第92話 ツインバベル攻略戦


「たった今、この塔はあたし達が制圧したっす! あたし達はこの塔を停止させるっす。協力しろっす!」

 短剣を振りかざしながら、キャメルは管制室内の研究員たちに宣言した。

 彼らはパイに怯えて管制室に閉じこもっていた者たちだが、より分かりやすい脅威が同じ室内にいると分かり、従うしかなくなった。


「君は……独自にこの塔のことを調べていたようだな。それも入念に」

 足元でうずくまるハンスに、キャメルは得意げに返した。

「もちろんっすよ。だからこそこの部屋に侵入出来たんす」


 現在この管制室は厳重にロックがかけられ、この管制室までの廊下には何枚もの隔壁が降りている。

 普通なら侵入できるはずがないが、事前にこの塔を調べ尽くしていたキャメルは、この管制室の扉の開け方や隔壁を避けてここに辿り着くルートを用意していたのだ。

 塔内に設置された探知魔石も、盗賊スキルを使いある程度は隠蔽できることを確かめてあった。


「そこまでこの塔に詳しければ、君にも分かっているだろう。我々にツインバベルを停止させる手段はない。今はツインバベルの制御はサブタワーに握られて……」

「サブタワーはもうじきあたしらの手に落ちるっすよ」

「なに?」

「勇者ホーク・ヴァーミリオンがサブタワーに向かってるっす。あの人の破魔の力なら、魔術式を根こそぎ吹っ飛ばせるっすよ」


 まさか、と驚きの声をあげる研究員たち。

 彼らも先日新たに誕生した勇者の話は聞いていたが、まさかそんな人物がサブタワーに向かっているなど信じられなかった。


「……くだらん戯言を」

「もし吐くならもっとましな嘘吐くっすよ。あの紫の処女、パンダの姉御はホークさんの唯一のパーティメンバーっす。これでもまだ信用しないっすか!?」

「……」

「ホークさんがサブタワーの魔術式に破魔の力をぶち込めば、サブタワーは停止するっす。そうすればメインタワーはもう自由っす。ツインバベルを制御して冥府の門を閉じることも可能っすよね?」


「……」

「で、出来ると思います!」

 答えないハンスの代わりに、別の研究員がキャメルの言葉を肯定した。

「余計なことを言うな!」

「それはあんたっすよ。黙ってろっす!」


 キャメルが容赦なくハンスの頭を踏みつけて黙らせる。

「サブタワーさえ止まれば冥府の門は閉じれる。間違いないっすよね?」

「あ、ああ! 可能なはずだ! もともと冥府の門はメインタワーが制御するものだ。今はサブタワーにその機能を奪われているが、サブタワーさえ止まればメインタワーはその力を取り戻す」


