なのでしょうか」
「……どういう意味だ?」
尋ねるバロウンではあったが、彼の言いたいことは十分に察せられた。
「いえ、その……何故ドラゴンはこの基地を襲撃しないのか、と……」
それはバロウンもずっと気になっていたことだ。
あれだけの数のドラゴンが一気に押し寄せれば、こんな基地などひとたまりもない。
そうなっていないのは、ドラゴン達の九割以上が町を襲っていないからだ。
あくまで眼下で逃げ惑う人々を見つけ、竜の本能を刺激された個体だけが人を襲っている。
その他の竜はセドガニアの上空をゆっくりと旋回軌道するばかり……という不可解な状況が続いていた。
「そもそも奴らは何をしているんだ? この町を破壊することだけが目的ではないような動きをしている」
「私見ですが……何かを探しているように見えます」
「何をだ」
「……不明です」
圧倒的に情報が不足している状況で、それでもバロウンは知恵を絞る。
「……よし。さっきの続きだ。町にいる部隊はドラゴンとの戦闘を全面的に放棄しろ。建物の陰に隠れてこの基地を目指せ。ドラゴン達は何か別の目的のためにこの町へやってきたと仮定する。不用意に手を出したり、奴らの前を走ったりしなければ、おそらく向こうは襲ってこない」
指示を受けた兵士が神妙な顔を浮かべる。
あまりにも危険な采配だ。不確かな希望的観測に多くを委ねてしまっている。
……しかし、どのみちドラゴンを撃退する手段が乏しい以上、この基地は襲われないという望みに縋るしかない。
「とにかく時間を稼ぐことを優先する。応援の到着まで粘るしかない」
「では、北門の部隊は戻しますか?」
戦闘を考慮しないのならば、北門での迎撃は無意味に思える。
しかしバロウンは苦渋の表情で首を横に振った。
「……だめだ。北門の部隊が戻れば、それに釣られて多くのドラゴンが町に入ってくる。空を飛んでいる分には問題ないが、既に戦闘態勢に入った数百体のドラゴンを町に入れるわけにはいかない」
「み……見殺しに、なさるのですか……!?」
成果の期待できない戦闘を続けさせ、無意味に兵を死なせるなど……あまりに残酷過ぎる。
「そうだ。事はもうセドガニアだけの問題じゃない。こんな状況が続けば、それこそバラディア全土が壊滅しかねない」
「し、しかし……」
「分からないのか!? バラディア国は人間領の中央に位置している。バラディアがドラゴンに占拠されれば、人間領の南北が分断されるんだぞ!」
「……っ」
「北にあるルドワイアは孤立し、バラディアより南部の人間領が魔人に襲われても、もう救助できない! 人間領の中央にこんな量のドラゴンがひしめいていては、もう占星術もまともに機能しなくなる! 襲撃を未然に防ぐこともできなくなるんだ!」
「……」
そうなればルドワイア以外の全ての国が堕とされ、人類の文明は数百年の後退を余儀なくされる。
数百年かけて奪還した人類の領土の大半が奪われ、再び暗黒の時代が訪れることになる。
「たとえセドガニアの民が全て死に絶えたとしても、この馬鹿げた召喚魔法は止めなくてはならない! 我々の使命は、勝つことではない。勝利の可能性を残すことだ。数時間後に来る後続部隊のために」
「…………了解しました」
そう返答すると、兵士はセドガニアで奮闘する部隊へ通信を入れた。
それを見届けて、バロウンは別の兵士に声をかけた。
「ホーク・ヴァーミリオン殿の行方は? 誰か掴んでいないのか!」
「いえ……町で戦闘中との報告も受けておりません」
「クソッ! こんなときに!」
すぐにこの基地を訪れると約束していたはずのホークが、何故未だに現れないのか誰にも分からなかった。
ドラゴンを調べた黒魔導士によると、あのドラゴンは魔力的な存在とのこと。
ならば、ホークの持つ『破魔の力』で一撃で屠れる可能性がある。
兵たちが数十人がかりで必死に相手をしているドラゴンを、たった一発の魔断で撃破できる可能性すらあるのだ。
そんなことができれば、まさに地獄の底に光を照らす救世主。まごうことなき勇者の姿だ。
こんなときにこそ彼女の力が必要だというのに……!