「なら、冥府からの魔力供給が止まったあの神官はどうなるっすか?」

「……あの魔力の鎧は失われるはずだ。それに、一時的なショック状態になることが予想される」

「じゃあもうあんなガキに怯える必要ないっすよね? 簡単に塔から逃げられる。違うっすか? それを手伝えっつってんすよ」


 キャメルの語る内容は、もはや生存を諦めかけていた彼らにとって願ってもない話だった。

 この話に乗れば、まだ生き残る可能性はある。彼らにそう思わせるには十分だった。


「無駄だ!」

 その中でハンスだけは唯一キャメルに反抗した。


「サブタワーには今カイザーが向かっている。彼が塔の停止を望むはずがない!」

「なら倒すだけっすよ」

「出来ると思っているのか? あのカイザーを!?」

「ホークさんはハシュールの一都市を壊滅させた吸血鬼を一人で倒した実力者っすよ。それくらい楽勝っす」


「くだらん! おいお前たち、馬鹿な真似はするなよ。この女の言葉がどれだけ信用ならんか、お前たちもよく知っているだろう」

 う、とキャメルが苦い顔をする。

 キャメルの悪評は塔内にも知れ渡っている。この塔の中で最も信用できない者は誰かとアンケートを取れば断トツで一位になるだろう人物がキャメルだ。


 だが、今回ばかりは事情が違った。

「……所長、すみません」

「お前たち……!」

「だってこれ以外に……どうしろって言うんですか!? 俺達が生き残るにはこれしかないじゃないですか!」


 部屋の隅でうずくまっていた彼らが立ち上がり、キャメルに歩み寄った。


「……協力します、キャメルさん。その勇者がサブタワーを停止させ次第、こちらからツインバベルの全機能を停止させます」

「分かればいいんすよ」


 全て思い通り。そんな顔で笑うキャメルの胸中は……実際には彼ら以上に不安でいっぱいだった。


 キャメルはカイザーの強さをよく知っている。

 ホーク一人で立ち向かうには分が悪い相手だ。ホークがしくじればパイの暴走は止まらず、パンダはやがて力尽きるだろう。

 パンダが死亡すれば、盟約で連なっているキャメルもまた死亡する。

 キャメルにとっても命がけの話だが、パンダに命じられた以上はやるしかない。盟約の強制力には逆らえない。


「……ほんと、頼むっすよホークの旦那……!」


 弱々しい声で、キャメルにはホークの勝利を祈るしかなかった。






 同時刻、カイザーはようやくサブタワーに到着した。

 無数のドラゴンが上空にひしめくサブタワーに向かうため、目立つ馬での移動はできず徒歩で来ることになってしまった。

 ドラゴンに発見されないように気配を殺しての移動は時間がかかり、通いなれたはずの道則が驚く程長く感じた。


「それにしても、馬鹿げた景色だなこりゃ」

 頭上を見上げながら呆れたように嘆息する。

 サブタワーの頂上付近に開いた冥府の門から、数え切れないドラゴンが生まれ続けている。

 彼らは一直線にセドガニアに向かっており、すぐ眼下のカイザーには気が付いていないようだった。


 これほどの大惨事を引き起こした張本人が、おそらくサブタワー内にいる。

 正直なところ、自分では太刀打ちできないだろうという自覚はカイザーにもあった。

 無理に戦う必要はない。いざとなれば相手におもねってもいい。

 サブタワーを占拠した何者かはこの塔で独自に実験を行った。間違いなくこの塔の実験そのものに興味を持っているはずだ。


 その被験者としてカイザーの身体を提供する。そんな交渉が上手くいけば実験の恩恵を受けられる可能性もある。

 だがそれらの予想が全て裏目に出た場合は、カイザーも腹をくくって戦うしかないだろう。

 塔を占拠しなおして改めて実験を再開する。

 それしか道はない。


 カイザーにとっても非常に危うい綱渡り。

 落ちれば破滅。だが渡り切れば、カイザーは悲願を遂げることができる。


「……」

 意を決してカイザーはサブタワーの扉を開けた。


 人の気配は完全に失せていた。

 やはり予想通り、サブタワーで活動していたメンバー達の姿はない。

 彼らがどんな末路を辿ったのかはカイザーにはどうでもいいことだ。重要なのはこの塔はもはやヴェノム盗賊団のアジトではなく、敵の拠点へと姿を変えたということ。


 気配遮断スキルを発動。

 探知や索敵に対する抵抗力も上昇させ、限界まで隠密性を高める。

 並の者にはカイザーが目の前を通っても気づかないほど完璧な隠密ではあるが、この塔を襲った者たちにどこまで通用するかは定かではない。


 カイザーは細心の注意を払いながら塔を進んでいく。

 その間にも他の者の気配を感じ取ることはできず、塔は完全に無人だった。


「……どういうことだ? 向こうも隠れてやがるのか?」

 ここまで堂々と塔を占拠した者たちが今更そんな真似をするとは考えにくいが、実際に塔には誰もいないように感じられる。


 カイザーは実験場に向かった。

 厳密にはサブタワーには実験場はない。そもそもサブタワーはメインタワーの補助装置として設計されたものだ。この塔でレベル上昇実験を行うこと自体想定されていない。


 だが同様の実験が行われた以上、サブタワーの魔法陣が書き換えられ、実験場の役割を果たしたはずだ。

 そしてそれは十中八九、制御室に違いなかった。


 メインタワーとサブタワーは基本的に同じ構造をしている。

 メインタワーにおける実験場と同じ場所には、メインタワーの処理を補助するための魔術式が書き込まれている部屋がある。


 そここそがサブタワーにおける実験場であり、侵入者が魔術式を書き換えるとしたらここしかない。


 実験場は四階にあり、階段を上ってすぐの扉を開けると開けた広間があり、その奥が実験場になっている。

 歩きなれた塔内を慎重に進みながら、カイザーは結局なんの障害に阻まれることもなく実験場まで辿り着けた。


 緊急時の隔壁すらおりておらず、戦闘があった痕跡すらない。

 ここにいた者たちは神隠しにあったか……あるいは、戦闘にすらならないほど圧倒的な力量差で敗北したかだろう。


 実験場の扉を開ける。

 中央の魔法陣は眩く発光し、間違いなく塔は稼働していることが分かった。


「……」

 なのに、誰一人そこにはいなかった。

 視線を上にあげるとガラス張りになった壁から管制室の様子がうかがえたが、そこにも人の気配はない。


「――いるのは分かってる! 俺はカイザーという者だ!」

 カイザーは気配遮断スキルを解除して言った。

 見たところ無人のようだが、カイザーのように姿を隠している可能性もある。もとよりカイザーは交渉を持ち掛ける側としてここにきたのだ。いつまでも姿を隠している意味はない。


「来たのは俺一人だけだ。争う意思はない。話がしたい。姿を見せてくれないか」


 そう呼びかけるも、静寂が返ってくるだけだった。

 そのまま一〇秒ほど応答を待ってみるも成果はなかった。


「……マジで誰もいねえのか?」

 予想外の展開に面食らうカイザー。

 とすれば、侵入者たちは既に目的を果たしこの塔から撤退したということになる。


 目的とはつまり……冥府の門を開けドラゴンを召喚しセドガニアを襲うこと。

 そしてサブタワーでも独自で実験を行うこと。


 この二つを達成し満足したため、ドラゴン召喚用に塔だけは稼働させたまま姿を消した……そんなことが有り得るのだろうか?