「ラトリア・ゴード殿がどうなったかわかるか?」
「いえ……あのあたりはドラゴンが多すぎて、占星術が捕捉してしまう魔力体が多すぎます。ゴード殿の反応だけを観測することは困難です」
「……彼女が出てからそろそろ一時間ほどになる。貸し出した軍馬なら、とっくに観測座標ついているはずだが」
「未だに北西には極大の魔力反応が存在しています。大きな動きも……とくに見られません」
まだ戦闘中……そう願いたかった。
あの高潔な騎士は、今なおセドガニアを救うために召喚魔法を止めようと戦い続けているに違いない。……そんな願いを持たなければ正気を保てそうもなかった。
最悪の場合、既に敗北している可能性もある。
そうなれば今度こそ後続の部隊が事態を解決してくれるまで、セドガニアはひたすらに防衛に回るしか手立てがなくなってしまう。
「隊長は負けません!」
背後で二人の会話を聞いていたシィムが、バロウンに向けて叫んだ。
「ラトリア隊長は、どんなことがあっても決して逃げる方ではありません。今も必ず……この町を救うために戦い続けているはずです!」
「……そう願います。グラッセル殿」
ラトリアの作戦が成功すれば、次の瞬間にも召喚魔法は停止し、召喚されたドラゴン達が瞬時に消滅……この町は救われる。
……そんな未来が、バロウンにはどうしても想像できなかった。
「せめて……ドラゴン達の目的さえ分かれば」
そうすれば対策の立て方もかなり違ってくる。
だが上空を旋回するだけのドラゴン達から、その目的を察することは難しい。
唯一推測できるのは、どうやら何かを探しているようだということだけだ。
一体彼らは何を探しているというのか……?
数十分前まで、セドガニア中で兵士とドラゴンが戦闘を繰り広げる音が響いていたのだが、それも今ではすっかり収まった。
大半が死亡したというのもあるが、作戦本部からドラゴンとの戦闘を避けるよう命令があったのだ。
「静かに。いいか……静かにするんだ」
バラディア国騎士団の騎士、ダインは、彼の背後に身を潜める数人の男女に声をかけた。
避難が遅れている住民の誘導任務に当たっていたダインは現在、八名の男女を連れて基地を目指して移動中だった。
彼らは武器を持たない一般人。
戦闘になればひとたまりもない。皆怯えて身体を小さくするだけで精一杯の様子だった。
ダインは家屋の陰に身を潜めながら、ゆっくりと周囲を見回した。
――信じがたい光景だった。
ほんの数十メートル上空に、群れをなしたドラゴンが絨毯のように空を覆っている。
町中にも数百体のドラゴンが降り立ち、そこら中で暴れ回っている。
建物は破壊され尽くし、そこかしこで火の手が上がっている。僅かに残った家屋の上にはドラゴンが座り込んでおり、次の獲物を探していた。
「……」
ダインもまた恐怖に駆られながら、腰に差した直剣の頼りなさに挫けそうだった。
彼のレベルはB-35。町を埋め尽くすドラゴンの、内一体を倒すだけでもダインが四〇人は必要だ。
騎士団などという肩書は今や何の意味もない。ドラゴンに見つかった瞬間、彼もまた一撃で殺される運命だ。
それでも何とか気丈に振る舞えているのは、彼の背後には八名の非戦闘員がいるからだった。
ここでダインが少しでも怯えれば、彼らは底のない絶望に突き落とされることになる。
「……俺の言う通りに動けば問題ない。きっと安全な場所まで避難できる。いいな?」
ダインの言葉に、彼らは涙ながらに頷いた。
陰から陰へ、上手くドラゴンの目を掻い潜ってここまできたが、それでもまだ基地までは三〇〇メートル以上ある。
目の前には、高い建造物。
あそこの陰に隠れたい。だがそこまでは開けた道が続き……その半径二〇メートル以内に、見えるだけでも七体のドラゴンがいる。
「……」
他に道はない。
引き返した先にもドラゴンがいるし、迂回した先にもドラゴンがいる。
ここでじっとしていても上空にドラゴンがいるし、そもそもドラゴンのいない場所がない。
建物まではおよそ三〇メートル。
……気の遠くなるような距離。
とても辿り着けるとは思えなかった。
だが、行くしかない。
「俺が合図したら、あの建物の裏まで走るんだ。いいな? 絶対に立ち止まるな。あそこまで辿り着けば、もう基地は目の前だ。絶対に助かる」
ダインの言葉に縋る面々。
根拠のない励ましを、真実だと思いこむことで震える足を奮い立たせていた。
「いいな、いくぞ、いくぞ……立ち止まるなよ……いくぞ――――今だ、走れッ!!」
ダインの掛け声とともに全員が一斉に走り出す。