 もしそうだとすれば、驚嘆すべき迅速な仕事ぶりだ。


「……俺は今からこの魔法陣を使ってレベル上昇の実験を行う。何か気に喰わない点があれば出てきて言ってくれ。俺は全面的にそちらの要求を呑むつもりだ」


 念のためにもう一度だけそう声をかけ、カイザーは実験の準備に取り掛かった。

 ハンスから預かった魔石を魔法陣の一角に設置する。

 これで簡易的にではあるが冥府の魂の出力値を抑えることができるらしい。


 続いてカイザーは背に装備していた一本の杖を取り出した。

 全長一メートルほどの短杖。『ヴァルナワンド』と呼ばれるそれは、かつて高名な黒魔導士ヴァルナが愛用したとされる杖だ。

 先端に魔石が取り付けられており、魔力を蓄積し任意に放出できるという特性がある。


 この理論は後に魔法銃に転用されたが、魔法銃そのものがほとんど普及しなかったためこの杖の知名度も低い。だが性能自体は高い名杖だ。


 これもヴェノム盗賊団が強奪したもので、冥府の魂をろ過する魔導具として用いられた。

 しかしこの杖が蓄積するものはあくまで純粋な魔力であり、冥府の魂を一時的に吸収するという目的を果たすには相応しくなかった。


 結局この杖を使っての実験は失敗し、より『魂の蓄積』という観点に適した魔導具ということでデスサイズに白羽の矢が立つという経緯があった。

 だがデスサイズが使用不能な現状では、これを使って実験を行うしかない。


「……うまく動いてくれよ」

 祈るような気持ちでカイザーはヴァルナワンドを見つめた。

 何もかもが不安定な状況での実験。成功する望みは極めて低いが、カイザーはもう後戻りする気はない。


 幸い、一番の障害だと思われた、この塔を占拠した何者かは本当にいないようだ。

 最悪戦闘もあり得ると身構えていただけに、その点は好都合だ。

 カイザーは杖を魔法陣に設置しようとし――


「――ッ」

 そのとき、何者かの気配を感じた。

 この部屋ではない。だがこの塔の内部に誰かがいる。

 物理的な感覚ではなく、カイザーの直感がそう訴えかけていた。


「……」

 カイザーはスキルを発動。

 自身の聴覚を鋭敏にさせた。


 周囲を探知する魔法、一般に探知魔法と呼ばれるスキルはいくつか存在する。

 それらを使えばより正確に、より単純に広範囲に探知できるため、多くの者に採用されている。


 だがカイザーはそういう類の探知魔法を毛嫌いしていた。

 その手の探知魔法は、魔法が発動されたという情報を相手に伝えてしまう場合がある。

 つまり相手にも何者かの存在を探知させることになり、不用意に警戒させてしまうことが多い。

 相手に存在を察知されていないというせっかくの優位性を捨てるなど愚の骨頂だとカイザーは考えていた。


 故に彼が採用したのは、自身の五感を鋭敏にさせるスキル。カテゴリーとしては補助魔法になる。

 これならば相手に自身の存在を伝えることなく探知ができる。

 もっとも、探知魔法ほど正確ではなく、入手した情報を自分で分析しなければならないというのは一つの欠点ではあるが、カイザーは長年培った自身の分析力を信頼していた。


 研ぎ澄まされたカイザーの聴覚が、かすかな足音を聞き取る。

 音はサブタワーの出入口付近から始まり、徐々に階段を上り始めた。


「……誰だこいつ?」

 この塔を占拠した何者か……ではない可能性が高いとカイザーは判断した。

 足音が小さすぎる。スキルを使っていなければ、おそらく間近にいても聞き取ることはできないほどの大きさ。


 意図的に足音を殺している。かつ、足音は度々停止し、その歩みは非常に遅い。

 周囲を警戒しているだけではここまで遅くはならないだろう。

 この塔に来ることそのものが初めて、という印象を受ける。この塔は広いようでいて構造は単純だ。一日過ごせば大体の歩き方は分かるだろう。


 周囲への警戒だけでなく、塔そのものの探索も同時に行っていると考えていい。

 サブタワーを襲撃した者はもう二日近くこの塔に滞在しているはず。こんな歩き方はしないはずだ。

 この期に及んで新たな来訪者……ということになる。


「数は……一人か」

 ということはバラディア騎士団ではないだろう。

 とはいえこのタイミングで偶然の来訪とは考えられない。

 思い当たる人物はそう何人もいないが――その中でもっとも不都合な者がいる。


「……あのエルフ……」

 先程森で遭遇した勇者、ホーク・ヴァーミリオン。

 彼女が来たのだとすれば、相当厄介な話になるだろう。




 そんなカイザーの不安を嘲笑うかのように、サブタワーに侵入したのはまさしくホークだった。

 メインタワー同様に人気の失せた塔内を慎重に進む。


 パンダがキャメルを従属させたあと、キャメルが持ちうる情報を全て開示させた。

 それを踏まえてパンダが構築した作戦……それもまた非常に危うい綱渡りではあったが、ホークは一度も口を挟まず了承した。


 デスサイズの能力で、パイの魂に付着した魔族の魂を切除する。

 正直そんな真似ができるとは思えないが、パンダが出来ると言うならホークは信じることにした。

 だがそのためには冥府の門を閉じる必要がある。いくら魔族の魂を切除しようとも、冥府からの供給が続いては切りがない。


 冥府の門を閉じられるのはサブタワーだけだ。故に誰かがサブタワーに向かう必要があり、その役目はホークが受け持つしかなかった。

 正しい手順でサブタワーを停止させようと思えば複雑な処理が必要だ。

 だがホークに限ってはその必要はない。


 サブタワーで作動しているであろう魔術式に、魔断を一発でも撃ち込めばそれでサブタワーの機能を強制停止させることができる。

 キャメルの予想では、おそらく四階の制御室にその核となる魔法陣があるらしい。

 その言葉に従い四階を目指すホーク。最悪そこに魔術式がなかったとしても、塔を探索して発見次第、破壊すればいい。


 その作業自体は何ら困難なものではない。

 唯一の障害。それは――


「――おいおい、マジであのときのエルフかよ」


 先行してこの塔に到着しているであろう、バンデット・カイザーだ。


 実験場の扉が開けられ、中からカイザーが現れた。

 カイザーはホークの姿を確認すると落胆した様子を見せた。


「あの森から俺を尾けてきたのか? もしそうなら大したもんだ。俺に一度も気配を気取られないなんてな」

 カイザーは盗賊としてのスキルをいくつも習得している。

 そんな彼に一度も気づかれずに尾行してきたというのは信じがたいが、そうとしか考えられなかった。


「いいや。一度メインタワーに寄った」

「あ? じゃあなんでこんなにすぐ到着してんだ。俺だって今来たところだぞ」

「メインタワーで貴様らの馬を一頭借りて飛ばしてきただけだ」

「……お前、あのドラゴンの下を馬で走ったのか?」


 思わず愕然としたが、ホークのユニークスキルを知っていたカイザーは納得したように頷いた。

 ドラゴンの近くを馬で移動すれば、ドラゴンの本能を刺激し襲われるのは当然だ。

 しかし数十体のドラゴンが襲い掛かろうとホークには問題なかった。


 あのドラゴン達は魔力体として召喚されている。

 ならばホークの魔断一発で消し飛ばすことができるのだ。

 ホークは襲い掛かるドラゴンを片っ端から魔断で撃破し、堂々と馬を使ってサブタワーまで最短距離で進んできた。


 その速度は、慎重に徒歩で移動してきたカイザーとの距離を縮めるには十分だった。


「で、そんな危険を冒してまで何の用だよ」

「この塔を止める。邪魔をするなら貴様を殺す」

「塔を止めたいなら好きにしな」


 意外にもあっさりと言い放つカイザーにホークが眉を寄せる。


「ただし、俺の実験が終わってからだ。そうなりゃ俺にとってもこの塔は用済みだ。好きに壊せ」

「……こちらには時間がない。その実験とやらが終わるまでどれくらい時間がかかる」

「ものの三分もしない内に終わるだろうよ。俺を三分以内に倒す自信があるなら、ここで仕掛けた方が早いかもな」


 カイザーはどこまでも合理的な男だ。ここでホークを敵に回すよりも、双方の最終目的をすり合わせる方が得策だと判断したらしい。


「いいだろう、さっさと終わらせろ。安心しろ、貴様が魔獣化しても私が殺しておいてやる」

「そりゃありがてえ」


 カイザーの提案を呑み、ホークは実験場の扉に向かって一歩踏み出した。

 この男は合理的で打算的だ。益のない戦闘の愚かさを熟知している。ここでわざわざ約束を違える可能性は低い、とホークは判断した。


 ……それは正確でもあったが、同時に一つの要素を見落としてもいた。

 カイザーは合理的であると同時に、慎重で、かつ他人を信用しない男だ。