気づかれずにやり過ごす方法はない。ならば一気に駆け抜け、ドラゴン達が彼らの存在を見落とす可能性に賭けた。
……そして、それは失敗に終わった。
周囲にいたドラゴン達が通りから視線を逸らした瞬間を見計らったつもりだったが、上空から町を見下ろしていたドラゴン達まで注意する余裕はなかった。
一体のドラゴンが上空から急降下し、ダイン達に襲い掛かった。
獰猛な吠え声に怯えた一人の少年が足を滑らせ転倒する。
格好の獲物。ドラゴンはその少年に狙いを定めた。
少年の前を走っていた母親が悲鳴をあげて脚を止める。我が子の危機に、半狂乱になりながら少年の下へと駆け寄る。
「な――よせ、立ち止まるな!」
咄嗟に呼び止めるダインだが、時すでに遅し。
周囲のドラゴン達もその母子に気づき、一斉に襲い掛かる。
「――」
数体のドラゴンの巨体に隠れ二人の姿は見えなくなったが、その隙間から耳を塞ぎたくなるような絶叫が響き渡る。
他の六人も思わず恐怖に顔が引きつる。誰もが今にも泣き出しそうな顔を浮かべていた。
「止まるな! 走れ、走ってくれ!!」
ダインが必死に叫ぶと、彼らはパニックに陥りながらもなんとか走り続けた。
やがてダインを含めた七人が目標としていた建物に辿り着き、物陰に身を潜めた。
すぐ傍では数体のドラゴンが母子のもとへと集まり何かをしていた。
意味を理解したくない怪音が聞こえてきて、何人かが歯を食いしばりながら耳を塞いだ。
「はあ……! はあ……!」
ダインもまた震える身体を自ら抱きしめる。その胸の内に、どうしようもなく後悔が襲ってきた。
助けに入るべきではなかったのか。
たとえ死ぬとしても、あの母子だけでもなんとか助けるべきではなかったのか。
騎士として、一人の男として、見殺しになどしてはならなかったはずだ。
「……」
そう考える一方で、心のどこかで別の自分が言う。
もうどうにもならなかった。仕方がなかったのだと。
何よりここで自分が死ねば、残ったこの六名はどうやって基地まで辿り着けばいいというのか?
一人でも多くの者を救う、それが自分の使命なのだと、そんな気休めがダインの心の傷を慰めた。
「大丈夫……大丈夫だ……きっと、きっと辿り着けるから……基地まで行けば、もう安全だから」
ダインの言葉はもはや彼らには届いていなかった。
早くこの地獄から救われたいという一心で、ダインの指示を待っているだけだった。
「……」
幸い、周囲のドラゴンはあの母子に釣られて一箇所に集まっている。
今なら少しは大胆に動けるかもしれない。
「――ッ!」
そのとき、ダインの目が二つの人影を捕えた。
この建物から数十メートル先の、崩落した家屋の陰。
――そこに、フードを被った二人が息を潜めていた。
赤と灰色のフード。年齢や性別はフードに覆われて定かではないが、背丈から考えて親子だろうか。
少しでもドラゴンから発見されづらくするようにフードを被っているのだろう。
気休めではあるが、悪くない判断だ。
「皆、少しだけここで待っていてくれ。逃げ遅れた親子を見つけた。すぐ戻る」
ダインがこの場を離れるということに何人かは過剰なほど不安な顔を見せたが、今目の前で親子が襲われるのを目の当たりにしたばかりで、別の親子を見捨てようと言い出す者はいなかった。
ドラゴンの目を盗んでダインが走り出す。
フードの二人も接近してくるダインに気づいたようで、じっとこちらを見つめてきた。
「……?」
やけに冷静だ、とダインは訝しんだ。
フードで顔はよく見えないが、パニックに陥っている様子はない。
手がかからないのは頼もしいが、何か引っかかった。
ドラゴンに見つからずに二人のもとまで辿り着くことに成功したダインは、安堵もさておき声をかけた。
「逃げ遅れた方々ですね。私はバラディア国騎士団のダインといいます。セドガニア基地まで避難の支援を、」
「ほっといて」
赤いフードの中から少女の声が聞こえた。
「……気持ちは分かる。でも希望を捨てちゃだめだ。俺がきっと安全なところまで連れて行く。だから、さあ俺の手を……」
少女の手を掴もうとしたダインは――その直後、何かに心臓を貫かれた。
「――――え」
ふと視線を下げると、少女のローブの隙間から赤い何かが伸びて、ダインの心臓を貫いていた。
「気持ち悪いなあ」
一気に脱力し、地面に倒れ込むダイン。
そのとき薄れゆく意識の中で、ローブに覆われた少女の顔が少しだけ見えた。
血のように赤い二つの瞳が、不快そうにダインを見下ろしていた。
「触らないでよ、男」
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