 実験を行えば、カイザーは一時的にまったくの無防備な状態になる。

 傍らにホークがいれば実験の途中でもカイザーを射殺することなど容易い。


 そんな状況での実験をカイザーが許すはずがなかった。


「――フッ!」

 カイザーが背に装備していた槍を構えて突進する。

 完全にホークの不意を突いた奇襲。彼はもとよりホークを生かしておくつもりなどなかった。


 一瞬にしてホークに接近するカイザー。

 距離は三メートルほど。カイザーのメインウエポンは長槍。既にカイザーの間合いに入っている。


 ホークが一手遅れてホルスターの銃に手を伸ばす。

 咄嗟のことで動揺があったはずだが、それでもホークは条件反射的に戦闘態勢に移行した。


 だがそれも予想の範疇。カイザーは懐の魔石を発動させた。

 次の瞬間、ホークの足元が発光する。廊下の陰に巧妙に隠されていた魔石が発動し、光の帯が放たれる。


 これは捕縛用の白魔法『ライト・チェイン』の力が封じられていた魔石。

 任意のタイミングで発動できるようにカイザーが先程仕掛けた罠だ。


 先程カイザーは、今まさに実験場から出てきたような小芝居を打ったが、実際にはホークがこの階に付く前に罠として魔石を設置していたのだ。

 その認識を誤ったホークは、この廊下そのものへの警戒を怠った。


 ライト・チェインがホークの身体にまとわりつき拘束する。

 魔法としては低位なためホークならば力任せに突破することも可能だが、一瞬とはいえ動きが封じられるのはカイザーを前に致命的な隙となる。

 何より予想外の奇襲とトラップを受けたホークは一時的にパニックを起こし対応が追い付かなくなるはず。


「……ふん」


 だがカイザーの策略に絡めとられたはずのホークは、それに冷笑で応えた。


 銃声。赤の銃『レッドスピア』から放たれた魔断がライト・チェインを消し飛ばした。

 それと同時にホークは素早く後ろに転がり、カイザーの槍の刺突を回避した。


「……あ?」

 あまりにも鮮やかに奇襲をいなされ面食らうカイザー。だがその瞬間には既にホークは魔法銃を連射していた。


 回避行動の最中に放たれた魔弾は計五つ。魔石一つ分の魔弾はほぼ同時と言っていい連射速度でカイザーの急所を五箇所に分けて狙っていた。


「チッ!」

 それをこともなげに全て弾き飛ばすカイザーの対応力もまた見事。

 狭い通路でどうやっているのかと思うほど巧みに長槍を振り回し、全ての魔弾を凌ぎ切った。


 起き上がったホークが銃を向け、カイザーが槍を構える。

 両者は四メートルほどの距離を置いて睨み合った。


「……やりやがる。俺の狙いを読んでたってわけか?」

 普通なら不意打ちを仕掛けてきたカイザーに注目して然るべきだ。

 だがホークは冷静に足元の罠を先に解除してから回避を選択した。咄嗟の行動とは思えない。カイザーの策を見破っていなければできない芸当だ。


「いや、買いかぶりだな。私は貴様の小賢しい罠にまんまとかかったよ。貴様のような男の提案に乗った自分を恥じるくらいだ」

「へえ? その割には随分冷静に対応したじゃねえか」

「貴様ら人間がどれほど卑劣な手段を使おうが、驚くには値しないというだけの話だ」

「ハッ! そりゃそうか。違いねえな」


 その返答はカイザーのツボに入ったのか、カイザーは愉快そうに笑った。

 つまるところ、ホークはカイザー個人ではなく、人類そのものを全く信用していないのだ。


 利害が一致して手を結んでも、決して背中は見せない。

 人類と交わした約束は裏切られて当然。

 そんな心構えが無意識レベルで備わっているのだ。


 故に奇襲も不意打ちも無意味。

 いや、ホークが無意識下でカイザーを警戒し続けていた以上、そもそも奇襲に成り得ない。その程度ではホークを動揺させることすらできないというわけだ。


 ……これは厄介な相手だ、とカイザーは内心で舌打ちした。


「いいぜ。てめえが俺の最後の障害ってわけか。相手にとって不足はねえ」

「御託はいい。さっさとかかってこい」


 上等だと言わんばかりにカイザーが突撃。

 それをホークの魔弾が迎え撃った。


 そしてここに、セドガニアの命運を決める最後の戦いの幕が降ろされた。

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